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新曲『かたくりの花』で新境地を開いた
演歌歌手、北山たけしにインタビュー
演歌界の次代の担い手と期待される北山
新曲への思いとそのヒストリーを追った

2004年、師匠・北島三郎の作詞作曲による『片道切符』でデビューし、2000年代の演歌・歌謡界を牽引する1人として最前線をひた走る北山たけし。歌謡史に残る名曲を数多く世に送り出した平尾昌晃氏の作曲による新曲『かたくりの花』では、健気に尽くす女性への感謝を表現することで、これまでの硬派なイメージとは対照的な側面をのぞかせている。今回は、そんな新曲の制作エピソードとともに、幼少時~北島門下入り~デビューまでの「北山たけし誕生秘話」についてもたっぷり語ってもらった。

--ぴあWEBで演歌歌手の方が登場されるのは初めてということで、今回は、これまでの北山さんの歩みも振り返りつつ新曲『かたくりの花』のお話も伺えたらと思います。

演歌歌手初登場、光栄です!よろしくお願いします!
 
--まずはデビュー前、歌手を志された頃のお話を伺いたいと思います。演歌は子供の頃からなじみがあったのですか?
 
はい。もともと父親がプロ歌手を目指していて、果たせなかった夢を僕に託していたんですね。それもあって物ごころついた頃からずっと演歌を聴いて育ち、自然と歌えるようになっていきました。
 
--初めて歌った曲などは覚えていますか?
 
後の師匠である北島三郎さんの『風雪ながれ旅』。父が北島師匠の大ファンだったので、家で流れる歌と言えば、だいたい師匠のものばかりでした。
 
--では、子供心に「演歌=北島三郎」という印象が。
 
そうですね。家の中に師匠のとても大きなポスターが貼られていたんですけど、父は朝起きると、まずそのポスターにお参りするんですよ。その姿を見て僕も、例えではなく本当に「あ、この北島三郎という人は神様なんだ!」って思っていました(笑)。そんな家庭環境で育ってきたので、師匠の演歌は、まさに人生の教科書でしたね。
 
--当時、周りのお友達で演歌が好きな人は?
 
いなかったし、僕だけ明らかに浮いていました。修学旅行や学校の課外授業でバス移動なんかがあると必ず歌わされていたんですけど、みんな演歌なんて知らないでしょ。だからコブシを効かせて歌うと、「うわ、すごい!」って喜んでくれて。それが嬉しかったですね。
 
--その頃はお父様のレッスンが?
 
ありましたね~。とても厳しかったです。もう、「お前は歌手になるんだから勉強なんかしなくていい。歌だけやってろ!」って(笑)。それぐらいスパルタというか、当時は本当に怖かったです。
 
--学校での部活動はされていたんですか?
 
はい。父が空手二段で、その影響もあって僕も格闘技が好きになりまして、部活も柔道とか空手ならやってもよいと。本当は当時、ブームでしたからサッカー部に入りたかったんですけど、それは許してもらえなくて。ちなみに父の格闘技好きも、師匠が昔、ボクシングをされていたことに影響を受けているようです。
 
--ここまでお話を聞いて、北山さんが北島音楽事務所に入るのは運命だったと感じますね。
 
そうかもしれませんね。でも弟子入りするまでには、いろいろ苦労もありましたよ。
 
--志願して即、というわけではなかったのですね。
 
自分でも、ちょっとは歌えるという自信もあったし、周りの人たちに「それだけうまかったら歌手になれるよ!」なんて言われて調子に乗っていたんでしょうね。すぐ弟子になれると思い、16歳で高校を自主退学してご自宅にうかがったのですが、その時は未成年ということもあり、帰りなさいと言われて断念しました。つくづく世間知らずだったなと思います。
 
--後に弟子入りするにあたり、北島さんはその時のことを覚えいたのでしょうか?
 
21歳の時に改めて弟子入りのお願いにうかがったのですが、僕以外にも常に志願者がたくさんいますし、今でもひっきりなしに来るんですよ。そういう意味では16歳の僕のことは覚えてらっしゃらないでしょうね。
 
--二度目のお願いの際はスムーズに会っていただけたのですか?
 
その時も「もう弟子は取ってないから、申し訳ないけど帰りなさい」と断られました。
 
--最終的に弟子入りに至った決め手は?
 
10日間通い詰めました。バイトで貯めた50万円を握りしめて、これがなくなるまでは東京にいようと思って。でも普通のホテルだと高いので、(北島の自宅がある)八王子の駅前にカプセルホテルを発見して。2000円で泊まれるし、これはいいなと思い、そこで10日間お世話になりました。そのカプセルホテルは今もあるんですけど、前を通るたびに「ここから始まったんだな~」って思い出しますね。
 
--10日目にして北島さんと会えるとなった時は、どのような状況だったのですか?
 
ずっと居座るとご近所の迷惑になるので、10日間、昼と夕方にお伺いして1時間ずつ門の前で待たせていただきました。それまでインターホン越しに「何度来ても一緒だよ」と言われていたのが、10日目の夕方、初めて鉄の大きな門がゴゴゴゴ……!って開いたんです。門からご自宅までは50mほどあるんですけど、遠くに女性が立って手招きしてくださって。それが師匠の奥さまだったんですね。「ちょっと2階に上がりなさい」と言って応接間に通してくださいました。
 
--奥さまも、何度も家を訪れる北山さんのことを気にされていたのでしょうね。
 
実は、奥さまは僕のことをご存知だったんです。というのも30年ぐらい前、テレビでちびっこのど自慢みたいな番組がブームで、月に何本も放送されていたんですけど、僕も福岡代表としてたびたび出演して、その頃を見てくださっていたようで。
 
--応接間で対面された北島さんは、どんな印象でしたか? 長い間神様と崇めていた人ですし、緊張もあったと思いますが。
 
師匠は、真っ赤なガウンに足元にもふさふさした真っ赤なスリッパを履いて出てこられて、とにかくそれが衝撃的でした。「すげえ、真っ赤だよ…」って(笑)。後々わかることなんですけど、普段は普通にパジャマ姿なのが、自分を慕う者が来ているということで、わざわざ着替えてくださったようです。
 
--対面された時点で、弟子入りOKという雰囲気になっていたのでしょうか?
 
いや。師匠からは、まず「歌手への夢は捨てなさい。弟子になったからといって歌手になれるわけではない。俺のことが好きで、人生の勉強がしたいということであれば付いてきなさい」と言われました。その言葉に驚きもありましたけど、僕は、それでも師匠のおそばで勉強させていただきたいと思ったので弟子にしていただきました。
 
--では、下積み期間中に歌のレッスンなどは?
 
全然なかったですね。弟子入りしてから8年間、師匠の付き人をさせていただいたんですけど、その間はまったく歌っていませんでした。
 
--人生勉強とはいえ、その間も歌手への夢はやはりあったわけですよね。
 
やっぱり、チャンスがあれば歌手への道を掴みたいという気持ちはどこかにありました。
 
--デビューを知らされた時の状況は?
 
僕、2004年の4月21日がデビュー日なんですけど、その前年の11月に師匠に呼ばれて、一緒にテレビを見ていた時、「そろそろ船出をしてみるか?」と言われました。師匠は、よく演歌・歌謡界を海に例えて話されるんですけど、「今は海もそんなに荒れていないし、一人で船を漕いでみるか?」と言ってくださって。
 
--その時点でデビュー曲『片道切符』は用意されていたのですか?
 
はい。『片道切符』は、もともと師匠が歌うためにご自分で作られていた曲だったんです。僕もずっと師匠の横で聴いていて「この曲、好きです!」と言い続けていたんですけど、デビューが決まった時に「これがお前の曲だ」と渡してくださったのが、まさかの『片道切符』で。
 
--デビュー決定に加えて、それは、なおいっそうの喜びですよね。
 
師匠も北海道から歌手を目指して片道切符で東京に出てこられた。僕も同じ気持ちなので、師匠の人生観であるけど、自分にも重なってくるんですよね。
 
--デビューされてからの12年を振り返ってみて今、どのような気持ちですか?
 
日々、大好きな歌を歌い、たくさんの皆さんと触れ合えて本当に幸せですが、デビュー当時は、芸名に北島の「北」と兄弟子・山本譲二さんの「山」をいただいたこともあり、その名前の重さを常に感じていましたね。あと、8年間歌っていなかったことで、のどの筋肉が退化して思い通りに歌えず、デビューできて嬉しい反面、プレッシャーもありました。最初の3~4年は、ただ、がむしゃらに走っていたんですけど、それを過ぎた頃から自分の中で、歌手としてどうあるべきかという感覚を徐々につかめてきました。
 
--自分が好きで歌うだけでなく、お客様と向かい合う意識が芽生えてきたということですね。
 
アマチュアの頃は「俺、うまいなぁ!」という自己満足で歌っていたんですけど、デビューしてからは1音1音を外さないように、お客様が自分の歌やステージングをどのように感じてくださっているかということを考えるようになりました。
 
--お客様との触れ合いから気づくことなどもありますか?
 
ファンの皆さんからいただくお手紙に、こんなふうにしてほしいという要望が書かれているとすごく勉強になるし、取り入れてみようかなと思いますね。
 
--具体的にどのような要望が寄せられますか?
 
「髪の毛をもう少し短くして」とか「衣装はこういうものがよい」とか、ファッションに関連することは、やっぱり女性のご意見が多いですね。あと、『男の出船』『男の拳』など、これまでは力強い男歌が多かったから、もう少しやさしい、哀愁のある曲も歌って欲しいというご意見もあります。そういった声をレコード会社の方にお伝えすることで、少しずつ曲調のバリエーションも増えてきました。
 
--ここで新曲「かたくりの花」についてのお話も。今回、初の平尾昌晃先生の作品となりますが、どのような経緯で楽曲提供に至ったのでしょうか?
 
平尾先生とはデビュー当時からお仕事でご一緒する機会が何度もありまして、お会いするたび「そのうち北山くんにも曲を書いてあげるよ」と言ってくださっていたんです。そんな大先生が僕のことを気に留めてくださっているというだけでも嬉しかったのですが、このたび、ついに曲をいただけました!
 
--待望の平尾作品、第一印象はいかがでしたか?
 
やさしくもカッコよい、カッコよさの中にも温かさがあって、まさに平尾先生の世界観といえるメロディーだと思いました。先生の人柄が曲になって現れているようですね。
 
--北山さんご自身も平尾先生の作品はお好きで?
 
はい。特に山川豊さんが歌われた『アメリカ橋』が大好きなんですよ。
 
--『かたくりの花』も演歌とムード歌謡のテイストが絶妙にミックスされて、北山さんにとっては初めて歌われるタイプの楽曲だと思います。歌ってみての感触はいかがでしたか?
 
すごくよいです。そして、歌いやすい。自分で歌っていて、「あ、今、自分カッコよかったな」という気持ちになれます。特に最後の『かたくり かたくり かたくりの花』と続くところがお気に入りなんですけど、同じ言葉が3回続くので色を変えるように心がけています。最後の『かたくりの花』のメロディーも平尾先生らしいなと思いますね。
 
--北山さんがムード歌謡を歌われるということで、どのような作品になるかと思いましたが、これまでの世界観に、また一つ新しい柱が増えた印象がありますね。
 
そう言っていただけるとありがたいですね。デビューした頃から作品には恵まれていて、青春歌謡から哀愁演歌まで、結構幅広く歌わせていただいているので、今後もどんどん新しい音楽性に挑戦していきたいなと思っています。
 
--今回は、北山さんのイメージである重厚感のある曲調や歌声とは対照的に、全面的に軽さを出されているなと感じました。
 
今回の歌に関しては、歌うというよりも語ることを意識しています。平尾先生も「愛する人の耳元で、ささやくように歌ってみて」とアドバイスしてくださいました。
 
--PVも拝見しましたが、かたくりの花の色に合わせたコーディネートがおしゃれで、女性ファンの方は要注目ですね。
 
これね、薄紫の服というのがなかなか見つからなかったので最終的に染めていただいたんですよ。とてもきれいなので、未見の方は、ぜひチェックしてください!
 
--歌詞は尽くしてくれる女性への感謝の言葉が綴られていますが、北山さんは歌っている際、どのような思いを描いていますか?
 
曲の制作前に実際にかたくりの花を見に行ったんですけど、これが小さくて、ちょっとうつむき気味で本当に女性らしいというか、健気でかわいいんですよね。調べてみたら、かたくりは7年間土の中にいて、ようやく芽を出し花を咲かせるそうです。花言葉の通り「淋しさに耐える」じゃないですけど、そういった生態が印象的で、歌うにあたって影響を受けましたね。
 
--カップリング曲『涙のカウンター』も、女性コーラスやスナック演歌ともいえるレトロ感のある曲調が新鮮ですよね。
 
裏路地の小さなお店に入って飲んでいる、というシチュエーションですよね。こちらの曲こそ、まさに初めてづくしで、本当に苦戦しました(笑)。特に「み~なとホテルのカウンタァ~」という部分での間の取り方が難しかったです。うまく歌おうとするとダメになっちゃうんです。テンポに乗りながら淡々と、鼻歌まじりに歌うのがピッタリですね(笑)。
 
--これから北山さんの作品に触れる方に、『かたくりの花』をどうアピールしていきたいですか?
 
僕、仕事に関係なく自分の曲をよく歌うんですけど、『かたくりの花』を歌っている時の顔を鏡で見たら、こんな柔らかい表情で歌えるのは珍しいなと思いました。いつもは力いっぱい拳を握りしめて歌っていますから。
 
--北山さんの中で、今後の演歌・歌謡界を引っ張っていく中でやってみたいことや、ご自身の中での課題はありますか?
 
みなさん同じようなことを考えていると思いますけど、若い世代の方に演歌を聴いていただくには、どのように取り組めばよいのか。そのためには、演歌の要素を含みつつ、若い方にも興味を持っていただけるような作品が必要かなと思います。師匠で言えば『与作』などは、まさにどの世代の方にも愛されている作品で、僕も『かたくりの花』をそのように育てていきたいですね。あと、曲の発売に合わせて「こぶし丸」というかわいいキャラクターも誕生したので、お子様や若い世代の方と演歌を繋ぐ架け橋になってほしいと思います。ゆるキャラブームに乗ってヒットしてくれたら(笑)。きっかけはいろいろなところにあるので、今後もこの課題を追求していきたいと思っています。
 
--最後に、ぴあWEB読者の方へメッセージをお願いします。
 
デビュー12年目の新境地、『かたくりの花』では僕の新しい一面を知っていただけると思います。ぜひ、聴いて温かい気持ちになってください!
 
(取材・文/伊東孝晃)
 




北山たけしの動画コメントもお楽しみください!

 

 

 

(2015年5月12日更新)


Check
北山たけし●本名、渡辺毅(わたなべ たけし)。1974年年2月25日生まれ、福岡県柳川市出身。空手、柔道をたしなむ。特技は和太鼓、尺八。1995年、北島三郎の内弟子として8年間の付き人修業がスタート。2004年4月21日にテイチクエンタテインメントより『片道切符』でデビュー。同年、「ベストヒット歌謡祭2004」新人賞、「第37回日本有線大賞」新人賞、「第46回日本レコード大賞」新人賞をそれぞれ受賞する。2005年、『第56回NHK紅白歌合戦』に初出場、以来4度出場。デビュー直後からコンスタントに新曲を発表
こぶしまる

Release

発売中 ¥1,143+税 
CD:TECA-12588 / カセット:TESA-12588 
テイチクレコード

シングル「かたくりの花」

かたくりの花
作詞:喜多條 忠 / 作曲:平尾昌晃 / 編曲:伊戸のりお
涙のカウンター
作詞:喜多條 忠 / 作曲:平尾昌晃 / 編曲:伊戸のりお
かたくりの花(オリジナル・カラオケ)
かたくりの花(メロ入りカラオケ)
涙のカウンター(オリジナル・カラオケ)

コンサート出演情報

北島三郎

発売中

Pコード:254-720

▼7月22日(水) 13:30/17:30
姫路市文化センター 大ホール
S席-8640円
A席-6480円(当日指定)
[ゲスト]北山たけし
※未就学児童は入場不可。
[問]グッドラック・プロモーション
[TEL]086-214-3777

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北島ファミリーコンサート

発売中

Pコード:258-317

▼8月22日(土) 13:00/17:00
神戸国際会館こくさいホール
S席-6000円
A席-5000円
[出演]原田悠里/北山たけし/山口ひろみ/大江裕
※未就学児童は入場不可。
[問]神戸国際会館こくさいホール
[TEL]078-231-8162

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北山たけし - TEICHIKU RECORDS
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「北山たけしオフィシャルブログ「演歌魂」
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