何度ぶちのめされても立ち上がれ!
メジャー返り咲きアルバム『BEST BOUT』を手にラウンドする
竹原ピストルが、5年間の地を這うライブデイズ、松本人志への想い
執念と野心を宿すハングリーな今を語るインタビュー&動画コメント
人生には幾度ものスタート地点があって、同じ数だけゴールという名の終着点がある。元ボクサーという異色のキャリアから’99年に音楽活動をスタートさせ、’03年に野狐禅の片翼としてデビュー。そしてその看板を下ろしてからの5年間、年間250~300本という地を這うようなライブデイズを生き抜いたシンガーソングライター竹原ピストルが、昨年メジャーシーンへ返り咲き。再デビューアルバム『BEST BOUT』をリリースした。人生の機微を問答無用で描き出す、壮絶な弾き語りで観る者をノックアウトしてきた彼がたどり着いた今作は、本道の胸に迫るネイキッドな楽曲はもちろん、スリリングなバンドサウンドやブラスを交えたロカビリーテイスト、映画『さや侍』(’11)で主題歌及び俳優に彼を起用した恩人とも言える、ダウンタウン松本人志へ宛てた『俺のアディダス~人としての志~』ほか、エレクトロでヒップホップなビートと言葉の弾丸の思わぬ親和性も感じさせてくれる。彼は『カウント10』でこう綴る。“カウント10だけは、自分の諦めが数えるものだ ぼくはどんなに打ちのめされようとも、絶対にカウント10は数えない”。ストリートファイトの如く他流試合もこなしてきたタフなライブアクト、何度ぶちのめされても立ち上がる竹原ピストルの『BEST BOUT』=“最高の試合”という名の人生のリターンマッチが、今始まった――!
自分で出来る最大のプロモーションがライブだったし
それしか手段がなかった
――2014年は再デビューによって環境にも如実に変化があったと思いますが、この5年間、年250~300本とライブをやってきた、その感覚も変わってきましたか?
「いわゆる夏フェスとか、自分でブッキングしていた頃は手が届かないようなイベントにも出させてもらって、とにかくちょっとでも気に入られたいというか、竹原ピストルというヤツがいるんだ、確実にいいところを見せなきゃ、というライブがずっと続いて。年間250~300本とやっていたときも、もちろん一生懸命1本1本やってたんですけど、1つ上のステージに上げてもらえた実感が、自分としてはすごくありましたね」
――単純に、燃えますよね。
「燃えますね~。自分の出番の裏でリスペクトしてやまない人たちがやっていて、野暮な言い方かもしれないけど、にも関わらず竹原ピストルを見に来てくれた人、流れの中で足を止めてくれた人がいて。燃えますよね。何で俺のライブにこんなにたくさんの人が見に来てくれたんだろう?っていう場面もあったりして。それが、全国を細かく廻ってきた1つの成果であったら嬉しいし、全部が連動してガチッとギアチェンジしたのかなと思いますね。でも、チャンピオンクラスの皆さんのライブを見れば、やっぱりヘコむんですけどね。全然届かんぞって思ったりもするので」
――あれだけすごいライブをしていても、まだ“負けた”と思うこともあるんですね。
「そればっかりですよ。我を忘れて“おー!”って盛り上がって、“はっ! 完全に夢中になってたぜ、悔しい”みたいなところを楽しみながらではあるんですけど(笑)。気が付けばほぼ最前列で見てたことがよくあります(笑)」
――そして今回の『BEST BOUT』を改めて“自分のデビューアルバムだ”と言うくらい、キャリアを重ねてきたにも関わらず、ここにきてまたフレッシュな感じはありますよね。
「ありますあります。昨日も誰かと喋っていてそうかなと思ったんですけど、これまでもインディーズでCDを出してきてそれぞれ気に入ってはいるんですけど、同時に“まだこれはデビューアルバムにふさわしくない”っていう後悔が続いてきたような気もするんですよ。ここにきてやっと“これがデビューアルバムだ!”というものが出来たという意味では、やっぱりすごく新鮮というか、やっと始まるんだなっていう感じはありますね」
――野狐禅でデビューしたときでも、ソロになったときでもなく、年齢を重ねていろんなものを見て背負ってきたからこそ、今ようやくそこにたどり着けたというか。例えばこれが5年とか10年前に作れたかというと。
「作れなかったですね。そういった意味では、ちょっと弱音っぽい話になるかもしれませんが、ギリギリだった気がするんですよね。このスタンスでやっていって、果たして自分が目指しているものにたどり着けるのか。すごく迷いだったり不安を覚えているときに、以前いた事務所に戻れることになって、レーベルも野狐禅時代にお世話になったところで。ギリギリのところで救われたというか」
――あれだけの本数のライブをしていて、竹原ピストルの表現というものがちゃんと確立されていて、“俺はマイペースに一生歌っていくんだ!”という感じにも見えたんですけど、あながちそうではなかった。
「そうですね。とにかく人目につかねばならないと思っていたし、だったら数を打つしかないし、1日休めば1日分の金を使う。そういう暮らしの要素もあったと思うし、自分で出来る最大のプロモーションがライブだったし、それしか手段がなかったから、それだけをやっていたっていう。常に目標は持っていたんですけどね」
――そうやって全国でライブをしまくっていた期間って、自分にとってどんな時間だったと思います?
「何だろう…何でもボクシングに例えがちなところがあるんですけど(笑)、どんなに鍛錬しても、マネージャーが試合を組んでくれなきゃ始まらない。世界タイトルマッチは出来ないんです。大好きでリスペクトしている人がいて、どうにか1曲でもいいから前座をしたいと共演を熱望したとしても、呼んでいただかないことには出られないですから。そういう葛藤みたいなものは常にあって…。だけど時々どこで聞きつけてくれたのか、それこそ本数を打っていた甲斐があったというものですが、“大好きなあの人と共演出来るイベントに呼んでもらえた!”っていうことがあって。それだけを楽しみに毎日を過ごして、“そこでいいところを見せよう。そしたらもっとデカい話が来るかも”とか…それしか考えてなかったですね。殺伐としていたし、常にそのときそのときでイライラしていた気がします」
――現状に甘んじる気が一切ないからこそのイライラですね。
「本当にそれです。不安になることもあったけど、自分がとってきた手段というか、活動のスタンスは間違っていなかったんだなと思ったりするんですけど。でも、何せここからの話ですから。何も成し遂げてないわけですからね」
ここから絶対に諦めずに頑張っていくので見守ってくださいと
応援してくださっている人たちに決意表明出来るものにはしたいなと
――今回のアルバムを作るにあたって、ビジョンはありましたか?
「例えば、レパートリーで言うと『カウント10』(M-9)、『俺のアディダス~人としての志~』(M-2)だったり、ここから絶対に諦めずに頑張っていくので見守ってくださいと、応援してくださっている人たちに決意表明出来るものにはしたいなと思っていました。そういう自分の設計図というか背骨に沿ってレパートリーを選んできたつもりなんですけど、一番デカく変わったのはアレンジだと思うんです。作詞にまつわるその他もろもろには執着しているし大好きなところではあるんですが、やっぱり音楽自体がものすごく好きですから。これまでの作品とは違って、言葉が刺さる刺さらないはちょっとだけ置いておいて、音楽として部屋でかかっていて自分自身繰り返し繰り返し楽しめるようなものがいいなって。それは絶対に1人じゃ出来ないことだったんで。だから、“こういう感じにしたいんです”ってアレンジメントをお願いしたのも、今回が初めてのことだったかなと」
――竹原ピストルと言えば、ギター1本で武骨にやっていくアーティスト・イメージもありますけど、割と客観的というか冷静というか…そこがすごく意外ですね。今回の作品を聴かせてもらって、詞のパワーと声の強さがもちろんありながら、現代的なアレンジだったりヒップホップ的なテイストだったりと、案外フィットするもんだなって。
「何の縁もゆかりも愛着もないサウンドにただ自分の楽曲を乗せても相性に出ると思うんですけど、自分がいろんな音楽が好きだから、そういう部分も絶対にあると思うんですよ。あと、“竹原ピストル=弾き語り”みたいなこだわりが一番強いのは自分自身だとも思っていたけど、1曲1曲トラックが上がってくる度に、“こうすれば俺の歌にも合うのか”って…絶妙なさじ加減には毎曲驚きましたね」
――レコーディング中の思い出深いエピソードはあります?
「自分は“曲を書くぞ”と書くことが出来ないというか、テーマを出されてそれに沿った曲を書くことが出来ないタイプなんですよ。だけど、将来的にはひょっとしたら映画か何かの主題歌とか、先にお題ありきのことがあるかもしれないということで、毎日1つお題を出してもらって曲作りをするみたいに、半分遊びのようなこともやってみて。それはそれで新鮮で楽しくて、こういうのもアリかもしれないって。クオリティにこだわらず、メッセージにこだわらず、時に音だけで曲を作ってみるみたいなことまでやってましたね」
――普段はフッと湧いてくるものをキャッチするみたいな?
「100%それなんですけど」
――『俺のアディダス』はRUN DMCの『My Adidas』(‘86)とかけているということで、さっきの話じゃないですけど、竹原ピストルのイメージと一致しなくて面白いなと(笑)。
「あ~そこはちょっと自分も、実際にRUN DMCも好きで聴いてますけど、“俺がそんなことを言ったら面白いかな?”っていういたずら心もありますよ(笑)」
――そしてこの曲は、地を這うようなツアーをやっていたときに、光を当ててくれた人へのオマージュでもあると。
「それこそ、『My Adidas』=俺のアディダスか…“俺のアディダス、俺のアディダス~♪”っていうサビの部分を思い付いたのは、実は何年か前なんです。そんなことを考えていたら、松本(人志)さんの映画に誘われて。撮影のときにいつもアディダスを身に着けているから好きなんだなぁって。そこからちょっぴりつながってきて、“松本さんってどんな人かな? 走り続ける人。変わり続ける人。カッコいいな”みたいなところからフレーズが浮かんできて。この曲を書いたのは、ちょうど新しい環境に行けることになったくらいの時期だったから、それをそっくりそのまま背骨にして、感謝の気持ち、約束の気持ちを込めて、歌に仕上げてみようみたいな」
――サウンド的にも、竹原ピストルの作品でまさかDJのスクラッチ音を聴くとはと(笑)。
「これは実は、(アレンジャーの佐藤)洋介さんも困惑してましたからね(笑)。ギリギリですよね(笑)」
――竹原ピストルの歌詞と声は実はこういうサウンドにも合うという考え方もあるんですけど、逆にどんなサウンドだとしても、この歌詞と声があれば竹原ピストルになるんだということも、同時に思ったんですよね。
「それはすごく嬉しいですね。ヒップホップとかハードコアだったり、結構いろんなイベントに出てきたつもりなんですけど、まず呼んでもらえることが嬉しいなって。そのときは弾き語りでやりましたけど、そういう幅はどんどん広げたいし、じいさんばあさんでも楽しませられるようになりたいですね」
何でもいいからとにかく人前で何かやりたい
っていう気持ちに溢れていた少年だった
――そもそもダウンタウンの松本さんと出会ったのは、野狐禅時代に音楽番組『HEY! HEY! HEY!』に出たのがきっかけなんですよね?
「最初に会ったときはテレビ収録のみのやりとりだったんですけど、あんまりベタな言い方もしたくないですけど、“松本人志!”っていうオーラがとんでもない人だなって。“本物だ!”ってなっちゃったところもあるし、こっちもテンパりましたけど、とにもかくにも映画の話をいただいて久しぶりにお会いしたときも、とにかく優しかったですね。印象に残っているのは、現場で“この部分はこういう風にした方がいいんですかね?”みたいな相談にちゃんと受け答えはしているんですけど、目が遠くの方を見ていて、別のことをぐるぐる考えている感じというか、誰と話していても誰とも話していないような感じは独特だったかな。先の先の先まで考えているのかもしれないし。とにかくカッコよかったですね。俺もアディダス着ようって思いましたもん(笑)」
――アハハハハ!(笑) ピストルさんは今でも少年のように話しますね、いろんなことを(笑)。でも、“俺はミュージシャンだから役者はやりません”とかではなかったんですね。
「それが自分のある種バッタもんたる所以なんですけど、野孤禅をやってたときって、自分の音楽活動の原点は、当然ながら野孤禅で初めてステージに立ったあの日だって思ったんですけど、1人になって考えると、小学校のときにキャンプファイヤーの余興で歌ったあの歌とか、あのときやった劇とか、なんちゃって漫才とか、不思議とその辺くらいまでさかのぼるんですね。心境としても完全にあのときのような、次の文化祭のステージで何の出し物をやるか、それに目がけて稽古して、本番前に緊張してバンッとやるみたいな…別に目立てれば何でもいいと思ってたんですよね。それは歌でも劇でもよかったし、何でもいいからとにかく人前で何かやりたいっていう気持ちに溢れていた少年だった気がして。だから、“こいつはひょっとしたら目立てれば何でもいいんじゃないか?”って本質を見抜いた人が役者として起用してくれるんじゃないですか?(笑) 今、お話ししていてそう思いましたね。その中でもずっとやってきた、そして、自分なりに一番自信のある出し物が歌であるっていう認識は消えないんですけど」
――それで言うと、どのジャンルでもチャンピオンになれたらいいわけじゃないですか。でも、いろんなことをやってみても、歌が残るんですね。
「やっぱり歌が一番得意だと思いますね。“自分にはこういうセンスはないんだな”みたいなことって、それこそ歳を取っていく内にどんどん分かっていくんですよね。こんなすごい人がいるんだ、この人には届かないぞって。ボクシングがダメなんだなって思ったときも、初めて全日本選手権に出たときに分かりました。なるほどなるほど、自分は多分ここまでだなっていう感覚ですかね。だけど、まだこれは続けていく価値があるかもしれないと思い続けられているのが、歌であるということですかね。こんなこと言うのもアレですけど、“俺、歌もここまでだな”って思うときがくるんですかね? どうなんでしょうかね」
――バンドだったら解散を機に他の仕事に就く人もいますけど、シンガーソングライターって、それこそ『カウント10』の歌詞じゃないですけど、基本自分の意思でしか止まらないじゃないですか。去年の夏だって、自分よりすごいミュージシャンたちといっぱい戦ってきたわけですよね。それでも、“この人たちにはかなわないから辞めよう”じゃなくて、“まだたどり着いていないからやってやる!”っていう気持ちですよね?
「そうですそうです。そこは自分で自分に妙な好奇心があるんですよね。例えば、一度はバコーン!ってその名を轟かせて今はアンダーグラウンドの重鎮、みたいな人たちってそうだと思うんですけど、自分もいずれその時期を迎えることが出来るのか?っていう想いもあって。そういう先輩方に“これから一発当ててやるんだ!”っていう気持ちは今は多分ないんじゃないかと思うんです。だからと言って、何の闘争心もないということではなくて、ただ昔からそこにいたかのように存在して歌ってらっしゃる。その域に僕も行くことが出来るのか…いつまでも“チャンピオンがチャンピオンが”って言ってたら、それはそれで面白いんですけど(笑)」
――10何年後かのインタビューで、“ピストルさん、もう55歳ですけど、まだチャンピオンなる気なんですか?”みたいな(笑)。でも、“俺は倒れるまで殴り続けますよ”って言ってるかもしれないし。
「そう。それがちょっと楽しみな部分ではあるんですよね」
――歌詞を見ていても思ったんですけど、人間って歳をとったら優しくなれるというか、いろんなことを理解出来るようになるし、人の気持ちも分かる。さっきの話じゃないけど、自分はこれは得意だなとか、この人にはかなわないなって分かってくるじゃないですか。でも、歌詞からも伝わってくる今でもチャンピオンになりたい気持ち、ハングリーな精神が失われないのは何なのかなって。
「それはやっぱり、“まだ始められてなかった”からじゃないですかね。心身ともにギャップなく、俺はここから勝負だというところにしっかりと立ったことがなかったからじゃないですか」
――逆に、『BEST BOUT』でそこにようやく立ったわけだから、これからの試合は負けられないですね。
「本当にそうですね」
本当に待ち侘びたリリースでした
――今回は『BEST BOUT』と謳うだけあってどっしりした曲ばかりで。それこそメジャーという公約数との戦いの中で、『LIVE IN 和歌山』(M-6)なんかは特定のファンに目がけた曲であったりして。
「でもそこは、一概には言えないからですね。特定の人間に書く体をとっているだけで、俺は万人に言いたいわけですよ。何が何でも生きろよって。だからそいつにちょっと協力してもらった感じですね。俺はあいつに言ってるだけだからと歌いながら、端っこに飛び散ったものが誰かの気持ちに伝わったらいいんですけど。『俺のアディダス~人としての志~』だって、あの人に恩返ししたい、いいところ見せたいっていう存在は、誰しもいるはずですもんね」
――あと、アレンジをしていく中で敢えて弾き語りに戻したという曲は『カウント10』?
「そうですね。でも、そこは伝わる伝わらない的なことじゃなくて、1枚のアルバムとしてのバランスですかね。元々のアレンジもめちゃくちゃよかったんですけど、やっぱり何度も何度も聴いて欲しいですから」
――『ちぇっく!』(M-7)なんかは、“指先一つ動かしたくなくなるような居心地の良さをドン底って言うんだよ 四面イエスマン おめでたい馴れ合い みんなでスタート みんなでゴール セッションしよう そうしよう 浮かばず沈まず仲良く平行線…”停滞するシンガーソングライターシーンに対する痛烈なカウンターパンチで(笑)。
「アハハハハ!(笑) これはもう半分は自分に向けてますから(笑)」
――野孤禅時代の『カモメ』(M-10)を入れようと思ったのは?
「単純に気に入ってたからというのと、作詞力みたいなものも年々向上してると自分なりに思ってるんですけど、今の水準と照らし合わせてみてもこれはいい曲だと思えたらから入れたんですよね」
――今作が完成したとき、どう思いました?
「本当に待ち侘びたリリースでした。考えてみれば、こんなに楽しみなことってあまりなかったと思うんですよね」
ライブは天下に手が届くか届かないかの大博打の場
――そしてこれまたとても長いツアーがあって(笑)。
「全都道府県回りますけど、会場はちょっと大きくなっています(笑)。やることはこれまで通りと言ったら語弊がありますけど、いつも通り精一杯やるだけかなって。このツアー中に結構な数の曲も出来ると思うので、今の持ち駒を磨きに磨いて磨き上げて、その後にまたカッコいい面々とイベントで共演するときに、ここで磨いた芸をドシンと出せたらなというのはあります。鍛えて鍛えて、全部つなげていきたい感はありますね」
――大阪でのライブはどうです?
「大阪は散々いろんなところでやらせていただいたし、そらぁ小っちゃいところもいっぱいあったから(笑)。そのときに見てくださっていたお客さんが、みんな集まってくれたら嬉しいなと思いますけどね」
――今さらですがまだ成長し続けているところを見てもらいたいですよね。
「見て欲しいです。去年、東京でワンマンライブをやったとき、過去最多のお客さんが入って。カッコいいメンバーと一緒に大きな会場で演奏していたら、客席にお母さんみたいな顔をして泣いている女性が何人かいました(笑)」
――アハハハハ!(笑)
「完全にかあちゃんの目線でしたね(笑)。それもまたウルッときたんですけどね。まだこんなもんじゃねぇからって思いながら。嬉しかったですね」
――恩返ししたい人が増えてきて、勝手にこっちも身内な気持ちになりますよね。
「ありますね~」
――今改めて、竹原ピストルにとってライブとはどういう場所ですか?
「今は純粋に、天下に手が届くか届かないかの大博打の場だと思います。それまでは全部1人でやっていたから、ライブが唯一のプロモーションの手段で、生計を立てる術だった。全てが連動していただけに、野望だけに集中出来なかった部分もあると思うんです。食べていくにはここで3連発やらなきゃダメだとかは絶対にあったので。今は純粋に夢だったり目標を達成出来るか出来ないかのためだけにライブが出来る。それは幸せなことだと思っています」
――なるほど、チャンピオンにならなきゃですもんね。
「頑張りますわ~。10年後も同じことを言ってたら殴ってください(笑)」
――ピストルさん、もうタオル投げていいですか?みたいな(笑)。
「アハハハハ!(笑)」
――でも、その頃にはすごい表現になってるだろうなぁ。僕も続けられてたら会いましょう、そのときに(笑)。
「ぜひ!(笑)」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2015年2月24日更新)
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