変化することを恐れずに前へと進んできた
FBYの約3年の歩みが1枚のアルバムに
『million feelings』に集約された“コロナ禍とこれから”
FRONTIER BACKYARD TGMXインタビュー
コロナ禍で身動きが取れずにいたミュージシャンも数多く存在していた中で、FRONTIER BACKYARDは軽やかに活動していたイメージだった。メンバーの脱退やサポートメンバーを加えて活動するなど、常にバンドの形を自由自在に変えながら進んできたFRONTIER BACKYARDにも、自由に活動できない時期は訪れたはずだった。ところが今回インタビューに応じてくれたTGMX(vo&syn)は、「活動方法を変えたので大きな影響はなかったですよ」と笑っていたのは印象的な出来事だ。それはコロナ禍に突入する直前に、メンバーである福田“TDC”忠章(ds)と顔を突き合わせ、シンプルにふたりだけで音楽を作ってみたい/DTMを最大限に活かす曲作りをしたいという新たな方向性を見出していたからだという。世界が混乱にある中でも、ふたりという最少人数で配信リリースや無観客のライブ配信をそのまま音源化するなど、着実にリリースを続けていた彼ら。この約3年の間に配信リリースした数々の曲に、書き下ろし曲を加えたニューアルバム『million feelings』が7月に発売を迎える。久々のアルバムリリースを前にした東京のTGMXとリモートでつなぎ、『million feelings』の制作スタートに至るまでの話や、今の心境について話をしてもらった。
2017年に始まった新しい流れが今につながっている
――ぴあ関西版WEBにご登場いただくのが2018年の11月以来ということで、ご無沙汰しております。
そうですよね。3年半ぶりぐらい? ご無沙汰していました。
――その間に世の中ではいろいろなことがありまして、この5月に入ってようやく世の中はもちろん音楽業界も動き出してきたなという気配がありますが、実感はありますか?
FRONTIER BACKYARDは、コロナ禍もずっと活動を模索して続けていました。ライブ以外でバンドは何ができるんだろうと。コロナ突入前ギリギリで始めたファンクラブやサブスクでのコンスタントな新曲配信や、「direct package」という無観客ライブの動画配信をしてそのままそれをCD化する企画を実行していたんですね。その「direct package」を年に4回ぐらいやっていたこともあって、目標を持って活動できていた感じでした。だから僕ら自身はあまり変わらなかったですけど、やっぱりライブがないということだけはすごく大きかったです。音源を結構コンスタントに出せていたこともあって、そんなに暇を感じる間はなかったですね。
――じゃあ今の世の中を見ていても、動き出したなっていう実感は…?
友達のバンドが動き出しているなとか、単純に街ナカに人が多いなとかそういう変化は感じていますね。
――そんなTGMXさんに、今日は7月にリリースされる8枚目のアルバム『million feelings』についていろいろお話を伺いたいと思っています。今回2019年以降のリリース音源を中心に収録されたアルバムになっているということで、このコロナ禍でのFRONTIER BACKYARDの動きをすごく反映しているアルバムだと思うので、少し時間を巻き戻したところから聞きたいのですが…。
そうですね、はい。
――まずは7枚目のアルバム『Fantastic every single day』が2018年の後半に出て、その反応をどう受け取った上で2019年の活動を進めていたのでしょうか。
そのもう1つ前に『THE GARDEN』というアルバムがあって、実はそこから流れができていました。ギター(KENZI MASUBUCHI)が抜けてから、いわゆるロックじゃない路線の音楽をやり始めました。例えば元Sawagiのコイチくんだったり、THE REDEMPTIONのMaiちゃんやSCAFULL KINGのナリの管楽器を入れたりして、ファンクに特化した音楽をやりだしていたんです。それを形にした『THE GARDEN』を2017年に出したところで自分としては再出発に成功したと思っていて。
――おぉ! 成功を感じたというのは素晴らしいですね。
はい。それに続く2018年の『Fantastic every single day』では、その続編を作ればいいのかなっていう思いだったのと…もうひとつ大きかったのはサポートメンバーだった元Sawagiのコイチくんが拠点にしていた東京から地元の関西に帰るって聞いて。僕としては彼をメンバーのように思っていたし、もはやFBYのキーマンでもあったので「彼が関西に帰ったらなかなか密にできないかも…」と。なので、彼が東京にいる間にアルバムを作りたいっていうのも理由としてはありました。その作品を作り終えた時に思ったのは、僕らはコイチくんだけではなく、チャーべくん(松田“CHABE”岳二/ CUBISMO GRAFICO FIVE、LEARNERS)やタイチ(Taichi Furukawa/KONCOS)らに、もう十何年もサポートしてもらってきた経緯があって。そのメンバーと音楽をやっていると楽しいし、好きなメンバーと作る音楽はいいに決まっているということに改めて気がつきました。
――いいメンバーが集まっているから、いい音楽ができるのは確定だと。
そう。音源にしろライブにしろ、うまくいくに決まっているメンバーを集めたので、勝利の方程式が見えていたというか。それに改めて目が向いた時に、僕らはこのままでは駄目なのでは? と急に思いました。サポートメンバーに頼りすぎていると感じたというか。そこでドラムのTDCに「パソコン同期演奏を導入して、ふたりでやってみない?」っていう提案をしたんです。
――シンプルだけど、大胆な方向転換ですね。
そのような新しい動きも試していきたいと思っていたところ、あれよと言う間にコロナ禍に突入していきました。
――ちょうど2019年1月に配信シングル「We have no choice」をリリースした後でしたね。
そうです。バンドとしての方向転換がタイミング的に、たまたまコロナとぶつかった。以前はサポートメンバーの人数もかなりいて大所帯だったので、ステイホームが叫ばれている時にみんなを集めて何かすることは難しかったはずですけど、ちょうどメンバーふたりだけでやろうとシフトし始めたところだったので楽曲制作に何の問題ありませんでした。
――7枚目のアルバムをリリースして、新しい可能性を求めてふたりでがっちり顔を突き合わせてやってみようとなったのが、コロナ禍においては功を奏しましたね。
うーん…それは正直言うと「功を奏した」かどうかわからないですけど、変化はあったぐらいの感じですかね。実は今もその結果を模索している段階というか。ふたりで活動するところに行き着くまでは音の面でも精神面でも素晴らしいサポートメンバーに助けられてきたので、今もバンドとしては発展途上みたいなイメージですかね。
――その音的にも精神的にもガッチリ支えてもらってきたサポートメンバーと離れて、ふたりで進む決断をするというのは結構な思い切りだと思うんですけど…。
せっかくここまでFRONTIER BACKYARDを作ってきて、その完璧な状態をわざわざ壊す必要はないって言う人もいました。…そらそうですよね。ただいいのは分かるけど、僕は飽和してやっていくことが苦手なタイプでもあるので、何かにチャレンジしていないと盛り上がらないんですよ(笑)。だからギターが抜けた時もコイチくんやホーン隊に参加をお願いして変化を求めたし、その結果何かを掴めたなとも思います。だからこそここでもう一発気合いを入れ直す意味でも、オリジナルメンバーだけでやっていく方向だと思えました。
――ふたりだけでやると決めた時に、イメージできていたことはありましたか?
なんとなく洋楽みたいな感じで聞く人に映ればいいなぁと思っていました。昔見に行っていた洋楽のアーティストは、メンバーがいなくてもパソコンから音が出てライブも素晴らしかった。今でこそ日本にもそういうアーティストは増えたけど、当時はバンドはメンバーいてなんぼみたいなところがあったから。今になってそうじゃないことをやりたいと思ったんです。マンパワーが大事であるバンドはここまで散々やってきたので、そうじゃないハラハラすることをやってみたいと思った結果として自分もシンセサイザーを使うことだったという。
――それでコロナ禍に突入する直前に“ふたりFRONTIER BACKYARD”として「We have no choice」をリリースされました。今回のアルバム『million feelings』にも収録されていますが、この曲を世に放ってみて、手応えはどんな感じでしたか?
だんだん音楽的な思考が、バンドサウンドよりはトラック中心に考えるようになってきていて。家で作った音源を、音もそのままライブで出したいという感じなので、脳内に描いたやりたいことがうまく伝えられた感じはありました。そうやってふたりだけで1曲作ってみたことで、なんとなくこれからの方向性は見えましたね。
「やるべきことをやるしかない」攻めのマインド
――これまでのFRONTIER BACKYARDであれば、前作から2年あいて2020年がアルバムリリースタイミングだったのかなと想像していたのですが…。
うん、まさにそうですね。2020年にアルバムを出したいと思っていました。
――ところが2020年はパンデミックに見舞われて、その中でどういう活動をしていこうという展望はありましたか?
そもそもコロナ前から「2020年はシーズンごとに4曲を出そう」というテーマがありました。リリースのイメージを固めていたので、コロナ禍になっても予定は変わりませんでした。もちろんライブは全て飛びましたけど、ライブ以外は大幅に活動の方向を変える必要がなかった。パソコンで作った音楽をそのまま演奏したいっていう方向性が固まっていたから、コロナには左右されませんでした。もうやるべきことをやるしかないねって。
――だとしたら、ふたりだけでコンスタントにリリースしていくというのは、想像以上にストイックな音楽制作になるというか、自分との対峙でしかないというか。
確かにそういう感じはありました。やるべきことをやるしかないと思いながら、コロナが何者かわからない時は「音楽やってこれからも生きていけるんだろうか」とかマイナスなことを考えたりもしたし。楽しいからやれちゃうんですけど。
――でもそんな中で20人ものゲストボーカルを招いた「h/e/a/r/t/b/r/e/a/k」をリリースしたというのは、ひとつ大きな出来事だったと思います。
チャレンジでもありましたけど、コロナ禍だしみんな暇だよね? って(笑)。僕は音源を作れるし、ボーカルをやっている中でも家で宅録ができる人に限定してお誘いしたんです。コロナの曲を作ったから一緒に歌おうよって。単純に僕が好きな人を誘ったので、その人のボーカルが聞けるっていうのは贅沢だったと思います。20人それぞれと僕らのストーリーがあるので、歌声を聞きながらいろいろな思い出が蘇ってきてステイホームで寂しかったけど楽しかったですよ。
――じゃあ「h/e/a/r/t/b/r/e/a/k」が完成したことで、音楽をやっていていいんだという思いになったんじゃないですか?
うん、多少は思ったかもしれないです。コロナ禍で経験したことは、全て今となっては経験値になっているというか。やったこともないことをやる状況になって、何もやらなかったら何も残らなかったと思うんですけど。とにかくやったことは全て意味があるようにしたいし、意味があったなとは思います。メンタルは強くなりましたよね。
――ちなみに2020年のシーズンごとのリリースに関して、考えていたことはありましたか?
今のFBYのモードはこっちですよっていうのを伝えたいとは思っていました。
――なるほど。その「モード」を詳しく言葉にすることはできますか?
ふたりでやっていきますよっていう初心表明っていう感じでしょうか。また将来にサポートにお願いする事もあるとも思いますけど。
――2020年の1年間のリリースを通して、初心表明の先は見えてきた感じはありますか。
そうですね、元々高校の同級生なので…分かり合っているはずだけど、今まではふたりっきりで話すことはあまりなかったかな。サポートメンバーもいたし。今はそういう意味ではふたりきりで話すことがすごく増えました。いつの間にかコンビになっちゃったので(笑)。その話の中で、2021年はもう少しライブをしていこうっていうことになったんです。それまでコンスタントにリリースはしていたけど、ライブをしていなかった分、全然露出がなくて。だからこそライブを見てもらおうということで、YouTubeでの無観客ライブを始めて、配信するだけじゃなくそのライブをCDとしてそのままリリースしようというところまでを企画にしました。それが「direct package」ですね。
――「direct package」は、動きを可視化するための手段だったんですね。
そうそう。そうでもあるし、僕らもお客さんとつながっていたいと思ったのも大きかったです。これをきっかけにお客さんのことをよく考えるようになりましたしね。これまで本当にたくさんのフェスに出演させてもらってきて、僕らを知らない人たちにも「FRONTIER BACKYARDです、よろしく!」って裾野を広げようとしてきたけど、コロナ禍のご時世的にそういう感じではないですよね。裾野を広げる時期ではない。だったら今は、ずっと応援してきてくれた人の方向を見ていこうと。一見さんにはまたコロナがおさまった時にご挨拶に行かせてもらうというのが大前提で。それが「direct package」を行った意義と意味でもありました。フェスなどだとどうしてもセトリが他方名に向けると同じになりがちだけど、この企画はディープなお客さんに向けたので、普段なかなかセトリにいれられない曲やアレンジを披露できて僕らも楽しかった。
ここ3年ちょっとのFBYを見てほしい
――そうやってコロナ禍でも発信し続けながら進んできて、2022年そもそもニューアルバムの構想はどんなところからスタートしたのでしょうか。
単純に今まで配信リリースしたものを、フィジカルでも出したいよねっていうところです。実はできていた新曲もまだまだありました。パソコンを使う新しいスタイルで音楽をやりだしたら、すごく曲が書けるようになったんですよ。まぁ、曲が潤沢にあったのでアルバム出しちゃおうよっていうことですね。
――ここ3年ほどのベストアルバム的でもあるし、FRONTIER BACKYARDとしての歩みをギュッとパッケージ化したという印象で聞かせていただきました。
このコロナ禍における僕らの集大成っていう感じはしていたし、制作が決まった段階でこれまでの3年間を見てもらうようなフィジカルにしたいという気持ちもありました。だからこそ、リリースした順に曲を並べてもいいのかなと思っていたんですけど…。ちょっとそれは芸がないなと。ただ唯一15曲目のラストの曲は、ラストにできた曲でしたね。
――「Wave your light」ですね。
そうです。この曲はコロナ禍でいろいろあって、混沌した状況で、さらに僕らを長年担当してくれてたディレクターが人事異動になり離れてしまい「いろいろ状況が変わりすぎだろ!」という思いを込めた曲をアルバムの最後に入れて、もうこれ以上悪いこと起きないようにっていう願いというか決意にしました。本当に全体の話で言うと、コロナにまつわるアレコレをパッケージした感じですね。
――収録曲の歌詞の日本語訳を読ませていただくと、どの曲にもコロナ禍での決意や葛藤を思わせるというか、思いが溢れまくっている! と感じました。
もうそれしかなかったですから。あの時、不自由な中での思いや気づきをガンガン反映させていった感じですね。元々僕はリアルな歌詞を書いている方ではあったので、現実に起きたことを書いたらより現実的な感じになっちゃったところはありますけど。
――中でも制作していてキモになったなという曲はありましたか? 自分で作って気づきになった曲とか。
割と今回のアルバムはほとんど僕が曲を書いているんですが、ドラムが書いた曲もあるんですよ。10曲目の「moment」っていうこの曲が、個人的にすごく気に入っています。僕の中にはない全てがある。今回、実はドラムを打ち込みにしているので生のドラムで録った曲がひとつもないんですね。その分ライブでやるのを楽しみにしているんです、お互いに。ライブになったらどんな躍動感が出るんだろうっていうのが楽しみで。音源はもっとフラットというか、どちらかというと音色を重視して平たいイメージにしたくてバンド感出さないためにもわざと打ち込みにしているんです。だからこそライブはドラマーとしてのドラムを思い切り叩くと思うので、そこの変化を楽しむっていう意味では「moment」はキモになっているかもしれないですね。すでにライブでちょこちょこやっていますけど、20年以上一緒に音楽をやっている同級生に対して「やっぱりこの人かっこいいなぁ」って思えたのは、すごく良かったし発見でしたよね。
――通して聞かせていただいてもうひとつ感じたのは、すごくサウンドが都会的な印象だなということでした。都会のキラキラ、首都高、みたいな(笑)。たくさんの人と一緒にワイワイしながら聞く作品というよりは、ひとりで車の中で聞く方が合うなというか。
うん、そういうイメージです。もうバンドサウンドではないというか。自分達が普段聞いているのも静かな音楽が多かったりして、今はそっちをやりたいんです。それが今までのFBYのお客さんや世間にウケるのかと言われると…そこは全然分かりませんけど、受け入れてもらえたらありがたいし、そうでなかったとしても自分達のエゴ満載のアルバムであることは理解しながらやっています。もう敢えて言うならば、年齢も年齢なのでやりたいことやっていかないと! って。「あの時こうしておけば良かったな」とか思うのは嫌なので、もう本当に今が重要って感じですね。人生とバンドをどう終えていくかが課題というか。同級生たちとよく話しているのは「この10年ぐらいでどんな終わり方をしていくか」っていうこと(笑)。
――そういう思いになったのは、コロナを経験したからですか?
いや、なくても考えていたと思います。もう50歳なんですけど、こんなおじさんなのに新しい音楽にまだまだ興味があるんです。アメリカのティーンが聞いているようなヒップホップを夢中で聴いているんですよね、今。そういう音楽を聴いていると、まだ音楽が好きなんだな~と思いながらそれをバンドにどう落とし込んで、完成させていくか? 今はそればっかりを考えていますね。
――「Infi method」の中では「この年齢になってこだわりは無意味に感じた」ということも歌われていますが…。
確かに。それでも人に対して嫉妬したりもするし、ああなりたいなと思うこともたくさんあるけど、もうそうはなれないし。それよりも自分は何なんだっていうことを考えるしかないのかなと。それが一番重要なのかなと思うんです。若い時は負けたくないからこういう曲を作るとかありましたけど、今はそういう曲の作り方をする意味がわからなくなっていて、やりたいことをやるだけ。特にここ数年はそれが強く出てきたなと思います。
――自分がやりたいことをやるっていうマインドが一番現れた曲を、今回のアルバムでいうと、どの曲でしょう?
あー、「ONE THING」とやっぱり「Infi method」ですかね。「ONE THING」はアルバムのための書き下ろしなんですけど、自分の中でプリンスみたいなことがしたくて。
――プリンス!?
なれているかどうかは置いておいて、イメージとして。今こういう言い方をするのはどうかと思うけど、今日本のバンドがプリンスみたいなこと目指してどうしたいの!? って自分で思いながら、やっぱりプリンスが好きだからやってみたいっていう憧れも込めて。もちろんなれないのはわかった上で、プリンスみたいな音を作りたいなって。あと、パソコンで曲を作るようになってから自分自身すごく宅録の勉強をするようになりました。これまで一切興味がなかったんですけど、この歳でも成長することがあるんだなぁって。
――「Infi method」はどうですか?
この曲は自分達で作ったとは思えないほど静かな曲なんです。これがアリなのかナシなのかと思いつつ、最近の自分はこういう曲ばっかり好きで聞いてるんだよっていうことを反映させた曲です。それこそ自分の嗜好性を全面に押し出したというか。FRONTIER BACKYARDって、みんながライブのイメージをすごく強く思ってくれているので、例えばみんなでタオル回したりステージでめちゃくちゃしてたんですよ。その一方で僕が聞いている音楽は真逆のおとなしい音楽でした。今回はそういう自分本来の趣味趣向みたいなものを出せるところにまで到達したっていうことでもありますかね。それこそ前はサポートメンバーも一緒だったので、サポートメンバーの意見もなるべく尊重して盛り込んでいました。つまり純粋に僕らだけの音楽ではなかったと思うんです。その分今回は、もっと純粋にメンバー2人だけの音楽になったっていうところかもしれないですね。
――そんなアルバムが完成してみて、どうでしょうか。
通常アルバムを作るとなると数ヶ月かけて録っていくんですけど、今回に関しては3年かけているわけです。そういう意味では、あの時こういう気持ちで録ってたな~とか思い出しますね。
――このアルバムをリリースしてまた次の活動へとつなげていくわけですが、次の展開で見えている景色などはありますか?
ちょっとブラッシュアップをしていきたいっていうことと、あとはやっぱりコロナの状況次第かな。今の僕らの音楽がたとえばギューギューの人で埋まった会場でやったとしてウケるのかどうか、その状況がもしあったら、調整は必要だなと。割と狭いライブハウスの、人がまばらな状況みたいなものを思い描いてこのアルバムの曲は作っていたんです。勝手に1人で来て勝手に踊っている人のイメージというか。作っていた時の状況と、これから変わっていく現実世界をどう調整していくか、それは課題になっていくと思います。でもそういったことも含めてやりたいことをやっていく、それが楽しみですよね。また新しいことをどんどんやっていきたいなとは思っています。
取材・文/桃井麻依子
(2022年7月 5日更新)
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