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50周年をDVD&コンサート&アルバムでお祝い
驚きと爆笑の秘話とともに思い出を振り返る

1975年に16歳でデビューすると「シンデレラ・ハネムーン」や「聖母たちのララバイ」をはじめとする数々のヒット曲を世に放ち、ミュージカルなどでも活躍。シンガーとして常に第一線を走り続けてきた岩崎宏美は、4月25日、ついにデビュー50周年を迎えた。現在、この大きな節目を飾るアニバーサリープロジェクトが進行中で、3月5日には「輝く!日本レコード大賞」や「ザ・ベストテン」といったTBSの番組での映像を収めた6枚組DVDボックス 「HIROMI IWASAKI 50th TBS Special Collection」をリリース。4月27日には大阪で記念のコンサートも開催、9月以降の追加公演も発表された。そんな今活動の勢いを増す彼女にインタビュー。思い出とともに昭和の裏話や、ぶっちゃけトークも飛び出した。

――50周年おめでとうございます。まずは50年という長い間、歌い続けることができた理由や秘訣を教えてください。

「自分でも驚いてるんです。本当、よくやったなと思って(笑)。ただ、私たちの世界には先輩がたくさんいらっしゃって。たとえば、学校の先輩であり仲良くさせていただいてる森山良子さんや、童謡から歌の世界に入ってずっと歌い続けてらっしゃる由紀さおりさん。みなさん本当にお元気で今もやってらっしゃるので、もうあとに続くしかない。私が神様と崇めている、さだまさしさんも今年でデビュー52周年ですから。70歳過ぎてるし。仕事の量もそんなに減らしてないんですから」

――みなさんパワフル。岩崎さんもさぞや鍛えていらっしゃるのかと思いきや、Instagramを拝見したらそうでもなく、1日2000歩とか(笑)。

「歯を磨く時にスクワットを朝晩10回ずつやるくらい。でも、私は小柄なのでステージではヒールを履かないといけないので、7㎝のヒールを履いて2時間半ステージに立っているから......」

――......体幹が鍛えられる。

「3年ぐらい前までは9㎝のヒールだったんですけど、今は9㎝は無理って。つま先側を厚くするのはやっぱりエレガントに見えないから、前はフラットでうしろは7㎝っていうこだわりがあるんです。ほら、足が見えた時にシュッてならないと、かっこ悪いじゃないですか」

――おしゃれですね。DVDボックス 「HIROMI IWASAKI 50th TBS Special Collection」には過去の映像がたくさんありますが、どの時代の衣装もすてきでした。

「衣装はオートクチュールで作っていたので。お衣装を作ってくださる先生に"裏地もちゃんとシルクにこだわってるから。宏美ちゃん、どこで脱いでも誇りに思ってね"っていつも言われていたんです。若い時から、そういう先生に作っていただいていたので、そのへんはちょっとプライドがあるというか」

――DVDボックスはファッションやヘアメイクの変遷だけでも見ごたえがありますね。

「(髪型は)おかっぱから始まってるんですけど、あれは『スター誕生!』の面接で、日本テレビの方が私の顔を見て"顔がでかいな"って言ったから。当時、中学生で自分の顔を人と比べることはまずないから、私は自分の顔が大きいって知らない。で、顔大きいんだ......と思って前髪を切ったんですよ。もう切る切る切る切る! とにかく顔を隠さなきゃ!!と思ったから(笑)。それまではカーラーで髪を巻いてセッティングローションもつけてたのに、いきなりあれで(テレビに)出たから、学校の友だちが驚きましたね。でも途中からちょっとしらけ出してウェーブにしてみたり、似合わないのに前髪伸ばしてみたり(笑)。私は嶋田ちあき(数多くの有名人を手掛けるヘア&メイクアップアーティスト)さんが初めてついたヘアメイクさんだったんですよね。昔、ヘアメイクがついてたのはジュリー(沢田研二)と欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)さんぐらいで、私は『恋待草』っていう曲で着物を着て......みんなに『悪魔の手毬唄』(横溝正史作の長編推理小説が原作の映画)って言われた(笑)......あの時から。当時は(山口)百恵ちゃんも(松田)聖子ちゃんも、自分でくるくるドライヤーでやってたんですよ」

――驚きです。ところでDVDボックスですが、ご自身で全曲の解説を書かれたそうですね。

「見て。これ(文字がぎっしりの解説書を出して)全部、私のコメント!」

――わ、時間がかかりそう。

「かかりましたけど、書かずにはいられなかった。でも、(文章が)ちょっとだけで手を抜いてんのもあるわけ(笑)。すごくいっぱい書いてるのと、そうじゃないのと......(ある)」

――正直(笑)。実際に映像を見ていかがでしたか?

『ザ・ベストテン』の黒柳(徹子)さんが、あまりにきれいで。しかもどんな時もすごく頭が切れるし、久米(宏)さんとのやり取りもすごいし」

――ほかによく覚えているトークや、やり取りは?

「やっぱり怒られたこととかは覚えてますね。このDVDにも入ってますけど、『サウンド・イン"S"』という番組があって、英語の歌を歌わなきゃいけないので前日に英語の先生のところに行って発音を教えてもらうんです。で、その時にはダンサーと踊らされるってことを聞かされていなくて...」

――あ、次々にお相手のダンサーが交代する映像ですね。

「そう。日舞は習ってたけど、ダンスは習ってないから、ただもうくるくると回されてるだけで、あまりにできないからダンサーもちょっと笑っちゃってるんですよ(笑)。で、英語の歌だから前にカンニングペーパーがあったんですけど、くるくる回されるから、どこを歌ってんのかわかんなくなって。で、それは(複数人で)曲をつないでいくメドレーで、後半の方の私がNGを出しちゃったの。だからその時、最初に歌った歌い手さんの"だれ? NG出したの!"っていう声が聞こえて、私はマイクを通して"すみません! 岩崎宏美です"って言ったんだけれど、最後に一緒に歌う時は、私の目も見てくれてなかった(笑)。ま、そりゃ怒るよね。だって彼女は最初に歌って早着替えして、最後に違う衣装で出てこなきゃいけなかったから。それは怒るわけ」

――そんな事情があったんですね。

「でも、逆にまったく思い出せないのもあるから。なぜこの歌が終わって、あの扉を開けて出て行ったんだろう?とか。たぶんコントのつながりだったんだと思うんですけど」

――昔はコントもありましたよね。

「なんでもありでしたよ。『8時だヨ!全員集合』の聖歌隊(のコント)とか。イントロが鳴って、(聖歌隊の)衣装のベレー帽を脱いですぐ歌うとか。今の私だったら髪の毛が乱れるからイヤって言うのに、当時は、はい。わかりましたって。だから偉いなと思って(笑)。あと、リハーサルの時はなんでもないのに、本番になったらなんか知らないけど、(コントの影響で)ステージが濡れてるとか」

――昭和ですね(笑)。ちなみに、これは収めたかった!という映像はありますか?

「『サウンド・イン"S"』は苦労したけれども、入れてもらえたのはすごくうれしかったですね。あと"レコ大"(『日本レコード大賞』)も。あの当時、50万円ぐらいするシブサンっていうガッチャンッてテープを入れるビデオデッキがあったんですよ。それを父が家に買ってきて、新人の時からずっとそれで"レコ大"を録画してくれていて。あ、昭和51年に初めて『徹子の部屋』に出たんですけど、それも。その映像は『徹子の部屋』の番組サイドに残っていなかったんですけど、私が持っていたから、残ってますよって提供したことも」

――貴重ですね。

「『スター誕生!』に出た時はそういうデッキがなくて。でも父は音も入らない8ミリビデオを回してくれました」

――そのテープは残っているんですか?

「もうないです。でも、違うものにうつし直しているので」

――さきほど話に出た衣装などは?

「残ってないです。ずいぶん処分してますね。でもエジプトで着た衣装だけは持ってるかな。京都の帯の生地で作った衣装」

――あ、1976年のエジプトでのライブ。すごいですね。

「ピラミッドとスフィンクスの前で歌ってね。『ジャパン・ウィーク』という外務省の仕事だったから(できた)。着物のショーがあって夜の9時から最後に歌のショーで、でも当日の朝、お腹を壊して大変だった。なにも食べられないから点滴しながら現地へ行って(笑)」

――今では考えられないエピソードはほかにも?

「『ザ・ベストテン』は中継が入ると外で歌わなければいけないんですけれども、あの当時は暴走族がいっぱい来ちゃって、京都の駅では普通に改札が通れなかったですね。バイクの子たちとかがギリギリ改札の所までバイクで来てぐちゃぐちゃだった(笑)。だからホームの売店の荷物を上げるための地下を通って上がって出る。そんなことがありましたね」

――すごい時代。あと、映像を見てご本人だからわかることはありますか?

「あ、歌ってないのが結構......(笑)」

――口パク、言っちゃうんですね(笑)。

「なんか(口パク)すごく上手よね(笑)。何回もやったから慣れたんでしょう。でも、逆にそこで生で歌ってるんですか!っていうのもあるし......小学校の前とか。そういうのはちゃんと歌ってましたよ。あと、『すみれ色の涙』はあえて歌わせてもらえなかったみたい。曲のイメージを崩さないようにって」

――そういう方針だったんですね。でも歌は昔からお上手ですよね。

「あのころの岩崎宏美の歌のうまさは、今の私にはまねできないって本当に感心します。それは、当たり前に歌ってるんですよね。当たり前に。今日はこれをやろう!とか、そんな志もないのに、とにかくすごく一生懸命に歌ってるのが(映像から)わかって、いや、私、偉いなって感心しながら見ました。頑張ってる......いや、それを当たり前にして歌ってる。だから楽屋で"宏美ちゃんって緊張しないもんね!"とか、歌い手の方たちによく言われてたんですよ。今の私が若い時の自分を見ても緊張してるように見えない。すごく堂々としてる。だから人から見ると、そういう風に見えるということだったのか!って、今になってわかりましたね。でも本当は緊張してるんですよ。それに決していつも体調がいいわけじゃないのに、すごくちゃんと歌ってるの。上手だなと思いましたね」

――歌がうまいうえに、今聴いても古臭くないというか。感情表現はしっかりされているのに、いつだれが聴いても聴く側に心を動かすのりしろがあるというか。

「それはたぶん......。当時は歌詞の意味をわかってないことがたくさんあったわけ。デビューの時は16歳で、デビュー曲の『二重唱(デュエット)』の歌詞には"くちづけするのなら"っていうところがあるんだけど、16歳でくちづけなんて普段の言葉にないから恥ずかしいわけよ。"○○ちゃん、キスしたらしいよ"とは言っても、"くちづけしたらしいよ"とは言わない。メロディにのらない限りは使わない言葉だから恥ずかしくて、レコーディングの時に"$♪×△¥づけするのなら"ってごまかすみたいにしたんです。そしたら、ディレクターに"恥ずかしいかもしれないけど、そんな歌い方することの方がよっぽどやらしいんだよ"って言われて、えっ!と思って。そうか。じゃあ書いてあるとおりに歌えばいいんだ!と思って、あまり意味を解釈しないように切り替えたんです。そのあともわかんない歌詞はいっぱい出てくるんだけど、もう、わかったように歌ってるだけで、本人はわかっちゃいないのよ(笑)。『聖母たちのララバイ』の時だって23歳。戦場だってよくわかってないんだもん。でも当時の歌を聴くと、わかったように歌ってるからびっくりしますね」

――過剰に感情的じゃないのがいいんですね。にしても『聖母たちのララバイ』が23歳とは......大人っぽい。当時とても忙しかったと思いますが、そんななか六本木でよく遊んでいたとか(笑)。騒ぎにならなかったですか?

「でも、私が行ってたのは一つのお店なんですよ。ゲイバーのママが親友だったの。そこでチーママと呼ばれて(笑)。そこはとても有名なお店で、それこそ芸能界の方もたくさんいらしてたから、私がママと仲がいいっていうのは有名な話。マネージャーも渡さなきゃいけない資料を渡し損ねたりすると、宏美は来るだろうって、その店に置いていってたから(笑)」

――なるほど(笑)。さて、アニバーサリープロジェクトですが、4月25日(金)にニューアルバムがリリースされましたね。

「スタジオ録音としては1曲、そしてバンドでのライブバージョンが6曲......メドレーも入ってるから実際の曲数としてはもっと多いんですけれど......それとアコースティックバージョンでギター2本とピアノで歌っているものが11曲入った2枚組のアルバムが出ます」

――そのスタジオ録音は50周年記念の新曲「永遠のありがとう」ですが、ファンに届けたい言葉をご自身で選んだ歌詞になっているとか。

「私のコンサートでヒットメドレーを歌う時は、うちの親衛隊の人たちが一役も二役も買ってくださって支えてくださってるので、彼らのためにもこの思いをのせてお届けしたいっていう気持ちからです。うちのリーダーの上杉洋史さんが作詞作曲してくださってそれを聞かせていただいて、すごくいいなと思って。で、ちょっと私も歌詞を付け足していいですか?って言って、2番から書かせていただきました」

――そういえば、親衛隊の方は熱心でコンサート前に打合せをしているって、何かで話されていましたが、なぜご存じなんですか?

「だって会議室とか借りてやってるから。(コンサートのある)会館の会議室とかに"岩崎宏美親衛隊"って書いてあったもん(笑)。それに彼らのFacebookとか見てると、えー、そんなの食べてんの?みたいなすごく豪勢な打ち上げをしてる。私たちは楽屋で出たお弁当とか食べてんのに、大人の遠足と題して、みんなで飲んだり食べたりしてるんですよ(笑)。でもすごくほほえましくて、すごくすてきだと思う。礼儀正しいし、本当にありがたい」

――50周年記念のコンサートでも、きっと大人の遠足がありますね(笑)。50年分のセットリストは決定しましたか?(※本取材はコンサート開催前に実施)

「決めたんですけれども、ちょっとヘビー過ぎるかなと思って、今日の帰りの新幹線の中でもう1回聴いて......(再考する)。もうA面だけで60数曲あるから。あ、うちのお嫁さんが26歳なので"A面って何ですか?"って言うから、"A面、B面っていうのはレコードがあった時代にね......"って(笑)」

――今ならリード曲ですかね(笑)。

「ま、A面だけで60数曲あるから(笑)、ワンコーラスずつ歌ってもえらいことになっちゃう。私の喉が持たないので、それをどうやって歌うかっていう。だからもうメドレーにするしかない。フルコーラスでなんか歌えない。何時からやったらいいのかわかんない。そんなの家で聴いてって(笑)」

――意外とファンにスパルタ(笑)。

「でも私、最近言うよ。あのころと同じように歌えないから、気が収まらない人はちゃんとお家で聴いてねって(笑)」

――やはり正直(笑)。とにかくコンサートは盛りだくさんになりそうですね。

「今まで岩崎宏美に興味がなくて全然知らないよっていう方も、来ていただければ、私の歴史をきっと感じてもらえるし、岩崎宏美のいいところ......このサッパリとした性格もすぐにわかっていただけると思うので(笑)、1人でも多くの方にお集まりいただいてお祝いしていただきたいです。ぜひお越しください」

――本当に気持ちのいい性格、伝わってほしいです(笑)。今日はありがとうございました。

「ありがとうございました。あ、(DVDボックスを手に取り)これ(デジタル・レストアした)映像が本当にきれいだから! 本当にきれいだから‼ 2回言ったから(笑)」(と言い残してさっそうと立ち去る)

――書いておきます(笑)。

Text by 服田昌子




(2025年5月13日更新)


Check

Release

デビュー50周年DVD6枚組BOX
秘蔵映像を集大成した永久保存盤!

『HIROMI IWASAKI 50th TBS Special Collection』
発売中 29480円(税込)
VIBL-1158~63

●6枚組DVDボックスセット(三方背豪華BOX/特製デジパック仕様/解説書付き)
●デビュー50周年記念!DVD6枚組の永久保存盤
●“レコ大”“全員集合”“ベストテン”等、門外不出の映像を7時間超(444分)収録
●大型画面に合わせたデジタル・レストア&サウンド・マスタリング

Profile

1975年16歳で「天まで響け!!岩崎宏美」のキャッチフレーズで「二重唱(デュエット)」でデビュー。2作目「ロマンス」でレコード大賞新人賞をはじめ、数々の新人賞を受賞。その後、「思秋期」「聖母たちのララバイ」などのヒット曲を生み出す。
1982年「聖母たちのララバイ」で第13回日本歌謡大賞を受賞。
1987年にはミュージカル「レ・ミゼラブル」初代ファンティーヌ役。また海外でも1986年外務省のイベントにてエジプト ギザでの公演。
2006年にはラスベガスにてバリー・マニロウと共演。
2007年にはチェコフィルハーモニー管弦楽団との共演アルバム「PRAHA」をリリース、のちにドヴォルザークホールでのコンサートも行った。
2016年ジャズピアニスト・国府弘子とのコラボアルバム「Piano Songs」をリリース。
2017年には実写版映画「美女と野獣」のポット夫人役でディズニー映画の声優デビューを果たす。
2021年には筒美京平氏を偲び「筒美京平シングルズ&フェイバリッツ」をリリース。
2022年には「野口五郎・岩崎宏美プレミアムコンサート ~Eternal Voices~」を全国12か所で公演。なかでも、東京国際フォーラム(ホールA) 、NHKホールでは、東京フィルハーモニー交響楽団とのプレミアムオーケストラコンサートも開催。
2023年7月「宝くじまちの音楽会 岩崎宏美・岩崎良美~ふれあいコンサート~」スタート。
2024年も、夏のアコースティックライブをはじめ全国でコンサートを開催するなど現在も精力的に活動を展開中。
2025年4月25日でデビュー50周年を迎える。


Live

岩崎宏美「デビュー50周年記念コンサート~永遠のありがとう~」

【東京公演】
▼9月6日(土) ティアラこうとう 大ホール
【新潟公演】
▼10月3日(金) 新潟テルサ
【福岡公演】
▼11月2日(日) 福岡市民ホール 大ホール
【神奈川公演】
▼11月9日(日) 相模女子大学グリーンホール 大ホール

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