「先輩ふたりの邪魔にならないようにひっそり頑張りたい(笑)」
2022年4月、次代の落語界の担い手と嘱望される東西の実力派が顔をそろえる新たな落語会「MBSらくごスペシャル 春蝶・吉弥と一之輔 三人噺」が初開催される。上方落語からは今年で入門28年になる同期の桂春蝶、桂吉弥が、江戸落語からは飛ぶ鳥を落とす勢いで活動する春風亭一之輔が登場。このぴあ関西版WEBでのインタビュー、最後は春風亭一之輔に三人会に向けての意気込みはもちろん、日々、高座ではどんな思いでいるのか、その心の内を聞いた。
――まず、春蝶さん、吉弥さんとの3人で落語会をするというお話を聞いたときの第一印象を教えてください。
吉弥兄さんは久々に会えるのが嬉しいなと。別に春蝶兄さんが嬉しくないわけじゃないですよ(笑)。元気かな?という感じですね。春蝶兄さんはたまに会うんですよね。半年ぐらい前に「渋谷らくご」でもご一緒させていただいた気がします。でもずいぶん先輩ですからね、おふたりとも。
――先におふたりに取材させてもらったのですが、吉弥さんが「今回の三人会は一之輔さんを見に来てください」とアピールされていました。
大阪ですからね~、どうですかね、それは(笑)。
――ただ「会場に来てもらったらこっちのもんや」ともおっしゃっていました。
それはもうお互い様ですね。でも、大阪の噺家と東京の噺家だと、僕ら世代のメディアの露出は、大阪の人の方が多いですよ。一般的に「吉弥」「春蝶」と、そういう先輩のことは落語に興味がない人も知っているので、僕もそういう人たちに聞いてもらういい機会だなとは思います。
――今回、お客様の中には「江戸と上方の落語は、何が違うの?」と思われる方もいるかもしれないのですが、一之輔さんは、落語の江戸と上方の違いはどういうふうに見られていますか?
どうかなぁ。話の内容としては、大阪の人はちゃんとしてますね…(笑)。と、思うんですよね、いつもね。案外、僕なんかぶっ壊してやることが多いので。もう、鳴り物とかもみんなうまい。大阪の人の方が基本に忠実で、かっちりした落語をやっている人が多いようなイメージですね。あと、口調とかリズム感とかメロディ、謡調子は大阪の落語を聞いていて気持ちがいいです。ただ、自分でやっていて江戸とか、上方とか意識したことがないんで言いようがないんだけど…。まあ、でもね、大阪も東京も関係ねぇと思うんですよね。基本的に東京も大阪もここが魅力とか、そういうのって僕は考えないですね。落語は落語だし。
――では、なぜ一之輔さんは落語をされているんでしょうか? どういうところに惹かれて…。
何でやってんですかね(笑)。自分でもよくわかんねぇ、何でやってんのか。何でやってんのかなぁってしゃべりながら思ってますよ、いつも。「こんな馬鹿馬鹿しいことよくやってるよな、毎日」って思いながらしゃべったりします(笑)。別に嫌なわけじゃなくて、楽しいんですよ、高座でしゃべるのはね。
――どういうところが楽しいですか?
あんまり思い通りにいかなかった時も楽しいんですよね。「あれ? こんな感じなんだ、今日のお客は」とか。これは毎日しゃべってるからだと思うんですよね。今も10日間、寄席でしゃべってて。同じ時間に同じ場所でしゃべってるっていう。僕はしゃべるのが正味、合っているのかもしれないですね。毎日違うお客さんが来て、同じような落語をしゃべってるだけで反応が違うっていう、そのライブ感ですね。寄席ってアウェイなんですよ。別に僕だけを観に来たわけじゃない。「落語って何だろうな~」ってぼや~って来た人たちの前でしゃべって、ちょっと距離が近づくのが好きなんですよ。
――春蝶さんと吉弥さんの対談のときに、落語に「守破離」があってという話になり、「守」から「破」に移行するタイミングがあるとおふたりがおっしゃっていました。一之輔さんにもそういうタイミングはあったのでしょうか?
お客さんの反応が良くなってきたのは、大体入門して7、8年ぐらいですね。確実に「ここ」とは言えないんですけど、なんかウケるようになったという感じがあって。
――ウケるようになるのは、同じネタでも違いますか。
同じネタでも違いますね。「この言い回しはこうだろう」とか「この主人公はこんなこと言うかな」っていう疑問を持つようになってきたというか。だったら変えちゃえよって。それでやってみたら、スッと言えるようになったんですよ、セリフがね。セリフじゃいけないんですけど。本当はもう、初めてしゃべるようにしゃべんなきゃいけないって言われるんですけど。
――自分が考えたことを出していくとウケるようになったと。
それも自分なりにちゃんと筋を通してというかね、何でも変えりゃいいってもんじゃないと思うんですよ。なんか引っかかるな~とか。教わったとおりやってみて、やりながら何か違うことを言ってるときもあるんですよ。
――それは思わず?
高座の上で、思わず。何度も何度も同じ噺をやってると肚に入るというか。肚に入るからこそ、違う言い回しでも自然に聞こえて、お客さんがいい反応になってくれるのかなとは思うんですよね。それは全部の噺がそうじゃなくて、この噺はそんな感じとか。いまだに教わったまんまやってる噺もあるので、全部が全部じゃないんですけどね。あと、この噺はそのまんまやりたいなっていう噺もあるし、落語によって付き合い方が違うんですよね。
――上方は2006年に天満天神繁昌亭が開場するまで、戦後しばらく落語の定席がありませんでしたが、東京には昔から寄席がありました。その文化の違いもあるのでしょうか。同じところで毎日、同じことをやるという鍛錬の仕方がちょっと違いますもんね。
そうなんですよ。だから恵まれてるといえば恵まれていますね。入りたての頃から10日間、寄席に入って働くんですよね。昼夜、ずっと働いて。何かこう、嫌でも聞こえてくる状態なんですよ。まあ、好きで入ったから嫌と言ったら失礼なんですけど、それがいいっちゃいいでしょうね。お客さんに対してしゃべっている生の落語を楽屋で常に聞き続けて、浴び続けているという、その状態は落語家を作るうえではすごく良いシステムなんだろうなと思います。
――浴びるっていいですね。
楽屋で仕事しながら聞こえてくるじゃないですか。そうすると、しゃべり方とか、最初は本当に落研の子みたいなのが1年、2年、3年、4年ぐらい経つと、なんか落語家っぽいしゃべり方になったねっていうのがあるんですよね。聞こうと思って聞いてるわけじゃなくて、自然と聞こえてきちゃってるものが体に染み込む感じですね。
――一之輔さんも4人、お弟子さんがいらっしゃいますが、お弟子さんに対して「型通りに落語をすることにとらわれすぎていて、もどかしい」と思われるようなことはありますか?
うーん…うちの弟子は一番上がまだ6、7年くらいなので、まあ別に自由にやれよと。言わないですけどね。ほっといても自由にやったりしてるので。逆にもっとちゃんとやれよと思います(笑)。僕はあんまり似てほしくないんですよ。同じような人がいっぱいいてもしょうがないから。まして、僕の芸みたいなのを真似てもしょうがないんで。自分のものを作ってはもらいたいなとは思いますけど、でもやっぱり基本を踏まえたうえでのことだと思うので。
まだ一番上が(入門)7年ぐらいで、2番目が5年くらい。それぐらいから個性を出そうとすると失敗することが多いと思うんですよ。落語って、そんな5、6年とかで何とか自分のものにしようと思ってできるもんじゃないから、焦らずやった方がいいんじゃないかなと思います、弟子に対しては。僕もそうなんですけど、無理に個性を出そうとしても一筋縄じゃいかないもの。だからのんびり、死ぬまでの商売なので。どんな売れ方をするかわかんないですからね。いろんな可能性があると思うので「飽きずに、嫌いにならずにやりなさい」とは言ってます。
――ちなみに、一之輔さんが師匠や先輩方からいただいた心に残るアドバイスはありますか?
なんだろう。「もっと引くといいよね」って言われたことはあります。僕がいろいろ、くすぐりをてんこ盛りにするようなところもあるので、袖で聞いていた先輩が「あと3つ引くと良くなるよ」とか、具体的に言われたこともあります。その噺に関しては「後半3つ引いたらもっと良くなるよ」って言われたんですけど、全体的なことを言ってると思うんですよ、僕の噺に対して。でも、あんまり言うこと聞かないで、そのままやってます(笑)。言うこと聞いて良くなったら、それはそれでちょっと悔しいなと(笑)。「いや、今までみたいに、やりたいようにやる!」と。
でも言わんとしていることはすごくよくわかります。だからたまにそういうやり方をしてみようかなという日もあります。「なんか今日はあっさりやってみよう」ってね、そういうときもあるし。最終的に年とって元気がなくなっていくと、そういう感じになるかもなという気がします。だから今は引かずに、行けるところまで行った方がいいかなと。具体的にギャグを入れるとかそういうことじゃなくて、落語に対する取り組み方みたいなもので、若いうちは前のめりに行ったほうがいいと思います。
――では、最後に月並みですが「三人噺」の意気込みをお願いします。吉弥さん、春蝶さんは、「まずは一之輔さんを目当てに来てほしい。会場に入ったからにはこっちのもんや」とおっしゃっていました。
いやいや、僕は邪魔にならないようにひっそり頑張ります(笑)。前の日はお酒を抜いて、体を清めて大阪に乗り込もうと思います。みんなでは飲めないと思いますが、終わった後のお酒も楽しみですね(笑)。
取材・文:岩本
(2022年3月30日更新)
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