千綿偉功の感動のシングル『アイノウタ』秘話ロングインタビュー!
胸を揺さぶる生歌の迫力を、7月25日(土)京都文化博物館で
あなたは千綿偉功(ちわたひでのり)というシンガーソングライターをご存知だろうか? ‘94年にメジャーデビューし、ユニットからソロへ、自主レーベルの設立、そして解体…。ソロシンガーとしては異例の活動休止期間を経て、文字通り裸一貫、楽曲制作やライブはもちろん、レコーディング、ツアースケジュールの組み立てからプロモーションまでをたった1人で行う、DIY(=Do It Yourself)の精神で活動するこの男。今、「ここまで出会いに貪欲なことはなかった」と語る彼は、培ってきたキャリアと人間関係、そして何より観る者の胸を揺さぶる圧倒的なライブで、多くの出会いを巻き込み始めている。テクノロジーの進歩が表現する人間を増加させる時代だが、それを届けられる人間というのは、実はごく稀だ。“伝える男”千綿偉功が、新曲『アイノウタ』に込めた想い、その独自の活動スタイルに至るまでの感動のストーリーを届けるロングインタビュー。
――1年4ヵ月ぶりのシングル『アイノウタ』が6/5にリリースされましたが、今回のプロモーションのブッキングは、主に千綿さん自身がハンドリングしていると聞きました。
「やっぱり作った人が直接届けるほうが、冷めないまま届けられるじゃないですか? もちろんプロモーターさん(宣伝マン)がいてくれるような環境でやれるアーティストさんは恵まれてると思いますよ。僕もそういうメジャーの経験もしましたし。でも直接会って、直接伝えて、直接反応を感じて。今はそれが基本だなと。人任せにせず、自分でスケジュール管理もし、自分の責任のもとに遅れたら「すいません!」と言うと(笑)」
――千綿偉功の楽曲を理解する、誰より一番情熱的なプロモーターですもんね(笑)。
「確かに(笑)。今って誰だってCDが作れますよね。だからプロとアマチュアの線引きは非常に難しい。そんな中で“伝える”っていうことがどういうことなのか。ネットっていうすごく便利なツールはありますけど、そこだけじゃ伝わらないもの…それが音楽のような気がするんですよね」
――千綿さんの音楽が特にそうですよね。その温度みたいなもの、生で観たときのあの生命力…プロモーションやライブで全国を回ってみて、手応えや反応ってありますか?
「ありますね、日々。それが本当に支えになってます。ラジオで歌った次の日にインストアライブをやったら、「昨日初めて聴いたんですけど」っていう人が来てくれたり。今までスタッフが動いてくれていたことは、それはそれですごくありがたかったんですけど、今みたいなリアリティは実はなかったんですよね」
――キャリアを重ねて今改めて、音を作ってそれを届けるっていう作業を噛み締められるのはいいことですよね。
「初めてなんですよね、こんな感覚。やっぱり常にスタッフがいてくれるような環境があったわけで。コンテストに優勝して、メジャーデビューして、21からこの世界にいて…なので、時の流れに逆らうように、だんだんミニマムに(笑)。ひとりで活動し初めて丸2年…大事なことをすごく学ばせてもらってる感じですね。これを知らずして、長くは歌えなかっただろうなって。これがあるから、また先に繋がるような気がして」
――その充実感の中、最新シングル『アイノウタ』を手に全国をまわっている訳ですけど、リリースは1年4カ月ぶりで。今は「次のリリースがいつだからいつまでに曲を書いてください」とかって誰かに言われるわけではないじゃないですか? なら逆に次の音源を出そうと思うのは、どんなタイミングなんですか?
「そう、誰も判断してくれないんです(笑)。過去2作を作ってみて分かったんですけど、音源をリリースするのってものすごい労力がかかるんです。全然慣れないし、すごく億劫にはなるんですけど(笑)、やっぱり届けに行く作業を、ワンマンのツアーをやりたかったんですよね。去年は東京と京都しかやれなかったので、今年は絶対に他の街にも行きたかった。1年間「来てください!」という声も届き続けて、「絶対行くから待ってて」と言った約束も果たしたかったし。そのためには、やっぱり新曲を引っ提げてっていくのが一番美しいと思ったんです」
――全国を回りたいという衝動がまずあったんですね。でもイベントでは回ってますよね?
「イベントは呼ばれる感じじゃないですか? 気は楽っちゃ楽なんですけど。でも、自分から届けに行くっていう姿勢を見せたかったんです。それにはワンマンが分かりやすいじゃないですか?」
――そう考えたら千綿さんの音楽活動のスタイルは明確ですね。表明するというか、行為で見せる。言うだけじゃなくて、プロモーションをきっちり自分で回る、ワンマンをホントに実現させることで伝える、というか。
「やっとそういう活動がすべてリンクし始めたというのはありますね。言ってること、やってることの」
――そのすべてが腑に落ちる感じというかね。
「すごく健全ですよ。何かをやるときに、いちいち誰かに確認しなくてもいいですから(笑)」
――自分がやるか、やらないか。
「明確ですよね。でも、今回はツアーの会場を抑えながらレコーディングもしなきゃならなくて。どちらが先かと言うと、7月にツアーをやることを先に決めちゃったんです(笑)。なのにカップリングの2曲がなかなか決まらずレコーディングがズレ込み、6/5発売すら危なかった(焦)。下手したらツアー中に発売、みたいな(笑)。ヤバかったですね…ホントは5月に出したかったんですけどね(笑)」
――(笑)。長い間ライブであたため続けた曲ということでしたけど、いつ生まれた曲なんですか?
「2年は経ってると思います。僕が活動休止していた、一人旅をしていたその9ヵ月間の中ですね。’07年春に活動再開した地元・佐賀のワンマンでは、もうやってましたから。そのときからこの曲はいつかリリースしたいなと思ってました」
――ここで聞いておきたいんですが…そもそも一旦活動を休止しようと思ったのはなぜだったんですか?
「何かね…スカスカだったんですよ、心の中が。湧き上がるものがなかったんです。今は自分の中ですべてがブレずにいますけど、そのときはステージ上の自分と話してる自分ととかが…すごくバラバラだったんですよ。僕は何なんだと、ホントに思ったことが言えてるのかと。ぐちゃぐちゃで整理がつかなくて、自分を騙し切れなくなったというか。千綿偉功像みたいなものが自分の中にあって、そこまで完璧に演じ切れてなかったんでしょうね。だから気付いたときにはいろんなところにブレがあった。こんなんじゃ絶対ダメだって、歌うことも楽しくなくなってたし…苦しかったですね」
――これはもうクールダウンする時間が必要だと。僕は…活動休止するという決断自体すごいことだと思ったんですよ。ヘンな話、例えばバンドだとボーカルだけはソロで動いて他の3人が休んでる、とかでもバンドが動いてる感じが出るじゃないですか。だからお客さんもそれを新鮮に楽しめるところがある。でも千綿さんの場合って、ソロなので止まったら何もかも止まるじゃないですか。その間、お客さんに対して何も提供できないというか。ライブを見せることも出来ないし、CDを出すことも出来ない。千綿さんを求めている人たちを待たせることになる。その決断をソロで活動している人が取ったのが大きいなと思ったんです。
「そうですね…当時周りからもいっぱい言われましたから。「今まで育ててきた関係とか、全部なくなっちゃうかもしれない、戻ってきてもないかもしれないんだよ」って。でも僕は、自分が自分でなくなることのほうが耐えられなくて。わがままっちゃわがままなんです。そんなことでもがいているアーティストなんて腐るほどいると思うんで。それでも乗り越えて売れてやろうって思ってがむしゃらに頑張ってる人に比べると、中途半端で決してカッコイイことではないかもしれない。でも、僕はこのままだと歌うことすら嫌いになってしまいそうな気がして…。例えば今まで、土下座して謝ったりとか、鼻水たらしてお願いするということをやったことがあるのかと。そういうことを経験した人の「ありがとう」という言葉と、ずっと温室の中にいて「俺けっこう頑張ってるな~」と思って育てられた奴の「ありがとう」は、絶対に重みが違うんです。僕は前者の経験をしてないというのもすごくコンプレックスとしてあって。でも、深みのある人間になりたいと思っていつの間にか千綿偉功像を演じてたんでしょうね。そこに嘘はないんですけど、がむしゃらにライブを重ねて重ねて数年間やってきた結果、いつの間にか心がスカスカになってた。だから歌を歌うとか続けていく、やめるっていう以前に、人間の生き方として見つめ直さなきゃいけない時期だったんでしょうね」
――そうか…でも、決断しましたね。それは。
「それがあったから、ホントにいろんな人に恩返ししなきゃって思えるようになりましたね」
――改めて自分を形成するときに生まれてきたのが、今回の『アイノウタ』だったんですね。
「だからこれは、売れるために曲を作るとか、そんな次元のものじゃなくて。狙って作ったわけでもないし、ホントに“生まれてきた”んです。考えてないんです。作ってないんです」
――ホントに歌い手に戻って、湧き出てきたと。この曲を作ったときのこと、覚えてます?
「もうね、Aメロからホントにこのまんまの歌詞で、ほとんど変えてないんですよ」
――歌詞もいっしょに出てきたんですか? 詞曲っていつも同時に出来るんですか?
「半々ぐらいですね。でも詞曲同時に生まれてきた曲のほうが、絶対的にパワーはありますね。今回CD化するにあたって、もうちょっと分かりやすく、世界観を狭めたほうがいいかなとも思ったんです。どうとでも捉えられる内容でもあったんで。でもそうすると、どうしても曲の目線が変わってしまって、生まれたときの衝動とはまったく違う曲になってしまうと思って、あえてそのままにしましたね」
――『アイノウタ』の歌詞はなぜ生まれたと思います?
「死、命、生きるとか、その9ヵ月間の活動休止の間に、日々見つめ直したんですね。どうやって生きて行けばいんだろこの先とか(笑)、人間の幸せって何なんだろうとか。僕ってあんまり物欲がないんですよ。人様の前に立つので多少小奇麗にしとこうかなってぐらいで、精神的な豊かさを求めるタイプで。だから今の物質世界みたいなものへの反抗心もあったし、なくなっていくホントの豊かさについて考えることもあるし。いろんな想いがこの曲には入ってると思います。普通の生活の中にも生きることに直面する瞬間ってあると思うんです。それで切なくなったり、哀しくなったり。すごい楽しいことがあっても、その後には寂しさが残ったり。生まれてきたらいずれ死に、出会ったらいつか別れるときがくる。そういうことを考えるとすごく切なくなる。でも切なくなるのって、きっと皆さんの心の中に痛みにも似たような愛があるから、それを感じられると思うんです」
――初めてライブでやったときはどうでした?
「やっぱ僕の中では特別な曲でしたね。軽々しく“作品”とか“楽曲”って言えないような…「ちょっと僕の曲聴いてください」とか、そんなものじゃなくて、ホントに魂そのもの。届いてくれ~!って」
――ホントに入魂の1曲ですよね。この曲がリード曲としてあって、カップリングを何にしようってところで時間がかかったと先ほど言ってましたね。
「『アイノウタ』を入れること以外、何も決まってなくて。でもレコーディング日程だけ先に決めて、さぁどうしようと(笑)。2曲目の『ありがとう~知覧よりの手紙~』は、2月に鹿児島にライブで呼ばれて、その機会にずっと行ってみたかった特攻平和会館というところに行ってみて。そこで特攻隊員の遺書を読んで…別にそのときはこのことを歌にしようとかは全然思ってなかったんです。でも、東京に戻っても、とにかく心がザワザワするんです。どちらかと言うと自分を見つめる作業が多かったので、こういう外的要因から曲が誘発されることはなかなかないので、このざわめきをこのまま消しちゃダメだと思って。曲を作る人間として、このもやもやした気持ちを残さなきゃ失礼だろうって」
――それは意外ですね。行ってみて何か感じるものがやっぱりあったんですね。
「ありましたね…言葉には出来ないんですけど。俺はこんなに命を懸けてやってきたことがあるかと。文面を読んでて、その言葉の裏にも言葉にならない思いがあって。それを読み取ろうと思えば思うほど苦しくなったというか。『アイノウタ』にも通じるんですけど、どうしようもない、誰にぶつけていいのかも分からない想いを抱えて生きていたと思うんですよ。何が正解なんだと。でもそれは愛する人のためと自分を奮い立たせてね。すさまじいですよね」
――時代に翻弄されながらも向かっていった、このもやもやした…ある種の潔さというか。
歌詞を読んでで鳥肌が立つというか…場が持ってる想いのパワーと作詞家・千綿偉功の切れ味がズバッとハマッた感じはしますね。それでも最後に“ありがとう”と言えるのってすごいと思うんですね。悔しいだろうし、死にたくないだろうし、でも時代がそうなってて。それがおかしいと分かってても、それを自分で変えられるわけでもなく…。
「ホントにタイミングってあるなとも思いました。これが二十歳の頃に行ってても、感じるものはもっと薄かったかもしれない。歌入れするときも自分を抑えるのが精一杯で。間奏の口笛のところとかで(涙腺が)キちゃって(笑)。音程取れないし鼻水すすれないし大変でした(笑)」
――で、3曲目が『door』と。
「あとレコーディングまで1週間しかねぇぞ~って(笑)。最初はコードストローク系のやわらかい曲だったんですけど、バンドで「せーの!」っていう曲も今まで案外なかったなと思って、やってみたという。結構好きなんですよね~」
――頭2曲が重みのある曲なので、この軽やかさは爽快ですね。
「あんまり熱くならない、30代の男がバンドでロックしてる感じというか」
――今回のレコーディングの作業自体はスムーズにいったんですか?
「実は諸事情から日程が2日しか取れなくて。2日で3曲、ミックスからマスタリングから最後まで」
――2日!? それはすごい緊張感ですね。
「ここでこぼしたら発売日に間に合わないんですから(笑)」
――それはプロのお仕事です(笑)。
「出来るもんだなぁと。でもこれを当たり前にしちゃいけないなと(笑)。ミュージシャンの方々に甘えるのも程があると(笑)。レコーディングからリリースまでの2ヵ月間が、ホントにあっという間でしたね。ジャケットも頼んでプレスも倉庫に入れて…」
――ホントに千綿偉功工場から1枚1枚的な(笑)。
「(笑)。僕はなぜこの『アイノウタ』を出したかったかというと、これって僕の想いとか、思想とか、哲学の一番の根底のところなんです。これを出さないと、ある種ライトな歌が歌えなかったんです。大事なことも言ってないのに、チャラけたことを歌えるかと。これで「嘘偽りございません、どこを切っても千綿です」っていうものを出して初めて、自由に曲で遊べるようになるかなと」
――自分の核をアピールできた手応えがあるからこそ、遊べるというか。
「今まで着たことのない服を、やっと着てみられるかなと。今は表現することの面白さを感じてますね。ある意味やっと楽に歌えるかなと。今までは歌を楽に歌っちゃいけない!と思ってましたから。ポロッと日常の歌を歌って「何かわからないんだけど沁みるんだよね~この曲」とか、絶対そんなの認めねぇって(笑)。溢れんばかりの想いを込めて伝えるんだ!って思ってたんですけど、1人で活動してみて、いや、そこまで熱くならなくてもいいんじゃないか?って(笑)自然と思えてきて。その日の気分でちょっと聴いてよっていうのもアリだと、やっと言えるようになったんです。でも、そこに行くためにはこれを出さずには行けないので」
――ホントに千綿さんの…これがもう第何章目かは分からないですけど(笑)。いい区切りですね。
「ホントにねぇ~(笑)。ホントに人間ってこんなに何回もスタートできるんだなって(笑)」
――それでやっと、そもそもの目的だったワンマンが。関西は7月25日(土)に京都文化博物館 別館ホールで。いよいよですね。この会場は去年やった感触がかなりよかったとのことでしたが。
「もう空気が出来上がってるんですよね。明らかに下界と違う感じが(笑)。だからお客さんも構えずに聴けると思います。そこにいるだけでホワッとなる。僕もすごく自然体で、何も飾らずに歌えるんです。エコーがいいとかそういう表面的なことだけじゃなくて、すごく歌ってて気持ちよかった。なので、どうしてももう1回ここでやりたかったんですよ。京都は僕とギターと鍵盤とでやります」
――最後にメッセージがあれば。
「この1~2年特に思うんですけど、やっぱり自分の音楽を聴いて「力をもらいました」とか「優しくなれました」とか、「また明日から頑張れそうです」なんて言ってもらえる一言が、どんなにありがたいかと。もちろんCDを1枚でも多く売りたいし、大きいところでライブもしたい。それはやり続けるうえで当たり前のことなんですけど、そんなことよりも大事なことが、目の前の人に届ける、ということで。よく歌は1対1って言いますけど、こうやって旅してると、まさに1つ1つの出会いでしか成り立ってないんです。だからライブでも、そういう向き合い方が出来ればなと。もっと1人1人の心にちゃんと届くように活動をしたいですし、ライブもしたい。答えはないんですけど、絶対に何かを感じてもらえると思うんで」
――千綿さんの歌はホントに生の迫力がスゴい。ライブって、その場に至るまでの10年20年っていうストーリーも出ますもんね。
「ホントに。よくデビュー何十周年とか言いますけど、今生きてるリアリティを感じられてることが一番大事なことなんです。生きた、今の歌を届けられたらいいなと思いますね」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2009年7月21日更新)
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