「音楽が好きな人が増えれば、音楽は死なない」
30代の葛藤も意地も生活も、全てを音にした転機の
『変わり良し、代わりなし』引っ提げ只今ツアー中!
かりゆし58がその復活劇を語るインタビュー&動画コメント
友達とただギターを弾くだけで楽しかった10代、夢をがむしゃらに追いかけた20代を過ぎ、今でも音楽が続けられていることはある種の幸運であり、意地である。そんな30代のバンドマン特有の葛藤と変化にぶち当たったのは、かりゆし58とて例外ではない。‘16年の結成10周年イヤーに起きたメンバーの体調不良による一時離脱は、守るものが増えていく人生の中で、ミュージシャンとしてキャリアを重ねる難しさを4人の男たちに突き付ける。そんな危機を乗り越え約3年ぶりに届いたオリジナルアルバム『変わり良し、代わりなし』は、バンドという慣れ親しんだ我が家の柱を生かしつつリフォームするように、今一度音楽を奏でる喜びを取り戻した転機の1枚だ。昨年から年をまたいで初春まで続く『ハイサイロード2017-18~変わり良し、代わりなし〜』真っ只中の前川真悟(vo&b)と新屋行裕(g)に、バンドの意外な引き出しと底力を見せた充実作と、かりゆし58の復活劇について語ってもらったインタビュー。このバンド、やはり侮れない。
10年という節目で積み上がったものより
擦り減ったものの方が多いんじゃないかって
――3年ぶりのアルバム『変わり良し、代わりなし』('17)には、’16年のCDデビュー10周年が自ずと影響してきたと思うんですけど、バンドにとってどんな経験になりました?
前川(vo&b)「10周年と今回のアルバムは割とリンクしてくるんですけど、10周年の記念盤(『とぅしびぃ、かりゆし』(‘16))のレコーディング中に(中村)洋貴(ds)の身体の不調が発覚して、途中で地元の先輩ドラマーにスイッチしたんです。なので、もちろん通過点ではあるけど、1つの大事な節目に上手にゴールテープを切れなかったことは、まぁ1つ印象的なことですね。でも、ゴールテープは綺麗に切れなかったけど再スタートは大事にしようというところで逡巡があり、ここまで時間をかけてきた。それが10周年と今回のアルバムの時間軸ですね」
――じゃあただのお祭りにはならなかったというか。
新屋(g)「あっという間の10年で、そのまま何事もなくいくんじゃないかっていう気がしてたんですけど…やっぱりバンドを10年やってると、いろいろあるもんだなって」
前川「元々は当時24歳の僕らが、人生の5月病みたいなタイミングで学校を卒業して、それぞれ仕事をして、“俺、この仕事を一生やるのかな?”みたいに、人生が1つのピークを過ぎたかもしれない危機感が募ってきた頃に、昔の思い出とか愚痴を言いながら酒を呑んでて。せめて30歳になるまでに自分の人生はある程度豊かなものであったと思いたいし、いずれ家族になってくれる人にも誇りに思ってほしいし、親にもこんな息子が生まれ育ったことにちょっとでも喜びを感じてもらえるような人間になるのが目標で、バンドを組み始めたんです。だから、洋貴の不調がマインドから作用するものだとしたら、“俺たちはいつから道を間違ってたんだろう?”みたいなことを…10年という節目で積み上がったものより擦り減ったものの方が多いんじゃないかって根底から疑うことが=10年目に観ていた景色だったので。時は戻らないけどもう辞めるのか、もしくは何か修正点があるならそこを根こそぎ変えていくような次の一歩を踏むのか。そのどっちを取るかを考えたここ2年ぐらいだったのかなと」
――洋貴さんにそんな前触れはあったんですか?
前川「結構あったんですよ。僕らはいろんな縁があって、東京に部屋を借りてみたり、家庭ができたりで、少しずつ東京の印象が変わっていったんですけど、洋貴はやっぱり沖縄が好きだったし、自分の家庭の象徴みたいな家を建てる目標をメンバーで一番持っていたぐらいだから、あくまで東京に行くのは=仕事でありレコーディングであって。そのスケジュールも結構タイトになってきて、バーッと張り詰めて音楽をやって仮の宿に帰ったら、自分でコインランドリーを回し、同じ宿にいる他の人に少なからず気を使い、肩身が狭くいる。自分も同じようなタイミングで子供が生まれて目の前のことばっかり気にして、それに気付かない振りをしてたのは少なからずあると思うんです」
――ただただ喜ばしい10周年でもなかったんですね…改めて音楽との付き合い方を考えさせられるというか。
前川「そうですね。家庭を持つと、自分1人の人生よりいろんなものが明確になってくるから。当時は音楽のある意味浮世離れした感覚に、ものすごくふわふわしたものにすがってるような不安が僕にもあったし」
新屋「でもまぁ、それも落ち着いてきたというか、やっていくしかないんだろうなっていうのが今の心境ですかね。それこそ2〜3年前は仲間がそうなって、何も楽しくなくなって」
――ギターを弾くことも楽しくなくなっちゃったという。
新屋「ホントそうでしたね。でも今はまぁ、穏やかに。うん。またそういう時期が何回か来るかもしれないですけど、それを経験できてよかったなぁって思いましたね」
音楽は意外と無力じゃない
――前作『大金星』('14)は、人生にエネルギーをくれたトピックをテーマに、ボツ曲もなしで活かしていくチャレンジをしたアルバムでしたけど、そういう10周年を経た今回は?
前川「“幼馴染と一緒にやるからこその醍醐味”だったバンドの大事な柱がちょっと揺らぎつつあったとき、自分たちを救ってくれたのは結局ライブだったんですよ。それは来てくれる人っていうほど立派なものじゃなくて、もっと自分本位に“あ、ギターを弾いて楽しい”みたいなね。新曲がなくてもいいから、とにかく頭を真っ白にしてライブしたのが前回のツアーで。そうしていくうちに、“気持ちいいことは気持ちいい”ってなってきて(笑)」
――人生にいろんなことがあっても、やっぱり音楽をやること自体が楽しい、気持ちいいって思えたんですね。
前川「そうなんですよ。だからサウンドも、何となくそれを濁さないようなものにしたいねって。あとは、自分たちの1つの家であるバンドを、柱から工事しないといけない状況になってることにみんなが気付いていって」
――なるほど。10年越えてリフォームの時期がそろそろね(笑)。
前川「一番大事なのは、その家を4人で建て直して、4人の居住空間にしていかないと、次の一歩にならない。それが今回の作品の一番大事なところですね」
――そこにプロデューサーという匠が来てリフォームしてくれても、また次のアルバムを出そうというときに同じ壁にぶち当たりますもんね。
前川「この2年間、(新屋)行裕は自分の音楽とギターに向き合ったように、俺は自分の音楽と人の暮らしが重なる瞬間を謳歌したんですよ。例えば、バンドメンバー以外の人と音楽をやってみたり、いろんな場所に行って何ならミュージシャンでもない人と遊んでるうちに、その人も歌い始めたり…音楽は意外と無力じゃないっていう確信が改めて得られて。だったら、24歳のときに一念発起でバンドを組んで気付けば年男になった自分たちが、大きな決意を示すのには絶好のタイミングかもしれないなって思ったんです。そこで地元に帰って洋貴と他の友達と楽器が並んでるようなBARで呑みながら、“そろそろアルバムを作りたいと思うんだけど”って『ホームゲーム』(M-12)を弾き始めたら、洋貴も酔っ払ってドラムを叩き始めて…! “何か楽しくない? アルバム作らん!?”、“おう、やろう!”みたいに盛り上がって(笑)。そこから今回は、“お葬式でもかけられる曲”とか、“忘年会で音楽に興味がない友達でも歌える曲”とか、そういうテーマを集めてから制作が始まりました。そこからは割とノーブレーキで」
――『ホームゲーム』なんかはバンド自体もそうですけど、かりゆしの音楽を愛する人が集まってくれるライブも1つのホームであるように感じる歌詞で。あと、今作を聴いて、沖縄沖縄してないスタンダードなロックナンバーも書けるし、いろんなジャンルを取り入れてもオリジナリティは消えないし、自分たちの道をずっと突き進んでるイメージのバンドだったのが、ちゃんとまだ見ぬ引き出しがあって。個人的には『ナナシの隣人』(M-3)『七夕から』(M-4)『髪を切る』(M-6)がすごくよかったですね。『ナナシの隣人』の歌詞の目の置き所とかもすごいなと。
前川「あぁ〜嬉しい。ありがとうございます。東京っていうものを今まで俺たちは何か言い訳の種にしたり、“こんなドライな街で僕は頑張ってる”って曲の背景に置いてばっかりなのは、あまりにも東京がかわいそうだなって。ジョージアのCMか何かで、缶コーヒーを持った鳶職人と営業マンが、最初は“何だよこいつ”とか言いながら、お互いの立場を置き換えたら“俺じゃできねぇ大変な仕事だ、あんた偉いな”とか思って、言葉を交わさないまま譲り合うみたいな最後のシーンが好きで。東京って本当に数え切れない人とすれ違うけど、あれを全部出会いだとカウントすると、少しは東京という街と両想いに近付けるかなと思って。あと最近はね、“音楽のために音楽をしよう”って、自分の動きが自然とそうなってる気がして。音楽が好きな人が増えれば、音楽は死なないから。“これは俺の曲”とか“最初に俺が書いた”とかより、“誰に届いたか”の方が大事なんですよ。誰の作曲だろうが、誰の声だろうが、人に響いて、それをきっかけに“音楽ってすげぇ”ってなればいい。表現者が常に共同経営者になればいいと思うんですよね」
俺、音楽を辞めようと思ったんですよ
ゼロからやり直さないと今音楽をやる価値を見出せないぐらい完敗したんで
――『七夕から』はどういったテーマから始まったんですか?
前川「『流星タイムマシン』(M-10)も七夕を意識して書いてるから、じゃあちょっと視点を変えようと。“俺たちは願いが叶ってないんじゃない。願いは今遠くまで飛んでる途中で、それが届いた頃には叶うから、諦めないでおこうや”みたいな。“頑張れお前!”みたいな感じじゃなくてスッと届くようにしたくて、サウンドもあんな感じにして」
――ただ、1枚のアルバムの中で2曲も七夕について書こうっていうのも珍しいですね(笑)。
前川「ね(笑)。多分テーマが尽きてきたんだよ(笑)。葬式でしょ? 卒業式でしょ? あとは1年に何がある? 七夕? みたいな(笑)。『髪を切る』の歌詞に“10月”が出てくるのも、10月はあんまり記念日がないからとか(笑)」
――なるほどね(笑)。いや『髪を切る』(M-6)も名曲やなぁこれ。最後の1行の“愛を知ってしまった そんなに大した事はない”に救われるというか。
前川「こうやってお話を聞いていただいて、僕らも逆輸入なところがあるんですよ。自分があのとき込めた想いだったり言わんとしてた潜在的なものが、人に話を聞いてもらうことによって“なるほど、そうだったかも”とか思うんです。けど、行裕の場合は6年伸ばした髪を切って“何か変わった?”って聞かれても、“いや、分かんない”って(笑)。でも、そういうものが最後のあの1行に込められてる気がして」
――そもそも髪は何で伸ばしてて、何で切ったんですか?
新屋「…何でですかね? まあ、この先ちょっとちゃんとしようと思ったのもあって(笑)。ヘアドネーション(※頭皮・頭髪に関わる何らかの病気が原因で髪を失い、ウィッグを必要としている子どもたちに、医療用ウィッグの原料となる毛髪を間接的に提供する)したいのもあったので、何の手入れもせずに伸ばしてたんですよ。じゃあ切るのはどのタイミングなんだろう?って思ったら、やっぱりこういう曲ができた今のタイミングかなって」
――他にも『Welcome to summer』(M-7)とかはちょっとアダルトな感じというか、サビの転調も洋楽っぽいし、頑張って“僕たちこういうこともできますよ”っていう感じじゃなくて、本当にルーツにある感じがして意外でした。
前川「それには理由があって、自分たちのことでいろいろあって決意を新たにしても、そこに必ずしも音楽的なロジックが付いてくるわけじゃないじゃないですか。そんなときにBEGINのデビュー25周年公演のDVDを見て、もう体重が変わるぐらい泣いたんですよ(笑)。もちろんBEGINの楽曲の力もそうだし、フラを踊ってるおばあちゃんもエイサー踊ってる子供も、1人1人めっちゃくちゃ楽しそうで。さらにこのDVDには昔の曲も新しい曲も否応なくあって、“こんな歌詞を書いてたんだ、(比嘉)栄昇(vo&g)さんすげぇ”って改めて思って…俺が漠然と20年後、30年後にこういうことを歌えてたらいいなっていうことを、BEGINはもう全部やっていた。それを完膚なきまでに突き付けられて俺、音楽を辞めようと思ったんですよ。それは“もうダメだ”じゃなくて、俺が世の中に貢献できる全てのアイデアをBEGINがやってるから追う必要がないと(笑)。ゼロからやり直さないと今音楽をやる価値を見出せないぐらい完敗したんで、だったらもう、“あれはダメ、これはダメ、これはかりゆしらしくない”とかを、1回捨てようと。そうしたら、今までメンバーのみんなが“俺は好きなジャンルだけど、かりゆしでやるのは違う”みたいに開けてこなかった引き出しが見えてきたというか。もう全部が作用してる」
新屋「だからレコーディングでも、“自分の手癖だったりコード進行以外のことはしません!”ぐらいの(笑)」
――かりゆしっぽくとか沖縄っぽくじゃなくて、プレイヤーとしてのルーツや衝動のままやると。
前川「“いつかBEGINみたいに”って、どこかで目指してたことにそのとき気付いたというか。今まで言い訳がましく折り合いをつけてたところを、“いやいや! そこはもうBEGINに任せて、俺たちはやりたいことをやっていこう”って(笑)。今ってミュージシャンの世界もいい変化を遂げてきてると思うんですよね。沖縄は特にで、俺たちの倍は生きてる島唄歌いの先輩も、“俺も新しい曲を書いたらお前と同じ戦いだよ”って酒をともにする機会もどんどん増えて…もう土俵が違うぐらいの懐だからとにかく甘えて、先輩の中にあるものをくださいっていうぐらいでいいんだと分かってきたら、とっても楽になって。逆に歳下には“後輩ってこんなに気を回すもんなんだ”とか感じながら(笑)、 “すごいなぁ!”とか言ってたら“いやいやいや…”って、音楽を間に挟んでまた自然とつながって。沖縄全体が今とってもいい空気で、それによって音楽に対するいろんな力が抜けたんです。そうしたら自分が小っちゃい/大きいとかそんな話より、この布陣が最高って思えるようになったんですよね」
前回はお客さんにもらいっ放しのツアーだったので
今回はちょっとでも恩返しができたらいいな
――今作が出来上がったときの気持ちも、今までのそれとはまた違う感覚でした?
前川「36歳って青春の頃より人生と現実との狭間で一番多感な時期だと思うんですよ。その時期にこういう作品を作れたことは、自分の人生を豊かにするなぁっていう感覚があったのが、今までとの違いですね。無茶苦茶なことを言うかもしれないですけど、音楽は好きだけど、“命に代えて意地でも人前に立ってやる!”とは思ってないんですよ」
新屋「ない!(笑)」
前川「もう家でギターを弾いてるだけでいいぐらい(笑)。バンドで一線で、とかいう目標があったわけでもないのに、よくここまでやってきたと思うよね。『大金星』を作る前かな? 音楽を分析の耳で聴いてた時期もあったし」
――自分の曲に感動できなくなった時期があったと言ってましたもんね。
前川「あの頃はとにかく苦しかったけど、毎日パソコンとか鍵盤の前で1音1音、前に使ったメロディを避けるように探して…何で辞めなかったんかな? 音楽と向き合ってると=鏡と向き合ってるみたいな感じで、自分のイヤなところが映るんですよ。自分の音楽とか人の音楽を聴いてても、自分のちっぽけさを知るというか、嫉妬してしまったり。でも、音楽の向こう側にいる人が見えれば、間に挟む音楽はプレゼントみたいなものだっていう感覚をその頃から持ち始めて、少し変わったかもしれないですね。今が一番音楽が好きかも。いつか必ずまた前以上の谷が来るだろうけど、覚悟してるから。今の山から見える音楽を思いっ切りやろうみたいな。今が一番楽しいと思う」
――タイトルが『変わり良し、代わりなし』。これもいい言葉ですね。
前川「もうこの言葉をおまじないに、どうにか乗り切ったというか。変わっていくものを嘆いても、自分が行ったことのない場所に立ったとしても、結局そこは自分の足で踏んでいる。今の自分に代わりがいないように、洋貴にも、行裕にも、(宮平)直樹(g)にも代わりがいない…じゃあどれだけ無茶しても、結局4人でやろうって」
――自分たちにそういう変化があって、ライブは改めてどういう場所になってます?
前川「もちろん、ライブが楽しいことに拍車がかかったのは間違いないんですけど、ライブは作ってきた曲を一生懸命整えて人に観てもらう場所じゃなくて、今日の自分が一番やりたいこと、やれることをやり尽くす場所であればいいと今は思ってるんですよ。もちろん今日のライブより明日の方が本数を重ねてきた分、良い/悪いは抜きにして年輪は増えてる。だから、自分たちの昨日までと戦っても、明日以降と戦っても仕方ないから、今日やれることをやるっていう気持ちになれた分、開き直り感はあるよね。“今日はこの曲をやる前にこんなことを喋るから”とかは元々ないけど、さらになくなってたまに怒られるけど(笑)。『マンゴーウーマン ゴー!ゴー!ゴー!』(M-13)なんか、楽しくて1時間ちょっとのライブで2回やったこともありますから。直樹が3回目にいこうとして止められた(笑)」
――『アガリミナギル効果』(M-2)とかも、ライブで気持ちよくハマりそうな曲ですよね。
前川「それもかりゆしの新しい楽しみ方で、僕がマイクを持って自由に動けるように直樹がベースを弾く曲が『アガリミナギル効果』なんですよ。そういうところも含めて、ライブのいろんな肌触りが変わってくると思います」
――最後にライブに向けて、それぞれの今の心境を聞かせていただきたいなと!
新屋「前回はお客さんにもらいっ放しのツアーだったので、今回はちょっとでも恩返しができたらいいなと思って。いっぱい曲もできたので、楽しみに来てくれたら嬉しいですね」
前川「今や世界中の音楽を家で気軽に聴けるじゃないですか。そういう時代に逆行するかのように、時間をかけて、お金をかけて、ある意味、窮屈なライブハウスに来てくれるのはものすごく尊いことだと思うんですよ。それは僕らにとってだけじゃなくて、自分の遊び心を体現するお客さん1人1人にとっても、何より音楽に対する奉仕だと思うし。やっぱりライブは特別で、かつ人間味のある場所だって、やっと心と身体で言えるようになってきたんですよ。だから、これまで以上に自分のライブの喜び具合が違うんで(笑)、それは音とか表現にも現れると思います。目の当たりにすることがライブだから、目の当たりにしたいな、来てくれる人とお互いにね」
(2018年1月12日更新)
Check