ホーム > インタビュー&レポート > 森山直太朗のデビュー20周年を記念したツアー 『素晴らしい世界』の記録映像を再構成したドキュメンタリー 映画『素晴らしい世界は何処に』森山直太朗インタビュー
──ツアー『素晴らしい世界』のライブ映像を映画『素晴らしい世界は何処に』にするアイデアは、ライブのDVD&Blu-rayを作る流れの中から生まれたとお聞きしましたが、単純なミュージックライブの映画ではなかったという印象を受けました。
映画を観た方に言われることが3つあって。まず、「もっと普通のライブ映画だと思っていた」と。それと、「ここまで見せられるなんて思ってなかったから、全然心の準備してなかった」とよく言われます。
──そうですよね。
そしてもうひとつは、「これは最初から映画を作ろうと思って作った映画なのか」とよく聞かれるんですが、答えは「ノー」で。先ほどおっしゃられたように、両国国技館の映像を収めたライブのDVD&Blu-rayを作っていく過程で、映像と音をチェックする作業をしたんです。大きい画面で観ながら、5.1chサラウンドシステムやDolby Atmosなど、本当に素晴らしい音環境で観た時に、「なんだこれは」と。番場監督が撮ってくれた映像と音の臨場感が、それこそ生のライブにも勝るとも劣らないと感じました。
──わかります。
同時に、両国国技館の公演は、一夜限りの限られたライブだったので、当日来られなかった方やいつも応援してくださる方にも、この臨場感ある音環境で、そして大画面で観ていただきたいと思ったんです。だから、とても内々の上映会として、ファンクラブイベントのような形で各地の映画館で上映会をしようというのがそもそもの始まりでした。
──そうだったんですね。
そうしたら最終的に番場監督が、ものすごいものを仕上げてきてくれたので、これはもしかしたら、身内や内々で見ていただくだけに留めるには勿体ないのではないかと。映画のようなエンドロールに『新世界』という主題歌をつけて、結果的に映画のような映像作品に仕上がった過程も含め、一気に一筆書きをしたような完成の仕方でした。107本のツアー全体は記録として残そうという意思は最初からありましたが、番場監督はもちろん、僕もスタッフも含めて、まさか映画にまでなるなんて露とも思ってなかったと思います。
──両国国技館はセンターステージなので、構図がすごくユニークだと思いました。その一方で撮影しにくい部分もあったんじゃないかと。番場さんとはどのような打ち合わせがあったのでしょうか。
打ち合わせは1、2回やりました。番場監督にいつも伝えていることは、いわゆるホールの額縁型のライブにしても、今回みたいなシアトリカルなライブにしても、いずれにしても極力、踏み込んできてくれと。つまり、カメラクルーもバンドの一員だと。
──なるほど。
基本的には僕たちと同じ存在として、境のない舞台に存在してほしいと伝えていました。あとは、レールやクレーンなど、昨今、通常使われているようなシステムは、僕みたいなアナログ人間がやっても背伸びしているというか、サイズの合わない服を着ているような感覚になるので、もっと生々しく、手ブレ上等、ピンボケ大歓迎の世界でいきましょう、と。綺麗なものを撮ろうとしても、できすぎちゃうので。不完全なものを許容することについては、番場監督も「実は僕もそう思っていた」と言ってくれました。
──だから、カメラが揺れていたりしたんですね。
今回の両国だけじゃなくて、ツアー全体を3本ぐらい番場監督に撮ってもらったんですけど、全てにおいて禅問答というか、せめぎ合いがありました。「もっと来てくれよ」って。「バンバン(番場)が思ってるよりもっと寄ってくれ、バンバンが思ってるよりもっと動いてくれ」という要求はずっとしていた覚えがあります。
──前回のライブを映した映画『森山直太朗 人間の森をぬけて』も番場さんが監督されていたので拝見したんですが、全く種類の違うものを観たような感覚でした。今回は映画的というか、物語のようで。手振れや光が入る手触り感、アナログ感が今回の映画の良さだと感じました。森山さんは完成した映画を見た時は、どのように感じられましたか。
客観的に見ても、こういうものが見たかったという映像になっていました。僕も要求しながら、やろうとしてできるほど簡単なことじゃないと思っていたので。今回はカメラマンの人が所持している、普通のデジタルの動画カメラとかホームビデオや8ミリカメラで撮影していて。
──だから、フィルムみたいな感じの映像もあったんですね。
ステージの周りに、手持ちカメラの人が6、7人ぐらいいたんですが、皆さんトップクラスのカメラマンの人たちで、ステージの周りに鉄オタみたいな感じで構えているんです。ライブ中、お客さんとステージの間に入ってしまっても、それはもうしょうがないと。番場監督は、俯瞰や引きで撮っているカメラの人たちとはこういう画を撮りたいというのは事前に共有していたと思いますが、フリーマン(フリーで動く方たち)には、シーンによってのディレクションはほとんどしなかったと言っていました。
──だからこそ、カメラマンの方は自由に動くことができたんですね。
ただ、「あなたが撮りたいものを撮ってくれ」と。「通り一遍な映像や記録はいらない、あなたがここを撮りたいと思った衝動に従って、オンオフしてくれ」と。そういう思い切った、トリッキーで破天荒な演出をしながら、最終的に上がってきたそれぞれの映像を見た番場監督が、一言僕に言ったのが「使える映像がひとつもない」って(笑)。そこが番場監督のいいところだと思いました。自分で風呂敷広げちゃって、結局、自分が1番困るという状況を今まで何度も見てきたので、これはきっといい映像になると、僕は逆に確信しました。それぐらい踏み込んだ、思い切った作品になったと思います。
──ライブを見つめる観客の方たちの表情もすごく印象的でした。
両国は、照明はもちろん当たっていますが、遠いところからなので、お客さんと1対1の関係が作りやすかったです。あの舞台は土俵のある場所に、神殿のような階段状になっている舞台を、その日のために作ったんですけど、そこにミュージシャンたちがそれぞれの場所に滞在して、写真撮ったり絵を描いたり、お茶を飲んだりして、自分が1番リラックスできることをしているんです。その少し後ろにお客さんがいるんですけど、通常だったらその前に柵みたいなものがあるんですよね。プロレスの中継で使われているような。
──そうですよね。確かに、両国ではステージと観客席を仕切る柵がなかったです。
本当は、柵をつけるという決まりはあったみたいなんですが「これは取っ払ってもいいんですか」って言ったら、「会場の人と相談したところ、可能です」と言われて。だとしたら、境のない世界にしたいと思いました。
──そうですよね。
柵がないことで、あなたさえ、この舞台の上に上がろうと思えば、それはいつでもできる。実際にやっちゃうと警備員に捕まっちゃうと思うんですけど(笑)。そういう舞台の作りになっていたので、お客さんもその境がないだけで、全然気持ちが違ったと思うんですよね。視界に入っているものって、自分の心を抑制したりもするじゃないですか。境がない世界を作るために、どこに境があるのかということを明確に認識して、それを取っ払っていくのが、舞台作りの面白さだと思っています。
──今回の映画を観て、作りものめいたものを一切感じませんでした。お客さんとの繋がりを含めて、広がりのある世界を感じましたが、森山さんの意識が変わったのでしょうか。
以前は、一緒に曲作りをしてきた御徒町凧というパートナーに演出を一任していたんですが、『人間の森』というツアーを経て、彼と一緒に作っていた世界を1度ひとりでやってみる決断をしました。それに至る過程は、映画『人間の森をぬけて』に克明に描かれていると思います。その後、0から自分で舞台を作っていくにあたり、やりたかったことのひとつにカントリー、ブルーグラススタイルがあって。
──なるほど。
いわゆる、ドラムがいてベースがいてキーボードみたいなバンドスタイルではない形。僕は、一度もバンドを組んだことがないんですよ。高校時代からひとりでぽろろんと弾いていたので。だからまず、自分が舞台の上にひとりで立てることが大事でした。そこに通りすがりの夢の住人みたいな形でバンドメンバーが介在する方が、舞台上の関係性を作りやすいんです。5年ぐらいかけてバンドメンバーと築いてきた阿吽の呼吸と、100本ツアーをやった先にあった、最後の両国国技館でのライブでしたから。
──そうですよね。
クオリティに満足いかないこともあったけど、とにかくやれる範囲で両国国技館という会場で具現化しようとすると、やっぱりカントリー、ブルーグラススタイルが1番ライブとして成立しやすいし自由度も高いなと思いました。この5年、どこかで抑制してきた気持ちを、ツアー『素晴らしい世界』を通じて解放してきたことが、そのまま舞台のエナジーになっていたのかな、と思います。舞台って生き物ですから。
──舞台上で森山さんがお話されていたことも、すごく自然で。森山さんが思ってらっしゃることがそのまま出ていたように感じました。『素晴らしい世界』のお話にしても、同じように話すことはできないと思うんです。あのライブの中にいたからこそだったんじゃないかと。やはり、両国の空気が特別なものだったんじゃないかと思いました。
そうですね。1日にしてああなったというよりは、自分の足でマイクの前に立って、自分の言葉で話す以外の選択肢が、100本やったツアーの中ではなかったので。同時に、自分の弱さや不安みたいなものも、時には皆に開示して、「こんなことに困っているんだ、だから助けてほしい」と、ひとりひとりと膝を突き合わせながら話してきたので。今までだったら、「舞台で結果出せばいいんでしょう」っていうのが自分のやり方、スタイルだったけど、それが結果的に気負いや、ある種こだわりすぎたプライドみたいになっていたと思うんです。
──なるほど。
そこをかなぐり捨てて、舞台の上でどれだけ汗かけるかというか。全然たどたどしいですけど、MCひとつとっても、自分の内側から出てくるものなので。舞台の演出もMCも、どうやったら舞台が面白い、インタレスティングなものになるか考えて。あるいは、どうやったら1曲が、いろんな人に偽りなく伝わるかということを逆算して、MCをしています。動物的というか本能的な感覚に任せて、何も考えずに作っているから、そんな風に感じてもらえるのかもしれないですね。
──だからこそ、すごく胸に響くものがあるんじゃないかと思います。特に、楽曲『素晴らしい世界』のパフォーマンスには涙が止まらなくなりました。最初から全てここに繋がっていたんじゃないかと。森山さんと番場さんの力が合わさって、そこにお父様のお話が加わることで物語が生まれていたように感じました。病室での音声を入れるのは、森山さんから提案されたのでしょうか。
番場監督がDVD&Blu-rayの制作の段階で、台湾での父に対するMCをすごい長尺で使っていたんです。あれだけ時系列を無視して、いろんなことに踏み込んでいる作り方だったのに、最後だけMCが長尺で入っていたので、バンバンの中で、たぶんここに『素晴らしい世界』の答えを見出そうとしているんだなと思いました。
──なるほど。
「父が旅立つ直前、母が父に対して「なおちゃん」って言ったんです。「なおちゃん」っていうのは、僕の呼称じゃなくて、我々家族が仲睦まじかった頃に、母が父のことを呼んでいた名前で。その言葉を聞いた時に、僕自身が閉ざしていた、ずっと止まっていた時間が動き出した」という話をMCでしたんですが、その場面がたまたま録音できていたんですよ。
──そうだったんですね。
入院中に父がいろんなことを喋りかけてくれるから、録音するのが面白くて、亡くなるまでの2ヶ月ぐらいずっと録ってたんです。それこそいつもの父だったら言わないような言葉がどんどん出てきて。でも今振り返ると、モルヒネで意識が朦朧としていたのかなっていう説もあるんですけど、本当に面白い話ばかりで。それで、バンバンには、僕が台北のMCで話していたのは、こういうことだったんだという答え合わせをしてもらいたかったので、「たまたま録れていたから、これ聞いてみて。結構生々しいけど」と渡したら、バンバンは「いや、聞けない」と。「友だちとしてはすごい興味あるし聞きたいけど、これを聞いたら監督として絶対に映画で使ってしまうから僕は聞けない」って言われたんです。
──なるほど。
僕も使ってほしいっていうよりは、作る上でのリアリティの補完として聞いてほしくて。それに、万が一使ったとしても、監督が作品にとって必要だと思って使うのであれば、後は僕がいろんな人に確認を取ればいいだけの話だし、僕はバンバンを信じるしかないと思ったんです。使うかどうかはわからなかったんだけど、「作品が1番いい状態になるのであれば、僕もそれは辞さないというか、嫌だとかないから」って言ったら、「わかった」って言って聞いてくれて、作品にあのような形で落とし込まれたっていう流れでした。もちろん、誰かを傷つけようと思って、あのシーンを組み込んでいるわけではないですから。監督はかなりアウトローで、どこかパンクだけど、絶対に人を傷つけない作品を作る人だというのは、長年の経験と関係の中で知っていたから、彼に全てを託した感じはありました。
──映画は、ライブとは全然違うものになってると思いますが、どのように感じられましたか。
全国津々浦々を約2年近くかけて107本回るツアーだけでは完結できなかった、あるいは知ることができなかった答えみたいなものを、全然違うシーンで自分が知ることになりました。そのシーンというのは、父との別れや両親との再会だったり。ツアーとプライベート、このふたつは必然だったんだな、と。それは、映像になってみて初めてわかったのはもちろんのこと、ただのライブ映像だったら、きっと、そのことに気づけなかったと思います。
──森山さんにとって、この映画は特別なものになったんですね。
言葉で説明するのはすごく難しいんだけど、『素晴らしい世界』を僕が歌っている時に、ミュージシャンがひとりずつ帰ってしまうじゃないですか。本当は大団円で、皆でシングアロングしたいぐらいの気持ちなんだけど、なぜか僕はひとりひとり去っていってしまう演出を選んだんです。でも、その理由はわからなかったんですよ、リハーサルをやっていても。でも両国国技館の舞台で歌いながら、そういうことだったんだって。「素晴らしい世界」って探してもあるものじゃないんだなってことに、100本以上かけて、舞台の真ん中で気づいたんです。映画の中でも言っているけど、その時、絶望の果てに、どこかほっとする気持ちがあったのは事実です。
──MCでおっしゃってました。
肺がんだった父がいろんな苦悩を抱えながらも、肉体と精神の苦痛みたいなものから解放された。その父と僕の状態が、一緒になったんです。それは映像を見て気づいたんです。僕は両親が早くに離婚しているから、いつか3人で会いたいと思っていたけど、絶対無理だろうなとどこかで思っていたんです。もちろん、父の死がきっかけでその瞬間が訪れるなんて全く想像してなかった。でも、ふっと我に帰ったら、今母親と父親と3人でひとつ屋根の下にいるんだって。それだけで、ある意味「素晴らしい世界」とも言えるじゃないですか。
──そうですね。
でも、その3時間後に父は逝くんですね。だから、とっても脆いものってとっても儚くて。手に入れたと思ったらすぐすり抜けていくもの、それが「素晴らしい世界」である、と。だから、自分が舞台上で感じたことと現実に起こっていることがない混ぜになって入り組んで、映画としてつぎはぎだらけの創造物になっているからこそ、とても不思議なものになったと思っています。うまく説明できているかどうか不安ですが...。
──この映画を観て、いろんなことを感じる方がいらっしゃると思います。その人それぞれの受け取り方で、失った人や、失ったものについて考えるんじゃないかと。
僕なんか、親との関係で本当にあがきもがいた方だと思うんですよね。この年齢になって、まだ親が生きていたとしてもいろいろあるし。その一方で、親が死んでしまって自分の思いだけが取り残されている人もいるだろうし。答えはないけれども、自分の抱えている問題に向き合うことは、もうその人だけの問題じゃないんだっていうことが、この作品の中で描かれていると思うんです。
──そうですね。
普通は、どこかでもがくことも諦めるじゃないですか。こんな往生際の悪い48歳もいないとも思うんだけど、もがいたりあがいたりすることも間違いじゃなかったんだっていうことを、この映画の中で示せているのかなっていうのは、ちょっと僭越ながら思っています。
取材・文/華崎陽子
(2025年3月26日更新)
▼3月28日(金)より、TOHOシネマズ梅田ほか全国にて2週間限定公開
監督:番場秀一
出演:森山直太朗
主題歌:『新世界』森山直太朗
【公式サイト】
https://subarashii-sekai-movie.asmik-ace.co.jp/
【ぴあアプリ】
https://lp.p.pia.jp/event/movie/401918/index.html
もりやま・なおたろう●1976年4月23日、東京都生まれ、フォークシンガー。2002年10月ミニ・アルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビュー以来、独自の世界観を持つ楽曲と唯一無二の歌声が幅広い世代から支持を受け、定期的なリリースとライブ活動を展開し続けている。近年は俳優としても活動の幅を広げ、NHK土曜ドラマ『心の傷を癒すということ』、NHK 連続テレビ小説『エール』などに出演し、その演技力が評価され、2025年7月4日から公開の映画『夏の砂の上』への出演も決定している。2022年3月に20周年アルバム『素晴らしい世界』をリリースした後もコンスタントに作品を発表。同年6月から“全国一〇〇本ツアー”と銘打ち行われたアニバーサリーツアー『素晴らしい世界』は、番外篇となる両国国技館や海外公演含め計107公演にもおよび、その102公演目にあたる東京・両国国技館公演の模様を収めたライブBlu-ray&DVD、ライブ音源「森山直太朗 20th アニバーサリーツアー『素晴らしい世界』in 両国国技館」を2024年11月にリリース。またパッケージ版の映像を再編集した映画『素晴らしい世界は何処に』が3月28日から全国公開される。さらに、同作品の主題歌となっている『新世界』は、全国公開日の3月28日より先行配信が決定している。