ホーム > インタビュー&レポート > 日本を代表するピアニストの一人、清水和音が 10年ぶりに大阪でソロ・リサイタルを開催
――今回はメインとして、ベートーヴェンとムソルグスキーの大曲2つがセレクトされていますね。過去のインタビューなどを拝読すると、ベートーヴェンとの関係は一筋縄ではいかなかったそうですが......。
そうですね。というのも子どものころはベートーヴェンを良いと思えなくて。ときに攻撃的に思えたり、ゆっくりな楽章は退屈だったり。特にピアノソナタの後期作品(第30番〜第32番)なんて、何一つおもしろくなかったですね。でも、年齢を重ねたことで理解できるようになったというか、友達になれたというか。ベートーヴェンって、70回くらい引っ越していたらしいんですよ。要するに、周囲や近所の人たちがみんなベートーヴェンを厄介に思っていたわけですよね。じゃないと、誰も好きでそんなにたくさん引っ越さないでしょう(笑)。それくらい、変なやつだったと思うんです。おそらく、多くの人が芸術家と聞いて想像するのにピッタリの人なんじゃないでしょうか。
――現在はベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集をリリースされるくらいには距離が近くなったわけですが、やはりどこか彼を理解したいという気持ちがあったのでしょうか。
いやいや、そんな大層なことはないですよ。ピアニストはやっぱり、全集を出すくらいやらないとかっこ悪いな、という単純な思いがあっただけです。昔は彼の魅力がわかりませんでしたが、今ならばベートーヴェンのほかの作曲家にはない無骨さや飾らなさに魅力を感じるようになってきました。
――どのタイミングで理解できたのでしょうか。
ベートーヴェンに取り組み、譜面と向き合う中で徐々に理解できるようになった、というところでしょうか。他のピアニストの演奏を聴いてもピンと来なかったのですが、自分で譜面を読むことで、だんだん近づけるようになった。ベートーヴェンの何がすごいって、譜面にすべてが書かれていることです。楽譜に書かれていることを弾くだけで、きちんと形になる。だから、主観的に「ベートーヴェンが何を考えていたのか」なんて考えれば考えるほど、間違いやすいんですよね。個人的な思いを必要以上に乗せずに、ただ譜面に書かれている任務を遂行しないと、と思いながらいつも弾いています。
――清水さんが若いころにベートーヴェンに親しめなかった理由も、そこにあるような気がします。
それはそうでしょうね。若い人特有の有り余るエネルギーは空回りしやすいので、任務を遂行するといってもつまらないんでしょうね。学生を指導するときも、なまじレベルがあればあるほど、ベートーヴェンを演奏するのって難しい印象があります。特に初期の作品は、一定の洒落っ気がないとなんとなくぶっきらぼうになってしまうのですが、後期の作品ではむしろそれが邪魔になってしまいますし。作品そのものが魅力的だから、きちんと音を並べることができたら、自然といい演奏になるはずなんです。
――邪念を排除して演奏することが大切なのでしょうか。
といいつつ、僕だって邪念しかない人間ですよ。ベートーヴェンもそうだった気がしますね。音楽を書く能力がずば抜けてすごかっただけで、実際に近くにいたら嫌なやつだと思います(笑)。
――後半にはムソルグスキーの『展覧会の絵』を演奏されますね。この作品をセレクトした理由を教えてください。
まず、前半はベートーヴェンの大曲で終えるので、聴き終えたみなさんははきっと「この作品はすごいな」と感じると思うんですね。その後にふさわしい音楽って、同じドイツ系のシューマンやブラームスだとどうしてもスケールが違う気がして。だから、ムソルグスキーの『展覧会の絵』くらい、化粧がされていないような無骨でオブジェそのもののような作品を演奏した方が、プログラムとして成立するのではないかと考えました。
――今回演奏される『展覧会の絵』はラヴェルが編曲したオーケストラ版が有名ですね。
そっちのイメージのほうが強いという方が多いのではないでしょうか。そもそも、オリジナル版をリムスキー=コルサコフが改訂を行い、それをもとにラヴェルが編曲しているので、もはや別物だと思います。
――確かに、オーケストラ版とピアノ・ソロ版、印象がまったく異なる気がします。
確かにラヴェルはオーケストレーションがうまいので、それぞれの楽器を魅力的に聴かせることに長けているし、聴いているほうもモチーフになったハルトマンの絵を思い浮かべやすいと思います。でも、その豪華絢爛さが前面に出すぎている気もするんですよね。16年ほど前に、ピアノ・ソロ版とオーケストラ版を同じ日に演奏する、という公演に出演したことがあります。すると、「ピアノ・ソロ版の方が好きです」という人がとても多かったんですよ。
――そうなんですね!
そもそも、オーケストラや歌曲の作品を得意とするムソルグスキーが、あえて得意ではなさそうなピアノで書いたのには、きっと理由があるはず。ハルトマンの絵の雰囲気や、思い浮かんだ旋律に対して、「これはピアノが最適だ」と判断したんだと思うんですよね。有名なオーケストラ版と違って、オリジナルのピアノ・ソロ版はとても素朴です。ハルトマンの絵も素朴ですよ。
――『展覧会の絵』は清水さんが長年取り組まれてきた作品だと思います。改めて、この作品の魅力を教えてください。
ロシア人の作曲家って、いろんな意味で職人的にうまい人が多いんですよ。でも、ムソルグスキーは1番不器用。なんでもこなすタイプではなく、「心の作曲家」。思いついた素材を加工せずに音楽にして、それがうまいかどうかを気にするタイプではない。最高級アマチュアだと思います。といいつつ、彼はアマチュアではないんだけどね(笑)。だから、下手なアクセサリーをつけることなく、筋肉を見せるようなイメージで演奏していけたらと思います。
――そして、それら2曲を先駆けて演奏するのが、レスピーギの『リュートのための古風な舞曲とアリア』です。
元々はオーケストラの作品なのですが、ピアノで演奏されるのはとても珍しく、ベートーヴェンとムソルグスキーとは違ったイタリアンバロックを楽しんでいただけるのではないかと思い、選曲しました。だから今回は、ショパンやリスト、ラヴェルのように、弾いているだけで自然とピアニズムを見せびらかすような作品ではなくて、音楽そのものの魅力を感じていただけるような作品たちで構成しました。
――今回のリサイタルもそうですが、清水さんは一つの公演につきいくつも大曲を演奏するような活動をたくさん展開されていますね。ラフマニノフのコンツェルト作品を5曲披露したり、3つのピアノ協奏曲を1日で演奏したり......。
僕ももう63歳になったので、そういうイメージから脱却して、モーツァルトやハイドンばかり弾けたらどんなに楽だろうと思います。
――(笑)。
でも、ピアノって上半身を動かすだけだから、そんなに体力はいらないんですよ。さすがに1日でラフマニノフのコンツェルト5曲を演奏したときは疲れました。でも、体力は残っていた。多分、みなさんが思っているほど体力を使っていないんだと思いますよ。
――いえいえ、そんなことはないと思いますが......。
でも、演奏しているときって、力を入れるより抜く方が絶対にいい演奏ができるから。エネルギーはもちろん必要ですが、多くの人が思うようなエネルギーとは少し違うんだと思います。でも、まだまだベートーヴェンをしっかり弾ける演奏家なんだ、と思っていただけるのは幸せなことですね。そのうち、今回のプログラムとは真逆の、ガッツリ舞台用の化粧をして演奏しないといけないようなリストや、ピアニズムが満載のラフマニノフの作品を組んだ公演もやるかもしれません。
――楽しみです。最後に、10年ぶりの大阪でのソロ・リサイタルを楽しみにされているみなさんにメッセージをお願いします。
大阪はいつも盛り上がり方がすごくて、日本のイタリアだと思います。演奏中はもちろん静かですが、終わった後の反応が凄まじく、こちらがうれしくなります。今回もそれに触れられるのが楽しみですね。
Text by 桒田 萌
(2024年11月 6日更新)