「こういうバンドが日本に1組ぐらいいてもいいんじゃないかって」
ROTH BART BARONが音楽への執念も、表現者としてのプライドも
インディペンデントなスピリットも、時代の空気と共に刻んだ
異端の新作『ATOM』を語るインタビュー&動画コメント
いつからだろう? インディーで作品をリリースし、恒例のイベントやロックフェスに出演、鳴り物入りでメジャーデビューを果たしてもリリース&ライブは磨耗するまで繰り返され、目指すは日本武道館…。表現も手段も多様化したはずの現在において、いつの間にかテンプレート化されたシーンの流れは、どこかで観た風景とどこかで聴いた音楽を、コピー&ペーストして生み出し続ける。そんな中にあって、ROTH BART BARON(ロットバルトバロン)から届いた異端の2ndフルアルバム『ATOM』は、前作『ロットバルトバロンの氷河期』(‘14)に引き続き自らスタジオを選定し、海外レコーディングを敢行。敬愛するアーケイド・ファイアやオーウェン・パレットなども使用してきた、カナダはモントリオールにあるホテル2タンゴにて界隈のミュージシャンとセッションを重ね作られた今作でも、神々しくも美しい歌声、アコースティックでフォーキーなぬくもり、壮大にしてファンタジックなサウンドスケープは健在。アナログとデジタル、懐かしさと新しさが共存共栄するかのような新解釈のSF的世界観を構築し、我々にワクワクするような音楽体験を再びもたらしてくれている。音楽への執念も、表現者としてのプライドも、インディペンデントなスピリットも、時代の空気と共にパッケージングした『ATOM』を聴いていると、凝り固まったこのシーンが希望の音を立てて変わっていくような気がするのは、私だけではないだろう。リリースツアー真っ只中の2人に、『ATOM』にたどり着くまでの旅路はもちろん、理想と経験を貪欲に追い求め、独自の目線とスタンスでシーンに投げ掛ける、その確たる信念を聞いた。
同じやり方を職人芸として磨いていく生き方もあると思うんですけど
自分のアウトプットとかインプットを制限する必要は今はない
――今回は『ATOM』のリリースに伴って、前作『ロットバルトバロンの氷河期』(‘14)以上に本当にいろんなメディアにも露出して。明らかにこの1年間で積み上げてきたことに、波紋が出てきた感じがしますね。
三船(vo&g)「何か少しずつ分かってくれる人が増えたのか、日本以外のメディアのInstagramとかも取り上げてくれて、ちまちまやってきた試みがキャッチしてもらえてよかったなぁっていうのはありましたね。2枚目を出して点が線になったのかもしれないし、もしかして1枚で消えるかもと思われてたかもしれないし(笑)」
――それこそ去年は『SUMMER SONIC』とか『RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO』とか『MINAMI WHEEL』とか、そういうステージでの経験もまた違ったよね?
三船「モントリオールでのレコーディングから帰ってきた直後から、フェスティバルのシーズンというのもあってそのままノンストップでツアーをしていった感覚があって。野外のフェスティバルの空気の中で演奏するのも初めてだったし。どこまでも音が広がっていっちゃうその世界の中で、ノウハウみたいなものもまた変わってくるというか。返ってくる音とか技術的なこともそうだし、人に伝えようとする気持ちとか…お客さんもその1日を楽しもうとしてるから、こっちもどんどんオープンマインドになって。普段のライブには来ないけど(笑)ちょっと観てみようっていう人たちとの出会いとかが、もう1回1回のフェスティバルで全然違うのを知れたから。“こういうことはどんどんやった方がいいんだ”って勉強になることも多かったし、お客さんも僕たちを観たことがなかったはずなのにパッと喜んでくれたり。それはバンドの栄養というか、いい経験になったなぁと思う」
――そもそも『氷河期』以降、どういう流れで『ATOM』の制作がスタートしたの?
三船「『氷河期』のアナログのリリースツアーで北米に行ったのが、結構大きかった気もします。そこから持ち帰った街の景色とか、日本語が分からない人たちと出会ったあの感覚とかがギューッと凝縮されて。帰ってきてしばらくは体力というかいろんなものを使い果たして、全然人として機能しない生活を送ってたんですけど(笑)。でも、だんだんと曲が出来てきて、それが溜まっていってアルバムになっていく、みたいな自然な流れでしたね」
――そして、プリプロをやっていく中で、次第にウォームでビッグなサウンドに傾いていったと。
三船「『氷河期』の方法論とは違う自分の引き出しというか、今まで広げてきた風呂敷がもう1枚必要だな、みたいな。同じやり方を職人芸として磨いていく生き方もあると思うんですけど、自分のアウトプットとかインプットを制限する必要は今はないし、それを手の届くもので代用するというよりは、もっと自分の原体験とちゃんと向き合って、1から欲しいサウンドに近付いていこうと思うと…やっぱり次はたくさんのミュージシャンに参加してもらう必要があるなって。日本も含めていくつかスタジオの候補が挙げていく中で、カナダのモントリオールに決まって」
――前回のインタビューでもすでに、“僕は結局、自分だけで音楽を作ることに満足出来ない、それじゃあ足りないって思ってる人間だから”って言ってて。
三船「あ、そんなこと言ってますか(笑)」
――三船くんってソロプロジェクトでも成立すると思わせるぐらい確固たるイメージと世界観を持ってるけど、同時に、人と交わることで生まれるものへのロマンを人並以上に持ってる。それが三船くんの人間的な支柱であって、音楽的な成長にもつながってるなと。
三船「いや~そうですね。自分が目指すゴールとかやりたいことがあったとき、そこにたくさんの人間が関わって、自分の予想をいい意味で裏切られたり、自分が望んでいた最終地点とはちょっと違うかもしれないけど、ポンッ!とマジックが起きてものすごい掛け算になっていく。そういうことにこそ感動出来たり、想像を上回る結果で自分が行きたかったところにたどり着けることが多かったんで。前回レコーディングしたフィラデルフィアでも、日本語が全然分からない人たちが一緒に向き合って音楽を作ってくれた濃密な時間があって。今回のモントリオールでも、関わってくれるミュージシャンが増えたことで生まれた、濃厚で、強烈な、ギュッと空気が濃縮されたみたいな時間の中で、すごい化学反応が起きたような気がしてますね」
――三船くんは理想をとことん追求する人だけど、完璧主義まで行かない楽観的な余白があるのがいいところだね。
三船「あ~楽観主義なところはかなりありますね(笑)」
中原(ds)「ただ、僕個人的にはプリプロの段階から技術的なこととか、音楽的の幅だったりが自分にはまだまだ足りてないなと感じたし、じゃあその中で自分のドラムをどうやって落とし込めるのかは、『氷河期』以上に結構考えましたね。すごく悩んだというか」
――みんなにワーワー言われ、尻を叩かれ(笑)。でも、この1年で一念発起して念願のC&Cのドラムセットを買ったりもして、何かね、そういうタイミングも音楽の神様のお導きというか。
中原「フフフ(笑)」
三船「あのドラムセットをアメリカでいきなり買ったのは、人生の1つのデカいハプニングではあったよね(笑)」
コンピューターは便利ですけど、そこで全部を知った気になっちゃうと
13インチの画面だけ見て完結しちゃうのはもったいない
――カナダの孤高のインストバンド、ゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーのメンバーが設立したモントリオールのスタジオの選定は、今回も前作同様“検索の鬼・三船”の役割だけど(笑)、それこそ『FUJI ROCK FESTIVAL ‘14』でオーウェン・パレットを観た頃から、いろいろとつながってたのかもね。
三船「そうかもしれない。演奏が上手いとか、曲がいいとかそれ以前に、音楽に対する姿勢とか、“音楽と接するこんな素敵な生き方があるんだ”みたいな、発想の根源というか…日本で音楽活動してたらなかなか感じられないものが、あの40分ぐらいのステージにはあって、そこにすごく感動した。生で観るのも、初めてだったから」
――でも、日本で活動するミュージシャンって、例えば、憧れのミュージシャンの作品のクレジットを見てスタジオが分かっても、実際にそこで録るっていう発想と実行をする人は、100人に1人もいないと思う。
三船「何か“行っときゃよかった”とか言いながら30とか40になるのが嫌だったというか。“あの楽器を買っとけばよかった”、“あそこでライブしとけばよかった”とか後々言うんだったら、無理してでも頑張って行った方が大変だけど楽しい。やっぱりコンピューターは便利で曲も作れるし、ものすごくたくさんの情報を知れますけど、そこで全部を知った気になっちゃうと結構な部分で損をしてるというか、13インチの画面だけ見て完結しちゃうのはもったいないなぁって。妄想ばかり膨らましてもそこには経験が伴わないから、それはちょっと危険だなぁ、いかんなぁと思いながら生きてる人間なんで、そこはエイッ!と動いてね。ただでさえすぐに引きこもりになるから(笑)」
――そこに実際に行くのと、モニターで見てるのとは、全く別の体験だもんね。
三船「そうなんですよ。実際にそうやって動いて、時に痛い目を見るぐらいの方が性に合ってる。こういうバンドが日本に、東京に、1組ぐらいいてもいいんじゃないかって思いましたね。あと、ザ・バンドもニール・ヤングもそうだけど、僕の好きなミュージシャンとかヒーローがカナダにはいっぱいいたし、日本に住んでる外国人に、“君はカナダ人っぽいね”ってなぜかよく言われるので興味もあったし(笑)。僕らが行ったのはモントリオールのケベック州っていうところで、川沿いの小さい街だったんですけど」
――日本で言ったらどれくらいの街の大きさなんだろう? どこに相当するのかな?
三船「大阪は大き過ぎますね…神戸?」
――何かイメージが湧きやすい(笑)。
三船「でも、質感も何か似てますね。港の近くがワッと栄えてて、ちょっと離れると下町になっていく。僕らは郊外にあるスタジオの近くのミュージシャンの家に住んでたんですけど、気風はアメリカよりまろやかというか結構フレンドリーで、アジア人に対してもすごく優しい。みんな和気あいあいと暮らしているという」
――360°カメラで撮ったレコーディング風景もYouTubeに上がってたけど、日本でイメージする、いかにもなレコーディングスタジオとは違うね。
三船「結構手作業で作ってて、吸音材とかは入ってるんですけど、あんまりカッチリしてないんですよね。キーワードとしては“何か傾いてる”(笑)。あの人たちはいい意味でラフだし、普段生活してるスペースで音楽を鳴らすことが日常的にあるから。録音上、混ざっちゃいけないものはブースで仕切ったりするけど、日常と音楽が掛け離れてなくて。日本のスタジオだと、そこにピリッと引き締まる空気もあると思うんですけど、彼らは“いかにいい気持ちで音楽を作っていくか”に主観を置いてるから、決してハイファイな音とか、音の解像度が高いとか、“合格点のサウンド”を目指してるわけじゃないんですよね。あと、スタジオの近くにはアーティストとかミュージシャンが、多分家賃が安いから住んでるんですけど、イラストレーターを目指してる人たちがアートブックを作ってそれを売ってる本屋さんとか、レコード屋さんとか、楽器屋さんもそうですけど、自分たちの欲しい環境作りが街から出来てるのはありましたね。僕らとしてはああいうスタジオの姿勢とか環境から、学ぶことはすごく多かったです」
――それこそ、あのスタジオだからこそのテイクもすごくあったみたいで。
三船「何かあの部屋に入らないと、あの空気感が出ないというか…ちゃんと自分をフルで出せる瞬間が作りやすかったんですよね。部屋の音も、倉庫を改造してるからか自然の響きが気持ちいいというか。だから歌ってて想像以上にどんどんノッてきて」
中原「同じ部屋のドラムの後ろには、ピンボールとかゲームが置いてあったり(笑)。天井も高いし、窓もあって外の景色も見える。ドラムの数自体もすごく多くて、エンジニアの人と“これは70年代のやつだよ”とか、“この音だったらこのタムを使ってみよう”とか、そういう話を一緒にしながら」
三船「スタジオにあるドラムをブワーッと並べて、そこから叩きながら選んだりしてね」
中原「すごく楽しかったし、エンジニアさんと話すことで自分にないものも生まれて」
――ちなみに、巨大なパイプオルガンはどうやって手配を?
三船「あれは日本で録ったんですけど、巨大な講堂を借りました。パイプオルガンって部屋ごとに音響がコーディネートされてて、部屋全体が楽器みたいな感じなんです。あと、容赦ないあの大きさ(笑)。マイクで増幅しなくてもズワァ~って空気が震えて、低音がバンバン身体に当たってくる感じとかは、コンピューターじゃ絶対に出せない質感だから。あの音を拾うのも結構苦労したんですよね」
70歳のミュージシャンがいまだに頑張ってるんだから
僕らが頑張らないわけにもいかないですよね?(笑)
――作品の中身について触れていくと、『氷河期』はファンタジー的な要素も多いけど、『ATOM』は現実と地続きな部分がすごくあるというか、“東京のSF”みたいなモチーフの起点もあったと。
三船「僕が小っちゃいときに夜の9時ぐらいからやってた洋画劇場で、『ターミネーター』(‘84)『エイリアン』(‘79)『ロボコップ』(‘87)『トータル・リコール』(‘90)『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(‘85)とか、ちょっと古いハリウッドのSF映画が結構やってて、それをよく観てたんです。ウルトラマンとかゴジラも小さい頃から観てたから、ミニチュアセットであったり特殊メイクであったり、ああいう仕事をしてる人たちへの憧れも結構あって。コンピューターが本格的に入ってくる前のSFの、今見るとちょっとダサい(笑)、一生懸命で手作り感のある映画がすごく好きだった。今回の360°映像とか、シリコンバレーで起きてる新しいムーブメントとか、コンピューターとインターネットを使って出来ることがどんどん増えて、自分もそのお陰でレコーディングが出来たり、今すぐにでも僕らの音楽を世界に配信出来るし、翻訳技術もどんどん発達して、言葉を習得する意味もなくなってくるかもしれない。でも、そうなってくると、さっきも言ったけど、どんどん経験が伴わない作品が増えていくし、イージーになり過ぎることによって、便利だけど常にGPSで誰かにモニターされてたり、サーバーにデータがメモリーされていくところが、何だか幼少期に観ていたSF映画みたいだなって。これは何か物語になるんじゃないかって思い浮かべながら曲を作ってたら、上手く歩幅が合ったんですよね」
――それこそ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でたどり着いた未来(=’15年)を迎えて。映画が描いた未来より進んでない気もするし、荒廃していく世紀末みたいな空気もあるし。
三船「ノストラダムスが“世界は滅亡する”って言った’99年って、僕が小学校5~6年生とかなんですよ。それまでは“どうせ世界は終わっちゃうから”って生きてこれたのが、結局終わらないし、カッコ悪く生きていくしかなくなって(苦笑)。そうなると、隣に嫌なヤツがいても当分我慢しなきゃいけないとか(笑)、終わらなくなってしまった世界は、こんなに面倒くさくて大変なのかって。何10万もするスマートフォンをほとんどの人が持ってる国で、何が自分にとって有意義なのか、幸せなのかを考えても、明確な答えは出なくなってきて、信じるものはもっとなくなってきて…日常を生きてて“夢”とか“ファンタジー”について考えることがだいぶ少なくなったなぁって。音楽にはそういう一面があるし、それは逃避のためじゃなくて、そういうことの方が案外真実を雄弁に語ったりすることもある。何かそういうことをずっと考えてたんですよね」
――あと、ロットは生身の経験をすごく重視するけど、ちゃんと現代のテクノロジーも駆使する。でも、テクノロジーを利用しながら、ちゃんと距離を取ってるというか。
三船「例えば、ニール・ヤングはもう70歳のフォークシンガーでヴィンテージ機材マニアだけど、当時のテープレコーダーで録ったものをデジタルに変換してレコーディングしたり、iPodに代わる高音質のプレーヤーを作るためにクラウドファンディングでお金を集めて新しい音楽事業を立ち上げたり、超アナログ主義とデジタルのバランスを考えて常にやってる。70歳のミュージシャンがいまだに頑張ってるんだから、僕らが頑張らないわけにもいかないですよね?(笑) 根本的に新しいものは好きなんですけど、音楽の歴史を知ってる人をリスペクトしながら、新しい考え方で古い方法を崩していけたり、過去に失われたものを今の目線でピックアップ出来たらおもしろいのかなぁって」
――だからこそ、『ATOM』は’15年の時代の空気感も象徴するようなアルバムになったのかもしれないね。そして、ロットは常に自分たちがどうこうというよりも、音楽自体の存在をどうにかしようとしてる目線があるよね。
三船「僕らが仮にいろんな賞を総ナメにして成功して億万長者になっても、結局、自分が幸せにしたい人とか、楽しんでもらいたい人に喜んでもらえてないと成立しないというか。僕らは武道館でやりたいとか、誰々と共演したいとか、そういう風に始まったバンドじゃないから、ミュージシャンとして、バンドとして、“音楽をやる喜びって何だろう?”って考えたとき、僕らは、スタジオの選び方とか音楽への接し方、新しい価値観、テクノロジーとの向き合い方、人との関係性とか…何かそういう当たり前にあるものを1つ1つ、いちいち面倒くさく理解するところから始まったよなって(笑)。将来的に誰もがそういう自分たちのスタイルというか活動の仕方を見付けて、自分の居場所をちゃんと確保して、自分たちがいいと思う音楽を、日本もそうだし世界に向けて対等に配信出来たら…ヘンに馴れ合う必要もないし、お互いに独立したものがあって、リスペクトを持って、協力するときは協力する。そういう関係性が作れたら理想なのかなぁと思いますけどね。そこを目指してる気はします。今まではモントリオールとかフィラデルフィアでお世話になってきたけど、日本のスタジオで録りたい友達がいたときには、サポートしてあげられるように」
――だいぶ前から言ってたもんね。将来の夢は自分たちのスタジオを作って、海外のミュージシャンを呼ぶ、と。
三船「今日もまた言ってますもんね、僕(笑)。 “お前らずっと口だけじゃないか!”って言われないようにしなきゃ」
デジタルで無限にまとめられる時代に
じゃあ何で僕らは今10曲入りのレコードを出すのか?
――個人的には『Metropolis』(M-6)の得体の知れなさというか、現実とつながっていながら異質な感じが好きで。
三船「嬉しいです。僕のトータルビジュアルのイメージとして、昔のハリウッドのSF映画の、スモークが掛かっててブルーのライトがもわ~っとなってるような、ちょっとシルキーな映像というのかな。ああいう景色が常に浮かぶようにしてて、そういうところが『Metropolis』にはよく出てる感じがしますね」
――『ショッピングモールの怪物 (Shopping Mall Monster)』(M-5)は、今の日本の郊外の現状みたいな話で。地方の個人商店が全部潰れて、商業施設になっていく感じというか。
三船「コピー&ペーストされた街並みというか、今ってどこの郊外にでもボンッ!とデカいモール街があって。モール街で遊んでるとすごい楽しい。でも、最近の日本のああいう無機質な風景ってすごく気味が悪いというか、作られてる感じが狂気だなぁって。そうやって、どんどんヘンなグローバリズムに飲み込まれていったらどうなるんだろう?とかいうイメージです」
――自分は前作の『氷河期』をレベル・ミュージックと称したけど、そういう元々からある現代社会への危惧みたいなものが、今作では明らさまな怒りとかではなくて、ちゃんと物語として入ってるね。
三船「そうですね。あと、よくゾンビ映画とかでみんなモールに立てこもるじゃないですか? ああいうワクワクする感じが曲に出るといいなぁと思って、バイオリンのクレイジーな音も入れたりして(笑)」
――(笑)。三船くんは現実をすごい見てるけど、ホンマ夢をなくさないよね。
三船「理想はなくさないようにしたいですけど、夢ばっかりでふわふわしてても人は感動しない。でも、絶望するにはまだ早いし。もうちょっと歳を取ってからでいいかな?(笑) そう考えると、理想を失わずに上手く現実と向き合いながら、いい着地点とかバランスを、バンドの音楽で見付けられたらなぁとは、生きながら考えてますけどね」
――サウンド面ではレトロフューチャーなシンセの効用でエレクトロな面が前に出ていて、あとはベースも8ビートだけど耳に残るラインというか、きっちり印象付けてるね。
三船「今までは僕らはベースがいないバンドだったけど、バンドサウンドに対してちょっと自覚的にというか、バンドで演奏する醍醐味みたいなものは、やっぱりツアーでいろいろ経験したことがすごく反映されてる気がします。歌が入ってくるまでにすごくフレーズが踊っちゃう人とか、メロディアスに弾く人とかいろいろいると思うんですけど、ジェレミーっていうカナダのベーシストは、ベースならではの愉しみをすごく知ってて。あまりグイグイ前には出てこないんですけど、ちゃんといい位置にいて、それでいて存在感がある。僕も少しは弾いたけど、やっぱりずっとベーシストとしてやってきた人のああいう感覚に出会えたのは、すごく新鮮というか自分にないもので、やってよかったなぁって。すごく気さくないいヤツで、それも音に滲み出てましたね。演奏しててすごく楽しかったです」
中原「今まではベースと一緒にやる経験が全然なかったのもあって、それによって新たな気持ちよさみたいなものも、当たり前だけど生まれてきて。“そっか、こういう感覚は当然バンドでとして必要なところだよな”っていうのは、今さらながらありましたね」
――そして、ブロークン・ソーシャル・シーンやアーケイド・ファイアの作品にも携わるジェシカ・モスが、ストリングスで参加してくれた際は、彼女が部屋に入ってきた瞬間に泣けるぐらいの衝撃だったと。
三船「もうビリビリ!!って電撃が背中に走って。全然違うんですよ。空気が変わった。サウンドチェックをしてるときも、オーラがすご過ぎて誰1人近付かない。彼女の“ここはこういう曲なんだけど”っていう説明を聞いてるときの目とか、1つ1つの表情、もう全部にやられた。1人の人間にあんな感情になったことはないですね。もう、FUJIで観たオーウェンと同じ感覚ですよ。“あ、こういう感覚で音楽をやってる人がいるんだ”ってバシッ!と分かる。パッと弾いた僕の感覚を大事に音楽を作ってくれてるのはすごい感じたし、みんなエネルギッシュなプレイヤーだったんで、自分の中にある全力を出し切って向かい合わないと負けてしまうというか。そこにはすごくエネルギーを使いましたね。レコーディングが終わった後は部屋に帰っても何も出来なくて、空っぽになっちゃいましたから」
――あと、『X-MAS』(M-9)のAOR感というか、ちょっと歌謡っぽさすら感じるフェアウェル感は新鮮で。
三船「ちょっと日本人が好きそうな音楽になりました(笑)。僕、ウォルト・ディズニーの『美女と野獣』(‘91)とかが好きなんですよ。90年代のディズニー映画の感じ、ムーディーな海外ドラマ感がちょっと出てる。’15年にこれをやるのはどうなんだって思ったけど(笑)、東京とか日本の郊外を舞台にした『ATOM』っていう架空のSF映画があって、そのエンディングだったらああいう音が鳴っててもおもしろいんじゃないかなぁって。何かそういう風に音楽を作っていったら、すごく腑に落ちたんですよね」
――そう考えると、『ATOM』はいろんな試みと挑戦がしっかりあった1枚やね。『氷河期』はすごくコンセプチュアルというか、ROTH BART BARONというバンドが現代にいて、かつ他にいないバンドなんだって明確に表明出来たアルバムだけど、その上でロットがその点を線にするには何をすべきかというところで。
三船「『氷河期』は最初から最後まで一直線の波で、トータルで出来たアルバムなんですけど、『ATOM』は1曲1曲独立した音楽、バラエティなサウンドを持ったアルバムにしようと思って。でも、最終的に見渡したら、意外とそんなこともなかったなっていう(笑)。向こうのエンジニアといろいろ相談しながら作ったんであの部屋の質感はすごく出てるし、『氷河期』とはキャラクターが違うアルバムにはなってると思うんですけどね。デジタルで無限にまとめられる時代に、じゃあ何で僕らは今10曲入りのレコードを出すのか? そういうことも1つ1つ自分たちで決着させながら、いろいろ考えて作ったらこういうパッケージになったんですよね」
独自のお金の稼ぎ方、ビジネスとしてどうなるかは
全てのバンドとかミュージシャンが戦っている現実だと思います
――ちなみに、レコーディング風景は360°カメラに収められて特設サイトにもアップされたけど、そういう映像的な見せ方は、どの段階からアイディアはあったの?
三船「北米ツアーのときに一緒に映像を作ったニューヨークの友人とかに、いろいろアイディアを投げてるときに“そう言えばYouTubeの360°カメラのサービスが始まったの知ってる?”みたいな話になって。そもそも絵とか写真とか映像は、何で四角いのか? みたいな素朴な疑問というか」
――三船くんが子供の頃に出会ったら、いつも“何で何で?”って言う子やったやろうな(笑)。
三船「アハハ!(笑) 360°カメラはGoogle Mapsの技術が応用されてて、ドキュメンタリーを自分の視点で動かして、何が起きてるのかを自分で判断出来る。4Kとか3Dとかいろいろ出てきたけど自分はイマイチピンとこなくて、360°カメラの方が圧倒的に楽しめたんですよ。何か参加してる感じもあるし。でも、これがもし全てのカメラに付いてたら、何も悪いことは出来ないなって思うけど(笑)」
――顔が隠れてても360°の監視カメラで回り込んだら見える、みたいな。
三船「そうそう(笑)。そう考えたときに、じゃあいっそのことバンドがレコーディングしてる姿を監視してもらおうと思って。みんなを怖い監視役にさせて、僕らは囚人役(笑)。そうしたらおもしろいかなぁと思ったんですよ」
――レコーディングのドキュメンタリー映像は特典であったりするけど、今までのそれとはまるで違う新しい感覚がある。今回もただリリースしてツアーしますじゃないスタンスで、常にシーンに何かを投げ掛けるというか。
三船「ストリーミングサービスも始まった今、そういうことを率先してやりたいなぁと思ってて。スタジオの人たちとも“多くの人が音楽にお金を払わなくなっちゃった”っていう話をしてたんですけど、バンドがそれをどう打開していくかには、いろんな方法があると思うんですよ。それはさっき言った360°カメラのようにルールは全く存在してなくて、独自のお金の稼ぎ方、ビジネスとしてどうなるかは、全てのミュージシャンが戦ってる現実だと思います。僕らは音楽を隠すものじゃないと思ってて、人が聴けて楽しめる機会を制限されてしまうと、“今日はちょっとこれ聴こうかな”みたいな思考にはなかなかならないし、音楽がどんどんハードルの高いものになっちゃう。YouTubeに動画がバンバン上がって楽しい映像が毎日のように見られるのに、音楽だけフェードアウトしてもしょうがないっていう。音楽が日常の中に溢れてなきゃいけないのに、それを縛り付けて、何の権限で僕らを止めるんだろう?って」
――ロットと同じような志を持ったバンドが、もっと増えたらおもしろいね。
三船「あんまりいないですか?」
――あんまりいないね(笑)。
(一同笑)
三船「僕も本当に好きなミュージシャンじゃなかったらCDとかレコードを買わないし、日々生きてる人たちがじゃあ月に何枚買うのかって考えると…。日常に音楽があるのってこんなに楽しいんだ、ライブってこんなにおもしろいんだって、気付いてもらいたい。だから、他人の迷惑にならない範囲だったら僕らのライブを撮ってくれても全然構わないと思ってるし、逆にSNSでみんなに教えてくれた方が嬉しい。むしろお客さんの方がすごく気遣ってくれてるんだと思うんですけど、僕らも観たいし(笑)」
音楽を通して“じゃあ自分の根っこにあるものは何だろう?”
って考えることはすごく深いテーマというか
ずっと向き合っていきたい。自分のたどる先が何なのか
――『ATOM』にまつわるこの一連の経験を振り返ってみてどうですか?
中原「アメリカに行ったときもそうだったんですけど、その国に合った音楽があって、日本でフィーチャーされてなくても、例えばモントリオールだったらエクスペリメンタルな音楽がすごく多くて。カナダでもみんなで一緒にフェスティバルに行ったんですけど」
――そのときの写真を見たら、お客さんもめっちゃ入ってたもんね。
中原「そうなんですよね。もっと根本的に音楽が好きというか、音楽が自然と生活にある感覚を、今回もつくづく感じたなって。僕らが泊まってた家も基本的にテレビがなくて、日本でテレビが置いてある場所にレコードプレーヤーがある、みたいな。そういう環境がどの家でも当たり前というか」
三船「1人1人の音楽への懐がものすごい深いし、密接ですよね。どっちかって言うとEDMフェスティバルとかに行ってそうなお客さんも普通にロックやアメリカンフォークを楽しみに観に来てたりして。多分僕にとって『ATOM』を作ったことも、曲と向き合ったりジェシカに会ったりしたことも、フェスティバルのお客さんの表情とか、現地で話したことも、すごく“線”なステップというか、ビシバシ自分の人生に大きいことが起きてると思ってるんですよ。今後の音楽観を左右する、ものすごい経験だったし。この経験は次のアルバムにすごく活きてくると思う」
――あと思ったのが、ロットはもう海外を主軸に活動してもいいのではと思う一方で、むしろ他のバンドよりも日本に対する意識が高いというか。海外とコネクトしてるからこそ、かえって愛がある気も。だからこそ、今日本にいるバンドとして、どういうスタンスで、どうアプローチしていくのか。
三船「東京で生きてると、常に人も流れていくし街並も変わっていく。ただ、そうやってどんどん変わっていくと、土着的なものというか、根っこにあるルーツが全然感じられなくなるというか。向こうでツアーしたときに、“日本の音楽って何だろう?”って考えたら、そもそもロックミュージックは輸入されたものだし、そのバランスの着けどころが正直まだ見付けられなくて。逆に海外のものがオシャレだとか、カッコいいとか、最先端だからとかいう理由で適当に身にまとったり利用したりするのも、何か腑に落ちない。日本で暮らすこのチグハグな感じは何なんだろう?って。これはじっくりここで生きていかないと見付からないかもしれないし、何年か離れてみないと分からないかもしれないんですけど。音楽を通して“じゃあ自分の根っこにあるものは何だろう?”って考えることはすごく深いテーマというか、ずっと向き合っていきたい。自分のたどる先が何なのか」
――混沌の中で、世界も日本も時代も変わっていってるもんね。
三船「だんだんいろんなものが瓦解して、人種は混ざってくると思うんですけどね。そうなった方が楽しいなとも、ちょっと思ったり(笑)。そうなると、いわゆるJ-POPとか邦楽とか洋楽とかいうジャンルもどんどん崩壊していく。だって、世界中の人がみんな同じ規格の携帯を使ってるわけじゃないですか。それはグローバリズムの賜物というか。日本人のことをほとんど考慮してないスマートフォンが、世界で一番売れてる現状があるんで」
――言ったら、“日本の音楽シーンが”っていう話じゃなくなるかもしれない。全部つながっちゃうかもしれない。
三船「でも、何かそうなるような気もしてて、そこにすごくワクワクしてるところもあります。ただ、日本でも向こうでも音楽は出来るけど、思考としては日本にいること、日本で出来ることがまだたくさんあるのかなとは思ってますね。日本にもまだ絶望してないし(笑)。かと言って、日本という国の地場に捉われ過ぎないようにね」
――そして、またその時代のロットの音楽が生まれると。楽しみだね。
三船「何かね、次の音楽も多分、戦います。僕も楽しみですね」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2016年1月14日更新)
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