ホーム > インタビュー&レポート > 舞台、映画、ドラマはもちろんバラエティ番組でも活躍! 女優・高畑淳子が語る舞台『をんな善哉』と“女の生き方”
高畑淳子(以下、高畑)「『をんな善哉』は鈴木さんに宛て書きをしていただきまして、笹本諒子という女性は50歳を過ぎた女性で、11年前まで広告代理店で働いていたという設定です。鈴木さんも代理店でバリバリ働いていらして、他のインタビューでも『(諒子は)僕のことだね』とおっしゃっていて。諒子は鈴木さんであり、私でありという気がします。実家の甘味処を継いで11年が経って、52歳という年を迎えたときに、『女としてもう終わっちゃったんじゃないかしら。いや、まだまだ』と揺れながら、町の人たちとも幸せって何だろうと右往左往しながら、やがてはそういうものを見つけるというお芝居になります」
―― 甘味処の女将・諒子以外には、どんな人物が出てくるのかというと。
高畑「下町で人と人とが触れ合いながら生きていくという感じで、酒屋のおじさん、あんこしか作ることができない老職人、若いオタクのお兄ちゃん、バーのマスターなど、いろんな人物が出てきます。あと、広告代理店でずっと働いている親友。その人は諒子にとってキャリア時代からの友達なんですが、今では役職についていて。『自分が辞めなければこうなっていたかしら』と彼女と今の自分を比べたりして、違う道を選択した女性との友情物語も軸になってますね」
―― 『をんな善哉』は、脚本を手がけた鈴木が、高畑のために台本を書いた宛て書き。この諒子という女性を、高畑はどう見ているのだろう。
高畑「諒子はとても迂闊なんです。それで、鈴木さんにお伺いしたときに、『高畑さんはしっかりした外堀を持ちながら、非常に迂闊ですよね。そこが面白いところだと思います』っておっしゃったんですね。私は自分のことを迂闊だと思ったことがないんですが、まあ、迂闊なんでしょうね。武田鉄矢さんにも以前、『君はスカートの裾がちょっと、ゆるいんだろうな~』と言われたことがあるんですけど(笑)、そういうところが私らしいのだと思います」
―― そして、諒子は小市民の代表的存在だとも。
高畑「私に宛て書きをしてくださったけれども、誰もが持っている部分だと思って。鈴木さんの作品を客席から拝見もしたんですが、一生懸命生きているんだけど、かわいそうな中年男がお上手なんですよね。今回の主役は中年女性ですが、もちろん舞台には中年男性も出てきますので、みなさんの縮図のような登場人物だと思いますね。王位を継承するとか、『イングランドは私のもの』とか、そういうことは全くない、どこにでもいる小市民たちが右往左往しながら、暮らしている様が描かれています」
―― では、自身と諒子とで違うと思うところは、あるのだろうか。
高畑「それは、自分のことはわからないんですよね。きっと自分のことがわからないから恥ずかしげもなく生きていられるんでしょうね。基本的に私は、迂闊じゃないと思うんですけど…(笑)」
―― また、本作で久しぶりに青年座の舞台に立つという高畑。いわば“故郷”でのお芝居はどんな感触なのか。
高畑「居心地いいですよ。ここでとことん芝居を作らなくてどうするかという感じですね。よその劇団は、それぞれのお芝居の作り方が違うので、そこの中で折り合いをつけて物を作るということになりますけど、青年座では忌憚なく作っております。物を考える時間がとても豊かで、こんなことあるかもねとか、こうなのかもねとか喋っている時間が多いですね、演出の宮田慶子も含めて、そういうことを探る時間がしっかりあって、カウンセリングを受けているような、こうして物を考えるから私は生きていられるんだなって改めて思いました。稽古場は非常に風通しがよくて、一つのところに向かうんだという感じになっていますね」
―― 稽古そのものは、いかがだろうか?
高畑「肉体年齢がとても高いチームなので台詞がなかなか入らないし(笑)、鈴木さんの作品がまた、うまく書かれているんですよ。落語がお好きなだけあって、ボケとツッコミが非常に幾何学的に書かれていて。それを千本ノックだ!という感じでやっております」
―― そんな稽古の最中、ひとつのことが起こって…。
高畑「私どもは作家の方に作品を書いていただくときは、基本的には『お好きにどうぞ、書いてください』と言うんですよ。と言う割には、『ああしろ、こうしろ』と結局は言うんですけど(笑)。ただ、今回、鈴木さんの筆がパタッと止まったんですね。で、あんまり止まっちゃったんで、いつになく『お稽古場に来てください。誰も責めませんから』って言って来てもらったんです。でもそれが面白かったんですよ。俄然、『ああじゃない、こうじゃない』って始まって……。そんな感じでまたガッと進んで、既に出来あがってるシーンがチャラになったりもして。私たち年齢が高いから覚えるの大変だったんですけど、また初めから覚えたりしましたね」
―― 作家を稽古場に呼んだことで、新たな風が吹いたという。そして更に、新たな発見もあった。
高畑「鈴木さんを稽古場に無理やり連れてきたときに、さっきの鈴木さんが私に抱くイメージを聞いたんですけど、迂闊な女をやりたいというのが思いもよらなかったですね。『あなたの迂闊なところが面白いんですよ』って言われて、『へ~』って思ったんですけど、ある意味、言われたらそうかもしれないとも思って。うちの母も『私は走りながら考えるんじゃ』っていう性質なんですよ。ふたりとも午年で。だから私も芝居の世界に飛び込んだのも、ある意味迂闊だったのかなと。そうやって、生きている本質をまさに見抜かれたなって。あと、女って必ず、潔く選んでも後でぐじぐじ言ったり、ずるいところもあるし、恋愛モードに入るときもあるし、ああ、もう終わりだ…と思うときもあるし、そういうことが見事に書かれていますね」
―― 劇中、恋愛模様も多く描かれているという。そういうシーンでも、自分にリンクしている部分があるそうだ。
高畑「(私が)バラエティ番組で話していることとあまりに同じで、気恥ずかしさもあったんですけど、誰しもあると思います。私たちの年代は、キレイどころを見たら気もそぞろになると思います。それはもう、男性がかわいらしい方を見て気もそぞろになることと同じ。人間として大いにまっとうですよね」
―― 前述のように、バラエティのトーク番組にも出演している高畑。お芝居とは全く異なるバラエティの世界に出て、何か変わった部分はあるのだろうか。
高畑「今までは台本があって、それに甘んじていたというか、台本にあるものを喋ればよかったんですけど、ああいう番組に出たとき、もう倒れるくらい緊張しましたし、さんまさんと掛け合うことが怖かったです。ただ、いろんな芸人さんが瞬間的に空気を読んだりして、言葉を紡いだりしているのを見て、頭が下がりました。そして何よりも、私の修練になったんです」
―― とはいえ、出演に当たっては周囲から賛否両論があったという。しかしその中で、自分自身を新たに知ったそうだ。
高畑「初めて自分がこういう喋り方をして、こんなに狼狽をして、こんなに落ち着きがなくて、なんと喋る人なんだろうと思いましたね。面白いもんだな、人はこんなに喋るもんなんだなと。芝居をやる上での大いなる研究材料といいますか、特に今度のような日常劇をやるときの参考にはなりましたね。人間というのは思いがけないことをして…とすごい参考になりますね。そして、視聴者の方々には、私が芝居をやっている人ということすら認識していただいていない方もいらっしゃると思うんですが、そういう方々に少し興味を持ってくださって、劇場にお芝居を観に来てくださったら嬉しいです」
―― また、ありのままの自分を見たことで、女優としてのあり方にも新たなる意識が。
高畑「自分のことはまだわかっていないですけど、でも、もうこの年ですから、ありのままで。興味がないときに興味のない顔をしているのもまた、許していただけるんじゃないですかね。舞台のお仕事も、若いときに仕事がなかったので、上手になりたいとか、そういう気持ちがどうしても勝ってたんですけど、今まで生きてきたこととか、今自分が考えていることとかをありのままに。桜の木を一本、引っこ抜いてきて、舞台にボンっと乗せてるみたいな、そういう女優でありたいなって思って。この年になると、計算したことよりも計算していないことの方が面白いこともありますしね。舞台ではそうもいかないこともありますけど、私たちは何度も何度も稽古して、初めてのふりをするためにお稽古するわけですけど、そういう生の感じというか、そんな女優になれたらいいなと思っています」
―― 映画やドラマ、バラエティ番組にも出演している高畑だが、青年座の舞台では「当たりを出したい」と言う。
高畑「当たり狂言を作りたい、芝居を当てたいんです。よそさんで当てても、よそさんの財産でしょう。……言い方がいやらしいですね(笑)。うちの当たりを作りたいんです。芝居が当たるって面白いことだと思います。青年座と私は生まれた年が同じで、青年座も56年前に出来上がって。洋物が全盛のときに、日本人が書く、日本人でする芝居を作りたいということで生まれたんですね。うちには座付き作家がいるわけではないですが、やっぱり作品を作り上げていきたいですね」
―― そういう思いを抱きながら、女優としての存在、舞台に立つことの面白さを語る。
高畑「青年座では6年ぶりの作品になるんですが、しばらく映像のお仕事が決まっていて、舞台がなかなか思うようにいかなかったんです。その辺で舞台欲が高まってきてますね。'11年はまず『をんな善哉』をしまして、12月には『欲望という名の電車』をします。間逆の舞台をやるんですが、両方とも“女もの”なので楽しみですね。そうやってスタイルの違う女性を演じますが、ゆるく、たおやかに、豊かに、無造作に、舞台に立ちたいですね」
―― 『をんな善哉』は5月12日、東京・紀伊國屋サザンシアターで幕を開けた。稽古中に東日本大震災が起こり、大きな混乱を経験した。そんな日々の中で改めて、女優としての意義を感じたという。
高畑「混乱が生じている中で、こういう仕事をすることに何の意味があるんだろうとか思いましたし、私自身、体の調子が悪くなったりもしたんですが、そういう中で客として客席に座ったときに、こらえられないぐらい涙が出たんです。何ヶ月もかけて書いたものを何ヶ月も稽古して、そして舞台にかけるわけですよね。人様が来てくれないとそれは成立しない。でもこの劇場というところに、人が集まって、人が見て、同じ時間の中で泣いたり、笑ったりして心を動かしていく。そのことが本当にかけがえのない時間で、自分はこんなに欲していたのかと。客席に座ったときに、本当にありがとうと舞台に向かって思いました」
―― その舞台とはこまつ座の『日本人のへそ』だったという。そして、改めてひとつの決意を抱く。
高畑「今度は私も、逆の立場で舞台に立とうと。やっぱり人の心は元気にならなきゃって、生活に大事な、必要な仕事なのだと私はそのときに思いました。相当、飢えていたんでしょうね…。ですから、そして、これでいいんだと本当に思いました」
―― また、『をんな善哉』にも重なる部分を見つけて。
高畑「幸せって何だろうとか、日本はどこに行くべきなのかとか、思ったりもしますが、そういうことは前面には押し出しておりませんけれど、やはり誰しもが考えることと思うんですね。今回も、こういう娯楽に携わる人間や私たちの仕事は何だろうと考えたときに、やっぱりこういう娯楽も必要なんだという、これでいいんだって、そういうことも重なってくる劇になっている気がします」
―― 『をんな善哉』のチラシには「でもアタシまだ女を終わりにしたくないの!」という文言がある。そこで最後に、高畑に、終わりを迎えず、輝いていられるコツを聞いた。
高畑「元気とか、明るいとか、輝いているとか、言われることがないとは言えないんですけど、実際、何で私が?って思いますね。非常に根暗ですし。ただ、若いときに仕事がしたかったのにできなかった時代が長かったものですから、今、舞台に立てる、映像でも求められるということが何よりも嬉しいんですね。寝ないでも仕事ができるぞっていう20代に、場がないことをずっと悩んでいましたので、今、目の前にできる場があることが嬉しくてしょうがないんです。だから、バラエティでも嬉しくてしょうがないんです。テレビで見たことのある人と同じ空間に自分がいるのが、本当に嬉しいですね。今、なかなか台詞が頭に入らなくて、娘に台詞覚えを手伝ってもらっているんですけど、娘の方が『私が覚えちゃったよ、もう眠いよ!』って言って(笑)。娘に『もう寝たら? ほら、鏡見てごらんよ、寝た方がいいよ』とか言われて。そんなふうにみんな必死に、気合入れてやってます(笑)。」
―― 台詞覚えに苦心しながらも(!?)、全力で挑む。そこには高畑自身、思うことがあってのことで。
高畑「生きているうちは、命ある者がやらないとって思いますね。生かされているうちは悔いのないように、遣り残すことのないように生きてやろうと。そこで今、私の車には『をんな善哉』のポスターを貼っています。白い車なので、えらい目立つんですけど(笑)。でも、『あの時、あれをやっとけば!』と思うのが嫌な性質なので、本当に、やり残すことなく、精一杯やっていきたいと思っています」
そんな高畑の前向きなパワーも十分、伝わってくるであろう人情喜劇『をんな善哉』。大笑いして、元気になれるお芝居に仕上がっているとのこと、ぜひ、楽しみにしてほしい。
(2011年5月23日更新)
たかはたあつこ●'54年生まれ、香川県出身。劇団青年座所属。舞台、映画、テレビと幅広いジャンルで活躍。'09年には、第17回 橋田賞を受賞した。青年座での主な出演作は、『パートタイマー・秋子』『空』 『悔しい女』など。
▼5月28日(土)・29日(日) (土)16:00 (日)14:00
サンケイホールブリーゼ
全席指定5500円
[劇作・脚本]鈴木聡
[演出]宮田慶子
[出演]高畑淳子/他
※この公演は終了しました。