「変わらないために、変わり続けた」愛はズボーンの10年間
これまでの変遷と同時リリースのTRIBUTE&COVER盤について
メンバー全員インタビュー
「大阪はアメリカ村からやってきました。愛はズボーンです!」全国各地のライブハウスやフェスで、そう叫び続けて10年。その土地土地で共に戦い、絆を深めてきた盟友バンドたちが参加するトリビュート盤『I was born 10 years ago.~TRIBUTE~』と、彼らの楽曲をカバーした『I was born 10 years ago.~COVER~』が、結成10周年を記念して10月13日に同時リリースされた。今回のインタビューでは、この10年をメンバー全員と振り返りながら、愛はズへの愛が溢れたトリビュート盤を通して気づいたこと。そして、コロナ禍を経て取り入れた新しい楽曲アプローチがバンドのもつ変幻自在な音楽性とメンバーの個性が色濃く出ているカバー盤について。10年の集大成であり、これからの新しい世界へと向かう出発点となった本作は、いかにして生まれたのか、ありのままに語ってもらった。
11月20日(土)には、心斎橋BIGCATにてライブ「愛はズボーンpresents『I was born 10 years ago. SPECIAL』」の開催が決定している。トリビュートに参加したキュウソネコカミ、ナードマグネット、DENIMS、夜の本気ダンスに加え、ドミコとPK shampooも参戦するこの記念すべきイベントに先駆けて、愛はズボーンの今をインタビューを通して共に振り返りたい。
結成から10年間の変化と、変わらず大事にしてきたこと
――結成10周年イヤーを駆け抜けているところかと思いますが、実感としてはいかがですか?
金城(g&vo)「僕は最初はそこまで意識していなくて。でも周りやレーベルオーナーから、“すごいことだよ!”といってもらえて、意識していくにつれ10年の重みを感じながら今は活動できているので、すごくいい1年になっているんじゃないかなと」
富永(ds)「10年間、メンバーが変わってないことを褒められることが多くて。そう言われるとそうかと。10年みんなでやってきたんやなって実感しています」
白井(b)「僕も、みんなと一緒で10年目になってみて少しずつ実感するぐらいの感じですね」
GIMA(vo&g)「やっぱり周りに気付かされる部分が多いですよね。ライブしていく中で、“10周年おめでとう!”と言ってもらいながら活動していくと、10年なにがあったか考える時間も増えたし。振り返ると、楽しいことしか思い出せないですね。最近、姪っ子が生まれたんですけど、10年って0歳の子がつかまり立ちできるようになって小学三年生ぐらいになるぐらいじゃないですか。その間、俺らはずっとバンドしてたんやなって」
金城「何曜日の何時から『ONE PIECE』と『遊☆戯☆王』のアニメ、『めちゃ×2イケてるッ!』がこの日…って、自分でスケジュール立てだすぐらいの年齢ですね。自分の好きな楽しみ方を見つけ出せる年齢(笑)。俺らもやっとなんかもな。僕も楽しいことを思い出すのは一緒で、嫌なことを思い出しても意味ないなと思えるようになれました。どうしてもネガティブな心の方が強い性格なので、ポジティブなこと考える方がハッピーなの分かってるのにできなかったのが、10年経ってできるようになってきたと思います」
――自分たちなりの楽しみ方で、音楽と向き合うように。より自由に楽しみながら活動できている感じは、音源からもライブからもすごく伝わってきます。金城さんのように、10年で変化してきた部分はありますか?
白井「確実に言えるのは、人前に出れるようになりましたね」
――そういえば、白井さんがステージからフロアに向かってではなく、横を向いてプレイしているのは人がいっぱいいるのを見えないようにするため…と聞いたことがあります。
金城「そもそもステージに出るのが生き甲斐で、小学生から人前に出てなんぼと思ってたんですけど、白井くんみたいな価値観の人もいる。目立ちたくてバンドしてるんじゃないの?って最初は不思議に思っていたけど、ずっと一緒にステージに立ってきて、そういう人もいることに気づけたのは一緒にバンドをしてこれたからかも」
GIMA「俺はメンバー間の会話の内容が、だんだん信頼のもとになってきているなと感じますね。生きやすくなってきた。ミスしたりもするけど、それも含めみんな知ってくれてるから、しっかりと個人として成長して“GIMA☆KENTA”を作り上げていかないとと意識も変わった。知ってくれてる分、責任をもって作りあげていかないとなって」
ーー富永さんは?
GIMA「トミちゃんは・・・」
金城「KENTAが答えるん?(笑)」
富永「教えて!(笑)。えーっと、僕はものを考えるようになりましたね。バンド始める前の23歳ぐらいまでは本当になーんも考えてなかった」
金城「4歳の頃から進学とかもずっと一緒やけど、ほんま何も考えてないよな」
富永「そう。何も考えてなかったけど、みんないっぱい考えてるから“僕も考えよう!”ってなりました」
金城「でも、トミちゃんが吹奏楽部に入るって言ったから俺も入ったし。ギターを俺に弾かせたのもトミちゃん。だから、考えてない人やけど意外と周りに影響を与えてるねんで」
GIMA「麻雀とかね」
富永「なんかいややなぁ、その影響(笑)」
GIMA「23歳から物心ついたんやったら、そろそろ10年経って何時に何のテレビやってるか自分でスケジュール立てれるようになったんちゃう?」
富永「たしかに最近、『水曜日のダウンタウン』がいつ放送されてるかわかった」
金城「タイトルでほぼ言うてるやん(笑)。今まで大変やったなぁ」
ーー徐々にいろいろ考えるようになっていったんですか?それともきっかけがあって?
白井「シーケンスを作るようになったのもあるんちゃう?」
富永「確かに、それはでかい。自分でデータを触ったりしたことなかったから、ずっと半泣きなりながらやってました。家で全員で集まって、打ち込むようになってからこう作るんかと考え方が変わったりしたかもしれない」
ーー逆に変わっていない、ずっと変わってない部分はありますか?
白井「僕が思うのは、わかりづらすぎる音源にはしてきてないなと。なんというか・・・」
金城「最近、ライブのセトリとか決める時によく話している“スピルバーグ感”ね」
白井「そうそう! アート寄りすぎないというか。そこが変わってないなと」
金城「『時計仕掛けのオレンジ』とかを作ったスタンリー・キューブリックではなく、スティーヴン・スピルバーグ。わかる人にはわかる、ということはしないで、子供でも面白いと思えるところをやってきてるね」
GIMA「スピルバーグ感でいうと、俺がどれだけ意味不明なT・レックス(ティラノサウルス)になれるかということかな」
金城「あはは。スピルバーグもやるねんな、T・レックスに勝手に色塗ったりな」
GIMA「そこかな。おもろいことをやったら、メンバーも笑ってくれるから」
ーーGIMAさんは、図画工作というロボットの着ぐるみで登場していたこともあれば、最近はオーダーメイドのピンクのセットアップでステージに立っていたり。その変化は、「変わらずおもろいことをしたい」という思いから。
GIMA「マーサくん(金城)が、“変わらないために、変わり続ける”と言ってて、愛はズとしてはそこはずっと大事にしていることかなと思いますね。変わることを恐れないで、エンジョイするほうがいいんじゃないかって、そういう気持ちを持ってやってきたのが今日までの全てに繋がってるかな。その方が、ワクワクするしね」
金城「僕は空気を大事にしてきたし、したいなと。僕は超寂しがりのくせに、超孤独主義なんですね。最近、岡本太郎の本を読み返してたら、“孤独と単独は違う”と書いてあって。アーティストは孤独であるべきだと。単独行動をするのが一匹狼みたいでかっこいいと思ってるうちはファッションでしかなくて、自分と向き合って孤独になるからこそ人にどう見られてるか気にするし、人がどう思うかとか、みんなが幸せであればいいなと考えられて孤独になっていく。それが大事だと言う言葉が刺さって、それは変わらず自分のテーマにあったなと」
ーー空気というのはバンド間のですよね。
金城「そうです。チームの空気が悪くなると、とたんに自分の調子も狂う。それをできるだけいい空気が流れるように換気扇を回せるようにやりたい。“やりたい”というか、孤独と向き合うことがそういうことなんかなと」
ーーリーダーとして回し続けてきた換気扇。それは10年間同じメンバーで続けてこれた秘訣かもしれませんね。富永さんはどうですか?
金城&GIMA「トミちゃんは・・・・」
富永「おい!(笑)」
金城「一回、換気しとこうと思って。ごめんな(笑)」
富永「・・・・・・・」
GIMA「すみません、質問を忘れたみたいです(笑)」
富永「すみません、『一同(笑)』でお願いしていいですか?。笑顔を絶やさないということぐらいしか思いつかないので(笑)」
メンバーの個性がより自由にカラフルに発色したカバー盤
ーー10周年を迎えて同時リリースされた、トリビュート盤とカバー盤『I was born 10 years ago.』についてもお聞かせください。先ほど、富永さんがシーケンスを作るようになって意識が変わったと仰っていましたが、これまでとは違った制作になっていたのではないかなと思います。
GIMA「新型コロナウイルス感染症の影響で、スタジオで集まって作るのも難しくなった時に、マーサくんから“曲の作り方から変えてみよう”って提案があって。もっとライフスタイルに沿った、遊びの延長で曲作りしてみるほうがいいんじゃないかって。それで、グッパーで分かれて、2対2で作るようになりました。マーサくん意外はシーケンスを作ったことがなかってんけど、俺らも作る機会が増えて、音楽の幅とか立体感が出せるようになったかなって」
ーーアルバム『TECHNO BLUES』で取り入れていた作り方ですね。
金城「そもそもは自分一人で作ってた時が結構戦ってたんですよね。今日作らないといけないのに漫画を読んだりゲームしちゃうとか。映画を観ちゃうとか、飲みに行っちゃうとか。自分の抑制との戦いになる。けどなんでそれは、仕事やと思ってるのかとか考えるようになったんですね。音楽始めた時はそもそも遊びやし、遊んで暮らすためのツールがバンドと考えてもいいのにって。それで、最初は配信しながら曲を作ることで、お客さんが見てくれてるから自分を抑制して作れるなと初めてみたんです。そうやってストイックにやってたんですけど、それはそれでメンバーとの気持ちの距離が離れていく気がしたんで、それなら今度はメンバーが見てくれてる環境で、遊びの延長としてワイワイ作れたらいいなと」
GIMA「それで、ソングライター・白井が生まれた」
白井「そうなん?(笑)」
GIMA「曲作りのアプローチが変わったんじゃないですか?」
白井「カバーで2曲ずつみんなでやろうってなったから、段階踏んで自分でもできるようにはなったかな」
金城「サウンドをつくったり、ビートを刻むカッコよさってメンバーそれぞれが持ってるはずですからね。それこそソングライター・白井は筆が早い!パンって、できるところまで作ってあとは任すわってね。歌詞は僕かKENTAが書くし、最終編集は僕がするし」
白井「そうですね。パソコンでできる範囲はやって、できてみんなで合わせようと。ドラムのフィルとか僕が考えても意味ないと思うんで、トミちゃんにそこは任すわって」
ーー富永さんなら、こんな感じでやるかなとか意識をしながら余白を残して渡すような?
白井「いや、全く考えてないですね(笑)。だから、ある程度つくって持っていっても変やと言われますね。そこは直したい人が直していけばいいかなと」
富永「だから、かなり自由にできましたね。むちゃくちゃやりやすかった」
ーー今回のカバー盤では、それぞれどのバンドのカバーを担当されたのですか?
金城「僕は、『ウィーアーインディーズバンド!! (キュウソネコカミ)』 と『午時葵(Helsinki Lambda Club)』です」
富永「僕が『THE GREAT ESCAPE(ナードマグネット)』と『生きるについて(空きっ腹に酒)』」
白井「『SMILE SMILE(夜の本気ダンス)』と『LAST DANCE(DENIMS)』、『エクレア(岡崎体育)』です」
GIMA「俺が『カンタンなビートにしなきゃ踊れないのか(THIS IS JAPAN)』と『XXXXX(KING BROTHERS)』。それと『星丘公園(Hump Back)』は全員で作りました」
ーーこれはどういう感じで選定を?
GIMA「挙手制に近いよね?」
金城「あんまり取り合いになる感じでもなく、“これやりたい!”ってのですんなりと決まった。それぞれ自信あるからなんやろなっていうね。とはいえ全部はできないから、このバンドもしたかったというのもあります。それから曲は担当する人が選んで、これにしようと思うと提案して決まっていったって感じですね」
ーーこの曲をカバーするのかという、セレクトも醍醐味ですよね。
金城「そう考えたら、トリッキーな曲をカバーしてるかもしれないですね。キュウソはきっと『ウィーアーインディーズバンド!! 』じゃないやろし、ヘルシンキも『午時葵』じゃないと思うし。素直に自分が一番やりたいことをやらせてもらえたなと思いますね」
GIMA「『午時葵』がフル尺では一番最初にできあがったぐらいなんですけど、今までの愛はズボーンで聴いたことない感じで“これありなんや!”ってびっくりしましたね(笑)。“やべー!これありなんやったら、可能性めっちゃ広がるやん”って感動したのを覚えてます」
金城「元々は“ライブでできる曲にする”というルールで話してたんですけど、僕が最初に破るっていう(笑)。しゃあないじゃないですか、朝起きて今日は『午時葵』作るぞ! って思った僕は、ライブでできる曲にするって言った時の自分じゃなかったんです。今、作りたい音源を楽しく作れたらリリース後も愛着のある音源になるなと。そう思うと、メンバーに課したルールなんてしったこっちゃないぞと、打ち込みに合わせて僕が一人で歌うスタイルに」
ーー富永さんは、ナードと空きっ腹を。
富永「ナードはやりたいことにパッとはまるのがイメージついたんで、すぐにできたんですよね。『生きるについて』は、単純に曲が大好きでやりたくて」
金城「結構、途中で詰まったタイミングがあったので“曲変えたら?”って提案したんですけど、この曲がいいってね」
富永「一番好きな曲やったから、どうしてもこの曲がよかったんですよね。ブレずに作った甲斐があったなと思います」
白井「僕は元々は違う曲で考えてて、夜ダンは『ロシアのビッグマフ』、DENIMSは『ゆるりゆらり』をやるつもりやったんです。『ロシアのビッグマフ』は2番ぐらいまで作ってたんですけど、その後に『SMILE SMILE』を聴いてこっちの方がやりたいなって。DENIMSは、頭の中にあったアレンジが『LAST DANCE』の方が合うなと気づいて変えましたね。あと、ライブのMCでカマチュー(釜中健伍)さんが、元ベースのまっつん(松原大地)さんに向けた歌みたいなことを言ってたので、自分も一枚そこにかみたいなという個人的な想いもあって。『エクレア』は、単純に好きな曲だったので選びました」
GIMA「ディスジャパに関しては、俺らも東京に行き出した頃に一緒にやってて、その頃から今も『カンタンなビートにしなきゃ踊れないのか』をやってるから、お互いの出会いとかメンバーのことを想いながら作りたくて選びました。KINGは、すげー迷ったけど“はじまりと終わり”について歌ってる曲やから『XXXXX』に。“愛はズボーン(I was born)”が“生まれる”ということを意味している中で、もう一回“はじまりと終わり”に向き合って、楽曲制作をしてみたいなとKINGの胸を借りるような想いで」
金城「KENTA、ほぼひとりで作ったよな」
GIMA「ドラムだけ、簡単にビートを打ち込んでもらったりしましたね」
金城「トミちゃんの担当した曲は、家で話しながらめちゃくちゃ一緒に作ったイメージがあって。白井くんもドラムフレーズとかはトミちゃんに投げてたり、ギターフレーズも邪魔せん程度に僕のエゴを入れてアレンジした感じがあって。けど、GIMAちゃんがKINGの曲を持ってきた時は、トミちゃんとかトミちゃんに言えることがあったとの違って、全くどうしたらいいかわからんかったんですよ」
富永「ほんまにわからんかったな(笑)」
金城「ディスジャパはなんとなくわかるから、“ビッグ・ブラックの世界とか合うんじゃない?”みたいな具体的な話をできたんです。でも、KINGの時だけは何も言えなかった。だから、そこは何も言わんとただ我慢して、それが一番いいものができると信じてたからただただ待ってましたね。それで、レコーディングして声を入れたのを聴いた時になるほど! ってなった。生命の始まりと終わりというメッセージがサウンドにしっかりとのっていて、すごいなと。芸術的なアプローチで作ってたことが分かってた。けど、期限もある中で魂をぶつけるような作り方してたら持たないぞと、それは言いましたね。とはいえ、一番ビビったなぁ」
GIMA「何するにしても、『はじまりと終わり』の歌詞が頭から離れへんくなって、しばらくとりつかれたみたいに、頭の中にKINGの曲が頭の中に流れてましたね。そもそも“愛はズボーン(I was born)”ってどういうことなのかってのも考え直したりした。ちょうど親父が亡くなったり、姪っ子が生まれたのもそうですけど、生命というものに向き合ってどうにか音楽に落とし込みたかった一心で作りましたね」
ーー生命と向き合い、魂を燃やすように作ったと。
GIMA「KINGの歌ってきたブルースって、どういうことなんやろうとか考えたら、腹の底から煮えたぎった黒い液体を出す感覚みたいなのかなって。KINGがずっとそれを見せてきてくれたから、俺はブルースを知ることができたし。そんなKINGの曲をやるということは責任が重大。だからこそ、KINGのみんなが聴いた時に、こいつアホやなって思ってもらえるような曲にしたいなと」
金城「そういう精神は、見習おうと思いますしたね。ゴールがどこにあるかわからんくても、走り続ける作り方をやってのけてくれたらから刺激を受けました」
愛はズへの愛が込められたトリビュート盤で再確認できたこと
ーー逆に、トリュビュート盤で各バンドから送られてきた楽曲を聴いた時の印象はいかがでしたか?
白井「最初は、『Z scream!(THIS IS JAPAN)』か、『ニャロメ!(Hump Back)』かな?どっちも一発目に声が入ってて、聞いた瞬間に『やばいな!』ってなったのを覚えてます。その瞬間に、“あぁ、いい企画やったんや”って確信しましたね」
ーーやはり、不安だった?
金城「めっちゃ不安ですよ。今から10曲カバーするなんてアホやん!って(笑)。それこそゴール見えないし、それでもバンドとしてはどうにかしてゴールを見つけて完走しないといけない。その役目が僕にはあると思ったからこそ、曲を分ける提案をしたりとか、どうしたらみんなが自由にやれるかを考えられたのもあります」
白井「僕は分けて作る提案があったから、1人2〜3曲ずつやったらいけそうやと思えたけど。どっちかっというと、トミちゃんがいけるんかなって不安の方がありましたね(笑)」
富永「もう、すっごい不安やった。コードもわからんし、家にギターもないし。けど、やり出したらめっちゃ楽しかったですね。おもしろくて、やってよかったなと」
ーーカバーを通して音楽やバンドともう一度向き合い、作り方や考え方に変化も。一方で、トリビュートでは、盟友たちと歩んできた10年を振り返ったり、自分たちの楽曲を違った角度から知る機会になったのではないかなと。祝福やエールの想いがこもっているのはもちろん、特に先輩であるKINGは“まだまだこれからやぞ”と焚き付けるような熱もあったり。
金城「それはすごい感じた! 不安があったとはいえ、こんなにエネルギーになる企画はないですよ。10曲カバーしてもらえるなんて、10年かけてそれ以上に曲を出してるバンドじゃないとできないことなので。僕らには人が選んでくれる、こんなにもいい曲が10曲はあんねやって自信にもなりましたね」
ーー何十曲ある愛はズの楽曲から、それぞれ好きな曲を選んでいるわけですもね。
金城「1曲ずつね、期間が違えど届くんですよ。俺は家のベランダでしかタバコが吸えないので、イヤホンつけながら届いた曲を聴く、その時のタバコが美味いのよ!(笑)。めちゃくちゃ面白い企画をレーベルオーナーは提案してくれてみんなと一緒にできてるんやってその度に思ったし、早く参加してくれたバンドのみんなに会いたいなって思いました」
ーーそれぞれ、愛はズへの愛がこれでもかと詰まっていますよね。
金城「その中でも選ぶのは難しいけど、『BABY君は悪魔ちゃん(夜の本気ダンス)』がクオリティの面では一番喰らいましたね。アーティスト的な面では、『愛はズボーン(KING BROTHERS)』が刺さりに刺さったし…・言い出したら全部やなぁ。『MAJIMEチャンネル』も笑ったわぁ!空きっ腹に酒が活動休止になって、ゆきてる(田中幸輝)がS.L.N.M(サルノメ)としての活動とかソロの音源を作っていて外に開けている感じがすごいあって。周りでは、ゆきてるが誰よりも遊びながら曲作りをしているのを知ってるからこそ、新しくリライトしたリリックとか聴いてると“楽しそうやなこいつ!”ってね。それが、空きっ腹にも伝染してたらいいなと思うし。いろいろ想像できる音源でめちゃくちゃ笑った。『ONE PIECE』のゴールドロジャーぐらい笑いましたよ。“これ、幸せすぎる!”って」
富永「僕は、Helsinki Lambda Clubは『ピカソゲルニカ』を選ぶところにも驚いたし、いい感じにふざけてくれて感動しました。『Z scream!(THIS IS JAPAN)』は、歌詞を変えてる部分を聴いて、めっちゃ愛されてるなって思ったなぁ」
金城「『ニャロメ!(Hump Back)』と『ゆ〜らめりか(DENIMS)』は、自分で書いておきながら、なんていい歌なんだって思いましたね。自分のライブを自分では見れないし、自分の音源を自分で聴くのとは違って、客観的に聴くことで“こんなにも人を勇気づける歌詞を書いてたんやなって”って再確認させてもらえました。だからこそ、これからはもっと大事に歌わないとなって。カマチューさんが『ゆ〜らめりか』を歌うと、禅問答している同士というのもあって向こうから投げかけられてるような気もしましたね」
GIMA「『恋のスーパーオレンジ(ナードマグネット)』とか、須田(亮太)さんに歌ってもらうために作ったんじゃないかなと思うぐらい、ハマってましたよね。ナードのカバーを俺らがしてるってことに、事実が変わってもいいぐらいハマってた(笑)」
金城「あのギターフレーズは、藤井(亮輔)さんが弾くためにあったんじゃないかみたいなね(笑)。時空がねじれるぐらい完璧やった」
GIMA「KINGは送られてきた次の日に、マーヤさんとフットサルする予定やったんですよ。どういうモチベーションんで、ワンツーマンのドリブル勝負していいかわからへんかった。どうやって抜いたろうかとか、守ったり攻めようかとか考えて訳わからんくなりました。結果、めちゃくちゃいいパス出しました(笑)」
ーー関係あるようでない話(笑)。
金城「ケイゾウさんの声で、自分の書いた歌詞を聴くと、こんなにも哲学なんかと思ったなぁ。“自分がチンパンジーだったらと思った時にはもう遅い”って。こんなこと、俺歌ってたん? みたいな。自分たちの曲が、倍以上になって跳ね返ってきたなぁ。その力のあるバンドしかいない、光栄ですね」
ーー今回のカバー盤とトリビュート盤をひとつの節目に、今後どこへ向かっていくのかもとても楽しみです。
金城「まだゴールの見えないスタートラインなんじゃないかと思いますね。どんだけ、かしこくストイックにやっても最初は不安でしかないから、マラソンとか山登りみたいに、そりゃ行き道なんで不安もあります。ここからは一段と野望を持ってやるし、そのつもりでチームで作ってるので。それに恥じないように自分たちの次の表現を突き詰める時間にしたいですね」
GIMA「今回、参加してくれたバンドとか応援してくれてるお客さんたちに、よかったっと思ってもらえるように、これからの活動とか表現で恩返ししていきたいですね」
白井「分担して作ったとはいえ、10曲作れたということはアルバムを作れる曲数なので、個人的には次はアルバムを作りたいです」
ーーすでに次の構想も?
金城「一応、コンセプトがあるものを作ろうかなとか考えてます。今までは、“愛はズボーン”をテーマにしていたから、知ってくれてる人はどんどん好きになってくれる。その上で、今度はみんなが知ってるテーマ、例えば勇気でも根性でも掲げたテーマに愛はズボーンがアプローチをかけて作ろうぜという話はしています。まだ仮でどうなるかわかんないんですけど、今は“魔法の世界”をテーマに、愛はズの言葉やサウンドで表現したらどうなるかというのを作ったりしてます」
ーーそれはとても楽しみですね!次の山へと向かう中で、まずは11月20日(土)に、心斎橋BIGCATで、「愛はズボーンpresents『I was born 10 years ago. SPECIAL』」が待っていますね。トリビュートに参加している、キュウソネコカミ、ナードマグネット、DENIMS、夜の本気ダンスに加えて、ドミコとPK shampooも参戦…と、10周年を記念したセレブレイトなイベントでは収まらないバチバチな対バンになりそう。
金城「僕たちがホストなんでね。おもてなしも、お返しもしたいしなと、まだ言えないですけどいろいろ企んでるので楽しみにしていてください!」
Text by 大西健斗
(2021年11月12日更新)
Check