「“ラストダンスは君と一緒だよ”っていう感じですね」
ショーケンが語る音楽について、芝居について、そして人生について
名曲を鬼気迫るスタジオライブ形式で新録したデビュー50周年記念盤
『LAST DANCE』萩原健一インタビュー
‘67年にザ・テンプターズのボーカリストとしてデビュー。70年代には『太陽にほえろ!』('72~'86)のマカロニ刑事役や、当時のユースカルチャーに多大な影響を与えた『傷だらけの天使』('74~'75)など、数々のドラマや映画でも俳優として活躍。様々なフィールドでその強烈な個性と生き様を刻んできた“ショーケン”こと萩原健一が、今年でデビュー50周年を迎えた。そんなアニバーサーリーイヤーに、ショーケンは原点である音楽を軸に精力的な活動を開始。4月にはサンボマスターの野外ワンマンで異色の共演を果たし、5月に行われた自身の東阪ビルボードライブ公演は、4日間8公演が完全ソールドアウト。そんな喧騒の中制作されたデビュー50周年記念アルバム『LAST DANCE』は、ザ・テンプターズ時代のヒット曲『エメラルドの伝説』(‘68)や近藤真彦も歌った『愚か者よ』(‘87)など、彼の唯一無二の足跡と言える代表曲13曲をスタジオライブ形式で新たにレコーディング。齢67とは思えない鬼気迫るボーカルで、凄まじいエネルギーを発するロックアルバムを作り上げている。秋の東名阪ツアー『Kenichi Hagiwara 50th Anniversary Premium Live ~Last Dance~ Vol.2』を前に、音楽について、芝居について、そして人生について――第一線にいながらアウトローでい続ける稀有な表現者、萩原健一に話を聞いた。
当時は案外意識してなかったんですよ
――デビュー50周年を機に音楽活動が活発化していますが、この春からサンボマスターのライブにゲストで出られたり、ご自身のビルボードライブ公演もありましたが、いかがでしたか?
「楽しかったですよ。若い頃は音楽シーンに関しては自分をごまかすって言ったらヘンだけど、だんだんいい歳になってきて、自分をね、騙せなくなったんだよ。音楽だけじゃなく芝居に関しても。ただ、歌のステージ・パフォーマンスっていうのは、パラ回し(=数台のカメラで様々な角度から同時に撮影する)が多いので、裏表をきちっと考えてやらないといけない。逆に映画でありドラマの場合は、違うアングルから何度も同じことをやらなきゃいけないことはありますけど、歌は“裏は映ってないから”じゃきかないから。意外に自分を客観視していないと、迷子になるね」
――萩原さんが若いときのライブ映像も観させてもらったんですけど、エネルギーを爆発させるような、ほとばしる情熱があって、それも1つのライブの醍醐味ですけど、今はある種自分というものを俯瞰で見つつ、どう伝えるか、みたいな。前述のサンボマスターしかり、あのダウンタウンさんもしかりですけど、萩原さんが後の世代の与えてる影響って結構デカいと思うんですけど、そういう人たちといざ触れ合ったときって、何か感じるものありますか?
「それこそ、サンボマスターにゲストで呼んでもらってやったときは、若干8ビートでもタイム感が違ったね。リフに関してもそうだけど、要するに僕らの世代はタイムが細かくないから。そういう意味でも持ちつ持たれつというか、いいコミュニケーションができたというか」
――昭和のドラマの名作『傷だらけの天使』のオープニング映像なんかは顕著ですけど、萩原さんって作品に参加するだけじゃなくて、その時代のカルチャーにおいて記憶に残るシーンを生み出してるなぁって改めて。
「今はね、年月が経ってそのような答えが出るんでしょうけど、やっていた当時は案外そういうことは特に意識してなかったんですよ。今こうやってインタビューで、“あの頃は実はこうだったんですよ”って言うのは、ちょっとデザインしているところはあるかなと思いますけどね(笑)」
ふと、“あと2年で50年か…”と思ったんです
――そういうライブの経験をこの春から重ねてきて、ついには久々のアルバムも制作することになったということですけど、当初はライブのみの予定だったんですか?
「そうなんです。これはプロモーターさんがレーベルと話をして。私が“こういうことをやりたい”っていう曲ではなく、その方たちが選曲したものを“分かりました”って素直にやったのは、今回が初めてですね。自分が“これがいいんだ!”っていうものと、ファンでありお客様であり、そういった周りの人々がいいと思うものとは、若干ズレがあるから。だから、それを素直に聞いて、素直にやることがあってもいいんじゃないかなって」
――そして、今回は言わばスタジオでのライブを収録した、ライブレコーディング方式で。
「アルバムとなると新曲を用意しなきゃいけないなっていう意識があったんですけど、セルフカバーって言われたら言われたで、ちょっと驚いたんですよ。“何を歌ったらいいんだろう? 君たちは何を歌ってもらいたいんだい?”っていう(笑)戸惑いがあったんですよね。ただ今後ね、こういったセルフカバーをして、またステージを積み重ねると、新曲も自ずと湧き出てくるんではないかっていうね。要するにゆとりが少し生まれたんです(笑)」
――そもそも、50周年を機に改めて本格的に音楽活動をしようとなったのは、やっぱりそういう周りの“やりましょう!”っていう後押しが多かったんですか?
「私がちょっと日本を留守にして東南アジアを転々としていたとき、モルディブで過ごしていたんですけど、原稿を書きながらふと、“あと2年で50年か…”と思ったんです。そういうことを思って日本に戻ってきて、あるインタビューで“50周年って何かやるんですか?”って聞かれたんですよ。ただ、僕がやっている音楽は演歌でもなければ歌謡曲でもないので、50周年って謳うのもどうかな?と最初は思ったんです。でも、やっぱりお客様でありプロモーターであり、プロデューサーたちが背中を押してくれて」
――じゃあ2年前からちょっとそういうモードではあったんですね。
「ただ、“身体がまだまだ元気なうちは、振り落とされないようにしがみついて”っていう気持ちもないんです。今までお客様が応援してくれた…ソシアルダンスで言えば、ファーストダンスがそうだったように、“ラストダンスは君と一緒だよ”っていう感じですね。それでタイトルが『LAST DANCE』なんです。そういう世代の人たちがコンサートに来る際、例えばお母さんが、“お父さん、今日は何かそわそわしてるね”とか、せがれが“親父どうしたんだい?”って言って、お父さんは“いや、実はさ、ショーケンが大阪に来るんだよ”ってね(笑)。おばあちゃんまで何かそわそわしたりして(笑)。そういう、おばあちゃんから奥さんからお父さんから息子さんから、家族全員で楽しめるようなコンサートになると思うんで」
――僕の親も“今日はショーケンさんの取材”って言ったら“マジで!?”って(笑)。“大丈夫?”とか言われながら(笑)。
「“叱られない?”って(笑)」
――アハハハハ!(笑)
80年代の男が男であった、女が女であった
時代の匂いを、味わいを出したくてね
――新作の『LAST DANCE』には代表曲と言われる曲であったり、ザ・テンプターズ時代の曲も収録されていますが、あの『酒と泪と男と女』(M-7)をボブ・マーリーの『ノー・ウーマン・ノー・クライ』(‘73)調にアレンジした人っていないんじゃないか!?って。この辺のアイディアは現場でメンバーと話しながら生まれてきたんですか?
「これは僕からメンバーに“こういう感じから入ってもらえないかな?”って投げたんですよ。そしたら、“えっ!? とんでもない方にいくな”っていう結果に(笑)。いわゆる『ノー・ウーマン・ノー・クライ』で泣くのは女だと。80年代の男が男であった、女が女であった時代の匂いを、味わいを出したくてね。ストレートに『酒と泪と男と女』を歌っても、アル中のじいさんみたいになるから(笑)」
(一同笑)
――ただセルフカバーするだけじゃなくて、そういう自分の年齢とか世代感も含めてのアイディアだったんですね。
「『Ah! Ha!』(M-1)も頭にSEを入れたんです。イメージはベトナム戦争であり、イラン・イラク戦争であり、湾岸戦争であり…まぁこの曲はそういった戦場の兵隊たちが戦争をかなぐり捨ててSEXしている話なんですけどね(笑)」
やっぱり生活が揺れていると、仕事は揺れますよ(笑)
――とは言え、これだけの曲数を1~2日で歌い切るのがまず大変で。トレーニングは普段されているんですか?
「ボイストレーニングであり、ストレッチであり、ウォーキングはします。しないとやっぱり肺活量が落ちるんで」
――今作に向けてちゃんと身体をブラッシュアップしてるんですね。
「ブラッシュアップっていうほどでもないんですが、やっぱりクリーニングを(笑)」
――アハハハハ!(笑) 萩原さんは60代でも、そのスタイルとスタンスをキープできているのは何なのかなって。
「それは、やっぱりメンタルありきなんですよ。家庭がしっかりしているとね、いい仕事ができるんです(笑)。もちろん全部が全部100%家庭っていうことではないんですが、やっぱり生活が揺れていると、仕事は揺れますよ(笑)」
――ショーケンさんに言われたらめちゃめちゃリアリティありますね(笑)。表現者たるもの、日々のどう生きるかが直結するってことですよね。
「いや、本当に」
瞬間的に沸騰するのは音楽でしょうけど
グズグズ常に煮えたぎっているのはお芝居かもしれない
――萩原さんはミュージシャンと俳優という2つの軸があって。それぞれ自分にとってどういう場所なんですか?
「昔は音楽をやっているときには、ドラマには出なかった。だけど今は、コンサートがある時期にドラマにも出ます。それができる年齢になりました。そういう仕込みができるようになった。今は宮本武蔵のように2本の刀を使えるようになりました(笑)」
――音楽と芝居は、それぞれどういう味わいがあるんですか?
「ヤカンから蒸気がフューッ!って出るのが、瞬間的に沸騰するのは音楽でしょうけど、グズグズ常に煮えたぎっているのはお芝居かもしれない。ただ、グズグズ煮過ぎて何をやっているんだ?っていうこともあるんだけど(笑)」
――俳優が音楽をやったり、ミュージシャンが俳優をやるとなかなか目が厳しくなりますが、ショーケンさんは個性的なアクターであり、アーティストである。やっぱりすごく稀有な存在だなと思います。
今回が見納めかもしれません(笑)
――デビュー50周年って、やっぱりグッとくるものはあったんですか?
「よく務めたなぁって。だらしない60周年はまずいと思うんだけど、その頃にはいい感じのね、マディ・ウォーターズみたいな仕事をしたいなと思いますね」
――50周年の話を聞いているのに、もう60周年の話になるって、これからについて聞こうと思ったらもう言わずもがなですね(笑)。最後に、このアルバムに伴う東名阪でのツアーに向けて、読者にメッセージをいただければ!
「毎回やるたびにまっさらな萩原です。そして、今回が最後かもしれないという想いで来てください。今60周年の話をしましたけど、見納めかもしれません(笑)」
――そう言わずに、60周年のときも是非インタビューさせてください(笑)。
「はい(笑)。コンサート、是非とも観てください!」
Text by 奥“ボウイ”昌史
Photo by 渡邉一生(SLOT PHOTOGRAPHIC)
(2017年9月22日更新)
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