旅の終着駅は6/24(日)心斎橋JANUS!
メジャー1stアルバム『空な色』を携え初の全国ツアー中の
YouTube発の話題のシンガー山根万理奈が
音楽人生の第一章を語るインタビュー
‘09年春、YouTube上に現れた、一切顔を出さずに様々なアーティストのカバー曲を弾き語る謎の女の娘。部屋の片隅から飾らない姿で全世界に配信されたその儚くもピュアな歌声は、多くのユーザーの間に瞬く間に広がり一躍話題に。その姿が現在所属する事務所の目に留まり、’11年6月には山音まー名義でニコニコ動画内で人気のボーカロイド曲をカバーしたミニアルバム『人のオンガクを笑うな!』を発表、同年7月にシングル『ジャンヌダルク』で遂にメジャーデビューを果たしたシンガーが、山根万理奈だ。この春には大学を卒業し、故郷・島根から活動の拠点を東京に移した彼女が、4月に待望のメジャー1stアルバム『空な色』をリリースした。歌と向き合い生きていく覚悟とアーティストとしての瑞々しいスタート地点が刻まれた同作を手に、現在は初の全国ツアーの真っ只中にいる彼女。6月24日(日)心斎橋JANUSでのツアーファイナルを前に、シンデレラ・ストーリーの奥の潜む挫折や葛藤、アーティストとしての自覚、そして喜びと未来…これから始まる音楽人生の第一章を語ってもらった。
山根万理奈からのキュートなコメント動画はコチラ!
――まずは、今まさに全国ツアー真っ最中ですけど、各地を廻ってみた率直な反応はどうでした?
「同じ日本なのに場所によって全然風景が違うし、ライブに来てくださるお客さんの感じも何となく違う気もするし、面白いなぁって。もしかしたら初めての場所で自分自身がすごく緊張して、それをお客さんも感じたからかも知れないですけど(笑)。本当にいろいろな発見があるツアーだと思います。対バンも多かったし、会場によっては弾き語りだったり、サポートギターの方と2人だったりと、結構いろいろやってみて。デビューのきっかけになったYouTubeはずっと弾き語りでやっていたので、初の全国ツアーで自分の原点的なカタチで多くの会場でライブが出来たのは、自分にとっても大きなことなのかなって」
――そういう意味では、ライブは自分の音楽を聴いてくれている人がリアルに存在することを実感出来る場所ですよね。今回は1stフルアルバム『空な色』に伴うツアーですけど、作品を聴いてもらった人からの反応はありましたか?
「YouTubeでは結構ガシガシ歌ってて、弾き語りライブでも入り込んでワァーッと歌うんですけど、今回のアルバムでは中盤でしっとり目の曲も多くて、レコーディングしながら自分でも“こういう歌い方も出来るんだ”みたいな発見がありましたし、聴いてくださった皆さんからも“好きなポイントが新しく見つかりました”と言って頂いて。今回は自分が作詞作曲した曲は入ってないんですけど、そういう点ではホントにこのアルバムを作って良かったなぁと」
――なるほど。それで言うと僕がまず最初にビックリしたのは、それこそ詞曲を完全に作家に委ねてるのが、めちゃくちゃ意外やったんですよ。
「そうですよね(笑)」
――僕は山根万理奈=シンガーソングライターという認識だったんですけど、山根さん自身はむしろシンガーである意識なのかもしれないし、逆にシンガーソングライターだったら、自分の曲が1曲も入ってないことに対して思うところや意図があると思うんですけど、実際のところはどうなんですか?
「私は自分を“シンガー”だと思っていて。やっぱりシンガーソングライターと認識される方も多いと思いますし、私自身ソングライティングや弾き語りもしますけど、私は歌に重きを、優先順位を一番に置いてるんだって、最初のアルバムの時点で伝えられたらいいなとすごく思っていたので。尚且つ、ホントに1曲1曲との出逢いがあってこのアルバムを作ることが出来たので、ヘンな不満もなくすごくストレートに仕上がっていった感じはしますね」
――やっぱり歌い手としての意識が自分の核にあるっていうことですよね。昨年出したカバーアルバム『ざっくばらん』にはみんなが知ってる曲が入ってるし、それだけ浸透した曲だということはそれだけ楽曲のクオリティも高い。そういうことで言えば、『空な色』はそれに負けない魅力を持った一枚だったんで。
「デビューのきっかけになったYouTubeでもカバーが中心でしたし、デビュー前から応援してくださってる皆さんの希望に応えたいと思って、先に『ざっくばらん』をリリースしたんです。だけどやっぱりカバーはカバーで、リスペクトしてるからこその発信なんですけど、原曲のアーティストさんありきで。自分が歌でやっていきたいと思ったのはカバーを歌い続けるためじゃなくて、やっぱり自分の歌を歌いたいと思ったからなので。だから『空な色』が出せたときは、すごく嬉しかったですね。『空な色』はライティングが自分じゃなくても、やっぱり私のオリジナルだから。いかに自分が看板としてこの曲を歌えるのか、引き出せるのかっていうのはすごく考えましたね」
“歌う”と言うよりはむしろ“語り掛ける”
――今作のメインのコンポーザーと言えるHanasal(ハナサル※元CHABAの鹿嶋静、比嘉大祐により’08年に結成されたサウンドワークチーム)との接点はあったんですか?
「出逢いは、事務所の方が昔仕事のお付き合いがあったところから繋がって。丁度Hanasalも始動し始めた頃で、“曲はあるけど誰かいい歌い手さんいないかな?”と話していたそうで、実際に会ってみたらお互いにバシッと来て。私と出逢ってから書いてくれた曲もあるので、そういった意味では限りなく等身大に近いとは思います」
――2人の第一印象はどうでした?
「やっぱりプロとして音楽やられてる方に会うのは初めてだったので、先入観かも知れないんですけど、ホントに何を話していてもすごいなって思ってしまう(笑)。1つ1つの話が私にとっては勉強になったし、いい人たちに出逢えて良かったなぁ~って」
――Hanasalの書く曲の魅力は何だと思います?
「鹿嶋さんが自分の核だと言ってるんですけど、生と死を感じるような詞を結構書かれるんです。私自身も、その生と死の観念って普段から感じてたことなので、通じるモノがあるとはお互いに思っていて」
――自分を曲に合わせていくというよりは、元々のフィーリングが合うんでしょうね。でも面白いですよね、あの2人。鹿嶋さんとかホント面白い。お酒飲んだら(笑)。
「アハハハハ!(笑) 普段から面白い人ですけど、“万理奈とは合うから楽しい”って言ってくれたりして、何かもうプライベートな部分でも分かり合えるというか」
――これはカバーもでも一緒だと思うんですけど、Hanasalが書いてくれた曲を自分のモノにしていかなきゃいけない訳じゃないですか。そのときに自分が心掛けていることはあります?
「耳に残る曲とか名曲と言われてる曲って、歌詞もそうなんですけどやっぱりメロディがいい。だからこそ歌詞が流れてしまわないように、言葉1つ1つをすごく大切にしたいと思ってます。“歌う”と言うよりはむしろ“語り掛ける”ようなところは、すごく意識しているところですね。あとはやっぱり、嘘をつきたくないなって。演じると言えば演じるんだけれど、自分がリアルに体験したことと照らし合わせて、私から曲に歩み寄っていくことはすごくしますね」
私自身は歌が歌えれば、それで幸せだから
――これは山根さんのルーツにも繋がっていくと思うんですけど、自分にはやっぱり歌しかないと気付いたのには何かきっかけがあるんですか?
「ホントに小さい頃からとにかく歌うことが好きだった、ただそれだけかなとは思うんです。曲も誰かに聴いてもらいたいというよりは、自分が歌いたいから曲も書いていた感じでしたし。なので『空な色』の制作は、ホントに楽しかったですね。知らない曲に出逢えるのは楽しいし、それを歌えるのも楽しい。そもそも音楽一家とかでは全然ないんですけど、父はフォーク世代で、アコギを弾きながら家で歌ってたり、叔母はエレクトーンの先生だったりで音楽に触れる機会は確かにあったけど、楽器じゃなくて“歌”だったんですよね。歌うと周りが喜んでくれてた記憶はあるんで、もしかしたらそれで楽しくなっていったのもあるかも」
――そして、小学生でSPEEDに憧れ、ゆずを見てギターを手に取り、みたいな。
「小学校の頃はSPEEDが好きで、学校帰りに歌ってたら友達が“うまいね。歌手になったら?”って言ってくれて。それから“歌手”という職業を意識し始めたんですけど。でも、もっと前からずーっと歌うことは好きだったので、そのきっかけとなると、ホントに何だったのかなぁ」
――言ってしまえば、ただ家で歌いまくってる子ぐらいな話やもんね(笑)。
「そうですそうです(笑)。そうだったからこそ、親はずっと反対してましたし。特別な才能がある訳じゃなくただ好きで歌ってる子供なので。小学校の頃は、それこそ新聞の端とかによくオーディションが載ってるんで、親にバレない程度に応募したり(笑)。中学生になってゆずとかを見て、歌うにしても楽器も弾かないとカッコ付かないと思ってギターを始め、高校に入ったら同級生の女の子と路上ライブしようって…」
――だんだんと歌手になるための術を覚え始めてるわけですね。
「そこで、人前で歌うんだから“人のために歌わないとダメだな”って思ったんです。そのときに、“人のために私の歌で何が出来るんだろう? 私の歌で喜ぶ人がいるのか?”っていろいろ考え出して…元々自信はなかったんですけど、どんどん小ちゃくなっちゃって、一番身近な親にも反対されてるし、歌手になるのを諦めちゃったんです。でも大学に入って、そこからは逆に“趣味”なんで。もう開き直って好きに歌って、その流れでYouTubeも始めて」
――そそもそもYouTubeに曲を上げるようになったきっかけって何なんですか?
「相変わらず家でギターを弾いて歌ってたんですけど、誰かに聴いてもらいたくなっても、1人で路上に出る勇気はない。でも、細々とネットに曲を上げる程度なら顔も出ないし、名前も分からないから誰にも迷惑はかからない。私自身も楽だし1回やってみようって、最初はホントにそんなノリで、ただ人が聴くかも知れない場所に私の歌があるだけですごく幸せで。そしたら、たまたまたどり着いた方がコメントを書いてくださったり、だんだん広がっていって…自分じゃよく分からなかったですね。同じようなことをしてる方はたくさんいるのに何でだろう? 不思議だなぁ、ありがたいなぁって。そしたら今の事務所の方と出逢って、“好きだから歌う。それでいいんじゃない?”って初めて認めてもらえた。好きでやってることを認めてくれる人がいて、応援してくれてる人がいる。人生一度きりって考えたら、ワガママかも知れないけど、やっぱり歌をやりたい。最終的に親に話したときも、お父さんには“小娘のカラオケとしか思えない”ってズバッと言われましたけど(笑)」
――まぁ親御さんからしたら、普通に結婚してただ幸せになって欲しいのにっていう、単純な願いもあるから(笑)。
「アハハハハ!(笑) とは言え、やり始めた以上は期待に応えたいし、自作の曲が聴きたい方がいたらもっと曲も書いていこうと思うし、またカバーが聴きたいと言われたらカバーも続けていきたい。歌にまつわることで自分が出来る努力は前向きにいろいろやっていきたい、欲張りたいなって。私自身は歌が歌えれば、それで幸せだから」
――それで言うとあれですね、ある種“歌を好きでいられる才能”ですよね。そこまで自分がやりたいモノが見付かってるのっていいですよね。
「ありがとうございます! 自分では分かってるんですけど、なかなかそれを人に伝えるのが下手で苦戦中なんですけど(笑)。やっぱり長くやっていこうと思ってるので、その過程でだんだんと浸透していったら嬉しいなって」
――みんながYouTubeを見ていても山根さんからはその人達が見えなかった中で、メジャーデビューして活動していくと、ライブやインストアでその人達が明確に見えて来る。それで自分の中で変わったことはありますか?
「YouTubeだけやってる頃は、何を言われてもありがたいけど信じられなかった部分もやっぱりあって。実際そうやってCDを聴いてくれて、ライブに来てくれて直接会うと、“ホントにそう思ってくれてたんだ”って改めて感じるし、その言葉で自分も元気になれる。あのとき、歌をもう1回やると決めて良かった。これからもまた頑張れるなって」
自分にしか歌えない歌がある
――今回の制作前に、どんなアルバムにしたいという設計図はあったんですか?
「『空な色』というタイトルはすぐに決めました。そもそも最初にHanasalと出逢ったとき、『空な色』(M-4)を歌いたいっていうところから、歌手になる決心が固まったので。今回のアルバムを作ることになって、この曲は絶対に入れたいし、この曲から始まったという意味でもタイトルにしたいと思っていました」
――『空な色』を初めて聴いたとき、どう思ったんですか?
「一番最初は、比嘉さん特有の沖縄感が曲に入ってて面白いなって。歌詞も私と出逢って、私のいろんな悩みを聞いて頂いての歌詞だったので、ホントに自分のことが書いてあってギョッとして(笑)。その頃はまだ歌手になるのか悩んでいたときだったんですけど、その歌詞に“周りには見透かされてる私の気持ち”が見えて(笑)、それで逆に肩の荷が降りたというか。みんな分かってくれてるし、私もやっぱり歌いたいんだって教えてもらった気がして。すごく背中押してもらった曲ですね」
――ホントに人生において忘れられない曲ですね。
「はい。歌詞を見ていても、その始まりだけじゃなくて、ずっと続いていく物語だとすごく思うので」
――あと、高校からの音楽仲間に曲を依頼して、それがホントにメジャーの作品に入るのも珍しいですよね。
「それもホント偶然で。私が歌を再開し出す頃、友人の藤原隆之くんから作家を目指してるという連絡を貰って、じゃあ一緒に頑張ろうっていうことで『蒼き日々』(M-7)を歌ってみたんですよ。だから最初はアルバムに入れるかどうかなんて分からなくて。YouTubeに上げたら結構反響もあって、リスナーの方の声もあって実現した感じですね」
――でも不思議ですよね。それこそ昔、島根の同じ様な環境で音楽をやっていた友人と巡り巡ってまた会って、その曲がみんなが聴くモノになるなんて。
「ネットはネットの良さがあるんですけど、やっぱり1人で部屋で配信していても、繋がっているようで繋がれてるのかは分からない。けど、そこを飛び出すと自分の歌でコネクションが出来る。自分の歌が中心にあって、そこからまた広がっていけたらいいなとはすごく思いますね」
――このアルバムが出来上がったとき、どう思いました?
「まだ大学生の頃に作っていたので島根と東京の行き来はあったんですけど、そういう制約がある中でもきちんと1曲1曲作れたし、いろんな先輩ミュージシャンの方と出逢えたこと、素敵な曲に出逢えたことがホントに嬉しくて」
――それこそ今は上京して、音楽を生業に勝負する場所に出て来たわけですけど、今何か感じることはありますか?
「自分に足りないモノが多過ぎて、やっぱりそこは気にしてしまうし、だけど自分にしか歌えない歌があると思うので。ヘンに焦らず、確実に土台を作って歩んで行けたらと思います。きっとまだ始まったばかりだと思うから」
そのときそのときの気持ちで変わっていくのが生きた歌だと思う
――『空な色』に伴うツアーも残すはファイナルの6月24日(日)心斎橋JANUSで。僕がすごく素直で印象的だと思ったのは、ブログに「多くの会場でワンマンができなくなり、多くの方に残念な思いをさせてしまいました。悔しかったよ」って書いていて。
「そうですね。自分が今そういうところにいるのを感じると、やっぱり悔しいなぁっていうのはありましたけど、皆さんが楽しんでくれれば私はそれで幸せなんです。人間好きなモノはたくさんあった方がいいと思っていて、その中の1つに私の歌があれば本当に嬉しい。そういう風に思ってもらえるように、とにかく歌っていきたいですね」
「ホントに今はそういう感じなんですよね。良くも悪くもかも知れないですけど、ライブ1本1本、1つの曲をとっても全然違うモノになるんですね。ホント精一杯しか歌えないんですけど(笑)、やっぱりそのときそのときの気持ちで変わっていくのが生きた歌だと思うし。今はそうやって頑張っていきたいですね」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2012年6月20日更新)
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