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53歳・キャリア35年でのソロデビュー!
進化を続けるジャパニーズ・ヒップホップレジェンド
Mummy-D、「ソロは、やりたい放題でいく」

2024年2月16日、デビュー35 周年を祝した17年ぶりの日本武道館公演を大盛況のうちに終えたRHYMESTER。その祝宴をひとつの区切りとして、RHYMESTERの司令塔的存在であるMummy-Dがソロデビューを果たした。Mummy-D、現在53歳。聞く人によっては「え? ソロやってなかったの?」というほど、意外なことであるかもしれない。けれど時を重ねて、そして時が満ちたからこそのソロデビューなのだ。デビューアルバムのタイトルは『Bars of My Life』。自伝“小節”という意味を持ち、収録されている全12曲にはMummy-Dのこれまでの人生や足跡、考えていることまで赤裸々という言葉では簡単に片付かないほど、剥き出しの言葉と表現が光る。1枚通して聞くと清々しさすら感じられるこの作品をどういった思いで作り上げたのか。そもそもなぜキャリアを35年も重ねた今、ソロアーティストとして動き始めたのか。生きるジャパニーズ・ヒップホップレジェンドに、突撃だ。


50代の日本のラッパーとして

勝手にやっちゃおうと思った


――キャリアスタートから35年で待望のソロデビューをされて、アルバムリリースが大きなニュースになっています。まさか関西にもプロモーションに来られるなんて...! と在阪マスコミがざわめき立ったのも感じたのですが、ソロプロモーションをされてみていかがでしょうか。

「俺だけにスポットが当たる喜びを感じてます。RHYMESTERは非常に民主的なグループで、なんでも3分の1ずつなんですよ。だからこそ俺だけにスポットが当たるのはもう最高(笑)。撮影が俺だけなのも、アーティストっていう感じでうれしいよね」

――あはは! いいですね。アルバムリリースから少し時間が経ちましたが、プロモーションやSNSの反応を通してどんな手応えを感じられていますか?

「あんまり連絡してこなかった人から、"アルバム、すごくよかったよ"って今までにないほど連絡がきてるんです。感動したとか泣いたとか、絶賛メールが1日何通かずつ。 懐かしい人やヒップホップ業界じゃない人からも連絡がきて、みんな聞いてくれてんだなと。これはサブスクのいいところだなと思うよね。あと感想がダイレクトに届くのは、俺がインスタグラマーだからかな(笑)」

――インスタ、頻繁にアップされていますし。

「感想が聞けるってすごい励みになるよね。インスタだと好意的な意見が多く届くし、本当にうれしいです」

――グッと来る感想はありましたか?

「意外と"泣いた"っていうのが多かったのはびっくりしたかな」

―― "泣いた"っていうのは、すごくわかります。赤裸々なという言葉で片付けられないほど、パーソナルな曲の数々に感動と驚きがありました。そもそもソロ活動の構想はいつ頃からあったのでしょうか。

「20代の頃からいつかやろうっていうのはあったけど、そろそろタイミングかなと思い出したのが6〜7年前。で、実際に作り始めてみたんだけどその頃はRHYMESTERを200%回転させなきゃいけなかったから、余裕がなくて。RHYMESTERを続ける中で自分の表現力もある程度納得できるところまできたかなと思った時に、ここらで...50を目前にしてやらなきゃいけないことなんだろうなと思って始めた感じです」

――20代はまずRHYMESTERを優先した、と。

「そう。最初のヒップホップブームが2000年前後にあったのね。日々のことを思い出せないほど忙しかったし、熱量がすごかった。とにかくRHYMESTERが求められてる感じだったし、ソロをやる暇はなかったよね」

――今タイミングがきたと思えたのは、ソロでやりたいと思えることを実現できる状況が揃ったというイメージですか?

「その辺意外とね、自分の中でもまだ分かってないんだけど。うーん、なんでやりたいと思ったんだろう...? そろそろやりたいとか、俺言った?」

(Mummy-Dスタッフ)「言ってた言ってた。あと、周りも宇多丸も50までには出さないとちょっとアレだろ、みたいなことは言ってたよ」

――Mummy-Dはソロをやるべきだという空気はあったと。ご本人は気づいてないかもしれないけど。

「まぁ、どこかで自覚もしてたと思うな」

――それがRHYMESTERという母体があった上でいよいよソロをやるぞとなって、ソロアーティストとしてどういうことを表現しようとか、目指すアーティスト像はありましたか?

「今までヒップホップアーティストとしてやってきてはいたけど、イメージ的には"ヒップホップ村のちょっと外側を耕す"みたいなことをやってきたつもりなのね。例えるなら、ポップスとかロックをやっている人たちとのハブというか橋渡し。そういう立場でやってきたことで得られた自分の幅も見せたいし、その上で新しいラッパー像を見せたいっていうのはあったかな。ラッパーだからフリースタイルでできなきゃいけないとか、不良っぽくなきゃいけないとか、そういうのをなしにしてここまでやってきたのね。そうやって月日を重ねてきた50代の日本のラッパーなんかみんな知らないでしょ? そんな人いないし、これまで見たことないからさ。どういうことを歌うのかも知らないと思うんだよ。だからもう勝手にやっちゃおうと思って(笑)」

――確かにそうですね。それこそ今、若いアイドルたちもラップを当たり前のように取り入れるようになって目にしますけど、50代の日本人ラッパーって...。

「知らないでしょ? だってまだ俺しかいないもん。だから、ソロはやりたい放題でいこうかなと」

――やりたい放題しようの次は、どこから始めようとはなりませんでしたか?

「音楽に限らずアートでもなんでも、とにかく1枚目や1作目にその人の全てが出るんだって。元々持っていたやりたいことが出ちゃう。だからもう、自分の生い立ちとか性格も出ちゃうのはしょうがないじゃん、そんなのさ。丸ごと自分って感じになるだろうなとは思ってたし、やっぱりなっちゃったよね」

――そう聞くとデビューシングルとして「Bars of My Life」(Mummy-Dが生まれてから今までの人生が赤裸々に綴られた1曲)が選ばれてもおかしくなかったのかなと思うんです。でも実際デビューシングルになったのは「同じ月を見ていた」でした。この曲でソロデビューを果たしたことにどんな思いがあったのでしょうか。

「あの曲はね、 THA BLUE HERBのILL-BOSSTINOくんと...ずっとBEEF(=確執)っていってね...仲が悪かったっていうか。いや、仲悪くないんだけど。ほんとは」

――ネットで検索していただくと、ことの流れがまとめられているサイトもあるのでね。ご覧いただいて。

「そうそうそう、そういうとこで見てください。お互いスタイルは違うけどずっとやってきてるのね。ここまでシーンに残ってきたことで、もう戦友としての感覚しかないわけ。それで和解して。俺はBOSSくんのアルバムに参加(tha BOSSのアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP Ⅱ』に収録された「STARTING OVER feat.Mummy-D」)してこっちにも参加してよみたいな流れだったから、じゃあその曲から行くかって」

――そういうことだったんですね...! ILL-BOSSTINOさんとのコラボ曲がソロデビューシングルになって、昔からのファンの皆さんは歓喜というか胸を熱くした人も多いのだろうなぁと思っていました。デビューシングルのリリースからは1年になりますが、ソロとしてスタートを切ってからここまでで感じていることはありますか?

「どうかな? シングルは出しただけに近かったから、全てが動き始めたのは本当にアルバムリリースのタイミングだしね。去年はRHYMESTERのデビュー35周年ツアーもあってかなり忙しかったからね」



RHYMESTERでは歌うことができない
自分のことを、一旦出し切りたかった


――RHYMESTERのファンとしてはただただ「かっけぇ!」という震えと、うれしみの高揚感たっぷりでアルバムを聞かせていただきました。まずはこのアルバムの制作が何から始まったのかお伺いしたいです。

「とりあえず自分が生きてきた年月とスキルの全てを注ぎ込みたいっていう思いがあって。トラックメイカーからサウンドエンジニア、カメラマン、メイク、スタイリスト、全部自分にとっての最高のメンツでやりたいっていうイメージは持ってたかな。だからまずはすごく好きなトラックメイカーに声をかけるとこからスタートしたの。ただ、ラッパーはいっぱい入れちゃうとソロ感が出ないから、やりたい人はいっぱいいるけど今回は我慢しようという感じかな」

――なるほど。最近いろいろなアーティストにインタビューをしていると、アルバム制作に関して作りたい音楽を丁寧に作っていった結果、最終的にコンセプトが見えてタイトルがついたという方が多いなと感じています。ところが今回のアルバムはタイトルがガシッと掲げられていてとてもコンセプチュアルで、ワクワクしました。

「それは、自分の人生を全部込めたいみたいなものが地にあったからかな。自分を一旦出し切りたいっていう思いもあったのかもしれない。ただ、元から思っていることが曲になったから、よくある作り方でもあるけどね。最初からタイトルを『Bars of My Life』にしようと思ってたわけじゃないけど、自分のプライベートなことやRHYMESTERでは歌えないことを歌いたいと思ってた分、自然とそういう曲が増えてきたんだよね。それで"お? どうやらそういうアルバムっぽいぞ"みたいな感じで、タイトルは『Bars of My Life』がいいなって決まったの」

――その"RHYMESTERでは歌えないこと"とはどういったことですか?

「生い立ちや過ごしてきた人生のこと...とにかくプライベートなことだよね。ヒップホップってプライベートを赤裸々に語る音楽だけど、宇多丸と作詞する時はお互い共通で歌いたいことを話し合いながら作っていく感じなの。だからソロがより私的な形になったのは必然だったかな」

――そういうことなんですね。私的なことが大きな柱になっている傍らで、ジャパニーズ・ヒップホップの道を切り開いてきたトップランナーだからこその自負とか自信とか責任とか探求心がもうひとつの柱としてあるなと、作品を聞きながら感じました。自分と自分の人生を語ることで伝えたかったことというのは...?

「50 過ぎると自分の人生を振り返ったりするんだよね。それで、俺ってラッパーだったんだなって再認識したっていうかさ。20代30代の頃は先のことはわからないから、もしかしたら第2の人生とかあんのかなとかいつまでやれるかわかんないじゃん。ラップなんて若者の音楽だし若者のカルチャーだから。でもさすがに50になると、俺はやっぱりヒップホップフォーライフだったんだなって気づいて。どうやらこの先第2の人生はないらしいぞと。でも、自分はそんなにラッパーとしてステレオタイプじゃないし、不良でもない。そういうあるラッパーの人生をちょっとだけ幽体離脱しながらリリックを書くみたいな、"へえ〜こんな人がラッパーだってよ、ププ"みたいな感じで書いてんの。ラッパーのレジェンドとか言われちゃってるけど、そこに対して"へえ〜"って他人事みたいな感じなのよね」

――ご本人は他人事のように見ているとしても、ジャパニーズ・ヒップホップの道を切り開いてきた先人として今回の作品の中で「俺は歴史上の人物」と言ったり「Hardcore Hip Hop Star」と言い切っているところも、あぁもうすごいなの一言なんです。自分のことを俯瞰して見て、そういう風に書けるようになったのは...。

「年齢的に今だからかな。ただ元から超客観視する人ではあるのね。ちゃんと歌ってはないんだけど俺の中に "ププ"っていう笑えるテンションが入っていて、「Hardcore Hip Hop Star Part 3」っていうタイトルも、タイトル後に(なんちゃって)がついてるイメージなの。正直、ライブではヒップホップスターに見えるかもしれないけど、ホテルの部屋に戻ったら全然情けない夜を過ごしてるよとか、昨日の夜盛り上がって書いた歌詞は朝見たら全然ダメでしたみたいなそういう感じ。だからタイトルは一見強気だけど、中身はこんな人がやってるんですよ〜みたいなところかな」

――そういう曲は20代でのソロデビューなら書けなかった?

「たぶんね。20代の頃は自分が音楽業界の人だともミュージシャンだとも思ってなかったし。ヒップホップシーンの人に向けてしか歌ってない上に、自分はヒップホップシーンにしか存在してなかったから今みたいなことは歌えるわけないよね。今はちゃんとミュージシャンだっていう実感もあるよ」

――大衆の音楽の聞き方が変わったり、ジャパニーズ・ヒップポップはRHYMESTERが始まった頃より明らかに浸透していますし。

「シーンがめっちゃでかくなったよね。ただ、その時代その時代にやらなきゃいけないことはあるから。最初は内側に向けてそのコアを強くしなきゃいけない時代だったから、仲間内で外は全部敵だ! J-POPシーンと戦うんだ! って内側に向かって強さを作ってたけど、それが達成されると今度はシーンじゃなくて個々がそれぞれ成長しなきゃいけなくなっていくんですよ。その時期、自分たちはラッキーなことにコラボが多かったから、ロックの人はこんな作り方するんだとかたくさんの発見があって、いろんな人とコラボしていくうちに外に目が向いてきた30〜40代がありました。 それを経て、今。でも、さすがにヒップホップシーンがこんなでかくなると思わなかったけど(笑)。普通の10代の子までみんなヒップホップを聞いてるなんて、予想もしなかったから。俺は先見の明なんて全くないし、好きでやってきただけ。びっくりだよね」

――うれしいことですよね。

「今見えてるのは見たことない景色だしね。若い子たちは簡単に海外とつながったり、海外の人が日本のラップをかっこいいと思ってるなんて、俺が生きてるうちはそんな時代はこないだろうと思ってたけど、きたよね」



50を過ぎたおじさんは
ラブを歌ってもいい


――いろいろお話を聞いていると、50代に入ってソロデビューっていうのはベストタイミングだったのかもしれないですね。

「うん。自分としては、今だね」

――このインタビューと今回のアルバムを通して、初めてMummy-Dの音楽に触れる人にこの曲を聞けば自分のことをよく分かってもらえると思える楽曲を選ぶとしたらどの曲を選ばれますかという質問をしたいのですが...。

「なかなか難しいなぁ、それは」

――自伝のようなアルバムなので、正直歌詞を読めばMummy-Dという人のことを知ることはできるのですが、中でもどの曲が自己紹介になりえるかなと。

「強いて言うなら最後の「Kiss Your Life」かな。あの曲はヒップホップを超えてほとんど演歌だから。どんな人が聞いても入ってくる言葉や思いを綴ってるし。自分の生い立ちから今までを語っているのはやっぱり「Bars Of My Life」なんだけど、あれはヒップホップという前提があって作ったビートであり歌ったラップなのね。「Kiss Your Life」は単純に、届いてくれるとうれしいかな」

――そういう意味ではバラエティーに富んでいて、ものすごく"アルバムを聞いた"という満足感のある作品ですよね。

「単純に俺世代はアルバムが好きなんだよ」

――アルバムの好きなところというのは?

「1曲じゃ表現できない世界観を見せられるっていうかさ。シングルだとその曲がヒットしなきゃダメだし、自分の遊びは入れる暇がないからアルバムを通して楽しむ面白さを提案しきれないよね。みんながいいとは言わないけど俺は実はこの曲好きでみたいな、そういう楽しみ方がいっぱいあるからアルバムが好きなの。好きだからこそアルバムっぽいアルバムを作ったのかな」

――Mummy-Dの生い立ちも、考え方も、今までこういう思いでやってきたっていうことも含めていろんな側面を知ることができるアルバムだなという印象と、歌詞を見ずに聞いていても歌詞が頭に入ってくるラップだということは知っていたはずだけど驚きました。最近の若いアーティストのラップは歌詞を見ないと、"え? なんて言った?"という感じもあって。リリックも音が重視されているというか。

「いや、歌詞わかんないよね。俺もわかんないよ」

――RHYMESTERの曲もMummy-Dの曲も歌詞を見なくてもリリックがちゃんと聞こえるのは、今まで当たり前と思っていたけどすごいことなんだと。そいういう曲が入ったアルバムは、やっぱり"聞くことが"楽しいなと思います。

「まぁラップに関しては何を言ってるかわかんないかっこよさもあるはあるんだよね。でもそういうかっこよさを作るのが苦手なの。そこはもう諦めて、パッて聞いて歌詞カードを見なくても心をつかめるかどうかは大事なところだし、日本語の響きも意味が通るように作れるのは自分の武器だと思ってる。そこじゃないですかね」

――だからこそ、ながら聞き可能なBGMにはならないんですよね。

「そう! そうなんだよ! 俺の曲はながら聞きできないんだよね。あと、ダンスフロアで足を止めちゃうっていう問題があって。フロア向けはいい感じに意味を薄くして転がしていかないと。何言ってんだろう? ってなると体が止まっちゃうから、そういう曲はちゃんとそうやって作んなきゃいけない。だから今回はフロア向けとかライブミュージックではないかもしれないけど、"聞いて"ほしいなとは思います」

――私最近オーディブルで本を聞き始めたんですけど、『Bars of My Life』を聞くのはその体験に似ていると感じました。"Mummy-Dの物語を聞く"という体験が、本を聞く感覚に近かったのかもしれないです。

「オーディブルは、役者さんとかが本を読んでくれるんだよね?」

――はい。読んでくれるけど、私の場合あまりながら聞きはできなくて聞く姿勢があってこそ頭に入りました『Bars of My Life』を聞くのは体験としてそれに似ているなというか。聞こう、の気持ちで再生するとすごくクリアに物語が入ってくると言いますか。でもその時は歌詞を見なくてもいいんです。

「ふふ。そういうこと、そういうこと」

――こうなると、ソロライブにも期待してしまいます。今のところ予定はないわけですが、ソロとしてゆくゆくはこんなライブがしたいなどイメージしていることはありますか?

「座ってじっくり聞くようなヒップホップライブはやりたいかな。ファンも一緒に年取ってるから、ジャンプ! ジャンプ! って言っても膝が痛いと思うんだよ(笑)。 だからこそ今後はじっくり聞かせるようなライブをやっていきたいし、そうなっていくんだろうなって思います」

――なるほど。ちなみにこのソロプロジェクトは今後どうなっていくのでしょうか。

「コンスタントにやっていきます。それは間違いない。ていうか、1人で作ったものがみんなに褒められるのを体験しちゃったのよ。気持ちよくてしょうがないよね(笑)。手柄は全部俺のものなわけ。これ気持ちいいね。だから今は次もっといいの作るから! みたいな気分なの。50を超えて向上心が止まらないし、めっちゃ楽しいよ」

――その言葉を聞くと、すごくうれしいです。そして今後、音楽で世の中に何を示していきたいかということもお伺いしたいです。

「半世紀生きてきて、世の中少しずつでもよくなっていると思ってたんだけど、どうやらそうでもねえぞって思い始めちゃって。戦争なんて起きねえだろと思ってたけど起きたし、いろんな分断が進んでるような気がして。SNS社会でギスギスした空気もみんな感じてると思うんだよね。50過ぎて何歌ってもいいのなら、俺はみんなが優しくなれるような曲を作りたいね。ヒップホップにはバトル文化もあるけどそこは若い人に任せて、おじさんはラブとか歌っちゃっていいんじゃないかな」

――そう思えるのも、年を重ねたからですか?

「そうだね。だってもうさ、ジジイになると一筋縄ではいかないやつを演じなくていいわけ。ニコニコでいいわけ。だからもう最高よ。おじさんをめっちゃ楽しんでるの」

――追いかける者たちにとってもいいお手本になります!

「夢があるでしょ? 50でもまだやってていいらしいよってなったら、焦らないで音楽に取り組めるようになると思うからさ。そういうキャリアの積み方もあるんだなってわかってもらえたら、それはそれで夢があることだなって思うし。それこそ自分自身がめちゃくちゃ楽しいと思って今やってるからね」

取材・文/桃井麻依子




(2024年5月27日更新)


Check

Release

Debut Album『Bars of My Life』
発売中 3500円(税込)
DDCZ-2305
starplayers Records

《収録曲》
01. O.G. – Mummy-D(Produced by Mr. Drunk)
02. マイク持つ者よ – Mummy-D(Produced by Mr. Drunk)
03. Bxxxh Perfect (BACHLOGIC Remix) – Mummy-D Yoshito Tanaka(Produced by BACHLOGIC)
04. Bars of My Life – Mummy-D(Produced by DJ KRUSH)
05. 同じ月を見ていた feat. ILL-BOSSTINO – Mummy-D(Produced by DJ WATARAI)
06. Free feat. H ZETTRIO – Mummy-D(Produced by H ZETTRIO)
07. バックミラーの中の街 – Mummy-D(Produced by NAOtheLAIZA)
08. Hardcore Hip Hop Star Part 3 – Mummy-D(Produced by Sweet William)
09. 虹色 – Mummy-D(Produced by Kaztake Takeuchi, Mr. Drunk)
10. Spread Love – Mummy-D(Produced by SONPUB)
11. Be Alright (Mr. Drunk Remix) feat. ミッキー吉野 – Mummy-D Nulbarich(Produced by Mr. Drunk)
12. Kiss Your Life feat. さかいゆう – Mummy-D(Produced by さかいゆう, Mr. Drunk)

Profile

マミー ディー…ヒップホップグループ・RHYMESTERのラッパー、プロデューサーで、グループのトータルディレクションを担う司令塔。1989年に宇多丸と出会い、RHYMESTERを結成。日本のヒップホップシーンを、黎明期から開拓/牽引してきた立役者の一人。ビートメイカーとして、Mr. Drunk名義でヒップホップ界でクラシックとも呼ばれる人気曲を多数創作してきた。近年ではグループの活動含めて音楽家としてますます旺盛な活動の一方で、ドラマ、CM、舞台などに出演。役者、ナレーター業でも好評を博すなど、活動は多岐にわたっている。

Mummy-D『Bars of My Life』特設サイト
https://www.rhymester.jp/mummy-d/bars-of-my-life/