インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 「ちょっと免疫力が高まって帰ってもらえれば」 コロナ禍を笑いで吹き飛ばす、恒例の三人会! 桂南光、2022年の振り返りと落語への想い

「ちょっと免疫力が高まって帰ってもらえれば」
コロナ禍を笑いで吹き飛ばす、恒例の三人会!
桂南光、2022年の振り返りと落語への想い

桂文珍、桂南光、笑福亭鶴瓶という人気&実力を兼ね備えた上方落語のスターが、一堂に会する「夢の三競演」。今や上方の冬の風物詩として定着した唯一無二の三人会には気合の入った3人が顔を揃え、コロナ禍を笑いで吹き飛ばす。南光師匠は、東西の垣根を越えて深い親交のあった三遊亭円楽師匠への哀悼の気持ちを吐露。さらに、納得がいくまで練り続ける“南光落語”の制作過程や、謎の“72歳天命説(?)”についても語ってもらった。

――コロナ禍も3年目の冬を迎えます。まずは今の思いからお聞かせください。

「お客さんは入りの良い時も、そうでない時もありますから、一喜一憂はせずに、こんなもんかなと。前のように戻ることは無理なのかもしれないですけど、新しいお客さんも出てくるでしょうし、別に悩むこともない。だから、前を一切基準にしない。だって、コロナ禍になってもう3年目やし、今が基準と思えばいいわけですからね」。

――では例年通り、今年1年を振り返っていただきましょう。

「9月に愛媛の内子座の会があって、いっぱいのお客さんが来てくださって。昔の芝居小屋なんですけど、何度も行ってて好きなところなんです。去年は自分の古希の会を内子座で予定してたんですがコロナの影響でできなくて。けど、今回は噺家になって一番楽しくて嬉しくて、気持ち良くやれたんですよ。自分で言うのもなんですが、演者とお客さんが一体になった感じというか。あれが、おそらく私の噺家人生のピークでしょうね(笑)」。

――お客様とガッチリ、心が繋がったという。

「それが今年一番嬉しかったことですね。逆に一番悲しかった、辛かったのは(三遊亭)円楽さんが亡くなってしまったことですね。12~13年前かな、(桂)米團治の襲名披露公演で会うまでは挨拶程度だったんですけど、(桂)ざこば兄さんに紹介されたというか。『俺の兄弟分で江戸の楽太郎(円楽の前名)や』て言われて『知ってますよ』と(笑)。そこからですね。あの人とは年齢的にも近くて、とても親しくしてもらってて、ざこばさんが僕のことを『なんこやん』ていうのを知って、『僕も"なんこやん"って呼んでいいなか?』って」。

nanko221121-2.jpg――南光師匠にとって、円楽師匠はどんな方だったんですか?

「青山学院大学を出てるし金持ちのボンボンやと思ってたら、『俺は親に一銭も出してもらってないよ。アルバイトで大学行ったし』と。お金のこともキッチリしてはるし、何より落語はもちろん、普段も理路整然と実にうまいことしゃべられますからね。そのあたりもとても尊敬してて、この人の言うことなら私は聞けるなと思いました。彼は東西の噺家を集めて、博多や札幌、東京で落語会をプロデュースしてて。私も途中から『博多・天神落語まつり』とかに声をかけてもらってね。出番はみんな彼が組んでるんですけど、これが難しいんですよ。この人とこの人は実は仲が良くないから一緒の出番にしてはいけない...とか。私は好き嫌いが激しいのですが、そのことも知ってくれてて、分からん時は『いいかな、この男。どう?』みたいな。『いいですよ』って言うたら、『ああ、だめだね』」。

――(笑)顔色ひとつで瞬時に分かるという。

「そうそう。ある時、『私は好き嫌いが激しいけど、円楽さんは嫌いな噺家はいないんですか?』と聞いたら『いるよ。でも同じ噺家だから、たまに会って一緒にやってもいいじゃないか』と。そう言われた時に、この人は大きいなぁ、とても私なんか及びもつかんなぁと。だから、こんな人が声をかけてくれてるなら、私も合わない人と一緒になってもやろうと思いましたね。で、体調が良くなってこられて、去年の2月には河内長野のラブリーホールで初めて二人会をしたんです。『またやろうね』っていうのがあって、円楽さんとなら、どこへ呼ばれても、とっても楽しみやったんですよ。落語が大好きで、落語界のことを考えて、人間的にもすごくスマートでカッコ良くて、一言でいうたら『いい男やったなぁ』と思いますわ。8月に国立演芸場に復帰されたのをテレビで見た時に、あの人もそんな泣く人じゃないのに、やっぱりお客さんの拍手を受けて感極まったんでしょうな。その時に『ここまで戻ってきはって良かったな』と僕も嬉し泣きをしたんですが...、亡くなったって聞いてショックなどという言葉では表せないくらい悲しくて辛くて。あれからずーっと、『なんこやん』って彼が呼んでくれるのが何か聞こえてくるんですよ」。

――様々な思いが入り交じる2022年だったんですね。そんな中で今年、手掛けてられるネタ、やってみようと思われる演目を教えていただけますか。

「今年になってからやりだしたのが『帯久』。元々は嫌いな落語だったんですよ。サゲのために、先に言っておかないといけないこともあるし。なぜ嫌いなのかと色々考えたら、帯屋久七という、いわば"悪人"が最後にぐうの音も出ないくらい追い詰められて終わるんやけど、発散しないんですよ。お奉行さんのお裁きは見事やけど、なんでか発散しない。それは、帯屋が心を改めず、自分がやったことを謝らないで終わっている...そこが私は気に入らんというのに気が付いて。で、帯屋に改心させるようなサゲにしたんですよ。そしたら、うちの嫁とマネージャーが『帯屋は改心するような男じゃないでしょ』と。『まぁそうやけども、その方がハッピーエンドというか、俺はスッキリするから』と言うと、『いやぁ~』って言われて、今も色々考えてるんですわ」。

――"性善説"に基づいたサゲを考案中だと。

「だって帯屋も初めから百両の金を盗るつもりはなかって、たまたまそんな状況ができてしまって。人間ってふと悪心というか出来心が起こるじゃないですか。ただ、その後に自分の店が繁盛したけど、ずっーと悔やんでた...と思います。だから私は帯久を救いたい」。

――日常生活の中でも、『あいつは元々は悪い人じゃない』と許せるタイプですか?

「いやっ、それは思えませんね。これは作り事やし、落語やし、物語やから。実際に帯久が近所に住んでたら許せませんね。モノも言いません。だから、私の理想というか。聞いてもらってる方にもスッとしていただきたいという」。

――ほかに、やってみようと思われているネタはありますか?

「うちの師匠(桂枝雀)の十八番だった『宿替え』ですね。稽古はしてもらってなくても、昔、寄席のトップホットシアターに出た時に、ちょっとだけやったことがあります。師匠は僕が入門した時はまだ『宿替え』はやってなくて、三遊亭百生師匠のテープをずっと聞いて、やりだしはったんです。初めは百生師匠のそのままやったけど、そこへうちの師匠流のものが色々入って、あのおやっさんが出来上がったという。あれが私にできるかどうか。それなら私流に屁理屈ばかり言うて嫁はんと揉める...みたいなのにしようかなとか」。

――なぜ、今、やってみようと思われたんですか?

「師匠の十八番でしたからプレッシャーみたいなのもあって、やらなかったんですけど。今は新しいネタを覚えるのが大変なんですよね。物語は分かってますけど、昔みたいに3回ぐらい聞いたらできる、というのがなくなってるんで。どっちみち師匠みたいにはできないねんけども、やっとこかなと」。

――話は変わって...今年の三競演の前に71歳を迎えられますが、以前ご自身は"72歳"天命説というのをおっしゃっていました。

「昔、知り合いの人が占い師の人を連れてきて、勝手にその人が『あなたは、そんなこと信じないから言いましょうか。72歳で死にます。なんぼ頑張っても、それ以上生きられません。天命だから』って言われてね。その人はいろんな有名人の亡くなる年齢も当ててたと言うねんけど、それが本当かどうかも分かれへん。そういうこともひっくるめて、私は信用しないので。だって、明日死ぬかも分からないじゃないですか。でも、天命が72歳と思えば、じゃ72までに行きたいとこへ行って、したいことをして、食べたいものを食べとこかなと思う。でも72までに『この落語をしたい』というのは、まったくありません(笑)」。

――ある意味、人生の"目安"ということですね。

「来年の12月8日の誕生日で72歳ですから、その日が運命の日なのか、そこから1年間、猶予があるのか...。73歳を迎えた時、なんか楽しいじゃないですか。『やっぱり、あの占い師のおっさん、嘘言うとったな』と」。

――きっと、いやっ、絶対にお元気で73歳を迎えられると思います。

「いやぁ、どこか悪くなってきてるかも分かれへんし。ただ、膝を痛めてお医者さんに『体重を落としなさい』と言われて。古希の記念公演の時は台を置かないと座れないぐらいひどい時もあったんですけど、あれが終わった頃には水もたまらなくなってね。実は、ダイエットで徐々に体重を落としたんです。で、今年の8月に血液検査に行ったら、一時80キロまであった体重が70を切って68、69キロになってて、糖尿の数値もドーンと下がってたんですよ。『よう頑張りましたな』ってお医者さんに褒めてもらいました(笑)」。

――そんなお元気な南光師匠から、コロナ禍で疲弊されている方々も含め、『夢の三競演』に行きたい、聴きたいと考えていらっしゃる皆さんにエールを送ってください。

「この三人会の時間だけでも皆さんの不安が解消されて、『来て良かったな』と、ちょっと免疫力が高まって帰ってもらえればいいかなと思います。ぼちぼち一人欠けそうですから、見るなら今です! 前も口上で、そんなん言うてましたが、誰も自分が欠けるとは思ってないですけどね(笑)」。

取材・文:松尾美矢子
撮影:大西二士男




(2022年11月24日更新)


Check
桂南光(かつらなんこう)●1951年、大阪府出身。1970年、二代目桂枝雀に入門し“べかこ”を名乗る。1993年に三代目桂南光を襲名。古典落語に新たな解釈を加え、徹底的に納得いく落語世界を作り上げる。レギュラー番組は『大阪ほんわかテレビ』(YTV)など。

夢の三競演2022
~三枚看板・大看板・金看板~

12月4日(日)一般発売 Pコード:515-864
▼12月26日(月) 18:00
梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
全席指定-7000円
[出演]桂文珍/桂南光/笑福亭鶴瓶
※未就学児童は入場不可。本公演は政府ならびに関係諸機関により策定された新型コロナウィルス感染症対策ガイドラインにもとづき、感染拡大防止対策を講じて公演を開催いたします。マスク着用、咳エチケット、こまめな手洗い・手指消毒の徹底をお願いいたします。劇場入口にて検温を実施。37.5度以上の方は入場いただけません。入場時に「大阪府新型コロナ追跡システム」へのご登録をお願いいたします。分散しての入退場にご協力をお願いいたします。ご退席の際は密集をさけるため、係員の指示に従って順次、ご退席いただきますようお願い申し上げます。
[問]夢の三競演 公演事務局■06-6371-9193

チケット情報はこちら

<夢の三競演 演目一覧>

※登場順

2004年
桂文珍『七度狐』
桂南光『はてなの茶碗』
笑福亭鶴瓶『らくだ』

2005年
笑福亭鶴瓶『愛宕山』
桂文珍『包丁間男』
桂南光『質屋蔵』

2006年
桂南光『素人浄瑠璃』
笑福亭鶴瓶『たち切れ線香』
桂文珍『二番煎じ』

2007年
桂文珍『不動坊』
桂南光『花筏』
笑福亭鶴瓶『死神』

2008年
笑福亭鶴瓶『なんで紅白でられへんねん! オールウェイズお母ちゃんの笑顔』
桂文珍『胴乱の幸助』
桂南光『高津の富』

2009年
桂南光『千両みかん』
笑福亭鶴瓶『宮戸川
~お花・半七馴れ初め~』
桂文珍『そこつ長屋』

2010年
桂文珍『あこがれの養老院』
桂南光『小言幸兵衛』
笑福亭鶴瓶『錦木検校』

2011年
笑福亭鶴瓶『癇癪』
桂文珍『池田の猪買い』
桂南光『佐野山』

2012年
桂南光『子は鎹』
笑福亭鶴瓶『鴻池の犬』
桂文珍『帯久』

2013年
桂文珍『けんげしゃ茶屋』
桂南光『火焔太鼓』
笑福亭鶴瓶『お直し』

2014年
笑福亭鶴瓶『青木先生』
桂文珍『御血脈』
桂南光『五貫裁き』

2015年
桂南光『抜け雀』
笑福亭鶴瓶『山名屋浦里』
桂文珍『セレモニーホール「旅立ち」』

2016年
桂文珍『くっしゃみ講釈』
桂南光『壷算』
笑福亭鶴瓶『山名屋浦里』

2017年
笑福亭鶴瓶『妾馬』
桂文珍『へっつい幽霊』
桂南光『蔵丁稚』

2018年
桂南光『胴斬り』
笑福亭鶴瓶『徂徠豆腐』
桂文珍『持参金』

2019年
桂文珍『スマホでイタコ』
桂南光『上州土産百両首』
笑福亭鶴瓶『オールウェイズお母ちゃんの笑顔』

2021年
笑福亭鶴瓶『お直し』
桂文珍『デジナン』
桂南光『はてなの茶碗』

特設サイト