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ホーム > インタビュー&レポート > デビュー60周年の古謝美佐子と初舞台から45周年の勘緑 沖縄民謡と文楽人形のコラボレーションで この地球(ホシ)この国(ニホン)の平和平穏を願う! 『古謝×勘緑 祈りの歌舞』を前に、共演する二人にインタビュー!

デビュー60周年の古謝美佐子と初舞台から45周年の勘緑
沖縄民謡と文楽人形のコラボレーションで
この地球(ホシ)この国(ニホン)の平和平穏を願う!
『古謝×勘緑 祈りの歌舞』を前に、共演する二人にインタビュー!

沖縄民謡を歌う古謝美佐子と文楽人形遣いとしてその可能性を自由に追求する勘緑。ジャンルの異なる両者は2006年頃に出会い、これまで50回近くもの共演を重ねてきた。古謝がデビュー60周年、勘緑が初舞台から45周年と、それぞれに大きな節目を迎えた今年は『古謝×勘緑 祈りの歌舞』と題された公演が11月23日(土・祝)に迫っている。一見意外とも思える沖縄民謡と文楽人形が結びついたワケ、『祈りの歌舞』に込められた切実なる想いとは? 今回ぴあ関西版WEBでは、古謝美佐子と勘緑にプロデューサーの佐原一哉氏を交えて、『祈りの歌舞』に至るまで経緯と今公演のテーマやポイントなどをじっくりと伺った。

古謝さんの声は土地の叫びのように聞こえる
感覚が先行して人形の即興性が存分に発揮される


――今年は勘緑さんが初舞台から45周年、古謝さんがデビュー60周年ということでおめでとうございます! はじめに、ここまで長きに渡って活動を続けてこられたそれぞれの原動力から聞かせてください。

勘緑「そうですね、僕は徳島の田舎の人形のルーツみたいなところで生まれているので、ちっちゃいときからずっと見てきた人形を好きでいられたっていうのが僕の1番の原動力ですね。人形でやると恥ずかしくないですしね。(役者として自分が演じるよりも)とても感情移入もしやすいんです。こう見えて恥ずかしがりなんで...。誰もそう言うてくれんけど()。だから、人形っていうのは自分の気持ちを出すのに、すごくやりやすいアイテムではあるんです。日本の人形というのはシャーマン性が強いものですので、人形遣いは天啓を受けるような感覚で、自然と一緒になったような感じでお芝居ができるんです。うちの師匠の(二世桐竹)勘十郎も同じような考え方だったのでここまで迷わず来れました」

――ただのエンターテイメント、娯楽というより、人形遣いはもっと神聖なものなんですね?

勘緑「文楽の人はそう思ってないと思うんですよ。ただ、自分の生い立ちからそういうシャーマン的な感覚っていうのを常に持ってますね」

――古謝さんはいかがですか? ここまで続けてこられた原動力というのは?

古謝「貫禄さんが人形を好きだというのと同じように私は歌が好きだから、ずっと続けてこれたと思います。田舎育ちっていうのも一緒で、育った境遇が勘緑さんと似てるんじゃないですかね。小さい頃から、親戚の家のお祝いで歌ったり、お祭りがあったらそこに出て歌っていました。私は昭和29年に嘉手納で生まれました。その頃の、嘉手納には芝居小屋があって、そこでやっていた昔の歌芝居を、2,3歳の頃から見に行ってたんです。物心がつく前から、その舞台を見て台詞や歌や踊りを覚えて、大人と一緒に歌っていました。そうすると、お客さんは大人の役者を見ずに、私ばっかり見るので、"この子がやるとみんな役者を見ないから、連れてこないで"って、一緒に連れていってくれていたおばさんが注意されていたそうです(苦笑)

――そもそも、古謝さんと勘緑さんのコラボレーションが生まれた経緯というのは?

古謝「たぶん初共演から20年近くなると思いますが、勘緑さんがまだ文楽座にいた頃にいろんな課外活動をやられてまして、沖縄民謡とも一緒にやってみたいということで会いに来てくださったんです」

――では最初のアプローチは勘緑さんから?

勘緑「僕は文楽座に長いこといましたが、制約だらけで、やりたいことがやれず、ずっとジレンマがありました。だったら自分で開拓していこうと思ってやっていく中で出会った中に古謝美佐子さんがいたんです」

――文楽座を出でフリーになってから(2012年~)は、ジャズや現代サーカスなど、いろんなジャンルの方と共演されています。勘緑さんが古謝さんと一緒にやろうと思った理由は?

勘緑「やっぱりウチナーグチの唄がすごいソウルフルで、僕の中ではゴスペルだったんですよね。何言ってるかわからへんけど、響いてくるもんがありましてね。古謝さんの声というのは楽器みたいなもんで、言葉の意味がわからなくても、土地の叫びみたいに聞こえる。感覚が先行して、そこに人形が乗っていくっていうのが、ものすごい心地よかったんですよね。ジャズもそうですけど、それに合わせて動き出す文楽人形の即興性というのが存分に発揮できるんです。だって、(古謝さんは)打ち合わせにないことをいっぱい歌いますしね。彼女はぶっ飛びますから()。そこが(人形遣いと)すごく似合ってるっていうかね。うまくいく感じでしたね」

――人形自体も即興性があり、そこにインプロビゼーションが生まれるんですね?

勘緑「そうです。インプロです。ですから、古謝さんとやると、毎回振りが違いますよね。み~こねえねも歌いながら、アドリブの琉歌がきゅっと入ってきたり、立ち位置が変わったりして...。 今回もとてもインプロ的な舞台になりますよ」

佐原「今の音楽や芸能っていうのは。もうきっちり構成や流れが決まってるでしょ。我々はもうその時の気分でやります。もちろん演目は決まってますが、その日はちょっと歌いたくないな...と思ったら、すぐ終わったり、 お客さんの反応が良かったらどんどん長くやったりとかね()。特に『三番叟』(さんばそう)なんかは即興性に向いてますね」

勘緑「『三番叟』(さんばそう)は日本舞踊も歌舞伎も文楽も代表的なご祝儀踊りですね」

佐原「『三番叟』を沖縄のカチャーシーで勘緑さんの人形が踊ります。『三番叟』はものすごい賑やかなお祝いですけども、 基本的に沖縄の民謡も文楽人形も、情念とか沖縄の言葉で言う"情き(なさき)"が すごい大事なんですよね。たぶん、文楽人形も基本は情念の世界ですよね。だからそのへんが、ものすごく合うんですよ。沖縄の民謡って明るくて 賑やかなものだというイメージがあるけども、本来はものすごいしっとりと、人間の本当の哀しみとか喜びとかをじっくり歌い上げる"情き(なさき)"っていうのが根本にあって、 それが人形の文楽の世界とものすごく近い。 元々の大阪の文化って、やっぱり人間味というか、人情に溢れてますよね。落語とかもそうですけど、文楽っていうのはそれの代表的なものだと思います。それがやっぱり沖縄の唄と合う。 だから、さっき勘緑さんがおっしゃったように、(歌詞の)意味がわからなくても悲しいとか悔しいっていうのが歌から伝わると、それが人形に反映するんですね」

勘緑「なんか音楽的ですよね。ウチナーグチは。(言葉の意味がわからなくても)歌うとそれが伝わっちゃうんです」

――共鳴するんですね?

勘緑「そうですね。だから、(文楽人形も古謝美佐子の唄も)シャーマン的なところが1番近いと思いますね。自然に感謝するという、 そこから生まれた芸能であると思いますけどね」

佐原「沖縄の自然は厳しい。昔は電気もないし、台風が来たり、日照り続きで作物が取れなかったりすると、もう祈るしかないわけですよね。今年は豊作でありますようにとか、天災が起きないようにとか。そういうシャーマン的に、歌で 祈るっていうようなところが芸能の本質だと思うんですよね。だから、今回の『祈りの歌舞(うたまい)』というのもそういう意味で芸能の原点に通じるテーマになっていると思いますね」


この世界が戦争ばっかりしていることを嘆き悲しんで
平和になるように一緒に祈ろう


――ここまでお聞きしてきて、勘緑さんと古謝さんのコラボレーションというのは必然的だったんだなということがよくわかりました。お二人が共演を重ねてこられて、今回で何回目になりますか?

古謝「数えたことはないですが、たぶん4,50回はやってるんじゃないですかね。年に34回は必ずやってて、もう15年ぐらいやってますから」

――テーマやコンセプトは毎回違いますか?

勘緑「だいたい反戦か、人権問題ですね。今回、僕は"反戦平和"を表に出してやりたいなということを古謝さんに伝えたんです。やはり沖縄は 日本でただひとつ、地上戦が行われた場所ですから。米軍基地の問題もずっと続いていますが、今のメディアは本当のことは書いてくれないから、僕ら芸能者は少ない機会ですけど、そういうことを実際の言葉として伝えていかなければと思ってます」

――古謝さんはいかがですか? 今回のテーマに関しては。

古謝「基本的にすべて佐原に任せていますが、私は嘉手納で生まれたので、目の前に基地があって、爆音と共に育ちました。3歳の時に父親は嘉手納基地の中で亡くなったんです。同じ沖縄の人にトラックに轢かれて亡くなりました。でも母親は基地の仕事で食べていかなければいけないから、ものすごい矛盾の中で育ってるんです。"米軍反対"っていうのもずっと言えなかった。でも、孫ができてから、もうそろそろ、こういうずっと支配されたままの沖縄、日本ではダメだと思いましたね。今回も『黒い雨』という歌で戦争の悲惨さを歌います。勘緑さんの人形で、いわゆる "焼けあとくん"っていうのが出てきます。それは本当に戦場と化した沖縄の中をさまよう子供を人形で表しています。そういった本土の人にもわかりやすいようなことから、沖縄の言葉でしかわからないような昔の歌までうたいます。さっきも言ったけども、"情け歌"が好きなんですよね。そこに込められた感情が貫禄さんの人形で増幅される、するとまた歌にも反映される、そういう相乗効果っていうのがものすごくあります」

佐原「大阪は文楽人形の本場なのに、"こんな人形初めて見た"と言われる人が多いんですよね。だからやっぱり若い人や新しいお客さんを開拓していくっていうことも我々の使命じゃないかなって思いますね」

――今回の公演は"反戦平和"がテーマということですが、どんな曲目を歌うのですか?

佐原「反戦の曲ばかりだとちょっとしんどくなるから、それ以外の曲もあります。例えば遊郭の歌みたいな『遊び仲風』っていう恋の歌。"あなたの手枕で寝たい..."とか、"もう会えるかどうかわからない..."みたいなことをしっとりと三線1本でうたう、そういうエンターテインメントももちろん入れますよ。沖縄の民謡を中心に、喜納 昌吉の『花』とか、アイルランド民謡の『ポメロイの山々』とか、『アメイジンググレイス』もあります。『アメイジンググレイス』が沖縄の言葉で人形とどんなふうに絡むんだろうとか。実際に観てびっくりされる方もいると思います。どっちかというと、この世界が戦争ばっかりしていることを、一緒に嘆き悲しんで祈っていこうっていう感じも強いかもしれないですね」

勘緑「全曲に共通しているのは"祈り"ですね。"やがて来る子孫(くわんまが)の時代 この地球(ホシ)この国(ニホン)の平和平穏を願う"というキャッチコピーと同じように」

――やはり実際に生のステージを目にすれば、すごく訴えかけられるものがあると思います。

古謝「その空気感みたいなのが大切なんです。今はYouTubeとか、スマホの画面の中で見るでしょ。じゃなくて、やっぱりライブで見てもらうと、こんなにアドリブでやってるんだとか、ここでこんな動きになるんだとか、その空気感を一緒に共有するっていう感じが、やっぱり人形は伝わると思うんですよね。それを知らないのはもったいないと思う。できれば一度観にきてもらったら嬉しいです」

勘緑「古典芸能を観たことがない人は、ぜひここから見てもらって、日本の 古典芸能の良さも分かってもらいたいなと思います。沖縄の歌と古典芸能の共演が魂に響いて、明日も生きていこうと思うような気持ちになれますように」

Text by エイミー野中




(2024年11月15日更新)


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Profile

こじゃみさこ…1954年沖縄県嘉手納町生まれ。沖縄民謡歌手。初代ネーネーズのリーダー。基地の生まれ、幼少の頃から沖縄民謡に親しみ、小学生から舞台に立つ。1964年9歳で、マルフクレコードより「すーしーすーさー」でレコードデビュー。2007年より文楽人形の吉田勘緑氏とのコラボ「人形版 吉屋チルー物語」を全国各地で上演。また、音響研究者の研究により、「古謝美佐子の声は、人を癒したり健康を促進する『高い周波数域』と『ゆらぎ』を同時に持つ稀有の存在である」ということが証明されている。

かんろく…1955年徳島県池田町生まれ。早稲田大学文学部中退。文楽人形の人形遣い。元文楽座人形遣い。文楽人形の可能性を追求して文楽座を辞し、独自の人形芝居に取り組む。全国各地で地元との交流を通じて創り上げる公演を続けながら、農村舞台復活などかつての芝居文化の再生を目指している。浄瑠璃だけでなく幅広いジャンルとの融合舞台を手掛け、新作の脚本・演出なども行っている。


Live

『古謝×勘緑 祈りの歌舞』

チケット発売中 Pコード:280-675
▼11月23日(土・祝) 17:00
クレオ大阪東
全席指定-5500円
[出演]古謝美佐子/佐原一哉/勘緑+木偶舎
※未就学児童は膝上観覧無料。
[問]古謝勘緑公演実行委員会
■090-6019-4012

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