「コロナ禍を経て改めて思うのは、やっぱり落語が好きということ」
2022年4月、次代の落語界の担い手と嘱望される東西の実力派が顔をそろえる新たな落語会「MBSらくごスペシャル 春蝶・吉弥と一之輔 三人噺」が初開催される。上方落語からは今年で入門28年になる同期の桂春蝶、桂吉弥が、江戸落語からは飛ぶ鳥を落とす勢いで活動する春風亭一之輔が登場する。ぴあ関西版WEBでは、このお三方にインタビューを実施。落語はもちろん、多くのメディアでも活躍する桂吉弥は、昨今のコロナ禍での日々に改めて、「やっぱり落語が好き」と実感したという。
――「MBSらくごスペシャル 春蝶・吉弥と一之輔 三人噺」は、東西噺家の夢の共演ですね。
(桂)春蝶くんとは同期なんで、いろんなとこで一緒にやっていて。(春風亭)一之輔くんもえらい人気者で。我々落語家って、前座時代からどこかで一緒に仕事してるんですよ。昔あった『大銀座落語祭』とか、円楽師匠の『博多・天神落語まつり』とか、先輩方がいろんなところで東西の会をやってくれているんですけど、15年くらい前の『大銀座落語祭』の楽屋で、笑福亭鶴瓶さんが「お前によう似たやつが東京の楽屋をウロウロしている」と。「おお、そうや一之輔や、ちょっとこっち来い、お前らちょっとふたり並べ」って一之輔くんと並ばされて。ふたりとも同じようなメガネしてたから、「ちょっと眼鏡入れ替えてみい。吉弥と一之輔、よう似てるわ」って言ってくださったのが初対面でしたね。
――そんな出会いだったんですね。吉弥さんもあと2年で入門30周年を迎えられます。もう上方落語界を背負う立場になられますね。
前はそんなこと言われても、「いやいや」って謙遜してたとこもあるんですけど、それこそ天満天神繁昌亭とか神戸新開地 喜楽館とか、動楽亭とかのいわゆる寄席の昼席なんかですと、僕らの世代がトリをとって、お客さんにええもの見てもらおうみたいな、そういうことが日常になってきているんですよね。それは逆に言うと、僕らがぐっと頑張らないと、僕らの下の世代からしたら「いやいや、俺らもやりたいけど、吉弥兄さんもっと行ってくださいよ」というものを感じているところがあります。
――後輩からそういうプレッシャーが…。
目に見えないものがありますね。
――春蝶さんのインタビューで、先代であるお父様のキャリアに近づいたという話題がありましたが、吉弥さんも師匠の桂吉朝さんとご年齢が近くなりましたね。
そうですね。吉朝さんは51歳になる直前に亡くなったから、年齢で言うともう並びました。僕、2月25日で51になったので。
――師匠の年齢に近づくというお気持ちは?
僕は結局、うちの師匠とは11年ぐらいしか一緒にいてませんけど、桂吉朝という人がやっていた高座というのは、もう本当に素晴らしい。本当に美しかったですね。大阪に定席の寄席小屋がなかった中、うちの師匠は東京のTBSの『落語研究会』という番組でトリを取ったりとか。古今亭志ん朝師匠らと普通にお話してはったりとか、大阪の寄席番組なんかでも夢路いとし・喜味こいし先生が「吉朝くんやったら出ましょう」とか、そういうことをやってはったんですよね。そう思うと、ひょっとしたら一生に1回しか落語を見ない人もいるかもわかんないですけど、そういう人らに「どんな落語を俺はできんのや」っていうことを、この頃すごくよく考えます。
――それは、「あの頃の親と自分が同じ年齢になったものの、自分は全然しっかりしていない、親はすごいな」って思うことと同じ感覚でしょうか?
それはうちの師匠も言ってました。「桂米朝師匠が50歳のときってああやったんやで」とか、「すごいな、越えられへんわ」とか言うてました。僕もそう思いますね。
――みんながそう通る道というか、同じように考えることなんですね。ここ2年はコロナ禍もあって思うようにできないこともあったと思いますが、この時期を経て落語に対する意識は変わりましたか?
僕はもう単純に「緊急事態下では落語はいらないもんなんやな」って。そんな、感染するかもしれないところにお客さんは集まらないし。20年以上やってきましたけど、コロナ禍で本当に考えました。「なんで落語やってんのかな」とか、「なんで落語家になったんやろう」って。ほんまに根本に立ち戻ったときに、「落語というものが好きなんやな」と思ったんです。俺は好きやからやってるし、それを仕事に選んだ。落語は見るのも好きやし、聞くのも好きで、そこから「ちょっとやれるかも」って落語研究会に入ってみて、師匠のかばん持ちになって。落語家のお付きに付いてるというのも好きやし、落語家が揃っている楽屋にいるのも好きやし、落語を見ているお客さんを見るのも好きだし。なんやったら自分もやりたいし。「もう好きやという、これやな」と。だから俺は落語をやってんのやなって。それを発見できたのはコロナ禍で時間ができたことで一番、良かったことですね。
――そういう時を経ての落語はまた聴きがいがありそうですね。
コロナ禍の前にやっていた落語とは多分、違うと思います。お客さんも全然違うものを聞いてると思います。本当に好きなものだからこそ、「何が好きなんやろう」とか、「自分はこの噺のどこが好きなんやろう」とか、「この落語をして何が面白いんやろ」みたいなことをすごく考えるようになりました。
たとえばうちの弟子なんかね、俺が教える場で、弟子の落語を見ていて、「もっと面白がればいいのに」と思ったりするんです。「面白いもんやのに、落語。もっと好きにやって、好きなことを伝えたいって思ったらいいのに」って。型とか、「こう言わなきゃ」とか、そういうことにすごいこだわっちゃって、もったいないなと思って。
――そういうお弟子さんの姿は若い頃のご自分にも重なるところはありますか?
ありますね、それはね。確かに僕も、米朝師匠の落語を見て「綺麗やな」とか、「素敵やな」と思う。「ああいうふうにやりたい」とか。うちの師匠の吉朝も、それこそもう亡くなってしまっていますが、その美しさ、様式美みたいなね、そういうことをやりたいなと思って。でも、できない。そうなったら舞台の上で反省会を始めてしまうんですよ、自分の頭の中で。これは一番やったらダメなんすけど、「これができてない」「こんな反応ちゃう」みたいなことを考えて。でもそれは落語のことを愛してないし、お客さんのことも愛してないんですよね。そういう反省会をやっている時点でね。その時の生の高座を見てくれてる人にすごく失礼なことをしている。本来は稽古場とか、練習でやってこないといけないことなんです。
――とはいえ、「師匠の落語に似てきたな」って言われることもあるのでは?
「吉朝さんによう似てるなあ」とか、「やっぱ米朝一門やからな」っていうのは褒め言葉やし、それは絶対、最初は必要なんですよ。まず型をやるというのはね。でもどこかで「こいつ、ずっと同じままやな」と思われるときが来るんですよね。春蝶さんが「太鼓の達人」から「魂の和太鼓」と落語家のステージが上がるたとえで言っていましたけど、「俺はこれや」とか、「俺はこれが好きやねん」とか、型通り完璧にやって「俺はこれが最高やと思うから、研ぎ澄まされたこの落語を聞いてくれ」でもいいんですけど、どこかでそういうことになっていかないといけないと思います。
――吉弥さんが「太鼓の達人」から「魂の和太鼓」に移行するタイミングはいつでしたか?
僕の場合は、NHKの『ちりとてちん』(2007年10月~2008年3月)というドラマに芸歴13年でラッキーにも出してもらって。それから『吉弥独演会』とかあちこちで企画してくれはって。それこそ僕も「太鼓の達人」で落語家をやっていたところ、もう亡くなりはった桂歌丸師匠と、『歌丸吉弥二人会』というとんでもない企画する人が出てきて。「ええ!?」みたいな。どうしたらいいんやろうと思ったけど、そこで腹くくったっていうか。「型通りによくできてるね」ではもうあかんわって思いましたね。
――では、春蝶さん、一之輔さんが集う「MBSらくごスペシャル 春蝶・吉弥と一之輔 三人噺」の魅力を改めて教えてください。
春蝶くん、一之輔くんも、どうしたら自分のことが伝えられるか、自分が面白いと思っているものを面白がってもらえるかということをすごく考えている、その思考の先頭を行っている人やと思うんです。だから、言ってみればあんまり人のことを考えてない。それよりも自分の落語を考えていると思うんです。
僕、この3人の会を、しかも関西でやるってなって思ったのは、落語が好きな人は好きなんだけど、関西にも「落語? おもろいんかいな」って思ってる人もまだいっぱいいてると思うんですよ。なので、「ほんまおもろいんやな」とか、「こんなこと聞けるんや」とか、「ひとりでこんなことできるんや」っていうことを感じてもらえるいいパッケージだと思うんです。
MBSさんがやってくれるのも大きいですよね。テレビで宣伝されているのを見て、「ほな行ってみようか」と。あと、いまだにね、「落語は江戸のものでしょ」みたいな、そういう方も多いです。関西にいながら。そういう人には「一之輔がいい」とか、そういう情報だけが入っているので、「お、一之輔が来るんか、おもろいやんけ。春蝶、吉弥か…。テレビにチョロチョロっと出とったな。こいつら落語できんのか?」と思われる方々にも見に来てもらいやすいと思います。そういう意味でも良いパッケージです。そういったことをまとめると、「一之輔くんを見に来てください」と。そういうことです。「一之輔くんが見れるので切符買ってください」(笑)。それで来てもうたからにはこっちのものです!
取材・文:岩本
撮影:福家信哉
(2022年3月18日更新)
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