インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 僕らがファンタジーを創るバンドになるまで EP『春めく私小説』でメジャーデビューという新章へ クジラ夜の街インタビュー


僕らがファンタジーを創るバンドになるまで
EP『春めく私小説』でメジャーデビューという新章へ
クジラ夜の街インタビュー

“ファンタジーを創るバンド”こと、クジラ夜の街が、5月10日にEP『春めく私小説』でメジャーデビューする。高校の軽音楽部の選抜メンバーで結成された宮崎一晴(vo&g)、山本薫(g)、佐伯隼也(b)、秦愛翔(ds)の4人は、高校在学中から『Tokyo Music Rise 2019 Spring』や高校軽音楽部全国大会で優勝、さらにオーディションを勝ち抜いて優勝し、『ROCK IN JAPAN FES. 2019』や『SUMMER SONIC 2019』にも出演した経歴を持つ。そんな彼らがどんな高校時代を過ごしてきたのか、どんな経緯でファンタジーを創るバンドになったのか、メジャーデビューへの想いやEPについてまで、たっぷりと話を聞いた。6月からは全国6都市を廻る6周年記念ワンマンツアー『6歳』が行われる。大阪は6月9日(金)心斎橋Music Club JANUSにて。ファンタジーだけではない、リアルなバンドの生感もしっかり提示する、今確実に見るべきバンドの1つである。

オリジナル曲を作れないバンドは即解散。強豪部で培った基礎体力


――皆さんは軽音楽部のできる人たちが集まったバンドということで。

全員「(笑)」

宮崎「まさしくその通りです。都立武蔵丘高校の軽音部でして、強豪校として有名だったんですね。顧問の先生が面白い方で、コピーをせずにオリジナル曲を作ることだけを部員に課していたり、最初の合宿で曲を作れなかったバンドは解散させられたり」

――そうなんですか! 厳しい、すごい。

宮崎「僕はその部風に中学の時から惹かれていて、それで入った形だったんですけども。コピー禁止とは言っても、1年生は入部していきなりバンドを組むんじゃなく、最初にくじ引きでとりあえず育成バンドを決めるんですよね。僕らの代は7バンドくらいできたのかな。で、各バンドに先輩バンドが1組ずつ付いて、2ヶ月の間に課題曲のGreen Dayの『アメリカン・イディオット』と、各自バンドで決めた自由曲の2曲を練習するんです。曲の練習だけじゃなく、楽器を持ってない人は買いに行ったり、機材や教室の使い方、アンプの電源の付け方なんかを先輩から学んでいって。その集大成の育成発表会が6月21日にありまして、それが僕らの結成日になります」

――なるほど。

宮崎「育成発表会は、各バンドの各パートから1番秀でていた人を幹部と先生が判断して、その代を引っ張っていくバンドを決める選抜システムで、僕らは全員それに受かったメンバーです」

――選抜前にお互いを意識しあったりされていたんですか?

宮崎「薫や秦は中学の時から楽器を弾いていて、僕と佐伯は育成バンドが同じだったので、ベースをすごく頑張ってるのを知っていたし、自分が曲を作るのもアピールしていたので、やる気のある4人みたいなのは何となく意識していました。僕はこの4人で組みたいとすごく思っていたんですけど、一緒に組むためには全員が選抜バンドになるか、全員が選抜バンドにならないかしないといけないんですよ。当初は"絶対選抜バンドになるんだ"って気持ちだったんですけど、この3人に出会ってからは、その制度も終わればいいのにと思ってました(笑)」

山本「(笑)」

宮崎「実は選抜バンドのありなしは部員には聞かされなくて。"あるらしいよ"みたいな噂だけで」

山本「"今年はないかもしれないよ"みたいな(笑)」

宮崎「本当に意地悪で面白くて。発表会の日とか大事なことを敢えて言わずに、のちのち明かしたり、抜き打ちで中間発表会があったり。"やりたいことは全部自分で決めてくれ"というスタンスなので、すごく試されてる感じがして、最初は怖いんですけど」

――気を抜けないですね。

宮崎「遅刻なんかした日には、もう終わりなくらいの」

山本「彼(秦)は、めっちゃしましたけどね(笑)」

「僕は1回しましたね」

山本「1回じゃないです(笑)」

「高2の時に付き合ってた子が遅れてきたのを待ってて遅刻して。会場着いて皆の前で"すいませんでした"って」

宮崎「本当にかわいいミスも許されない部活だったんですけど、それが刺激的でした」

――どういう練習をするんですか?

山本「決まった練習があるわけじゃなくて、自分たちで動いて曲を作らないと、ライブもできない感じでした」

「スタジオの日も全部自分たちで決めて」

宮崎「一応、視聴覚室と地学室という2つの教室を使えたんですよ。ステージ上で練習できる日もあって。あと"HS-5"という丸い円盤の機械にシールドや電子ドラムのコードを挿してヘッドホンを繋ぐと生バンドを体現できる機材も顧問の先生が何個か用意してくれていて、練習には事欠かない設備が揃ってました。厳しくやるとかではなく、完全に自主的にやる感じでした」

――自主性が育つ環境だったんですね。

宮崎「そうですね、ただ曲を作ってないと、"君たちやってる意味ないよね"と言われて解散もありますね」

――では解散しないために曲を作って?

宮崎「僕は曲が作りたくて仕方なくて軽音部に入ったので、曲ができないことは1回もありませんでした。高校3年間で30曲くらい作りましたね」


脳内に描いていた通りのバンドライフ


――バンド名の由来は?

宮崎「6月21日にドラフトみたいな形でドラマチックに4人が出会いまして、その1週間後くらいに皆で決めました。そもそも僕が"クジラ"と呼ばれるバンドに憧れがありまして。例えば"渋谷のライブハウスにクジラが出るらしいよ"という響きがすごくミスマッチでロマンチックだなと思っていて。『ファイナルファンタジー10』というゲームの、クジラをモチーフにしたシンというキャラクターも好きで、巨大な生物にも憧れがあって、是非バンド名に入れたいなと。学校近くの公園だか広場で、皆で話し合う中で、ちょうど陽が落ち始めたタイミングで、"夜の街"ってアイデアが出て。"〇〇クジラ"はありきたりだけど、"クジラ夜の街"は響きがあって良いんじゃないかということで決まりましたね」

山本「ちょっと引っかかるけど、良いじゃんみたいな」

宮崎「変な言葉の組み合わせだけど。"クジラ"と"夜の街"の間に句読点を入れるとか、全部ひらがなにしてみるとか、街を別の漢字にしてみようかとかは話し合いましたけど、"クジラよるのまち"って発音は、完全に満場一致でしたね」

――その時既に曲はできていたんですか。

宮崎「多分もう皆に紹介してたよね」

山本「そうね。一晴がiphoneの"GarageBand"で1人で作ったオリジナル曲を皆で聞いたことはあって。まだバンドで演奏してはなかったんですけど、共有はしてくれてました」

宮崎「自分がせっかちで、とにかく事を急ぐ性格なので、バンドを組んだならばすぐに曲を作りたい、早くやりたい! ってことで。何なら結成当日に送ってたんじゃないかな」

山本「オーディションの前に聞かせてくれてました」

宮崎「そうだったか。そうだったかもしれない」

――曲を作れる人に出会ったのが初めてだと、皆さんインタビューで答えてらっしゃいましたね。

「僕は一晴くんと初めて会ったのが体験入部の説明会だったんですけど、GarageBandをポチポチして作曲してるすごい人がいて、当時から異彩を放ってて。作曲してる人って本当に存在にするんだと思いました。びっくり新鮮でした」

佐伯「僕は高校を選んだのが家から近かったという理由で、強豪校と知らずに入ったんです。入ったら"さあ、オリジナル曲を作ってください"と言われて、"いや、作れないんですけど"みたいなところに一晴が曲を送ってきて、これは一晴についていったらいいだろうなと思って感動しましたね」

宮崎「都立武蔵丘高校軽音楽部という空間が、あまりにも現実離れしていたというか。先輩もカッコ良いし、漫画の中みたいな雰囲気が漂ってるんですよ。放課後、クラスから部室に向かうんですけど、部室だけ空気感が全然違う。うちの学校は標準服で、制服でも自由服でもいいんですけど、軽音楽部に入るだけあって服装もオシャレな人が多くて、とにかくその空間に酔ってましたね」

――酔っていた。

宮崎「古い学校でトイレとかも汚いんですけど、部室だけはスポットライトとかPA卓とか、普通の学校には絶対ないような機材が揃っていて。その空気に当てられて、舐められちゃいけないぞってことで作曲してました。完全に漫画の登場人物になりきるような感じ。秦もこう言ってはいますけど、中学の時からドラムをやってて、ジャズドラムもできる人で。言ってしまえばモノマネっぽいジャズだけど、高校生でそんなの叩ける奴いないし、薫もエフェクターボードを既に持ってたし、本当に脳内に描いていたバンドライフがここにはあるぞと思ってたので、とにかく全部が楽しかったです。曲作りに関しても、早く皆と合わせたいという気持ちが勝ってました」



それぞれの原体験とバンドへの道のり


――宮崎さんは歌いたいという気持ちもあったんですか。

宮崎「小学校6年生の学芸会で、皆の前でソロを歌った時に歓声を浴びたんですよね。それが初めて人前に立って何かを成し遂げた成功体験で、そこから"一晴と言えば歌でしょ"と言われるようになりました。やっぱり自信になるし、自分の価値は歌にあるんだなと思ってたので、自然にボーカルを選びましたね。ボーカル以外になることは全く考えてなかったです」

――私はまだライブを拝見したことがないのですが、YouTubeのライブ映像だけでも皆さんの実力の高さがわかりました。上達するまでどのぐらい楽器に触れてこられたんですか。

「僕のドラムとの出会いは中学1年生で吹奏楽部に入った時です。別に音楽が好きだったわけじゃなくて、先輩が可愛かったというのが理由。ドラムを触ったこともないし、人前で演奏したこともない。だけどパーカッションの先輩が可愛くて打楽器をやることになって、ドラムすごく楽しいなと思って。自分はそれまで何の取り柄も熱中できるものもなかったので、運命的な出会いでした。1年生は合唱コンクールの後の余興演奏で初めて演奏するんですけど、僕は本当にクソガキだったんで、譜面を全部無視して自分で書き換えて、自分のフレーズでやって」

――いきなりアレンジを。

「めっちゃ怒られました(笑)。その時に全然知らない先輩が立ち上がって拍手してくれて、大歓声を浴びて。自分の道はここにしかないと思って。一晴くんと被っちゃうけど、自分がドラム以外になることが全然考えられなくて、ずっとここまで来た感じです。人前で演奏することに感動があって、それが今の自分に繋がってるのかなと思います」

――山本さんは?

山本「僕は中学2年生の時にギターを始めました。当時はサッカー部で、同じサッカー部にドラムとベースをやってる友達がいて、ドラムの子の家に電子ドラムがあったので、3人で集まって遊ぶようになって。その場所があったから楽しく続けられたのかなと思います。僕1人でギターをやってるだけだったら途中で辞めてたかもしれない。そういう環境が身近にあったのが、すごく運が良かったです」

――佐伯さんは?

佐伯「僕は高1で軽音部に入ってベースを始めたので、皆より初心者でした。スタジオに入る時も皆セッションで弾き始めるんですよ。でも僕だけ何もできなくて。一晴の曲を聞いて"これはキタ"と思ったのに、"うわ、俺ヤバい。終わったわ"と思いつつ、必死に食らいついて。でもどうやってここまで上手くなったんだろうなと考えたら、コピーするよりも一晴が作ってきた曲でベースラインを作ってたので、それがあってここまで来れたのかなと」

――鍛えられたんですね。

佐伯「うん、そのおかげかもしれないです。あまりコピーとかもやってこなかったので」

――コピーもそもそも禁止と言われたらね。

宮崎「コピー禁止の部活の雰囲気があったからこそ、佐伯の今があるのかなと。僕もルート(コードの中の1番基礎となる音のこと)とか全然わからなかったので、2人で手探りでベースを作るみたいなのは高校の時によくやってて、それは結構楽しかったですね。"ベースってこうやって作っていくんだ"って勉強にもなったし。だからもし佐伯が経験者だったら、僕はベースのことも曲作りのこともわからないまま行ってたかもしれない。佐伯がゼロからのスタートだったおかげで勉強できたので、それは良かったなと思いますね」


やっと見つけた"ファンタジーを創るバンド"


――"ファンタジーを創るバンド"になった経緯というのは?

宮崎「自己紹介ができるバンドになりたいなと思ったんですよね。"クジラ夜の街ってどんなバンド?"と言われた時に、結構言い淀んでたんです。正直ロックバンドではあるんだけど、ロックバンドって皆やってるし、じゃあ何だとなった時に、比較的色んな音楽ジャンルをやってるからノージャンルかなとか。でもノージャンルを自己紹介にするのも変だなってことで、2021年頃に自分たちの音楽を見つめ直したんですよね。例えば『ヨエツアルカイハ1番街の時計塔』はおとぎ話で、『ラフマジック』は魔法使いの歌で、『夜間飛行少年』は空を飛ぶ少年の歌というので、自分たちの世界観はメルヘンで幻想的でファンタジックだなと。まずそういう形が見えてきた。バンド名に立ち返ってみても、クジラ夜の街というのが、偶然なのか必然なのか、すごくドラマチックで幻想的なバンド名をしている。"じゃあ、ファンタジーを創るバンドと名乗るのはどうだろうか"という風に、今まで作ってきたものに引き寄せられるような形で、このモットーに辿り着きました」

――最初からファンタジーをテーマにしていたわけじゃなかったんですね。

宮崎「そうなんですよ。なので過去の曲を遡ってみると、全然幻想的じゃない曲もあるにはあるんです。星盤(2020年リリース『星に願いを込めて』)で言うと『無しの礫と走馬灯』や『平成』。だからこそ、生で成長してきたというか、予定調和じゃない感じが表れて僕は良いなと思って。完全に整理されていたらバンドの良さが出ないと思うし、バンドを続けてきて、やっと見つけたモットーだからこそ、そのブレもカッコ良いというか、バンドが成長してきた証なので。クジラ夜の街が最初から完成されてたわけじゃなくて、常に形を変えてるバンドなんだぞということが伝わると思います」

――"未知の体験を提供します"とも掲げておられますが、ご自身も音楽で未知の体験をされたというのはあるんですか。

宮崎「僕の場合、未知の体験はRPGゲームでしたね。これは音楽のルーツよりももっと深いところにある自分のファンタジーのルーツにもなると思ってます。あとはディズニー作品と、『シュレック』『カンフー・パンダ』といったドリームワークス作品ですね」

――なるほど。

宮崎「年の離れた従兄弟と姉がいて、DVDやビデオが家にたくさんあって。1番最初に触れたゲームが『キングダムハーツ』で、OPテーマが宇多田ヒカルさんの『光』という曲で、すごく良くて。自分でプレイして物語を進めていくRPGの体験が新鮮だったというか、映画や漫画と違って、自分で進めないと物語の奥に辿り着けない感覚が本当に冒険してるようで、そこからRPG作品を掘り下げるようになって。その蓄積がクジラ夜の街の詞世界やファンタジックな部分、音とは別のコンセプトの部分に深く結びついているのかなと思います」

――ライブでの曲への導入や没入感も、今のお話に通じるものがありますね。宮崎さんの語りや演出、各ソロパートの熱量の高さが特徴であり魅力だと思いますが、いつ頃から今のライブのスタイルになったんですか。

宮崎「意外と最初からです。軽音界隈の特徴があって、大体ライブの持ち時間が10分なんですよ。合同ライブも大会も、1曲か2曲をやる。原体験がそこなので、そうすると何が起こるかというと、短い曲数で全力を出すという。汗をかいて、目の前の人に届けることが当たり前になるんですよね。それが僕らのロックの核になってると思います。激しさや熱量は最初から根付いたもの。そこにファンタジーが掛け合わさったことで独特の世界観が出来上がってるのかなと。ギターソロで前に出たり、ドラムソロを何分もやったり、ベースソロを曲中に何度も組み込んだり、全員で爆音でファズを鳴らしたり。それは昔の軽音界隈のライブシーンから受け継がれてきたものかなと思います」

――ライブハウスで叩き上げる経験に似たことを、高校時代からされていたんですね。

宮崎「持ち時間は有限だという気持ちがすごく根付いてるんですよね。だから冗長なことは絶対しないぞと思ってました

――短い時間でいかに心に焼きつけるか。

宮崎「それが語りで曲と曲を繋げる自分たちの文化に行き着いてるんだと思います」


メジャーデビューで第3章へ



――メジャーデビューも1つの目標ではあったんですか。

「僕はメジャーデビューしたいというより、音楽で生活ができればいいというか。プロになりたいと思ったのが高校2年生の時で、ちょっと生々しい話をすると、プロの基準って人それぞれだと思うんですけど、僕はお金をもらえることだと思ったんですよ」

――大事ですよ、お金は。

「それにより自分たちの活動に責任が生まれるというか。メジャーデビューするまではお金が発生してなかったから、だからといって適当にやるとかでは全くないんですけど、部活と同じじゃないですか。プロとアマチュアの1つの境界線としてお金があると思うので、自分たちの仕事でお金が発生するぐらいに評価されることは1個の目標でした。そういう意味で言うと、メジャーデビューは目標というよりは手段だったかもしれないです」

山本「僕は音楽でプロになりたいという想いは、ギターを始めたぐらいからずっとあって。それからこのバンドを組んで、バンドでプロになることが具体的な目標になってから、メジャーをちょっと考えるようになりましたね。だから最初からメジャーデビューしたい気持ちはあったかもしれないです」

佐伯「僕はメジャーデビューしたいとかあまり思ってなくて、気づいたらなってたぐらいの感じです。正直言うと、強運でここまでやってきたので」

宮崎「僕は音楽で国民的大スターになりたいので、自分たちの作品をより多くの人に届けるために、メジャーデビューは通らないといけない場所かなとは思っていました。だから良かったですね」

――6年という時間は長かったですか。

山本「長かったです」

宮崎「まあ、長かったっすかねー」

山本「色々ありましたね」

「俺らは1章、2章、3章と呼んでるんですけど」

宮崎「高校入って結成して卒業するまでは第1章で、そこからインディーズ盤を出して、そのタイミングでコロナウイルスでライブができなくなる波乱の幕開けが第2章。メジャーデビュー発表までを2章終わりとして、メジャーデビュー日に第3章を始めようかなと思ってます。高校時代はどうだったか、高校時代も長かったか」

「高校時代は本当に大会で勝つから、結構悪者扱いされてたんですけど、全国1位にもなったし、ロッキンにもサマソニにも出たし、こんな生活を送れてる高校生はいないんじゃないかと思って」

宮崎「そうだね、現実離れはしてましたね」

「ほんとに夢かと思いましたね。そういう意味で言うと、2章の現実味がすごくて」

宮崎「叩き落とされるような感覚はありました。突然何もかも取り上げられるみたいな感覚。自分たちの曲が評価されないとかではなくて、突然僕らの目の前から消えたみたいな。挫折すらさせてもらえない感じだったので、あの時突然ゼロになったのはちょっとびっくりしましたね」

「本当に。一瞬で何もなくなった」

――それでも頑張れたのは、何がありますか。

山本「他にすることがなかったんで、皆でめっちゃ曲を作ったりして、本当に音楽にちゃんと向き合いました」

宮崎「あとやっぱりメンバーと一緒にいることは楽しかったですね。多分1人のプロジェクトだったりしたら、他の何かに目移りしてたと思うんですけど、バンドは気持ちを留めてくれるものだなと。それが悪いように作用するバンドもいると思うんですよ。"自由にできないじゃん"みたいな。でもあの時は確実にプラスに働いたと思っていて。自分たちの気持ちがどこかにフラッと行っちゃわないように留めてくれたのが、クジラ夜の街という存在だったのかなと思いますね」



新しい世界が開ける"春盤"


――メジャーデビュー作品の『春めく私小説』、気合いは入ってました?

「メジャーデビュー作ってバンドの一生の歴史になると思うんですよ。だから皆で全曲A面のつもりで作ったし、ドラムに関しては自己紹介ができるような楽器の付け方もした。妥協しないでやったつもりです」

――収録曲は元々ライブで披露されてる曲ばかりということですね。

宮崎「そうです。僕たちは新曲を作ったらライブで初披露することが多いんですよ。なので今回の『春めく私小説』も、ライブで親しまれている曲や愛されてる曲を入れようと。自分たちの武器がライブだからこそ、そうしようと決めましたね」

――タイトルにはどんな想いが込められているんですか?

宮崎「今まで星盤、海盤、夢盤みたいな感じで、"漢字+盤"というのを恒例にしてて。今回は春盤にしようというのは前々から決めていました。春にデビューするし、メジャーデビューを通して新しい春みたいな世界が開けるという意味で、春盤はぴったりだなと。で、"春めく"という言葉が綺麗なので、"春めく〇〇"が良いなと思ってた時にメンバーに投げたら、薫が"私小説なんかいいんじゃないか"って。フィーリングも込みで各曲がバラバラだからという理由だったんですけど、僕の中でも結構繋がる部分があって。バラバラだけど各曲の主人公が自分の気持ちを吐露しているところは確かに私小説らしいなと思ったので、『春めく私小説』にしました」

――色んな楽曲がある中でリード曲を『BOOGIE MAN RADIO』(M-3)にされた理由が気になります。クジラ夜の街っぽくない曲だとも思うのですが。

宮崎「ダークファンタジーを意識した曲なんですけど、そもそもこの曲を入れるか入れないかも結構迷っていたんです。それをリード曲にさせてもらったのは、この中でどう考えても1番ライブで盛り上がる曲が『BOOGIE MAN RADIO』だったんですよね。この曲の前に必ず歓声が起こる。明らかに愛されている。確かな手応えがある。クジラ夜の街っぽくないのは僕も思ってて、だけど実際"っぽい"って何なのかなと。『BOOGIE MAN RADIO』の詞世界と性質を見た時に、<夜更かしのヒーロー ブギーメンレディオ参上 電波jack>みたいな言葉も、1つのクジラ夜の街の形だと思いまして。何ならむしろ王道なんじゃないかと。この曲をリード曲に据え置くことで、クジラ夜の街が色んなファンタジーを表現できるとアピールする曲になるのではと思ったし、きっとこの曲がやってくれるだろうという期待も込めました」

――すごく納得しました。あとは間奏のアンサンブルの聞き応えがすごくある。個々の楽器が立っていると言いますか。

山本「それは結構作る時に意識しますね。"ここはこの楽器を主役にしよう"みたいなのは、セクションごとに決めてやってる感じはします」

佐伯「俺は『BOOGIE MAN RADIO』に関してはベースが主役だなと感じてて。自分が弾きたいフレーズを入れまくった感じです」

――気持ち良く弾いているんだろうなというのが本当に伝わるんですよね、クジラの楽曲は。

山本「ありがとうございます」


日本一の高校生になった日から4年、再び大阪の地へ


――では、それぞれが思うEPの聞き所を教えてください。

宮崎「自分は『踊ろう命ある限り』(M-6)のBメロですね。<断言する>のところから、僕が語りのような形で歌ってるんですけど、あの歌い方と詞の内容は確実に自分にしかできないものだと思うので。捉え方は人それぞれだし正解はないです。とにかく自分の全てを詰め込みました。あそこを気に入っていただけたならば、クジラ夜の街をずっと好きでいてもらえるんじゃないかなと思います」

山本「自分のパートじゃなくてもいいですか。同じく『踊ろう命ある限り』の歌い出しの一晴の弾き語り。僕あそこがとにかく好きで、自分のギターよりもそこを聞いてほしいですね。マジで好きなんです」

――どういうところにグッとくるんですか。

山本「何だろう、全体的な雰囲気かな。主観的な意見になるんですけど、僕らバンドをやってく中で辛いことも結構あったんですよ。だけど今良い方向に向かってる、"今すげえ楽しんでるぜ"というのがすごく伝わってくるセクションだなと思います」

――メンバーだから言える感想ですね。

宮崎「めちゃくちゃありがたいです」

佐伯「僕はさっきも言ったんですけど『BOOGIE MAN RADIO』。自分のフェチなフレーズを入れまくってます。ソロもあるしスラップも入れてるし、ウォーキングもやったりして、曲全体で常にベースが主役になってるので、ぜひ聞いてみてほしいです」

――挑戦した部分もありますか。

佐伯「そうですね。ずっとベースが主役の曲は多分これが初めてなので、単純に作るのが楽しかったです」

――では秦さん。

「僕も『踊ろう命ある限り』です。このEPの曲のドラムは全部気に入ってるんですけど、この曲に関しては、自分で言うのもちょっとあれですけど、マジで世界に通用するドラムなんじゃないかなと自負してます。例えば1サビ前の長いフレーズ。僕はツインペダルを使わないので片足でやってるんですけど、こんなフレーズをこの曲に落とし込むプレイヤーは多分日本にいないと思うし、絶対に僕にしかできないことだと思うし、海外の上手い人が聞いても"すごいね"と言ってくれると思う。僕は3連譜の曲が得意なので、この曲は本当に僕の集大成です」

――高度なことをされているんですね。

「かなり高度なことしてます。ライブでも注目をお願いしたいです」

――最後に6月9日ロックの日のライブの意気込みをお願いします!

宮崎「2019年6月9日に大阪の地で全国大会優勝して、日本一の高校生になった日からちょうど4年なので、過去の自分に届く演奏というか、僕たちここまで来たんだよと言えるような演奏ができたらいいなと思います。きっと4年前にいた人も来てくれると思ってるので、クジラ夜の街はこれから先もどんどん大きくなり続けるんだよと証明できる日にしたいなと思います」

――過去の自分に届けるというのがまさに『時間旅行少女』(M-2)ですね。

宮崎「そうですね。時の流れも音に乗せて表現できたらなと思います」

Text by ERI KUBOTA




(2023年5月17日更新)


Check

Release

メジャーデビューEP『春めく私小説』
発売中

【初回限定盤】(CD+DVD)
3000円(税込)
CRCP-40656

【通常盤】(CD)
1000円(税込)
CRCP-40657

《CD収録曲》
01. 時間旅行 (Prelude)
02. 時間旅行少女
03. BOOGIE MAN RADIO
04. 浮遊 (Interlude)
05. ハナガサクラゲ
06. 踊ろう命ある限り

《DVD収録内容》
01. ここにいるよ
02. 詠唱
03. ラフマジック
04. あばよ大泥棒
05. 分岐
06. EDEN
07. インカーネーション
08. BOOGIE MAN RADIO
09. Holmes
10. 欠落
11. 言葉より
12. 踊ろう命ある限り
13. 時間旅行
14. 時間旅行少女
15. 序曲
16. オロカモノ美学
17. 拝啓
18. 歌姫は海で
19. 無しの礫と走馬灯
20. 再会の街
21. ヨエツアルカイハ1番街の時計塔
22. 王女誘拐
23. 夜間飛行
24. 夜間飛行少年
25. 超新星
26. Golden Night

Profile

2017年6月21日東京にて高校の同期生4人で結成。短期間のうちに多数の楽曲を制作し、都内ライブハウスで活動開始。音楽コンテスト「Tokyo Music Rise 2019 Spring」や高校軽音楽部の全国大会で優勝したあと、ロッキング・オン主催「RO JACK」オーディションで優勝し「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019」に出演。直後に「出れんの!?サマソニ!? 2019」オーディションから「SUMMER SONIC 2019」にも出演。2020年から全国各地のイベントへ出演を開始。2022年「夜景大捜査”夢を叶えるワンマンツアー”」を開催し、12月19日渋谷WWW Xでのツアーファイナルでメジャーデビュー決定を発表。2023年5月10日リリースのEP「春めく私小説」でメジャーデビュー。独特のセンスが聴き手を捉えるメロディと歌詞、そして観客を引き込もうとする熱量が圧倒的なライブパフォーマンス、必見・必聴のバンド。

公式サイト
https://qujila.com/


Live

クジラ夜の街ワンマンツアー“6歳”

【広島公演】
▼6月3日(土) Reed
【愛知公演】
▼6月8日(木) 池下CLUB UPSET

Pick Up!!

【大阪公演】

Sold out!!
▼6月9日(金) 19:00
心斎橋JANUS
オールスタンディング-4000円(整理番号付、ドリンク代別途要)
※3歳以上は有料。
※写真撮影、録音・録画禁止。
[問]清水音泉■06-6357-3666

【福岡公演】
▼6月11日(日) LIVE HOUSE OP’s
【宮城公演】
▼6月16日(金) 仙台MACANA
【東京公演】
▼6月21日(水) LIQUIDROOM

チケット情報はこちら