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“平成のおんなギター流し”おかゆインタビュー
スナックでの流し経験が生きたカバーアルバム
『おかゆウタ カバーソングス2』に辿り着くまで

“平成のおんなギター流し” ――――そう呼ばれる所以は、シンガーソングライターのおかゆが歌い続けてきた主戦場にある。彼女の主戦場は、全国各地のスナック。ギターを背負ってスナックの扉を果敢に開け、そこにいるお客さんたちのリクエストに即興で答えて歌声を披露してきた。シンガーソングライターとしてメジャーデビューを果たして以降はスナック以外にも活動の場を広げてきていたおかゆが、1月末にカバーアルバムとしては2枚目となる『おかゆウタ カバーソングス2』をリリースした。ぴあ関西版WEB初登場となる今回、歌い手を目指した原点やスナックで歌い始めた理由から、現在の活動に至るまで、おかゆとは…? をネホリハホリ聞いた。インタビューを終えて、強く思ったのは「関西のスナック街でも彼女が流しとして歌っている姿が見たい」。少しでも早くコロナが終息してくれることを願うばかりだ。

スナック流し初日、断られ続けて33軒目に…!

 
――ぴあ関西版WEBに初登場ということで、おかゆさんがどんな歌手なのかというところから紐解いていけたらと思っています。まずは歌い手を目指されたきっかけから伺えますか?
 
元々は母が歌手志望で小さい頃からスナックに連れて行ってくれていて、そこで歌謡曲を聞いて育ちました。母は事情があって夢を諦めてしまったのですが、歌手になりたい人だったということはずっと頭にありました。その母は私が17歳の時に事故で亡くなって…母のために何かできることはないかと考えた時に、彼女の夢を受け継いで叶えられないかと思ったことがきっかけですね。その頃私自身にもいろいろあって、自分ができることや自分がどう強く生きられるかを考えていました。社会に絶望していたんです。でもその時に私を助けてくれたのは歌でした。
 
――それは誰のどんな歌だったんでしょう。
 
高橋真梨子さんの「ごめんね…」です。母の十八番だったんですけど、この曲をひとりでカラオケに歌いに行って、自分でも驚くほど号泣してしまって。歌の力を感じたのはもちろん、母とのいろんなことや母への思いを感じて、その時に歌手になろうと決意しました。それが私の分岐点だったと思います。逆に言うと母が元気であれば、私は歌手になっていなかったのかな。自分が歌うことで私自身も生かされているし、私の歌声で誰かを感動させることができたらと思うようになりました。
 
――その「誰かを感動させることができたら」と思ってから、流しの歌い手になるまでの経緯っていうのは…?
 
当時いろんなオーディションにも挑戦していました。でも今ほどオーディションの数もそこまで多くはなくて…。その頃私、渋谷のギャルだったんですね。
 
――!? !? 渋谷のギャルですか!?
 
はい(笑)。まわりは加藤ミリヤさんや西野カナさんの曲を聴いている友達が多くて、歌謡曲を聴いている友達はひとりもいなかったんです。友達のお母さんの方が趣味が合う。そんな状況ではガラケーで見つけたオーディションに参加しても、求められているのは完全に時代の歌姫なので通らないんですよ。曲の選び方もわからなければボイトレにも通っていなかったので歌い方もわからない。オーディションで高橋真梨子さんの曲を歌ったら、「君の歌い方は演歌に聴こえるね」って。オーディションの趣旨とはズレていて「うちとはちょっと…」って言われることばっかりでした。
 
――歌謡曲を聴いて育ったおかゆさんが「君の歌い方は演歌に聴こえるね」って言われるのは、間違ってはいないですよね。
 
そうなんです。でも、求められていたのはポップスの歌い手で、当時なかなか歌謡曲や演歌歌手のオーディションを自分では見つけられなくて。そうこうしているうちに20歳を過ぎてしまって、最後の手段だ! と思ったのがスナックに行って母が好きだった歌を歌うことでした。私が歌謡曲を聴いて育ったスナックなら、私が歌いたい歌謡曲を必要としてくれるはずだと。それが歌手への道につながるかもしれないと思ったんです。
 
――それが何歳の頃ですか?
 
22歳の時でした。スナックのお客さんはおじいちゃんやおばあちゃんしかいなくて、かかっていたのもムード歌謡や演歌。私はその頃3コードで演奏できた鳥羽一郎さんの「兄弟船」だけを必死に練習して披露して、お客さんに怒られたり灰皿を投げられたりしながらコツコツと1曲ずつレパートリーを増やしていきました。
 
――その初めて歌うことになったスナックはどうやって決まったんですか?
 
それはもう、飛び込みで! スマホで「東京 スナック 一番多い場所」って検索したら湯島が出てきたんですよ。
 
――探し方はめちゃくちゃ現代っ子ですねぇ。
 
そうそう(笑)。それで湯島のスナック街の店を1軒1軒回るんですけど、扉の前で緊張しちゃってドアも開けられないんですよね。
 
――スナックってあまり中がわからないお店ばかりですし…。
 
ギターを背負って扉を開けるまで30分、開けてからも何を話していいかわからない。とにかく歌わせて欲しいって伝えても、路上でやってきたら? って言われたり、今はお客さんがいないからってあしらわれたり…。その時は「流し」っていう言葉も知らなくて、とにかく歌謡曲を歌わせてくださいと。でもスナック突撃初日、断られ続けて33軒目で初めて歌わせてもらえました。
 
――33軒! すごい!
 
なんとか「兄弟船」を歌い終わったところでリクエストが来たんですけど、すみません1曲だけしか歌えなくてって謝って。大寒のとにかく寒い日で噛みながら歌いました。そこからスナックを回り始めたんです。ひとりで1軒1軒飛び込んでいって、その先でまたお客さんたちに次の店を紹介してもらったり、縁がつながって広がっていきました。スナックに飛び込んで歌うにあたって、お客さん7842人と写真を撮ろう! っていう目標ができたんです。
 
――7842人? どういう数字ですか?
 
母の口癖が「七転び八起き、幸せに」で、それを数字にして7842人のスナックで出会った人とのスナップを写真に納めていこうと思いついたんです。そうしたら、母に「やったよ!」って言えるかなって。そこまでやることができたら、母の人生や思いも完結させてあげることができるかなって。今あと達成まで600~700人なのですが、コロナ禍で数字も止まってしまっています。ただそういう挑戦を始めたことで、スナックを回るのも旅しながらできるんじゃないかなっていう思いが生まれました。
 
――スナックは日本全国にちゃんと根付いている文化ですもんね。
 
はい。料金はお気持ち制で、とにかくホテル代も交通費も稼ぐまで帰らないというルールでやっていたんですけど、どんどん行ける地域や店が広がっていきました。そんな時にスナックの特集を企画していた雑誌の『BRUTUS』から取材のオファーが来たんです。インタビューを受けて、「次は長崎に行こうと思っている」って話したら、ついて行ってもいいですか? って。それで4ページも使って記事をつくっていただいたんです。そこからまた、すごく世界が広がっていきましたね。歌を披露する営業の仕事が増えたり、テレビの仕事が舞い込んできたり…今思えばですけど“女流し”っていうのも稀有な存在だったのかなと思いますよね。
 
――いや、今も相当稀有だと思いますよ!
 
そうかなぁ? 確かに過酷過ぎますけどね。でもスナックに行って歌うっていうことを面白がってもらったり、そこからいろんなありがたいオファーをいただいて活動を続けていくうちに、もっとたくさんの人たちの前で歌いたい! シラフのお客さんの前でも歌ってみたい! って思い始めて…。
 
――確かにスナックではいい気持ちのお客さんが多いでしょうから、聴いてくれている人もいれば聴いたそばから忘れてしまっている人もいますもんね(笑)。
 
どうしたらいいかな…って考えていた頃、出演していたテレビ番組の『THEカラオケ☆バトル』で優勝したことがきっかけになって、CDが全国流通できるようになったりイベントに呼んでもらえたりするようになってメジャーデビューのお話をいただきました。本当に、ご縁ですよね。流しを始めた頃はこんな未来が来るなんて想像もしていませんでした。
 
 
 
2枚目のカバーアルバムで進化した自分を見せたい

 
――メジャーデビューから2年ほどが経過して、今回ニューアルバムの『おかゆウタ カバーソングス2』が発売になりました。そもそも1年前に『おかゆウタ カバーソングス』の1作目をリリースされていますよね。そもそもカバーアルバムを出そうと思われたのはどうしてだったんでしょう?
 
インディーズ時代にも、半分オリジナル半分カバーっていうアルバムをリリースしたことがありました。考えてみれば流し=カバーですよね。自分の曲を歌わせてくださいというのはおこがましくて、みんなが聴きたい曲を歌うのが流しの仕事です。だからこそカバーアルバムを出すということも、流しをやってきた私にとっては自然な流れでした。
 
――確かにそうですね。その1作目の『おかゆウタ カバーソングス』の制作を通して、得られたことや気づきはありましたか?
 
収録曲の冒頭3曲(川崎鷹也「魔法の絨毯」/Tani Yuuki「Myra」/瑛人「香水」)はSNSでバズっている曲で、私より若いシンガーソングライターの曲を選ばせていただいて、その後は流しでも歌ってきた歌謡曲っていう流れにしたんです。昭和~平成~令和のそれぞれの時代に生まれて歌い継がれている曲をカバーさせていただくことで改めて、シンガーソングライターとしての自分と流しの歌い手としての自分のアウトプットの仕方の大きな違いがあるということに気づけました。カバーさせていただいた曲のオリジナルのシンガー、作詞家・作曲家の先生たちがつくりだした曲が持つパワーがすごいということにも圧倒されました。
 
――おかゆさんが流しが原点であるということにフォーカスすると、SNSでバズった曲のカバーは斬新です。
 
私も最初はどうなんだろう…大丈夫かなと思いました。そもそも私を応援してくださっているファンのみなさんとSNSは少し遠い関係にある気がしていましたし。でもやってよかったです。もしコロナがない世界だったとしたら、流しに行った先で「香水」とかは絶対にリクエストをもらっていたと思うんですよ。そう考えたら、この『おかゆウタ カバーソングス』は、流しのお品書きだなと思えました。
 
――確かに『おかゆウタ カバーソングス』も『おかゆウタ カバーソングス2』も収録曲のリストを見ていると、自分の前に同じ部屋でカラオケをしていた知らない誰かのデンモクを見ているようだと思いました。
 
デンモク! 確かに! 『おかゆウタ カバーソングス』は2枚とも収録曲が幅広いだけにおじいちゃん、お父さん、孫の三世代みんなで聴いてもらえるなとも思いました。憧れの高橋真梨子さんのコンサートに行っても、三世代で一緒に楽しまれている方もいて。いつかは家族で、ご夫婦で、親子で私の歌を聴いていただいて、みんなを感動させることができたら素晴らしいなっていうのも目標です。
 
――ちなみに今回の『おかゆウタ カバーソングス2』も1作目と同じ昭和~平成~令和というテーマで?
 
いや、今回はひとつ時代を遡って明治~昭和~平成~令和までをテーマにしました。宮沢賢治さんが作詞・作曲された「星めぐりの歌」が明治の曲なんです。昨年この曲に出会えたことも運命的でした。
 
――ふむふむ。『おかゆウタ カバーソングス2』の制作にあたって、工夫された点を教えてください。
 
アレンジはとにかく全てこだわりました。特に1曲目、心之助さんの「雲の上」ですね。原曲とそっくりのカバーにすることもできるとは思うんですけど、やっぱりおかゆの声でこの歌を伝えていきたいっていうのがあって。「雲の上」はラッパーの心之助さんがすごく強烈な歌い方やアレンジをされているので、そのまま私が歌ったとしたら曲のよさが伝わらないと思いました。
 
――聴かせていただくと本家よりもおかゆさんは歌詞を明確に“歌って”いる感じがしました。心之助さんはリズムに乗ってラップしているのでどちらかと言うとビート感強めというか。
 
そう言っていただけると嬉しいです!私がTikTokで出会ったこの曲に惹きつけられたのは歌詞だったんです。TikTokで聴けるのはサビだけだったので、全部聴いてみたくなる歌詞だったんですよ。最初から最後まで歌詞を聴いてみると、雑草魂をすごく感じて感動してしまったんです。それで、カバーしたい! って。
 
――歌謡曲で育って、流しを主戦場にしてきたおかゆさんがラップ曲をカバーすることにもすごく意外性を感じました。
 
ラップは初挑戦だったんですけど、歌謡曲には吉幾三さんというラップの大先輩もいらっしゃるので躊躇せず私もやりたいなと。あと渋谷のギャル時代、当時の彼氏の影響だったのかな? KREVAさんの音楽もよく聴いていたんです。そのせいかラップの曲をカバーする難しさとか、考え込むことはなかったですね。でも歌っていくうちにすごく入り込んで、私自身が心之助さんみたいな感じになって歌っちゃいましたね(笑)。でもそのぐらいバイブスを感じました。
 
――そのほか会心の出来! と思えたカバーはありましたか?
 
1曲1曲思い入れが違う感じです。「雲の上」はバイブス桁違いだし、「残酷な天使のテーゼ」はアニメソングのカバー初挑戦だけど、ずっと歌い継がれる名曲だし流しでリクエストされて歌ってきました。デンモクにも必ず入っていますしね。前作の『おかゆウタ カバーソングス』でも、難しい曲に挑戦させてもらったんです。大橋純子さんの「たそがれマイ・ラブ」を始め、本当に実力派の大先輩は技術がものすごいので、自分の音楽の幅がすごく広がったんですね。だからこそ、『1』を経て『2』を歌っています、『2』ではさらに進化した自分を見せたいという気持ちは強かったのかな。昨年30歳になってちょっと背伸びをして行き着く歌を歌いたいと思ったんです。このタイミングで大人な曲もカバーさせていただけたのは、『1』 を経たからこそかな。成長した姿、成長した声を受け取っていただけたらという思いで、1曲1曲違った思い、違った魂で歌いました。
 
――それはこのカラフルなCDのジャケットにも通じていますよね。
 
そうなんです! このアルバムは1曲1曲思いがあってカラーが違う、おかゆひとりで歌っているわけではなく、何色のおかゆ、何色のおかゆ、何色のおかゆみたいに全曲違ったカラーで歌っているから、それをジャケットでも表現したいというところが出発点なんです。そして未来から来る風を受けて、虹色に輝いていく、1曲ごとに個性があるんだよということを表現しました。
 
――なるほど。そんなふうに自分自身に進化を求めたカバーアルバムが完成して、カバーのよさやカバーすることの面白さにもまた気付かれたのかなと思うのですが…。
 
ラップ曲もアニソンも、ポップスも歌謡曲、シティポップも共通しているのは令和になっても歌われているということ、その曲が色褪せていないということです。人々の記憶の中にあって、曲が再生されることで当時を思い出す人がいる。それってその楽曲が持つ計り知れないパワーがありますよね。「星めぐりのうた」に関してはオリンピックの閉会式で初めて聴いて、なんて美しい曲なんだろうって感動したんです。日本がこんなに美しくて、言葉が歌として心に入ってきた時に浄化されたような気持ちになりました。それでインスタライブで歌ってみたら、フォロワーさんからカバーした方がいいよ! というお声をいただいた経緯がありました。今まで歌ってきた歌謡曲とは違う曲を今回はたくさん取り入れさせていただいて、それぞれジャンルは違うけど時代の流行歌というか、音楽の持つ力や魂、つくった人の思いや音楽の素晴らしさに向き合うことができたかなと思います。それぞれの曲との出会いはもちろん、カバーできたことも含めて一瞬一瞬が出会いですよね。どのタイミングでどんな曲に出会えるかわからない。でもそこで新しい化学反応が起こって、また受け取った誰かに影響を与えるかもしれないですよね。
 
――おかゆさんのルーツである流しも、偶然という化学反応の連続ですよね。
 
はい。スナックには毎日いろんな曲が溢れていて、毎日いろんな土地でいろんな人と音楽を通して出会うことができていました。今はコロナでなかなか難しいですけど…。ライブとして届けることは難しくても、この作品を通して音楽の力を感じていただけたらなと思います。私自身も、作品越しでも届けていきたいと思います。歌手になるっていう目標を立てて、7842人の人と写真を撮ったら終わりにしようと思っていたけど、今こんな風に未来が開けたように活動ができている。辛いこともあったけど諦めなくてよかったなと思いますね。『おかゆウタ カバーソングス2』が出せたことも、これを受け取ってくださる方がいることも、こうやって取材をしてもらえることも感謝です。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします!

取材・文/桃井麻依子



(2022年2月15日更新)


Check

Release

Album『おかゆウタ カバーソングス2』
発売中 3000円
VICL-65637
Victor

《収録曲》
01. 雲の上
02. 残酷な天使のテーゼ
03. メロディー ~ライブ録音~ 
04. 東京
05. 思秋期
06. みずいろの雨
07. 五番街のマリーへ
08. DOWN TOWN
09. 星めぐりの歌
10. 氷雨 ~流しスタイル~

Profile

おかゆ…1991年6月21日生まれ、北海道札幌市出身の歌手・シンガーソングライター。歌手になることが夢だった母のと幼い頃からスナック行き、そこで歌謡曲を聞いて育つ。自身が17歳の時に急逝した母の夢を引き継ぎ歌手になるため、2014年から「流し」の活動を始め、日本全国を廻り2019年4月に47都道府県を制覇。インディーズ時代にテレビ東京「THEカラオケ☆バトル」で2回優勝したことがきっかけとなり、2019年5月1日「ヨコハマ・ヘンリー」でメジャーデビューを果たす。現在、BSテレビ東京『徳光和夫の名曲にっぽん』にアシスタントMCとしてレギュラーで出演するほか、7局ネットのラジオ番組『ラジおかゆ』にてMCも務めている。

おかゆ Instagram
https://www.instagram.com/okayu_dayu/