彼がシーンに浮上してきたのは’13年。それまでダンス&ボーカルグループ、AAAの一員として常にハイレベルなパフォーマンスでファンを魅了してきた日高光啓が持っていた、もう1つの顔。それは、アンダーグラウンドなHIP HOP界隈でフリースタイルのラッパー、ソングライターとして活動を展開してきたSKY-HIとしての顔。2年前にシングル『愛ブルーム』でメジャーデビュー以来、J-POPやHIP HOP 、インディー/メジャーといった目に見えずとも確かに存在する枠組を歌声1つでしなやかに突破。メインストリームもオルタナティブも納得&満足させるクオリティを持ったしたたかな楽曲を、世に送り出し続けている稀代のトリックスター。ぴあ関西版WEB初登場となる今回は、音楽に彩られた半生と、「現時点での最高到達点」と語る最新シングル『Seaside Bound』について話を聞いた。
「小学生の頃は“自分はプロサッカー選手になる”と思い込んでいたんですけど、中学に行ったら上の上にはさらに上がいるのが分かって(笑)。中学1年からまずはバンドを始めて、高校を卒業するぐらいまでずっとやってたんですよ。最初に触った楽器はドラムで、きっかけは当時WOWOWでエリック・クラプトンのライブを観てる内に、だんだんクラプトンよりもドラムを叩きまくってるスティーヴ・ガッドがカッコよくて目がいっちゃって、やり始めたら何か叩けちゃったんですよね(笑)。気が付けば、同時に7つぐらいバンドをやるようになってて、ギターとかいろんな楽器もジャンルもやりつつ、インストもやったりして…でも、ドラムが一番楽しかったな。サッカーから音楽へ興味の矛先が向いてからは、“将来は音楽を作って生活していく”ということしか考えない人になって、最寄りのTSUTAYAで片っ端からCDを借りては聴いて借りては聴いて…っていう生活でしたね。そう言えば、1学年上にすごく人気のあるパンクバンドがいたんですけど、ボーカルの先輩が抜けてしばらくして、バンドが音楽的に方向転換してからUNISON SQUARE GARDENっていう名前になって(笑)。田淵(智也)さん(b)に至っては中学から一緒で、しかもサッカー部の先輩だし。だから今年か来年には、UNISONと対バン出来たらいいなぁ(笑)」
「で、その後、中学2年のときにバンドを組んでいたギタリストの家でスペシャかMTVを観てたら、RHYMESTERのビデオが流れていて。“この人たちの曲、よく流れてるなぁ”と思いながらラップしているのを観てる内に、“あ、これは俺がやるヤツだ”って(笑)。だからある意味、音楽を始めたのも、ドラムやラップを始めたのも、スタートはすごく直感的だった気がします。その頃は本当に好奇心の塊だったから、RHYMESTERと出会ったおかげでHIP HOPを入口にジャズとかソウル、昔のロックンロールもそうだし、ファンクとかHIP HOPのネタモノを聴くようになって、一気に世界が広がりましたね。毎日、自分の知らない新しい音楽に出会えていたし、その底が見えない状態がすごく楽しかった。単に音楽が好きなのもあるんですけど、当時は中学生のクセに妙なプロ意識みたいなものがあって、とことん音楽を聴かなきゃいけない、もっといろんなことを知らなきゃいけないと思っていましたし、友達とお金を出し合ってMTRを買って曲作りも始めてね。中学時代のHIP HOP原体験・初期衝動みたいな頃は、音楽を聴くのも、演奏するのも、あとはダンスとかも全部、好奇心のおもむくままにカテゴライズなしに純粋に、ありとあらゆるものを自分の中に取り込んでいましたね。それはめちゃくちゃ今に活きているし、大きな糧になってます。ただ、カルチャー的な意味も含めてHIP HOP自体にのめり込んでいくのはもっと後で、高校2~3年ぐらいでした。『Seaside Bound』のカップリング曲『F-3』みたいなオーセンティックなHIP HOPが元々の自分の背骨になっていますね」
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――RHYMESTERのリリックの影響も感じていますか?
「あると思います。その頃のトップチャートにはRIP SLYMEもKICK THE CAN CREWもジブ(Zeebra)さんもいたし、キングギドラの『最終兵器』(‘02)もトップ10に入っていて。ラップは珍しいものではなくなっていて、アイドルグループの曲の一部にもラップが含まれていたりして…って、AAAをやってる俺が言うのもヘンな感じなんですけど(笑)。ただ、やっぱりRHYMESTERの歌詞は脈絡も含めてすごくおもしろくて、インテリジェンスを感じていましたね。日本語ラップや言葉自体に焦点を当てるようになったのは、その頃からかもしれないですね」
現時点での最高到達点であり、自分で言っちゃいますけどグッジョブ!(笑)
――そんな中でAAA、そしてSKY-HIにたどり着いたのは?
「高校2年の中頃には当時一緒にバンドをやっていたメンバーがみんな“大学に行ったらバンドはやらない”とか言うから、これは参ったな、人生のプランが狂っちゃったなって。音楽をやっていくにはどうしたらいいかを考えたときに、元々ダンスも中学の後半ぐらいからやっていて、せっかく踊れるんだからって、ほぼ思い付きに近いんですけどエイベックスの門戸を叩いたのがきっかけですね。AAAでデビューして間もない頃には自分でデモ音源を作って、自然と通うようになったクラブでいろんな人に渡して聴いてもらって、そうする内にレギュラーイベントが決まって、いろんな先輩達と巡り会って、“SKY-HI”という名前をもらった、という感じですね」
――AAAとSKY-HIの住み分けはあるんですか?
「AAAは、そのときそのとき自分が求められている役割を100%真っ直ぐにやるのが自然なこととして自分の中にはあって、“グループを作る”意識が強いんですよね。例えば、学校にいるときの自分と、家に帰ってから自分は違う。グループにいるときはグループでの自分の役割を100%果たして、それとは別に100%オリジナルな自分を持っている。それがちゃんと伝わっていたから、最初は作家さんに書いていただいていたラップも、いろんなやりとりをする中で自分が書かせてもらえるように徐々に勝ち取っていった感じでしたね。ラッパーとして少しずつ頭角を現して、SKY-HIとしてメジャーデビューするタイミングで改めて音楽に対する向き合い方を考えたときに、デビュー曲の『愛ブルーム』(‘13)みたいなディスコチューンが自分のDNAにあったのを発見して、そこからまた自分の音楽人生の新しい章が始まったというか」
――『愛ブルーム』はディスコ・クラシックな風味が今のサウンドと共存しているのが新鮮でした。オーセンティックなHIP HOPを背骨に持ちながら、『愛ブルーム』のようなテイストの曲を作ることに迷いはなかった?
「『愛ブルーム』のような曲に至るまでは、自分の中でいくつかの段階があったんです。カッコいいと思う曲を作るのは大前提なんですけど、それを自己満足で世に出すとか、友達に“カッコいいね!”と言ってもらうために作るのは良くないなって。もちろん、HIP HOPシーンで名前が徐々に上がっていった時期は、自分の周りのコミュニティやラッパー、DJの間で“カッコいい”と思われてそうなっていくんですけど、同時にそれをいつまでも続けるわけにはいかないなとも思ったんです。自分の作る音楽をいかに世の中に届けるか、もっとチャレンジすべきだと思ったし、そう思っていろんな音楽を作っていった結果、自分の中の『愛ブルーム』に出会った。メジャーデビュー前にツアーを廻ったのも大きかったですね。それまでは、ネットに曲をアップしてそこに集まるリアクションはあっても、クラブでライブをしていても自分目当てに集まってくるお客さんはまだ少なかった。でも、ワンマンをやったときに来てくれたお客さんの存在を実感して、そこで初めて自分が音楽を作っていく対象を見たし、愛情の矛先が定まったんです。この人たちに届けるんだって」
――そうだったんですね。
「いまだにブラッシュアップの最中だと思うのは、作品を作るたびに“もっと届けたい、もっと届くはずだ”って思ってるんです。今応援してくれている人もそうだし、昔から応援してくれてるHIP HOPヘッズも、まだ見ぬ未来の俺のファンも(笑)、それこそ国内外も趣味趣向も老若男女も全部問わず、“届ける”ということを意識して作る。シングルは特に、表題曲が持っている輝きをより際立たせるために、カップリング曲で真逆のメッセージを歌うやり方もあって、それは『スマイルドロップ』(‘14)でも『カミツレベルベット』(‘15)でもそうでした。それがさらに色濃くなって、精度を上げていけばいくほどに、今回の『F-3』みたいに元々自分が持っていたラッパーとしての強さとか、HIP HOPというカルチャーに身を置いている者としての信条も改めて提示しつつ、言葉の力や鋭さのレベルも、より上がっていくのを感じました。今回のシングルは特に、“俺、確実に正解だわ!”というのを改めて感じた作品です。現時点での最高到達点であり、自分で言っちゃいますけどグッジョブ!です(笑)」
心の中の欠けてしまっているピースを埋めようとしているときが
何よりも一番人間の爆発力がある状態だと思っている
――今作の曲を聴くだけでも充分刺激的ですが、ミュージックビデオ=映像を観ることで言葉が刺さる強さが格段に変わりますね。
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「ミュージックビデオの印象と、曲だけを聴いた印象では、100%違うと言ってもいいぐらいかもしれない。元々『Seaside Bound』は夏の海辺で男女がバシャーンと楽しそうにしている図、というのが着想としてあって。コード感とメロディだけを聴いたらそういうものになってると思うんですけど、実はこれは人生で初めてBPMから曲を作っていったんです。当初の設定ではBPM165、テーマをすごく雑に言っちゃうと、“エモい”だったんです」
――“エモい”? ですか?
「例えば、フェスに出たバンドが懐かしの名曲をやったときに、“ウォー!”とか言いながらステージに向かって遠くから人が走って行くのって、何かエモいじゃないですか? それを観ていて、“何が人の気持ちをそんなにもキュッとさせるんだろう?”って。そこから自分の中にある切ない物語を書こうと思ったんですね。それは“夏だぜ! パーティーだぜ!”っていうものよりも、松本隆ばりの夏の恋の歌をしっかりと描けたら、その切なさは俺が求めていたエモさと直結するんじゃないかと。そういうエモーションを探るところがスタートでしたね。映像でも喪失感とか羨望を表現しているんですが、心の中の欠けてしまっているピースを埋めようとしているときが、何よりも一番人間の爆発力がある状態だと思っているので」
――『Seaside Bound』の曲中の“…出来ない”というワードがとても引っかかりました。一面では夏の恋を歌った曲かもしれませんが、その一言から受ける無力感や落胆みたいなものは、曲の印象を大きく揺らしますね。
「今回は、自分の人生で初めてと言っていいぐらい、実体験が1ミリも入っていない、完全なる創作なんです。それが出来るだけの自信を培ってこれたとも言えるし、言葉で人に伝えるということだけは、本当にずっと妥協しないでブラッシュアップし続けてきたので、100%創作だからこそ、『Seaside Bound』はその角度をすごく大事にしましたね。元々自分の中に明確な映像があって、でもそれをそのまま押し付けるのではなくて、その映像を見ているときのキュッとなる感情を人に渡せれば、音楽としては成功なのかなって」
正直、楽曲を発表してもそれで満足感を得られることは皆無で
正解をもらえるのはライブ
――日高さんは「70億人が俺の音楽を聴くまで辞めない」と言われていますね。
「それはずっと意識しているし、それがゴールにあるからブレずにやってこれてると思う。『Seaside Bound』はベース・ミュージックのノリですけど、HIP HOPアーティストなのに“これって完全に歌モノじゃん?”って言われる曲を作ることも、ディスコポップを作ることも、松本隆へのリスペクトを表明することも、全然怖くないんですよ。それは自分自身をジャンルとして確立させたい気持ちと、そうしないと1人でも多くの人の元へは届かないと思っているからで。ちょうど今が音楽ビジネスとしては過渡期というか、CDからダウンロードに完全に移行はしていないけど、ストリーミングも入ってきて混沌としているように見える。けど、音楽を作るという行為に対して自分が目指してること、思っていることは変わらないので危惧はしてないし、一生音楽を作っていける気はしています。あと、自分の作る音楽を聴いて“良い”と思ってくれる人が多かったら、対価はお金じゃなくていいとも思っているんですね」
――というと?
「僕たちが恵まれているなぁと思うのは、CDバブルを知らないことなんですよ。AAAがデビューした頃、すでにCDは売れなくなってきていたし、とは言えヒットチャートとか数字として表れる結果からは逃げたくない。それは対価のためと言うよりも、聴いてくれる人を増やすためだし、正直、楽曲を発表してもそれで満足感を得られることは皆無で、正解をもらえるのはライブだと思っていて。『F-3』を発表したときも、HIP HOP界隈とかファンの間では、“この歌詞はこういうことを言っているはずだ”って、ダブルミーニング、トリプルミーニングを駆使した歌詞の解釈についての投稿がTwitterで盛り上がって、タグが出来たりしてよかったなと思うんです。だけどその一方で、全然見られていない気もするんです」
――それは実感がないということでしょうか?
「『Seaside Bound』が発売されて喜んでくれる人がいても、全然満足は出来ない。体感として得られるのはライブしかなくて、自分が意図したことをライブで全て吐き出して、意図した以上の体験をお客さんが持って帰ってくれたのを実感したとき、やっと少し満足出来るというか」
僕のライブに来るだけの時間とお金があれば、いろんなことが出来る
こっちも命を懸けてお返ししないと筋が通ってないなって思っちゃう
――そして、2月に行われたツアー『SKY-HI TOUR 2015~Ride my Limo~』の追加公演が、11月23日(月・祝)の名古屋を皮切りに、大阪、東京と続きます。
「ということは、今年はあと3回しか満足出来ないですね、寂しいです(笑)。2月にやったツアーは本当に自信があって、今までで最高傑作だと言い切れるものに出来ました。それを最低ラインに今回のライブを作っていくわけだから、2月の自分に勝たないといけない。前回は2時間きっかりのライブだったんですけど、それを経てシングルを発表し、新しい曲も出来てるわけだから、“今度は2時間半ぐらいになっちゃうかな?”ってスタッフに言ったら、こっちの満足感と来てくれる人の満足感は違うし、“絶対に2時間に収まる最高のものを作れ”と」
――ライブに来る1人1人も、その70億分の1の人たちですもんね。
「そうなんですよ。僕のライブに来るだけの時間とお金があれば、いろんなことが出来ると思う。それだけのものを懸けて来てくれていることを感じると、こっちも命を懸けてお返ししないと筋が通ってないなって思っちゃう。自分としては、今すごくいいサイクルで音楽と向き合えているし、自分をフォローしてくれているファンとかリスナーともそう出来ている確信がありますね。あと、去年からアンコールをやっていないんです。本編をひと通り終えてからアンコールを待つ、みたいなお決まりのパターンがあまり好きじゃなくて、本編で誰もが確実に終わりを迎えられる最高のステージを作ろうと。今回は2月に一度完成を見たパッケージを再構築することになるので、前回観てくれた人も楽しめるものになると思いますよ。それは期待してもらってOKです!」
Text by 梶原有紀子
Photo by 渡邉一生(SLOT PHOTOGRAPHIC)