ホーム > インタビュー&レポート > “自分は弱くても価値がある” ゴスペルを愛するFurui Rihoが『LOA』で伝えたいこと
ゴスペルからは目に見えない力やエネルギー、愛を感じる
――Furuiさんは小学生の頃から15年間ゴスペルクワイアに参加されていたそうですが、ゴスペルの良さって何だと思いますか?
「ゴスペルはすごくパワーのある音楽で、盛り上がる曲は本当に楽しいし、皆で一緒に声を出してストレス発散にもなるし、サウンド的な部分でも音に厚みが出て、聞いていても素晴らしいし、わーっと踊り出したくなるほど盛り上がる時もあれば、ふと涙が出てくる時もあって。目に見えない力や人のエネルギー、愛を感じる音楽ですかね。本当に心が揺さぶられます」
――歌いながら体を揺らしたりするんですよね?
「そうですね。ゴスペルってすごく色んな種類があって。例えばアフリカンアメリカンミュージックをルーツとしたゴスペル。はたまた教会によって歌う曲が違ったり、カトリックでは厳かな雰囲気だったり。私の教会は、最初にゴスペルを教えてくれたのがアフリカンアメリカンの方だったので、ブラックゴスペルにルーツを置いたゴスペルだったんですよ。はじめはそこにどっぷり浸かっていた感じでしたね」
――皆で歌うというと合唱もそうだと思いますが、ゴスペルとは違いますね。
「踊ったり歌ったり。リズミカルなアフリカの音楽のイメージがそのままルーツとしてありますね。特殊なリズムやグルーヴが色濃く残ってる音楽だなと感じます」
――日本の小学生として普通に暮らしていると、皆で体を動かしながら歌う経験はあまりないですよね。
「確かに。日本の文化にない新しいもので私には刺激的だったし、すごく楽しかったですね」
――クワイアは何人ほどで組まれていたんですか?
「私が行ってた教会は20人ぐらいかな。皆日本人で、ワイワイ楽しくやる感じでしたね」
――ご自分でもクワイアを結成されたそうですが。
「そうなんです。ゴスペルは映画『天使にラブ・ソングを』で流行ったので、私よりも少し上の世代ががっつりハマっていたんですよね。でも同年代~下の子たちと一緒にゴスペルをやりたいなと思って、私のゴスペルの師匠の大山小夜子(Sayo Oyama)さんとクワイアを立ち上げて、5日間ワークショップをして、ライブをやるというのを何度か企画しました」
――素敵ですね。Furuiさんのお母さんが音楽好きだったそうですが、ご自分でも音楽を掘っていかれたんですか?
「自分で聴くようになったのは、ゴスペルを始めて1年後ぐらいかな。ラニー・ラッカーさんという方が日本におけるゴスペルミュージック界のパイオニアで、小学6年生くらいの頃、ラニーさんが私のゴスペルのライブを見て、ツツツってこちらに来て、"Riho, Very good! Rihoはもっと良い洋楽を聴いた方がいい!"みたいなことを言われて。初めて外国人の方に目の前でそう言われたので、すごくビックリして(笑)。圧倒されたのを覚えてるんですけど、"わかりました!"みたいな感じで、先輩にCDを借りたりして、モータウンのスプリームス、ミニー・リパートン、ホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーまで派生していくんですけど、そこからR&Bやソウル、ポップミュージックの洋楽をどんどん聴くようになりました」
――高校生からは曲作りをされていたそうですね。
「曲作りというか、人に聞かせられないくらいなんですけど、音楽の授業をサボって、1人でピアノの部屋に行って、こっそりコードをおさえて作ってた覚えがありますね」
――授業をサボって(笑)。
「ごめんなさい先生と思いつつ(笑)」
――幼少期はエレクトーンをされてたんですよね。
「そうなんです。正直ピアノを弾けるようになったかと言われると全然なんですけど、教会でたまに賛美歌を伴奏していたので、それでコード進行を覚えました。ピアノは何となく弾けるぐらいですかね」
カナダ留学で180°変わった価値観
――その後、大学生の時にカナダ留学をされたのがひとつのターニングポイントだったのかなと思いますが、語学留学だったんですか?
「大学を2年休学して、1年は日本で働いてお金を貯めて、もう1年でワーキングホリデーで行きました。語学留学というよりかは、人生経験をしに行ったのが1番大きいかもしれないですね。もちろん英語を話せるようになりたくて行ったところはあるんですけど。価値観が変わりましたね」
――留学中、印象に残っているエピソードはありますか?
「行って3日目で警察に捕まりそうになって......」
――何で!?(笑)。
「いや~これがですね、カナダのトロントに行ったんですけど、路面電車が走ってるんですよ。日本だと路上から直で乗れると思うじゃないですか。でも乗り場が地下鉄の駅に併設してあって。乗るには地下鉄の駅の改札を通らなきゃいけなくて、それがわからなくて、めちゃくちゃ細い隙間を入って直で乗ろうとしちゃって。そしたらたまたま警察の人がいて、"Hey! ダメだよ"みたいにすっごく怒られて。"罰金5万"とか書いてる看板を指差して、わーっと言われて、私何もわからなくて。でもとにかく悪いことをしてるんだという自覚はあって。"ソーリーソーリー。アイドンノーイングリッシュ"と謝って、ギリギリ最後、"じゃあしょうがねえな"みたいな感じで、無事解放してもらって。それが1番最初のカナダの思い出でした」
――すごい洗礼ですね。
「そんなこともあったりしましたけど、1番人生観が変わったのは、語学学校に4ヶ月行った後、就労ビザで働こうと思っていたけど、なかなか仕事が決まらなかったんですよ。飛び込みで履歴書を持って、『千と千尋の神隠し』ばりに"働かせてください!"と言って回って(笑)。それでも決まらなくて、貯金も底をついて、本当に明日のご飯が買えないぐらい貧乏になってしまって。命の危険と自分の不甲斐なさを感じて、本当に悲しくて、日本に帰ろうかなと思ってた時に、周りの友達が助けてくれて。お金を貸してくれたり、寄り添ってくれたりした時に、"私の存在って何てちっぽけなんだろう"と思ったんですね。今まで私の性格的に、"自分は仕事ができる"、"音楽でうまくやっていける"みたいな変な自信がずっとあって。でもそれは、弱い自分を隠して、無理矢理見ないようにしていたというか。カナダに行って自分の弱さやダメさに気づいた時に、心を入れ替えたんですね。"何て自分の価値はちっぽけで、人の愛は大きいんだろう"って。その時から人を大事にできるようになりましたし、より自分の弱さを認められるようになりました」
――なるほど。
「カナダから帰る時、バーを貸し切って、私が歌ったりして、盛大なフェアウェルパーティーを企画したら、バイト先のネイティブの友達も日本人の友達も、50人ぐらい集まってくれて。それを見た時に、私は本当に皆の愛がどれだけのものだったか、カナダで得た愛がどれだけのものだったかを感じて、とんでもない経験をしたなと思って帰ってきたんですね。今それが本当に活きてるし、価値観が180°変わった1年でしたね」
――日本ではなかなか得られない感覚ですね。
「日本にいると、自分がちっぽけだと感じることがないじゃないですか。向こうではレストランで何かを頼むにも気合い入れなきゃいけないし、銀行口座を開設することも、携帯を契約することも難しくて。1つ1つの出来事で本当に自分の無能さに気付かされましたね」
自分を許し、弱さを認めて生きる方が強くなれる
――帰国して書かれたのが、『Rebirth(2019年配信リリース)』ですか?
「いや、帰ってきてまず『嫌い』を書きましたね。『嫌い』はリリースが2021年なんですけど、実は結構前に書いていて。弱い自分を肯定する歌なんですけど、それはカナダで得たものだと思います」
――カナダに行かれたのは何年だったんですか?
「2014~2015年です」
――そうすると、『嫌い』は7~8年前にできた曲だったんですね。
「帰ってきてすぐ音楽に本気になれば良かったんですけど、全然本気になれず。"プロになりたい"と言いつつも、大学もまだ1年あったので、だらだらバイトしてましたね」
――『嫌い』は特にNakamuraEmiさんの影響が大きいそうですが、NakamuraEmiさんとの出会いも結構前だったんですね?
「そうです。2014年に行って2015年に帰ってきて、『嫌い』を書くぐらいの時に、『YAMABIKO(2016年に日本全国のラジオ局でパワープレイを獲得した楽曲。同年リリースの『NIPPONNO ONNAWO UTAU BEST』に収録)』でEmiさんの音楽に出会ってますね」
――『嫌い』は内面のネガティブやコンプレックスを正直に曲に出されていますが、自分の弱さをさらけ出すことでFuruiさん自身が救われたり、昇華していく感覚はありましたか?
「ありましたね。さっきも言ったんですけど、今までの私はずっと弱い自分を隠して生きてきて。そうやって生きてると、例えば失敗した時に自分のダメさを見つめなきゃいけなくなるじゃないですか。その瞬間、"私こんなにダメなんだ"ってすごく落ち込むんですよね。でまたそれを隠すように強さで補う。そういう生き方にすごく疲れちゃって。カナダに行って強制的に弱さを知らなきゃいけなくなって、でもある時、弱さを認められるようになって。それからは断然生きるのが楽になったんですよ。常に100点を目指して完璧な人間で生きるよりも、80点で少し劣っているけど、そんな自分を許して、弱さを認めて生きてた方が強いことに気付いたんですね。それはNakamiraEmiさんの歌詞の考え方もありますし、留学の影響もあります。日々時間が過ぎていく中で、少しずつ自分を受け入れて、強さに変えていってる、そんな感じですかね」
――自分で自分を認めるというのは、本当に時間がかかりますよね。
「かかりますね。自分のコンプレックスや弱いところを認めるのって、本当に簡単じゃない。でも1回認められると、本当に生きるのが楽になります」
飛躍した2023年、北海道で制作を続ける理由
――先ほどのお話によると、音楽への本気のスイッチが入ったのが『Rebirth』だったんですね。
「そうですね。『Rebirth』を書いたのは2019年で、帰国して数年空くんですけど、自分のことが大嫌いな時に書きました。当時、自分の価値は何もないと思っていて。大切な人との別れがあって、私の全てを失い、音楽でも成功していない。毎日バイトばかりで、お金もないし何にもない。こんな自分が嫌だ。いつか自分を好きになれる日が来てほしいという、そういう必死な想いで書いた記憶があります」
――でもそこからFuruiさんの音楽が広がった。
「ほんとに、そこから始まりました」
――その後もコンスタントに作品をリリースされて、2023年はSpotifyの「RADAR: Early Noise 2023」に選出されたり、サマソニに出られたり、大きな出来事があった年かと思います。自分の音楽が聴かれているという手応えは感じました?
「Spotifyとかだと、どんどんリスナー数が上がっていくのが目に見えるので、"こんなに増えていくんだ"って。最初に『Rebirth』を出した時なんか、リスナー数100人ぐらいだったのに、今は何十万人にもなってて。そういうところでは本当にコンスタントに活動してきて良かったなと感じますし、チームの仲間と少しずつやってきた結果がフェスにも出てきたので、手応えを感じましたね」
――2023年はどんな1年でした?
「いや~、もう人生で1番忙しい1年でした」
――今も北海道在住なんですよね。
「一応北海道にいるんですけど、結構東京に来ることも多くなってきて、年の半分ぐらいは東京にいます」
――作家活動もされておられますが、ウエイトで言うとシンガーソングライターの方が多いですか?
「今はそうです。昔は作家活動の方が多くて。色々楽曲提供をさせてもらってたんですけど、自分の活動が忙しくなってきて。最近はaoちゃんの楽曲提供(『瞬きと精神と君の歌と音楽と』2022年11月リリース)がありましたけど、スケジュール的にできる時はやってる感じですかね」
――誰かに曲を提供する時と、自分で書く時の意識は違いますか?
「違うと思います。人に書く時は、"歌う人が1番活きるものを渡したいな"という気持ちがあって。かつ、先方のチームが求めてるものをいかに読み取って形にしていくかというところに面白さがあるなと思います。自分の曲だとわがままに"表現する"というのかな。想いを表現する、心が動くメロディーを作るとか、そういう方向にいくと思いますね」
――ちなみに北海道で制作する良さはありますか?
「私の場合は、北海道に戻ると精神が安定するので。東京でももちろん制作はできるんですけど、頭の中がごちゃごちゃしたまま作るというか」
――情報も多いですしね。
「そう。だから勢いで作ってしまうところがあるんですけど、北海道に帰って作ると、ふーっと1回息を吐いて落ち着いて、すごく遠くまで見渡せるような感覚というのかな。すごく自分と向き合える。深くまで向き合って作ることができるのは、北海道かなと思いますね」
『LOA』は、最終形態にたどり着くまでの物語
――今作の『LOA』は、ここまでお話いただいたFuruiさんの気持ちが全部入った楽曲ですね。妹さんへのメッセージでもあるそうですが、妹さん、先日ご結婚されたんですよね。おめでとうございます。
「そうなんです、ありがとうございます!」
――"弱さを認めることで自分を愛せるようになるよ"というメッセージが込められていますが、最初書いた時は単純に妹さんを思って、という感じが強かったんですか?
「『LOA』は"Love One Another(=互いに愛し合う)"の略なんですけど、曲で言ってる内容は"人を愛する"んじゃなくて、"自分を愛する"なんですね。実はここに矛盾があるんですよ。なぜ矛盾があるかというと、私は最初、"Love One Another"で、"他人と自分で愛する"ということを書こうと思ってたんです」
――ふむふむ。
「相手がいる状態で曲を書いていこうとしたら、妹から電話がかかってきて、コンプレックスやトラウマで溺れていて。その時、"自分と他人を愛する以前に、この子はまず自分自身を愛せていないんだな"と気付いて。やっぱり自分に余裕がないと、人のことを愛せないと思うんですよ。例えば疲れてたら、人に優しくできなくなったりしますよね」
――できないですね。周りが全部敵になります。
「そう、そうです! 自分の中にコップがあるとしたら、まず自分を愛で満たして、溢れてきたものが他人に対する愛になるのかなと思ったので、そこから修正して書いていったのがこの曲です。実は自分のために書こうとしたけど、その後妹のために書いた感じですね」
――タイトルをそのままいこうとなったのはなぜですか?
「これはやっぱり、結局その先のゴールに『LOA』があると思ったので。何なら私、続編があると思ってるんですよ。シリーズもので『ハリー・ポッター』みたいな感じ」
――7作くらい続くんですね!
「今『賢者の石』です(笑)」
――第1章ですね。
「第1章として『LOA』とつけてもいいかなと思って。次は『LOA 2』にしようかな。最終的にゴールは『LOA』の最終形態にいくまで、そのモードやろうかなと」
――歌詞の内容は、妹さんへ伝えたいことを詰め込んだ感じですかね。
「そうですね。まあでも、私は妹の気持ちには100%なれないので、この曲が刺さるかどうかわからないんですけど。私の経験に照らし合わせたのと、妹にとってのベストはこれなんじゃないかなと思って書きました。多分妹だけじゃなく、結構皆が持ってる悩みだと思うんですよね」
――本当にそうだと思います。ぜひ弱さを認めるコツが聞きたいです。お話しされたように、自分を認めるには時間がかかりますし、"80点でいいよ"と言われて"そうなんだ"と思っても、すぐにOKを出せる自分がいなかったりする。やっぱりやり続けるしかないですか?
「"自分は弱くても価値がある"と思い続けることがいいのかもしれないです。私、『嫌い』を書いた時に、"世界で私という人間は1人しかいなくて、誰も私になれないなら、自分ができることをやろう"と思ったんですね。たとえ100点じゃなくても、自分がここに生きている理由が必ずあると思うので、それを全うしていく。弱くたって、完璧じゃなくなったって、自分が生きてる価値はある。そんな自分を抱きしめて許してあげるというのをずっと何年もやってきて、ちょっとずつ磨いて磨いてここに来てる感じです。まだ私も完全には認められてないので。多分人生かけてのプロセスだと思うんですよ」
人と人で愛すること。そこに本当の喜びがある
――"弱くても価値はある"と思い続ける。胸に刻みます。ちなみにこの曲がうまくいかない時もあった、とライナーノーツにありますが......。
「"もっとこういうメロにしたいのに思いつかない"とか、"もっと言い方あるだろ"みたいなので苦戦しました。トラックの部分でも、今までの曲は私が先頭に立って舵をとることも多くて、頭に描くゴールを共有した上で、頭の中を再現してもらうという過程があるんですけど、うまく伝えられかったり、引っ張れなかったり。"こんなんじゃ皆に響くわけがない"という感じでずっと書いてて。それでも書きながら"80点でいい"と自分にも言い聞かせて。何とか許してあげながら書いてきました」
――ゴスペル感があるサウンドにしようと思われたのは?
「前作(『PSYCHO』2023年8月配信リリース)と前々作(『Super Star』2023年5月配信リリース)は結構ポップで、"皆これ好きかな?一緒に歌えるかな?"と考えながら作って。製品的というのかな。音楽の根本って多分もっと違ったもので、それこそゴスペルみたいに揺れ動くものだし、決して商品ではないし、何かを伝えるツール。前作と前々作はそこから少し離れてしまった気がしたんですね。そういう自分に戻るのが嫌になって、じゃあ1回全部なくして、ルーツのゴスペルに戻って、しかも歌詞が大事な曲だと思ったので、本当に真っ直ぐにただ想いを綴って、私の中にある音楽を素直に出してみようと言ったのがこの曲でした」
――すごく納得しました。最後の<迷いの中に揺れる>から<一緒にNow>までは、寄り添い感が増すなと思いました。ずっと優しく説いていく感じだったのが、並走して横にいてくれる感じがあるなと。
「それも結局"Love One Another"に繋がるんですよね。1人で解決する問題じゃないと思うんですよ。皆共にいるし、誰か愛してくれる人が傍にいるし、自分自身を愛することができても、本当の愛は人と人で愛することだと私は思ってるんですね。そこに本当の愛の喜びがある。だから"自分だけじゃなく、もう1人いるんだよ"というのを表したくて、最後付け足しました」
――付け足したんですね。
「ラスサビで終わっても良かったんですけど、最後はやっぱり寄り添ってあげたいなって。"1人じゃないから一緒に乗り越えて愛を渡していきましょう"みたいなことを付け足したくて。ここはお気に入りポイントです」
――<いつかShow me>というのも良いですね。
「人生のプロセスで、妹も少しずつ自分のことを認められるようになって、そういう姿を見せてほしいという願いですね」
――温かいですね。MVのディレクターは、度々ご一緒されている大阪のクリエイターのISSEIくんです。今回はどういう感じで作っていかれたんですか?
「私が歌詞を表現したかったので、他にも素晴らしい監督さんはいるので選択肢はあったんですけど、何回もやって心通じ合ってるISSEIさんだったら、なおさら良いものが生まれるんじゃないかと思って今回お願いしました。ただISSEIさん、撮影前日に骨折して、松葉杖で来て。"嘘でしょ"って。皆にいじられながら(笑)。本当に愛されキャラで大好きです」
――しかもNakamuraEmiさんの『drop by drop(2021年リリース)』と同じロケ地だったんですよね。
「そうなんですよ!」
――改めて『LOA』はどんな1曲になったと思われますか?
「満足してます。MVが出た時に妹から連絡があって、"感動しました"と。コンプレックスやトラウマが深い子なので、私が書いた歌詞が響くだろうかというのはすごく心配だったんですけど、その一言で全て救われた感じがして。本当に想いを込めた、込められた、自分にとっても大切な曲になると思います、これからも」
――そして12月から全国5都市を廻るツアー『Live Tour -CHIT CHAT-』ですが、大阪は初日の12月9日(土)アメリカ村BEYOND。初めての都市もあるということで、どんなツアーになりそうですか?
「それこそ5都市全部、妹がコーラスに入るんですよ」
――妹さんも歌を?
「元々彼女も一緒にゴスペルをやってきて。私よりも小さい時に始めてるので、すごく優秀だし、アカペラをずっとやっていて、大学生の頃は全国大会に行くくらい、結構ガチガチにやってたんです。声の相性も良いからやろうって。今までも何回かあったんですけど、今回は久しぶりに5か所廻らせていただきます。あと大阪はキーボードとギターを迎えた編成で。本当に彼らも愛が深い人たちなので、多分すごく愛に溢れたライブになると思います」
Text by ERI KUBOTA
(2023年12月 7日更新)
Single『LOA』
配信中
《収録曲》
1. LOA
幼少期から続けたゴスペルクワイアでの活動をルーツに作詞・作曲のみならず、時には編曲にも携わる北海道出身のシンガーソングライター。ユーモアに富んだリアルな歌詞、細部までこだわったグルーヴで人気を集める。大学時代よりソロとしての活動を行っていたが、2019年にリリースされた初の配信シングル「Rebirth」が現在の活動に繋がる。2022年には「Rebirth」以降の活動の集大成となる1stアルバム『Green Light』をリリースし、アーティストとしてのポテンシャルと、自己プロデュース能力の高さを印象付けた。1st ALBUM『Green Light』は第15回CDショップ大賞2023 北海道ブロック賞を受賞。Amazon Music『Breakthrough Japan』、Apple Music『Up Next』、2023年にはSpotify『RADAR: Early Noise 2023』に選出され、配信シングル「Super Star」「PSYCHO」は続々とプレイリストインを果たし、まさに今、最も注目されるアーティストのひとり。aoをはじめアーティストへの楽曲提供も行うなど、作曲家/プロデューサーとしての顔も持ち合わせている。
Furui Riho 公式サイト
https://www.riho-music.com/
Sold out!!
▼12月9日(土) 17:00
アメリカ村 BEYOND
スタンディング-4500円(ドリンク代別途要)
※未就学児童は入場不可。
[問]キョードーインフォメーション■0570-200-888
【愛知公演】
▼12月10日(日) 池下CLUB UPSET
【北海道公演】
▼12月14日(木) PENNY LANE 24
【福岡公演】
▼12月24日(日) LIVE HOUSE OP’s
【東京公演】
▼2024年1月14日(日) LIQUIDROOM