「体を使って心ゆさぶるメッセージを届けたい」 16年振りのミニアルバムを通して体感できる シンガー・エリアンナが培ってきた“歌の力”
類稀な歌唱力とパワフルな歌声、そして豊かな表現力で活躍するシンガーのエリアンナ。2000年のデビュー以降、シンガーとしての活動を続ける中で『RENT』や『アイ・ガット・マーマン』、『ウィズ〜オズの魔法使い〜』、『ファントム』など数々の人気ミュージカルにも出演しミュージカル女優としても一歩一歩進んできた。「楽曲を私の体を通して広めるメッセンジャーでありたい」という彼女が、この秋16年振りとなるミニアルバム『Sincerely yours,』を発表した。曲数こそ9曲とコンパクトだがオリジナル曲あり、ミュージカル曲あり、カヴァー曲ありと多彩で、曲のバリエーションが多い分エリアンナの歌の力をストレートに感じることができる一枚だ。そしてこのアルバムを聴くと不思議と、エリアンナという人のパーソナリティについても興味が湧く。この歌声、唯一無二のグルーヴ感を培ったものはなんだったのか、カヴァー曲はなぜこの曲を選んだのか、そして何より16年もアルバムリリースがあいたのはなぜだったのか。その「?」について、来阪中だったエリアンナを直撃。このインタビューを読んだあとに『Sincerely yours,』を聴き直すと、また違った景色が見えてくると思う。
いい楽曲や作品を、自分の体を通して放射していきたい
――今日はよろしくお願いします! 大阪に来られるのは久しぶりですか?
4月にミュージカル出演で来た以来ですね。プロモーションという形でお邪魔するのは本当に久しぶり…10何年ぶり! なんせ今回アルバムをリリースするのが16年ぶりなので(笑)。
――今日はニューミニアルバムの『Sincerely yours,』についてじっくりお話を聞きたいと思うのですが、この作品を聴かせていただくとすごくこれまでのご自身の経験や活動をギュッと詰め込まれているので、エリアンナさんのバックボーンを知っているとより興味深く聴けるはずだとすごく感じました。元々はシンガーとしてデビューをされて、現在の活動の中心はミュージカルになっている感じなのでしょうか。
ミュージカルは公演期間が長かったり出演回数が多いのでミュージカル中心に活動しているという印象かもしれませんが、音楽の活動も『進撃の巨人』のコンサートに立たせていただいたりJazztronikさんのライブに参加してツアーを回らせてもらったり、活動比率は半々っていう感じですね。舞台と歌、自分の中では特に線引きはしていなくて。ミュージカルは皆でバトンを渡してひとつのテーマを届ける、ライブは3分や5分の音楽をたくさん歌って皆さんに届ける。スタイルは違うけれど、どちらも心を揺さぶる「メッセージを届ける」という意味では本当に同じなんです。決定的に違うのは役を通して届けるのか、自分自身が楽器となって届けるのかですね。私の中では「メッセージを届ける」というのがすごくキーワードになっていて、だからこそ最近は自分のライブのタイトルに『Message』っていう言葉をつけています。ライブではオリジナル曲も、カヴァーもミュージカルの楽曲も、今届けたい楽曲を私の体を通して広めるメッセンジャーでありたいと思っているんです。
――そのメッセンジャーになりたいと思うようになったのは、たくさんの経験を積んでからのことですか?
メッセンジャーになりたいという思いが芽生えたのはもっと前ですね。それこそ私が歌を始めたきっかけがマイケル・ジャクソンなんですけど、なんでマイケルってこんなにも人を笑顔にしているんだろう、こんなにも世界を熱狂させているんだろうと考えたら、彼自身も小さい頃からいい曲を届けてきたメッセンジャーだっていうことに気づいたんです。世界平和、愛、苦しみ、喜び、音楽の素晴らしさをマイケルが届けてきたんだなって思った時に、私もそうなりたいと思いました。
――マイケル・ジャクソンとの出会いがミュージシャンを目指すきっかけになったっていうのはいろんなインタビューでもお話されていましたが、それまでは音楽はどんな存在だったんでしょう。
マイケルとの出会いは7歳なのでそれ以前の話になりますけど、家でずっと歌っていたり、ブラジル人の父がミュージシャンでブラジル音楽のサンバスクールをやっていたりしたのでそれに合わせて歌っていたり、自分にとってただただ楽しいものっていう感じでしたね。
――そんな女の子が、どうしてマイケル・ジャクソンのステージに?
それはたまたま! インターナショナルスクールに通っていた頃、マイケルが『DANGEROUS WORLD TOUR』で来日したんです。そのステージで「Heal the World」に合わせて各国の子どもたちがマイケルの周りを歩くっていう企画にいろんなスクールが招待されて、もちろん参加する! って。参加して、めちゃくちゃ近くでマイケルを見ることができたんです。いまだにそこで見たマイケルの姿は鮮明に覚えていますよ。ずっと彼だけを見ていましたから(笑)。光輝いていましたよね。あともうひとつ忘れられないのは東京ドームから見た客席なんです。
――客席?
ステージの上からは真っ暗で何も見えないんです。見えたのは非常灯ぐらい。それなのにすごい熱と圧を感じて、これがマイケルが舞台で毎回浴びているエネルギーなんだって感じました。ビリビリするような感覚が7歳の自分の体にも伝わってきて…衝撃体験でした。
――その衝撃体験以降は?
「歌手になりたい」っていう思いが強くなって、六本木のライブバーで定期的にライブを開催していた父に歌手を目指したいと伝えたら、まずは僕のライブに出る?って。そこから定期的に歌い始めると同時に、CM音楽のコーラスに参加したり、THE VOICE OF JAPANというゴスペルチームに入って歌を学んだりしました。THE VOICE OF JAPANはとても大きなチームだったので、紅白でコーラスをしたりテレビに出演したりもしていましたね。
――本当にずっと歌い続けてきたんですね。
はい。そのあとはクラリオンガールのコンテストに参加してグランプリをいただきました。当時のクラリオンガールは奨学金を出して夢を叶えさせてあげるという趣旨のものだったんです。私は歌手になりたい!という夢を持っていたので、その奨学金でバブルガム・ブラザーズの 「WON'T BE LONG」のカヴァーCDを出させていただきました。その頃は全国を営業回りしたりしていましたね。そんな修業時代を経て、シンガーとしてデビューすることができました。
――シンガーデビューして活動をしていく中で、ミュージカルに出演することになったのはどんな経緯で?
自分から出たいと声を上げました。『RENT』がちょうど映画で上演されていた時に見に行ったんです。本編が終わってエンドロールを見ていて「これ、本当はミュージカルなんだよな」って思い出して。これが日本でミュージカルで上演されるなら、どんな形でもいいから出たいなって思いました。楽曲が本当に素晴らしかったんです。そんな頃に本当に気ままに降りた駅のフラッと入った本屋さんでオーディション雑誌を見かけて。何気なく手に取ったらそこに「『RENT』ミュージカル出演者募集」って。
――え! 引きが強い!
(笑)! それに即応募をして、合格をいただいてミュージカルへの道が拓けていったんです。『RENT』は台詞も歌になっていて舞台がすべて音楽で構成されていました。イメージとしては演技よりも音楽に比重があったというか。当時はシンガーとして活動していたのでその時はよかったんですけど、そのあとありがたいことに宮本亜門さんの『アイ・ガット・マーマン』に出ることになったんです。歌の他に演技のパートも増えて、ある意味ちゃんと演出をしていただいたのが初めてでした。そこでお芝居と歌が素晴らしい女優の皆さんと共演できて間近で学べたことと、お芝居として歌を歌う楽しさと難しさを亜門さんに教えていただいたことで、ミュージカルの世界にもっと足を踏み入れてみたいと思いました。
――すごく大きなターニングポイントですね。
そうですね。実は…その頃、シンガーとしては迷いがある時期だったんです。思うようにいかないことも多くて、勝手にもう天井が見えてきたのかもしれないって思ってしまったり。でも亜門さんとの出会いで見えたような気がしていた天井が取り払われて、天井なんてない、空はもっと広くて青いって。シンガーとしても表現者としても学ぶべきこと、掘り下げなきゃいけないことがまだいっぱいあると気づかせてもらえて。それと、役を通してその人の人生を知ることができたこと、それを伝えられることはシンガーとはまた別の幸せとして感じられるようになったんです。もっといい楽曲や作品を、自分の体を通して放射していきたいって、それが原点かもしれないですね。
歌いたい楽曲を並べたら共通点は「愛」だった
――デビュー前もデビューしてからもいろいろな経験をされてきた中で、アルバムを1枚リリースしてそれから今回16年があいたというのは、何か理由があったんでしょうか。
シングルをリリースしたりたくさんのアーティストの作品に参加はしてきたけど、16年とは自分でもびっくりですよね。でもその間にいろんな経験や気づきがあって、事務所も変わったりして粛々と作品を作っていたけど、まとめようとか自分からドーンと発信しようみたいな感じではなかったのかな。大ファンだったJazztronikの作品にも参加できるようになって「彼の世界観を伝えたい!」っていう思いを強めたり。自分の曲じゃなくても、これを届けられることがもう幸せという気持ちが強かったんですね。
――それが今回、自分の作品を発表したいという思いが芽生えたのは?
『Sincerely yours,』に収録している「あなたの空」という曲、…実は私が19歳の時に作曲したものに詞をつけてもらった曲なんです。10代でできた曲を、20代を経てライブで歌っていく中で、これまで経験してきたことや精神的な成長とか、ミュージカルで培った表現の仕方、長い経験でついてきた自信までいろんな意味で成長してきた自分と「あなたの空」の世界観がだんだんマッチしてきたんです。自分の声帯の乗り方も含めて。長い時間をかけて歯車が合う感覚があって。それでようやくこの曲を世に放ちたいって思い始めたんですよね。本当に10何年もかかって(笑)。
――時間をグーンと飛び越えてね。
本当に! でも作った時からこの曲には大きな壮大な空のイメージがずっとあって。そのイメージで歌詞も書いてもらって本当にピッタリだったんですけど、それが歳と共にどんどんフィットしていったというか。歌として届けるのではなくて、内面から大好きな人の背中を押せるシンガーに私自身がなれたなっていう感覚があるので、30歳になった頃この曲が「これこそ伝えたいものだ」となりました。そんな時にスタッフもアルバムを出しましょうって。
――この曲の機が熟したからこそのアルバムだったんですね。オリジナル曲である「あなたの空」以外の曲はどのように誕生したのでしょうか? アルバムにするための曲の選び方や作り方。組み立て方など方法はたくさんあると思うのですが…。
作っている間にコロナ禍が途中で挟まって…でもその時間をポジティブに使ってじっくり焦らずに制作することができたんですね。それと最初から決めていたのは、愛をテーマにするということでした。
――テーマを決めたのはコロナ前?
前です。「あなたの空」は絶対に入れるとして他に何を入れたいか。Jazztronikの野崎(良太)さんには絶対曲を書いていただきたいし、ミュージカルの曲は『ザ・ウィズ』から「HOME」を歌いたいと。「HOME」は、20代からの10年の間にいろんな出会いがあったことを思い返せる楽曲でもあるんです。あとは「アカペリアンナ」っていう2017年からYouTubeでやっているアカペラの多重録音プロジェクトからも収録したいなと思っていました。
――そもそも「愛」っていうワードが出てきたのはどうしてだったんでしょうか。コロナ以後はコロナ禍で気づいた愛の大切さをテーマに作品を作ったというお話をアーティストさんのインタビューでよく聞くのですが、エリアンナさんの場合はコロナ以前だということで、気になります。
この曲やりたいなっていう楽曲を並べてみたら、共通点は愛だったというシンプルな理由です。自分がメッセンジャーとして伝えたい曲をピックアップしたら、それを貫いていたのが愛だった。それもさまざまな形の愛でしたね。
――聴いていると、本当に多彩な音楽が収録されたアルバムという印象です。モータウンサウンド、多重録音、ピアノ曲、オリジナル曲もあればカバー曲もある。多彩とはこういうこと! というようなカラフルさは意識されたことですか?
いや、そこはあまり…。今の自分って何? 自分らしいものってなんだろうって考えたらこれだった感じですかね。今までの音楽の経験を総動員して曲ごとに自分らしさを突き詰めたらこうなったっていう感じ。1曲1曲が小さな舞台じゃないですけど、自分自身にも響くメッセージがそれぞれにあるのでそれを届けられたらという感じだし、やっぱりブラックミュージックが好きだったり、ゴスペルが好きだったり、ミュージカル楽曲が好きだったり、自分のライブもこのアルバムみたいな感じなんです。このアルバムは16年振りっていうこともあるし(笑)、私はこんなに成長したよ! ってある意味名刺代わりみたいなイメージのものになったのかなと思います。
――印象的だったのは多重録音のカヴァーを結構な曲数収録されていて、この作品のポイントにもなっているなと。多重録音のおもしろさはどういうところなんでしょう。
それはもう、なんとでも原曲を崩せるところですね。自分はこれが面白いと思ったアレンジに何通りでも作ることができる。それがだんだん形になっていくのがパズルを作っているようで楽しいんです。例えて言えばレゴみたいな感じと言えば伝わりますかね? これが出来上がり見本ですっていうのがあるけど、ここにこの車を置くのはいやで、こっちがいいなとか考えていく感じ。そういうアレンジを想像して作っていくのはゲーム感覚でもありますね。
――脳内でイメージは出来上がっているんですか?
メロディーはもちろん元のものがあるので、それを脳内で流しながらこういうコードだったらこういう感じにアレンジして…あぁ、面白いなって。私、ジェイコブ・コリアーの大ファンで、彼の刺激はすごく大きいですね。彼のアレンジ力、コーラスの積み方とか神! って思います。あそこまではできないけど、私もそういうアレンジやコーラスワークが大好きなんです。カヴァーって原曲に似ていたら面白くないじゃないですか。なので、違うものにアレンジするのはめちゃくちゃ面白いなって。
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――私たちにしてみれば最も長く親しんできた童謡の「ぞうさん」があんな仕上がりになるのか! って本当に驚きました。
あはははははは! 「ぞうさん」驚きました?
――本当にびっくりでした。小さい頃から知っている「ぞうさん」があんなしっとり大人っぽく壮大になるなんて! っていう感じでした。
私はそういう反応を想像していませんでした。「ぞうさん」っていう曲は私に取ってアカペリアンナという多重録音のプロジェクトをスタートするためのプロトタイプ曲だったので。本当に遊び半分でYouTubeにあげただけ。あの曲があそこまで好評をいただけるとは思っていなったんです。あれだけシンプルな曲だからこそ崩せるなって。どこまでも遊べる曲ですよね。
――こんな解釈があるんだ! って驚きでした。
YouTubeには「どんぐりころころ」もあげているのでぜひ見てみてください。動画では床を転がったりしています(笑)。歌うより映像を編集する方が大変なんですけどね。
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――拝見します(笑)。ちなみにこのアルバムを通して聴く人に、伝えたいことや届いて欲しいことはありますか?
一番想像しているのは、大切な人を思い描いて聴いていただけたらうれしいなっていうことですね。過去の人、今近くにいる人、遠くにいる人、そこは委ねたい部分ではあるのですが、少しでも笑顔になったり、こういうことあったなとか浄化できたり、キュンとしたり、心をちょっとでも揺さぶれたらいいなと思います。個人的にはラブレター代わりにプレゼントするのもありなんじゃないかと思うんですよね。
――『Sincerely yours,』(敬具。親愛なるあなたへの意)というタイトルがタイトルですしね。
そうそう。私自身も今まで出会ってきた人たちへのありがとうのラブレターのアルバムだとも思っていて。それこそ気持ちを伝えられないなという人に、これ聴いてみてって渡すみないなね(笑)。
――先ほどから何回が16年振りっていうワードが出てきていますけど、16年間あいたからこそ、今回のアルバムでできたことはありましたか?
言葉というか歌詞をもっと大切にできたことに尽きますね。昔よりも全然。若い頃は耳馴染みというか、歌を歌う、かっこいいみたいな感じでイキがっていた年齢でもあると思うんです。20歳前後なので。アーティストぶっちゃうというか。でも今回は本当に地に足つけてそれぞれの世界観を大切に届けられたかなって思いますね。でもそれはミュージカルに参加した経験が大きかったかな。わかりやすく伝える歌い方は、ミュージカルで培うことができたのかなって思いますし、でもその分音楽の面では自分が楽器としてグルーヴを出せるようになった。それこそ日本語って海外の言語よりも少し堅いし、言葉数も多かったりするので、その楽曲のリズム感とかはいまだに音楽の現場で学んでいるので、それの上手い間を取れたのかなって思います。
――そうやって成長を感じながら制作したアルバムが完成して、次に見えてきた景色はありましたか?
まずはライブね。11月は東京だけなんですけど、やっぱり形として今はただ差し上げるっていう形になっているけども、ライブはシェアできるっていうのがね。やっぱり私はライブの人間なんだなっていうのをここ数年ずっと感じていますし、今という貴重なかけがえのない時間を同じ空間で自分が届けたいものを受信してくれて。エネルギーの交換ができて、それがそれぞれの人生のスパイスになれることが幸せなんです。それが一番近くで見える景色かな。もちろんマスク越しにはなるけど、手拍子とかしてくれるだけでも、本当にうれしいしね。私とみなさんで笑顔をシェアできればと。本当に楽しみでしかないですね
――ぜひ、次の機会は大阪でも!
ほんと、大阪でもやりたいですね。前のアルバムの時は大阪でもいっぱいライブをやっていたんですよ。アメリカ村の……。
――アメ村でエリアンナさんと言えば…club JOULEですか?
JOULE! ヤバっ! そうそう! 結構大阪に来ていたんです。エリアンナ名義でもまた来たいと思っています。来年の春には梅田芸術劇場でミュージカル『メリー・ポピンズ』に出演するので、関西のみなさんはそちらでお会いできたらうれしいですね。
Text by 桃井麻依子
(2021年10月29日更新)
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