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「生産性ばかりが求められている今だからこそ、
絶対に作りたいと思った」ベストセラー作家吉田修一の
同名小説を森ガキ侑大監督が江口のりこ主演で映画化
映画『愛に乱暴』森ガキ侑大監督インタビュー

『悪人』や『横道世之介』などで知られるベストセラー作家・吉田修一の同名小説を、江口のりこ主演で映画化した『愛に乱暴』が、8月30日(金)より、テアトル梅田ほか全国にて公開される。

無関心な夫や義母からのストレスを感じながらも、丁寧な暮らしを心掛けていた主人公の周りで、不穏な出来事が起こり始め、日常が徐々に崩壊していく様をスリリング描く。

江口のりこが主人公の桃子を演じ、小泉孝太郎が桃子の夫・真守、風吹ジュンが桃子の義母・照子を演じ、『おじいちゃん、死んじゃったって。』の森ガキ侑大が監督を務めた話題作だ。そんな本作の公開を前に、森ガキ侑大監督が作品について語った。

──原作の初版は2013年ですが、監督はどんなタイミングで読まれたのでしょうか。

僕は吉田修一さんのファンなので吉田先生の本は出たらすぐに読んでいたんですが、『愛に乱暴』が出た頃はすごく忙しくて出版されてから1、2年後に読んだと思います。面白いと思いながらも、まだ僕は映画を撮ってなかったので、これが映画化されたら観てみたいと思っていました。『おじいちゃん、死んじゃったって。』を撮った後に問い合わせたら、映画化権を持っている人がいると言われて断念しました。

──そこからどのように動き出したのでしょうか。

最近になって『愛に乱暴』が映画化されてないことに気づいて、もう1度聞いたら、ちょうど権利が外れていて。急いで(本作のプロデューサーの)横山(蘭平)さんに連絡しました。

──今回、原作を読んだ時はどのように感じましたか?

映画化に当たって読み直すと、初めて読んだ時よりも遥かに生きづらい世の中になっている、今の時代にすごくマッチしていると感じました。桃子についても、男性、女性という観点ではなく、ひとりの人間として共感できる部分がありました。

──なるほど。

桃子の居場所というか存在意義という観点で考えると、今は生産性ばかりが求められているように感じます。少子化対策が大々的に謳われていますが、そうじゃない人たちもいるのに、その方たちの感情をすっ飛ばして人間をひとつの駒としか見てないように感じて。

──そういう空気はあると思います。

男性も女性も日本の生産性や効率化を上げるために生まれてきたわけじゃないですよね。そう思っていたところに、この本がすごくマッチして。絶対に今、作りたいと思いました。

──映画を拝見してから改めて原作を読みましたが、原作から変えているところもありました。吉田修一さんとは映画化にあたってどのようなお話をされたのでしょうか。

当初は吉田先生にロングプロットをお見せしながら、コミュニケーションをとっていました。その中で、吉田先生から「原作に気を使いすぎてるから、核だけブレてなければ、森ガキさんが描く『愛に乱暴』に思いきり変えちゃっていいですよ」と言ってもらってから、すごくうまく進むようになりました。

──最初は原作に忠実な脚本だったんですね。

原作に忠実でした。吉田先生は、原作に捕らわれてキャラクターが生き生きしてないとか、ワンポイントアドバイスのようにメールをくださって。でも、絶対に押し付けることはなかったです。吉田先生が自由にやってくださいとおっしゃってくださったのは大きかったです。登場人物もすごく削ったので。

──そうですよね。映画ではお義父さんも登場しないですよね。

親戚のおばさんもいないですし。そういう意味では、すごく先生に助けられたと感じています。

──登場人物を少なくしたことによって、よりシンプルになったというか、桃子の心情に寄り添うようになっていると感じました。その中でも、ここは変えたくない、ここが軸だと意識したところはどこだったのでしょうか。

桃子がひとりで居場所を探してもがいてるところと、もうひとつは、ギミックの日記ですね。吉田先生のファンの方にとっては大事なポイントだから、ギミックは残したいと思いましたが、今はあまり日記を書く方はいないかな?と。だったら、Xなどデジタルにした方がいいんじゃないかと考えて。そんな風にチューニングしていきました。

──原作では、あの日記で桃子の秘密が明かされます。あの展開は本ならではだと思いますが、本作は映像ならではの見せ方になっていました。あれはどのように思いつかれたのでしょうか。

1番苦労したところでしたね。言葉で説明するのは嫌だったので、台詞に書かないようにしたら、スタッフもわからなかったみたいで。映像で具現化するまでは2割ぐらいのスタッフはわかってなかった。これは、もう少し説明しないとまずいと思いました。それを台詞ではなく映像でどうやってわからせようかと、プロデューサーと脚本家とみんなで話し合って、最後まで苦しかったです。わかりすぎても嫌だったので。その一方で、演出はいい方向に転がったと思います。

──原作には床下とチェーンソーというキラーワードが出てきます。どちらも映像で見るとさらに異様さを感じました。撮影はすごく大変だったと思いますが、映像化してどのように感じられましたか?

面白い映画を撮れたな、と思いました。皆、アドレナリンが出てましたね。床下の撮影の時は、ここのための映画でしょ!と、皆前のめりになって、めちゃくちゃ気合が入ってたので楽しかったですね。江口さんが床下で腹ばいになっているのを見るだけで笑っちゃって(笑)。でも、江口さんは一生懸命やってくれてるから、笑っているのを隠すのが大変でした。セットではなくて、本物のお家で撮影したことも功を奏したと思います。

──そうですよね。本物の家で撮影できたのはすごいと思いました。

セットでやるとスタッフの間で「ここが嘘っぽい」という議論が生まれるんですが、本物の家の床下で撮影してますから。

──壊しても大丈夫な家を借りることができたんですね。

条件がたくさんあるので探すのは大変でした。離れと母屋がL字で分かれてて、離れが平屋で母屋が2階建てで、最終的に床下を掘ることができてって条件を言ったら、「そんなのあるわけない」って言われましたね。

──それは無理だと言われると思います(笑)。

見つかるまでは、どこまでをセットで作るのかずっと議論してたんです。そうしたら、「なんとか1軒見つかりました」と。ここまでの映画が今後、作れるのかどうか心配になるぐらい、いい家が見つかりました。次回作、これを超えられるものを作れるのかというプレッシャーはかなり感じています。

──本物の家で撮影できたことが、この作品にリアリティを生み出していると思います。

実は、家にお金をかけすぎたので、ラストシーンを撮れなくなってしまって。当初の予定とは変えています。脚本では盆踊りの輪の中で桃子が浴衣姿でニコニコ踊ってるところに照明の光が入ってくるシーンになってたんですが、実現しませんでした。

──床下のシーンもそうですが、原作よりも映画の方が、桃子が辛い目にあってるように感じました。この脚本はどのように生まれたのでしょうか。

人間は追い込まれないと自分の居場所を探そうとしないと思ったんです。追い込まれないと床下にいかないですよね。チェーンソーも買わないし。

──そうですね。

追い込まれてもないのにチェーンソーを買ったり、床下にいくと、よくわからない人物というか、ちょっと情緒不安定な人になってしまうので、理不尽な目にあって逃げ場がない人の方が、リアリティは増すと思ったんです。観た方に、自分ももしかしたらチェーンソー買っちゃうかもとか、自分も床下にいっちゃうかもと思ってもらいたかった。

──なるほど。

もうひとつは、桃子が床下にいく理由をリアルに考えて、原作になかった要素を入れました。理不尽なことが起こって、居場所がなくなって床下にいったものの、ここは自分の居場所じゃないと桃子は感じたと思うんです。だから、あそこはひとつのメタファーになっています。

──桃子は桃子でいろんなことと闘っているんですよね。

それと、昔の照子が離れに住んでいたことも描きたかった。全く説明していませんが、照子も、なかなか子供が生まれなくて、やっと生まれたのが真守だったんじゃないかと。離れの柱に真守の背の高さが刻まれているので、照子が真守を離れで育てている時は母屋に姑がいて。照子が桃子に言うようなことを照子は姑から言われていたはずなので、桃子の苦労も、桃子の気持ちもわかっていると思うんです。

──そうですね。

誰もが、その世代によって通る道があることも描きたいと思いました。きっと、照子の中には桃子に申し訳ないという思いもあったと思うんです。だから、終盤の桃子と照子のシーンは、僕の好きなシーンのひとつです。

──桃子の衣装がすごく華やかだったのが印象的でした。料理もちゃんと丁寧に作っていて、いつも綺麗にしていて。桃子の人物像はどのように作っていかれたのでしょうか。

桃子は敏感で潔癖です。土の匂いやいろんな匂いを嗅ぐことでリラックスする。そして、完璧主義。そういう人は物にも洋服にもこだわって、丁寧な生活をしていると考えました。

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──江口さんのイメージにぴったりですね。

今回、江口さんを美しく撮ることも意識していました。桃子には悲惨なことが次々に起こっていくんですが、ボロボロの服を着ている人が悲惨になっていくよりも、丁寧な生活をしている人が悲惨になっていく方が、より感情の波が生まれると思ったので、そういうキャラクターを作りました。

──鮮やかな色の衣装がすごく江口さんに似合ってました。

スタイリストさんには、江口さんを華やかに見せたい、丁寧で華やかな暮らしをしている衣装にしてほしいとオファーしました。華やかな衣装で泥まみれになってる画が撮りたいとスタイリストさんに伝えて、床下の穴に入る服はどれにしようか一緒に考えました。

──桃子を江口さんにというのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

原作を読んだ時から、江口さんがいいと思ってました。ただ辛いだけよりも、どこかでくすっと笑える要素も入れたかったので、40代でシリアスな場面とくすっと笑える場面の両方ができる人は江口さんしかいない。それに、江口さんは背が高くて顔が小さくて手足も長いから、ヨーロッパ映画みたいになるんです。

──そんな江口さん演じる桃子の夫・真守を演じているのが小泉孝太郎さんです。私は、真守が1番おかしいんじゃないかと思ってますが(笑)。

いや、サイコパスですよね。

──まさに、サイコパスです!

真守は弱い人間で感情をあまり見せない。というか見せられないんです。自分に自信がないから。ダメダメな人間なんですよ。遅くに生まれた子だから過保護に育てられて。

──物事に立ち向かえない人ですよね。

嫌なことからは全て逃げる。自分の感情は明かしたくないから隠す。そんな性格なのに、なんでモテるのか考えたら、無駄なことを言わないから最初はクールに見えるんです。後は、母性をくすぐるところがあるんじゃないかと。そういう要素で真守像を作っていきました。小泉さんが演じると、余計にサイコパスになると思いました。

──確かに、怖かったです。小泉さんはすぐに真守に入っていけたのでしょうか。

なかなか入っていけなかったですね。小泉さんはいつもニコニコしてるので、そのニコニコ具合で真守をやると本当にサイコパスになっちゃう(笑)。

──小泉さんは笑顔のイメージがありますもんね。

小泉さんも爽やかな役から脱却したかったようで、「こういう役を待ってました」とおっしゃってました。女性を敵に回す、1番嫌われる役なので、ほとんどの役者が嫌がると思うんです。でも、それを小泉さんは全うしてくれたので有難かったですね。だからこそ、今までの小泉孝太郎を忘れて、見たことのない小泉孝太郎にしたいと思いました。

──今まで見たことのない小泉さんだったと思います。

撮影に入る前にも現場に入ってからもじっくり話をしました。この映画を観た方が「今まで見たことのない小泉孝太郎だった」とおっしゃってくれているので、そこは裏切ることができたと思ってます。

──すごく映画っぽいというか、動きも少なくて死んだ魚の目みたいな目でしたよね(笑)。

オーバーに動くのは最後までとっときたくて。それまでは動じずに、ずっと何を考えてるかわからない人でいてほしいと。

──そんな真守が唯一感情を爆発させるのが原作にもある「君が楽しそうにしてればしてるほど、僕は楽しくなくなった」という台詞を言うシーンでした。原作を読んだ時もひどいと思いましたが、映画で観るとすごく辛くて。その一方で、本作のプロデューサーは真守の気持ちで脚本を読んでいたとプレスに書いてあって。男女でこんなに見方が変わるんだと驚きました。

違いますね。それが夫婦の永遠のテーマかもしれません。男女の考え方には違いがあるので。だからこそ、僕はフェミニズムな映画になって男女が分断されるのは嫌だった。男女というもののもっと延長戦上に、現代社会の生きづらさが隠れていることを描きたいと思ったんです。

──確かに、フェミニズムに寄った映画にはなっていませんでした。

浮気はもちろん悪いですが、男女ともに夫婦間で難しいと感じていることはあると思うんです。例えば女性だったら、家のルールを勝手にいっぱい作っちゃうとか。「タオル交換して」「靴下脱いだら片付けて」みたいな。でも、男性からすると「もうちょっと後でいいじゃん」と思ってるかもしれない。

──先ほど、フェミニズムの映画にはしたくないとおっしゃいましたが、監督は、男性・女性ではなく、できるだけフラットな意識で映画を撮ろうとしていたのでしょうか。

そうですね。でも、男女には必ず分かり合えないことがあるというのは常に感じています。不倫にしても、なぜそういう状況になるかということの方が大事だと思うんです。もうひとつ、僕は何事も表裏一体だと思っていて。例えば、僕の中にも善があって悪がある。善という言葉は悪という言葉があるから生まれるんですよね。だから、愛があるから乱暴になる。

──そうですね。

愛がなかったら怒りも起こらないんですよ。無関心だし、興味がないから。

──愛の反対は無関心ですもんね。

愛があるから、愛が故に、好きすぎて乱暴になっちゃう。そういう意味でも表裏一体なんですよね。男がいるから女がいる。それは永遠のテーマだと思うんです。男女が分かり合えないことも。だから、そこにこだわっていても仕方ないから、それよりももっとその先にある社会の構造がどうなっているか考えることが大事だと思います。

──監督は『愛に乱暴』というタイトルをそのように解釈されたんですね。

そうですね。吉田さんから聞いたんですが、最初は「愛と乱暴」ってタイトルだったらしいんです。

──「と」だったんですね!

吉田さんが、「「と」だと隣接してる印象になるけど、「に」になることによって、愛があることによって乱暴さが生まれるというように変えた」とおっしゃっていて。それを聞いて「なるほど」と。すごく発見がありました。やっぱり表裏一体だと。

──原作では、桃子が「ぴーちゃん」と呼んで可愛がってる猫が何度も出てきましたが、映画ではほとんど出てきませんでした。この猫も、もしかしたら桃子は幻想見ているんじゃないか?と思わせる要素でもあったように感じました。

子どものメタファーですね。桃子はぴーちゃんのことを子どもだと思ってるんです。映画では1回、ちらっと出てきてます。桃子が「ぴーちゃん」って呼んで餌をやってる時に、小泉さんが帰ってきて首輪について話しかけるんです。あの首輪の話は、桃子のことを言ってるんです。

──なるほど!

真守は意識せずに桃子のことを言ってるんですが、桃子は私のこと言ってるの?と感じてるんです。あれもメタファーですね。映画のあちこちにそういう秘密が散りばめられてます。

取材・文/華崎陽子




(2024年8月29日更新)


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森ガキ侑大監督

Movie Data

(C) 2013 吉田修一/新潮社  (C)2024 「愛に乱暴」製作委員会

『愛に乱暴』

▼8月30日(金)より、テアトル梅田ほか全国にて公開
出演:江口のりこ
小泉孝太郎 馬場ふみか
水間ロン 青木柚 斉藤陽一郎
梅沢昌代 西本竜樹 堀井新太 岩瀬亮/風吹ジュン
原作:吉田修一『愛に乱暴』(新潮文庫刊)
監督・脚本:森ガキ侑大
脚本:山﨑佐保子/鈴木史子
音楽:岩代太郎

【公式サイト】
https://www.ainiranbou.com/

【ぴあアプリ】
https://lp.p.pia.jp/event/movie/334433/index.html


Profile

森ガキ侑大

もりがき・ゆきひろ●1983年6月30日生まれ、広島県出身。大学在学中にドキュメンタリー映像制作を始める。卒業後、CMプロダクションに入社し、CMディレクターとして活動。2017年に独立してクリエイター集団「クジラ」を創設し、以来、Softbank、JRA、資生堂など多数のCMの演出を手掛ける。同年、長編映画デビュー作『おじいちゃん、死んじゃったって。』がヨコハマ映画祭・森田芳光メモリアル新人監督賞を受賞。その後、TVドラマ、ドキュメンタリーなど映像作品を演出し、「江戸川乱歩×満島ひかり 算盤が恋を語る話」(18/NHK)で第56回ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞、「坂の途中の家」(19/WOWOW)で日本民間放送連盟賞テレビドラマ優秀賞を受賞する。その他の代表作に、TVドラマ「時効警察はじめました」(19/テレビ朝日)、初のマンガ実写化に挑戦した『さんかく窓の外側は夜』(21)、コロナ禍の日本における人と仕事を追ったドキュメンタリー『人と仕事』(21)などがある。