ホーム > インタビュー&レポート > 戦後の日本に実在した“名もなき子どもたち”の姿を描く 映画『わたしの知らない子どもたち』西川美和監督インタビュー
──前作『すばらしき世界』の題材になった方の過去を知ったことが、この映画に繋がったとお聞きしました。戦後の子どもたちのことを調べられて、そこからどのように本作の物語を作られたのでしょうか。
調べていくことから物語が想像されていくケースでした。タイトルの通り、調べれば調べるほど自分の知らないことがわかってきて、その全てを記録していきたい気持ちに駆られました。しかし、2時間のドラマの中にはめようとすると、最初から情報を取捨選択してしまうので、そこにダイレクトにいかずに済むように小説を書き始めたんです。
──小説が先だったんですね。映画を拝見してから、小説も読ませていただきました。映画とはまた違って小説では、(琴子が共に行動することになる)将吉や小山の育ってきた環境を知ることができ、物語の理解が深まったように感じて、もう一度映画を観たいと思いました。
ありがとうございます。まずは知ったことを記録して、記録したことから自分がイメージを膨らませるために、記録できることはなるべく記録しようと思って小説を書き始めました。調べては書き、調べては書きという形で最初の5章を書いたんですが、連載していた雑誌が年に3回しか出なかったので、そのペースで小説から映画にしようと思うと、何年経っても映画に辿り着かないと思って、5回で1度休ませていただくことになりました。
──だから、6章以降は書き下ろしになっていたんですね。
その頃には材料も手元に集まっていて、物語のラインもつかめていたので、一気に脚本の方にシフトして、まずは脚本を仕上げました。映画の資金集めをお願いして、撮影して編集して、後は仕上げの状態で、もう一度小説を再開させました。映画で描きたかったけど描けなかったこともあるので、なるべく描けなかったことを優先して書こうと思って、後半の6編を仕上げました。戦争中や戦後のエピソードや証言から、私がいろんなことをイメージして、事実と事実とを糸で繋げてこの物語を作りました。
──脚本と小説は全く別の作り方で生まれたものだったんですね。
そうですね。映画は映像化できるエピソードで、小説は映像化できないエピソードという大きな違いがありますから。特に東京大空襲の、戦時中の風景として映画の中では定石的になっている非常に悲惨な風景は映画では省くことにしました。その反対に、映画では子どもは自分の思いをそんなに多くは話さず、むしろ黙ってしまう。だから、何を考えていたのかを先に小説の中でしっかり描いて、自分の中に落とし込みました。ある意味、小説の前半の5編は私のためのスケッチと言えるのかもしれません。
──映画を拝見して、戦時中の様子を描いたからこそ、戦後に繋がったように感じました。疎開中の子どもたちの暮らしや、琴子が父親と疎開について話す様子など、あの頃の子どもたちがあのような教育を受けていたからこそ、曽根先生と琴子の選択が理解できたように思います。
そう言っていただいて嬉しいです。戦争孤児という題材だけ見ると、完全に戦争の被害者ですよね。そこから書いていこうと思ったんですが、戦争中のことがわからないと戦後は書けないと思って調べたんです。子どもたちが集団疎開させられたこと自体が、とても可哀想な状況ですし、子どもたちは泣く泣く親と別れて無理矢理連れていかれたのだろうと思っていたら...。
──私もそう思っていました。
当時、子どもだった人たちが後からいろんなことを書いているんですが、その中には、親にはなるべく子どもを手放したくないという気持ちがあったのに、子どもたちが暴走して、親と一緒に親戚の家に行くような「縁故疎開」を拒んで学童集団疎開を選んだり、勝手に判子をついて親の目をくらまして提出してしまったようなエピソードも出てくるんです。そういうことから、いかに子どもたちが大人以上に思想統制されやすい存在で、走り出したら止まらないのかが見えてきました。戦後だけ見ると、子どもたちは完全な被害者ですが、戦時中は彼らも戦争にのめり込んで、小さな加担者として存在していた時期があって、それをそうさせたのは一体誰だったのかというところまで見えてくるんですよね。
──まさか、自ら進んで集団疎開していた子どもたちがいたとは知らなかったので、映画を観て本当に驚きました。
最初は子どもたちだけで物語を描いていけると思ってたんですが、彼らはひたすら今を生きていて、翻弄される存在なので、それを周りの大人たちはどう見ていたのかを描こうと思いました。そこで、子どもたちを疎開に連れて行く人物で、終戦後と戦時中で世界が変わってしまって立場をなくした曽根先生が使えるなと思ったんです。子どもたちを単純な被害者としてだけ描くと、過去の戦争映画と変わらない描き方になると思ったので、そのように観ていただけてとても良かったなと思います。

──子どもたちが主な存在ですが、曽根先生の存在はすごく大きかったと思います。今まで教えてきたこととは180度違ってしまって、自分自身のアイデンティティも失って、彼女も大人の都合に振り回された被害者であって、同時に加害者でもある。単純に、大人も大変だったというだけではない描き方になっていたので、この作品にとって彼女の存在はとても大事だったと思います。
彼女が若い女性だったというのもありますが、抗えなかった部分はあると思います。自分が20代の若い教師で、そういう状況になったとしても、「間違ってます」とは言えなかっただろうなと思います。
──映画の冒頭で、ピアノを弾いていた琴子が疎開先の子どもたちに絡まれるシーンで曽根先生が止めに入った後、琴子に注意しますが、あのシーンもよくよく考えると、先生たちにも疎開先からの批判が届いていただろうから、自分たちを守る意味もあったように感じます。
その辺りの描写は、当時のことを後から記録した一般の人の手記からヒントを得たものがほとんどです。子どもはすごく大人を見てるので。東京で親を失った子どもたちが溢れたのに、先生がそのことを伝えられなくてすごく苦しそうだった、など、という逸話も出てきます。あからさまにずるい行動をとった人もいた一方で、本心が言えずに悩んでいた人もいて、大人も揺らいでいていたことを子どもが見ていたんです。
──子どもが、そういうことを記憶していても、大人はきっと自分がとった行動なんて覚えてないですよね。
そうですね。大人の変わり身の早さは子ども以上だったと思います。それを子どもたちはリアルタイムでは言語化できてはいなくて、大人になってから振り返って、どうしてもしこりのようにその思いが残り、忘れられない人たちが言葉にしてると思います。だから、書き残さずにはいられなかった、有名無名、いろんな人たちの思いが何十年も経って、この作品の種になってくれたところもありました。
──戦後を題材にした映画には、駅や路上で寝泊まりしていた子どもたちの姿が描かれていたはずですが、ここまで子どもたちの生活の実態を描いた作品はすごく少ないと思います。
そうですね。清水宏さんの『蜂の巣の子供たち』という映画がありまして、清水さんは奇特な方で、戦争孤児をご自身が引き取って育てていたこともあるそうなんですが、実際の孤児の子どもたちを起用して映画に出してるんです。映画に出すことで、この子たちの身寄りが見つかるかもしれないと思ったそうです。そういう映画は存在しますが、数はそんなに多くないですね。

──大人の庇護下にいない子どもたちが戦後、どのように暮らしていたのかリアルに想像することは難しいと思います。戦争孤児のことを調べていく中で、いろんな出来事に遭遇されたと思います。一番、衝撃を受けた内容はどういうものだったのでしょうか。
最初に、この題材を映画にしたいと思ったのは、佐木隆三さんの「身分帳」に書かれていた、主人公の幼少期の描写がきっかけでした。主人公は靴磨きでお金を稼いでるんですが、電車の中でシートを刀で切り取って、それを靴磨きの布にしていて。その姿を見ていた、一般の女性の乗客に咎められたので刀を振って着物の袖を切りつけたという描写があるんです。それを読んだ時に衝撃を受けました。そういうエッセンスは映画の中にも入れています。
──映画の中にもそういう描写がありました。
生きるための知恵とたくましさ、したたかさと反社会性、それに加えて、いわゆる良識的な視点から咎められた時の反発の仕方が、彼らの全てだと思ったんです。それが発端ですが、それから色々調べていくと、電車のシートの羅紗布を切り取っていたのは、別の地域の孤児のエピソードの中にも出てくるんです。きっと、全国で孤児たちが同じようなことをやっていたんだとわかってきました。
──あの描写が始まりだったんですね。
もうひとつは、幼い子どもたちが性を荒らされていたことです。男の子もそうで、街娼の女性から優しくされるたり甘えさせてもらう延長で、性行為をされたり。女の子ももちろん、まだ年端も行かないうちから売春を自分の生活の糧にしていたような記述をいろんなところで目にしました。それともうひとつは、東京湾に浮かんでいる、もう今は埋め立てられている場所ですが、お台場のひとつの島に孤児たちが隔離されていたことです。
──あの施設の存在は全く知らなかったので、本当に驚きました。
孤児の施設というよりも完全に島流しですよね。陸続きの施設に入れても彼らは逃げ出してまた街に戻ってしまうので、警察も扱いに困ったそうです。東京在住の人たちも知ってる話ではないですし、語り継がれていることでもないんです。こんなにひどいことがあったのに、なかったことのように忘れられていくのも大きな驚きだったので、それも映画に入れました。
──あんな施設に子どもたちが送られていたことが一番ショックだったかもしれないです。
終戦直後は空襲の被害などで、各地にあまりに多くの子どもたちが街に放り出されて、窃盗や闇取引に関わった子に関しても、適切な司法処理にかけられる状況ではありませんでした。街に溢れた浮浪児をまず一斉に捕まえて、児童相談所に入れて、それから各地の収容所に送ったと言いますが、とにかく収容できる場所も足りないし、十分な衣食住を提供できる環境でもなかったということで、既存の収容所内でも暴力を受けたり、飢えて死ぬ子どももたくさんいたようです。
児童保護法ができたのは1947年ですが、敗戦後のインフレや食糧難で国民全体が困窮した中で、多くの人は路上で凶悪化していく子どもに目を向ける余裕をなくし、孤児になった子どもを、国をあげて保護し、育てる環境整備をしていくという発想も欠落していたようです。
──施設に押し込むだけで、とにかく浮浪児たちを見えないようにしておけばいいという考え方ですよね。本作のタイトルにもなっている"知らない子どもたち"というのは、要するに見えないものとして扱われていた子どもたちなんですよね。
彼らは、文句を言ってくれる親たちをも失った子どもたちなので。孤児の人たちが残した書記や証言を読むと、読むに耐えないところもありました。施設に放り込まれたり、路上生活をした子たちもそうですが、親戚が見つかって預けられた子どもたちも、ひどく悲惨な生活を強いられてるんです。羅紗布を切り取って、ご婦人の袖に切りつけたような快活な話ばかりではないので。残された証言のほとんどは、実写映画にしあげても、観客の鑑賞には耐えられないと思うほど、重苦しくて悲しい話が多かったので、何度となくやめといた方がいいかなとも思いました。
──読めば読むほど、知れば知るほど、心折れそうになると思います。
そうですね。当事者たちは、無視されたくない、知っておいてほしいと思われた方も多いでしょうが、その一方で、ほとんどの現代人は、なかなか自分の力ではその辛い話にたどり着かないだろうなと思いました。

──だからこそ、映画にする意味のある作品になったと思います。劇中、初潮がきてしまった琴子が生理に戸惑う場面は、女の子が母親を失うとはこういうことなんだなと実感しました。男の子ととして生きる女の子を主人公にしたのはどういう理由があったのでしょうか。
最初は、男の子の話になるだろうと思って調べ始めたんですが、女の子のエピソードもちらほら出てきて、親戚が見つかった子はまだ屋根のあるところで生活ができたけど、路上で暮らした女の子もいたわけで。その過酷さたるや、男の子とは一段も二段も違うだろうなと思ったんです。ただ、女子の生活の中にそういう様子があったという第三者的なエピソードはたくさん出てくるんですが、身体を売っていた過去に関しては、当時の成人女性でも多くは語ってないので、第三者的な視点や小説などからヒントを得ていくことが多かったです。
──そうですよね。語りたくない方が多いと思います。
路上生活を強いられた子どもと考えると、非常に遠い存在ですが、女性は、小さい頃の性別の分け隔てがなかった時代と、身体が成長した後では、男性とは生き方が変わりますよね。初潮を迎えれば、台詞にもありましたが、「手ぶらでは生きられなくなる」。でも、社会生活の中では、何事もないような顔をしながらでないと、既存の仕組みの中で生き残ってはいけないという意味では、時代や環境に関係なく、あまり変わらない部分もあるだろうなと思いました。
──あの台詞はグッとくるものがありました。
最近になってようやく女性の生理について、もっとオープンに語ろうとか、男性にも知ってもらおうという流れが生まれていますが、少し前までは、そんな価値観は全くなかったので。琴子の苦しさというのはおそらく、観ている女性たち全員が思い当たることかもしれないとも思いながら書いていました。
──先日、箕面自由学園で高校生たちの前でティーチインを行ってらっしゃいましたが、「琴子が何かをしてもらった時にお礼を言わないことが気になった」など、そういう見方もあるのかと驚く意見もありました。監督は、いろんな場所で感想をお聞きになっていると思いますが、思ってもみなかったような反応はありましたか?
その意見を聞いて、今の子たちは琴子と違って、精神的な余裕のある環境で育っているんだなと思いました。ただ、そういう子ばかりではないという現実があるとも感じています。今でも子どもの貧困やネグレクトはあらゆるところで存在しますし、そういう暮らしをしている子たちが、この映画に対して感想をダイレクトに伝えられる環境があるだろうかということも一方で思います。多くの映画は社会の底辺や暗いところにいる人たちを描きがちですが、本当にそういう生活をしてる人たちに映画や文学はなかなか届かないものなんですよね。
映画は、豊かで持っている人間たちが描く世界であって、それを鑑賞する人たちも、ある程度の豊かさと余裕がある人たちなので。届かなければいけない、届けて救いたい人たちにはなかなか届かないのが現実だと思うので、そういう子たちは今どこにいるだろうな、とも同時に考えました。それでも、お礼を言うのが当然なのにと思える子たちがたくさんいることが望ましいなと思います。
──なるほど。
一方で、長崎の小学校6年生にも観ていただいたんですが、長崎の子たちは平和教育の機会も多いので、また少し違いました。まず、こういう題材に慣れてますよね。彼らからの感想も素晴らしかったです。被爆4世の子もいるので、長崎の原爆や被害については聞いて知る機会が多いけれども、広島と長崎に原爆が落ちて、8月15日を迎えた後は、今と変わらない平和が来たんだと思い込んでいたそうです。だから、こんな風に生きた子どもたちもいたんだと思ったようでした。長崎と離れた場所での、戦争のその後を考えたり感じたりする機会が今までなかったから新しい発見だったと書いてくれた子もいました。
──自分の住んでいる地域の被害が大きすぎるので、他の地域の被害について想像することはあまりないのかもしれません。
それは、私も広島出身なので非常に近いことを感じていて。あまりにも自分の身近な戦争被害が大きいと、それ以外のことを想像しなくなるんですよね。私は戦争のことを散々聞いてきたという気持ちになっていたけど、他の地域の空襲のことを知っているかというと、過小に思っていたと思うんです。戦争の大きなインパクトのある地域の人間の、ある種落とし穴のようなところもあるんです。それでも、戦後81年、戦争しない状態を続けることが、難しいことなのだと気づいてくれた子もいましたし、どうやったらまた戦争せずに済むかは自分たちが考えていくことだと思ったという感想もいただきました。
──そこまで考えてくれると、すごく嬉しいですよね。
そういう言葉が子どもから出てくるのは、恐らく長崎の地域の大人たちが、日々そういうことを語って聞かせてきたからだと思うんです。そういう考えに至るには、なぜこの戦争をしない状況が続けられているのかを誰かが語り続けていくしかないんだろうなと。それを自分の言葉として、小学校6年生で語れる子たちがいる地域と、戦争についての教育がない地域とでは大きく何かが違うと、感想を読んで思いました。
──先ほど監督がおっしゃられましたが、映画を見ることができる環境にいるかいないか、さらには戦争の映画や戦後の映画を選んで観ているかどうかで、大人も全然違いますよね。
そうですね。いかに子どもたちにも見せられる映画を作ることができるかが私の課題でもあったので、そういうことを語れるきっかけの道具にしてもらえるといいなと思います。
──監督は、この作品を作られて、いろんな感想を聞く中でどういう思いになられたのでしょうか。
小学校6年生と高校生が偽りなく反応してくれたように感じて、よしという手応えはありました。作ったものの、わからないと言われるかもしれないし、観る辛さはあると思いながらも、少なくとも2ヶ所の試写会で、しっかりと子どもたちがしっかりと受け止めてくれて、初めて作ってよかったと思いました。公開した後、たくさんの感想や反応もある中で、自分の課題も見えてくるかなと思っています。
取材・文/華崎陽子
(2026年10月28日更新)
▼大阪ステーションシティシネマほか全国にて上映中
出演:小八重葵美 二階堂ふみ
坂東龍汰 櫻井海音 北村有起哉 吉田羊 竹野内豊
岡田准一 / 田中裕子 役所広司
原案・脚本・監督:⻄川美和
音楽:原摩利彦
【公式サイト】
https://k2pic.com/film/wsk/
【ぴあアプリ】
https://lp.p.pia.jp/event/movie/472107/index.html
にしかわ・みわ●1974年、広島県出身。2002年に平凡な一家の転覆劇を描いた『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督デビュー。2006年、対照的な性格の兄弟の関係性の反転を描いた長編第二作『ゆれる』を発表し、第59回ガンヌ国際映画祭監督週間に出品。2009年、僻地の無医村に紛れ込んでいた偽医者の逃走劇『ディア・ドクター』。2012年、ひと組の夫婦の犯罪劇と女たちの生を描いた『夢売るふたり』を発表。2015年、倦怠期の最中に妻を事故で亡くした小説家の心の葛藤と新しい交流を描いた小説「永い言い訳」を上梓後、2016年、映画『永い言い訳』を発表。アジア、欧州でも公開される。2021年、佐木隆三の小説「身分帳」を原案とした『すばらしき世界』が、シカゴ国際映画祭外国語映画部門観客賞、第76回毎日映画コンクール日本映画優秀賞ほか。小説作品に「ゆれる」(第20回三島由紀夫賞候補)、「きのうの神様」(第141回直木賞候補)、「その日東京駅五時二十五分発」、「永い言い訳」(第 28回山本周五郎賞候補・第153回直木賞候補・2016年本屋大賞第4位)。エッセイに「映画にまつわるxについて」、「遠きにありて」、「スクリーンが待っている」などがある。本作の原案小説「わたしの知らない子どもたち」を8月に上梓。