ホーム > インタビュー&レポート > 「自分が本当に思っていることを書くしかない」 心をさらけ出すこと、音に感情を乗せることを求めた 1stアルバム完成の先に見えたもの やまもとはるとインタビュー
福岡のとある夜に降ってきた
小山田壮平との突然の出会い
――ぴあ関西版WEB初登場ということで、音楽活動を始めたきっかけからじっくりお話を伺えたらと思います!
「中学2年生から音楽に興味を持ってから、ずっと氷室京介さんが大好きで聴いてきました。長く聴く専門だったけど、大学に入って仲良くなった友達がアコギを持っていたので借りて弾いてみたらすごく面白くて」
――面白いと思ったポイントは?
「自分のペースで弾きたいように弾ける楽器だったことですね。テンポやキーの高さも自分の好きにできるし、自由度の高さを感じました。あとこれまで曲の中で聴こえていた"ジャーン"っていうアコギの音を俺でも出せる! って感動したのもありました。とにかくアコギが面白くて、家でスピーカーから音楽を流してバンドに参加するみたいに一緒に音を出して遊んでいました」
――そこからはどう進んだのでしょうか。
「大学で音楽サークルに入ってギターに初めて触れました。その後、大学を辞めて、地元の福岡で音楽活動を始めました。アコギでオリジナル曲を弾き語っていました。スピッツやandymoriを聴き出した頃で、自然と耳に入ってくるメッセージのよさに気づき始めたことが歌詞を書くきっかけにもなりました」
――andymori! andymoriといえば9月に東京で開催されたニューアルバムのリリースライブに小山田壮平さんをゲストに招かれていましたよね。
「壮平くんとは僕が音楽活動を始めて半年くらいの頃に出会いました。僕、その頃Uber Eatsでバイトしていたんです。配達を終えて隣のビルにあったライブハウスを見上げたら窓のそばに人がいて。そこが楽屋だったんですけど、ちょっとその人に手を振ってみたんです。それが壮平くんで」
――ドラマみたいな出会い!
「実は僕、壮平くんと共通の知り合いがいたんです。手を振った時に"僕、ファンなんです!"って叫んでその友達の名前も出したら、同じ夜に壮平くんから連絡が来て会えることになったんです。それで壮平くんの前で歌って...友達&先輩になりました」
――ええええ! 劇的でしかないですねぇ。
「共通の友達が僕のライブを見てくれていて、その時に"いつか壮平を紹介したい"って言ってくれていたのが実現したんです。うれしかったですね」
――小山田さんの前で歌った夜は人生が変わった夜ですね。
「本当に! 今の僕は壮平くんと出会ったからこその人生を生きていますから! 年齢も離れているのに、上京するまでの半年は壮平くんと本当によく遊びました」
――衝撃的な出会いは音楽活動にも変化を与えましたか。
「めちゃくちゃ変化ありました。壮平くんとはどこに行っても音楽の話をしていましたから。音楽に対する気持ちやミュージシャンとはどうあるべきか...いつも壮平くんが考えていることを教えてくれました。そもそも才能があってすごく高いところにいる人なので理解できない話もあったけど(笑)、好きな音楽は近かったし何より僕の歌声を認めてくれていたので、話にすごく愛情を感じていました。僕も逃さないようにメモを取って、家で日記にも記して。とにかく無我夢中で彼を追いかけてきました」
――小山田さんが上京のきっかけにも?
「ライブバーでイベントをやろうとなって、弾き語りで出演させてもらいました。その店のイベントに壮平くんたちと出たんです。それが配信されていて、東京の音楽関係の方から"東京でライブはないの?"と聞かれたので、すぐに東京でのライブを決めて...それが上京のきっかけになったのかな」
――小山田さんとの出会いが大きな道を作ってくれたんですね。
「出会っていなかったらどうなっていたんだろうと思えるほどです」
――上京してから音楽への取り組み方も変わりました?
「東京にはものすごく才能がある同世代が多いことに驚きました。東京は天才に会う機会も多いし、天才が同世代だと焦るけど、その才能に惚れている。でも同世代のアーティストたちからはエネルギーを感じられるので、楽曲制作にも影響は出ていると思います。あとは、たくさんの先輩たちからも音楽の作り方をわかりやすく噛み砕いて説明してもらえる機会があったので、音楽への取り組み方に対していろんな変化が起こっていますね」
音楽が好きだからこそ、
人に影響されながら生きていく
――2023年に弾き語りをメインにしたEP『からっぽのプール』をリリースしてから、ずっとライブとリリースをバランスよく行いつつ進まれている印象があります。中でも昨年4月から始められた5ヶ月連続配信リリースは大きなトピックスでしたね。
「時間的には大変なこともありましたけどサラちゃん(カモシタサラ/インナージャーニー)が歌詞を書いてくれたり、上野皓平くんと曲を一緒に作ったり...このリリースの直前にひとりで音楽を作るのが嫌になった時期があったんです。それもあって仲がいいアーティストと一緒にスタジオに入って作ってみたら、ひとりでやるよりすごくスムーズで」
――ひとりだと悩んだ時はループになりますし...。
「それがふたりだと、会話の中から打開策やメロディー、次のアイデアも出てくる。一旦試してみて、ピンとこなければ変えればいい。そういうことが学びになりました」
――その5ヶ月連続配信リリースされた曲は、その後『旅の途中』というEPにもなりました。
「打ち込みの楽曲ですが、アコースティックからバンドサウンドまで良いグラデーションになったらなという意識はしていましたけど、作品としてまとめるぞ! という気負いはなかったです。思い出としては...1曲作詞するのに1ヶ月かかったりしてしまったことですね。ただ大変だった記憶はありますけど、正直今回のアルバム制作で上書きされて記憶がかき消されているところはあります(笑)」
――EPの制作を経験したうえで今回フルアルバムを制作することが決まったところで、まずどんな作品にしたいなどイメージしたことはありましたか?
「とにかく歌を歌いたいということですね。自分の原動力が"歌うこと"なので、それさえあれば大きく外れる作品にはならないだろうと思いました。そういうことを考えていた時に今回サウンドプロデュースをお願いした川辺素さん(ミツメ)と出会って。その出会いによって、バンドサウンドが今の自分の理想に近いということに気がついたんです」
――ちなみにその理想というと、どういったものだったんですか。
「バンドサウンドであれば、音にもっと感情を込めていける気がしたというか。歌や歌詞にも感情は込められるけども、音にももっと込めたかったんです。音がズレていてもいいし外れていてもいいから、生っぽさが欲しかったというのもあります。実はアルバムうんぬんを考えずに今回収録している「フィルムの中」という曲を一度バンドで録ってみようとなって、やってみたらめちゃくちゃ楽しくて。やっぱりバンドで録るって最高だなと思えたんです。それもやってみようと促してくれた川辺さんがいたからこそで、そういうことも含めて川辺さんへの信頼と尊敬が高まって曲を委ねるのが正解だと思えました」
――そこまで委ねたいと思えた理由というと...?
「川辺さんと一緒にやれば僕が言いたいことが曲を通して全て伝えられるんじゃないかと思えたことかな。実際ご一緒したらその通りになって。川辺さんは僕がアコギを弾いて歌うのを大前提にアレンジを作ってくださったので、本当に理想が形になりました」
――そういうことは制作前に言葉で共有されていたんですか。
「いや、直接的には制作が終わってから話を聞きました。そういう考えが偶然同じだったこともアルバムに統一感が生まれた理由かなと思います」
――ちなみに制作中に川辺さんと交わした会話で印象深かったものはありましたか。
「作詞作曲に関しては、とにかくたくさんのやり取りをさせていただきました。歌詞ができたら見てもらって"ここ削ってみたら?"とか"ここは要素を少なくしてみるといいよ"とか"ここを膨らませてみてもいいね"とか、たくさんのアドバイスをもらいました。ゼロからイチの部分は自分がやるけども、そこからのアドバイスをたくさんもらって僕が進む選択肢を狭めて進みやすく導いていただいたようなイメージです」
――アドバイスはスッと心に落ちました?
「いい意味で悩むみたいなことはありました。でも僕にもわかるように噛み砕いて説明してくれて、ひとつひとつ教えてもらえた感覚がありましたね」
――音楽を作る技術が少しずつ身についていくような感覚を持ちつつ、アルバム制作に挑めたんですね。
「はい。僕でもできる方法で、ひとつひとつ新しいことを教えてもらった感覚です。川辺さんの影響でGarageBandという音楽制作アプリを使い始めているし、いろんなアプローチで努力していく方法を教わった気がしています」
――それ、音楽的な技術が増えてこれからの音楽活動がまた面白くなりますね。そして今回のアルバムを聴きながら、やまもとさんの作る曲は本当にご自身の今の感覚や新しい経験を通して感じたことが顕著に出ているのだろうなと強く感じました。そういう印象を受けただけに、このアルバムの制作中はやまもとさんがどんなモードでいたのかということを知りたくなりました。
「作詞に関して言うとその時感じていることを書いているのは間違いないですし、逆に言うと僕にはそれしかできないです。今回に関しては弾き語りで作った曲を川辺さんに渡したら、アレンジが返ってくるというやり取りでした。そのアレンジが本当にすごくて、川辺さんの音やフレーズに言葉を引き出してもらった感覚がありました」
――どんな感じで言葉が引き出されたか、詳しく伺えますか。
「ギターの音を聴いて、あの風の音だなとか、そういう風が吹くこれまで行ったこともない場所の風景が頭に思い浮かんできたり。川辺さんが作ったフレーズからありもしない理想郷がブワッと浮かんできて、そのイメージをそのまま形にさせてもらいました。そういう経験が初めてだったからこそ川辺さんとの相性のよさを感じたし、もう川辺さんのギターが好き過ぎて...!」
――やまもとさん、推しを語る表情ですねぇ(笑)。
「レコーディングが全部終わったら曲から川辺さんのギターだけを抽出したファイルをもらってずっと聴いていたほどです!」
――こちらのギターソロは下中さんでした!
「ですよね!? あと「散歩道」のリードギターの音も寝る前にずっと聴いています。聴くたびに感動するんですよ」
――本当にファンじゃないですか。ちなみにここまで伺った感じだと、今回はサウンドが固まってから作詞に取り掛かる流れだったんですね。
「川辺さんは逆がよかったみたいですけど、曲に言葉をはめていくイメージで作りました」
――作詞の段階では、頭ではどんなことを巡らせていたのでしょう?
「音楽制作に没頭できる環境が整ったような感覚もあったので開放感も感じていました。だからこそ物事を客観的に見ようとしたし、その時の感情を極力素直に出したと思います。悩みながらも、自分が自分として本当に書けることを選んで。そう意味で言うと「フィルムの中」は、客観的に自分のことを書けたなと思います。あと「君の暮らす街」という曲はドラマの主題歌だったので、初めて台本を読んでテーマがある中で作詞をしたんです。テーマはあるけど、そこに寄り添い過ぎずにちゃんと自分の曲を書きたかった。自分の中ではその塩梅をうまくできたと思えて、これがきっかけで"僕って歌詞が書けるんだ"とすごく納得できたんですよ」
――なるほど。そして私個人的に気になったのが、アルバムの曲順というか構成でした。「散歩道」をバージョン違いで2曲収録、しかも最初にバンドバージョン最後にアコースティックバージョンを配していること、川辺さんをフィーチャリングに迎えたかなりバンド色が強い「ラブレター」とアルバムの中で唯一小西遼さん(象眠舎)がプロデュースをされた「君の暮らす街」をつなげてアルバムはエンディングに向かうという2点です。
「大事にしたのはアルバムとしての統一感でした。統一感を考えた時に、とにかくバンドの音がどんどん続く展開を見せたいと思ったんです。だからラストソングの「散歩道」のアコースティックバージョンにたどり着くまでは、とにかくバンドサウンドを続け得たかった。それと川辺さんの音を堪能してもらいたい気持ちもあって、僕の弾き語りはおまけくらいにしようというのは最初から決めていました」
――ラスト前「君の暮らす街」はサウンドがめちゃくちゃ壮大で、心が震える音というか、ちょっと異次元の音体験のようで感動しました。ああ、今の音何!?みたいな。
「ね、すごいですよね! この曲は唯一川辺さんがタッチしていない曲であることと、ドラマのエンディングテーマとして最後に流れていたんですけど、ドラマの最後にほわーっと流れてくる感じがとてもよくて、この曲もアルバムのエンディング的な役割を担わせたいと思いました。それもあって「散歩道」のアコースティックバージョン前にスッと置いて」
――そんな今のやまもとさんを言葉で描き出した作品に、『流れる雲のゆくえ』という文学的なタイトルを付けた理由を伺えますか。
「「ラブレター」という曲でも書いているんですけど、僕は今回のバンドメンバーとの出会いが本当にうれしいんです。音楽が好きだからこそ、ここで出会えた奇跡感や運命感をひしひしと感じていて、やっぱり僕は人に影響されながら生きていくんだと思いました。ある意味で自分のやりたいことが歌いたいということ以外は定まっていないからこそ、人に影響されて生きていくんだと。曇はつながって離れて、大きくなったり形が変わったり、これから進んでいく自分という雲の形や大きさがどうなっていくんだろうという期待も込めて、流れる雲がどうなっていくか知りたくてこのタイトルをつけました」
――自分をすごく客観視されたタイトルですね。
「はい。リリースから何十年経ったとしても、誇ることができる一枚になったと思います。やっぱりどこかにアコースティックの匂いのあるバンドサウンドが作れたことがうれしいんです。そっと"聴きたかったら聴いてね"と言えるような作品を作れた自分が、誇らしいなと思います」
取材・文:桃井麻依子
(2025年10月24日更新)
1st Album『流れる雲のゆくえ』
発売中
2000年生まれ、福岡県出身のシンガーソングライター。大学生時代に友人の自宅にあったギターを手に取ったことをきっかけに、弾き語りを始める。2023年に福岡時代に書いた楽曲をまとめたEP『からっぽのプール』をリリース。続く、2025年9月には未来の自分への期待と不安を瑞々しく描いた1stアルバム『流れる雲のゆくえ』を発表し、リリースライブとしてShibuya O-nestを敢行。どこか懐かしさや憂いをおびた歌声は、誰しもの心に触れていく。
やまもとはると オフィシャルサイト
https://yamamotoharuto.com/