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初の東名阪ワンマンツアーで「花を咲かせる」
これまでの軌跡とソロ1年目を振り返る
まるりインタビュー&動画コメント

2022年3月まで男女デュオ・まるりとりゅうがとして活動していたが、りゅうがの喉の療養のため活動を休止し、4月からソロシンガーとして活動中のまるり。2022年5月には、まるりの恋バナがキッカケで生まれた優里作詞作曲の『好きだよ』でデビュー、同年8月には『ホントの私』でビクターエンタテインメントからメジャーデビューを果たした。10月にはABCテレビドラマ『壁サー同人作家の猫屋敷くんは承認欲求をこじらせている』の主題歌『星のタイヨウ』もリリース。明るく飾らないキャラと等身大の恋愛ソングで、同世代からの支持を集めている彼女が、6月に初の東名阪ワンマンツアーを行う。週の半分は名古屋でレギュラーラジオをこなす多忙な彼女に今回初インタビュー。ワンマンツアーについてはもちろん、ソロ1年目を振り返りつつ、デビューまでのことや20代で叶えたい夢についても話してくれた。大阪公演は6月18日(日)心斎橋Music Club JANUSにて開催。


歌う原点になった、合唱団での活動



――幼少期から12年間合唱団に所属されていたそうですが、入団のキッカケは?

「幼稚園で習った歌をお家でよく歌ってて、それを聞いてお父さんが、"音程合ってない?ピッチ良くない?"と思ったみたいで。母親は"そんなことないよ"と言ってたんですけど、お父さんが勝手に合唱団のオーディションに応募しちゃって、急に"今から行くよ"と連れて行かれたのがキッカケです。当時よく見てたディズニーの白雪姫に出てくる曲をいつも通り歌えばいいからと言われて歌ったら合格できたので、最初は自分の意思というよりかは、父親の親バカから始まった感じでした」

――歌うこと自体は好きだったんですね。

「歌は本当に大好きで、他の習い事も色々したけど全く続かなくて。塾は1年で4回変わったり、習字もピアノも中途半端で終わっちゃって。でも合唱団だけは18歳の卒団まで丸々在籍したので、自分の中で歌が1番好きなんやなと気づかされる場所でもありました」

――週に1回通っていたんですか。

「毎週土曜日でした。市の合唱団で小学2年生から高校3年生まで80人ぐらい集まってたのでめちゃくちゃ楽しくて、もう1個の学校みたいな感じでした。未だに仲良い子もいます」

――発表の場もあるわけですよね。

「1番大きいのが定期演奏会。それ以外にも2ヶ月に1回はコンサートをやってました。それが私の軸になってるんですけど、定期演奏会以外では病院や老人ホーム、保育園で歌っていて、年齢関係なく音楽を聴いて癒されてくれる皆を見ながら歌うことが、小さい頃から身についていったので、未だに歌う時は癒すことを1番のモットーにしています。それもふまえると、本当に全部合唱団で培われてきたなと思ってます」

――まるりさんご自身も、歌を聞いて癒される経験をされたことはありますか。

「ありますね。それこそ合唱団の、音数が少ないピアノ伴奏やアカペラってほんとに癒し効果があって。体調悪い時、"合唱団ちょっとめんどくさいな"と思っても、行くとやっぱり楽しいし、色々あった恋愛も結局は音楽を聞いて励まされてきたので、本当に欠かせないものですね」



文化祭で自分の歌の力に気がつく


――歌手として活躍していきたいと思ったのは、いつのことですか。

「ずっと合唱団に入りながらも、正直歌手になりたいとは思っていませんでした。心のどこかでは思ってたんですけど誰にも言えないというか、無理だと思ってたし、皆で歌ってるのが楽しいのもあって。それこそ高校3年生の時には就活も始まって、バスガイドになりたいと思っていました」

――そうなんですね!

「喋るのも歌も大好きやし、それを同時にできるとなったらバスガイドじゃない?と思って。私が小中高で行った修学旅行先のバスガイドさんが歌を歌われる方ばっかりで、たまたま小学校の時のバス会社が、高3の時の担任の先生と繋がりがあって紹介してもらえるということで、高3の2学期までは卒業したらそのバス会社に就職すると決めてたんです。でも、2学期の文化祭でちょっと歌ったんですよ。そこで"あれ?"みたいな。合唱団とはまた違う楽しさを感じまして。今まで人前で歌っても拍手されるだけだったけど、初めて友達に"まるりー!"と声援をもらったり、その時ちょっと気になってた男子が私の歌を聞いて連絡先を聞いてくれたことがあって。"歌すご!"って(笑)。本当に安易ですけど、私ってそれまですごく平凡な人間だと思ってたんですけど、歌うと違って見えるのかなとか」

――いいですね。

「文化祭をキッカケに私が歌が好きというのが皆にバレて、カラオケによく行くようになったんですけど、仲良い友達が失恋した時に西野カナさんの曲を歌ってくれと言われて歌ったら友達が泣き始めて。"マジですごいよ"と褒められたり。自分の歌の力を気づかされるタイミングがたくさんあって。だから先生に"バスガイドになると言ってたのに申し訳ないですけど、私音楽の道に進みたいなと思ったんです"と言ったら、全く怒らずに"マジ頑張れ"って言われて。そこから両親にも話して、いきなり東京行くのは心配やから、音楽科のある大学に進んだらという話で、進路変更をして本格的に歌の方に進む形になりました」

――文化祭で歌ったのは何の曲だったんですか?

「西野カナさんの『Darling』とJUJUさんの『奇跡を望むなら』、加藤ミリヤさんとHYの仲宗根泉さんの『YOU...』の3曲を3ステージで歌いました。その日は自分の中ですごく転機になりました」

――3ステージとも盛り上がりましたか?

「学校にあまり歌う子もいなかったので。当時の動画を見ると、正直めちゃくちゃ下手くそで、びっくりするぐらい音も外れてたけど、歌ってるだけで皆盛り上がってくれて。あの学校に進んでなかったら歌手になってないかも。本当に何が起きるかわかんないなと思いました」

――そこから大学で声学を勉強されたんですか。

「体験入学では声楽科を受けたんですけど、歌手になるというところでポピュラーボーカル学科に進んで、ボイトレも始めました。大学ではピアノや音楽史、音楽に関する授業をたくさん受けました」

――どんな歌手になりたいと思っていましたか。

「西野カナさんや浜崎あゆみさんのような、歌姫と呼ばれる歌手になりたいなと思って上京しました」



まるりとりゅうがの活動がくれたもの


――大学を出てから上京されたんですか?

「短大に進学したんですけど、2年生からまた就活しなきゃいけなかったので、親とは1年生の間にオーディションに引っかかったら音楽の道に進んでもいいけど、1年で何にもなかったら福岡で就活するように言われてたので、1年生の間にオーディションをものすごくたくさん受けました」

――それで合格して東京へ。

「そうです。受かったのは1個だけだったんですけど(笑)。本当に全部落ちてマジでヤバいと思ってたら、夏に受けたのが2月末ぐらいに電話がかかってきて。それも合格ってわけじゃなく、特待生としてレッスン生にならないかというので。よくある詐欺じゃないのかなとも思ったんですけど、これを蹴っちゃうと就活になるから行くしかないと思って、退学届を持って家に帰って。お父さんは"行ってきや"と言ってくれたんですけど、まだ18歳だったのでお母さんはすごく心配そうで。関西人で"あんた心配やからやめなさい。東京怖いよ"みたいに色々言われて、"でもママだって結婚して福岡行っとーやろ。止めんでよ"と言ったら、"まるりの人生やもんな"と認めてくれて。そこから上京したんですけど、1年間は本当にアルバイトしかしてなかったです。バイトしながらレッスンを受けてたけど、何か始まるわけでもなく同じような毎日を過ごしてて、最終的に1年間通ってこれはダメだ、何も変わらないなと思って事務所も辞めたんです。そこからまたバイトしながら、どうにかしなきゃなと思って、Twitterに自分で動画を撮って載せるというのを始めました」

――それが広がっていったんですか。

「最初は全くだったんですけど、C&Kさんの『みかんハート』という曲だけが急にたくさんリツイートしていただいて、本人にも届いて。それがキッカケでC&Kさんの担当の方が会いに来てくださってデビューの話になりました。その時りゅうがくんとよく一緒に配信していて、りゅうがくんとやることを選んで。当時は歌姫になりたいという気持ちよりもハーモニーを奏でることに快感があったので、りゅうがくんとハモるのがすっごい楽しくて。組まされたとかじゃなくて、"自分たちで頑張らん?"というので2人でやるようになった感じです」

――まるりとりゅうがとして約4年活動されたわけですが、デュオの活動から得たものを振り返ると、どんなことがありますか。

「1人だったら乗り越えられなかったこともあったし、デュオをやることで自分だけじゃなく彼の人生も乗っかって活動していたのが、本当に大きな出来事でした。たくさん喧嘩もしてぶつかったけど、自分の意見はすごく言えるようになって。りゅうがくんと組む前は、私配信中も笑えなかったり、喋るのが好きなのに上手く喋れなくて、ただただ歌ってる人というイメージで、顔もほとんど出してなかったんです。りゅうがくんに、"まるりは絶対喋ってもっと人間味出した方がいいよ"と言われて。これまでライブしてもお客さんがほんとにいなかったんですよ。女性ファンも全くいなくて。でもりゅうがくんが引き出してくれて。自分たちで曲を作るのもデュオで得たものでした。最初は歌が好きだから歌えればいいという気持ちだったんですけど、自分たちの言葉で歌う大切さを知って。だからソロになっても作詞だけでもしたいという気持ちはすごくあるし、今いる女性ファンの子たちは2人で活動してたから得られたものだなと思うので、すごく感謝しています」

――女性に聞いてほしかったんですか?

「そうですね。恋愛ソングがたくさんあったし、自分も女性なので。やっぱり同年代の子たちと一緒に年を取りたいという想いがあるので」

――浜崎あゆみさんや西野カナさんも女性からの支持が絶大ですもんね。

「私は性格がカッコ良いタイプじゃないので、歌姫と呼ばれつつも遠すぎない存在ではいたいなと。ずっと女性の方に聞いていただけると嬉しいなと思います」

――キャラを出せなかったというのが今のまるりさんからすると意外でした。

「歌手になると決めて、喋らないのがカッコ良いと思ってたんです。自分の素を見せるのも怖いとか、そういう謎の時期に入って。あと東京に行ったのも大きいです。地元の友達の前ではこんな感じなのに、東京に行って本当に喋れなくなって。何か怖いし、"笑い方キモいとか思われたらどうしよう"と思うようになって」

――怖くなってしまったんですか。

「地元の1番仲良かった友達とも色々あって、"友達作るのやーめた"みたいな時期がありましたね」

――傷ついたんですね。

「そうなんですよ。"仲良くなるの怖っ"と思って。"なら、自分のこと出すのやめよう"みたいな。多分顔にもそれが出てて、当時の写真見るとめちゃくちゃ怖いというか。あんま笑ってなかったり、メイクも今よりずっと濃くしてて。多分コンプレックスで、ちょっとでも強く見られたかったんです。デュオになってどんどん素になっていったのかな。隣に人がいるだけでも安心できるので。オーディションで声が震えちゃうことも結構あったんですけど、デュオを4年間やってたので、ソロになってもいつでも誰か隣にいるような感覚で歌えるようになりました。緊張のほぐし方も自然と学べていってたんやなと思います」

――デュオの経験は大きかったんですね。

「今は休止してますけど、本当に無駄じゃなかったなと思うし、2人の楽曲も皆が聞き続けて、私たちが歌い続ければ消えないですし。これからも大切やなと思いますね」

――ライブでは即興もされていたそうですが、歌い方の幅が広がったりなどはありました?

「正直、即興ソングは8割ぐらいふざけてたんですよ。"かさぶた取れちゃった"という題名で1曲作るとか。基本りゅうがくんが作詞作曲してくれてたんですけど、2人で歌うとなった時に私が高音担当で、自分は高い声が特徴的なんやと気づかされました。最初はソロになってから1曲丸々自分の声というのに違和感があって。りゅうがくんの低音ボイスが入ってたことで、私のキンキン声が調和されてたんやと。りゅうがくんが歌ってたパートも自分で歌うことになるから不安もあったけど、今は楽しく歌えてます」



歌を通して皆に恩返ししたい


――ソロデビュー1年目はどんな年でしたか。

「まるりとりゅうがをめちゃくちゃ準備して休止したというよりかは、割とギリギリまでやってすぐソロが始まったので、本当に最初はバタバタでした。切り替えも難しかったし。同時に4月からラジオ番組で毎週水・木・金は名古屋に行く生活が始まったので、ずっと目まぐるしかったです。私は最初からメジャーデビューだったわけでもなく、尊敬しているアーティストの優里くんが楽曲提供してくれたところから始まったので、ソロになっても助けてくれる方に巡り合えて。ファンの皆もですけど、私って本当に助けられてる人生やなと思ったので、ソロになったからには歌を通してどんどん皆に恩返ししていけるような活動ができたらなと思っていました。1曲目の『好きだよ』(2022年5月リリース)を出した後、ありがたくもタイアップをいただいて。TBSドラマストリーム『パパとムスメの7日間』のEDテーマ『ホントの私』(2022年8月リリース)を出すことができて」

――『ホントの私』はまるりさん作詞の楽曲ですね。

「提供を抜きにした1発目でビクターさんからメジャーデビューさせてもらうとなったので、"もうですか!?"という気持ちが大きかったです。元々デビューまですごい時間がかかっていて、ソロでもそれを覚悟でやってたので、ほんとにありがたい話やなと」

――メジャーデビューしたいという気持ちはあったんですね。

「今はそんなにメジャーとかインディーズとか関係ない時代になってきてると思うんですけど、やっぱりまるりとりゅうがでメジャーデビューしてたので、まるりとりゅうがで達成したことは絶対ソロでも達成したくて、目標にしてました」

――1年目は忙しかったけど、やりたいこともやれた感じですか。

「思うこともたくさんあったんですけど、後ろ向きになる時間もなく、そんなん思ってたらいかんなというか。休止して止まるとずっと歌えないのも嫌だったし、人生を見た時に自分の今の声で歌える時間は限られてるし、10年後も同じ声で歌えるかと言ったらそうじゃない。自分の意思でソロをやると決めたので」

――なるほど。

「最初はライブのMCですぐ泣いたりしちゃってたんです。私1人で歌ってるのが違和感しかなくて、ファンの皆の顔を見ると私もグラグラきてたんですけど、この間誕生日に初めてワンマンライブをやった時は本当に楽しく、弱いところも皆が吹き飛ばしてくれたというか。この1年ですごくまるりというものが自分の中で確立してきて、ここからもっとそこに近づけていけるような活動をしていきたいなと思います」

――自分の中での理想のまるり像が固まってきた?

「固まってきてるし、ずっと思い浮かべてるものはあるんです。大きく言うと紅白に出るとか横浜アリーナでライブをするとか。そういう目標もありながら、それを達成するために逆算して色々やりたいこともあるし。1つ1つクリアしていくためには、やっぱり1人では無理なので。ちゃんと感謝を持ちつつ活動していきたいなと思ってます」

――まるりさんの周りには常に人がいる印象があって、YouTubeなどを見てると特にそう思います。優里さんをはじめ、交友関係が広いなと。他のアーティストの方から得られる刺激はありますか。

「アーティストの友達にはもう本当全員リスペクトを持ってて。りゅうがくんとデュオになる前は本当に友達もいなかったんです。でもりゅうがくんが交友関係が広い方で、誰とでも仲良くなれるタイプだったので、アーティストの友達もりゅうがくんのおかげで繋がれた人ばかり。優里くんはコメントが来てコラボしようとなったけど、りゅうがくんが先に繋がってたりもして。友達とご飯に行ったり喋ったりすることも多いんですけど、その中で羨ましいなと思う子がいても、その子も悩みを持ってたりする。どこまで行っても悩みは尽きないんだなというのをアーティスト同士で話すとすごく共感できるので、"皆で頑張っていこうぜ"みたいな。一匹狼もカッコ良いなと思うんですけど、それよりか私はもし自分がバッといけたら(売れたら)、"ずっと私が応援してる子だよ"と言って一緒にライブ出たりしたい。それを気づかせてくれたのも優里くんなんです。優里くんは老若男女に曲が届いて本当にすごいなと思うし、私なんかにいっぱい歌の場を設けてくれて。それこそ優里くんのライブに呼んでくれたり、私の路上ライブにサプライズで来てYouTube撮って上げてくださったり。それは誰もができることじゃない。だから私もそういう風になりたいです」

――素晴らしいですね。

「できれば20代のうちに叶えたいなと密かに思っているので、止まらず歌い続けたいなと思います」

――20代のうちにどこまでいきますか。

「さっき横浜アリーナと言ったんですけど、りゅうがくんとユニットを組む前に、1人で受けてたオーディションがあったんです。勝ち取ったら横浜アリーナで歌える特典がついていて、私は準優勝だったんですけど1曲だけ歌えるとなって、デビュー前に初めて歌った場所が横浜アリーナで。本当はドームとかやりたいですけど、横浜アリーナも思い出の場所なので。まるりとりゅうがを3月31日に結成したんですけど、翌日の4月1日にそのライブがあって、めちゃくちゃ鮮明に覚えてて、絶対ここでもう1回やろうって。あとは、福岡出身なので地元の皆が来てくれるように福岡のドームでやったり、"福岡と言ったらまるりやな"と言われるアーティストになりたい。できれば地元での活動もやれたらなと思ってます」



ラジオから広がる縁と経験


――今日も名古屋から来てくださっていますが、ラジオで得たものは何かありますか。

「めちゃくちゃあります。1人で喋ることってなかなかなかったので、それは人生の中でものすごく大きなこと。1人で2時間生放送するのも初めてで、正直めっちゃ怖かったです。しかも当初はソロになって1発目で、放送初日にミスをしちゃって。カフを上げて喋るんですけど、まだ喋らないところでディレクターさんがキューを出したと思って喋り出しちゃったんです。そこから2時間心臓がずっとバクバクしちゃって。喋るの好きやし絶対いけると思ってたものが全然ダメだったので、この歳になって屈辱的な気持ちになったというか。デビューしてからファンの皆のおかげで、歌うことは楽しいと思えて、楽しいことをずっと続けてたんですけど、挑戦したので壁にぶつかって。"うわ、久しぶりこの感覚"みたいな気持ちになりました。それで色んなナビゲーターさんに話を聞いたり、自分のラジオを聞き直して"おもんな! 何これ!"とかやってるうちに慣れてきて。ライブのMCも、ラジオのおかげで本当にすらすら言葉が出てくるようになって。名古屋で路上ライブしたりラジオのイベントに出た時、男の子や年上のおじ様もちらほら来てくださったりするので、ラジオから広がっていることを実感しますし、自分もラジオをすごく好きになりました。夜中眠れない時に誰かが耳元で喋ってると思うと、それだけでホッとできる。そこを意識して、誰かがいると思って喋るようになったので。言葉で伝える大切なお仕事なので、めちゃくちゃ勉強になります」

――確か恋愛相談が始まるんですよね。

「そうですね! 2年目になってコーナーを変えようというところで。ちょうど昨日初めてオンエアしたんですけど、結構皆恋バナ送ってくださって、来週からレギュラー化するので、これから大好きな恋バナもできるので、楽しくなりそうだなと」

――優里さんの『好きだよ』のキッカケになったYouTubeの恋バナの回を見たのですが面白かったです。解決策もすごく持ってはりそうやなと(笑)。

「そうですね(笑)。結構色々あったので。私のリスナーはZ世代の年下の子たちも多いので、恋愛で失敗しないようなアドバイスをできたらなと思います」




6月のワンマンツアーのテーマは「花」



――6月に東名阪で開催される『MARURI FIRST TOUR -Abloom-』。全都市でステージ演出が異なるスペシャルツアーということですね。

「ツアーで編成を変えたいなというのもあって、東京、大阪、名古屋、全都市だいぶ違う感じにはなるかなと思います」

――3月に東京・GRIT at shibuyaで行われたワンマンライブはどんな経験になりましたか。

「元々ワンマンライブはずっと目標にしていて、もっと早くやりたかったんですけど、3月4日の私の誕生日に開催しました。やりたい想いが強すぎて決まった時はめっちゃ嬉しかったし、誕生日に会場を押さえられたのもスタッフさんに感謝です。150人ぐらいのキャパで2回やらせてもらって、皆の顔が見えるようなライブハウスだったんですけど、規模感で内容を変えたくなかったので、本当にやりたい演出を全部詰め込んだんです。衣装も3回着替えて4パターンやって、髪型も一瞬で変えたりとか」

――すごいですよね。

「関係者の方には、"この規模感でそんなに着替えるんだ"って言われたけど、自分がなりたい像としての可愛いドレスや衣装を着たかった。1回目でこれができたのが本当に大きかったです。もちろん反省点もあるけど大きなトラブルもなく、この1年間がちゃんと今日に繋がってたんだとすごく感じられた1日でした。声出しもOKにして、皆すごく声を出して楽しんでくれたし、初めて出したグッズを身に着けてくれてるのが何より嬉しかった。自分の嬉しさが皆に伝わって本当にあたたかい空間が出来上がったので、絶対にここで終わりたくない、皆をもっともっと引き連れて行こうという強い意志や目標も生まれて。本当に忘れられない1日になりましたね。ライブ制作してくださる方たちも、すごく考えて私の希望を叶えてくれるチームで。"Mood"というタイトルだったので、一緒にまるりのムードに浸ってもらおうと、会場にディフューザーを置いて、私の好きな匂いをブレンドしたものを放流して」

――放流(笑)。

「(笑)。今までのMVで着た衣装をロビーに飾ってめちゃくちゃ可愛くして。本当にまるりムード全開で楽しくできた最高のライブでした」

――今回はどんな演出をしようと考えておられるんですか。

「まるりってローマ字でMARURIで、Mが"Mood"でAで"Abloom"とつけて、頭文字でどんどん回っていこうみたいなことでやってるんです。Aから始まる単語を見てた時に、"Abloom"ってすごく綺麗な単語やなと思ったし、"花が咲く"とか"花ざかり"という意味があって。自分も活動してますけど、まだまだ納得いってないというか、もっと花を咲かせてどんどん行きたい気持ちがあるので、花が咲いていく演出をしたり。あとは女の子が花咲いて輝く時間ってそれぞれあるし、色んなタイミングで花ざかりが来ると思う。私自身はステージに立てる時が花ざかりだなと思ってるので、そういう部分も皆にお届けしたいです。まだ制作中なんですけど、ステージにお花がある演出も考えていたり。花に関する楽曲もあったりするかもですし。その日は本当にお花をテーマにやっていこうと思っております」

――頭文字をタイトルにしてることはファンの方に言ってるんですか。

「もう全然バレてます。しかも全部送ってくるタイプ(笑)」

――良いですね、ファンの方との交流が。

「実はファンクラブでバスツアーをやりまして。夢だったバスガイドを私がしてファンの皆がまるり号に乗って。めちゃくちゃ楽しくて、本当に何でもやらせてくれる優しい子たちだなと思います。配信中、たまに嫌なコメントがくることもありますけど、全く気にならないのは本当にファンの皆のおかげ。それこそ初期の頃は、嫌なコメント来たら"誰やねん"とか言ってたんですよ。ちょっと博多の女が出るというか。でも誰も喜ばないなって。私がそんなこと言うのをファンの皆は見たくないだろうし、一緒に成長させてもらってるので、これからもし運が巡ってきて、私が大きなところでライブができるようになったとしても、ずっと近い存在でいてほしいなと思います。ファンクラブでは毎月生配信したり、精力的に色々更新してやるので、気になった方はMARURI-LANDにぜひ入ってもらいたいです」

――書いときますね。

「お願いします!(笑)」

――ソロメジャーデビュー2年目、特に力を入れていきたい活動はありますか。

「もう次の楽曲があるんですけど、結構新しいところにいかせてもらってて。かなり気合い入ってます。正直皆にもう少し私のことを知ってもらいたいなというのがあって。今の現状には満足せず、今回のツアーもしっかりたくさんの方に来ていただけるように、できることは全力でやりたいので。メジャーデビューはしても全然下積み時代だという気持ちで、何でも挑戦したいなと思っています。ラジオも引き続きやりつつ、路上ライブもタイミングがあればやって、新しい方にどんどん自分を知ってもらう1年にできたらなと思っております」

Text by ERI KUBOTA




(2023年5月25日更新)


Check

Movie

Release

MINMI作詞作曲の新曲配信リリース決定!

『ily』
2023年6月7日(水)配信リリース

Profile

1997年3月4日生まれ、福岡県出身のシンガーソングライター。幼少期から高校3年生まで合唱団に所属。声楽を学びながら音楽と隣り合わせの生活を送り、数々のステージに出演。2018年4月より男女デュオ「まるりとりゅうが」として活動。2022年4月からはソロ・アーティストとして始動し、5月に優里作詞・作曲の1st Digital Single「好きだよ」でソロデビュー。抜群の歌唱力はもちろん、動画やインスタライブで見せる、飾らず親しみやすいキャラクターと愛らしいルックスで、同世代の男女からの絶大な支持を集めている。2022年8月に配信スタートした「ホントの私」で、ビクターエンタテインメントからメジャーデビュー。6月7日(水)にMINMI作詞作曲の新曲「ily」の配信リリースが決定。6月11日(日)から東名阪を廻る初のワンマンツアーを行う。

まるり オフィシャルサイト
https://maruri0304.com/


Live

「MARURI FIRST TOUR
 -Abloom-」

【東京公演】
▼6月11日(日) 15:30/17:45
Shibuya WWW

Pick Up!!

【大阪公演】

チケット発売中 Pコード:238-584
▼6月18日(日) 15:30/18:30
心斎橋JANUS
オールスタンディング-5500円(整理番号付、ドリンク代別途要)
※6歳以上チケット必要。
※会場内ではマスクの着用をお願い致します。
※販売期間中はインターネット販売のみ。1人2枚まで。チケットの発券は6/11(日)朝10:00以降となります。
[問] サウンドクリエーター
■06-6357-4400

【愛知公演】
▼6月24日(土) 16:30/19:30
ell.FITS ALL

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