ずっと、2人で―― 音楽をライフワークにする旅へ、カミナリグモの再出発 2年4ヵ月ぶりのオリジナル作を携えたツアーファイナルに贈る 『続きのブランクペーパー』インタビュー&動画コメント
メジャーデビューという自らの音楽人生を懸けたトライアルを経て、その限られたチャンスを運良くモノに出来るバンドもいれば、思い描いたストーリーとは別の終末を迎えるバンドもいる。3rdアルバム『MY DROWSY COCKPIT』(‘12)をリリース以降、再びインディペンデントで活動を続けてきたカミナリグモが、2年4ヵ月ぶりのオリジナル作品となるミニアルバム『続きのブランクペーパー』をリリースした。サポートメンバーを従えたバンドスタイルをデフォルトとしてきた彼らだが、今作では上野啓示(vo&g)とghoma(key)のみで、現在のファンタジックなステージセット交えたライブさながら、カミナリグモの新たなスタンスと未来を提示。取捨選択と暗中模索、自分たちの武器は何なのか? メジャー離脱時のどん底の苦悩、スキマスイッチ常田真太郎との意外な縁、何にもなくなって、それでも残った大事なもの。全ての点をたどって線にしたカミナリグモの続きの物語。リリースツアーもクライマックス、再出発の決意表明と言える1枚を、メンバーが赤裸々に語ってくれた。
2人で出来る音楽を突き詰めていきたい
――2年4ヵ月ぶりのオリジナル作が出た、率直な感想としてはどうでした?
上野(vo&g) 「もう全然実感が湧かないですね。と言うのも、年が明けて正月2日目に今回のアーティスト写真を千葉まで撮りに行ったり…そういうアートワークだったり、レコーディングもちょっと残ってたのかな? まぁとにかく毎日何かしらリリースに向けて準備をしてる状態だったので。“よし! あとはリリースを待つだけ”みたいな状況に一度でもなってれば、もうちょっとドキドキもしたと思うんですけど(笑)、本当にドキドキしてる暇がないっていう。時間が経つのがとにかく早かったですね」
ghoma(key) 「もう気が付いたらもうリリース日になってたというか(笑)」
――それも、それだけ自分たちの活動に関して、音楽以外のところでも関わってるからと。この2年間は、それこそ自分たち2人でインディペンデントでやっていく上で、スタンスも含めていろいろ考えたり、新しい可能性を見付けた時間だったと思うけど、メジャーで『MY DROWSY COCKPIT』(‘12)を出して以降、後の予定がまるでなかった状態から今日に至るまではどんな流れだったんですか?
上野 「そのリリースツアーの最後のライブぐらいまでは、ホンットに予定も決まっていなくて、方向性もしっかりとは…例えばライブだと、半年ぐらい前には会場を押さえないといけないので、その時点で決まってないってことは=しばらく何も出来ない状況になってしまう。でも、’13年の3月にそのツアーが終わって、つばきの一色(徳保・vo)さんの6月の復活ライブに誘っていただいて、実はそれが結構きっかけになったのはありましたね。これからどうなるか分からないけど新しく1つだけ予定が入って、しかもそういう素晴らしい機会に名指しで呼んでもらえたので。結局、その前にアコースティックライブを地方でちょっとやったりもしたのかな? アコースティックだと会場は比較的押さえやすいし、逆にバンドでは廻れなかった地域の小さな会場、カフェとかを廻ってやるにはちょうどいいタイミングじゃないかと思ったのもあったんで。じゃあ夏ぐらいからはアコースティックツアーをやろうって」
――なるほど。
上野 「となると、アコースティックならではの音源が欲しいよねということで、アコースティックアレンジのセルフカバーアルバム『REMEMBER ICEGREEN SUMMER』(‘13)を作って。最初は会場限定で売ろうと思ってたんですけど、思いのほか反応があって、急遽流通してもらえるところを探して、ちょっとしたプロモーションも自分たちで組んで。あと、アコースティックツアーと言ってもただ生楽器を演奏してるわけではなくて、ゴマちゃん(=ghoma)が足元で同期を操作しながらライブしてたんですけど、そのときはあくまでバンドがメインで、そのリアレンジとしてのアコースティックという気持ちで。でも、それをやっていく内に、もっといろんなことが2人で出来るんじゃないか、メンバー2人で“これが正解”という音楽の形が作り出せるんじゃないかって希望が出てきたんですよね。それで、’13年の末には舞台セットをステージに導入して、動く観覧車とかターンテーブルとか、ちょっとアンティークなランプが点いたようなセットを、僕が足元で操作して曲中に動かしたりっていう新しい試みを始めたんです。アコースティックという枠に留まらず、2人で出来る音楽を突き詰めていきたい気持ちになったんですよね。そこに可能性がまだまだあるなっていうのは、そのツアーを通して思ってたので」
――ある意味、ケガの功名というか。
上野 「そうなんです。現状の規模だと、常にサポートメンバー2人を入れて活動していくのは厳しい状況だったので。でも、結果的に本質的な部分でも、カミナリグモにすごく合った形態なんじゃないかなって思い始めたんですよね。カミナリグモの魅力は何なのか? 楽曲、世界観、声…そこに寄り添った音楽っていうところがすごくハッキリしたので。これがもし、リスナーが求めるバンドに対しての価値が違うところにあったら…例えば“踊れる”とか」
――ライブでブチ上がれる、とかだったら。
上野 「バンドの継続は難しかったかもしれない。でも、カミナリグモはそうじゃなかった。僕がギターボーカルでゴマちゃんはキーボード、さらにはサウンドクリエイター的な役割を担えるところが、2人でも出来るすごく大きな要素だったと思いますね」
ここをスタートにして2人で広げていけば
音楽の旅をまた続けられるんじゃないか
――逆に言うと、そもそも何で常にサポートを入れてバンド形態でやってたんやろ?っていう感じも。
ghoma 「やっぱりロックミュージックというところで、バンド感があって、演奏として全てをちゃんと観せられるのがカッコいいと思っていたし、それが自分たちにも合っていると思っていたんですけど、たまたまそういうときにスキマスイッチのシンタ(常田真太郎・key)さんと話をする機会があって」
上野 「前々から関係者伝いで、カミナリグモをいいねと言ってくれてるのを聞いてたんですけど、たまたま熊本のイベント『HAPPY JACK』に出たときに、スキマスイッチはホールワンマンか何かを同じ日にしていて、その打ち上げというか、最後に呑みに行った店が一緒で」
――そうなんや! たまたまやったんや。
上野 「“あの…スキマスイッチの方じゃないですか?”みたいな(笑)。前々から僕らはそういう風に伝え聞いてたから、ちょっと近付きやすくて(笑)。僕らはちょうど今後もサポートメンバーを入れてやっていくのか、2人でやっていくのかっていう時期で、たまたまそのときのスキマスイッチのツアーも、2人だけでやってたんですよ(『スキマスイッチ TOUR 2012-2013“DOUBLES ALL JAPAN”』)」
ghoma 「そうそう! “2人だけでどうやってやっていけばいいんですかね?”って聞いたときに、“全然やり方はあるよ、まぁ観に来れば?”って」
上野 「同じ機材を買ったりしたんだよね」
ghoma 「僕も機材としてはいろんなものを試していたんですけど、“こんな使い方があるんだ”っていうこともそうだし、こういうスポーティブな形態でやるツアーに、好きで観に来てくれるお客さんがこんなにいるんだっていうのにも、可能性を感じたんですよ」
――そう考えたらタイミングやね。バックバンドを従えたゴージャスなツアーを観ていたら、また違っただろうし。
上野 「ホンットそうですね。その後、さっき言ったアコースティックのセルフカバーアルバムは、生ピアノをシンタさんのスタジオでレコーディングさせてもらったりしてるので」
ghoma 「あとは、自分がライブを観たりする中で、演奏する/しないに関わらず、ライブのステージとして、曲として、完成されているようなやり方をすれば、そこにこだわりを持たなくてもいいんだなって、いろいろと考えが変わっていったんですよね」
――そういう先輩方の助言とか、そのときに観たライブとかで、“カミナリグモの音楽を再現するにはバンドしかない”と思っていたのが、何かまだ糸口が。
ghoma 「そうなんですよね。そう思った上で、“2人”という部分では今までやってないなって思ったんですよね。そこをどういう風に出来るのか、考えて突き詰めてみようって、いろんな実験を繰り返すことになった感じですね」
――これを機に、パーマネントなリズム隊をメンバーとして探そうとはならなかったんやね。これは今回に限ったことじゃなくて、バンドの歴史の中で。
上野 「ずっとそういう気持ちでやっていて、基本的には固定のサポートメンバーと常にやってきてはいたんですけど、まぁ…未来を考えたときに、ずっと続けていける形ではないなって、強く実感せざるを得なかったので。物理的な問題から考えを切り替えてスタートさせたことなんですけど、カミナリグモに関しては元々メンバーが2人だったところがまずあるので。2人で出来ることがたくさんあることに、ようやくそこで気付いたんですよね」
――あと、セルフマネージメントって、今では結構いろんなバンドがやっていて、そういう部分でもいろいろと気付かされることもあった2年間ですよね。
上野 「そういう実質的な部分と、音楽的な部分、どちらも充実した形を作れるんじゃないかなっていう手応えがあったんですよね。ただ、どちらかのバランスが崩れていると、活動を続けるのは難しいことなんで。まぁ、どんなにビジネス的に成功しても、音楽的に…」
――クリエイティブな欲求が満たされなかったら。なるほどね。
上野 「決して楽な状況ではないけども、ここをスタートにして2人で広げていけば、リリースをしてツアーするっていう、音楽の旅をまた続けられるんじゃないかって思ったら、希望が湧いてきて。それが出来る2人だったんですよね。たまたまかもしれないですけども、これがやはり“残った”メンバーというか」
――今までの長い歴史の中で、それでも続けた2人やもんね。
ghoma 「あとはカミナリグモの世界観であったり音楽に、どうしてもバンド感が不可欠だと思ったとしたらドラマーとベーシストがやっぱり必要なんですけど、別それだけではないなって思ったんですよね。今は本当にテクノロジーも進歩してるので、その使い方をきっちりやれば、まだまだやりようがあるし。それも人に任せるより、意外と自分で出来るんだなって思ったんですよね」
2人でまだまだ出来ることがあると思えた理由の1つは間違いなく
カミナリグモの音楽を好きな人が、全国各地にいるんだって感じられたこと
――それこそ、オフィシャルのFacebook には、“かれこれ2年前に当時の状況や周囲の期待に応えられない自分の才能に絶望して『Goodbye, you all(さよなら、みんな)』 という曲を書きました”とあって ( 『王様のミサイル』(‘12)のc/w) 。これってもう終わっていくバンドの発言やし(苦笑)、よくぞここまで戻ってこれたよね。
上野 「メジャー最後のアルバムを出すにあたって、もう曲が全然書けなくなってたんですよね。平たく言えば、“売れる曲”を書かないといけない。それも、ここから一発逆転出来るような曲をみんなが望んでいて、“今、売れている曲を研究して”とか言われたりもして…正解も分からないし、結局はそういう大衆に届くような新曲がなかなか出来なかったので、インディーではリリースしてたけど、もう一度メジャーで『王様のミサイル』を出し直して。ここでまた広げることが出来れば、次のリリースもあるかもしれないって。『王様のミサイル』に代わる、『王様のミサイル』を超える、大衆に届くような曲が書けない苦しさから『Good bye, you all』は生まれた曲だったんですよね」
――今見たらすごいな、歌詞(笑)。
上野 「そのリリースの盛り上がりによって、状況が変わることもあるかもしれなかったけど、なかなかそういう大きなきっかけがあるわけでもないし、まぁ難しいだろうなって何となくみんなが感じていて。そういう中で、僕たちの場合はやはりちょっと特殊で、常にサポートメンバー2人を入れないと再現出来ない音楽をやっていたので。まぁでも僕の気持ちとしては、ゴマちゃんも含めて、自分の曲に運命を委ねてもらってるみたいな感覚だったので。みんな遊びでやっているわけではないし、それが上手くいかなかったからには責任を取らないとっていう気持ちは…デビューしたときからずっとそういう気持ちでしたね」
――まぁ、メジャーでやるというところで言うとね…。
上野 「正直、最後に渋谷のクアトロでツアーファイナルをやった後は、もう漠然と“何かが終わっていくんだな”っていう感覚でした。その後どうするかも漠然としてて、改めてサポートメンバー、ゴマちゃんとも話し合いをしていく中で、何もなくなった状況で、それでも掛け値なしに“カミナリグモを続けたい”と言ってくれたのは、やはりゴマちゃんだったので。そういう意味では、改めて今まで以上にカミナリグモというバンドが浮き彫りになったというか。今まではもうちょっと漠然としていて、サポートメンバーも含めて音楽を再現する=カミナリグモみたいな感じだったんですけど、やっぱりそういうタイミングでの実質的なやり取りの中で感じたことは、大きかったですね」
――自分の曲を信じてくれるお客さんもそうだし、それを信じてくれたメンバーはやっぱり大っきいよね。
上野 「そう。2人でまだまだ出来ることがあると思えた理由の1つは間違いなく、本質的にカミナリグモの音楽を好きな人が、全国各地にいるんだって感じられたことで。数はそこでま多くはないけれど、各地でライブが出来るくらいの人が来てくれて…ここをスタートにして広げていけば、もうちょっと規模を大きくしたリリースツアーだったり、スタッフが入ったり、またいろいろなことが出来てきて、ライフワークにしていけるんじゃないかっていうイメージが、すごく湧いたんですよね」
――ghomaさんは、言ったらプレイヤーとして生きていくことも出来るわけじゃないですか。でも、そこで“やっぱり続けたい”と思えたわけですよね。
ghoma 「僕は元々啓示(=上野)くんが1人でやっている姿を見て、そこからサポートを経てメンバーになったので、そういう生き方もあったとは思うんですけど、単純にカミナリグモはすごくいいので、何とか他の人にもっと知って欲しいなっていう、すごくシンプルなところなんですよね。そこに限界を感じていたならば、多分もう難しいなぁって思ったと思うんですよ。『Good bye, you all』を持ってきたときから何となく模索はしていて、『MY DROWSY COCKPIT』までの方法論でやると、僕も啓示も含めて人間的に変わらなければ、多分ここから先に行くのは難しいと思った。同時に他を変えればいろんなことが出来るかもしれない、まだカミナリグモを知らない人に分かってもらえる可能性があるなとも思ったんですよね。辞める辞めないじゃなくて、カミナリグモでやってみたかったので」
――そう考えたら、2人がちゃんと自分たちの音楽を信じられたってことですよね。可能性を見出せたっていう。
上野 「音楽活動に関して元々大きな野望がないというか、ちやほやされたいみたいな欲求はどちらもない方なので。もう少しこじんまりとした世界でいいので、今よりも理解してくれる人が増えて、活動が慎ましく続いていけば幸せだなぁって。今はまた周りにスタッフの人たちもいるので、もちろんその人たちも満足してくれて、自分たちは創作活動とツアーとが定期的に出来るような…今がスタート地点としたら、また改めて頑張っていけば、そういう世界は手に届くところにはあるんじゃないかなっていう気がしているんです」
――みんながみんなロックフェスに出て、武道館でワンマンしてっていう道を望んでるわけじゃないというか。でも、慎ましくはやらせてもらえないメジャーのシーンがあったり。大それたことじゃなくて、ただ音楽を鳴らして、それをいいと思ってくれる人がいる。そんなささやかな連鎖を望んでる表現者はいっぱいいるだろうしね。
ghoma 「一過性のものより、普遍的なものというか。やっぱりそういうところがカミナリグモとしてはすごく大事なところだなって。いい意味で高みを見ないところで、出来ることを一歩一歩やっていけば、何かしら分かってくれる人がいるんじゃないかなって、今は思っていますね」
今までは、バンドとしてのテンプレートな部分
数秒聴いてカミナリグモと分かるような
“カミナリグモ・メソッド”みたいなところを目指していた
――今作『続きのブランクペーパー』は、アルバムの1曲目の1行目から、“戦うよ その続きを決めるのは僕だ”って、決意表明なひと言から始まって。以前、上野くんが“曲はだいたい1行目から書く”みたいなことを言っていて =多分これが今一番伝えたいことなんやろうなぁって、すごく思いました。
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上野 「そうですね。今回のミニアルバムで『サバイバルナイフ』(M-1)をリード曲にすると決まったタイミングで、このフレーズが一番最初に来て、自分たちやこの作品のテーマが明確になって。すごく自分たちらしいなって」
――『漂流記』(M-3)の、“今ここがどこかなんて 分からなくても不安じゃないんだ/ここはすぐキミの隣 それだけで舟は迷わない”の2行も、ヘンな話、カミナリグモの関係性というか。この2人がいれば大丈夫じゃないけど。
上野 「そういうバンド的な意味合いもありますし、今応援してくれてる人たちだったり、2人で再出発するにあたって、バンドとしての居場所も以前よりもハッキリしたのかなぁっていうのもありますね。自分たちのやり方で、自分たちらしく音楽をやっていけばいいんじゃないかなぁって」
――この『漂流記』の裏で鳴ってるストリングスみたいな音は?
ghoma 「これは元々ストリングスなんですけど、それをちょっと劣化させた音で。『漂流記』で想像出来る絵は豪華客船じゃなくて、ボートであったり小舟であったり、そういうちょっとボロボロな感じみたいな。というところで、ボロボロの弦楽器が似合うなって」
――『丘の上のスタンリー』(M-4)とかもすごいよね。裏で鳴り続けてる不穏なフレーズの連続が(笑)。
ghoma 「(笑)。今までは、バンドとしてのテンプレートな部分、数秒聴いてカミナリグモと分かるような、“カミナリグモ・メソッド”みたいなところを目指していたので、自分の中で結構音を限定してたんですよね。そこがある種のこだわりだと思ってたんです。でも、別にそこまで限定しなくても、案外自然とそれが出来てるんだなと感じたので、単純にファーストインプレッションでハマると思った音を曲に寄り添うように全部ハメたら、今回みたいになった感じです(笑)」
――何か音的にもより自由になりましたもんね。
ghoma 「そうですね。本当に使えるツールが増えたし、逆に言うともっと増やさないといけないなと思ったので。宅録のローファイな、少しこじんまりとした空気感と、スタジオで録るハイファイな音、どっちの良さもあるので。逆に言ったら、どっちもミックスしたり、意図的にローファイにしたりは結構やりましたね。例えば、『Pale Purple Sky』(M-5)とかは、楽曲も世界観も踏まえて敢えてチープな感じで音もミックスもやりました」
――レコーディング自体も完全に2人で?
上野 「エンジニアの人には入ってもらったんですけど、基本的な制作は本当2人で完結していますね。ゴマちゃんの鍵盤は自宅で録って、基本的に僕のギターと歌はスタジオで録ってっていう感じですね」
――タイトル曲とも言える『ブランクペーパー』(M-6)の、“あの気持ちを僕は忘れない/今もまだ胸を締めつけている幻/あの涙を僕は忘れない/今もまだ僕を動かし続けているんだ”のくだりとかは、今をすごく表してるなって。
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上野 「この曲は、2人きりで音楽をやっていく気持ちが固まった時期に出来た曲で。歌詞にある“あの気持ち”っていうのは、デビューしたときの気持ちだったりとか、バンド編成でツアーを廻ったときの気持ちだったりするんですけど、“今もまだ胸を締めつけている幻”は、メジャーデビューアルバム『BRAIN MAGIC SHOW』(‘10)に収録されてる『こわくない』に、“まぼろしだって 笑えばいいさ/僕にはずっと見えているんだよ”っていうフレーズがあって。そのときに見ていた幻のような夢のことなのかなぁって、歌詞を書いた後で思ったり。改めてこれまでの活動と、これからの未来を思いながら出来た曲ですね」
本当に人と人とのつながりで、未来が大きく変わる
――今でもちゃんと、音楽に突き動かされているなぁと思いますね。長いことやって来ましたよね、音楽。
上野 「うん、そうですねぇ…13年目ですからね。不思議ですよね。何で…やってるんですかねぇ」
(一同笑)
上野 「でも、僕は個人的に言えば、やっぱり評価してくれる人がいるからですね」
――以前も“音楽=趣味じゃない”って言ってましたもんね。
上野 「評価がなければとっくに辞めてると思うし、才能がないのに続けてることが幸せだとは思わない。でも、その才能を決めるのは、やっぱり周りの人だと思うので。そういう意味では、お客さんだったり、周りのスタッフであったり、メンバーであったり、節目節目で評価してくれる人がいたから続けられてるんですよね。人によっては少年の初期衝動からの思い込みとか、ただ自分がやりたいから続けてる人もいると思うんですけど、僕の場合はちょっと冷静で。もちろん音楽をやりたい気持ちがあって、自分に才能があると自負もしてるんですけど、やっぱりそれを証明してくれる何かがないともう…心は折れますよね(笑)」
――アハハ!(笑) それはそうだよね。
上野 「自分に才能があると思い続けられる図太さはないので(笑)。だから毎回、リリースツアーはそれを試される場だし、逆にそこに結果が伴わなければ、いつでも終わってしまう。自分1人でやってるわけではないので、そういうことは常に考えながらやってますね」
ghoma 「僕は自分はアーティストではないと思っていて。と言うのも、ゼロから全く新しい何かを提案出来る人がアーティストだと思っているので。僕はやっぱりミュージシャンというか、いろんな経験で培ったものを足したり引いたりして、そこに必要なものを持ってくる、そういうことが好きなタイプというか。もちろん、カミナリグモを一緒に続けていきたいと思ってるし、カミナリグモとして出来ることがあるから、続けられていると思うんです」
――そう考えたら、上野くんが書く曲があって、それを料理するghomaさんがいて、それを支持してくれるお客さんがいて、いいねって言ってくれるスタッフや関係者がいて…やっぱり全部がつながってますね。それがカミナリグモという船をまた旅に出させる。
上野 「そうですねぇ。役割としては2人である意味がすごくあるバンドだなと思いますし、だからこそ2人だけでも音楽を続けることが出来てるんだなぁって思います」
――リリースツアーは大阪・南堀江knaveがファイナルですけど、おもしろいもんで当時knaveにいたヤツが、今ではカミナリグモのマネージャーやからね(笑)。
上野 「アハハ!(笑) そうですね。もう本当にいろいろな縁がつながって。スキマスイッチのシンタさんもそうだし、メジャーデビューのタイミングでthe pillowsの山中さわおさんに出会ったのもそうだし、本当に人と人とのつながりで、未来が大きく変わるんだなぁって。今までもそうでしたし、これからも何があるか分かんないですから。ただ、そういうつながりだけに期待してても前進は出来ないんで(笑)、自分たちが1つ1つ納得して出来ることを重ねつつ、何かまたチャンスがあるかもしれないっていう、淡い希望もやっぱりあるので。本当に少しでも、リリースを通して知ってくれる人が増えて、好きになるかもしれなかった人に出会うことが出来て、音楽が広がっていってる実感があれば、リリースした意味があったというか、これからまた続けていく勇気に変わると思うので。そういう希望を持って頑張っていきたいですね」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2015年5月29日更新)
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Movie Comment
たっぷりトークでムードが分かります カミナリグモからの動画コメント!
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Release
自らの魅力を存分に引き出した最新作 は寓話的ファンタジックロック全6曲!
Mini Album 『続きのブランクペーパー』 発売中 1574円(税別) ベルウッド・レコード BZCS-1120 <収録曲> 01. サバイバルナイフ 02. Lightning Girl 03. 漂流記 04. 丘の上のスタンリー 05. Pale Purple Sky 06. ブランクペーパー
Profile
カミナリグモ…写真左より、ghoma(key)、上野啓示(vo&g)。’02年、長野県信州大学在学時に上野を中心に活動を開始。翌年にはリズム隊が脱退するも、上野のソロプロジェクトとして再スタート。’07年には上野の大学在学時の先輩であり、サポートメンバーとして参加していたghomaこと成瀬篤志が正式加入。以降、インディーズシーンでリリース&ライブを重ね、’10年には、上野が敬愛する山中さわお(the pillows)にライブ会場で音源を手渡したのをきっかけに、同氏プロデュースによるシングル『ローカル線』でメジャーデビュー、1stアルバム『BRAIN MAGIC SHOW』をリリース。翌’11年にはミニアルバム『SCRAP SHORT SUMMER』、2ndアルバム『SMASH THIS WORLD!』を発表。’12年、4月には結成10周年のアニバーサリーワンマンライブを渋谷クラブクアトロにて開催。8月にはインディーズ時代の名曲『王様のミサイル』をメジャーで再リリース。11月には3rdアルバム『MY DROWSY COCKPIT』をリリースし、’13年には同作に伴うワンマンツアーを9会場にて開催。9月にメンバー2人のアレンジによるセルフカバーアルバム『REMEMBER ICEGREEN SUMMER』をリリース、全国16会場でのアコースティックワンマンツアーを成功させる。同年12月、初めて舞台セットを取り入れたワンマンライブ、『THANK YOU ALL, I'M STILL DREAMIN'』を渋谷7thFLOORにて開催。’14年にはthe pillows25周年記念トリビュートアルバム『ROCK AND SYMPATHY』に『開かない扉の前で』で参加、各地で精力的にツアーを展開。8月には東京FMホールにて初のホールワンマンライブを開催し、同日を含む都内で行われた4本のワンマンライブを全公演ソールドアウトさせた。’15年、バンド体制からメンバー2人体制での活動へ本格的に移行。2月には会場限定音源『ゴー・トゥ・ザ・フューチャー』を、3月11日には2年4ヵ月ぶりのオリジナル作品『続きのブランクペーパー』をリリース。危うさと人懐っこさの同居する中毒性の高い世界観とサウンドで、支持者を増やし続けている。カミナリグモ オフィシャルサイト http://www.kaminarigumo.com/
Live
ツアーもいよいよクライマックス ファイナルの大阪公演が間もなく!
『『続きのブランクペーパー』 リリースワンマンツアー』【名古屋公演】 チケット発売中 ▼5月30日(土)18:30 ell.SIZE 前売券3000円 ell.SIZE■052(211)3997
Pick Up!!
【大阪公演】
チケット発売中 Pコード255-816 ▼5月31日(日)18:00 南堀江knave 自由席3000円 南堀江knave■06(6535)0691
チケットの購入はコチラ!
Column
時を越え鳴り続ける珠玉のメロディ とメッセージ! カミナリグモの 感動の名曲『王様のミサイル』で 上野(vo&g)のソングライティング を解明する前回インタビュー!
Comment!!
ぴあ関西版WEB音楽担当 奥“ボウイ”昌史からのオススメ!
「インタビューでも書きましたが、今やバンドたるもの、ライブサーキット→ロックフェス→武道館みたいなステレオタイプの成功例を求められる時代。もちろんそうなりゃ言うことないんですが、全てのバンドの音楽性がそのストーリーにマッチしているか、と考えたら、当然違う。カミナリグモのそれも、その筋書きとは異なる世界を鳴らしています。久々のオリジナル作である『続きのブランクペーパー』を聴いて、彼らにしか出せない音が確かにあると、改めて思えて嬉しかったですね。2年8ヵ月ぶりのインタビュー、いろいろ意地悪な質問もしたかもですが(笑)、このバンド、案外しぶといですよ」