ホーム > インタビュー&レポート > 2024年の活動終了に向けてどんな日々ですか? バンドのこれまで、そして今、これからの自分もじっくり見つめた the chef cooks me・下村亮介が考えていたこと
自分の命が尽きるまで
いろんな人といろんな音楽を残したい
――長い期間コロナ禍も挟まりましたが、いかがお過ごしでしたか?
「コロナ直前の2019年から2020年にかけて『Feeling』のショーケースツアーを東名阪で行ったんですね。そこから7公演ぐらいの全国ツアーを行う予定もあって、それまでの間にいろんなフェスに呼んでいただいていたんです。一時期メンバーが不安定でライブができていないこともあったけど、このリリースを機に活発にライブ活動もできるかなと思っていた矢先にパンデミックに突入しました。当時は運悪いなと思っていたんですけど、それは僕に限った話ではなかったし、エンタメ業界やミュージシャンはこの苦難を乗り越えられるだろうかとか、国に対して疑念や違和感を持ったりもしていて」
――ミュージシャンのみなさんがその頃は同じようなことをおっしゃっていました。
「そんな中でも他のアーティストの楽曲を編曲させてもらう機会もあったんです。自宅でPCと睨めっこしながら人様の音楽に介入させていただく中で、こういうふうに音楽と関わるのは自分にとってすごく楽しいことで、自分にすごく向いているかもしれないと思い始めたのがコロナに入ってから1〜2年続きました」
――人の音楽に携わる方が、今の自分には楽しいかもしれないと?
「そうですね。コロナの時は自由に動けない事情がたくさんあったから、無理してバンドとしてライブをするのは適切じゃなかったですしね。そんな中でも自分には裏方に回って誰かのために力を添えることができると思った時に、今はこちらをやるべきだよねという感じです。それで編曲が楽しいと思っていきました」
――そんな日々の中で20年続けてきたthe chef cooks meを休止するという決断をして、この3月に発表されました。実際の休止は来年の春なので、今まさに歩みを止めるまでの日々を過ごされているわけですけど、発表以降はどんな反応が届いていますか?
「長い間追いかけてくれている方からは『なんとなくそんな気がしていた』という声もありますし、もちろん別のタイミングで僕らを知ってくれた方がさみしいなと言ってくださることもあります。どちらにせよこの発表で悲しい思いをさせてしまうことはわかっていたので、そのために1年前に発表したんです」
――おぉ、そんな理由が...!
「特に長く応援してくれている方は僕らのバンドと共に一緒に年を重ねているから、ライブに行こうと思ってもご家族やお仕事の都合で行けないということもすごく多いと思うんです。だからこそ1年前から大体のスケジュールをお伝えして、悲しませてしまうけど1回ぐらい見にきてやってくださいという気持ちで」
――ファンとしては、お別れまでの準備期間をもらえた感じですね。
「僕らもみなさんのおかげでバンドを続けられたと思っているので、見にきてもらえる公演が何か所かあればきちんとお別れできるかなという気持ちはありました」
――例えば休止が10年前だったとしたらご自身もファンのみなさんも若かったわけで、最後の日までの準備期間を取ることはしなかったですか?
「10年前だったら、絶対しなかったですね。何も言わずに最後のライブをやって、昨日のライブで解散、活動終了しますという感じだったと思います」
――えー! それはどうしてですか?
「若気の至りなのか、つっぱっていたのか...友達の解散ライブに行くのも嫌いだったんですよ。当時はライブでは音楽をフラットに聞きたかった。これが最後と思って見るって、音楽そのものに対してのめり込めないというか。当時は、ですよ? 今は歴史やストーリーがあってこその音楽だと思うから、見にきてと言われたら行くと思います」
――なるほど。ちなみに解散を発表されてからのいろんな反応をどのように受け止めていますか?
「悲喜交々はありますけど、感謝しかないです。何もないところから積み木を積みあげていくように音楽を作ってきましたけど、作っても聞いてくれる人がいなければただの自己満足ですよね。ステージにあがらせてもらってなお自分の曲を聞いて楽しんでもらったり、何か活力にしてもらえるなんて、僕らがお釣りまでもらっているような気分なんです。だからこそ、応援してくれる人がいるおかげで続けられたんだよなという気持ちはより強くなっています」
――そんな気持ちを持ちつつ、休止を決意するに至ったのはどうしてだったんでしょうか。
「そうですね、実は今までも何度かあって。辞めてやるー! とか、これ以上続けていても難しいかも...とかは、今元気に活動しているバンドでもあると思うんです。そういう壁にぶち当たるみたいなことは、僕も例に漏れずありまして。バンドのパーマネントメンバーだったギターの佐藤(ニーチェ)くんが仕事の都合で音楽活動を続けていくのが難しいということで、活動から離脱したんですね。それで初めてひとりでthe chef cooks meを名乗ってリリースしたのが4年前の『Feeling』だったんですけど、その時に迷いはありました。これ、the chef cooks meって名乗る意味あるの? って」
――確かに。下村亮介ソロでもいいわけですよね。
「はい、当時はそう思っていました。最終的にthe chef cooks meとして出したのは、まぁ面白いかなという気持ちで、そのまま続行したんです。もしかしたらメンバーも戻ってくるかもしれないし、この時はそれも必然かなと思って続けました。ただ、そもそもオリジナルメンバー5人で始めて、以降たくさんのミュージシャンが関わってくれましたけど、これは見てくれる人も含めてthe chef cooks meなんじゃないかと思うようになったのはここ最近です。結局舵を取るのは自分なので続けるか辞めるかなんですけど、辞めたからといって僕の音楽人としての一生が終わるわけではなくて、編曲したりプロデュースをしたり、楽曲提供させてもらうことによって得られる新しい音楽の喜びと比べるようになってきたんです。もちろんバンドは愛してくれる人のものでもあるから、自分がしゃかりきになって続けてやるぞと思わなくなった以上は、最良の形で止めるのが美しいのではなかろうかというのが最終的な結論でした」
――そんな気持ちの推移があったんですね。ちなみにその最終的な結論につながった決定打はありましたか?
「う〜ん...いろんなことが起因しているので、これ! とは言えないですけども、お仕事として携わっていたスタジオワークですかね。そのひとつひとつの作業が、僕にとって今一番楽しいことではあります」
――長くひとつのことをやってくると、その中でも楽しいことを選びたくなる時期がやってくるのはよくわかります。
「そうですね。ただ、それが欲張りかなと思うところもあるんです。つまるところ音楽って、音を楽しむで音楽じゃないですか。より刺激的なことや一度しかない自分の人生にとってキラキラしたことを選びたいというか。だから今、終活にも近いことをやっているのかなと思っているんですけど」
――終活?
「そんなことを考えるのは早いかもしれないけど、自分の命が尽きるまでにいろんな人といろんな音楽を作って残したいという気持ちの方が上回ったという感じです」
活動終了目前でできた
制作する際の大きな"覚悟"
――今日の短いインタビュー時間の中で、こんな不躾なことをざっくりと聞くのもどうなんだろうと思いながらお伺いしたいのですが、この20年、どんな20年だったでしょうか。
「...おぉ、難しいですね。一言で言うのはすごく難しいんですけど...、どうしても人間って辛い思い出とか悲しかったこととか傷ついたことは心に残りやすいと思うんです。きっと20年すごく楽しかった瞬間とか幸せだった瞬間も多かったと思うんですけど、すごく印象的に残っているのはネガティビティの強いものが多いですね、僕は。the chef cooks meを続けるという気持ちを持って振り返ると、あれは辛かったなっていうことが多かったんですけど、活動終了を決めてから振り返ると割とどんなことも自分にとってすごく大きな出来事だったし、そうあるべきだったと肯定してあげたい気持ちが強くなって嫌だったことを思い出さなくなりました」
――それは活動終了を決めたことで、頭が切り替わったという感覚ですか?
「うん、そうですね。続けるとなると、欲望を抱かずにはいられないと思うんです」
――欲望、というと?
「例えばライブの動員を増やしたいとか、再生回数を伸ばしたいとかですね。誰しも考えることだと思うんです。発信するからには受け取ってもらいたいというか。その欲が続けないと決めるとなくなっていくんです。それがなくなると、上昇せねばという気持ちも薄れていくので、振り返る作業に移行していくんです。そうするとあの時幸せだったなとか、そもそも高校で音楽を始めた時、ハイスタのコピバンでベースをやっていて、しょぼい楽曲を友達に披露したりなんかして。いつかはpizza of deathから曲をリリースしたいなんて話していたりしたことも思い出しました。でも大学進学と共に解散しちゃったんですけど、そんなきっかけからバンドを組んでレコーディングしたり、アルバムをリリースさせてもらったり、ライブをやったりフェスに呼んでもらったり、それだけでもすごいことだよなって思うようになりましたね」
――うんうん。
「これは自分1人の力ではなし得なかったことだし、その時々で関わってくれた人のおかげでここまで辿り着けたと考えると、the chef cooks meに関してこれ以上の何かを望むことは僕にはなくなりました」
――ということはバンドとしてやりたいと思っていたことは、やり切った?
「そうですね。もしまだやり残したことがthe chef cooks meとしてあるとしたら、活動終了ということにはしなかったと思います」
――なるほど。その20年のthe chef cooks meの活動の中で、強烈に今の自分を作ったなと思える出来事をひとつ挙げることはできますか?
「ひとつですか? 難しいな。一番印象的なことですよね。やっぱりASIAN KUNG-FU GENERATIONのGotchさんとの出会いですね。自分を大きく変えてくれた出会いだったなと思います」
――その出会いで得られた一番大きなことというのは...?
「2011年の東日本大震災の後に、当時は音楽なんてやってる場合じゃないなんて声もあったんですけど、ミュージシャンとして何かできないかとストレイテナーのひなっち(日向秀和)さんが声をかけて、ライブを開催してその収益を義援金としておくろうとか、活動している人たちの支えに使ってもらおうと『HINATABOCCO』というプロジェクトを立ち上げていたんです。そこでGotchさんと初めてお会いして。インディーで活動していた自分がASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文に会うなんて考えられないことで。当時Gotchさんはタブロイド誌を作っていて、それが自費制作だったので費用捻出のためにTシャツを販売していたんですけど、彼が自分で売ろうとしていたんです。250人ぐらいのライブハウスで、自分で」
――へー! なんか直接存じ上げないけどGotchさんらしいというのが伝わります。
「ですよね。その時は驚いて、こんな人いるんだ! って。その時迷いなく、僕手伝いますよ! って手伝わせてもらったんです。ほんの10分ぐらいでしたけど。でもその時に彼は音楽だけでなく社会にも目を向けているし、僕らにも分け隔てなく向き合ってくれて、その人柄に触れたことが一番大きかったかな。こういうミュージシャンがいて欲しかったって思ったのがGotchさんだったんですよね」
――出会いがすごく衝撃的だったんですね。
「はい。そこで出会ったことをきかっけに僕らの音楽を気に入ってくれて、リリースしようとなってくれたのもGotchさんで、ご自身のインディーレーベルから出させてもらえて。僕らも30を超えていたので、あまりビジネスとしては得とは言えなかったはずなんです。若いアーティストの方が将来有望だし。やはりこんな人はいないなと、僕にとってはすごくセンセーショナルでした」
――お話を聞いていると、すごく自由な方という感じもします。
「自由、ですねぇ」
――それこそ、自分が正しいと思うことと楽しいと思うことを選ばれているんでしょうね。
「そうですね。楽しいということがどこか社会の中で困っている人とコネクトする瞬間を楽しまれているのだろうなとなんとなく思ったりします」
――うんうん、そうですね。そして今、先ほども言った通り休止への日々を過ごされながらも曲をリリースするなど歩みを続けられているという印象なのですが、原田郁子さんをフィーチャリングした「愛がそれだけ」は、どのようなところから生まれたんでしょうか。
「元々は昨年7インチを出したんです。昔作った「間の季節」という曲なんですけど、リテイクして、当時メンバーだったギターの猪爪東風(いのつめあゆ)くんが、『COMPLEX』というレコードレーベルをやっていて、レコードの日に合わせて一緒に作ろうとお誘いしたんです。そのB面に書き下ろし曲を入れようと、猪爪くんはプロデュースとして参加してくれたんですけど、ボーカリストでもありソングライターでもあるので、彼の声を入れてもらおうと「愛がそれだけ」のフックパートを歌ってもらっていたんです。これを配信はせずに7インチを買ってくれた人だけがB面として聞けるという、割と軽い気持ちで作った曲でした」
――なるほど。
「自分にとってはthe chef cooks me終わらせることを決めていたので、今までタッチしてこなかった部分や、自分が歌にしてこなかったことをあえて今のタイミングで言葉にするのはいいかもと思ってリリックを書きました。この曲は自分も気に入っているし、いろんな人に届いて欲しいという願いがあって、ちゃんとリテイクしてちゃんとみなさんに聞いてもらえる形にし直そうと思ったんです。でもテーマが極々プライベートなことなので、女性に歌ってもらいたいなと。そのボーカルはどなたがいいかといろんな人に相談している中で、僕がthe chef cooks meを始めるきっかけになったと言っても過言ではないクラムボンの原田郁子さんはどう? って提案してくれた人がいたんです」
――へー! いいですね。
「こういうことに関してはビビリなので、自分のアイデアとしては出てこなかったです。第三者に提案されたことで、郁子さんに歌ってもらっているのが鮮明にイメージできたんです。僕の中にもクラムボンのメロディーは根底にしっかりと流れているし、the chef cooks meの20周年もあるし、ここで彼女の名前が上がったのも必然だとすごく長文のラブレターを書いて送って、読んでいただけて。そしてご快諾いただけました」
――素敵! ちなみにそのラブレターにはどんなことを書いたんですか?
「ははははは! めちゃめちゃ長かったですよ。これを送られて断るのは難しいだろうなって思うぐらいの勢いでした。ほんと、書いていて申し訳なかったです。内容としては、クラムボンを知ったきっかけとか、どういう存在かとか、バンドを始めるうえでの礎となったこと、このライブにもあのライブにも行ったし、この曲が好きですとか。好きな曲にも、ライブではあまりやらない曲を書いたりとか。知識マウンティングみたいなこともしっかり盛り込みました」
――アピールですよね。でもそれがちゃんと届くって夢ありますね。
「いや〜、あのレコーディングはにわかに信じがたかったですよね」
――うんうん。ちなみに先ほど、この「愛がそれだけ」に関しては今まで歌ってこなかったことを書いたとおっしゃいましたが、そういう気分になれたのはなぜだったんでしょう?
今まで書いてきた歌詞って、どちらかというと哲学的というか...なんだろう、割と内省的であったと思うんです。それに対して「あなたが好き!」みたいなことは言ったことがなかったんです。音楽に対する愛のメッセージみたいなことは書いてきたけど、人に対する愛のメッセージは書いたことがなかったんです。自分の半径何メートル以内のことは歌ってこなかったんですよね。それは、覚悟ができたということだと思います。
――覚悟?
「20周年で、バンドの終わりが見えたところで今更覚悟かよとも思うんですけど、何かをひとつ諦めることでもあるし、締めくくるという決断は人生でもそんなに多いことではないと思うんです。その中でも自分で幕引きをすると決めた時に、残しておきたい言葉はこういうことかなとか、そんな感じでした」
――覚悟を持って今まで書けなかったような歌詞が書けたことで、ひとつ何かを突破したというか抜けたみたいな感覚はありますか?
「ありますね。ただ、肩の力を抜いてやろうやとういうところまでには達せていないですけど、何を作るにも覚悟は持って曲は書いておきたいなとは思います」
――そして9月からは『回転体再展開tour』が始まります。これは10年前のツアーを再現しようという試みですが、なぜ今これをやろうと?
「20年やってきた中で、一番the chef cooks meを知ってもらったきっかけになっているのは、『回転体』というアルバムだと思っているんです。当時は10人のメンバーでツアーを回っていたんですけど、その後にドラムのイイジマくんが脱退して、時が経ってギターの佐藤も離脱したんですけど、やっぱりゼロから一緒に作ったバンドで、紆余曲折ありながらメンバーもその間入れ替わった中で残ってくれたふたりと、後藤さんと作れた『回転体』というアルバムはすごく印象的なアルバムなんです。アルバムは10年、バンドは20年経ってこのタイミングで活動終了を決めた今振り返ると、志半ばでふたりと離れてしまったような気持ちもあったんです。必然ではあった、彼らが選んだことではあったけど、モヤっとしたまま離れていったような気もしていたので、今彼らとフラットに話して、もう1回一緒に演奏しようよって話をしたら、しっかり手を握り返してくれたふたりなんです。その長い間で会えなくなってしまった人もいる中で、せっかく続いたこのバンドの立役者でもあるふたりと、しっかり楽しく演奏できて終われたねって締められる気がしました。彼らとなら20周年をやりたいと思ったのがきっかけでしたね」
――どうですか? 今もうリハーサルはされていると思いますが、『回転体』を10年ぶりに演奏している手応えは。
「リハを重ねている中で面白いのは、『回転体』の曲って、つどつどオリジナルメンバー以外とも演奏してきているんです。つまり同じ曲なのに演奏者が違うだけでこんなにも変わるということを自分は知っているわけです。そこで今、オリジナルメンバーに立ち戻って演奏すると抗えない何かはあって、"そうだ! こんなだった!"って」
――ふふふ。すごく楽しそうですね。
「the chef cooks meってこんなバンドだったなって、何年か越しに演奏しても感じるんです。それくらいオリジナルメンバーの癖ってあるなと思いました」
――そしてゲストにはちゃんMARI(ゲスの極み乙女/ichikoro)さんの参加も発表されています。どんなツアーにしたいという思いはありますか?
「『回転体』の曲は元々彼女がキーボードを弾いてくれていたんです。僕はキーボードはやり続けていたけど理論的なことは省いて活動していたので、最低限のことを知りたいとちゃんMARIにピアノを何度か習ったんです。この人はすごいと思って、自分より彼女に弾いてもらった方がいいと『回転体』の演奏をお願いしました。今回の『回転体再展開tour』はメンツ的に昔懐かしい人たちに加えて、僕がひとりでthe chef cooks meを進めた時に助けてくれたメンバーも揃っているので、その時代が混ざっているようなよさをしっかり出せたらいいのかなと思います。楽しいことは大前提なので、よくないわけがないんです。でもこの人たちとだからこそ奏でられた『回転体』だよねっていうのが伝わればうれしいです」
――このあと、実はまだラストアルバムが控えていて、その後ラストライブへとつながっていくんですよね。
「そうです。ラストアルバムはthe chef cooks meしてやるべきことをほとんどやり尽くしてしまった中で、終わるならこんな曲を書いておこうとかこういう音楽を作っておこうというそんな気持ちでアルバムを作りたいですし、自分にとってすごく印象的なミュージシャンがたくさんいるのでなるべくならそういう方達と一緒に作りたいと思っています。自分はいろんな人たちの力を借りて、たくさんの人が参加することによる思い通りにならなさも含めて曲が変わっていくことも音楽の醍醐味だと思うので、そういったことも最後のアルバムで表現できたらと思います」
――ラストアルバムも楽しみです。最後に、the chef cooks meの活動休止後にシモリョーさんがどう進んでいくかということについて教えてください。
「全部を欲張れないこともわかるし、来年には42歳になって制限も出てくると思うんです。でも、ずっと背負ってきた看板を下ろすことによる自由さを存分に楽しめたらいいなと思っているんです。よりフレキシブルに、心の豊かさを音楽で増やしていきたいと思っています」
Text by 桃井麻依子
(2023年9月 1日更新)
Digital Single
「愛がそれだけ feat.原田郁子」
配信中
only in dreams
ザ シェフ クックス ミー=ボーカルソングライティング、キーボード・シンセサイザー奏者、アレンジメント、ビートメイキング、リミックスまでこなし、近年はLiSA、ASIAN KUNG-FU GENERATION Gotch(後藤正文)などのプロデュース・編曲・サポートなどで活躍する、シモリョーこと下村亮介を中心に2003年に結成。幾度かのメンバーチェンジの後、2013年9月、ASIAN KUNG-FU GENERATION・後藤正文プロデュースのもと彼のレーベル『only in dreams』より3rdアルバム『回転体』を、2019年10月に4thアルバム『Feeling』をリリース。the chef cooks meの活動にとどまらず、下村亮介個人として作曲・編曲・共同作詞をはじめとした幅広いアーティストの楽曲制作へ参加するなど、プロデュースワークにも定評がある。2023年に迎えたバンド結成20周年をひとつの区切りとして、来年2024年の3月のライブを持ってthe chef cooks meとしての活動を終了することを発表した。
the chef cooks me オフィシャルサイト
http://thechefcooksme.com/
[参加メンバー]
Gt : 佐藤ニーチェ
Dr : イイジマタクヤ
Ba : 中西道彦(Yasei Collective)
Key:ちゃんMARI(ゲスの極み乙女 / ichikoro)
Vo / Cho : Noni
Sax / Flute : 永田こーせー
Trumpet : 大泊久栄
Trombone : NAPPI
【鹿児島公演】
▼9月9日(土) 鹿児島CAPARVOホール
チケット発売中 Pコード:243-133
▼9月15日(金) 19:00
Shangri-La
全自由-5500円(整理番号付、ドリンク代別途要)
[メンバー]佐藤ニーチェ(g)/イイジマタクヤ(ds)/中西道彦(b)/ちゃんMARI(key)/Noni(vo、cho)/永田こーせー(sax、fl)/大泊久栄(tp)/NAPPI(tb)
※3歳以上は有料。
※チケットの不法転売・譲渡禁止。
※販売期間中は、インターネット(PC・スマートフォン)のみで販売。1人4枚まで。チケットは、9/1(金)朝10:00以降に引換えが可能となります。
[問]GREENS■06-6882-1224
【東京公演】
▼2024年3月19日(火) Spotify O-EAST