あれから10年、これからの10年
衝撃の復活を遂げたZIGZOが放つ12年ぶりのニューアルバム
『THE BATTLE OF LOVE』! ツアー開幕の狼煙を上げる
TETSU(vo&g)インタビュー&動画コメント
’02年の解散から丸10年と1日、’12年3月17日に、オリジナルメンバーのTETSU(vo&g)、RYO(g)、DEN(b)、SAKURA(ds)が集結。解散ライブと同じ会場となる因縁の東京・赤坂BLITZにて復活ライブ『THE 2nd SCENE ZIGZO』を行い、遂に再び息を吹き返したモンスターバンドZIGZO。6月には全国ツアー、そして10月には12年ぶりの3rdアルバム『THE BATTLE OF LOVE』をリリース。一気に復活の狼煙をおっ立て、泣けて笑えてスリリングでやんちゃなロックンロールを轟かせた4人が、1月11日(金)よりいよいよアルバムを引っ提げた『ZIGZO TOUR 2013 THE BATTLE OF LOVE』をスタートさせる。そこで、再結成へのいきさつ、メンバーへの想い、解散から10年の時を経て鳴らされた新たな音は、どのようにして生まれたのか。そしてnil、THE JUNEJULYAUGUST、インディーズ電力と様々なプロジェクトを並行させるボーカリストとしての自分の在り方を、フロントマンのTETSUこと高野哲にじっくりと語ってもらった。
惚れてまうがな! TETSU(vo&g)からの動画コメント
――まずは再結成のいきさつから聞きたいんですが、TETSUくんの場合はZIGZOのほかにもnilやTHE JUNEJULYAUGUST(以下・ジュンジュラ)とアウトプットがあり過ぎる多忙さの中で(笑)、なんでまたZIGZOを再結成することになったのかなと。
「だよね?(笑) だいたいどれも似たようなことやってんだけどね~ホントに」
――そもそもメンバーとの再会はSAKURAさんのイベントだったんですよね?
「あれは一昨年の11月頃で。彼は毎年自分の誕生日を祝えっていうあつかましいイベントを自ら企画してやってんだけど(笑)。そこまで自分のことが大好きっていうのも珍しいよね?(笑)」
――もしかして天然くん?(笑)
「もうね、スゴいですよ。最初は楽しいんだけど、だんだんみんな飽きてきて…めんどくせぇってね(笑)。まぁその日にSAKURAとRYOとDENが3人でステージに立つから、観においでよって誘われて、客として行ったんだよね。で、ステージの袖から見てたんだけど、すごく楽しそうだったんですよ。そのとき、一緒に観てたのが初期の頃に鍵盤をやってくれてた吉田とおるで、“あいつら楽しそうにやってるよね”なんて話してて。そしたらとおるちゃんに“あんた、10年前はここで歌ってたんやで!”って言われて。そうか、もう10年か…そしたらキリもいいし何かやってもいいんじゃないかって感じになって。打ち上げでもそんな話になって何となく盛り上がってきたんだけど、そこでRYOくんが“ちゃうで、来年は9年目やで”って」
――あらら1年勘違い(笑)。
「そうそう、歳を取ると時間の感覚が鈍るよね~って(笑)。俺、今、喋りながらいろいろ細かいことを思い出してるんだけど、だから解散から10年って勘違いしたのは俺じゃなくて、とおるちゃんなんだよね。いろんな取材で“俺が勘違いして…”なんて喋ってきたけど、違ったわ(笑)」
――じゃ、ここで訂正入れときましょうか(笑)。でも、間違えていたとは言え、吉田さんの一言がなければ再結成の発想は出てこなかったかもしれないですね。
「そうだよね。そこで、“来年は9年目だけど、せっかくだから10年目に何かやる?”って天然くんが言い出し…。まぁでも、1回こっきりなら何とか出来るだろうけど、再結成するならちゃんと話し合わなきゃいけないんじゃないのって感じもあって」
――SAKURAさんは本気で再結成を考えてたんだ?
「そう、彼はちゃんと始めたかったみたいなんだけど、俺も含め他の3人は“そうなの? そこまでやらなくても…”な感じだったんだよね。でも、メタリカが『マスター・オブ・パペッツ』(’86)の20周年で全曲再現ライブをやって、それがきっかけで外タレの再結成ブームが起こったのもあったし…10年のメモリアルとしては面白いよねって」
――10年目に向かう1年の間に、お互いの想いを確認する必要があったわけですよね。
「そう、継続するにしてもしないにしても、その作業は大切だなと思いましたね。それぞれが好き放題やっちゃうと、お互いの良さがぶつかり合うだけで終わってしまうことは、前に学習してるんで(笑)」
――じゃ、割と定期的にミーティングの機会を設けたと。
「まぁミーティングというよりは呑み会って感じで、月1回会うのは楽しいよねっていう話になって、定期的に会うようになったんだよね。しかも、呑みながら話してるのは“次の集まりには何着てくる?”みたいなしょーもないことで(笑)。そしたらだんだんと、最初のミーティングから今でもずっと手伝い続けてくれてる熱いスタッフも、“再結成するなら、俺が手伝う!”って言い出して」
――このマンスリー呑み会がスタートするまで、解散以降は4人で集まったり呑むことはほとんどなかった?
「あったけど、年1~2回ほどだったかな。ま、とにかく好意でサポートについてくれたスタッフの思いを無下にしたくないのもあったし、月イチで呑もうって話になった段階で、俺の中では再結成に向けた気持ちが何となく固まりつつあって、現実的にはどうすればいいのかっていう頭になってたと思うんですよ。それをちゃんと見定めたかったし、RYOくんとDENくんは俺よりクエスチョンを抱えたままで、“むしろ、やらない方がいいんじゃない?”ぐらいの温度でもあったし。そういう人間が1人でもいたらダメだと思ってたので、やっぱり話し合ってちゃんとコミュニケーション取って、それでもダメだったら辞めようとは思ってたんだけど…ここに至ったってことは、ま、大丈夫だったってことなんでしょうね」
今この時代に音楽を鳴らすときには
メンバー同士で足並みを揃えておきたかった
ステージに立って何かを発信する者としてはね
――そういったミーティングを続けていく中で、震災も起こり…。
「うん…やっぱり、震災は大きかったですよね、思えば。ZIGZOに対してというよりは、個人的に…いちバンドマンとしてのアイデンティティというか、何のために音楽やってるわけ? みたいなショックを受けて。東京から現地で頑張ってる人のサポートもしながら、ミュージシャン仲間と現地に行ったりもするわけですよ。で、有名人と一緒に行くと、中高生たちがバーッと列を成して寄ってくるんだよね。例えば、1人1人に“頑張れよ!”って声をかけるモンパチ(MONGOL800)の清作くんなんかを見てると、“この人ってホントに自分がやってきたことで、現地の人の役に立ててるな”って思ったんですよ。音楽や歌じゃなくて、その存在だけで役に立ってる。そういうの見てると俺の“頑張れよ!”はまだまだ小さいぞ…と思ったりもして。音楽家として人にメッセージを伝えたくてやっているのであれば、より大きい声で伝えたいと思わされることもあった。だから、自分の持ち歌をやるよりは、ギター1本持っておじいちゃん、おばあちゃんのために『津軽海峡冬景色』をやってあげようよ…という感じでいろいろ見えてきて。インディーズ電力(佐藤タイジ、うつみようこと結成した新ユニット)で最近仲良くさせてもらってるうつみようこさんが、阪神大震災のときにソウル・フラワー・モノノケ・サミットで、現地に行ってチンドンやってたでしょ。だから俺、ようこさんについて行ったら、こういうときに一番人のためになる動きが出来るんじゃないかって…。それで今、一緒にやらせてもらってるんだけど。素直に若いミュージシャンが現地に行って音楽やるのもすごくいいなと思ったんだけど、本当に必要なものは音楽じゃないし…っていう想いもあったりしてね」
――難しいですよね。とりあえず自分が出来ることを精一杯やろうという想いもあるけど、その一方で、ただの自己満足なんじゃないの?っていう想いもある。あの当時は、音楽をやっている全ての人たちが、音楽の本質だったりその必要性と向き合う時期だったように思うんですよ。
「そうだと思います。例えば、支援物資を集めて運んだり、現地で壁がないっていうんであれば壁も作ったり…東京にいる人たちは、自分たちが出来ないことを代わりにやってくれるのはありがたいって言ってくれる。でも、自分相応のことはやったんだけど、相応のことしか出来ない自分への複雑な思いもあった。ただ、そういった活動を通じて、自分の今いる場所についてだったり、ZIGZOをもう一度やることで喜んでもらえるのであればそれでいいじゃない、という想いの精査にもなったね」
――なるほど。じゃあ、東北へ通っている段階では、まだZIGZOが本格始動っていう感じではなかったんだ?
「うん。ただ、自分が東北で見てきたモノや感じたこと、考えたことはみんなに逐一報告して、メンバー間で温度差が絶対にないようにしなきゃいけないと思ってた。やっぱり今この時代に音楽を鳴らすときには、メンバー同士で足並みを揃えておきたかったんですよ。ステージに立って何かを発信する者としてはね」
――そのようなやりとりを続けていく内に、全員の足並みも揃ってきた?
「徐々にね。あるときSAKURAと現地に行ってZIGZOの曲を何曲かやったんだけど、俺らごときに喜んでくれる人がいたのね。そういうのも糧になっている。解散して10年と1日目の3月17日に赤坂BLITZでライブするという目標はまず最初に決まってたので、そこに向けて準備をしている最中に地震が起きて…そのことが再結成に対する4人の意思を、キュッと固めてくれた要素の1つになっているところはありますね」
――ちなみに、その時点で再結成後の活動や流れについては考えてたの?
「いや、どのくらい続けるかなんて全く考えてなかったし、アルバムを作ろうとも思ってなかった。なのにある日、“リハーサルのためにスタジオ押さえたよ~”ってマネージャーから連絡があって行ってみると、思いっ切りレコーディングスタジオで、マイクがガーッて立ってて(笑)。“ええっ!? 録るの?”みたいな感じで」
――なかなかヤリ手のマネージャー氏だわ(笑)。
「まんまと騙されたね(笑)。で、初日は適当に音を鳴らしてみたんだけど、こんなの何の練習にもならないから止めとこうと。じゃ、次の日はどうすんのって話になったとき、これを意味のあるものにするんだったら、ちゃんと録りましょうよと。セッションでもいいから、何らかのドキュメントみたいな形で発表しましょうってことになって」
――そんないきさつで完成した『20110620』(2012年3月17日赤坂BLITZで限定発売)は、アルバムというより番外編みたいな感じなのかな。でも、ここから始まりましたよね。
「うん、そうですね」
全てを凌駕するぐらい突き抜けたバンドでありたいって思った
――そしたら、今年10月にリリースされたフルアルバム『THE BATTLE OF LOVE』の制作は、BLITZのライブが終わってから取りかかったと?
「いや、曲はBLITZの前からスタジオに入ってちょこちょこやってたのね。ただ、俺はもう曲は作らないよって」
――え、そうなんだ。
「俺が作ると前と同じことになるだろうし、それこそ俺にはnilやジュンジュラもあるから、そこでやれるわっていう想いもあったし。でも、スタジオ入ると何かね…曲が出来ちゃうんですよね(笑)」
――ですよね(笑)。だって全曲クレジットに名前入ってるし。
「例えばRYOくんと俺名義の曲は、スタジオで膝つき合わせてRYOくんが弾いたフレーズに対して“それ、オモシロいじゃん!”って俺が反応して、そこから“こんなのどう? こうしてみよ” みたいに曲が構成されていく。そうこうしている内にメロディが出来て、そんな俺たちのやり取りをDENくんとSAKURAくんが横で見てるから、説明せずとも曲の雰囲気は把握してて、バーンと全員で合わせてみて1曲完成するという」
――素早い。しかも全員がその場に集まって完成させるパターンは、過去のZIGZO にはなかったですよね。
「そうそう。以前は家で曲を作ってる段階で、頭の中でだいたいのイメージが出来あがってたんで、スタジオに入ってアレンジが進んでいっても、その通りに仕上がらないと嫌だったんですよね。でも、今回は頭の中で何も進んでいない状態のまま曲作りに臨むのが俺もRYOくんもテーマになってて。例えば、“今日はスタジオだ! でも曲のネタが何もない! どうしよ、ヤバいヤバい!”なんて焦りながらとりあえず音出してみる(笑)。とにかく、スタジオに入ってその場で考えて膨らませるやり方で作っていきましたね」
――そうやってフラットな状態から始まって、お互いに刺激し合いながら、オモシロがりながら音を出していくのっていいですよね。
「瞬発力でね。結局30曲近く出来たんだけど、20何曲目くらいからみんなニヤニヤし出して…“もしかしてこれ、もう1周しちゃった?”みたいな(笑)。ネタが1周して似てる曲やギターソロが出来てしまってふと気付いて。まぁ、40歳のオッサンが言うのも気持ち悪いんだけど(笑)、そんな感じで楽しんだりはしゃいでる空気感も大事だなって。元々仲は良かったんだけど、そういうのを大切にしたかったし、音に込めたかったのはありましたね」
――出てる出てる、その空気感。過去の作品は、極端だけど緊張感だけしかないと言っても過言ではないくらいのピリピリ感が充満してましたもんね(笑)。そこがカッコよさでもあったんだけど、今作ではそれプラス“ニヤニヤ感”というか、楽しみながら作ってる雰囲気も伝わってきて、いいバランスの緊張と緩和がありますよね。
「実は主軸となっているのが『Medicine Man』(M-5)で、アルバムの中では1番古い曲なんですよ。これが出来たときに自分たちもスタッフも、“これイケるかも。こういう音をやるのがZIGZOじゃない?”って、みんなでワクワクして。ここからどういう曲が出来て広がっていくのかオモシロそうだったので、アルバムの始点にしたんですよね」
――何となくこの楽曲だけ違う感触がありますよね。
「ZIGZOってUSでもUK寄りでもなく、思いっ切りJAPロックだと思うんですよ、昔っから。でも、『Medicine Man』はどっちかと言うとUK寄りな感じだと思うんですよね」
――そうですね。ある意味海外のバンドっぽくて新鮮でした。
「自分たちのスタンスがね、いったいどこにあるんだろう、どこに分類されるんだろうと考えたとき、うまく言えないんだけど…全てを凌駕するぐらい突き抜けたバンドでありたいって思ったんですよ。アルバムのリード曲として『I’m in Love』(M-9)を選んだのも、圧倒的なポップ感があると思ったからだし」
――もうどこにも属すことが出来ないくらい、ZIGZOはZIGZOなんだぞ、と。
「あ、でも、どっかには属したい(笑)。このバンドでフジロックに出たい! 俺が今言ってきたことの全ての着地点だと思うし」
――それは分かりやすい例え。それにしてもいいアルバムが出来ましたね。のっけからガツンと攻めの姿勢だし。
「1~3曲目は激しいもんね、ドッカンドッカンで(笑)。みんなに言われたよ、“4曲目までこの調子だったらちょっとキツいわ”って(笑)」
――このアルバムの入口と出口じゃ、全然風景が違う。最初は攻めで始まるけど、途中で切なくなったり、ホロリときたり、最後は次のステップを匂わせる含みもあってニヤリとさせられたり…それこそ雪山からトンネル抜けたら緑が広がってるみたいな。それに全体の印象としては、もはやZIGZOさえも突き抜けるという感じで。
「そう! まさにそれ! ぬふーーーーんっ!(笑)」
――(笑)。ホント、カッコいいロックアルバムですよ。
うん、楽しいですよ今
――TETSUくんの場合、ZIGZO以外にもいくつかバンドを組んでいて、他のメンバーもバンドやサポートをやってるじゃないですか。ZIGZOってTETSUくんの中でどういう存在なのかなと。
「俺個人としては、nilもジュンジュラもZIGZOも特に分けてないんですよね。みんな同じだと思ってる。各々のバンドメンバーに身を委ねると、それぞれのバンドの高野哲になるんですよ。それくらい、どのバンドもメンバーに恵まれている。住み分けとか戦略的なことを考えなくても、彼らと一緒にいると違うキャラの自分が出てくる…ような聴こえ方になっててラッキー! みたいな(笑)。ただ、バンドは四人羽織、三人羽織の感覚でやってる部分はあって、ZIGZOなら4人の脳ミソを俺が自動書記になって楽曲に落とし込んでいるというか。何かね、ZIGZOのメンバーといると、不思議と自然に“俺たちカッコいいでしょ~!”って言えちゃうんだよね。nilだと“俺たちスッゲー楽しー!”、ジュンジュラだったら“深いところまで行こうぜ!”みたいな。しかも、そのシフトチェンジも意識してやってるわけではなく、今考えてみると自然に変わってる気がする。RYOくんがよく言うんですよ、“4人でいると魔法だ”って。この4人だと校長室に忍び込めるんだよね、夜の校舎の窓ガラス割れるんだよねって(笑)。こいつらといたら面白そうだからツルんでる…そんな感じ。それこそ思春期みたく女子の目を気にしてるし、しかもまだモテようとしてる(笑)」
――確かにこのアーティスト写真はモテようとしてる(笑)。
「見てよこの立ち方。普段、こんなカッコしてたら気持ち悪いっつーの(笑)。でも、それがやれちゃうし、そんな姿のDENさんを見てもいいじゃん!って言えるのも(笑)、このメンバーならではだと思うし」
――よくぞ再び始まってくれた、というのが正直なところです。だって、今こんなバンドいないでしょ…色気や湿っぽさ、重みや茶目っ気が同居していて、音を出してる人間が見えてくる。とても魅力的な存在だと思います。
「ツェッペリンやビートルズやジミヘンみたいに、今だに売れ続けているロックのスタンダードってあるでしょ。それって勝ち残りだと思うんです。いつの時代も世間に必要とされ愛され続けているという意味でね。俺らの音楽にはそういう湿り気があって笑えて泣けて、そういうスタンダードなロックが好きだっていう気持ちが、素直に出てると思うんですよ。4人とも単細胞だから、“自分たちはコレが好きでコレしか出来ませーん! どやっ!?”っていう(笑)」
――でも、そこを意識してるかしてないかで、出てくる音は違ってきますよね。
「実は最初、このアルバムは20曲入りにしようと思ってたんですよ。でも、ディレクターさんと話してたら、“同じような曲が20曲並んでてもなぁ…”って言われて。ま、それもそうだと思ったんで、じゃあ12~13曲くらいにしときますかって。そしたらRYOくんがそこで一言、“同じような曲が並んで何が悪い! だって俺らはそれが好きでやってんだから!”って(笑)」
――おおっ名言(笑)。あと、さっきのTETSUくんの“どのバンドも分けてないんだよ”っていう言葉にもハッとさせられましたね。そう言われて初めて、同じ人間がやってるんだから変えられるわけも、そもそも意識して変える必要もないのかもって気付かされたし。
「俺としては、自分に優しく楽にやってきた…ただそれだけなんだけどね(笑)。とにかく、40歳になるまでの1年間は忙しくしてやろうと思ってて」
――それはまた?
「20代で苦労したことが30代で報われていくんだよって聞いたから、そしたら40代をもっと楽にするために、30代は忙しくして頑張ろうと。で、いろいろ詰め込んではみたけど、やっぱりそんな器用な人間でもないんで…」
――結局40代も多忙に(笑)。
「どうしよーっって感じだよ(笑)。でも、これで50代は楽になるかなぁ」
――でも、いいじゃないですか。40過ぎても表現の場がたくさんあって、あれもしたいこれもしたいっていう気持ちがあるのは。
「うん、楽しいですよ今」
ちゃんとライブハウスから始めて段階を踏んで
なるべく早い内に武道館に行きたいという目標がある
――しかし、最近の40代のアーティストの音源もライブも、めっちゃいいですよね。
「うん、ホントに最近スゴいよね」
――それはZIGZOも含めてだけど、全く懐古的じゃなくて、今聴いてカッコいい音を鳴らしてる。やっぱりいろんな時代を経験してきた今だからこそ、出せる音って感じですよね。
「やっぱり今40代の人たちがデビューした頃は、まだまだ音楽シーンも元気でレコード会社にもパワーがあったから、携わる人たちがみんな前向きだったと思うんですよ。スゴく純粋に、“お前らスゲーカッコいいぜ! デビューしないか?”みたいな空気感もあった」
――ですよね。なんか夢がありましたよ、音楽に。
「あの時期を経験してるかしてないかで、違いはあるよね。だって俺たち以降の世代って、シビアで商業的な状況しか知らないから、スゴく賢いもん」
――バンドがダメなら次はレコード会社のディレクターでもやるか…ってね。でもZIGZOは、いい時代、厳しい時代の両方を経験して、それでも10年しぶとくやってきたメンバーだからこそタフだし、だからこそ出す音にも筋が通ってると思うんですよ。
「しぶとくね(笑)。そう言えばこの間、初めてフラワーカンパニーズを観に行って。そういうことをスゴく感じたね。それにしてもホント、ZIGZOはスタッフに恵まれてると思うよ」
――それは、メンバーの人柄がそういう人物を呼び寄せてるんだと思いますよ。それこそ、この4人について行ったら、面白いことや楽しいことに出会えるんじゃないかって。
「いやぁ~わがままなヤツはいるし、何考えてるか分からん人もいるし…(笑)。中にはもう16年くらい一緒のスタッフもいたりするんですよ。まぁよくも飽きずに付き合ってくれてるわって(笑)。とりあえずみんな面白がってくれてるんでしょうね」
――そんないい状況の中ツアーも始まりますが、今回は初日が大阪で、全国を廻ってファイナルの3DAYSが東京で。どの会場もライブハウスなんですね。
「やっぱり4人とも全うにライブハウスツアーから始めたいというのがあって。だって前はデビューしていきなりホールツアーなんてワケ分かんないことやって…売れそうだからって、音楽性も定まらない内に引っ張り上げられちゃったから。ちゃんとライブハウスから始めて段階を踏んで、なるべく早い内に武道館に行きたいという目標がある」
――武道館似合いそうですね。あの独特の空間にしっくりくるのは、絶対に色気のあるバンドだと思うんですよね。
「色気…あるかなぁ?」
――あるある! このアーティスト写真を見る限り(笑)。
「あぁ、このベースの人がね(笑)。むしろ色気しかないという。あと、ツアーファイナルの3日間はね、全部内容を変えてやります。悪ノリな感じで楽しみますよ! ま、今年も忙しくいきますんで」
――了解です。いろいろと楽しみにしていますよ!
Text by 森川和美
(2013年1月 7日更新)
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