インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 旗揚げから20周年を迎えた劇団パロディフライの “クリスマスの贈り物”をテーマにした本公演について そして劇団の20年について妹尾和夫にインタビュー!

旗揚げから20周年を迎えた劇団パロディフライの
“クリスマスの贈り物”をテーマにした本公演について
そして劇団の20年について妹尾和夫にインタビュー!

大阪を拠点にハートウォーミングな人情芝居をコンスタントに打ち出している劇団パロディフライ。2012年は代表の妹尾和夫が立ち上げてから20年、関西では今や“重鎮”だ。そんな彼らが贈る2012年の本公演は、昭和29年という時代背景のもとサンタクロースをテーマにした物語。間もなく幕を開ける本公演を前に、作品についてはもちろん、改めて妹尾に旗揚げから20年の日々を振り返ってもらった。

--ぴあ関西版WEBです。今日はよろしくお願いいたします。今年は旗揚げから20年ですね。この20年は妹尾さんにとってどうでしたか?

妹尾和夫(以下、妹尾):一言で言うと、よく続いているなぁというのが率直な感想ですね。

--大阪で旗揚げされて、当初は長く続けるとは考えてはいなかったんですか?

妹尾:学生時代、僕は東京で劇団をやっていて、その後、向こうでの生活を引き払ってふるさとの大阪に帰ってきました。そして、大阪で役者などの活動をしていた時、正直、“大阪で芝居をやってもな”という考えが僕の中に言ってあったんです。でも、当時お世話になっていたプロダクションから「劇団をやってくれない?」というお話があって。劇団を運営するのは大変なんですが、その依頼を受けて旗揚げしました。ただ、実はその前があって。今の劇団は“第2期劇団パロディフライ”なんですね。その前に、学生時代の演劇仲間たちとコントもやるパロディフライというものを立ち上げているんです。

--それは、劇団というよりユニットですか?

妹尾:そうですね。僕が日大で劇団をやっていた頃の仲間で、みんなキャリアも実力もあって。当時、心斎橋のパルコスタジオという場所でパパパっと芝居をやっていたんです。そのうち、若いから“早く売れたい”という思いが強くなって、役者をやっていたって意味がないぞとなり、メンバーを3人に絞って『お笑いスター誕生』にチャレンジしたらトントントンと銀賞まで行ったんです。そこから先も行けるかな?と思っていたんですが、そんな甘いものじゃないですよね。そこで一旦、活動を辞めていた頃にプロダクションから(劇団を)やってくれないかと声をかけられた。で、どうしようかなと考えた末に、メンバーは一般のオーディションで選ぶことにしたんです。

--では、妹尾さん以外はみんなオーディションで選んだメンバーだったんですか?

妹尾:立ち上げの時はそうですね。芝居のことが分かる人はいませんでしたね。

--経験者は座長お一人。

妹尾:はい。それでスタートしたんですが、段々芝居経験者が集まってきて、今に至っています。だから旗揚げ当初は、まさかそんなに続くとは考えてもいませんでした。とにかく“前よりいいものを作る、前よりいいもの作る”という思いだけでやっていて、それについてきてくれる子が何人もいたので、ここまで来ることができたかなと思いますね。

--その秘訣は何でしょうか?

妹尾:一つは、うちの芝居のテーマが常に「ハートウォーミングな芝居を作っていこう」ということ。とびきりうまい役者がいるわけじゃないけど、観に来た方たちが“明日から私たちも頑張ろう”とか、“旦那さんを大事にしよう”、“奥さんを大事にしよう”とか思って帰ってくれるようなお芝居を作ろうと、これがよかったのかなと思います。あとは、たまたまラジオとかやっていますから、そういう活動がリンクして、ずっとやって来れたかなと思いますね。

--ハートウォーミングというお芝居のテイストはずっと変わらずですか?

妹尾:旗揚げ直後は何をやりたいか定まらなくて、5年 目くらいからやっと“うちはこうだから”って言えるようになりましたね。“うちはハートウォーミングな芝居だよ”と言えるようになってから、前回よりもっといいものをという、その繰り返しになっていきましたね。

--5年 目くらいまではどうだったんですか?

妹尾:それまでは本公演もよその役者さんに客演で出ていただいていましたね。この芝居はシリアスなところが弱いなと思ったら、例えば升 毅さんや生田朗子さんに来ていただいたりしてやっていました。その後、いろんな能力のある役者も入ってくれたので、客演なしでも可能になりましたね。

--その5年間の心境変化はいかなるものでしたか?

妹尾:「(劇団を)やってもらえないですか」と言われた時は、最初は固辞したんです。座長としては責任がありますしね。でも、立ち上げて活動していくうちに、事務所の方から「そんなにスケジュールを取られたら困ります」と言われたんです。それで、「やれと言ったのは自分たちじゃないか」って喧嘩して、「俺たちだけでやるよ」って劇団ごと抜けたんですね。だから、その意地もありましたよね。飛び出したはいいけど、稽古場がないからあちこち転々として稽古して。でも、10年を超えたくらいから稽古場も借りられるようになって。最初の5年は、もう意地ですよ(笑)。

--啖呵を切ったからにはやるしかない。

妹尾:そうですね。最初の頃はいろんな放送局で「何をやりたいんだよ」とかいろいろ言われましたけど、今では180度変わっちゃった。「妹尾さんところは劇団をやっているから違うよね」とか「すごいよね」とか、評価も手のひらを返したように変わりました。

--5年目でハートウォーミングというテイストに固まって。その変化は妹尾さんの心境ともリンクしていそうですね。

妹尾:それはありますね。元々、藤山寛美さんがご存命であった頃の松竹新喜劇、その現代版みたいなことをしたいなと思っていたんです。泣いて笑って、笑って泣いてという。テレビやラジオなどクリエイティブな仕事をされている方々からは、「”パロディフライの芝居だ”というキャッチは、そのうち生まれるんじゃないですか」と言われていて。そして“ハートウォーミング”という言葉が生まれてきたのが5年目くらいでしたね。

--5年目というと1997年ですね。1995年という激動の一年があって、人の求めるものが変わってきたのでしょうか?

妹尾:あ、それは僕が変わったんだと思います。1995年に阪神淡路大震災があったでしょう。それから僕は、毎日放送のテレビの仕事で毎日、震災関連の取材に行くようになって、その年からラジオでも震災の番組を毎週1回、パーソナリティで担当するようになって。

--震災の番組というのは?

妹尾:ラジオの方は『ネットワーク1・17』という番組で、震災直後から12年、担当させていただきました。この番組は10年目頃に総務大臣表彰を頂いたんですが、家族を亡くした被災者の方々のお話を聞いたり、京都大学や神戸大学、東大などの地震専門の先生方に防災の話を聞いたり。ボランティアの方々の話を聞いたりして。取材にも行って、そこの方々と交流していく中で、“売れなきゃダメだ”と思っていたものが僕の中で変わっていったんですよね。それよりももっと大事なことが僕らの仕事、表現する仕事に就いている人間にはあるよなって。テレビやラジオの仕事をやらせていただく中で、そのスタンスも変わりました。それが芝居にもリンクしていますよね。表現したり、演じたりすることで、元気を出してもらったり、“悩んでたけど頑張ろう”とか、そういう気持ちを持ち帰ってもらわないとやっている意味がないなって思い出して。そこから更に“ハートウォーミング”という言葉がリンクしていったんだと思います。

--1992年の旗揚げは時期的に、何か導かれたような出来事ですね。

妹尾:そうですね。震災で一つの大きな流れが変わって、その後にも大きなポイントがあるんです。旗揚げから10年ぐらい経った時に蜷川幸雄さんとの出会いがあったんです。たまたまラジオの仕事をさせていただいていて、僕が蜷川さんのことを熱く語っていたものですから、番組をきっかけに蜷川さんと会うことになりました。18歳の時、蜷川幸雄さんの芝居を観て、熱くなって芝居をやりだしたという、僕にとっては憧れの方なんですね。でも、そうやってゲストに出ていただいてお話しして、それからは、迷った時なんかに、蜷川さんのエッセイを読んだり、お会いして蜷川さんの姿勢やスタンスを見たりすると、“あ、俺、こんなことで苦しんだり、迷ったりしてちゃダメだなって”思えて。“大先輩がもっともっと頑張って演出しているのだから”と、そういうこともすごく大きな支えになっていますね。

--今でも大きな存在なんですね。

妹尾:大きいですね。蜷川さんは僕を弟子とは思っていないでしょうけど、僕は師匠だと思ってます(笑)。蜷川さんの芝居も全部観て、アイデアをどんどん取り入れています。これはご本人にも了解をとっていますので(笑)。桁が違うので、うちは小規模にアレンジしていますが、場面転換とか、蜷川さんの芝居から勉強させていただいたものを使ってます。

--初めて蜷川さんの舞台をご覧になった時は?

妹尾:ちゃらちゃらした感覚で大学の演劇部に入ったんですが、1年生の時に先輩に言われて観に行った芝居が蜷川さんの舞台で。それを観た時ばーっと鳥肌が立って、その日は眠れなかったんです。本気で芝居をやろうと思わされた方ですね。

--なるほど。ラジオ番組で初めてお会いした時はどうだったんですか?

妹尾:ラジオのゲストでお見えになった時は、お会いする前にお風呂に入って体を清めて(笑)、お会いした途端に30分間、一人でぶわーっと、蜷川さんの芝居のことをしゃべったんです。そしたら蜷川さんが笑い出して、そこから親しくなりました。

--今でも刺激を受けていらっしゃるとのことですが、例えばどういう部分で?

妹尾:そうですね。迷った時、蜷川さんのインタビュー記事を読むと必ず、壁に当たっていることへのアドバイスがあるんですよ。例えば、うちの劇団について僕はよく「ガラクタ劇団」と言っているんです。うちはいろんな人間がごちゃ混ぜなんですよ。そのことに“これでうちの劇団はレベルが上がるのだろうか”と悩んでいた時があったんです。その時蜷川さんが、「演劇は、シェイクスピアをやろうが、チェーホフをやろうが、オリジナルをやろうが、どこかに今がないとやっている意味がない」ということをおっしゃっていたんです。確かにそうだなと。じゃあ、今とは何だろうと。今の世の中は多文化共生ですよね。「同じ発声練習をして、同じ技術を磨いて、一つの養成所のカリキュラムを経て、同じ訓練を積んだ人の芝居はちょっと違和感があるよね」ということもおっしゃっていた。それで、うちはうちでいいんだなと思ったんです。うちには、おしゃべりのプロを目指しながら役者をやっている子もいれば、役者だけをやりたいという子もいる。元引きこもりで今では戦力になっている子もいます。来年70歳になる女性もいます。それはそれでいいんだと思えるようになったんです。

--演出するに当たってはどうですか?

妹尾:20歳になるかならないかくらいの頃から蜷川さんの影響を受けているのですが、ご本人とも交流させていただく中で、なおさら蜷川さんの物の見方、考え方が入ってきたなって感じですね。……って蜷川さんの話ばっかりになってるけど(笑)、それくらい影響を受けていますね。

--では今回の公演のお話を(笑)。まず、あらすじを教えてください。

妹尾:昭和29年を舞台にした話で、商店街の人たち、特に八百屋のおじさんと三郎という10歳になる孤児の男の子の交流を中心に描いています。作品のテーマをよく聞かれるんですが、“クリスマスの贈り物”としています。

--なぜ、昭和29年という時代設定に?

妹尾:うちはわりと今の時代の作品が多いのですが、今回はちょっとレトロな昭和に戻ってみようということで、昭和30年前後の話になりました。戦後9年、高度経済成長期よりもっと前にしようと。この時代はまだ、国全体がそんなに裕福になっていないですから。なので、オープニングは昭和29年頃に大ヒットしていたラジオ番組のテーマ曲からスタートします。

--何という曲ですか?

妹尾:『紅孔雀』という曲です。65歳以上の方だったら、恐らく『紅孔雀』だ!って分かると思いますね。映画の『ALWAYS 三丁目の夕日』がヒットしたでしょう。あれと一緒になっちゃダメだよねってことで、あの世界観とは違うラインの昭和29年を作ろうと、そこは随分議論しました。知らない間に同じような設定なると困るので、そこだけは違うようにしようと。でも匂いは似ていますね。みんな、あらゆるリスクを背負っていてもそれをリスクと思わないで一生懸命生きて、みんなで一緒になって何かを乗り越えようという、そういう匂いは似ているかもしれません。

--妹尾さんの少年時代など、お芝居の中に取り入れているんですか?

妹尾:今回は実体験とかは入れていないです。今回はフィクションです。

--入れなかった理由は?

妹尾:理由はね、あえてないですね。劇団の芝居には、僕が“これをやりたい!”というものと、文芸部や作家さんと議論して作るという2パターンがあるんです。今回は後者の方で、みんなで議論して作った作品です。舞台設定は東京でちょっと寂れた下町、今で言う鶯谷あたりですかね。

--大阪ではないんですね。

妹尾:ないですね。過去には大阪の下町が舞台で、大阪弁の作品もあったんですが、そうするとどうしてもコテコテになってしまうんです。コテコテになって、芝居が芝居じゃなくなっていく。メリハリが立たなくなるんでしょうね。何より大阪には『吉本新喜劇』があるので、あそこまでギャグ連発もできないですから、何かベターッとしちゃう。過去の作品には大阪弁を使う人物も出していたんですが、今回は全く大阪弁を使いません。それはそれで、逆に珍しいですね。

--なるほど。では、最後に読者の皆様へメッセージをお願いします。

妹尾:劇団パロディフライは分かりやすい芝居です。初めて観に来ていただいた方でも、わりと入りやすいと思います。常に、初めて観に来た方が疎外感を持たないように意識して作っているつもりです。それと、あんまり“芝居芝居”した作りにせず、演出的にも退屈しないようなものを取り入れているので、初めて観た方でもお芝居ってこんなに楽しいんだと思っていただけると思います。そういう芝居作りをしている…はず…です(笑)。

--どんどんトーンが(笑)。

妹尾:はずです!(笑)。あと、蜷川さんのいろんな手法も取り入れています。“ここは眠くなるかもしれないな”と思ったら、ちょっと変えてみようとか、ここで歌謡ショーを入れてみようとか。遊びの部分も程よく入れています!

--なるほど。今日はありがとうございました!
 




(2012年11月 8日更新)


Check
妹尾和夫
せのお かずお● 11月17日生まれ。蠍座・A型。大阪市大正区のパン屋の一人息子として生まれる。大学在学中に蜷川幸雄演出の芝居を観たことをきっかけに本格的に役者をめざし1985 年に演劇ユニット『売名行為』を立ち上げる。1992年に劇団パロディフライを設立。演出家・役者・タレントとして活躍中。

●公演情報

劇団パロディフライ
『サンタクロースとストリッパー』

発売中

Pコード:423-761

▼11月23日(金・祝)18:00

▼11月24日(土)13:00

▼11月25日(日)13:00

梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ

前売り-6000円(指定)

[原案・原作]澤田征士

[演出]妹尾和夫

[出演]妹尾和夫/安井牧子/岩崎なおあき/松井桂三/伊舞なおみ/他

※未就学児童は入場不可。

[問]劇団パロディフライ
[TEL]06-6359-7049

劇団パロディフライ公式サイト
http://www.parodyfly.com/

前売り券残りわずか! お早めに!
チケット情報はこちら