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梅田&なんばの路上から憧れの地・東京へ!
シンガーソングライター・木下優真が
新しい自分を見せた『春夏秋冬リリース企画』

シンガーソングライター・木下優真。京都府出身、そして音楽活動を始めてからは路上でのライブを中心に活動。それも梅田の阪急百貨店のあたりや、なんばの高島屋の前と聞けば、ぴあ関西版WEBの読者ならば「あ、あそこね!」とか「見たことある」なんていう方もいるかもしれない。大阪の“路上ライブといえばあそこ”的スポットで歌い続けながら、数々のオーディションやコンテストに参加。その結果はまさにオーディションキラーと言いたくなるほど好成績をおさめまくり、夢見た彼の地・東京へと昨年進み出て、また真摯に音楽の道を歩み続けている。そんな木下が今年の春から取り組んでいるのが、季節ごとに2曲ずつリリースをしている『春夏秋冬リリース企画』だ。4月29日にリリースされた春「オレンジ/小田急ランデヴー」に始まり、12月にリリースを予定している冬の2曲まで全8曲。この完結を前に、このリリースについてはもちろん、シンガーソングライターとしてのこれまでの歩みについて振り返る、木下優真入門となるインタビューをお届けしたい。

路上からアーティストになっていきたいと
強く思いながら梅田やなんばで歌う日々


――今日はぴあ関西版WEB初登場のシンガーソングライター・木下優真さんと、Zoomをつないでいます。よろしくお願いします。

「よろしくお願いします!」

――いろいろとお話をお伺いしていきたいのですが、まずはシンガーソングライターを目指したきっかけから、木下さんに迫っていきたいと思います。

「元々は高校の頃に軽音学部でバンドをやっていて、卒業する時に将来は何か音楽に関わる仕事に就きたいなと思ったので、専門学校で音響として裏方になるための勉強をしていたのがはじめの一歩かなと思います」

――ちなみに高校生の頃はどんな音楽活動を?

「ELLEGARDENのコピーバンドで、ギターボーカルをやっていました。ただ、ロックが好きな一方でゆずさんみたいなフォークっぱい音楽も好きではありましたね」

――その後の進学というのは関西で?

「はい。大阪の専門学校で音響の勉強をしていました。そもそも音響を学ぼうと思ったのも、歌はずっと好きだったけど仕事にできるわけないとハナから思っていて。でも音楽には関わりたいから裏方になろうと考えました。どこか奥底に歌ってみたいっていう気持ちは持ったまま1年PAについて学んだところで、やっぱり表に立って歌いたくなってしまったんです」

――なるほど。それで学校は?

「学校に通いながらシンガーソングライターとして活動を始めて、ちゃんと卒業しました。音楽活動は本当に見よう見まねで始めた感じで...。ただ、当時僕の周りにはシンガーソングライターとして活動し始めた友達が結構いたんです。友達と毎日公園や家で話をしながら、鼓舞しあって頑張っていたんですけど、正直どうやって曲を作っていたかもう思い出せないですね(笑)。でも、どうせやるならこの道で生きていこうという覚悟はありました」

――それが2017年ごろで、その後働きながら音楽活動を開始されたそうで。

「そうですね。東心斎橋の歌う魚っていうアコースティックのハコにPAとして就職したんです。そこでいろんな演者さんを見て学びながら吸収させてもらいました。本当にそこでライブの仕方はもちろん、店長もミュージシャンとして活動している人だったのでCDの作り方や物販はどうするとか、教えてもらいながらやっていました。そこで得た知識をフル活用して自主制作を始めたという流れです。とりあえず最初はライブができるぐらいの数の曲を作って、弾き語りでの路上ライブをメインに活動していました」

――お? ちなみにどのあたりで?

「梅田の阪急のところとか、なんばの高島屋の前とか。そこでずっとやっていたんですけど、歌う魚の店長にせっかくライブをやっているなら、簡単なものでもいいからCDを作っておいた方がいいとアドバイスをもらって。それで音源を作りました」

――初めて路上ライブした時のことは覚えてますか? 路上ライブって、めちゃくちゃ勇気いると思うんですけど。

「...めっちゃくちゃ勇気いりましたねぇ。でも当時は路上ライブにすごく憧れがあったので、どちらかというとやりたくて仕方ない部分もあったんです。シンガーソングライターの藤田悠也くんが、梅田で路上ライブをしていたのをよく見ていて。最初は彼に憧れて、始めたところは大きかったですね。んー、初めてやった日は...本当に誰ひとり足を止めてくれなくて誰もいない道路を目の前にして歌っていたので、心が折れたことはすごく覚えてます」

――心折れちゃうと次はないというか、もうやらない! ってなりません?

「あはは! でもやるしかないと思っていたんです。路上からアーティストになるってずっと思っていました。とにかく最初は活動の仕方がわからなかったので、場所を選ばずとにかく歌っていくしかないって、むしろ焦っていて。だから心は折れつつも、がむしゃらにやっていました」

――その頃はどんな曲を歌っていたんでしょうか。

「それこそ1st EPの『growling』に入っている曲を披露したりしていました。その中の「ないない」っていう曲は今でもずっとファンの方が好きだと言ってくれる曲ですね。路上で活動を初めて1〜2年ぐらい立った時に、FM802とグランフロント大阪のMUSIC BUSKERのオーディションを受けて通過したんです。グランフロントの敷地の中で公認ミュージシャンとして路上ライブをさせてもらえるようになってから、少しずつ広がっていったかなという気はします」

――それって、これまで歌ってきた梅田やなんばとは何かが違ったから広がっていったのだと思うんですが、ご自分では何が違ったか、分析できますか?

「グランフロント前のうめきた広場でライブができるんですが、僕だけじゃなくて誰かしらMUSIC BUSKERのアーティストが歌っているんです。だからこそ毎日通りかかる方なら、"あそこで毎日誰かがライブをやっている"っていうのは知ってもらっていたのかなと思います。だからこそ、立ち止まってもらいやすかったのかな。僕より前の先輩方がそういう環境を作ってくれていたのは大きかったなと思います」

――MUSIC BUSKERとしてライブをしていて、印象に残っていることはありますか?

「やっぱりお客さんがいない中で歌っていたことかなぁ。最初の頃はまだまだ全然お客さんがいなかったので、真冬に凍えながらお客さん2〜3人の前で歌っていました。お客さんが少なかった時のことの方が、すごく覚えてるんですよね。だからこそ工夫もするわけで。いろんな先輩のやり方を研究して、どういう看板を作っているのか、どんなフライヤーのデザインを採用しているのかを調べて、自分の看板に活かしていましたね。とにかく大きく、名前がドンってわかりやすく見えるものをパソコンでデザインして作ってましたね」

――へー! でも路上ライブのミュージシャンの方の看板って、ダンボールの裏に手書きでっていうイメージがすごくあるんですけど...。

「あ、ありますよね。今より昔の方が僕のプライドも高かったと思うんです。だからこそカッコつけたかったところがあって。ちょっとでも早く大きなミュージシャンになれるように自分なりに考えた結果が、ダンボールを使わずにちゃんとデザインしたものを看板にするっていうことだったんです(笑)。効果があったかどうか疑問ですけど、その分僕はすごく出会いに恵まれていて、最初についてくれたファンの方が周りの方に布教してくださったんです。そういうことをきっかけにちょっとずつ広がっていったイメージは強くあります」

――その路上ライブをやってきたことで、今に生きていることは挙げられますか?

「メンタルが鍛えられたことですかね。お客さんがいない中で歌ったり、冷たい目で見られることも多々あったので、大抵のことでは動じなくなった気がしています」



この先の人生で、後悔はしない
決意のBIGCATワンマンと念願の上京


――2018年にMUSIC BUSKERとしてうめきた広場で歌われていたあたりから、積極的にいろんなオーディションやコンテストに出演される時期へと突入されています。こういったものに挑戦しようと思われたのは、どんなきっかけがあったのでしょうか。

「路上やライブハウスで活動を続けながら、常にどうしたら大きくなれるか、たくさんの人に知ってもらえるかっていうことの近道をずっと考えていたんです。いろいろ考えた結果、オーディションを受けて一気に知ってもらうのが一番の近道だ! と。その結論に至ってから、応募できるものには片っ端から挑戦していきました。一番記憶に残っているのは『eo Music Try』ですかね」

――"関西といえば"の名物オーディションですよね。

「はい。挑戦3年目でようやく決勝まで行けたんですけど、それまでは最終ひとつ前でダメになっていたので、悔しくて挑戦を続けていました。ただ、オーディションを受けて決勝に行けなくてもそこに至るまでのプロセスでたくさんの人に曲を聞いてもらえたり、自分を知ってもらうことができたり、コメントをいただけたりもして、着実に広まっていっている実感があったのでめげずに何度もトライすることができましたね」

――その精神を持って数々のオーディションやコンテストに挑戦された結果、まさに「オーディションキラー」とでも言いたくなるような飛躍っぷりで。

「ははははは! そうですね(笑)。こういうものに参加することで、同じく参加していたミュージシャンたちとも仲良くなったし、参加したことでたくさんのつながりができたので落ちても全然無駄じゃありませんでした。オーディションに参加して知り合った方から、CMソングをご依頼いただいたりしましたし」

――なるほど。その後2020年はコロナ禍とはいえ、CMソングを歌ったりワンマンがあったり、すごく幅を広げているなという印象を受けていました。

「実はコロナが始まる直前に、上京しようと思っていたんです。ちょうどその頃出ていたオーディションで知り合った仲間たちがみんな東京にいたり、大阪にいた子たちもみんな上京を考えていて、自分も行こうと。でもコロナでダメになって、泣く泣く大阪に留まって活動を続けることになるんですけど、内心では焦っていて、どうしようと思いながら必死でやっていた日々でした。ただ、上京できないにしても作品を作ることは諦めたくなかったのと、歌う魚で積極的に配信ライブをやっていたのでそれに参加したりしていました。あ、僕、今もずっと毎日配信を続けているんです。思えばコロナ禍で始めた習慣なので、コロナの期間がマイナスにはなっていないんですよね。むしろいい習慣ができたなと思っています」

――うんうん。シンガーソングライターとしてひとりで活動されていることも、軽やかにステップを踏めている要因かもしれないですよね。

「そうなんです。極論、携帯とギターと僕さえいれば活動できるので」

――それこそ路上で培った出たとこ勝負の精神も備わっているでしょうし。

「あははは! ありますね!」

――そしてコロナ禍が収まった気配を見せ始めた2022年にいよいよ上京されています。

「コロナが収まったというのもありますし、実は上京する前の年に祖父母が亡くなってしまったんです。コロナ禍だったので、あまり会えないままお別れになってすごく後悔したんです。それがあってから、この先の人生で回避できる後悔は積極的に回避したいと思うようになったんです」

――後悔しない人生を送りたい、と。

「そう。そのひとつが上京で、この先上京しないままだったらどこかで後悔するだろうと思いました。それならできるうちに上京しよう! って決めて、じゃあその前BIGCATでワンマンをやってから行こうと」

――さらっとBIGCATでワンマンをやってから行こうっておっしゃいましたけど、エラくデカいライブハウスですよ...(笑)?

「エラいことですよ! BIGCATの前は歌う魚でしかやったことないんです。サイズ感としては飛び級しまくってますよね。それでも絶対にBIGCATでやりたいという思いは強かったんです。なんか上京を決めてから精神的に強くなった感じがして、今ならどこでもできるっていう気持ちでした。だから背伸びしてでもBIGCATでやることで、応援してきてくれたお客さんに成長した自分を見せたい気持ちもありました」

――やった結果としては、どういう気持ちに出会えたのでしょうか。

「舞台に出て客席を見た瞬間に、想像以上に満パンのBIGCATだったんです。今までやってきたことは無駄じゃなかった、報われた気分になりました。今まで応援してきてくれたお客さんにも恩返しができた気がして、それが一番うれしかったですね」

――それほどの思いを持って大阪でラストライブをやられたわけですけど、木下さん的に、東京に惹かれる最大の理由とはなんだったと思いますか? 時代的には地方に軸足を置いたまま、活動を続ける選択肢も選べると思うんです。

「それは単純に僕が田舎者だからかもしれないですけど、東京にはすごく夢があると思っているんです。何があるか分からないから行ってみたかったという感じもあります。実際に東京には、志を持って活動しているミュージシャンやアーティストが周りにめちゃくちゃいるんです。ゴマンといる。それがめちゃくちゃ刺激になりまくっています。本当に来てよかったとしか感じていないです」



自分の中の100%の事実を歌詞した
春夏秋冬リリース企画がついに完結


――今年の春からスタートさせた、春夏秋冬それぞれの季節で2曲ずつリリースをするという『春夏秋冬リリース企画』がすごく斬新だなという思いで拝聴しました。これが上京後初のリリースになるわけですが、こういう企画でリリースをしようと思われた経緯を教えてください。

「1年を通してどういうふうに活動していこうか考えていたんですけど、自分もファンの方も1年通してワクワクできることを提案しようと思った中のひとつですね。あと、このリリースでは自分が生活の中で感じた気持ちについて日記を書くように歌詞に落とし込むことをテーマにしているんです。季節ごとに感じたことを残していきたいというのもありました」

――なるほど。現時点では春、夏、秋までがリリースされていて、12月に最終で冬がリリースになる予定です。まずはこれまでリリースしてきた6曲に関して、簡単に楽曲解説をお願いできたらと思っています。まず第1弾、春にリリースされた「オレンジ」と「小田急ランデヴー」から。「オレンジ」は切なさ満載の、冬から春にかけてのまだ少し寒さの残る頃を個人的にはイメージする曲です。

「リリースは4月だったんですが、その直前に自分自身体調を崩していて、一時関西で療養していたんです。それもあって挫折をしかけた中だったんですが、それでも上京して得られたものもたくさんあったし、仲間に出会えていいこともあったので、1年の東京での生活をそのまま曲にしました」

――ふむふむ。「オレンジ」は曲調に少し物悲しさも感じられたので、その分「小田急ランデヴー」は春来たっ! というような盛り上がりがすごくありました。

「これは電車にまつわる曲なんですけど、僕、車内で人間観察するのが好きで。この人はどういう気持ちで人生を送っているんだろうとか、表情や仕草も観察してしまうんです。電車にはいろんな人のいろんな人生があって、きっとそれぞれに大切な人や会いたい人がいるんだろうなというところから生まれた曲です」

――これぞ春、というメロディーもすごくワクワク感を煽ってくれる感じがして、夏のリリースにすごく期待がかかりました。第2弾、夏の1曲目「雨模様」は疾走感あふれるバンドサウンドで。タイトルだけ聞くと悲しい曲かな? と思いきや、爽やかな恋の始まりの歌です。

「この曲も「オレンジ」に通じるところがあるんですけど、体調を崩している間にも待ってくれていたファンの方へ向けた曲なんです。サウンド的には今までの木下優真にないような、よりポップなものを表現したくて曲作りに挑みました」

――そのままもう1曲の「フレンズ」を聞いていくと、同じく疾走感あるバンドサウンドでありながら、歌詞が切なくて...。同じ夏のリリースながら、違うアーティストの曲かなと思うほど、コントラストがありました。

「これは地元にいる保育園時代からの大親友に書いた曲なんです。ひとつの季節の中で2曲ずつ出しているので、その2曲にとにかくギャップを持たせたいと思っていて。それをうまく表現できたのかなと思っています」

――そのギャップという点を一番濃く感じられたのは秋の2曲でした。ご自身が「いなたいバンドサウンド」と表現された「花」と初めて打ち込みを取り入れたという「シーラカンス」です。すごくサウンド面が対照的でグッと引き込まれました。

「「花」は現時点での僕の人生観を歌っています。人はなんのために生まれてくるのかというテーマがあると思うんです。僕は生まれてから死ぬまでに、知らなかった感情をどんどん知っていく作業だと考えていまして。友達でも恋人でも、あなたに出会えたからこんな感情の花が咲いたんだよっていうことを言いたい曲です」

――それをあえてこの秋に持ってきたのは、何か理由があるんでしょうか。

「春、夏と体調が思わしくないままで、この頃やっと前向きになってきたことが歌詞にもサウンドにも出てきた頃なのかなと思いますね」

――なるほど。では「シーラカンス」は? 作曲を他者に委ねていることも他にないことですよね。

「プロデュースをしてもらっているひろせPと一緒に作っている曲なんですけど、「花」が明るくポップにできたからこそ、自分の心の奥底にある一番黒いものを曲にしたくてこの形になりました。自分の中ではどちらかの曲がなかったとしたら2曲ともできていなかったと思っていて。真逆に見えつつセットになっていると思っているんです。だからこそ同じCDにこの2曲が入っていることに意味があるなと思っています」

――さぁ、そしてこの後12月に最終リリースとなる冬の2曲が登場予定です。

「1曲は自分の母に向けて書きました。これまで実は反抗期が激しめだったんですよ(笑)。でも体調を崩した時に母に支えてもらったことがきっかけで書いてみようと思えました。そしてもう1曲は春、夏、秋を通してファンのみなさんに手紙を書くようなイメージで書いた曲になりました」

――ご自身の中で8曲、春夏秋冬が完結して見えてきたものはありましたか?

「このリリース以前の曲とこの企画の8曲が全然違うんです。作り方もそうですし、日常の切り取る部分も違っていて。この8曲揃ってみて、ちゃんと理想の自分に近づけているなと思います」

――作り方が違う、というのは?

「今まではこうなれたらいいなとか、理想や弱い自分のコンプレックスを歌っていたんですけど、この春夏秋冬は生活の中で感じた100%の事実を歌詞にしているので、根本的な歌詞の作り方が違っているんです」

――そうなんですね。そしてこの4枚8曲を携えて、ワンマンライブが行われます。

「今回バンドセットのライブになるんですが、大阪では上京前のBIGCATでのライブ以来になるんです。だからこそとにかく成長した自分を見せたいのと、この春夏秋冬8曲全てを初めて披露するライブになります。だからこそ、新しい自分を見せることができたらうれしいです」

Text by 桃井麻依子




(2023年10月27日更新)


Check

Release

春夏秋冬リリース企画第1弾 春盤
「オレンジ/小田急ランデヴー」
1000円(手売り限定250枚) 

春夏秋冬リリース企画第2弾 夏盤
「雨模様/フレンズ」
発売中
1000円(手売り限定250枚) 

春夏秋冬リリース企画第3弾 秋盤
「花/シーラカンス」
発売中
1000円(手売り限定250枚)

春夏秋冬リリース企画第4弾 冬盤
2023年12月8日(金)発売予定

Profile

きのしたゆうま=1997年京都府京丹後市出身。PAを目指し専門学校で勉強中の2017年に、表舞台に立つべくシンガーソングライターとしての活動を開始。大阪・梅田やなんばでの路上ライブを中心にライブを重ね、FM802&グランフロント大阪公認ミュージシャン「MUSICBUSKER」の一員としてグランフロント大阪のうめきた広場でも定期的に活動を行ってきた。その後数々のオーディションに参加してきた中で、SonyMusic主催のメジャーデビューオーディション番組『ONE in a Billion』では、総数約4000人の応募者の中からファイナリスト4人に選出され、特別審査員の清水翔太から類稀な作曲能力を絶賛される。そのほかにも日本コロムビア主催オーディション『Project110』や関西最大級のオーディション『eo Music Try 20/21』でもファイナリストに選出されるなど、その実力は折り紙つき。2022年4月、自身最大規模で開催した心斎橋BIGCATでのワンマンライブを成功させ、満を持して上京。この秋、大阪・東京でのワンマンライブを控えている。

木下優真 オフィシャルサイト
https://kinoshitayuma.com/


Live

木下優真 春夏秋冬リリース企画 冬編「グッドロマンス」

Pick Up!!

【大阪公演】

チケット発売中 Pコード:250-621
▼12月8日(金) 19:00
心斎橋JANUS
全自由-3500円(整理番号付、ドリンク代別途要)
※3歳以上は有料。本公演はスタンディングの公演になります。
[問]ウドー音楽事務所大阪支社
■06-6341-4506

【東京公演】
▼12月25日(月) 渋谷PLEASURE PLEASURE

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