ホーム > インタビュー&レポート > ΛrlequiΩは世の中に「救い」があると感じているのか <どうでもよくなるのを待ってた>という歌詞の真意 「絶望感はうっすら持っているけど、 ずっとどうでもいいとは思えない」
――「回る球体 幼気な子 救いはみえない」は爽やかなメロディが特徴的で、ΛrlequiΩの新たな一面が見られた楽曲でした。
暁:思いっきり夏を意識する曲で、そういう作り方はΛrlequiΩとしては珍しいですね。ただ、夏を謳歌する系統ではなく、誰にでもあるような秘密、傷に触れられるような楽曲にしています。だから夏が嫌いな人でもスッと溶けこめる曲になっているのではないでしょうか。どういう風に受け止めてもらえるかなと思っていたのですが、ライブで披露しても好評な印象です。
來堵:当初は「ライブでやったとき、この爽やかな部分に対してどんなリアクションがあるんだろう」と、楽しみにしつつも掴めないところもありました。ただ事前にMVなどを観てくれる方も多く、浸透率も上がっていたので、ライブで演奏しても満足度が高い一曲になっている気がします。ΛrlequiΩはこれまで、暗い、重いというイメージの曲が目立っていたので、良い意味でのギャップが出ている気がします。
奈緒:確かにライブで演奏するたびに浸透していっている実感があります。『「SEEDS」chapter.2』でも本編のセットリストの最後に入れるのですが、良い雰囲気で一度しっかりと締まるんです。個人的にはアニメのオープニングソングにも合いそうな感覚を持っていて、それだけキャッチーでポップな曲なんだと思います。バンドの音楽性や世界観とは異質な曲であることには間違いないのですが、新しいことに挑戦している感じがあって、いつ演奏してもワクワクと良い意味での不安が押し寄せてくる曲ですね。
祥平:「回る球体 幼気な子 救いはみえない」は自分が作曲したけど、「夏の終わり」をイメージして作りました。メロディが立っていてポップな曲調を作るのが得意なので、自分のイメージ通りのものがパッケージングできたんじゃないかな。みんなが話すように「ライブでどう受け止められるか」という部分も、ライブ時の熱が曲に混ざることで、良い意味で音源以上のものを届けられるだろうと思っていました。ΛrlequiΩのライブを通せばきっと良いものになるはずだと意図していたので、だからツアーのセットリストの最後に持ってくると良い熱量になるんですよね。
――ただ、そんな爽やかなメロディのなかにあるのは、虚無感を抱かせる歌詞と世界観です。「もう世の中はどうにもならないな」という絶望感が流れている気がします。
暁:これは自分自身の作詞感覚なんですが、無責任に明るい歌詞はどうしても書けないんです。どんなことでもまず悩みや葛藤、迷いなどがあって、そういった感情を経て希望が浮かび上がれば良いかなって。おっしゃったように「世の中、どうにもならないかも」という絶望感はうっすら持っているんですが、かと言って「ずっと、どうでもいい」とはやっぱり思えなくて。そこで「じゃあ、自分はなにをしたら良いんだろう」と悩んでいたんです。その悩む時間というのが、<どうでもよくなるのを待ってた>という歌詞に繋がってくるのかも。
――なるほど。
暁:そういう意味で「待つ」なんですよね。今すぐどうにかなるものがあれば、時間が解決することもある。一方で、どうがんばっても手に入れられなかったり、解決しなかったりすることもある、それをぼやかして「救い」と言うことだけはしたくなかった。たとえばΛrlequiΩのライブを見て「救われました」と言ってくれる方もいますが、それは俺らが救ったわけじゃないんです。俺らから発信するものを受け取りに来たみんなが、自分で解決する道を見つけたんです。救いっていうのは自分のなかにあって、俺らはその手助けをしているだけ。
來堵:そういう点で、メロディは新鮮だけど歌詞はやっぱり暁らしさがありますね。だからΛrlequiΩの曲として成り立った。僕は暁の考えに近いものがあって、極論では何事も救いはないと思っているタイプ。自分でも「なんかきついな」となることがありますし。世の中のことがきつくなって、ニュースも見ることがあまりできなくなった。ただ、だからこそ実際に目で見たものだけは信じたいですね。
奈緒:基本的には悲観的な歌詞内容だけど、希望は捨てていないところも"暁節"ですね。「99は絶望でも、残りの1に賭けてみようぜ」という感じ。僕も社会を見渡すと「救いはない」と感じることが多く、最近はそれがより顕著になっている。でも暁が言うように、自分の行動次第で救いは生まれるんじゃないかなって。なにか変えたければ自分で動くしかない。SNSが当たり前の時代で、匿名性も多い社会になって、見渡せばマイナスなものばかり。プラスなものって、自然には広がらない気がします。前向きなものを得るには自分で探さないと、見つからない。だからこそ自分は基本的にはSNSをじっくり見ないようにしています。そうやって心を保ちながら、プラスなことを探すようにしています。
祥平:暁の歌詞は、この曲に儚さを膨らませてくれましたよね。ライブで最後に演奏すると、「こういう幸せな時間は当たり前じゃないんだ」ということに気づかせてもらえる。それだけ希望が持てる歌詞。みんなが言うように今って救いはない世の中だけど、だからこそ自分が本当に大切なものが見極められるんじゃないかな。これからますますそういう方向へ時代は走っていくだろうし、そうあるべき。それこそが自分にとっての一番の救いになる。みんながライブへ足を運ぶのも、そう、俺がライブをするのも、そう。大切なものだけはちゃんと守っていきたいです。
――『「SEEDS」chapter.2』は10月14日の大阪公演をもって終幕します。みなさんがおっしゃるように、自分にとって大切なものが見つかるライブになるのではないでしょうか。
暁:今回のツアーでは、自分の心が動く瞬間が毎公演ありました。同時に、「良いステージができるかどうか」の壁に何度もぶつかりました。それって「もっとこうなりたい」という欲がまだまだあるからこそ、壁にぶつかるんだと思います。だから前に進んでいる感覚がきちんとあるツアーになっています。大阪公演ではその一つの答えが見せられるはず。2月、3月におこなった『「SEEDS」chapter.1』で蒔いた種を、今は育てているところ。決して派手じゃない時間ですが、だからこそ早く花が咲く瞬間を見せたいです。
來堵:みんなでいろいろ話し合いながらツアーを進めていて、公演毎に勢いが増している感じがあります。「回る球体 幼気な子 救いはみえない」もセットリストに加わったことでまた新たな一面も見せられている。過程を重ねながらツアーをまわっている実感があるからこそ、10月14日の大阪公演ではきっと達成感が生まれるはず。めっちゃ大きい花が咲いて、そしてまた新たな種が広がっていく瞬間が見たいです。
奈緒:今までよりもみんなで作っている感覚があるツアーです。「次の公演、どうしようか」という演出からセットリストまで新しいことに挑戦していて、手持ちのものも増えている。挑戦的なライブもできています。今回は大阪公演はじめ、初めての会場も多かった。そういう意味で新鮮な気持ちで挑めてきました。「公演最終日もやることは変わらない」と思っていますが、それでもツアー最終日なの自然とファイナル感が出て、いつも通りにはいかない気もする。そういうちょっとした変化を楽しんでほしいですね。
祥平:自分のパフォーマンス、お客さんとのやりとりなど、「俺たちはこれからこうしていきたい」という礎が作れているようなツアーです。大阪公演は「来なきゃ後悔するよ」というような、これまでで一番格好良いライブを見せます。
Text by 田辺ユウキ
(2024年10月 9日更新)
▼10月14日(月・祝) 17:30
Yogibo META VALLEY
スタンディング-5500円(整理番号付、ドリンク代別途要)
※未就学児童は入場不可。【ご来場前、チケットお申し込み前に必ずご確認ください。】下記の内容にご理解、ご協力頂けないお客様はチケットのご購入、ご来場をお断りいたします。また開場・開演時間が変更となる場合がございますので予めご了承ください。https://big-up.style/vedC16yvKvhttp://arlequin-web.com/news/1930.html
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