ホーム > インタビュー&レポート > 演出家マイケル・メイヤー×柚希礼音主演の舞台 『お気に召すまま』開幕レポート! サイケデリックで新しいシェイクスピア劇の誕生
日本でも上演され、代表作であるブロードウェイミュージカル『春のめざめ』で、メイヤーはドイツの劇作家ヴェーデキントが描いた19世紀の物語にロックを融合させ、世界中で大ヒットした。古典作品を現代風にアレンジするのは彼の得意とするところだ。開演前から1960年代のロックミュージックがガンガンと劇場に鳴り響いている。それもそのはず、メイヤー版の『お気に召すまま』は、サマーオブラブと呼ばれ、ヒッピームーブメントが最も栄えていた1967年のアメリカに時代設定を置く。シェイクスピアの原作では宮廷である舞台を、本作ではワシントンD.C.に置き換えている。幕が開くと、ホワイトハウスをイメージしたような白い建物のセットが現れる。
明るくて楽しいことが大好きな主人公・ロザリンド(柚希礼音)は、姉妹同然に育ったシーリア(マイコ)とワシントンD.Cで暮らしている。なぜなら、ロザリンドの父・公爵(小野武彦)は、シーリアの父でもある弟のフレデリック(小野武彦/2役)から地位を奪われ、政界から追放されてしまったのだ。フレデリックはついにロザリンドにもこの地から去るように強制する。一方、公爵の側近だったサー・ローランド・ド・ボイス家の三男オーランドー(ジュリアン)も兄のオリヴァー(横田栄司)から、人徳や才能を妬まれ、家を追い出される。追放された公爵、ロザリンド、オーランドーに共通するのは、皆、優しくて人気者で人格者であるということ。そこが偏狭なフレデリックやオリヴァーを一層苛立たせ、醜く嫉妬させる。シェイクスピアらしいこの世の不条理だ。
格好良くスーツを着こなしたオーランドーやオリヴァー、60年代のキュートなワンピースに身を包んだロザリンド、シーリアがテンポよくコミカルに会話し、観客の笑いを誘う。クラシック音楽のように美しいが、ときには仰々しいシェイクスピアのセリフが耳にとてもなじみやすい。古臭かったり、難しかったりするセリフは、現代の言葉に置き換えられ、非常に分かりやすくなっている。衣装の効果も相まって、一幕目は「スタイリッシュなシェイクスピア」という印象だ。
追放されたロザリンドと、彼女と行動を共にする決心をしたシーリア。二人は「どこか楽しい所へ」と、ヒッピー文化の中心地ヘイト・アシュベリーに向かう。原作では「アーデンの森」と呼ばれる場所だ。この二幕目から、ますますメイヤーの威力が発揮される。真っ白で威圧的だったワシントンD.C.の建物は、サイケデリックなグラフィックの模様に変化する。目の前でライブペインティングが行われたかのように鮮明だ。そのカラフルでポップな世界観はメイヤーの持ち味だ。舞台にはバンドのセットが組まれている。ヒッピーたちがダンスを踊り、マリファナを吸い、追放されてこの地で暮らす公爵に仕えるアミアンズ(伊礼彼方)が吟遊詩人のようにギターをかき鳴らして歌い出す。ここでブロードウェイの人気作曲家・アレンジャーのトム・キットが、本作のために書き下ろした楽曲が披露される。弦楽器が効いた美しいフォークロックを圧倒的な歌唱力を誇る伊礼が歌う。ブロードウェイの観客も大喜びするであろうメイヤーとキットのコンビによる新作を今、日本で見ているなんて、何と贅沢なことだろう。まるでブロードウェイにいる気分だ。アミアンズに続き、オーランドーやほかのキャストたちも歌い出す。もっともっと彼らが歌うキットの楽曲を聞いていたかったが、この作品はミュージカルではないのだ。
ワシントンD.C.で出会い、恋に落ちたロザリンドとオーランドー。二人はヘイト・アシュベリーで再会するが、ロザリンドは素性を隠すためにギャニミードという名で男装している。ギャニミードに扮する柚希の一つひとつの細かい表情やしぐさ、立ち振る舞いは茶目っ気たっぷりで男の子そのものだ。恋に夢中になるロザリンドでは弾けたような演技を見せる。女役も男役もコケティッシュで愛らしい。メイヤーの元で一皮も二皮もむけたのではないだろうか。
『お気に召すまま』は、公爵に仕えるジェークイズ(橋本さとし)が「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」と言う名台詞で知られる。その後に、人生は全7幕で「まず、第1幕は赤ん坊、第7幕では年を取って子どもに返る…」と続くのだが、メイヤーは、そこが本作ではシェイクスピアのベストのセリフだと取材で話していた。その最高のセリフのシーンはキットの楽曲をバックにとても洒落た演出がされているので、注目してほしい。
また、身内を貶めることしか頭にないフレデリックやオリヴァーが、ヒッピーの聖地を訪れ、改心していく姿も描かれる。シェイクスピアは詳細を描いていないから、ピッピ―に支持された宗教団体ハレ・クリシュナを取り入れるなど、メイヤーならではの解釈は奇抜で面白い。ほかにも、巨大なクッションやミラーボールをはじめ、思わずクスッと笑ってしまう様々な小道具を使った演出が楽しめる。そんな原作には描かれていないシーンは、原作を知っているとより一層味わい深い。これから見に行く人には、事前に原作を読むことをぜひ、おすすめしたい。
後半もキットの楽曲がビッグナンバーとして使われ、シェイクスピアのおなじみの大団円まであっという間だ。何が起こるか最後までワクワクさせられた。また、メイヤーは「どの国にあっても俳優は俳優」だと日本のキャストを絶賛していたが、その言葉通り、全員が見事なパフォーマンスを見せてくれた。このカンパニーを心から誇りに思う。そして、やはりさすがはメイヤーだ。斬新なアイデアのごった煮だけには終わらない。彼が腕を振るう60年代風の料理を堪能した上で、飛び切りのデザートになるラストが待っている。その味は格別だ。「どの国にあっても演出家は演出家」だと実感した。
取材・文 米満ゆうこ
(2017年1月18日更新)