ホーム > インタビュー&レポート > 村上春樹の短編集を岡田将生、堤真一ら豪華キャスト陣で映画化 映画『アフター・ザ・クエイク』井上剛監督インタビュー
──監督は、元々、村上春樹さんの原作小説に特別な思い入れをお持ちだったのでしょうか。
15年前に『その街のこども』を作る際に参考にしていました。というのも、僕自身は神戸出身ではないし、震災を体験しているわけではないので、『その街のこども』を作るにあたって、どのようにドラマを作ったらいいか悩んでいた時に出会った本だったので、メンタリティーの上で、すごく参考になったんです。
──どのような部分が参考になったのでしょうか。
小説に書かれているのが、震災そのものに出会った人ではなく周辺の人たちの話で、全員が震災から距離を持っているんです。阪神・淡路大震災があって、3月には地下鉄サリン事件が起きましたが、それはどちらも地下で起きたことなんですよね。小説はそこから着想されたんですが、震災そのもので傷を受けた人の話ではなく、その揺れがいろんな人たちに伝播しているという内容だったので、周辺にいる人の話を描いてもいいんじゃないかと思って作ったのが『その街のこども』でした。
──『その街のこども』のメインキャラクターふたりは、被災後に神戸を離れてますもんね。
神戸から離れていたふたりが10数年経って戻ってきて、なかなか人に言えなかった言葉を紡いでいく。この小説の周辺にいる人たちだったら、どう感じるだろう? というところから、あの物語を着想したんです。
──そういう感覚だったら、監督自身もわかるというか。
自分でもわかるんではないかと思ってやってました。
──本作の岡田将生さん演じる小村の物語は、ファンタジックですがリアルに感じる部分もあって、一気に物語に引き込まれました。
第1章の「UFOが釧路に降りる」の喋り方は、ちょっと怖い感じがしますよね。時代設定が1995年の震災直後なので、さっきも言った通り、3月には地下鉄サリン事件が起きて、カルトな人たちも現れる。そういう社会の暗さ、無意識下にある暗さが第1章にはあると思うんです。ファンタジックとおっしゃいましたが、これから何が起きるかわからない不気味さもあると思います。だから、3人の台詞の言い回しは小説的にやろうと思いました。
──言い回しに独特のものを感じました。
ちょっと浮世離れしているというか。ちょっと地上から浮いている、地面に足がついてないみたいな感じがやりたかったので、ああいうタッチにしています。第2章の「アイロンのある風景」の鳴海唯さん演じる順子はまだ若くて地面に足がついていませんが、堤真一さん演じる三宅は家族を失っているので、その後悔と悲しみに暮れていることを表現するために、リアリティが必要だと思いました。だからこそ、明かりは焚き火の火だけにしたんです。
──確かに、焚き火の火の明かり以外は闇でした。
闇の中でしか語れないことがあると思うんです。あれが真っ昼間だったら絶対にしゃべれないじゃないですか。闇の中で、深層心理でしゃべってるところを描きたいと思いました。第3章の「神の子どもたちはみな踊る」は、まさにさっき言ったカルトが第1章からの流れの中でどう見えてくるんだろう、と。ちょうど、2020年は宗教2世の話が出ていた頃なんです。あの頃は、自分を支えている哲学みたいなものについて、何を信じたらいいのか揺れていた頃だったと思うんです。コロナもあって。
──確かに、そうですね。
最後の「続・かえるくん、東京を救う」は、冒険譚のようにできたら、と思いました。佐藤浩市さんとかえるくんの物語も最後は地下に潜っていくんです。地下で起きたものの巣であることと、人間の深層心理の深いところに降りていくという話を織り交ぜて描いたつもりです。
──起承転結ではないですが、そのような流れを意識したということですよね。
連作であるものの、ひとつひとつ話は違って、出ている人も違いますが、繋がって見えるものにしたいと思いました。時系列を変えたのも今の人に向かってくるお話になってほしいと思ったからです。
──時間を遡るのではなく。
今に向かってくるこの映画を観た後に、果たして現在やこの先の未来はどのように見えるものなんだろう、と思いました。
──2020年は、ある意味、コロナによって全員が被災したような感覚ですが、1995年、2011年の次に2020年にしたのは、そういう意図だったのでしょうか。
時系列にしたのは、1995年は阪神淡路大震災とサリンがありましたが、それで終わったわけではないという意味です。渦中にいる人たちは当然、いい未来を生きていきたいと願ったと思うんです。それでも悲しいかな何かが起こりますよね。アフターだけど、ビフォアでもあるんです。2011年に東日本大震災があって、その次にコロナが来て。次もきっと何かがあって、毎年何かが起こるんです。この原作を題材に、30年の中で連々と続いていくことを、もう一度、僕たちで考えていくべきなんじゃないかと思いました。
──2020年の地下鉄のシーンは、全員がマスクをしていて、渡辺大知さん演じる善也だけがしてない、あの風景は今見ると異様でした。5年経ちましたが、撮っている時にコロナの時代はどのように感じられましたか。
コロナの時代、僕は東京にいましたが、仕事で渋谷に行くと本当に人がいなくて。映画でしか見たことない風景だと思いました。それと同じで、1995年の阪神・淡路大震災も映画でしか見たことない光景なんです。戦争を経験してない世代は、あんな異常な都市の崩壊なんて見たことがない。だから、現実感はないのに、現実の手触りはあって、実際に苦しんでいる人がいる。
コロナの時も、皆、死に怯えましたよね。渡辺大知くんの台詞ですが、「神様は一体何をしてくれるんだ。願っても何も起きないじゃないか」という気持ちは、とてもわかると思いました。コロナに限らずですが、祈るしかない時はありますから。
──カルトとおっしゃいましたが、1995年にサリン事件があったことで、カルトが現実として存在してることを認識した方は多いと思うんです。実際に行動を起こす集団が現れたことが、人々の認識を変えて、カルトの存在が実感を伴ったと思います。
それまでは、ただただ怪しげな人たちだったのが、そうでもないと。でも、それが誰かの希望になっているかもしれないし、30年前なら善悪で語れたかもしれませんが、現在は善悪だけでは語れないですよね。
──ある意味、1995年を起点とした日本の近代史でもあるように感じました。
その意識を持って作った部分もあります。
──誰かが経験したことを描いた連作でありながら、日本で30年以上生きていれば、阪神・淡路大震災も東日本大震災も経験しているので、それを観る人が追体験できるのがすごく面白いと思いました。
ありがとうございます。そう言っていただけたら嬉しいです。先ほど、『その街のこども』の時にバイブルのように『神の子どもたちはみな踊る』を読んでいたと言いましたが、その時は気づいてなかったことが多いんです。今だと、これはそういう意味だったのかと思えることがあるんです。例えば、地下鉄の駅がたくさん出てきますが、あれは全部サリンで被害があった駅なんです。
──なるほど。
そういうのも当時はわからなかったんです。今読むと、これは全部繋がっているんだとわかるんです。第1章で、唐田えりかさんと北香那さんが双子の姉妹のように同じような服装で現れますが、あれは1ヶ月後にサリン事件が起こるので、カルトが出てくる予兆みたいですよね。あの当時も感じてはいたんですが、今の方がくっきりわかる。小説家は、こうやって物事をグッと鷲掴みして30年前に既に書いていたんだと気づいて、どうやって映像にしたらいいんだろう、ちょっとヤバいものに手を出してしまったと思いました。
──先ほど、第1章の話し方は、ちょっと浮いている感じを意識したとおっしゃいましたが、村上春樹さんの小説は、言葉のチョイスが独特すぎて、現実世界に落とし込むと現実世界にいない人のように思えてしまう台詞もあると思います。言葉のチョイスはどのように考えて決められたのでしょうか。
もちろん、物語も考えなきゃいけないんですが、特に第1章は小説をすごく意識して、あの文体をちょっと意識してやってみました。でも、やる方は大変だったと思います。先ほどおっしゃったように、そんな人間は実際にいなさそうだから。この台詞をしゃべって、僕らが意図しているものがちゃんとお客さんに伝わるだろうかと悩んだのが、岡田くんをはじめとする役者たちだったと思います。
──すごく難しかったと思います。
村上さんの小説がすごく面白いなと思ったのが、橋本愛さんと岡田くんがずっとしゃべらないでいるシーンで。一方的に彼だけがひと言ふた言しゃべるぐらいで、心配しながら距離を縮めようとしたりする場面で、最初は、ちゃんと台詞をしゃべってやったんです。それはそれでもちろんいいんだけど、一度、台詞を無しにして、心の中で彼女に問いかけてお芝居してもらったんです。岡田くんはしゃべってるつもり、愛ちゃんの方も聞いているつもりでやってもらうと、より台詞が立ってきたんです。
──台詞が立ってきたというのは?
台詞がなくても、ふたりが何をしゃべっているのか、見ている僕らが想像できたんです。それぐらい村上春樹さんの台詞はすごいんだと感じたんです。役者は大変だし難しいんだけど、そういう感覚をすごく大事にしたかったので、多少変えてますが、なるべく原作の言葉遣いをチョイスしようとプロデューサーたちと思考錯誤しました。第2章は、ドキュメンタリーのように撮って、ものすごくナチュラルな、そんなに小説ぽくないような言葉遣いにしています。
──第3章の渋川清彦さんは、小説の言葉遣いのように感じましたが、渡辺大知さんと黒川想矢さんは自然に感じました。
実は、あのふたりも、自然そうに見えるけど自然じゃないんです。これは、渡辺大知くんが発案したんですが、しゃべったり起き上がったりする動作を、普通とちょっと違うテンポでやってるんです。これから不思議なことが起きるという予兆を感じている男の話ですが、台詞だけだと伝わらないところもあるので。
──一番難しかったのが、第4章の佐藤浩市さんのとかえるくんの掛け合いのシーンだと思いますが、佐藤さんはすぐに入っていけたのでしょうか。
僕らも一番難しいと思っていたんですが、佐藤浩市さん曰く、「俺はひとり芝居上手いからな」って(笑)。実際は大変だったんですよ。「普通にやるより3倍ぐらい疲れた」って言ってました。プレスコでのんちゃんの声を事前に録音して、現場で流して。実際は役者さんがかえるくんの中に入って動いていますが、それだけだと浩市さんは芝居ができないので、さらに吹き替えの方に声を出してお芝居してもらってるんです。
──掛け合いが必要ですもんね。
録音された声では掛け合いができないので、吹き替えてもらいましたが、かえるくんの役者の方と吹き替えの方も呼吸が合わないとできない。ここの呼吸が合って、やっと初めて浩市さんと3人でやれるんです。その後、編集したのものをのんちゃんに見せて、のんちゃんはそれを見て、芝居のテンションをつかんで、さらに変えるんです。だから、結局、プレスコはほとんど使っていません。のんちゃんは出来上がった映像と浩市さんのお芝居と向き合って全部録り直しています。
──4つ物語の主人公の方たちはどのような感覚で選ばれたのでしょうか。特に、第1章の小村は岡田さんしか考えられなかったと思います。
第1章は、岡田さんじゃなかったらどうしよう、という感じでした。原作から与えられた"からっぽ"というテーマを映像に落とし込むのが非常に難しかったので、それを具現化する4人でないといけないというキャスティングでした。人柄が見えすぎてもいけないですが、ロボットのようにいてほしいわけではないので。 "からっぽ"には希望もあって、想像力によっては心の中を埋めることができると、かえるくんも言ってますが、どういう形にも変えられる。"かえる"には、チェンジとリターンの両方の意味がかけられているんです。
──それと、フロッグと。だから、かえるくんなんですよね。
なのかもしれません。それは村上さんにしかわかりませんが。だから、皆の中に"からっぽ"さがあって、それに悩む人もいれば、そこに希望を持つ人もいて、それを想像する人もいる、というお話になったらいいなと思って作りました。
取材・文/華崎陽子
(2025年10月 3日更新)
▼10月4日(金)より、テアトル梅田ほか全国にて公開
出演:岡⽥将⽣、鳴海唯、渡辺⼤知/佐藤浩市
橋本愛、唐⽥えりか、吹越満、⿊崎煌代、⿊川想⽮、津⽥寛治
井川遥、渋川清彦、のん、錦⼾亮/堤真⼀
監督:井上剛
脚本:⼤江崇允
音楽:大友良英
【公式サイト】
https://www.bitters.co.jp/ATQ/
【ぴあアプリ】
https://lp.p.pia.jp/event/movie/417186/index.html
いのうえ・つよし●1968年生まれ、熊本県出身。93年、NHK入局。ドラマ番組部や福岡放送局、大阪放送局勤務を通して、様々なジャンルのテレビ番組制作に関わる。主にドラマやドキュメンタリーの演出・監督・脚本・構成を手がける。代表作は、数々の話題を生んだ連続テレビ小説「あまちゃん」(13)や大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」(19) 、土曜ドラマ「ハゲタカ」(07)、「64(ロクヨン)」(15)、「トットてれび」(16)、「不要不急の銀河」(20)、「拾われた男」(22)など。『その街のこども』(11)、『LIVE!LOVE!SING!~生きて愛して歌うこと~』(16)はドラマとドキュメンタリーが融合した演出が注目を集め、ドラマ・映画共に高い評価を得た。2023年7月末日、NHKを退局し株式会社GO-NOW.を設立。フリーの監督・演出家として活動している。
【会場】アップリンク京都
【日時】10月5日(日) 9:50の回上映後
【会場】テアトル梅田
【日時】10月5日(日) 12:40の回上映後
【会場】シネ・リーブル神戸
【日時】10月5日(日) 16:00の回上映後