「2人なら絶対にいい曲を作れる自信があった」
ONIGAWARAが東名阪ワンマンシリーズ突入前に
竹内電気も90年代もボケもJ-POPも語る!
『ヒットチャートをねらえ!』インタビュー&動画コメント
結成は’13年。ミニアルバムや愉快な特典を付けたシングルで存在感を見せていたONIGAWARAが、遂に1stアルバム『ヒットチャートをねらえ!』を発表した。その名もズバリなタイトルだが、有言実行とばかりにiTunesのJ- POPチャート1位を獲得したメンバーの竹内サティフォ(vo&g&prog)と斉藤伸也(vo&GAYA&prog)は、元竹内電気というセカンドキャリアだ。インタビューではあえてその時代も振り返りながら、今について語ってもらっている。そして、現在の楽曲にはアイドル要素もユーモアとして取り入れているが、変わらないのは圧倒的なメロディのよさ。さらに竹内が本格的にボーカルを担うことにより自身を曝け出し始め、そこには時に哀愁すら漂う一方、フェスやイベントでバズらせるのが得意な若手バンドに交じっても、決して負けることなく盛り上げる。経験と年齢を経て、確実なセカンドキャリアを歩んでいる2人の今に迫る。
曲は絶対に届くと思ってた
――最初に結成の話があったのはいつ頃ですか?
斉藤「’11年くらいに僕が竹内電気を辞めてすぐですね。竹内メンバーに“何かやりませんか?”って言われて」
竹内「竹内電気もまだやってたんですけどね」
斉藤「だから遊びだよね」
竹内「正式な結成は’13年なんで、そのときは1回だけのつもりでしたね」
――正式に結成しようとしたのは、なぜですか?
竹内「’13年の竹内電気の解散ライブにボーカルがいなくて、俺が代わりに歌ったんです。解散ライブなのに楽しくて、それに自分のデビューライブな気もして。そのときに、まだまだ音楽を続けたいし、志半ばなのも悔しくて。その時点で斉藤は音楽をしてなくて、それももったいないなと」
斉藤「やりたかったけど、何もやらなかったですね。誰かに言われないとやらないんですよ。ちょこちょこイントロだけは作ってはいましたけど、誰かに乗っからないと始まらない感じでしたね。ただ、ちょうどその頃、仕事がイヤになってたし、結果、仕事を辞めて上京したんですけど、音楽がやりたかったんでしょうね。やっぱり悶々としてましたから。あと、元々友達だったのもデカいですね」
竹内「定期的に会ってはいたしね。とにかくもったいなくて、2人なら絶対にいい曲を作れる自信があったので、もう1回斉藤とやろうと。配信したらリアクションがあると思ってたんで。実際は世の中そう簡単ではなかったですけど(笑)。なのでライブも始めて、本気で音楽をやっている人たちと対バンしようと。このままじゃマズいので、ちゃんとギターを弾いて、ちゃんと振り付けもして。そこからパフォーマンスも考え出しましたね」
――ONIGAWARAはバンドではないですよね?
竹内「2人でいいんです。バンドに思い入れはありましたが、やっぱりバンドって奇跡なんですよ。そんなメンバーを探すのも面倒くさいですから。全員が同じ熱量でバンドをやるのは難しいですしね」
斉藤「なので、2人でできることを高めて、鼓舞してやっていこうと」
竹内「単純に、まだ諦めたくなかったんです。“負けないぞ”という気持ちもあるし。何かイケると思いましたね。曲は絶対に届くと思ってたんです」
――2人のMCを含め、パフォーマンスが絶妙ですよね。同世代で言うと四星球もそうですが、ボケたりツッコんだりしてもあたたかいというか、当たりがキツくないんですよ。
斉藤「僕らや四星球は、基本的にボケだと思います。今の若手でパフォーマンス的なことをする人は、ボケてもツッコミがキツめな感じはしますね」
竹内「僕らはおとしめるためにやってるわけじゃないんで。僕らや四星球は観てるお客さんにツッコまれる感じ」
斉藤「“何を小芝居してるの?”、みたいなね(笑)」
――確かに若手の皆さんは、しっかり詰め込んで公正なので、ボケてもお客さんにすらツッコませる隙がないですね。何かやり込めていくような力を感じますから。
竹内「彼らはインターネット世代なので、ツッコミどころが普段から多かったのかもしれないですけど」
斉藤「僕らは中学時代くらいまではノーインターネットで、のんびり過ごせましたから」
竹内「そうそう、だからエグくならない。僕らは『北斗の拳』で画面が赤と黒にビシャーってなるだけでビックリしてた世代ですから(笑)」
哀愁=J-POP的な切なさ
――あと、ONIGAWARAの音楽は明るくポジティブだけど、ちゃんと哀愁があるのがいいなと。
斉藤「三十路の哀愁(笑)。バンドのときはウジウジしてる主人公像があったんですけど、それが取っ払われて竹内メンバーは超ポジティブですから!」
竹内「バンド時代は、ボーカルのことを考えて歌詞に自分の個性を入れなかったんですけど、今は自分がボーカルなんで、人生観とか言いたいことを入れてますね」
――そして、より90年代な感じもあります。
竹内「90年代のヒットチャートに対する想いはありますね。それは幅広い人に聴いて欲しいという想いでもあるんですけど。そんな中でも、さっき言ってもらった哀愁=J-POP的な切なさというんですかね。コード進行でも、槙原敬之さんイズムみたいなものがあるんですよ。ただのハッピーエンドじゃ面白くないですしね」
斉藤「切なさを経てのハッピーエンドね」
竹内「逆に、ただただネガティブなのもイヤなんですよ。そういう音楽が幅を利かせたりもしてるので、そこはぶっ潰してやろうと(笑)。だって、みんなでワイワイ笑えた方が幸せじゃないですか?」
斉藤「僕は自分が闇の住人だからこそなんですが(笑)、明るいものを出したいですから!」
竹内「闇の斉藤が“ダバダバ”とか書いているのがすごいんですよ」
斉藤「根暗ですけどサッパリとした空虚が好きなんで」
竹内「意味がなさそうなことに意味があるんです」
斉藤「何か禅問答みたい(笑)。僕が辞めてからのバンド後期の竹内メンバーを見て、“この人は自分のパーソナリティをすごく持ってる!”と思ってたんですよ。解散ライブも、ボーカルじゃないのに2日で60曲とかをケロッと歌ってたのもすごかったし」
――竹内電気時代から、“自分の屋号のバンドなのに、何でボーカルやMCを積極的にしないんだろう?”って勝手に思ってましたから。よく歌う決意をしましたよね。
竹内「歌うのは好きじゃなかったですしね。MCも自分がやる仕事じゃないと思ってたし。解散後は武者修行的に1人で歌ってて、その2ヵ月後に本格的に斉藤とやり始めましたけど、いまだに歌えば歌うほど歌は難しいですよ。岡村靖幸さんとかが好きでマネみたいになり過ぎていたのもあったので、ボイトレに通ってようやくオリジナリティが出てきたかなと。なので今回のアルバムは、歌うことに集中できてますね。アレンジは斉藤に任せられたので」
斉藤「前はアレンジの方向性を2人で決めてたけど、今回は任せられたので、めっちゃよくしないといけないと思いましたね。全部投げてきたよね!」
竹内「アレンジの向上具合がすごいから! 完全に信頼してますからね」
今の方が好きなことができてますよ
――『ヒットチャートをねらえ!』は、本当にすごくいいアルバムだと思います!
斉藤「すげーこだわりましたから! 1stアルバムでイチから作りたかったし、再録は入れたくなかったので。やり切った感が欲しかったんです」
竹内「そこは斉藤はかたくなでしたね。じゃあ、俺も新曲を作るよと思いましたし、すごく強い曲ができましたね。それに、32年の人生観であったり、音楽愛であったり、関わってきた人への愛であったり、メッセージみたいなものは決まっていたので。怒りや文句ではなかったんですよ。ちゃんと1年ギグを頑張ってきて、作りたい曲も割とありましたし。自分たちに対して“すごいなぁ~”とは思ってますけど(笑)、ポップス自体、ひけらかしたり偉そうにするものではないですから」
斉藤「僕は“すごいなぁ~”とは思ってないですけどね(笑)」
――(笑)。哀愁はあるんですけど、開いているんですよ。
竹内「入口は広げたかったですね」
斉藤「茨の道を素足で歩いていて…後ろからも誰も来ないですけど(笑)、この情報量からくる興奮と感動は伝えたかったんです。そういうものは90年代にもありましたから。ただ、ノスタルジックとは決別しないといけないとは思ってました。そこに頼り過ぎずイチから作りたかったし、1つのケジメを付けたかったんですよ」
竹内「過去の自分にお別れしたくて。今までの財産を大切にしつつも、集大成を作りたかったので」
斉藤「単なるアーカイブは避けたかったですね」
――90年代というしっかりとしたルーツは感じるんだけど、その上でちゃんと次へ行こうとしているのが、このアルバムのいいところですよね。
竹内「自分で歌っているのはデカいですよ。今が一番いい」
斉藤「今の方が好きなことができてますよ。バンドのときは、ここまで考えてなかったですから」
竹内「30代にはグッとくるアルバムですよ(笑)」
――(笑)。若い子にもグッときますよ! 今日はいろいろとさかのぼりながら掘り下げられて嬉しかったです。ありがとうございました!
(2017年5月25日更新)
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