ホーム > インタビュー&レポート > 研ナオコと新鋭・中尾有伽のW主演で 認知症の祖母とソープ嬢の孫のかけがえのない時間を描く 映画『うぉっしゅ』岡﨑育之介監督インタビュー
──まず、ソープ店と介護のダブルワークというのがすごくユニークな視点だと思いました。本作を思いついたきっかけは、おばあ様の認知症がきっかけだとお聞きしましたが、詳しくお話していただけますでしょうか。
僕が元々、社会の中で比較的弱い立場にいる人たちにスポットを当てたいと思っていたことが第一です。風俗嬢の方々、認知症の方々、非介護老人の方々も、社会の中での地位は決して高くないと思うんです。そこにふたつの共通項を見出だしました。ひとつは洗うこと、もうひとつが忘れられるということです。
──なるほど。
僕らが、年に1度、おじいちゃん、おばあちゃんに会いに行ったとしても、それ以外の364日は正直、意識する機会は少ないですよね。社会人になると、会いに行く機会はますます減っていく。僕も父方の祖母が老人ホームに入っていますが、5年ほど前から認知症で僕が会いに行っても何も覚えてないんです。それでもお見舞いに行ってましたが、いつからか、わざわざ時間を作って会いに行く意味があるのかなと思ってしまって。
──そうだったんですね。
本作を作ろうと思った時に、取材を兼ねて老人ホームを予約したんです。朝の11時に予約したのに起きたら12時で。ものすごく落ち込んで、すごく反省しました。その時の失敗で気づいたんです。祖母が忘れてるから、僕は会いに行く意味がないと思ってたんですが、僕が祖母のことを忘れていたから、祖母は後天的に認知症になったんじゃないかと。
──なるほど。実際の体験で得た考えがきっかけになったんですね。
認知症は、人から忘れられることで忘れてしまう病気なんじゃないか。会社をリタイアして人と関わることが減ると認知症になってしまうように、忘れられることで後天的に認知症になるんじゃないかと思ったんです。その時は愛情があるかのように見せても、それ以外の日は忘れてるところが、その時だけの関係性を作り上げる風俗店の接客と似てると思ったのが、着想のきっかけです。
──社会の中で比較的弱い立場にいる人たちに光を当てたかったとおっしゃいましたが、何かきっかけはあったのでしょうか。
僕が幼少期から誰に会っても「永(六輔)さんのお孫さん」と言われてきたので。
──色眼鏡で見られてきた、ということでしょうか。
傍から見れば恵まれてることなので、嫌味だと思われることもあると思います。でも、当人からすると人と違うだけで関係ないことなんです。しょうもないと思われるかもしれないガキの悩みですが、僕は悩んできました。僕は違うんだな、と。
──まっさらな目では見られないってことですもんね。
良くも悪くもまっさらな目では見られないですね。それはいいことでもあるのかもしれないけど、疎外感があることが、僕の根底にコンプレックスとしてあるんです。だから、比較的社会の中で差別されがちな人たち、差別されている状態の人を救い上げたいと思っています。
──認知症の祖母役を研ナオコさんにお願いするというのは、どのような発想から思い至ったのでしょうか。
ソープ嬢がおばあちゃんの介護をするというと、どうしても社会派の映画をイメージされると思うんです。でも、僕は絶対に明るくポップに描きたかった。それに加えて、観終わった後に少し深いことを考えてほしいと思っていました。そういう映画で、認知症の祖母の役を演じるのはすごく難しいと思いました。
──確かに。
知識や記憶がない状態を演じる際に、いわゆる大女優のようなイメージの方だと、おばあちゃんという存在にのめり込むのではなく、「芝居上手いな」という印象になってしまう。だから、役者というイメージではない人がいいと思ったんです。その中で、ポップでファニーなイメージがある人は誰だろう?と考えて、研ナオコさんしかいないと思ってお願いしました。
──なるほど。研さんはすぐに受けてくださったんでしょうか。
今日も含めて、取材の行く先々で「研さんは永さんと面識があったんですか」と聞かれるんですが、全くないんです。そういう繋がりで研ナオコさんがたまたま出てくれたと思われてしまうんですよね。本作は超小規模映画なんです。祖母役はその辺りの道で誰かいいおばちゃんを探そうかと話していたぐらいで。だから、半分思い出作りというか、「著名な方にオファーして、僕ら頑張ったよね」という自分たちの言い訳を作るために当たって砕けろという気持ちで、研ナオコさんのHPのお問い合わせフォームから依頼しました。
──HPからオファーされたんですね。
HPから「はじめまして。こういうものです。映画出てください」と。端から断られるのを待って次を探そうと思ってました。万が一出てくださったとしても、きっと、「多額のギャラで整った環境だったら出ます」と言われるだろうと。
──そう思って当然だと思います。
そうしたら、「妥協するなら出ません」と言われて。「研ナオコだから気を使って、「いまいちだけどワンテイクでオッケーです」とか、「本当はもう少し演出にこだわりたいけど疲れさせるから、これで終わりにしましょう」などと言って妥協するんだったら私は出ません」と。「本当にいいものを目指すなら出ます」と言われたんです。そんなこと言われたら「望むところです」ってなりますよね。
──そんな風におっしゃる研さんもすごいですね。紀江さんは研さんのようで研さんじゃないような不思議な存在感がありました。特に「仕事は生きる糧」という台詞には研さんにしか言えない強いものを感じました。研さんには紀江さんとしてどのように振る舞ってほしいと伝えられたのでしょうか。
「仕事は生きる糧」という台詞の部分は、今おっしゃったことが狙いでした。研ナオコさんが何かを教え諭すのは面白いんじゃないかと思って、脚本の段階で作り込んだものでした。演出の部分で言うと、例えば、加那が家に来て、「おばあちゃん久しぶり」と言われて、「はじめまして」と返して、「違うよ、私、加那だよ。覚えてる?」と言われた時のリアクションがあるんですが、1回目はちょっとわざとらしい感じになったんです。
──なるほど。
だから2回目の前に、「研さん、テレビ局の廊下を歩いてて、若いADさんが「研さん、ご無沙汰してます」と挨拶してきたけど、全く覚えてないことないですか?「誰だっけ?この人」と思いながら「ご無沙汰してます」と挨拶することがあると思うんです。それをやってください」と。そうしたら、ぱっと1発で、気まずいんだけど取り繕ってる感じを絶妙に表現してくださいました。
──中尾さんは元々知人だったとお聞きしましたが、ソープ嬢としての加那と孫としての加那をすごく魅力的に演じていたように感じました。
彼女は天才です。絶対に売れるべき人。この言い方はマイナスになるかもしれませんが、僕は中尾有伽を売るためにこの映画を作ろうと思ったんです。もちろん僕が映画を作りたい、純粋にいいものを作りたいという思いもありました。中尾さんは、反射神経というか、役に入る速度が尋常じゃないんです。僕は、全然大したことはないですが元々役者をやっていて、レッスンもたくさん受けて、芝居を勉強してる人もたくさん見て、売れてる同世代の友人もいるので言えますが、彼女はずば抜けてます。
──そうなんですね。
僕がやっている私的なワークショップに彼女が塾生として来ていたんですが、例えば、芝居中に「右に歩いて」と言うと、大体の役者さんは「わかりました」と言って右に歩くんです。でも、中尾さんは役のまま「はい」と言って歩くんです。中尾さんの素が絶対に出ないんです。それができる人はいないです。言い方は悪いですが、環境が恵まれてないから売れてないんだと感じたんです。芸能界の難しさはありますし、僕も役者で挫折した人間です。役者をビジネスとしてやるのは難しいんです。
──なるほど。
現場で研ナオコさんという巨人と対峙する時の対応は、事前に少し打ち合わせしましたが、それ以外の彼女の芝居は、そのままやれば絶対に面白いものになるという自信がありました。本作でなかったとしても、何か大きなチャンスさえあれば彼女は売れたと思います。才能があるのに芽が出ない人たちを世に出さないと芸能界は底上げされないので。日本の芸能界は、実力主義にならないといけないという思いもあって、僕は役者を辞めました。
──それは役者をやられている中で、芸能界に対して駄目だと感じる部分があったということでしょうか。
ありまくりでした。僕は、事務所を3回辞めてまして。とにかく合わなかったんです、芸能界に。僕は芝居を勉強することについては死ぬほど努力したと胸を張って言えます。でも、どれだけ努力しても努力と関係のない世界だと感じて、芸能界を変えたいと思ったんです。使われる側だと無理だと思ったので、まずは使う側に回ろうと思って監督業を勉強したんです。
──なるほど。
大御所と言われる方であろうと、俳優は最後に依頼される立場なので「起用していただいてありがとうございます」という立場を取らないといけない。プレイヤーが力を持って体制ごと変えるのは、物理的に不可能だと思うんです。才能があるのに評価されてない人も多い一方で、僕はバックボーンがあるから才能や努力に関係なく評価されてしまったんです。
──永六輔さんのお孫さんだから、ということですね。
僕は、18歳で役者を始めたんですが、最初の仕事は何だったと思いますか?
──ドラマか仮面ライダーでしょうか。
と思いますよね。僕の最初の仕事は記者会見でした。永六輔の孫がデビューしますという会見が僕の初めての仕事でした。僕は16歳から2年間、お芝居の勉強をしていて。やっと役者としてプロになれる、自分の腕で職人として勝負できる世界に入れたと思ったら、何十台のカメラとフラッシュに囲まれて、ただデビューするというだけのことが注目されて。芝居の勉強に意味はあったのかな?と感じました。
──そうですよね。
それでも、ありがたくも仕事をいただくんです。でも、それは好奇の目で見てるだけで、僕がどんな芝居をするのかとか、どういう人間でどういう俳優になりたいのかは全く関係ない。どうしたってハンデをもらってしまうんです。そんな面白くないことないじゃないですか。これは、一生自分で自分を認められないと思ったんです。だったら、白紙に文字を書く世界で勝負しようと思って役者を辞めました。
──なるほど。
それでも、今こうして宣伝で祖父の名前を出してるので、まだハンデ使ってるじゃんというのは自分にツッコミを入れてますが(笑)。
──基本的には加那とおばあちゃんの話ですが、家政婦さんの存在が鍵になっているように感じました。加那にとってすごく大事な存在だったと思いますが、家政婦さんを登場させた理由を教えていただけますでしょうか。
尽くしのトライアングルを作りたかったんです。加那は、お金をもらって男性に尽くしている一方で、お金を払って家政婦に尽くさせている。ここでトライアングルが成立してますよね。なのに、自分の名前すら覚えてくれない、お金ももらえない人に何の見返りもなく尽くさないといけなくなった。だから、加那は不満を募らせていく。トライアングルが崩れることで、加那のバランスも崩れていく姿を描きたかったんです。
──なるほど。
加那はいつも尽くしたらお金をもらえていて、お金を払って尽くさせるような立場にいるのに、おばあちゃんは毎日「はじめまして」と言う。加那は結局、それまで人間関係はお金だと思っていたんですよね。それが、おばあちゃんの登場によって、お金に関係なく1週間世話をしないといけなくなった。その中でだんだんお金以上のことがあるんだと気づいていくんです。
──ソープ店のマネージャーを演じられたニューヨークの嶋佐さんにも驚かされました。
そもそも、僕がニューヨークの大ファンなので、コントがあれだけ上手いということは、絶対に芝居もできるだろうと思ってました。また、吉本興業のHPに「はじめまして、お願いします」と依頼したら返信が来て、出てくださることになりました。ただのファンとしてめちゃくちゃ嬉しかったです。あの役を作ったのは、結局突き詰めると、ソープという業態が存在していることが悪いと思われそうな気がしたからなんです。お店側に悪用されて人生を狂わされてるように見えるんじゃないかという危惧があって。
──なるほど。
僕は、この作品の全員を肯定したかった。認知症の方もソープ嬢の方も。否定もしないし、ネタにしないということは絶対に徹底したかったんです。だから、ソープ店で働く人たちの正義も絶対にあるはずだと。彼らは彼らで仕事としてやっていて、人生を救うことができた女の子も絶対にいるはずなので。彼らなりの温かさも、この作品に入れたいと思いました。彼らも誰かに対して心を配ってるという要素は入れたいと思ったので、あの役を嶋佐さんがぶっきらぼうにやってくださったのは見事だと思いました。
取材・文/華崎陽子
(2025年5月 9日更新)
▼大阪ステーションシティシネマほか全国にて上映中
出演:中尾有伽 研ナオコ
中川ゆかり 西堀文 嶋佐和也(ニューヨーク)
諏訪珠理 井筒しま 中山慎悟 サトウヒロキ
名倉右喬 佐藤まり 順哉 惣角美榮子 越山深喜 広瀬蒼
石原滉也 松原怜香 岡﨑育之介 細川佳央 藤井千咲子
髙木直子 赤間麻里子 磯西真喜
監督・脚本:岡﨑育之介
【公式サイト】
https://wash-movie.jp/
【ぴあアプリ】
https://lp.p.pia.jp/event/movie/335405/index.html
おかざき・いくのすけ●1993年生まれ、東京都出身。16歳から芝居の勉強を始め、18歳で俳優としてデビュー。映画、ドラマ作品やウェス・アンダーソン監督『犬ヶ島』への出演など。その後バックパッカーによる世界一周、国立劇場養成所での研修生としての修行、ニューヨークアクターズスタジオでの演技訓練を経験。演出助手や脚本学校での学びを経て脚本家・演出家・監督を志し、25歳より作品制作活動を始める。監督⻑編デビュー作、映画『安楽死のススメ』が、3月にユーロスペースで公開された。