SKA SKA CLUB、ROCK’A’TRENCH、
そしてソロとしてたどり着いた“素晴らしい世界”
FUNであること、LOVEであること、山森大輔の輝ける現在地に迫る
1stアルバム『Wonderful World』インタビュー&動画コメント
波の音を掻き分け聴こえてくるアコースティックギターのオーガニックな響きと、あの歌声…。ROCK'A'TRENCH休止後、シンガーソングライターとして新たな人生を歩み出した山森大輔の、待望の1stソロアルバム『Wonderful World』が届いた。全曲の作詞作曲はもちろん、全パートの演奏を本人が手掛けたという今作は、アコースティックライブでの人気曲であり大切な人との大きな別れを歌った『アカシアの丘』やロマンチックなプロポーズソング『365日』、そしてクラブミュージック的なアプローチが新鮮なエレクトロなアッパーチューン『Friday!!!!』や関ジャニ∞に提供した疾走感溢れる『Baby Baby』のセルフカバーなどなど…。ファンタジックでオールドスクール、レゲエにボッサにロックにと、縦横無尽のアウトプットを繋ぎとめる歌声と人間力が存分に発揮された、シンガーソングライター山森大輔の魅力と未来を感じさせる1枚となっている。SKA SKA CLUB、ROCK’A’TRENCH、そしてソロとしてたどり着いた“素晴らしい世界”。セカイイチ岩崎慧(vo&g)とのユニット、キャンドルズも動き出すなど、溢れるアイディアとバイタリティで駆け抜ける、山森大輔の輝ける現在地に迫るインタビュー。
山森大輔からのご挨拶を兼ねた動画コメントはコチラ!
――’11年12月のROCK’A’TRENCH休止から2ヵ月後には、“俺ソロアルバム作ります”宣言がブログでは行われていたものの、そこからリリースまで1年半。宣言してからのこのリーチを説明して頂けますか(笑)。
「ぶっちゃけ、レーベルを探してたんですよね。自主でCDを出したり、一番手軽な方法ではホームページにアップして自由に聴いてくれ、みたいな方法もある。それでもいいかなと最初は思ってたんですけど、作り進めながらとてもいいものが出来ていたし、ちゃんとメジャー感のある楽曲もあったので、もったいないなと思う気持ちもあって。手軽に配信とかダウンロード出来るものって、実はあんまり広がらなかったりする現象を見ていて、だったら今までと同じフォーマットでやりたいなという想いが、その宣言からしばらくしてあったんです(笑)」
――作品云々はもちろん、第二の音楽人生のスタンスみたいなところも含めての1年半というか。
「そのちょっと前は自分の中でも二転三転して、アルバムをiPhoneのアプリで出そうとか、錯乱した考えのときもあったんです(笑)」
――すげー! 今の時代にフィットしたやり方ではありますよね。形態に捉われない。
「僕が考えたのは、iPhoneの画面の中に、歌、ドラム、ベース、ギター、シンセみたいな感じで8つくらいのフェーダーがあって自分で操作出来る、耳コピとかもしやすいみたいな。でも程なくして、それをやるのは俺の役目じゃないなと気付いて(笑)。もっともっと認知されている、B’zさんとかそれぐらいの方がやった方がいいなって(笑)」
――溢れるアイデアというか、エネルギーがめちゃくちゃありますね。音楽そのものもそうだし、自分の環境に対してもそうだし。自分から作っていこうみたいな発想が。
「グツグツした想いがいろんな方向にいった結果、1年半経ったみたいな(笑)」
――それこそROCK’A’TRENCH休止の声明文にも、今後を見据えている人もいれば、やり切ったと思う人もいるし、違う表現がしてみたいという人もいると。山森さん自体はどうだったんですか?
「あの当時の僕は、ROCK’A’TRENCHをやり切ることしか考えていなかったんですね。その後、音楽をやるかどうかも考えていなかった。で、見てもらったブログのように、2ヵ月後にはやっぱりやろうって思ったんです」
――それは、まだ歌うことがあったっていうことですよね。
「曲自体は、楽器を持つとフンフン鼻歌を歌っちゃうし、原宿のGAPのセンスがよくて、服とか買ってるとBGMでいいのがかかるんですよ(笑)。それでご機嫌な気分になっちゃって、これいいな、こういう曲を作りたいなっていう気持ちが止められなくなるのがほとんどなんですけど。それをiPhoneに録音して、とりあえず試してみたい、聴いてみたい衝動が湧いてきて、手元のパソコンで制作する。それが昔からの趣味でもあったから、ROCK’A’TRENCHを止めたときも遊びでやってたら、どんどん膨れ上がって何曲も出来ちゃった(笑)。で、2ヵ月後の“やっぱやるわ!”宣言に繋がった感じですね」
――それこそいい大学を出て、国家資格もある。何でこの人は遠回りしてまで音楽をやり続けるんだろうって。何なんでしょうね、そんなに音楽に夢中になっちゃうのって。
「音楽はやっぱり楽しいから。人それぞれ “これが一番楽しい”って思うものあるじゃないですか。スポーツだったり、絵を描いたり、映画を観るのが楽しい人もいれば、撮るのが楽しい人もいる。それが僕の場合はたまたま音楽だったっていうことじゃないかな。只々楽しいんですよね、音楽は」
人生のいろんな瞬間を切り取って、曲に封じ込めて見せたいという欲求が
昔からミュージシャンとして、ソングライターとしてあった
――13曲とボリュームもありますが、そのペースでいくと曲自体は早めに出揃っていた?
「曲自体は出揃ってて、それを今の形にするまでに、最終のミックスとマスタリング以外は全部1人でやったんですよ。ボーカル、ギター、ベース、ドラムは家では叩けないから打ち込み、ピアノ、あとはシンセを貼りつけたり、録音のエンジニアリングと、1人で何役もやるのにめちゃくちゃ時間がかかって(笑)」
――1stに関しては全部自分でっていうコンセプトがあったんですか?
「そこにはこだわってましたね。もちろん仲間の腕利きのミュージシャンにやってもらう手もあったんだけれども、そうじゃないことにこだわりたかったんです。1stはそうやって自分の全てを注ぎ込んだものを見て欲しいなって」
――あと、結構リリースギリギリまでRECしてたんだなって(笑)。
「そうなんですよ(笑)。1年半も時間はあったのに、最終的にめっちゃタイトで」
――当初9月25日に出すことになってて、“今日REC終わりました! これから最終ミックスです”って8月22日のブログに(笑)。まあまあギリギリだなって(笑)。
「アハハハハ!(笑) そうなんですよ。めちゃギリギリでしたね」
――今作を聴いていて思ったのが、山森さん自身の人生がすごく出てるなって。自分でも曲を生み出していて思うところはあります?
「そうですね、“人生”は1つのキーワードで。人生のいろんな瞬間を切り取って、曲に封じ込めて見せたいという欲求が、昔からミュージシャンとして、ソングライターとしてあって。音楽にはいろんなスタイルがあって、“俺はこう思ってるんだ!”って強くメッセージを打ち出す音楽を聴くのも大好きですし、耽美的で確固たる世界観があるLUNA SEAさんとかX-JAPANさんとかもカッコいいなと思うんだけど、僕が曲を書くときには、自分自身だけじゃない、とある人生の1ページを切り取って作品にしたくて。自分自身もそういう作品だと客観的に、リスナーみたいな気持ちになれるんですよね」
この1年半というよりは、全部地続きですね。ここに入っているものは
――今作にはいろんなパターンの曲があって、ラブソング1つとっても、1対1の関係もあるし、人間愛のLOVEもあったり。『未来少女』(M-7)みたいなファンタジックな発想って、どこからきたりするんですか?
「おこがましいですけど、日本のフォークシンガーでも、小説家のように物語を作り出す大先輩がたくさんいるじゃないですか。そういう影響もあって、存在しないストーリーを紡ぎたい欲求もあって、未来が見える女の子が主人公だったらどんなストーリーになるだろう?って、歌詞を書いていってこうなった感じですね」
――あと、『アカシアの丘』(M-6)はすごく大事な歌というか、“あなたがこの世を去ってからどれくらい経つだろうか”と1行目から意味深で。
「愛する人との死別をテーマにした曲なんですけど、ある日久しぶりに友達に会ったら、いつも快活な子なのに顔面蒼白で。“どうしたの?”って聞いたら、お父さんを亡くされて…。そのときの僕は肉親を亡くした経験がなかったけど、それでもその子は頑張って仕事をして強いなと思ったし、そういう人を元気付けたい気持ちもあるし。その人生の1ページを、切り取らなきゃいけないような気持ちになって作った曲ですね。この後、僕は大好きだった祖父を亡くして、この曲を書く前は想像するだけでたまんねぇなって思うくらいだったのが、自分の曲にちょっと救われたっていう経験をしたんですよね」
――いつ頃出来た曲なんですか?
「これはまだROCK’A’TRENCHをやってる最中だったんですよね。ROCK’A’TRENCHでやるにはヘヴィ過ぎるってなって(笑)、リリースはしてなかったんですけど」
――この1年半もそうですけど、山森さんが歩んできた人生の中で、曲を生んだときとは役割というか意味も変わったりしますね。
「そうですね。この曲なんかは本当そうですね」
――ROCK’A’TRENCH時代に出来ていたと言えば、『The Goodbye』(M-10)も神戸大の学園祭で弾き語ったと。
「それ…よく調べてますね~(笑)。休止の前の年かな? 学園祭ツアーみたいなものを秋にやって、そのツアー中に出来た曲で。すごく熱くなって、“昨日の夜出来たんだけど、今日やっていい?”って(笑)。メンバーはもちろん知らない曲だから、アンコールに1人で出てやったっていう」
――みんながそれぞれに通る高校時代だったり、社会人だったり、別れを描いてはいるけれど、それぞれ違う時代のそれにフォーカスしている。そういう意味ではこれもストーリー性が高い曲ですよね。
「高校時代の前半は僕自身ですね。友達があんまりいなかった(笑)。最終的にはいい仲間が出来て音楽をやったんですけど、あのまま仲間にめぐり合わない人もいるだろうなと思って。社会人編は、少しバンドから卒業する自分も念頭にあったりしながら」
――みんなの人生にあり得るシーンですもんね。
「この1年半というよりは、全部地続きですね。ここに入っているものは」
絶望しちゃうような時代に
それでも最高なんだよって言える自分でいたかった
――最後の『素晴らしい世界』(M-13)は言うなればタイトル曲だと思うんですけど。
「この曲はアコギのアルペジオから作ったんですけども、ROCK’A’TRENCHの最後のツアー中とかに手癖で弾いてて、歌詞はROCK’A’TRENCHを卒業した後に作った曲ですね。もう一回音楽をやりたいなと思った気持ちをそのまま書いた感じです」
――今って嫌なニュースも分かっちゃう時代になってしまったというか、知らずに済んだことも耳に入る時代じゃないですか。なかなか今が素晴らしいと楽観的には思いづらい時代で。そんな中で人間は素晴らしいと思える、そういうところに目を向けられる気持ちはどこからくるんですか?
「今ってものすごい情報化社会で、いろんなことが見えますよね。コンビニの冷蔵庫に入っちゃったり(笑)。ただ、ああいうヤツは昔からいたし、それどころじゃない事態…シリアで化学兵器が使われたみたいなニュースもリアルタイムで見えて、絶望しちゃうような時代で。でも、そういうことを知らなくて、触れないで目を覆って、“楽しいじゃん、恋愛しようぜ、最高だよ”とかではなくて、そういうことがあるのは分かってるけど、それでも最高なんだよって言える自分でいたかった。何でそう思えるのかっていうところですよね」
――そして、何でそれを音楽でやるのかっていうのも1つでしょうけど。
「ブログの
このエントリーにも書いたことなんですけど、自分自身すごく擦り切れちゃって」
――山森さんにもそんな時期があったんだって思いましたよ。あれはいつ頃なんですか?
「いつぐらいだっけな…ROCK’A’TRENCHの1st出す前でしたね」
――疑心暗鬼というか、ローな時代ですよね。
「バンドをやっていたけど、いろんなことがうまくいかないと思ってしまっていた。自分のせいだと分かっているから、より落ち込むみたいなときがあって。そういうときって、全然悲しむ必要がないときでも、悲しい気分になっちゃう。今なら“そんなことないよ! ビールでも飲んで忘れようぜ”って思えるんだけど(笑)、そう思えない瞬間が人生にはあるのも経験したから分かるし、そこから抜け出すことが出来ることも経験出来たから。そのときの自分にも言い聞かせたいし、せっかくこんな豊かな国で生まれて、もっと言えば、お父さんとお母さんが出会って、奇跡的な割合でこの世に生まれためちゃラッキーな人生を、そう思えなくて命を絶つ人がすごく多い国だから。実際に悲しいことがたくさんあるのは分かるけど、すごいじゃん、ここに生まれてきてるのはって言いたいなって、強く思ったんです。自分自身にその経験があったから」
――それはどうやって抜け出せたんですか?
「思い返してもハッキリとは覚えてないんですけど、巡り合わせですね。それは自分の努力もあったし、僕は音楽が仕事だから、いい演奏をして、観た人にチケット代以上のものを届けて、それが達成感になって、自信になって。時間が解決してくれたこともあるし、仲間が手を差し伸べてくれたこともあった。運のいい重なりと、自分の努力で抜け出せたんだと思います」
人生を楽しみつつ、それを表現することでお客さんも楽しい
――“仲間”という話がありましたけど、山森さんはソロという立場でありながら、それこそキャリアのルーツであるSKA SKA CLUBとか、岩崎慧(セカイイチ)とのキャンドルズとか、今改めて活発にグループワークをやれているのもおもしろいですよね。
「そうですね、幸せですね。慧くんに関して言えば、一番最初に対バンをしたのはROCK’A’TRENCHの初自主企画で、セカイイチとRISINGTONESっていうスカのめちゃカッコいい…今はライブハウスの店長さんになってるんですけど(笑)、その3バンドでやって。めちゃいいセレクションだなっていまだに思っているんですけど。ただ、そのときは初主催でいっぱいいっぱいで、あんまり仲良くなれなかったんです。その後、夏フェスで2~3回一緒になったことがあったんですけど、“一緒に飲もうぜ! 対バンしようぜ!”とか言ってる内に僕らが終わっちゃって(笑)。その最後のライブに来てくれたりもしてね。そこからソロになって今の事務所に決まったら、たまたまセカイイチもそこにいて。“せっかく同じ事務所になったし、一緒に何かやらない?”ってようやく。セカイイチの『バンドマン』で目頭を熱くしたり(笑)、『素晴らしい世界』がまた名曲で、大好きなんですよね」
――自主企画に呼んだって、それっきりの関係なんていくらでもあるわけで。お互い何だかんだ続けてきたからこその今の縁ですよね。彼もすごく才能を持った人間なんで、一緒にやることで刺激はあったんじゃないですか?
「めちゃくちゃ刺激的。ツアーで全国を廻ったんですけど、何が嬉しいって岩崎慧のライブを毎晩観られる(笑)。また面白いのが、彼は本当にロックなやつだから、波があるんですよね。“今日はダメな日だ!”みたいな(笑)。かと思えば翌日120点出したり(笑)。またアイツが酒飲みで、僕も割と飲むから。会場に着いたら必ず、お互いちっちゃいウイスキーの瓶1本飲んでライブしてね。めちゃ楽しかったですね」
――リラックスして音楽と接点を持てるのは楽しいですよね。
「今思うとなんですけど、音楽で飯を食ってる以上ちゃんとしなきゃいけないけれど、音楽って芸事だからFUNじゃないといけないって、最近は感じていて。ストイックなカッコよさももちろんあると思うんですけど、海外のアーティストとか僕が憧れる人たちって、人生を楽しみつつ、それを表現することでお客さんも楽しい。今後はそれを目指していきたいなと思いますね」
――それこそSKA SKA CLUBも、メンバーそれぞれに家族もいて、仕事もしてる中で集まって、今改めて刺激があって楽しいっていうのは最高ですよね。
「そうなんです。あれも超最高。只々楽しいですね」
――でも、人生で“只々楽しい”って思えることって実はそうないなって。そう考えるとそういう場所が存在するのは嬉しいですよね。でも、SKA SKAのアルバムと今作を並行して作っていたのも…。
「ちょっと制作期間が長くなった理由の1つですね。世の中に発表出来ることは全然ないんだけどめちゃくちゃ忙しいっていう、もどかしさ(笑)」
「出来上がったときはまず、“間に合った!”っていう(笑)」
――でもそこで、ブックレットに間違い発見→リリース延期って、間に合ったと言えるのかどうか(笑)。
「アハハハハ!(笑) そうなんですよね~あれもビックリしましたね~(笑)」
――何が違っていたんですか?
「ぶっちゃけ曲タイトルが間違っていたんですよ。同じタイトルが2つあった(笑)。まぁそれはさておき(笑)、自分が描いたもの以上のものが出来たので、100点満点以上と、胸を張って言えますね」
――濃厚な曲たちだけど、FUNであること、LOVEであることがきっちり入ってる。『Flower』(M-11)なんかは山森さんの人生というか、現状も曲になっていて。家族が出来ることによって変わりました?
「そうですね。『Flower』は家族がいなかったら出来なかったし、『素晴らしい世界』も“いろいろあるけど大丈夫だよ”って、明確な理由は示さなくても強く言いたいのは、子供が大きくなったときに絶対に辛いことがあって、人生に絶望しちゃうようなときが来ると思うんですよね。そんなときに僕が傍にいて“父ちゃんも昔はさ~”とか言えるとは限らない。死んじゃうかもしれないし。そう思ったとき、せっかくミュージシャンで表現する仕事をしているから、“お父さんが言いたかったことはこうだよ”って、残しておくところまで考えるようになりましたね」
ライブが楽しくてどうしようもないのは昔から一貫してそう
――今作に伴うライブもあって。大阪は心斎橋JANUSで。
「大阪は愛情をたくさん注いでくれるので間違いなく楽しくなると思いますし、バンドスタイルでドカーンと踊れる感じにやろうかなと」
――ライブに関してはどうですか? ソロとして弾き語る機会も増えたと思いますけど。
「ライブが楽しくてどうしようもないのは昔から一貫してそうなんですけど、弾き語りの魅力はまたひとしおあって。身体1つに等しいから、それでお客さんと面と向かってっていうのは、結構シビれますね。特に対バンがバンドとかだと、いいファイトが生まれてきて。好きですね、弾き語りは」
――最後に、ソロアーティストとして目標みたいなものはありますか?
「あのソロアーティストみたいになりたいっていうのはありますけど、それは恥ずかしいので言いませんが(笑)、純粋に魂を込めて作った作品があるから、これを届ける活動を毎日したいですね。いろんなところに行って歌いたい。こうやってお話させてもらえることがあったら、全身全霊で考えて誠実にやりたいし、ラジオとかに出させてもらったら、精一杯おもしろい話をしつつ、曲を聴いてもらいたい。ミュージシャンとして幸せな日々が始まったんで、楽しんでいきたいですね、それを」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2013年12月18日更新)
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