ホーム > インタビュー&レポート > “妥協点を作らずに好きなことができた” 新生NEE、決意と成長のアルバム『再生可能』でやり遂げたこと 1月には大阪・なんばHatchでワンマンライブを開催
抗うために3人で挑み続ける
――まずバンドを続けようと決めた時の話からお聞きしたいのですが、1人がボーカルを担うのではなく、パートを分けて3人で歌おうと決めたのはどういう理由からだったんですか。
「そもそもの話をすると、メンバーの性格的な部分もあり、"俺が歌うよ"って誰も言い出せなかったみたいなところもあったと思います。それを踏まえて"誰が歌う?"という話もあったんですけど、"もうみんなで歌おうぜ"みたいな。その方が多分面白いし、蔵馬(くぅ)は1人のカリスマだったので、それに抗うために3人で挑み続ける姿勢も熱くてカッコ良さがあるなと思ってその形にしました。日比谷の『東京、夏のサイレン』まで時間がない中で、それが1番スムーズだったというのももちろんありましたけど、今後はそのスタンスでいこうと思いましたね」
――とはいえ、それぞれ演奏がある中で歌うのは大変だったでしょう。
「そうでしたね」
――楽曲ごとに、比較的歌える余裕のある人が歌うという感じですか?
「基本的にそうですね。あとは"この曲は誰の声が合ってるか"というのも採用基準になりました。特に日比谷の時は、"俺、これ全部歌いたいわ"と立候補した曲もあります。僕は「DINDON」や「歩く花」、かほちゃんは「なんで」と「スカートの中を覗く」のバラード2曲を歌うと決めたんですけど、かほちゃんのバラードの歌い方がすごく良かったんですよね。男の声じゃないと再現性が弱いところは僕が歌ったり、そういうのも歌割りを決めていく中で大事になりました」
――正直、大樹さんも歌うとは思わなかったんですよ。ドラムを叩きながら歌うのもまた大変なのかなと思いますが。
「頑張ってますね(笑)。大樹くんは熱心で、元々すごく積極性のある人なので、"俺もやるよ"と言ってくれて、みんなで分担してやろうとなりました」
――最初はもがきながら、おぼつかないところもありながら、ライブとリリースを経る中でどんどんまとまりが出て、『東京、夏のサイレン』から『大阪城、、夏のサイレン』までの1年弱で、3人のライブに生命力が増していったと個人的には感じていました。
「ありがとうございます」
――その過程で、不安や葛藤を含めたリアルな自分たちの気持ちを、SNSやライブを通してファンの方が見えるところで出していたのが印象的で。だからこそお客さんも3人の想いを受け取りながら一緒に悲しみを癒し、絆が深まっていったと思いますが、それは意図していたんでしょうか。それとも、とにかく動いたことで結果的に変化が見える形になった?
「4人でやっていた時もそうですけど、僕ら、現場で人に見せることで自分たちが変わってきた経験が多くありまして。人前で歌うことで曲が良くなったり、理解度が高まったり。例えば新曲を披露する時、蔵馬が作っていた時も、正直初回のライブやスタジオでの演奏って、"なんかうまくいかないね"という部分が多かったりしたんですけど、2回目のライブぐらいから少しずつ良くなっていくんです。なので僕らはそもそも、人に見せてどんどん吸収していくスタイル。等身大でファンと向き合うことと、なるべく動いてライブをしていくことが、結果的に成長に繋がったのかなと思いますね」
――NEEのお客さんは元々熱量が高いですが、絆がより一層強固になってきている感じはありますか?
「周りからそう言っていただけることがすごく多くて。特に今作「再生可能」をリリースした時も、"この人たちに助けてもらったんだ"と考えることが多かったので、お客さんとの愛や絆は日々強く感じますね」
苦手だった歌に、少しずつ自信がついてきた
――夕日さんはギターボーカルに転身する中で、途方もない苦労があったと想像しますが、特に"この時期が大変だった"、逆に"いけるかも"と思えた瞬間はどの辺りですか。
「やっぱり去年秋にやった『EXOTIC METTYA HENSHINツアー』(2024年10〜12月全国8カ所を回るツアー)がかなり大変でした。歌は、なんとか声を出せば、音程は取れずとも"歌ってる"と伝わるけど、お客さんを盛り上げなきゃいけない。そのための煽りの言葉が、いざステージに立つと全然出てこなかったり、勇気がなかったり。歌も得意じゃないという自覚がある上でのライブだったので、全部に自信が持てなくて、ギターもおぼつかないみたいな」
――本来得意なギターが。
「もう全部が足を引っ張り合って、納得できないステージがずっと続く状況でした。ボイトレや練習も"苦手な歌を歌いに行く練習"みたいになっちゃって。それでもやっぱり"自分は音楽が好きでやっている"という前提があるので、"歌を習得してちゃんとお客さんを盛り上げられたら、めちゃめちゃ楽しいんだろうな"という希望はずっと持っていました。その中で迎えた『EXOTIC METTYA HENSHINツアー』。全国8カ所で、後半は広島・福岡・東京・沖縄の流れだったんですけど、広島・福岡あたりで意識が変わっていきました。"今は歌が下手かもしれないけど、こうやって気持ちを届ければいいんだ"と思えて、少しずつ自信がついてきた。ファイナルの沖縄までで満足いく歌が歌えたかというとそうではなかったし、今も満足してるかというと全然してないんです。ただ、どんどんライブが楽しくなっていって。ツアーの後も色々なイベントに出させていただいて、現場の度に"自分はここが下手だな。でもここは結構自信が持てるな"と、自信の割合が少しずつ増えていって、今に至る感じです」
――元々歌うこと自体はお好きではなかったんですか?
「歌いたくないからギターを弾いてたみたいなところがあるので。ギターを弾いてても、"絶対ギターボーカルにはならない"という決意の元でギタリストになってたので」
――では、相当な覚悟ですね......。対バン相手のボーカリストを意識して見るようになったりは?
「すごくしてますね。前まではどちらかというと、バンドは気持ちが大事だから、歌が下手でも全然いいと思ってたんですよ。でも自分がそう思ってたバンドですら、すごく良い声で歌ってるし、ちゃんと届く声で歌ってるんだなって。"自信だけじゃなく、説得力を持ってるから良い声で歌えるし響くんだな"ということがよくわかりました」
3人でも、4人のNEEと同じエネルギーを絶対に持っているはず
――NEEとして曲を作っていく時に、Suspended 4thの鷲山(和希)さんにアドバイスをもらったとうかがいました。"アイデアをコピーするのではなく、くぅさんが曲にどんなモチベーションを込めていたかという本質をコピーしろ"と。
「そうですね。自分は元々アングラの人間だから、僕のスタイルでやってたらお客さんはどんどん離れていっちゃうんじゃないかと不安だったんですけど、本質はそういうことじゃないよなと思って。NEEを続けると決めた時に確信を持っていたのが、3人でも4人のNEEと同じエネルギーを絶対に持っているはずだということ。僕は4人のNEEの演奏の熱量が好きだったし、それは3人とも同じなので、絶対に引き継いでいると思って。これを最大限活かすには、今までのNEEをコピーするよりも、今までと同じ熱量で挑み続けることが大事なんだと鷲山さんの言葉で気づいて。なので僕は僕のやりたいようにやるのと、あとはNEEの好きだった部分を使おうと。アングラの音楽ばかり聴いてたわけでもないので、色んな音楽から自分のやりたいことを見つけて、それを自分のやり方で再現しようと決めました」
――3人体制初のシングル「マニック」を書き始めた時からその意識でおられたんですか?
「「マニック」を作っていた時は、まだ鷲山さんの言葉は聞けてなかったんですよ。「マニック」はとにかく自分の中で実験でした。まず"果たして僕が曲を作れるのか?もし作るとしたらどういう曲を作りたいか?"から始まって。「マニック」はどちらかというと自分のやりたいことをやるスタンスが強かったんですけど、サウンド的にはなるべく前のNEEの要素を残したいなと思って。よく使っていたクラビ(ファンク、ソウル、R&Bなどで用いられる電気式のキーボード)の音や、四つ打ち感を引き継いで、"NEE好きだったら、これ嫌いにはならないでしょ"というものの中で、自分がやりたいことをやったイメージですね」
――歌割りについてはどのように考えられたんですか?
「僕が自然と歌割りできたのは、マキシマム ザ ホルモンが好きだったからなんです。4人全員が歌われるバンドで、ドラムのナヲさんが紅一点で、バーンとシャウトが輝くパートがあって、"これを「マニック」でやろう"と思って。だから大樹くんに叫ばせて、かほちゃんに掛け合い的な感じでエッセンスとしてのボーカルを入れてもらう構成で曲を作れました。結果的に「マニック」を作れたことが、自分にとっては大きくて。メンバーやスタッフに聴かせられたのと、リリース前のライブでファンに示すことができた。リリースするまでの1年弱は受け入れられるのか不安でしたけど、「マニック」をリリースしてからは次のリリースが全然怖くなくなりました」
――ちなみに先ほど言われた、"NEE好きならこれ好きでしょ"と、夕日さんのやりたいことのバランスは、どのぐらいで入れておられるんですか。
「"NEE好きならこれ好きでしょ"が3割で、自分のやりたいことが7割かもしれないです。どうせ僕たちは変わっていくし、今までのお客さんが全員残るかといったら、絶対にそんなことはないだろうなというところまでは見えていたし、全員を取りこぼさないように曲を作ると自分にストレスがかかるなと思ったので。でも僕がNEEとして好きだった要素も、自分が好きな部分も取り入れているので、今1番ストレスがない形で作れて、曲も愛せて、みんなも気に入ってくれそうだなと感じています」
1stアルバムのつもりで作った『再生可能』
――今作「再生可能」は、ある種新人バンドの1stアルバムのような衝動性を感じました。
「もう1stアルバムのつもりで作りましたね。なので正直に言えば、見られ方とかあまり気にしていなくて。さっきも言ったように僕はアングラの人間だと思っているので、より攻撃的で暴力的な方が燃えるというか。でもNEEの音楽ももちろんずっと好きでやってきたので、"NEEの特徴的なサウンドを使って好きなものを表現しよう、自分の力でやり遂げよう"と思いましたね」
――アルバムを作るにあたり、どんな話し合いがありましたか?
「最初の方は、アルバムのコンセプトは全く考えていなくて。具体的にアルバムの制作が見え始めたのが、『EXOTIC METTYA HENSHIN』のツアー中でした。ミーティングをして"来年アルバム出しましょう"となって、今年の1月から制作をスタートして。まずは先ほども言った通り、自分が作りたい曲を作る。それこそ鷲山さんからの助言を受けて作り始めた最初の曲が「最低の証」(M-5)でした。そこからはポリシーを持って、自分が1番燃える曲だけを作るスタンスを優先して。7月にイントロの「再生」(M-1)とアウトロの「まき戻し」(M-9)以外が全部できて。曲を並べて聴いた時に、僕たちの1年間やもらった愛情が表れていることが歌詞や曲調から読み取れたので、時間に関わるテーマにしたいなということで、結果的に「再生」というタイトルになって、そこからコンセプトが生まれた感覚でしたね」
――なるほど、時間。
「去年蔵馬が亡くなってから時間について考えて、時間にたくさん苦しめられたけど、ある意味時間にものすごく助けてもらった。あの時間にずっと留まっていたわけでなく、時間が経つにつれて、音源をリリースしてライブをしたから今がある。そして今僕は元気に暮らせているし、自分のやりたいようにやってリリースもできた。すごく幸せに生きれているので、両方の意味を込めて時間と向き合った作品にしようという感じですかね」
――制作時に印象に残っている曲はありますか?
「1番達成感があったのが「熱暴走」(M-7)です。これは、自分が今作れる1番カッコ良い音を集めた曲にしようと思っていて。音源制作に使っているLogic Pro(くぅも使用していたPCソフト)を勉強していく中で、最初は自分が作ってみたいけど作れない音がいっぱいあったんです。でもやり方と効率を学んでいって、"自己流だけどこれやったら面白いんじゃないか"という音が見えてきて。ギターをサンプラーに通してイントロの部分を作ってみたり、途中でメタルコアみたいなセクションがあったり」
――あそこはカッコ良いですね。
「僕も絶対NEEに合うだろうなと思っていて。オールドスクールのメタルのハードコアっぽい展開になる曲は割と聴いたことがあるけど、モダン寄りな音使いの曲はあまり聴いたことがなかったので、そういう展開の曲をNEEで聴いてみたかった。その後のセクションも、最近一部の界隈で流行ってる、ギターをループして音質を劣化させる手法で作ったんです。それに合わせてギターもドラムもタイミングがバラバラで入ってくるみたいなのをやってみたくて。色々挑戦を重ねた曲でしたね」
――日頃から"これは良いな"というアイデアを集めておくんですか?
「"この曲っぽいのが作りたい"というのはないんですけど、"この部分俺だったらこうするな"、"ここの切り替わりめっちゃ良いな"というのをメモしたりストックしておいて、あとは手法として、自分が弾けるギターとみんなが表現可能なフレーズで再現しておさめていく作業ですね。ギターに関してもバッキングギターなしで、リードギター1本だけでやっています」
――重ねたりしないんですね。
「重ねても同じパートを2回録ったり、広がりをつけるぐらいですかね。バッキングギターのパートをベースで補うのか、ベースが動いてる時にギターがどこにいるのかというベースとギターの重なり方の話は、メンバーとすごくしましたね」
くぅをはじめ、色々な人への愛を歌った「酸素」
――「酸素」(M-8)は唯一くぅさんに向けて歌った曲というところで、改めて想いをお聞かせください。
「「酸素」を作ったのが、まだ蔵馬が亡くなったことを公にしていなかった時期で、"今後どうなるかわかんないけど、なんとなく曲作ってみようかな"という感じだったんです。サウンドを作っていく上で、すごく複雑な気持ちだったというか。"今後自分が曲を作るとなったら、どんな気持ちで作るんだろう。今ものすごく悲しい気持ちだけど、もしかしたら楽しんで作れるかもしれない"って。まだ何もわからない状態で手をつけました。今思うのは、明るいのか暗いのか、わからないコードが多いイメージ。楽譜に起こすと複雑なコードばかりなんですけど、明るい・暗いを断定するコードが少なくて。「酸素」は"1番を作ったからには最後まで作ろう"と思って1〜2日で音を作り終えたんですけど、当時はどうしても歌詞が......作詞をしたことがないのもあって、まだ書けないなと思って......ああそうだ、時系列から作りましたね。蔵馬になりきって、"この時期の蔵馬はこんなテンションだった。この時期はこうだった"って。もちろん直接的な表現は歌詞にせず、それをサウンドでやりました。だから間奏の部分もそれなりに意味があります。「酸素」の歌詞は、「マニック」の歌詞とメロディーを作り終えた後、"今なら書けるぞ"と思って、1時間ぐらいで素直に思ってることをバーッと歌いながら書いていきました」
――くぅさんになりきって書かれた。
「わかりやすく"1番が俺で、2番が蔵馬"みたいのは全くないですけど、蔵馬の部分と自分の部分が混在してる状態です」
――<僕が全部全部直すから あるだけの愛で塗り替えて見せるよ>はラブレターのようだと感じましたし、1番サビ終わりに<相反する為僕は変わらない>、2番では<相反する為僕は変わらなきゃいけない>という歌詞があるのも印象的でした。
「サビは全部僕の意見なんですけど、<相反する〜>の1番は昔蔵馬に対して思っていたこと、2番はそれを踏まえて今思ってること、という感覚で作りました。僕は別に蔵馬になりたいわけではないんですよね。それは決してネガティブな意味ではなく、僕は僕のままでいたい。"蔵馬と僕は同じじゃないよ"という意味です。前までは僕が変わらないことでそれが証明できたけど、今はより自己を確立するために変わらなきゃいけないんだなという1個の決意として書きました」
――これからNEEの曲を担っていくという決意?
「人としてもっと立派な人間にならなきゃいけない。もっと人を引っ張らなきゃいけないし、3人で団結しなきゃいけないし、そのためには1人1人がしっかりしなきゃいけないという想いです」
――「酸素」というタイトルは、どんな想いでつけたんですか?
「すごく深い意味があるわけじゃないですけど、まずは"大切なもの"として考えたんです。僕の中学の男の先輩が卒業してから女の子と付き合い始めて、すっごいラブラブで愛し合ってて。その彼女のTwitter(現X)のアカウント名が"れん(夕日の先輩の名前)は私の酸素"だったんです。僕はそれを見て"すごいな"と思って」
――ないと生きていけないということですもんね。
「そうなんです。すごく良い言い回しだけど、そこまでいっちゃうんだって。愛情の良し悪しを人が決めるなというのはあるじゃないですか。"それ重いよ"と言われて"じゃあ軽くするか"って話でもないし、刹那的でも重い愛を持ってる状況はすごく素敵だなと思って。つまり"酸素も愛"ということですね。この曲では、蔵馬に限らず色んな人への愛を歌ってます。支えてもらってますから」
もっと曲を聴いてほしいし、大きなステージに立ちたい。1月にはなんばHatchでワンマンライブを開催
――今のNEEはどんなモードですか?
「"今のままじゃ満足できない"という気持ちでやっていってますね。これからもっともっと大きなステージに立ちたいし、もっともっと曲も聴いてほしい。そのためにできることは何だろうと考えてる状況です」
――くぅさんがやりたかったことを達成していきたいという気持ちもあると思いますが、夕日さん、かほさん、大樹さんがやりたいことも出てきているのでは?
「まずは僕ら3人の気持ちでやってますね。そもそも蔵馬の夢が僕らの夢でもあったりするし、少し相違はあれど、今まで同じようなところを目指してやってきていたので、地続きで頑張っていこうという気持ちです」
――"これはやり抜く"と決めていることはありますか?
「4人でやってきたNEEの最大のキャパシティを超えるライブは絶対したいです。これは蔵馬の遺志を引き継ぐ部分もあるし、それを目指すのであればもっと多くのお客さんの前で曲を披露しないと意味がない。どんどん規模をデカくしていきたいです」
――そして現在アルバムを提げた全国ツアー『NEE 10th TOUR「EXOTIC METTYA SAISEI」』が開催中ですが、大阪公演は来年1月18日(日)になんばHatchで行われます。
「アルバムの曲をいっぱいやろうと思ってるので、今までのツアーとは少し雰囲気が変わるかなと思います。今回は全国12カ所でバンド史上最多公演数のツアーなんです。それこそ大阪は終盤戦なので、もうとにかくどんどん強くなる修行のツアーでもありますね。全力で頑張ります!」
Text by 久保田 瑛理
(2025年12月19日更新)
EXOTIC METTYA GENTEI盤(CD+Blu-ray+GOODS)
12100円(税込) / VOSF-14681
初回限定盤(CD+Blu-ray)
7700円(税込) / VIZL-2475
【収録曲】
01. 再生
02. 新しい惑星
03. マニック
04. ハートブレーカー
05. 最低の証
06. この街
07. 熱暴走
08. 酸素
09. まき戻し
【CD+Blu-ray】
Blu-ray 収録内容
①「SIREN to SIREN」 - Documentary of NEE 2024〜2025-
②「EXOTIC METTYA HENSHIN」at Zepp HANEDA 2024.12.04
ボキは最強 / 万事思通 / 九鬼 / 酸素 / マニック / 第一次世界
DINDON / 生命謳歌 / 不革命前夜 / 月曜日の歌
【CD+Blu-ray+GOODS】
・Blu-ray 収録内容
①「SIREN to SIREN」 - Documentary of NEE 2024〜2025-
②「EXOTIC METTYA HENSHIN」at Zepp HANEDA 2024.12.04
ボキは最強 / 万事思通 / 九鬼 / 酸素 / マニック / 第一次世界
DINDON / 生命謳歌 / 不革命前夜 / 月曜日の歌
・GOODS
ずっとNEE時ウォッチ
バンドスコアブック:新しい惑星/マニック
東京のどこかで結成。エキゾチックロックバンド “NEE”。結成まもなく自主企画ライブで話題となり、1st SG「トゥッタッタ」300枚会場限定で発売し即完。都内3会場を貸し切りNEE主催FES/ 結成1周年記念のワンマンライブを開催。淡々と自主企画ライブにてチケット完売を連投し、2020年4月“NEE”に改名。8月には 4th SG「JINRUI」をデジタルリリース。リード曲「不革命前夜」が話題となり現在MVは1,500万回再生を突破。ストリーミング配信サイトでは、無名ながら数々の公式プレイリストの上位に異例のランクイン。2021年1月テレビ朝日「関ジャム」にてNEEがピックアップされ、AWAの予測アーティストとしてNEEがランクイン。新曲「九鬼」を引っ提げ自身初となる1st TOURを東阪で開催。チケットは完売。2021年8月 Hey!Say!JUMPの30枚目となるシングル「群青ランナウェイ」の楽曲では、Vo/Gt くぅが作詞作曲を手掛けた。2021年9月1日(水)に自身初となるアルバム1st Full Album『NEE』をリリースし、ビクターよりメジャーデビュー。アルバムを引っ提げたTOUR “熱烈スタンプラリー” では追加公演も含む全7公演を完遂。2022年春 東名阪ワンマンツアー『EASTER GAME』を開催し東京はSOLD OUTにて完遂した。新人ながらに数々の大型FESへの出演を果たし各日話題に。RUSH BALLではATMCステージながらに5,000人以上の観客を動員。そして、昨年全8公演にもなる全国ツアー「緊急全国逃避行」の開催し、チケットは全公演即完であった。年末年始のFESにも出演し、入場規制を記録する等大きく話題を呼んでいる。2023年5月より東名阪ツアー「JOKE」の開催を発表。2nd ALBUM 「贅沢」を4月26日に発売。2024年5月にVo.くぅが逝去するも、6月には日比谷野外大音楽堂にて「東京、夏のサイレン」を決行。10月からは新体制でNEE 8th TOUR「EXOTIC METTYA HENSHIN」を開催。貴方も理解できない歌をその耳に焼き付けてハロー。
【宮城公演】
▼12月21日(日) 仙台 darwin
【愛知公演】
▼1月17日(土) ダイアモンドホール
▼1月18日(日) 17:00
なんばHatch
1Fスタンディング-5500円(整理番号付、ドリンク代別途要)
2F指定席-5500円(ドリンク代別途要)
※未就学児童は入場不可。
※ご購入いただいたチケットの払い戻しは出来ません。(公演延期・中止の場合除く)
※チケットの転売や違法売買は禁止です。
[問]GREENS■06-6882-1224