ホーム > インタビュー&レポート > “こんな歌、歌ったっけな?と思ったら、妹だった(笑)” 姉妹ならではのハーモニーが オーケストラと溶け合う記念のステージへ 岩崎宏美インタビュー
――11月に控えるコンサートでは妹・良美さんと共演。そもそも2人はどんな姉妹......というか、実は3姉妹なんですよね?
「長男と言われてます(笑)。でも次女です」
――長男(笑)。
「長女がおっとりしてるから。姉は過保護で何もさせなかったんで走ったら転ぶとか、危ない危ない(笑)。(姉は)小さく生まれて乳母車が必要ないくらいだったんですけれど、私はとても大きく生まれて、私の代で初めて乳母車を買ったらしいです。で、姉は幼稚園の障害物競争で、でんぐり返しをしなきゃいけないのにできなくて、次のグループがどんどん来てるのに、ずっと笑いながらでんぐり返しの所にいたらしいんですよ。それを見た母が、これはまずい!ということで、今度は私を放し飼いみたいに育てたら、あまりにお転婆で......(笑)」
――......長男になったんですね(笑)。
「子どものころ、姉は小さい(子ども用の)自転車を買ってもらってたのに、ご近所で自転車の事故があったので、父は(心配して)私の時には買ってくれなかったんですよ。で、私は、なんで買ってくれないの!と思って、(父の)会社のお兄ちゃんの(大人用の)自転車を三角乗り(子どもが大人の自転車のサドルに座ることができないためフレームの三角形の部分に足を入れて乗る方法)で乗ってたくらい(笑)。あと、姉は私の4歳上で、あまり遊んでくれなくて自転車で逃げるんですけれど、私は足が速かったから、どこ行くの?って、いつも追っかけてた」
――そして妹さんは......。
「内気な子でした。ある時、妹が泣きながら帰って来て、どうしたの?って聞いたら、ブランコを代わってくれないんだもん!って言うから、私が出ていったことがあったんです。で、男の子がずっとブランコに乗ってるから、ちょっと代わんなさいよ!って言ったんだけれど、無視してるわけ。そこで、私はそのブランコに立って乗ってる子の前に、バンッって(ヘッドスライディングのように)"スーパーマン転び"すると、その子が怖がって降りて。で、立ち上がってすぐ乗る(笑)」
――すごい(笑)。ほかにも逸話がありそうですね。
「妹が泳げないころ、プールで遊ぶ時に妹を背中に乗せて"浦島太郎ごっこ"って遊んでたんですけど、それはちょっと意地悪で......。亀の役の私は妹に、浦島太郎さん乗ってくださいって言って乗せるんだけど、妹は泳げないんです」
――まさか!
「(潜るジェスチャー)......って(笑)。それで妹を泣かせてました。でも、妹は姉とは7歳違うから、遊んでもらえないし、全然相手にされないわけですよ。だけど私は激しいけれど遊んであげるから、金魚のふんみたいにずっとついてきてました」
――そんな妹さんが少し大きくなったころにあった、ヒマワリの話。どこかで少しだけ聞いて驚いたので改めて聞いてもいいですか?
「妹が近所の友達と遊ぶようになって、私にくっつかなくなったから、つまんないなと思って......。その友達のお家が橋を渡った所にあったんですけれど、橋の手前の左右に妹より大きなヒマワリが咲いてて、妹が友達の家に遊びに行こうとしたから、気をつけた方がいいよ。ヒマワリって子どもを食べるから!って言ったら、妹がヒマワリの手前で立ち止まって、ヒマワリの前は走ってました(笑)」
――愛ゆえに!ですね(笑)。ところで3姉妹は子どものころ、同じように歌のレッスンをしていたんですか?
「はい。成城学園の初等科の音楽の先生で、森瑤子先生という方のご自宅で歌のお稽古をしていて、3人とも森児童合唱団に入ってました」
――では3人はライバル?
「そういう風にはならなかった。姉はすごく大人しい人だったから、(私と)同じ声で歌うんですけれどもソロを取るとか、そういうことはなかったですね。でも私は、小学5・6年生がメインのミュージカルがあった時、一人だけ1番年下の2年生だったのですが、レコードで主役の女の子の吹き替えを録音しました。セリフはその子の声ですけれど、レコードは私が歌っていて、その女の子の声は入ってないんです」
――飛び抜けてうまかったんですね。
「瑤子先生は小学校の音楽の先生だったので、姉は中学で歌はやめたんですけれど、私が小学校を卒業する時、先生に宏美ちゃんは続けてくださいって言われて。で、もっと難しいイタリア語の歌を教えてくださるような音大の先生に習ったんです。私はなんかそういう難しい歌じゃなく、もっと自分でガーガー歌えるような、ジャクソン5とかが......(歌いたかった)。だから、ちょっと違うなと思いながらやってたんです。当時、中学2年だった森昌子さんがデビューされたのを見て、え。歌手になれちゃうの?って思って、『スター誕生!』を受けて、高2で歌の世界に入りました」
――それを見て、妹・良美さんは影響を受けたんですか?
「妹は、私がすごく忙しくて夜中に帰ってくるのに、疲れた!とか言わないで、ものすごく楽しそうにしてたから、それを見て憧れたらしいです」
――では、良美さんが歌手になると言い出した時はどうでしたか? 心配してとめたりは?
「あ、それは家族が......。芸能界に岩崎宏美は2人もいらないから、あなたは諦めなさい!みたいな感じで、母と父はダメって言ってたらしいんです。で、ある日、妹がお台所で泣いてて、どうしたの?って聞いたら、私も宏美ちゃんみたいに歌を習いたいって言ったら、みんながダメだって言ったの......って言うのを聞いて、ウソでしょ!?って。自分から何かやりたい!っていう気持ちになるのって、私も歌しかなかったから、そんなこと(ダメと)言う権利が家族にあるの?って言って、すぐおやりなさいってなって、芸能界に入って5年後にデビューしたんです。だから今年デビュー50周年と45周年」
――その一件がなければ、2人でコンサートをすることもなかったかも。固い絆ですね。
「彼女がいてくれることってすごく......(大きい)。厳しいことも言われます。マネージャーや事務所の人でもなかなか言えないことも、姉妹だからやっぱり言えるじゃないですか。それはやめた方がいいんじゃない?とか。でも、なるほどな!って思うことはたくさんあるし、妹の言葉でたくさん助けられています」
――ちなみに良美さんはどんな存在ですか? 同志? 戦友? ライバル?
「ライバルじゃないですね。ライバルって思った方がよかったのかもしれないですけれど、思ったことはないです。ただ、昔は仕事で妹が一緒だと姉になっちゃって、歌手じゃなくなっちゃうところがあったんだけれど、今は大人になってやっと、本当に同業者になりました」
――そういえば、宏美さんが作詞した「やさしい妹へ」という曲では、親のような視点で幼い妹・良美さんのことが描かれています。
「やっぱり3人姉妹の末っ子だから、着ていく服も決められないんです。"これとこれどっちがいいと思う?"(良美)、"じゃあ、こっち!"(宏美)、"だったらスカートはこれとこれどっちがいい?"(良美)、"それはこっちでしょ!"(宏美)、"じゃ、靴下は?"(良美)って、本当に決められなかったの。めんどくさいくらい、毎朝同じことの繰り返しでした。子供の頃は」
――歌詞は実話だったんですね(笑)。そして大人になった今も仲がいいですよね。なんでも話すんですか?
「妹は心配性なの。なんでもないことでも"本当に大変なのよ!"(良美)って......。だから"あなた、いちいち大変って言ってたら、世の中もっと大変よ。そりゃ体調とか日によっては大変かもしれないけれど、まずは言霊。あなたのその大変っていう言葉が私は気に食わない。もっと楽しみなさい!"(宏美)って(笑)」
――頼もしい姉(笑)。
「でも3人姉妹って本当にね......。母が亡くなった時、姉と妹がいてよかったなって。私1人じゃ、とても母を送り切れなかったと思うし。忙しいの(忙しい時に支え合えること)もあるし、そういう意味でもやっぱり姉妹がいてよかったなって思います」
――すてきな関係。ところで、2人の性格が似ていないことはわかりましたが、声はそっくりですよね。
「いや、私もわからなくなる。こんな歌、歌ったっけな?と思ったら、妹だったっていうことがありました。地方のコマーシャルだったかな」
――実は宏美さんと良美さんの歌声の解説がされている動画を見たんです。そこで、いつも主旋律は良美さんで、副旋律は宏美さんが歌っていると......。それは本当ですか? だとしたら理由は?
「(即答で)本当ですよ。私の方が器用だから(笑)。いや、高い声が妹は出るから」
――かっこいい(笑)。11月のコンサートでも見事なハーモニーが聴けそうですね。そしてそのコンサートはオーケストラとの共演です。
「音楽の仕事をしていても、オーケストラとの共演ってなかなかないから、そういう意味ではご褒美みたいな仕事なんですよ。だからすごく楽しみにしていて。特に妹はそんなに(オーケストラと)やってないのね。だから、初めて共演した時はすっごく感動してました」
――やはり歌唱は普段のコンサートと違ってきますか?
「それはアレンジや楽器の数によって......(違う)。普段はオーボエとかいないし、音数が多いですから。で、音数が多ければアレンジも変わってくるし、それはゴージャズですよね。一時期、イヤモニを使ってたこともあったけれども、やっぱり生で聴きたいなと思って、イヤモニもやめちゃったんですよね」
――なるほど。少し脱線しますが、以前、イヤモニなしでも歌えるベテラン歌手の技術がすごいという話を聞いたことがあります。
「私たち、本当に鍛えられてますね。今は前に転がし(ステージモニター)とかあるけれど、昔は横のスピーカーだけで歌ってたわけだから。でも、それが当たり前だと思ってるから。(出演したミュージカルの)『レ・ミゼラブル』だってモニターないんですよ。オーケストラ・ピットからの生の音を聴きながら、自分で頑張って頑張って歌って......。なのでポリープになったっていう苦い想い出もあるんだけれど(笑)」
――そうだったんですね。さて話が逸れましたが、最後に11月のコンサートについてファンへメッセージを。
「デビュー50周年と45周年のお祝いとして、オーケストラで歌わせていただけるチャンスをいただいたと思っています。妹とは小さいころから長く一緒に歌ってきましたけれども、うしろにバーッとオーケストラが並ぶなかで歌う高揚感というのは、もう格別なものです。とにかく贅沢なサウンドを楽しみながら歌うので、もし私たちの生の歌声をまだ聴いたことがない方がいらっしゃれば、ぜひともこの機会にお集まりいただきたいです」
(2025年11月19日更新)
1975年16歳で「天まで響け!!岩崎宏美」のキャッチフレーズで「二重唱(デュエット)」でデビュー。2作目「ロマンス」でレコード大賞新人賞をはじめ、数々の新人賞を受賞。その後、「思秋期」などのヒット曲を生み出す。
1982年「聖母たちのララバイ」で第13回日本歌謡大賞を受賞。
1987年にはミュージカル「レ・ミゼラブル」初代ファンティーヌ役を務める。また海外でも1986年外務省のイベントでエジプト・ギザにて公演。
2006年にはラスベガスにてバリー・マニロウと共演。
2007年にはチェコフィルハーモニー管弦楽団との共演アルバム「PRAHA」をリリース、のちにドヴォルザークホールでのコンサートも行った。
2016年ジャズピアニスト・国府弘子とのコラボアルバム「Piano Songs」をリリース。
2017年には実写版映画「美女と野獣」のポット夫人役でディズニー映画の声優デビューを果たす。
2021年には筒美京平氏を偲び「筒美京平シングルズ&フェイバリッツ」をリリース。
2022年には「野口五郎・岩崎宏美プレミアムコンサート ~Eternal Voices~」を全国12か所で公演。なかでも東京国際フォーラム(ホールA) 、NHKホールでは、東京フィルハーモニー交響楽団とのプレミアムオーケストラコンサートも開催。
2023年7月「宝くじまちの音楽会 岩崎宏美・岩崎良美〜ふれあいコンサート〜」スタート。
2024年は夏のアコースティックライブをはじめ全国でコンサートを開催するなど精力的に活動を展開。
2025年4月25日にデビュー50周年を迎え、9・11月には同じくデビュー45周年を迎えた妹・岩崎良美と「岩崎宏美50周年・岩崎良美45周年 岩崎宏美・岩崎良美ファンタステックオーケストラコンサート」を開催。
▼11月22日(土) 14:00
兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
全席指定-9800円
[出演]岩崎宏美/岩崎良美
[指揮]柳澤寿男
[演奏]兵庫芸術文化センター管弦楽団
※未就学児童は入場不可。
※特製プログラム&特製チケットホルダー(クリアファイルタイプ)付き。
[問]キョードーインフォメーション■0570-200-888