愛に満ちたアルバムを携え、解散に向けて全力疾走開始!
やなわらばーインタビュー
3月13日に3年4か月ぶりとなるフルアルバム『うりずんの歌』を発表した、やなわらばー。彼女たちはこのリリースと同時に、2020年末日をもって解散することもアナウンスした。そこで、そんな大切な転換期にある2人にインタビュー! 解散のこと、久々のアルバムのこと、そして母校で開催されるライブのことについてたっぷりと語ってもらった。
――まずは解散について教えてください。その理由は何だったのでしょうか?
東里「今、私は大阪が拠点で子育てもしながら東京と行ったり来たりしているんですけど、やっぱり出産前に比べるとずっと(大阪を離れる)っていうのが難しくて…。それで2年という期間を定め、家族にも協力してもらって“行ってこい!”みたいな感じです(笑)」
石垣「もう全面協力です(笑)」
――解散はより集中して活動をするためと…。
東里「そうです。月に少ししかライブができないままでずっと続けていくよりは、私たちは結果を出したいっていう気持ちがあるので、そのためにこの2年で目標を立てて、みんなで力を合わせよう!って」
石垣「みんなで駆け抜けよう!と」
東里「なので、今はインストアイベントとかもたくさんできてますね」
――ちなみにその目標とは?
東里「東京国際フォーラムで(ライブを)やることですね」
石垣「それはずっと言い続けていて、あと2年間で少しでもそこに近づけるように頑張ります」
――では今、活動がより活発化しているんですね。そしてニューアルバム『うりずんの歌』は、解散が決定してから制作が始まったんですか?
石垣「プロデューサーの本間(昭光)さんに入っていただいて制作をスタートさせたんですが、実はその途中で解散の話が出たので、それを本間さんにお伝えして、最初に作ろうと思っていたアルバムの方向性を白紙に戻して、もう一度どういうアルバムを作るのかを考え直しました。なので、本間さんをはじめ、周りのみなさんにすごく迷惑をかけつつ、協力をしていただいたんです」
――解散を見すえて制作されたんですね。そんな『うりずんの歌』のテーマは愛ということですが、なぜこのテーマに?
石垣「今までのやなわらばーとこれからのやなわらばーを考えた上で、どんな曲をアルバムに収めるかを考えた時、共通点として愛があったんですよね。愛ってちょっと“クサい”感じはしますけど(笑)、私たち2人はお互いを思うがゆえに解散するわけで……。それに変な話、解散するアーティストってベストアルバムとかで終了というのが普通かなって思うんですけど、じゃ新しいアルバムを作りましょう!って手伝ってくださる事務所やレコード会社のスタッフさんの愛もあるし、本間さんが、いろんなことがぐちゃぐちゃになったなかで一緒にいいものを作ろう!って言ってくださったのも愛だし…。そしてやっぱりファンのみなさんですね。芽を出したいけどなかなか出ない、でも長く続けているっていう今のやなわらばーの状況でも、頑張りましょう!って自分のことのように応援してくださる家族のようなファンのみなさん。すべてが愛なんですよね。その愛があっての楽曲たちを収めたので、結果的に愛でつながっている、愛がテーマのアルバムになりました」
東里「応援してくださったファンの方に恩返しを!ってなったから、スタッフさんが今までの曲……ボツになった曲も含めて全部を洗いざらい聴き直してくれて。今私たちよりも(曲について)把握してるんじゃないか?ってくらいです(笑)」
石垣「そう。楽曲全部。もともと作ろうと思ってたアルバムの楽曲たちも含め」
――どれくらいあったんですか?
東里「(スタッフに対して)どれくらいありました(笑)?」
全員「(笑)」
スタッフ「めっちゃありました(笑)」
東里「その中から、これまで応援してくださったみなさんに、恩を返せるかな?とか受け入れてもらえるかな?とか考えつつ、でもこれから初めて出会うみなさんも考えて楽曲を選んだ感じです」
――では、今作は選ばれし13曲ですね。
石垣「もっともっと入れたい曲があったんですけどね~(笑)」
――そうですよね(笑)。そんな今作には新曲はもちろん、初期の頃に作った曲やそのセルフカバーも入っています。
石垣「初期の曲は1曲目の『2人なら』や5曲目の『君がいるから』、6曲目の『モーカバナ』もそうだし、9曲目の『ゆくい-Live version-』もですね。結構作り直しもしました」
東里「楽曲たちが変わらず持つ個性みたいなものがあるので、それを活かしながらアレンジをお願いしました。例えば『2人なら』は、作った段階でポップなものにしたいっていう希望があったので、本間さんにとにかく明るくポップにしてほしいっていう話をしたり、『モーカバナ』はすごく沖縄チックなメロディなんですけど、当初から神秘的なイメージがあったんで、アレンジャーのNAOKI-Tさんに“沖縄感のある曲”だけど、神秘的な方に寄せてほしいって相談して、リバーブとかディレイをかけてノイズとかも入れてもらって、NAOKI-Tさんが、本当にきれいにまとめてくれました」
――確かに『モーカバナ』の“沖縄感”は絶妙。あと10曲目のセルフカバー『悲しみよ風になれ-acoustic version-』もイントロからアカペラで、美しい歌声が印象的でした。
石垣「セルフカバーの曲は、『ゆくい』以外は2人のアコースティックですね。『悲しみよ風になれ-acoustic version-』とかは純粋に私たちが好きな曲です」
東里「この曲はシングルのc/wだったんです。そういう埋もれがちなんだけどいい曲だからもう一回聴いてほしい!っていうものを選んでセルフカバーしたんです」
石垣「ファンのみなさんにも歌ってほしいなって曲ですね」
東里「『悲しみよ風になれ』は、ライブではよく歌ってた曲なんですよね。だからライブで2人でやってる形そのままにしています」
――それはファンにとってうれしいでしょうね。で、少し脱線しますが一つ質問を。この曲でも感じたクリアな歌声の美しさというのはどのようにキープしているんですか? 年を重ねると声質が変わったりしませんんか?
石垣「しますね。だからすごく考えてボイストレーニングをしてます。低くなるだけじゃなくて、歌い続けているとどうしても太くなっていくんですよね。ま、声が太くなるのはいいことなんですけど、太くなればなるほど素朴さがなくなるので、そこをどういうバランスで保っていくか?っていうのを常に考えながらです。でも、本当はSuperflyさんとかが好きで、がっつり歌うアーティストにすごく憧れがあるんですよ。でもそこを突き詰めると素朴感がなくなるから、そっちのトレーニングはし過ぎないようにとかしてて……実は悩んでます(笑)」
――そんな苦労が(笑)! さて『うりずんの歌』に話を戻しますが、今作には山森大輔(元ROCK'A'TRENCH、SKA SKA CLUB)や白玉雅己(元・ポルノグラフィティ)や山下穂尊(いきものがかり)など、いろいろなミュージシャンの方が参加していますね。
東里「白玉さんは今回が初めましてで、レコ-ディングが終わってミックスの時点でお会いしたのかな。なんかすごく…」
石垣「…オーガニックというか」
東里「自然体で繊細というか。大地からパワーをもらっているような感じの方でした(笑)」
石垣「やなわらばーと波動が合うというか(笑)。実は今回、白玉さん自身が何年かぶりに音楽活動を再開するタイミングになったんです。で、私たちも解散のことをお伝えしたら、白玉さんもバンドを抜けたりとかした経験があるから、いろんな言葉をいただいて」
東里「私たちは“なんくるないさ~精神”なんですけど(笑)、白玉さんも“大丈夫だよ。2人で決めたことなら大丈夫だよ”って、自分の経験談も含め語ってくださったんです」
石垣「“いろんな道があるからね”って。すごくありがたかったですね。それに“リリース後も何かあったらお手伝いするから言ってね”って言ってくださって、お兄ちゃんみたいな感じでした」
――温かいですね。あと気になったのが、山下さんが作詞した3曲目の『未来図』の“この街に来てから どのくらい経ったのかな いつかの未来はいまどこにあるのだろう”という一節と、山森さんが作詞した7曲目の『羽ばたき』の“夢叶える場所に来た時から どのくらい時が過ぎたでしょう”という一節が共通しているなと思ったのですが、これは偶然ですか?
東里「これは私たちがそうだったように、都会に出て来て故郷を思いながらそこで夢をつかみたいっていう気持ちを表現する曲にしたいというお話させていただいたんです。実は違う曲がほかにあったんですけど、解散の話にもなったので…」
石垣「書き直してくださったんです」
――それでこういう詞に。
石垣「やなわらばーってずっとそうなんですけど、沖縄と都会の2つをテーマにしながら歌ってきたと思うんです」
――都会出身の人の作る曲とは違いますよね。
石垣「そして沖縄在住の人たちが作る曲でもない。なので、その2つのテーマこそが改めてやなわらばーのテーマだったなって思って、2人にお願いして…。で、山森さんはご自身も沖縄に住んだこともある方なので、まーすおにぎり(沖縄の言葉で塩結び)とか、そういう故郷の言葉が出て来たりするし、山下さんの方は都会にいる視点で。同じテーマでも全然違う曲になっているので、やっぱりすごいなって思いました」
――さてここで、夏控えるツアーのことも。どんなツアーになりますか?
東里「東名阪であるんですけど、各会場でまったく違う内容になります。なので、大阪では大阪でしか見られないものになりますね」
――大阪公演は母校「キャットミュージックカレッジ専門学校」のキャットホールで開催。ちなみにどんな学生時代でしたか?
石垣「新大阪に住んでました」
東里「3月に引っ越してゴールデンウィークに入る前にはホームシックになってました(笑)。だけど沖縄の同級生がほかにも大阪に出て来ていたんで、毎週私の部屋に集まって“沖縄では(自分のことを)自分って言うけど、大阪だと相手のことを自分って言うから間違えると危ないよ”とかいろいろ話してましたね(笑)。あと、島にいた時は三線の音が聴きたいと思わなくても聴こえてくるんですけど……」
石垣「というか、意識してなくて聴こえてもいなかったかもしれない(笑)」
東里「本当に。島にいる時は海が青いとも思わなかったんですよ、普通すぎて(笑)」
石垣「青いことも認識してない(笑)」
東里「でもその頃NHKで『ちゅらさん』(沖縄県を主な舞台としたドラマ)をやっていて、『ちゅらさん』で沖縄の風景を見ると、(改めて石垣島の良さが思い出されて)あ~帰りたい!ってなってましたね(笑)。で、天気予報だと沖縄って遠くにシュッてなるじゃないですか」
石垣「石垣島は映ってもない(笑)」
東里「そう省略されてる(笑)。そういうのを見ては、すごく遠くに来たんだなって感じて、簡単には帰れない!って……でも帰りたいっていう」
――そんな時期も過ごした母校でのライブは特別ですね。
東里「やなわらばーの初めてのステージは、学校内の公開オーディションだったんですよ。そこで優勝したのがきっかけで結成したんです。なので始まりのステージなんですよね」
石垣「初めて2人で立ったステージ」
東里「だからとっても意義があるなって思います。それにキャットホールは距離が近い!」
石垣「お客さんとの距離がね(笑)」
東里「私たち的には緊張しますけど(笑)、お客さんはいろんなものが受け取れると思います。それに母校なので、私たちの先生も見守ってくれるんですよ」
石垣「みんな親のような顔で(笑)」
東里「だから独特な空気感(笑)」
石垣「温かいね」
東里「ぜひそんな雰囲気も楽しみにしてもらいたいです。そして何より、大阪でのワンマンライブもあと何回できるかわからないし…。なので、この記事で初めてやなわらばーを目にした方にもぜひ来てほしいですね」
text by 服田昌子
(2019年4月16日更新)
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