ニコ動発の注目シンガー・島爺にインタビュー!
ベールに包まれたそのプロフィールに迫る
ニコニコ動画で、代表曲『ブリキノダンス うたった【SymaG】』の再生回数がなんと800万を突破するという今注目のシンガー・島爺。しかし、そのビジュアルはイラストもしくはマスク姿で、さらに年齢も永遠の82歳だという。そこで今回、本人を直撃し、その経歴を深掘り! 謎の多い彼の本当の姿とは……?
――まず、島爺さんは永遠の82歳ということですが……。
「島爺を始める前のことなんですけど、インターネットで精神年齢テストをやったら結果が82歳だったんですよ(笑)。それがすごくインパクトがあって……。それで(島爺を始めた)当時、ニコニコ動画の歌い手さんって変わった名前をつける人が多くて、何かないかな?って思った時にそれを思い出して、82歳の島爺ということになったんです」
――実際、精神年齢は? 曲は全然82歳の感じではないですよね(笑)。
「違いますね(笑)。でも実際は昔からふけてるとかおっさん臭いとかよう言われてたんで、ま、そうなのかなと……。ただ、昔からロックとか激しい音楽は好きでしたね」
――そして音楽を始めたきっかけは?
「僕、小中高ずっと野球をやったんですけど、高1の冬に腰をやってしまいまして……あ、別に(82歳だから)リウマチとかではないんですけど(笑)……野球ができへんくなって退部したら、時間の過ごし方が何にもなくなってしまったんですよ。野球部って朝練出たらその後、学校におる間ってずっと寝てるっていう感じやったから、クラスに友達もあんまいなくて(笑)。で、放課後ボーッとしてたら、一緒にカラオケでも行けへん?って声掛けてもらって行ったら“お前、うまない?”って。“あ、うまいんや!”ってなって、そこで調子に乗って“イケるかも?”って思ったんです。そこからは歌い込みの日々ですね。何もすることがないですから(笑)」
――バンドを組んでいた時期もあったとか。
「“歌うんやったらバンド”みたいな、何となくそういう感じやったんですよね」
――そこでプロを目指すことに?
「ま、ざっくりですね。このまま成功しようと思うんやったら、上に行かなあかんのやろうなって、このままアマチュアのままでは仕事になれへんしって。実は親父が自営業やったんですけど、小さい頃から“サラリーマンになるな”って言われてたんですよ。“手に職つけなあかん!”って育ったんで、それで、それ(音楽)しか道がないと思ったんですよね」
――バンドはどれくらい活動したんですか?
「最初の(バンド)はすぐ終わってしまったんですけど、そこからちょっとずつメンバーを変えながら続けて、最後のバンドの時は完全にいろいろなことを見据えながらやってましたね。(CDの)全国流通はしてなかったですけど、ライブは精力的にやってました。本気でした。でも、箸にも棒にも……という(笑)」
――圧倒的な歌唱力なのに……残念。
「いや~(笑)。でも声に特徴があるとは言われてましたね。けど、僕自身はそんな褒めてもらえるほどうまいとは思ってなかったです」
――そして、バンドをやめた理由は?
「これ以上続けてたら死ぬなって思いました(笑)。食うや食わず、寝ずみたいな生活で、バイトしてもバイトしても食われへんし、お金は全部バンド費になってしまうみたいな。しかも体があまり強くない……おじいちゃんなので(笑)。これはヤバいなって頃に、ちょうど親からも“もうそろそろ……”っていう連絡があって。で、このタイミングでそう言われるのは、そういうことかなと思って実家に帰ったんです。今まで親に迷惑も心配もかけたし、借金もしたし(笑)、“こらまぁ、ちょっとあかんな”と。親孝行しようって切り替えて、完全にそこで諦めましたね。で、地元で働き出したんですけど、それまで持ってた機材とかは売らずにいたんで、趣味で(音楽を)続けようかなと思って。その時“そういや、ニコニコ動画ってあったな”って思い出したんです。自分一人でやってるだけってイマイチで、やっぱり誰かに聴いてもらえた方が刺激があるなって思って(動画投稿を)始めたんです」
――動画投稿のきっかけは軽い感じだったんですね。
「実はバンドの時も、島爺って名前ではなかったんですけど動画をあげたことがあったんですよ。当時は試しにやってみた程度だったけど割と再生もされたんで、そのことを覚えてたんですね。あそこだったら、また聴いてもらえるかもしらんなって思って、もう一回やってみようと……」
――でも、フィールドは大きく変わりましたね。
「生音と電子音(の違い)みたいな…ね(笑)。ニコニコ動画でボカロが流行り出した時は、最初、すごい時代になったなって思いましたよね。その頃はバンドをやってたから、ちょっと脅威やなって。もう歌も楽器も人がやらなくていい時代が来るのかもしれないって。でも実際のところは、特に初期はめちゃくちゃ早口やったり、高低差がすごかったり、人が歌われへんような曲ばっかりやったんですよね。だから人間にできないこととして、それはそれでおもしろくて。またちょうどその時期、音楽業界的にも停滞していたというか、目新しい音楽がないというかだったから、(ボカロには)突破感があったんですよね」
――その後、そんなニコニコ動画ですごい人気を獲得することに。その予感もしくは自信はありましたか?
「本当に最初、音楽を始めた頃は、何か知らんけどできるはず!っていう漠然とした自信があったんですよ。でも、ライブとかしてるうちにこてんぱんにやられる……自尊心を削り取られ、もう疲弊しきって心が折れて……(笑)」
――でも、動画サイトのコメントも厳しそうです。
「はい。最初は怖かったっす。ま、賛も否もコメントが流れるんですけど、否のコメントを見た時に、これやったらライブの方が全然しんどかった!って思って。(動画サイトのコメントは)言葉だけですからね。曲作って、これでばっちりや!っていう状態でライブしてんのに、(ライブ中に)目の前で携帯いじられてたら……ね(笑)。それを何回も経験しているので、それに比べたら全然まだ耐えれるなと思ったし、褒めてくださる方もいっぱいいたんで大丈夫やなって思えて続けられたんですよ」
――ちなみに、なぜバンドは不遇だったのに動画サイトでは人気を得られたと思いますか?
「でかいのは、もともとニコニコ動画にいてる人の気質やったってことですね、僕が。だから、バンドマン界隈ではあまりなじめてなかったっていう(笑)」
――その気質とは(笑)?
「どう言ったらいいやろう……えっと、インドア(笑)? ま、バンドマンがアウトドアとは言わないけど、なんかバンド時代にすごく仲良くなれたバンドの人は、やっぱりアニメとかマンガとかのオタク系寄りの人たちでしたね。僕もマンガとかアニメが好きだし、そういうところですかね。……あ! ほんで、動画の方は僕が曲を作っているわけじゃないから、すごく良い曲ばかりをチョイスして歌えるわけですよ」
――確かにそれは違いますね。
「でも、バンドの時に作った曲もどっちかというと、ボカロ曲のにおいに近いものがありましたね」
――でも、現在の島爺さんの曲にはボカロの対極にあるようなロックも多いですよね。
「前は、ボカロはまさに電子音!みたいな感じやったのが、最近は実際にメジャーな(世界でやっている)人たちの音楽が増えていっているのでね。ニコニコ動画は、本当にメジャー流通しててもおかしくないクオリティのものから、もう自己満足って感じのいびつな形……まとまってないけどエネルギーの塊みたいな曲まで幅広い。でも逆にそっち(バンドなど)は整ったものが多くなってしまってるんでしょうね。その意味では全体のクオリティは高いんですけど、おもしろさは動画の方に感じるのかな」
――幅広いと言えば、島爺さんの曲も幅広い。曲ごとに違う人が歌っているようです。
「そうですね。普通、バンドでもシンガーでも一本軸を持たせようってなるんですよ。でも僕はそうしないんです。それは意図的というか自然とそうなったというか……これは僕の価値観ですけど、曲の方がえらいと思ってるんです。で、歌い手は曲に合わせなければいけないと思ってて、曲が何か歌い方を求めているんであれば、その歌い方をすべきやし、できるだけ自分の都合に曲を合わせないようにしてるんです」
――曲が第一と……。
「前に仏教の勉強をした時、お釈迦さんが“俺が偉いんやなくて仏教が偉いんやから、俺やなく仏教を崇めなさい。仏教を大事にしなさい”っていうようなことを言うたってのを読んで、それはミュージシャンの人格と曲の関係性に似ているかもしれないなって思って。例えば、作曲者の人格がクソったれでも、曲はすごくキレイみたいなあるじゃないですか(笑)。そういうことかなと思って、作品に重きを置かないとダメかなと思ったんです。僕が歌い手としてどう判断すべきか?ってなったら、曲が一番やと……」
――なるほど。でも、たまには自我を出したくはなりません?
「ああ。だから、弾き語りとかは普通に自分なりの感じで歌ってますね」
――2パターンの島爺がいる感じですか?
「そこらへんはちょっと説明し難いんですけど、先を考えてないんですよね。普通やったら自分の音域で歌えるように、ここまでじゃないとムリ!とかでメロディを決めたり、ライブのことを考えてキーを下げたりするじゃないですか。でもそこは動画では一切関係ない。レコーディングでも、とにかく一回歌えたらええ!みたいな……“奇跡のテイク”みたいなもんです(笑)。でも、その必死感というか刹那というか、それが聴いてる人にも伝わってると思うんですよね」
――“奇跡のテイク”(笑)。にしても、曲ごとの落差が大きくて情緒が不安定になりませんか?
「若干、不安定なところも……いやいや、別に病気ではないです(笑)。僕、歌ってる時はその曲(のなかの人)になりきって歌ってますからね。あっでも、昔からキャラ設定して一日を過ごすとか、そういう遊びはよくしてました。“2週間前に捻挫した人”みたいな設定でちょっと足引きずったりして(笑)。すると、ほんまに痛なってくるんですよ! それがおもしろくってね……ただ、それは歌に関係ないような気もする(笑)」
――さて、2回目となる全国ツアーが5月からスタートします。これまでのライブ、ツアーはソールドアウトの連続。過去のライブの苦い思い出も克服できたのでは(笑)?
「どんどん払拭されてますね。傷が癒えて、自尊心に水が……キューッと元の形に戻ってます(笑)」
――どんなシーンでそんな風に感じましたか?
「何て言うんやろう……これがやりたかったんやな!っていう。泣きそうな顔で聴いてる人がおったり、飛び跳ねてる人がおったり。僕が歌うことで会場がえらいことになってる!みたいな時の、その空気ですよね。その空気を感じて、そうや、最初これがやりたかったんやな!っていうのはありましたね」
――次のツアーではそういうシーンがより増えそうですね。
「そうですね。前回の全国ツアーでも形にはなってきてたんですが、今回はこれまでの総まとめ。BLITZ(「マイナビBLITZ赤坂」)で初ワンマンやって、初ツアーやって、アコギライブやって、っていうのの決算というテーマでやろうと思ってます。だから絶対おもろくなると思うので、ぜひ見に来てください!」
text by 服田昌子
(2018年4月19日更新)
Check