「混沌」をテーマに和太鼓とドラムを見事に融合させた
鼓童の最新ツアーについて小田洋介と坂本雅幸に聞いた
和太鼓を中心とした伝統的な音楽に無限の可能性を見出し、現代への再創生を試みる集団、鼓動。2012年より歌舞伎俳優の坂東玉三郎を芸術監督に迎え、さらなる広がりを見せている。「神秘」「永遠」などテーマに沿って舞台を作り上げてきた彼らが、11月から新たな旅へと出発。「混沌」をテーマに、さらに飛躍したステージを展開する。
――テーマは「混沌」ですが、制作期間はどのくらいなんですか?
小田洋介(以下、小田) 小田洋介(以下、小田) 混沌は2年かけているんですよ。(2014年初演のツアー)「永遠」の前からですね。ドラムを舞台に上げるまでの練習期間は、「永遠」の前から始まって今年で4年目です。
――ドラムセットと和太鼓のコラボレーションが見どころの「混沌」ですが、いかがですか?
坂本雅幸(以下、坂本) 「永遠」というツアーをしながら、佐渡に帰って「混沌」という作品に取り組んでいるのですが、作品に時間をかけられるのは貴重というか、時間をかけられるのはすごいことだなと思います。結構、集中していたんです。2週間くらい「混沌」のことばかりやって、それからまた「永遠」という2ヶ月のツアーに出て。その間に1回、整理されるんですよね。寝かせる期間と集中させる期間があるので、どんどん作品も広がっていきますし、それがすごくいいペースでできていると思います。
――ツアーに出ている間に、何かインスパイアされることもありますか?
坂本 もちろんありますね。経験が次の稽古に生かされていると思います。これ使えるなとか、僕らも常にそういうことを考えながら行動しているところがありました。
――「混沌」が形になって、いかがですか?
小田 面白いと思います、単純に。あんまり説明はいらない、見て楽しめるものになっていると思います。予備知識がなくてもいいといか。僕たちの舞台は、基本的に予備知識がなくてもいいんですけど、“太鼓ってどういうもの?”という疑問を抱かずに、来ていただければと思います。
坂本 ドラム以外はいろんなものが出てきて、舞台もどんどん展開していくというか。本当、見ていて楽しい舞台になるんじゃないかなと思います。
――今回は、「ゼロの状態からスタート」ということですが、これまでとは舞台の作り方が違ったんですか?
坂本 「永遠」も全曲新曲でしたが、演奏者が曲を持ち寄って、それを坂東玉三郎さんがご覧になって、いろいろつなぎ合わせてというやり方だったんですが、今回は何もなかった(笑)。
小田 何もなかった。例えば、「私、こういう曲が出来ました」「私はこういう曲ができました」「じゃあ、舞台上ではこういうものにしましょう」という流れが今までの作り方でした。今回は、「曲がほしい」「どういう曲?」「こういう曲で」というやり取り。それが例えば椅子だったら、「アンティーク調だから下地はロココ調にしよう」とか、「張りはベルベットでいきましょう」とか、そういう感じで作っていたったんです。1つのイメージを伸ばして伸ばして、どこまで大きくなるかという。
――そのイメージは、玉三郎さんのヒントもあって?
坂本 そうですね。稽古を始めましょうっていう時点では何もなくて、玉三郎さんも「混沌としております」とおっしゃっていて。あるものを寄せ集めるのではなくて、1つ作ったものをどんどん広げていく。スルメのように広げていく。実際、スルメは広がらないんじゃないかなと思うんですけど(笑)。
小田 もちろん限界があると思いますが、それを聞いた後にテレビのニュースですごくでかいイカが捕らえられて、世界一のスルメを作ったと。それがめっちゃでかいんですよ。6畳くらいありそうな。すごいでかいな~って。でかいスルメもあるんだなって(笑)。
――可能性があるということすね(笑)。無でありながら、混沌としているということですか?
小田 無というのはグラフで言うとXとYがちょうど交わるところ。生まれるか、破滅するか、そのちょうど間にあるものが混沌だと思うんです。無というのもある種、整然としてなければ生まれない。この「混沌」もそういうところを目指して作られているんじゃないかなと思います。だから、「混沌」と言いつつも、混沌の中は整然としていて、整然としているからこそ角度によって混沌としているようにも見える。多分、混沌は混沌なりの秩序があると思うんです。
――ただ単にぐちゃぐちゃというわけでなく。
坂本 そういうことですね。「混沌」の舞台では、いろんな楽器が共存しています。ドラムセットあるし、太鼓もあるし、タイヤもあるし……。タイヤも今回、楽器として使うんですけど(笑)、見ようによったら、いろいろぐちゃぐちゃで、混沌としているようには見えるんですけど、整然とした中に混沌としたものがあるということに気づきます。
小田 和楽器と西洋楽器の垣根を越えてくるというか、本当の意味でお互いを知り合う機会になっているんじゃないかなと思います。
――ゼロから始まって、どんどん作られていく感覚はいかがでしたか?
坂本 ある種「混沌」というタイトルだからこそ何でもできる、発想が広がったというか。作品としては1本筋が通ったものを作るというのがあって、裏テーマに「整然」。ぐちゃぐちゃといろんなものが集まっていて、こう来たらここにこれが入ったら面白いんじゃないかみたいな感覚でどんどん作っていけるので、そういう意味では今回、ドラムも違和感なく入れたという気がします。ドラムって個性が強い楽器で、そこは越えられない壁だったんです。でも、気が付いたら意外と馴染んでいるという感覚が自分たちにあったのが面白いなと思いました。切り口が違ったんでしょうね。
--その壁というのは。
坂本 楽器として似ていますが、成り立ちも全然違います。ドラムは結構、切れのいい楽器じゃないですか。そこにギターやベースが乗って、音がふくよかになると思うんですけど、和太鼓はどちらかというとアタックより余韻が大きくて、そういう楽器とやると他の楽器を飲み込んじゃうというか、こっちがボリュームを上げると、他の楽器の音を全部消してしまう。だからといってボリュームを下げると太鼓としてつまらない。それで、なじみが悪いなという感じがずっとありました。そういう意味では、日本の笛や三味線は、メロディ楽器だけどアタックが強いんです。だから和太鼓に馴染むんだなと思って。
――楽器の生まれた場所の違いというか。
坂本 違うんだなと感じますね。
――それが、気が付けばよく混じっていて?
坂本 これを乗り越えたら和太鼓で何でもセッションできるなという感覚は、自分たちの中にありました。
――ドラムの監修は元ブルーハーツの梶原さんが担当されています。
坂本 梶原さんには、ドラム打法から教わりました。僕らは太鼓をどんどん叩くのが専門なんですけど、もうちょっと小さい音も求められていて。そういう中でもっと細い撥をつかったらどうかと玉三郎さんも感覚的なところでおっしゃっていて、それはさっき言った余韻を出しすぎないというところもあると思うんですけど、それがやっと体になじんできて、細い撥でも違和感なく使えたりとか。細い撥での音の出し方が分かれば、ある程度太い撥に戻しても普通に演奏できたりということもありましたね。
――佐渡で舞台製作をされますが、佐渡という土地の持つ力を感じたりしますか?
小田 周りが静かですから、邪魔がない環境で物を作れることはすごくいいと思います。稽古場の外を出たらもう、大自然ですし。自然に囲まれて空気がきれいだからとか、そういうことではなくて、元々自然の中に動物っていたじゃないですか。人間が後から建物を作っていっただけで。佐渡には、元のあるべきところにパッと戻れるような感覚がありますね。何もないけどすごくたくさんある。佐渡でものを作るということはすごく大切だと思っています。
坂本 ものすごく集中できる場所だと感じますね。都会は情報が多くて、それも大事なことですけど、多すぎると振り回されたりと、作る段階で情報を寄せ集めたようなものになってしまうこともあって。そういう意味では、佐渡は何もないところなので、本当に根っこの部、根源的な部分に意識を向けられる環境だと思います。
小田 流行がないですね。あるのは生活と、四季と。
――古典芸能がすごく盛な土地というイメージがありますが、昔からあるものに影響されるということはありますか?
小田 日本人がどういうふうに生活していたのか、この一膳のご飯はどういう人が作って、口に運ばれるまでどういう苦労をしたのか、そういうことも学びます。太鼓も命をいただいているので、その命が何なのかということをまずちゃんと勉強します。
――佐渡で生活や制作をされて、どんなことを感じられますか?
坂本 佐渡は鬼太鼓という芸能が盛んで、集落の人はみんな踊れるほどです。僕は地元が岡山なんですが、岡山では考えられなかったようなことがあるなと思います。「佐渡おけさ」や「小木おけさ」を、子供たちが普通に三味線を弾いてたり、笛を吹いていたり。それがすごくいいなと思って。アイルランドに行ったときに、バーでおじいちゃんから若い学生まで、楽しそうにアイリッシュ音楽で踊っていたんです。みんな一緒になって。その環境がうらやましいなと思ったんですけど、それが伝統芸能なのかなと思ったりして。佐渡もそういう感じがしました。
――特別なものというよりも、生活の中の楽しみとしてあるという感じですね。
坂本 そうですね。男性しか参加できないお祭りもあるんですけど、奥様方が「あの踊りはどうだ」とか、「太鼓の音がどう」とか、太鼓の音が聞こえてくると「あれは誰々の音だと」か言ったりして参加されていて(笑)。これも、佐渡に行って衝撃的なことだったんですけど、お祭りといってもすごく小さいんですよ。一つの集落がとても小さいので、顔も全員知っているぐらいの規模で。そういう地域で、お祭りの2週間前ぐらいから芸能の稽古が始まるんですけど、昔からやっているおじいちゃん達がいて、現役でバリバリやっている30代ぐらいの人がいて、学生とか若い人たちがいて。若い子たちも上の人をすごく尊敬しているんですよね。それは自分の中で衝撃でした。地元では年配の方と話したことがなかったので。普通にそういうコミュニケーションがあるんですよね。
――「混沌」ツアーは佐渡公演を皮切りに始まりますね。
小田 新作は佐渡から始めることが多いです。普段、佐渡の人たちにお世話になっているので、そういう意味でも最初に佐渡の皆さんに見ていただきたいという気持ちがあります。旅をしてほとんど佐渡にはいないので、僕たちの元気な姿を見ていただけるのも年末の公演だけなので。
坂本 いろんな方にお世話になって、それも含めて温かいですね。
小田 毎朝、10キロ走ってるんですけど、走ってたらトマトとおにぎりくれたことがあって(笑)。「兄ちゃん!」っていきなり呼び止められて、「これ持っていけや」って、おにぎりとトマトを。また別の日は、「兄ちゃん!」って呼ばれて、声の主の方に行くと「野いちごあるから食えや」って、おばあちゃんが見つけてきた野いちごを勧められました(笑)。
--その時、トマトとおにぎりは?
小田 持ったまま走りましたよ、5キロぐらい。
――小田さんの姿を毎日、見られていたんでしょうね。
小田 そうなんですよ。ある日突然、意を決したように話しかけて来られました(笑)。研修生のときには、スイカを渡されたこともありました。スイカを持って走るのはきつい(笑)。秋刀魚を大量にもらった日もあって、発泡スチロールの箱に満タン。100匹くらいもらって、さすがにそれは「後で取りに来ていいですか?」って言いました (笑)。
坂本 いわゆる南国とか、そういう意味では控え目かもしれないですけど、佐渡も古くから芸能が集まったり、北前船が停泊していたりとかするので、外から来るものに大して寛容な感じはしますね。
――応援したいというお気持ちがあるんでしょうね。
坂本 そうですね、すごく応援してくれますよね。僕らは海外やあちこちにツアーで行っていますが、佐渡で公演できるのは僕たち自身、嬉しいです。お世話になっている分、自分たちが行く先々で学んだことを見せられる場でもあるので。
小田 褒めてもらうとうれしいですよね。「良かったよ~」って言われると。
――では最後に、12月の大阪公演に向けてメッセージをお願いします。
小田 僕は生まれが大阪で、家族や親戚が大阪にいるんです。人と接するとき、僕はあんまり壁を作らず接することができるんですけど、大阪にいたからかなって思うんです。子どもの頃から知らんおっちゃんに怒られたりとか、近所のおばちゃんに家まで連れて帰ってもらったりとかあって。今、大人になって大阪に帰ってきて、こういう形で子どもの頃の恩返しできるのも嬉しいです。本当に誰が観に来ても楽しいステージなので、皆さんに楽しんでいただけるよう精一杯、頑張りたいと思います。
坂本 今回の「混沌」では、鼓童で太鼓を叩いている人がドラムを叩くのですが、バスドラムのビーターの鉄の部分が曲がったりとか、シンバルのねじが飛んだりとかして、梶原さんも「そんなの見たことがない」と驚かれたりして(笑)。そのくらいパワーがあって、見ごたえのある舞台になっています。大阪の方々も、そういうステージが好きだと思うので、楽しんでいただけると思います。やるからには派手にやりたいなと。あと、タイヤも転がってきます(笑)。
小田 ネタバレや(笑)。
(2015年11月11日更新)
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