お客さまと一緒に人生の喜びや葛藤と向き合う旅ができたら」
最新アルバム『ナイトフォール』をリリースする
アリス=紗良・オット、フェスティバルホールでソロリサイタル
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◆アーティストを身近な存在に感じてほしい。
だから私は裸足で弾くんですーアリス
■これまでコンサートや記者会見を通して、アリスさんにピアニストとしての新しい感覚のようなものを感じていたんです。ちょっと説明が難しいんですが、普段はロックやヒップホップやジャズを聴いているんだっていうような、若いクラシックのピアニストに何人かインタビューしたことがあって、考えてみたらアリスさんあたりがその年代の始まりだったかなって思うんです。アリスさんには、自分より上の世代のピアニストとちょっと違うなっていう感覚はありますか。
アリス:私の世代のピアニストって、前の世代の方たちとちょっと違うかも知れないですね。聴く音楽にしても私はロックも聴くし、ジャズも聴くし、オフの時はクラシックは聴かない。私の周りの音楽家にもそういう人が多いです。でもその中にはクラシックの音楽の芯になる部分を変えずに形を変えていくというチャレンジをしているアーティストもたくさんいて、私もそのうちのひとりだと思います。20年くらい前までは舞台の上にいるクラシックのアーティストって、みんなディーヴァとか、マエストロだったでしょう? 手の届かない存在でお客さまとステージの上に差がありましたよね。でも、今はもうそういった時代じゃないのではないかなと私は思うんです。ライブの音楽を創り上げていくには、お客さまも大事な一部なんですよ。お客さまが入ることで音響も変わっていって、ホールにいるみんなで音楽を創っていくんです。私は、若い世代の人たちにコンサートに来てもらいたいんです。そのためにはルールとかドレスコードって必要ないと思うんですよ。
■若い人たちに、もっと音楽を身近に感じてもらいたい、と。
アリス:若い人たちに来てもらうには、ステージの上にいる私たちが100年前の服装をしていてはいけないと思うんです。初めてクラシックの音楽を聴きに来る人に「ああしちゃだめ」「こうしちゃだめ」って言ってはいけないと思うんです。そんなものに二度と行きたいとは思わないでしょ。アーティストを身近な存在だって感じてもらいたいし、自分が一番リラックスした姿勢で音楽を聴いてもらいたい。だから、私も舞台に裸足で立つんです。自分がいちばんリラックスできるから。私にはクロスオーバーの才能はないんですけど、クラシックの芯は変えないで、形を変えるべきだと思います。もちろん楽譜と向き合っていくのはすごく大事だし、それは今後も変わらないと思うんですけど、21世紀に生きているんだから、時代に合わせていかないといけないと思うんですよ。
■では、いろんな音楽があっていろんな情報がある中で、アリスさんがそれでもクラシックのピアニストを職業として選んだのはなぜ?
アリス:私の場合はバッハが初恋だったんですよ。今でもバッハの音楽を超えるものはないと思うし、クラシック音楽が好きなんです。クラシックの音楽で、同じ世代の人に感動を与えることができると信じているから。あるいは初めて聴きに行ったリサイタルがクラシックだったからかも知れない。ピアニストは両親の友達で私は当時3歳。人が2時間もステージの上だけを見つめ続ける光景に感動して、私もピアニストになりたいと母に伝えたんです。そこで反対されて、1年間頼み込んでようやく許してもらったという経緯がありました。小さい頃は、音楽はただ音楽であってクラシックとかポップスとか考えないじゃないですか。だから私は自然にクラシックへ入りました。今ではいろんな引き出しができてしまっているけれど、原点は同じ。そして最終的にポップスだろうと、ジャズだろうと、音楽っていうのは、いろんな文化、いろんな国籍、いろんな宗教の世界の人々をつなげてくれる唯一の言葉だと思います。
■裸足で弾いた方がリラックスできると思ったきっかけは何だったんですか?
アリス:ドイツで晩年のリストが演奏したという楽器があって、そこでリサイタルをさせていただいたんです。その時に10cmか12cmのヒールを履いていて、リハーサルの時にピアノの鍵盤の位置が低くて、膝を鍵盤の下に入れることができなかったんですね。で、靴を脱いで、しかたなく裸足で弾いたんですよ。そしたら、すごくリラックスしている自分に気づいてしまった。それからは家でもいつも裸足なんですよ。練習する時も食事をする時もあぐらをかいているので、いつも裸足なんです(笑)。
■おととし、お話をうかがった時にアリスさんは自分自身のアイデンティティに悩んでいた時期があって、その時には音楽が自分にとって一番の慰めだったと話していたことがとても印象に残っています。
アリス:ありました。2012、13年の頃。日本からコンサートの依頼をいただくようになってから、最初の2~3年は悩んでいました。国籍のこともありますし、日本では外国の人、ドイツでもそう見られたからです。絶対に英語で話しかけられるんですよ。それに周りからは「アリスのこういう性格がドイツ人なんだ」とか、「アリスのこういう性格が日本人だ」とか言われて、それが嫌になっていたんです。なんで自分のキャラクターに国籍をつけなきゃいけないんだって。私が音楽家になったのは、国籍という壁を越えたいから。もちろん文化の原点に触れるのは大事。だけど、今は「何人(じん)だ?」って訊かれたら、音楽家だって答えるんです。自分はドイツ人、日本人だって考えたくないんですよ。
■そんな時は、ステージの上が一番安らぐと。
アリス:ステージに上がった瞬間にそういうことが関係なくなる。もちろん日本にいたら日本のお客さまということはわかるけど、弾き始めた瞬間に国籍のことは忘れてしまう。みんなただ同じ人間。音楽が自分を救ってくれたんじゃないかと思います。悩んでいながらも舞台に立つ瞬間は、音楽が自分にアイデンティティを与えてくれた。
■音楽家として素晴らしいことだと思います。励まされる人も多いのでは。その時に聞いたお話の中でもうひとつ面白かったのが、今はYouTubeで70年代ロックをよく聴いていて、特に好きなのがレッドツェッペリンの『Stairway to Heaven』(天国への階段)とピンク・フロイドの『High Hopes』(運命の鐘)だと語っていたこと。さっきもサティの話の中でピンク・フロイドの歌詞みたいだという例えがありましたが。
アリス:ピンク・フロイドは好きです。『High Hopes』はビデオもかなり印象的なんですよ。広い草原にいくつも大きな風船が浮かんでいたり、不思議な風景が広がります。サティの世界はそういう世界だと思う。考えているとピンク・フロイドが浮かんでくるんですよ。とても謎な指示ばかりで。ピンク・フロイドが歌っているような指示ばかりです。
■「謎」がキーワードかも知れませんね。今回のプログラムでは、サティばかりではなくラヴェルもドビュッシーもとても謎めいているように思えます。ショパンも。
アリス:お客さまと一緒に人生の喜びや人間の恐怖、葛藤と向き合う旅ができたらと思っています。ぜひ怖がらずにいらしてください(笑)。
〔取材・文・本文写真:逢坂聖也/ぴあ〕
(2018年8月 8日更新)
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