「今は音楽をやってて、すごく幸せ」
浅田信一という1人の男の人生を描いた新たな円熟期
12年ぶりのアルバム『Blue Moon Blue』から、SMILEへの想い
プロデュースワークまでを語るインタビュー&動画コメント
(1/2)
音楽に救われ、夢と情熱に只々突き動かされる10代、それが形になっていく無上の歓びと、知りたくもなかった世界の仕組みを突き付けられる20代、1つの季節の終わりと、己の戦い方を知る30代、そして――。40を過ぎ、人生の折返地点にたどり着いたとき、人は誰もが歩んできた道を振り返る…。浅田信一から届いた12年ぶり(!)となるアルバム『Blue Moon Blue』は、SMILEのフロントマンとしてメジャーを経験した青春時代も、高橋優、クリープハイプ、HYなど、数多くのアーティストを手掛けてきたプロデューサーとしての年月も、もがき迷いながらも途切れることなく行ってきたソロワークも、浅田信一という“1人の男の人生”が、しっかりと刻み付けられた1枚だ。タイトルに冠された“Blue Moon”とは、年に1度だけ月に2回満月が観られる月があり、その2回目の満月のことを指すという。浅田信一のキャリアに訪れた2回目の満月は、改めてこの男の生み出す音楽の素晴らしさを、瑞々しく伝えてくれている。そんな『Blue Moon Blue』の制作秘話から、SMILEへの並々ならぬ想い、数多くのプロデュースワークで培ったもの、今作にも参加している盟友・古市コータロー(THE COLLECTORS)との関係性など、たっぷりと語ってくれたインタビュー。今の浅田信一にしか歌えなかった、この12年の物語を紐解いていこう。
30を越えた辺りから音楽を作るモチベーション
=歌いたいことがなくなってきた
――まずは、アルバム曲のお披露目のプレツアー『Gentle Gutars』をやってみてどうでしたか?
「やっぱり新曲をやるのって、ミュージシャンはみんなそうだと思うんだけど、まぁ緊張するよね。どういう風にこの曲たちが受け入れられるのか、やっぱりすごく心配だし。“この曲はここで盛り上がるだろうな”みたいな感じをヘンに持ってたりすると、そこでコケるとさ、“アレッ!?”ってなっちゃう感じ(笑)。そういうことをいろいろ考えちゃうから、緊張するよ、新曲をやるのって」
――でも、そんな気持ちになれたのも、これだけまとまった数の新曲を書いたからですもんね。今まではそんな感覚、なかったわけですもんね。
「そうだね。もう本当に小出し小出しにしながら、よく12年つないできたなっていう感じだよね(笑)。頑なにそうやってやり続けてきてたんだけど、12年間まともに新曲を発表してこなかったのに、全国どこに行ってもちゃんと待っててくれる人がいたのは本当にありがたいし、それにいかに甘えてきたかということを、最近は痛切に感じてるから。今回の作品で、ちょっとずつ恩返しできたらいいなぁなんて思ってるんだけどね」
――プロデュースもやっている中で、率直になぜ12年ぶりにアルバムを作ろうと思ったのかを聞いておきたいなと。
「作曲を含んだプロデュースの依頼が、’14年の暮れから続いてたのね。それで作曲というものに改めて挑戦して、その奥深さとかおもしろさを実感したから、もうちょっと続けてみようかなっていうのがまず1つ。あとは、森山(公一・オセロケッツ)の新譜(『Record!』(‘15))がすごくよくて。あいつは俺より2年後輩なんだけど、ここに来て自分のやりたいことを、しかも自分の地元の大阪に戻って、ある種ローカルからああいうグローバルな視点で、すごくマニアックで個人的な作品を出した。それは言ってみれば、本当にメジャーの対局のスタンスだと思うんだよね。音楽的にも素晴らしかったから、あの作品に触れて“俺も頑張んなきゃ!”ってすごく刺激をもらったのが2つ目」
――なるほど、そして。
「あとは、自分がプロデューサーとか、ミュージシャンとか、アーティストとか、いろんな顔がある中で、プロデュースでは“商業ベースに乗った音楽”を意識して、あるいは意識せずも含めてやってるんだけど、自分の音楽に関しては、あんまりそういうことを考えられないのね。それはもう、10代で音楽を作り始めたときからそう。やっぱり、歌いたいことがあって初めて曲を書くので。自分が誰かに伝えたい、もしくは発散したいものとかがあって曲を書く。10代の頃は、いろいろと未来に向けて思い描くこととか、自分の中のドロドロした気持ちを吐き出すために音楽を作ってた。それで一旗上げてやろうとかも一切なかったんだけど、結果SMILEでメジャーデビューして。いろいろと環境が変わっていく中で、やっぱり30を越えた辺りから音楽を作るモチベーション=歌いたいことがなくなってきたのよね。メジャーの第一線で活躍し続けられる人って、どこかで上手く自分のフェーズを切り替えて、音楽を作家として書き続けられるんだろうけど、自分が歌うものに関しては、やっぱりそういう考え方が出来なかったんだよ。騙し騙しそういう曲を書いても、書いた以上は歌わないといけないし、モチベーションがない中で書いた曲を歌うのって、やっぱりすごくストレスになるし、楽しくない作業になっちゃうから。それでやらなくなっちゃったんだよね」
――歌いたいことがないと思ったとき、ある種の失望とかショックはあったんですか?
「うーん…もっと冷静だったかもしれない。“ま、こんなもんだろう”というか。“Don't trust over thirty”じゃないけど、やっぱりロックとかそういう詞とかって、人格が形成されるまでの、大人になるまでのものでしかないと思うんだよね。そういうものはなくなって当然だろうし、それでもがくわけだし。それこそ書いたけど納得がいかなかった曲もあるし、1回しかライブでやってない曲もあるんだけど、35を越えたらもういいやって(笑)。プロデュースでいろんなお話をいただいて、自分の表現とかメッセージとか、そういう部分は若い人たちに任せればいいわけで。俺はそこはもうやってきたから、音を作る方に回った。それに対して全く未練はなかったんだよね」
――“’16年時点の俺の歌だから(来年はまた変わるかもしれない)”ぐらいのスタンスのアーティストも当然いるし、浅田さんは日常的に曲を書いて歌うことに対して、ある種“潔癖”とも言えるぐらい強い想いがあるからこそ、簡単には書けない、歌えないっていうのが、今の話を聞いてると思いますね。
「30代半ばぐらいのときもポロポロ曲は書いてたんだけど、やっぱり自分の中で全然納得がいかない。曲としては別に悪くはないと思うんだけど、やっぱり自分の中でその曲を歌うモチベーションが生まれなかったんだよね。そんな俺がじゃあ何でまた、歌おうと思ったのかっていうと…結局、伝えたいこととか、自分が表現したいものが、この年齢になって生まれたんだよね。それは10代とか20代の頃に曲を書くモチベーションになっていたものとはまた違う、この年齢でしか歌えないことがあるんだなぁと気付いたというか、そういう気持ちになったのよね」
――その気持ちになったときって、やっぱり嬉しかったもんですか?
「嬉しかったね。嬉しいし、曲を作ることはやっぱり楽しいって思ったから」
SMILEのデビュー20周年のときに、俺は再結成をしたかった
――そういう時代を経て、改めて今、何を歌いたくなったんですか?
「若い頃は自分の“未来”を歌うんだけど、自分の“過去”を歌いたくなったんだよね。そこが俺の不器用なところで、さっき奥くん(=筆者)が言った、“’16年の俺です!”みたいに歌える人って、“今”を常に歌うんだよね。俺に“今”はなくて、“過去”と“未来”しかない(笑)。SMILEのデビュー曲が『明日の行方』(‘95)で、2ndシングルが『昨日の少年』(‘95)っていうぐらいだから、今日のことは一度も歌ったことがないんだよね(笑)。そういう意味では、やっぱり常に曲を書くモチベーションは、ないものねだりの自分というか。自分の思い描いた未来を追い求めて曲を書いてたんだけど、その未来に来てみたら曲を書くことがなくなっちゃって。そこを通り越してその先のさらに未来になったら、振り返った昨日のことを歌いたくなるという」
――未来のことを歌うのは、音楽家としてはまぁあることじゃないですか。でも、過去を歌おうっていう発想は、なかなかない気がしますね。そこには何か気付きありますか?
「やっぱり年齢ってことだと思うよ。この間ね、“人間って歳を重ねていけばいくほど、過去が輝いて見える”っていう話をしてて。でもそれは、決して懐古主義的な“昔はよかった”じゃなくて、あのときの自分の“愛おしさ”というか。例えば10代の頃の友達付き合いのキラキラした感じとかさ。プリファブ・スプラウトの『スティーヴ・マックイーン』(‘85)のジャケットみたいに、バイクにまたがって、バンドのメンバーがみんないる、みたいな。大人になっちゃうと、友達でもどこか仕事関係みたいなところもあるしさ。そういう利害関係が全くない、純粋な友達のコミュニティ、今はもうなくなってしまったものに対する憧れ、そういうものを歌いたいと思ったのかなぁ」
――それって、例えば久しぶりに昔の友達に会ったとかでもなく、年齢を重ねていく中でふと歌いたくなったと?
「あ~あのね、’15年がSMILEのデビュー20周年だったんだよね。その20周年のときに、俺は再結成をしたかったのね。SMILEとして作品を出せたらいいなぁぐらいな感じはあったの。そうすればファンの人はもちろん喜んでくれるし、メンバーも喜んでくれるんじゃないかなって思ってた。結果、SMILEの20周年の前年に浜松で、地元の人たちが音頭を取ってくれて、ちょっとした再結成ライブみたいなことは出来たことは出来たんだけど、それは19年目の秋で。その勢いで20周年もやりたいな、多分メンバーもそう思ってくれるんだろうなと思ったら、実際はそうじゃなくて。“俺、ちょっと無理かな”っていうメンバーも中にはいて…。そこでね、当然俺もガッカリしたんだけど、やっぱりそれは仕方のないことで。そこで何か…失った過去って取り戻せないんだなぁっていうのを、すごく実感したんだよね。もういきなり顔面をぶん殴られたぐらいのショックがあった。それも大きいかもしれない」
――もう、皆さん普段の生活がありますもんね…。でも、その願望がある種満たされて、アニバーサリープロジェクトとして1年でもやれたなら、ソロアーティストではなくまた日々のプロデュースワークに戻っていたかもしれない。そういういいことも悪いことも、今回の作品が生まれたことにつながってるんですね。でも、浅田さんの中で“SMILEをやりたかった”と思ってくれてたのは嬉しいな~。
「本当? 本当はやっぱりまだやりたいもん」
――浅田さんにとって、改めてSMILEはどんな場所なんですか? まだそういう風にやりたいと思えるんですね。
「うん。何かね、やっぱりずーっと引き摺ってたんだと思うんだよね、この10年間。ソロアーティストでもあるし、プロデューサーでもあるんだけど、どこかできっかけがあったらSMILEをやりたいなっていう気持ちは持ってたから。むしろ完全に解散した後の10年って、ソロアーティストになり切れてなかった気がする。“もう1回再結成するのは無理なんだなぁ”って分かって、そこで何か1つ踏ん切りがついた感じがあるの。だからこのアルバムがあるんじゃないかなぁって、今、奥くんと話しながら、自分でも“あ、そうなんだな”って思った。踏ん切りがついて、俺もソロアーティストとして、やっと腹を括れた。バンドはもっと肩の力を抜いてやれるタイミングがあればやればいいんじゃないかぐらいに、初めて思えるようになったんだよね」
プロデュースすることがある種の鏡になって
結果的にアーティストとしての自分が見えてくる
――そういういろいろなきっかけがあって、曲を書くモチベーションが生まれて、それをいざアルバムという形にしようとなっていったのは?
「そこはソングライターとしての自分と、プロデューサーとしてのキャリアみたいなものが結び付いたんだよね。今までのプロデュースワークで培ってきた人脈ってやっぱり大きくて、裏方として一緒に音楽を作ってきたミュージシャンとかエンジニアと、自分の作った曲を作品として作り上げていく。そこが今回は上手くクロスしたというか」
――SMILEの解散以降、プロデュースワークを浅田さんのメインの印象として持っている人も多いと思いますけど、自分の中ではどんなチャンネルなんですか?
「ま、音楽マニアのチャンネルというか、単純に自分の価値観でカッコいいものを作る。でも、アーティストは自分で作ったものにずっと責任を持ちながら、一生その作品と付き合っていかなくちゃいけないけど、プロデュースって自分の役割はスタジオの中でやり切れちゃうから。自分がこの先舞台で歌っていかなくてもいいし、言葉は悪いかもしれないけど、いい意味での“無責任さ”がある。例えば、アーティストって自分にブレーキをかけちゃうから、メモリを10にした方がカッコいいのに、5ぐらいにしとこう、みたいになる。そこで“いやいや、そうじゃなくて10にしちゃえばいいんだよ”って言う(笑)。でも、自分のソロに置き換えると、その気持ちはすごく分かる(笑)」
――プロデューサーとしていろいろなアーティストと出会ってきた中で、それこそ今の自分のソロワークスに影響を及ぼすようなヒントをくれた人はいました?
「全員だね、やっぱり。もう本当にそう。個性が全然違うから。やっぱり自分がアーティストとしてだけやってると、自分の現場しか分からない。だから、プロデューサーとしては出来るだけ俯瞰で考えて、俯瞰で考えるからさっき言ったように思い切ったことやっても大丈夫なんだよって言える。俯瞰で見るから、“この人の個性はこうで、こういうところは俺にはないなぁ”とか、“こういうところは似てるなぁ”とか、プロデュースすることがある種の鏡になって、結果的にアーティストとしての自分が見えてくる。例えば、高橋優くんは僕よりもひと回りぐらい歳下だから、やっぱりその年代でしか考えられないこと、その歳だからこそ表現できるものがあるから素晴らしいと思うし、逆に古市コータロー(THE COLLECTORS)さんは僕よりも歳上で、歳上にああいうカッコいいミュージシャンがいるのは今でも憧れるし。そういう意味では、いろいろなスタイルの人たちから影響を受けた気がするなぁ」
――アルバムを作るきっかけとなった楽曲提供を含むプロデュースは、そのコータローさんとnicotenですもんね。
「そうそう。そこもやっぱり両極端だよね。コータローさんは生誕50周年のアルバムの曲だったから、50歳の男が歌ってカッコいいだろうなって自分なりに考えた曲を書いて。nicotenは全く別で、宮田(航輔・vo&g)くんはちょっと草食系っぽい感じの子で、そういう子が歌ったらきっと女の子がグッとくるんだろうな、みたいな視点で曲を書いて。そういう両極端なことをやりながら、それぞれがすごく刺激になったかもしれない」
(2016年4月25日更新)
Check