喪失も後悔もかき鳴らせセンチメンタル・ギターロック!
どうしようもなく“男”なメジャーデビュー作
『WHAT A WONDERFUL WORLD』引っ提げツアー中の新星
The Cheseraseraの核心に迫るインタビュー&動画コメント
“悲しいのが、基本。生きるとはなにか。その悲しみを超える喜びを探すということだ”。宍戸翼(vo&g)のブログに記されたこの一説が、このソングライターが、このバンドが何たるかを、如実に示している。The Cheserasera (ザ・ケセラセラ)のメジャーデビュー作『WHAT A WONDERFUL WORLD』は、3ピースというロックンロールのロマンに満ちたミニマムな編成で、切れ味鋭いギターとタイトなリズムを軸に、独特の焦燥感と高揚感昂ぶるサウンドフォームを構築。現在のシーンのトレンドとは一線を画す地点で、白黒つかない曖昧な感情を声を大にして叫ぶ、いびつで、そして確かな輝きを放つ1枚だ。様々な対象にインタビューしていると、打てば響く言葉のラリーを繰り広げることもあれば、零れ落ちるそのひと言のために100の問答を交わすことだってある。フロントマンである宍戸とのそれは紛れもなく後者で、不器用に、だが切々と想いを言葉にする彼の姿は、まさにThe Cheseraseraの音楽そのものだった。そして最後に…彼のブログからもう一説。“僕が見たいのは、一人一人が、一人一人のままで、踊る姿だ”。陳腐な絆なら、ない方がいくらかマシな人生だ。彼らが旅を続ける各地のライブハウスに、そんな孤独が集まったなら、何て素晴らしいことだろう。
“客観”っていう感覚は今までなかった
――デビュー以降、自分たちの活動の場が少しずつ広がっていく実感もあったかと。
「今までは“自分たちがやりたいこと、歌いたいことを”っていう気持ちが強くて、自分たちのイメージをどう打ち出していくのか、メジャーでどう活動していくのかとか、そういうビジョンは一切なかったんですよ。去年1年は、アーティストとして、プレイヤーとしてやっていく意識がチラッと芽生えたというか、そこまで待ってもらったというか。自分の音楽性はちゃんと持っているつもりだったんですけど、それをいわゆる“作品”としてみんなに発表していく立場になったとき、とても形にはなっていなかったと思うんです。僕自身、メンバーが年上で先輩だったりもするんで、結成して年半ぐらいは後輩面でやっていた部分もあったし。まだまだのことが多かったですね。やっと自分が弾丸になれたというか、弾丸が飛んで行く先…そういう弾道みたいなものを、自分でも打ち出せるかもなぁって思ってきてますね、今」
――音楽を始めた頃からこうなる未来=メジャーデビューを望んでいたのか、そこまでは考えていなかったのか。
「音楽を始めて只々楽しいと思ってる段階では、“もしこのまま売れたらスゲェよなぁ”とかいうぐらいの理想ってあるじゃないですか? 多分そこからずーっと変わってない(笑)。どっちかと言えば、自分が歌って解放されるというか、イライラとかストレスが一気に晴れるのが気持ちよくてここまでやってきたので。憧れもなかったし、バンドをどんどんデッカくして、みたいな気持ちもなかったんで」
――自分が音楽をやることで浄化されるような感覚はいつから?
「高校のときにギターボーカルとして始めたんですけど、大学に入る前に新しいバンド組んで、そこから自分で書いた詞を歌うようになって…すぐさっきまで“もう全部おしまいだ!!”みたいなテンションだったとしても、詞を書き終わったら嘘みたいにすぐ友達に電話して“遊びに行かない?”って言いたくなるぐらいだったんで(笑)」
――『WHAT A WONDERFUL WORLD』に先駆けて、タワレコ限定の100円シングル『Drape』と、同曲が収録された1stミニアルバム『The Cheserasera』がリリースされて。収録曲の中でも『風に吹かれて』『カナリア』『涙あふれてた』辺りのザラついた感じがめちゃ良かったですね。
「ありがとうございます! あぁ~嬉しいですね。その辺の曲は。このアルバムで、逆に自分の歌詞を客観的に見させてもらったというか。“こういうことを書いてるよね?”って言ってもらうことで、自分がどういうこと歌っているのかがようやく分かったというか(苦笑)。自分が気持ちいいものはちゃんと作れたとは思っていたんですけど、“客観”っていう感覚は今までなかったんで。作品に教えてもらってますね」
失ったものとか、後悔とか、そういうものが原動力になってますね
――メジャーの一発目の作品を、どんなものにしようという青写真はあった?
「前作に対して、“ポジティブ/ネガティブどっちにも取れるし、しかもその上で答えを出さないよね?”みたいに言われて、確かにそうだなぁと。世の中白黒付くことばかりじゃないとは思ってたし、そういう気持ちが思ったまま表現出来てるんだったら、それをさらに研ぎすませて、形にしていけたらなって」
――今ってSNSとかを見ていても顕著やけど、右か左か、白か黒か決めなきゃいけないみたいな風潮が何となくあって。ヘンな話“分からない”っていう答えもあるもんね。
「それを声を大にして言ってみる、っていうことをしてみようかと(笑)。そういう曖昧な世界観は確信的に残して、サウンド的にはスピード感とかパワーで彩っていって、オケによって風を吹かせるというか。今回は、『月と太陽の日々』(M-1)『ラストシーン』(M-3)『goodbye days』(M-5)『SHORT HOPE』(M-7)が新曲であとはリアレンジなんですけど、『でくの坊』(M-2)は3人が集まって最初に作った曲で。記念碑的な意味合いではなく、ずっとライブでもやってる曲なんで入れました」
――『でくの坊』は“バンドマン=ダメ人間”あるあるみたいな(笑)。ただ、今作ではいろんな時期の自分を描いているけど、いろんな他人のことを書いているとは思わないというか。強烈な対象が1人いて、そいつのことを歌ってる感じがする。人との別れや喪失がここまでガソリンになるならば。
「アハハ(笑)。そうですねぇ。どっちかと言えばやっぱり、“ここまで来れたよ、ありがとう”みたいな感謝のパワーじゃなくて、失ったものとか、後悔とか、そういうものが原動力になってますね」
――だから、これは男の書く詞だなぁと。女の人は多分、こういう詞を書かない。この何かが気持ちに残留し続ける感じは、男特有の感情だな、と思った。
「アハハ(笑)。あ、それ嬉しいです。男の弱みみたいなところで」
――『ラストシーン』なんかもそうですけど、ホンマに映画のようなというか、ちゃんとオチがあるというか。ただ悲しいことを、悲しいと歌うだけじゃなくて。『彗星』(M-4)のオープニングのギターも美しいし、過去の話なんだけどすごくいい思い出を、ちゃんと理想の情景に出来ている感じがしますよね。
「ありがとうございます! 今まではオチがないことで有名だったんで(笑)。『ラストシーン』は、最近の曲の中でも、キレイな景色を観てもらいたいという取り組みが、一番出来た歌かもしれないです。『彗星』は珍しくロマンチックに書けた歌だったりするんですけど…何だったんですかねぇ。キレイな思い出があったんですかねぇ(笑)」
――“今もずっとあなたの言葉で生きる”(『月と太陽の日々』)、“懲りもしないで続く/愛を知っても”(『goodbye days』)とかも、引き摺り倒してんなコイツは、っていう(笑)。
「アハハ!(笑) 引き摺り倒してる!(笑)」
――“未来に期待する/それだけが希望”(『思い出して』(M-6))っていうことは、これは今も何も変わってないぞ、みたいな(笑)。端々にあるこの感覚は、男だよなぁって。
「高校の頃なんかは、若いなりに“俺は絶対に後悔しない人生を送る”みたいなことを考えてたんですけどね(笑)。それでもあっちゃこっちゃでいろいろ失敗して…今思えば、もう後悔しかしてないぐらい」
――あと気になったのは、過去のブログで“悲しいのが、基本。生きるとはなにか。その悲しみを超える喜びを探すということだ”と言っていて。その悲しみがデフォルトにある感覚は何なんだろうなって。
「言ってましたね(笑)。ホンット読んでくれてますね!(笑) 何なんですかね…ちょっと前に、ロックミュージックを愛している人は、やっぱり何かショックな出来事が必ずあって、そういうものを抱えて生きているんじゃないかなぁって、ホント漠然となんですけど思ったんです。やっぱり後悔が元になってると思うし、“何かを超えてやる”とか“誰かを見返してやる”とかそういうところで、歌って紡がれるんじゃないかなぁって、ふと思ったんですよね」
流行っているもの=廃れていくもの
――今作を制作する上での、心掛けたことはあった?
「『月と太陽の日々』は歌詞を何回も書き直したんですよ。ずっと歌っていける歌にしたいっていうのは、やっぱりありましたね。例えば10年経ったとき、全く違う音楽性に変わっていたとしても、メンタル面で共感出来ないものを作るのは絶対イヤだったんで。あとは単純に至らない点とか、シンプルに力が足りてないと思うところも、解決するのにすごく力を注ぎました。例えば歌唱力とか(笑)。今まではわめき散らすような歌い方ばっかりだったんで、わびさびだとか、シンプルな部分で改めて考え直したのはありますね。僕が聴いてきたアーティストで、メジャーに行って一気に変わったりしたら、やっぱりすごくイヤだった。だからそうは絶対になりたくはないけど、いろんな方に会う上でいろんな意見も見え方もあったりするので、そこは毎回すごく考え込んで…。今回は大胆な試みはあまりしてないかもしれないですけど、確実に自分たちの芯っていうものを持とうとしてる。膜1枚増えるみたいなレベルですけど、芯が太くなっているんじゃないかなって思いますね」
――バンドというか、自分がいちミュージシャンとして大事にしているところはある?
「自分が一番入り込めるかどうかですかね。ショーとしてお客さんに徹底して捧げるようなものじゃなくて、まず自分たちが興奮するというか、覚醒するというか。そういう自分の根本の部分でちゃんと消化出来ているかどうか。そこは絶対に守りたいですね」
――何で音楽なんですかね。
「それは僕も高校の頃から思ってたんですけど、一番上手なんですよね、俺がやってきたことの中で。出来ないことがスゲェ多い(笑)。もうすごく普通。全部それなりなんですよ。別に出来なくもないけど、普通よりちょっと下みたいな。バイトしてみても、スゲェ気を使ってるつもりなのに、結果劣った位置にいるというか(笑)」
――アハハハハ!(笑)
「自分でもそれはずっと思っていて、“何かないかなぁ?”って中学でギターを始めて、ジャカジャカ弾いてると楽しいというか、しっくりきた瞬間があったんです。まあ単純に俺が大人になった上で、社会の皆々様に貢献するためにという意味でも(笑)、とても真面目に、道を外れるどころかむしろ正しい道に進むつもりで、音楽を選びましたね」
――もう1つ、ブログですごく印象的だったのは、“大事なのは今のシーンにある音楽と人を愛して遠ざける事と、自分らしくあろうとする事だと今は思います”って。
「(照笑)。愛して遠ざける…やっぱりキラいキラいって言っててもしょうがないし、今盛り上がってるっていうことは、そこには何かしらの真実があって。だけど流行っているもの=廃れていくものだし、そういう意味でも“人がホントに欲しいものって何だろう?”って、常に考えていかなきゃいけない。だからこそ、ちょっと離れた視点を持っていなきゃなって。そういうことをずっと探っていきたいなって思いますね」
――すごくいろんなものを“観察”する癖があると。
「そうですねぇ。ずっと何か考えてるんですよ。電車に乗ってて木が枯れてるのがチラッと目に入るだけでも、“誰か水をあげなかったのかのなぁ?”とか、ホントそういうことばっかりずーっと考えてる」
――ライブのときは?
「“ライブで何が起こせるのか?”っていうのを考えるという(笑)」
――めっちゃ考えてるやん(笑)。
予定調和的な縁とか絆とかそういうもんじゃなくて
自分が本当に良いと思ったものを見せたいし、見て欲しい
――曲を書いていてスランプとかはない?
「今はやっぱり“客観”っていうものがもう自分の中に浸透してきてしまっているので、そういう意味では悩む瞬間は増えましたね。まぁそれが自分の喜びになるというか、そうしたいがためにやっているので、その時間はなるべく惜しまず、より精度を上げていけたらなって思ってます」
――メンバーの意識も変わった?
「そうですね。もうとにかくやり尽くさないとなぁって感じですね。もうなくなっちゃたんですけど、渋谷にあったライブハウス・屋根裏にすごいお世話になってたんですけど、そこで“続けることが大事だ”ってずっと言われてて。やっぱり理想ばかり追いかけてしまうと、ちょっとヘンなことが起きてもすぐイヤになってしまう。例えば、女の人もそうなんですけど、粗を見付けて“もう愛せないかもしれない”って少しでも頭をよぎった瞬間に、すぐに冷めてしまったり(苦笑)。このバンドで続ける精神を教わったのもありますね。お客さんに対しても、予定調和的な縁とか絆とかそういうもんじゃなくて、自分が本当に良いと思ったものを見せたいし、見て欲しいなって。そういう風に1人1人本当の気持ちを持ったお客さんが集まったら、ライブも絶対に深いものになるだろうし。そういう感覚を共有出来る音楽を作っていきたいですね」
――自分の中で曲を作ることと歌うことって、どういう位置付け?
「詞は僕の生活というか生身の部分。けど、曲は高校でエレキギター持つようになってからの話なので、ギターをバシン!と弾いた瞬間に起きるその覚醒感。そういうところで曲を作ってるんですよね。だから、曲を作り始めてそれに集中すると、詞のことは全く考えてなかったりするし」
――曲作りに関しては体感的というか、直感的というか、よりフィジカルな。
「そうですね。サウンドはポジティブ=強気なものであって、詞はパーソナルだったり、マイペースだったり。そういうものが融合してる感じですよね。中学の頃なんかは人前で恥ずかしくて歌えなかったですけど、今となってはもう、歌がないと崩れますね。歌うことで元気になったりもするんで」
――今回のアルバムには『WHAT A WONDERFUL WORLD』というタイトルが付いてますけど、これはかのルイ・アームストロングの名曲と一緒で。
「大好きな歌だし知ってはいたんですが、僕にとっての“何て素晴らしい世界”っていう言葉は、あまりにも反対に位置するというか、とても輝かしくて、手届くか分からないものだったりするんですけど。ただ一方で、本当の直訳はそうじゃないかもしれないですけど、“素晴らしい世界? ケッ!”みたいに、ちょっと斜めに見る目線にも見えたというか。ある種理想として掲げてあるタイトルだったりしますね」
――そういう感覚で言うと、バンド名も一緒で。不安を自覚した上で、ケセラセラ=“なるようになるさ”と言い放つようなね。ライブは、ツアーに関してはどうですか?
「歌って気持ちいいだけではなくなってきましたね、間違いなく。やっぱりアミューズメントなものではなくて、ホントにありのまま接してもらって一番興奮した状態というか、一番覚醒した状態というか。本当の意味でのシビれや絶頂みたいなものを、そこにいる全員にもたらすバンドになりたいですね」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2014年9月26日更新)
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