ホーム > インタビュー&レポート > 「縁は諦めなければ途切れない、続いていくもの」 台湾のスター俳優、シュー・グァンハンと 清原果耶がW主演を務めたラブストーリー 映画『青春18×2 君へと続く道』藤井道人監督インタビュー
──まずは、本作の成り立ちについて教えていただけますでしょうか。
僕は、20代からずっとアジアで映画を作りたいと思っていて。台湾だけじゃなく、中国大陸やタイなど、いろんなところで、プロダクションの人と会って何かチャンスがあればと営業したり、留学したりしていました。その中で、MVを撮らせてもらったり、徐々にチャンスをもらっていたところにちょうど『新聞記者』が公開されて。徐々に認知してもらえるようになっていきました。
──徐々に徐々にだったんですね。
その時はまだ、僕にボンと映画を頼んでくれるような環境ではなくて。「ご縁があれば」という感じでしたが、高雄映画祭で今回のプロデューサーであるロジャー・ファンに出会って、『新聞記者』をすごく気に入ってくれて。「日本と台湾の合作の企画に興味ないか」と言われたのが、『青春18×2』でした。4年前、2019年の秋だったと思います。
──原作を読まれた時はどんな風に感じられましたか?
エッセイなので感情に訴えるというよりは、36歳になって初恋にさよならを告げるために彼女に会いに行った男性の話というシンプルな物語だと感じました。これをエンタメで、合作で、どうやろうかなというのが、まずひとつ目の難関でした。
──では、だいぶエピソードを足されたのでしょうか。
そうですね。36歳のジミーがアミに会いに行くという大筋はお借りして。アミの設定やアミの状況、ジミーが旅に出た理由やジミーの環境は、基本的にオリジナルです。だから、出会った人たちもほぼ全部創作です。
──オリジナルなんですね。
残した部分は「スラムダンク」とか『Love Letter』とか。
──『Love Letter』は入ってたんですね。本作でジミーが「お元気ですか?」と叫ぶところはグッときてしまいました。
僕もそこはすごくいいシーンだと思いました。ただ、ジミーの心の持ち方が、この映画とエッセイでは大きく違っていて。(あることを)知った上で旅をするか、知らずに旅をするかってかなり違うんですよね。
──そうですね。
実は、決定稿を作る3週間前だったと思いますが、自分がジミーだったらと考えて、プロデューサーに話して変えたんです。直前まではこの設定ではありませんでした。
──それは大きく変わってきますよね。
この映画を撮っている時に僕自身が36歳だったので、この情報化社会の中でそんなことはないだろ、と。どこか、自分の中で腑に落ちない部分があって。たとえば今って、お別れした人でもFacebookで「誕生日です」って通知が来ますよね。いろんなツールがある中でジミーだったらどうしたかな、といろいろ考えた上でこの設定にしました。この映画は2006年から24年までの18年の話なので。
──『Love Letter』を意識した部分はありましたか?
いえ、あえて観直さなかったんです。10代の時に観た記憶のままで撮りたいと思って。と言いつつ、20代で何回か観ちゃいましたけど、ここに引っ張られないようにしよう、と。
──では、おぼろげな記憶で撮られたんですね。
ジミーも多分おぼろげだと思ったので。
──今回、台湾を舞台にした映画で、台湾映画でお馴染みのバイクのふたり乗りシーンもありますが、監督が観てきた作品で印象に残ってるのはどんな作品でしょうか。
僕自身、高校生の時はやっぱり邦画が大好きで。大学に入るといろんな映画を学んでる人と出会って、そこでミニシアターやアジア映画に出会いました。最初は、ウォン・カーウァイが大好きで。そこから、エドワード・ヤン、ホウ・シャオシェン、ツァイ・ミンリャンという台湾ニューウェーブの人たちの映画を観るようになって。特に、ホウ・シャオシェンがすごく好きでした。
──わかります!
『牯嶺街少年殺人事件』も好きだったから、チャン・チェンも大ファンでした。アジア映画への羨望はすごく強かったですね。
──実際に、本作のエグゼクティブプロデューサーを務めたチャン・チェンさんとお会いされた時はいかがでしたか?
画力が強かったですね(笑)。チャン・チェンって感じでした(笑)。
──撮る側の方の感想ですね(笑)。
少年の気持ちを持ったままの人だな、と感じました。
──チャン・チェンさんとはこの映画についてどんな話をされたのでしょうか。
この企画は10年前に金馬奨(中華圏を代表する映画賞)の企画賞をとって、映画化がスタートしたんです。たぶん、その時のチャン・チェンさんが35、6歳なんですよね。だから、本当は自分がやりたかったんじゃないかと思いましたし、すごく思い入れがあるんじゃないかと。
──なるほど。
チャン・チェンさんは日本にもリレーションがある方なので、この企画に強い思いがあるように感じました。それを自分に託してくださったことにはすごく感謝しています。
──しかも、この映画を撮る時に監督は36歳だったんですよね。それもすごい繋がりですね。
縁というか。狙ってできるものじゃないというのを今回の映画ではすごく感じました。
──今回、シュー・グァンハンさんが18歳と36歳のジミーを両方演じてらっしゃいますが、同じ俳優に演じてもらいたいというのは、脚本の段階で思ってらっしゃったんでしょうか。
そうですね。これだけ過去と現在が交錯する物語なので。たとえば、『ブルーバレンタイン』という映画でも、ライアン・ゴズリングとミシェル・ウィリアムズが現在と過去を演じてますよね。他人が演じるとダンピングが起きると思ったんです。
──確かにそうですね。
18歳から36歳の18年間って、精神的に成長することはあっても、18歳でできた骨格って36歳になってもそんなに変わらないですよね。これが、骨格が違ったり、目の大きさが違うとか、そういうことが気になるのであれば、シームレスにしたいという思いはありました。
──なるほど。
人に恋をした時と大人になって全てを失った時って、そんなに顔は変わってないと思うので。
──18歳と36歳のジミーを演じられるのはシュー・グァンハンさんしかいなかったんじゃないかと思いました。
台湾中の仲間に聞いても、みんなシュー・グァンハンが今1番いいよって。たぶん、日本でいう菅田将暉さんみたいな感じなのかな、と。
──宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』で菅田将暉さんが声優を務めたアオサギの声を、台湾ではシュー・グァンハンさんが担当されてました。
そうですね。実際に会ってみたら、おっとりしてるというか、すごく静かだけど、紳士的でかっこよくて。俳優っぽくなくて。最初は、寝起きのお兄ちゃんが来たような感じで。
──(笑)。
でも、すごく穏やかで。彼だったらできるなと感覚的に思ったのを覚えてます。
──36歳のジミーのイメージに近い感じでしょうか。18歳のジミーを演じている時は18歳にしか見えないのがすごいですよね。
グァンハン自体が、ドラマや別の作品でもそういうふたつの時代を演じた経験があって、彼の中でこういう風に表現しようというプランをしっかり立ててくれていたので。ただ、日本編の方を先に撮ったんですよね。
──日本からということは36歳のジミーから先に撮ったんですね。
だから、(台湾パートに入る前に)髪を切って。そうしたら、バンって10代に変わったので。すごいなと思いました。
──もうひとりの主役である清原果耶さんと監督はもう3度目のタッグですが、最初に『デイアンドナイト』で清原さんにお会いされた時の印象って覚えてらっしゃいますか。
覚えてますね。15歳とは思えなかった。15歳の身体に憑依した、僕と山田孝之さんでよく言う、人生4週目が来たように感じました。全てを悟っているようで、落ち着いてて。でも、子どもらしいところは子どもらしいんです。
──監督は清原さんの魅力はどこにあると感じてらっしゃいますか。
役を演じるということへの誠実さだと思います。もちろん、俳優部はみんな誠実だと思うんですが、本の読解力、表現への解像度、指先ひとつまで熟知してる。今回で言えば、アミを知り尽くしてくれてる。実は、彼女に同じような年の役をやってもらったことがなくて。『デイアンドナイト』は15歳の時に高校3年生の役で。『宇宙でいちばんあかるい屋根』の時は18歳の時に14歳の役をやってもらって。僕は、彼女に関しては役の年齢幅が気にならないんです。その人になってくれる。そんな風に感じています。
──脚本を書いてらっしゃる時に、アミは清原さんにと考えながら書いてらっしゃったんでしょうか。
そうですね。オファーしてましたね。
──シュー・グァンハンさんと清原さんの相性がすごく良かったように感じました。
想像以上のものになったな、という感覚でした。グァンハンさんの人への配慮やリスペクトのレベルがすごいんです。彼がちゃんと果耶ちゃんをケアしていて、それが役を超えて伝播していたように感じました。
──なるほど。それがスクリーンにも映し出されてるからこそ、私たちにも雰囲気の良さが伝わってくるんですね。
果耶ちゃんも現場ですごく楽しそうでした。果耶ちゃんは演じることに真面目だから、難しいところはディスカッションすることもありましたが、今回は終始、楽しそうでした。
──監督は初めて海外で撮影されて違いを感じることはありましたか。
もっと大変だろうと思ってましたが、思ってた以上に違いがなかったですね。大変だったスタッフはたぶんいると思いますが、僕自身は自分のスタイルそのままで現場に入ったので。そこで変な衝突が起きたりすることは一切なくて。日本、台湾問わずスタッフ同士がすごく仲良くなってたのが印象深かったですね。
──それは、気遣う気持ちが多少なりとも増えてるからでしょうか。
海を越えてる分、お互いにリスペクトする気持ちがあるし、さらに、お互いに興味があるからだと思います。新鮮なんですよね。撮影中に出てくる飲み物1個ですら違うじゃないですか。ご飯も違うし。ひとつひとつが新鮮だったから、よりスタッフたちも仲良くなってたのかな、と。
──この映画は、監督を始められてちょうど10年ぐらいの作品で、取材などで監督人生第二章の始まりだとおっしゃっていますが、ここが節目だったと感じるものがあったのでしょうか。
台湾での出会いと、(プロデューサーの)河村光庸さんがいなくなって、別れも同時にあったのが36歳だったので。
──なるほど。
節目というか、自動的にそういう流れになってたんだな、と。そういう運命だったんだと受け入れてるような感覚です。この映画が完成した後に、これが第二章なんだなっていう感情がぽっと出たような。
──やはり河村さんとの別れは監督にとってすごく大きな出来事だったんですね。
ただ、まだ全然別れた気がしてなくて。なんでかと言うと、まだめっちゃ企画があるんです。
──そうなんですね!
消化試合がまだ残ってて、続いてるんです。実際、2026年ぐらいまで続くんで。
──ほんとですか。
だから、死んだような感じがしなくて。それが終わったら成仏かな。『パレード』も作りましたし。
──別れと同時にこの出会いもあったという意味で節目になった、と。
変わるものと変わらないものですよね。僕らもサイバーエージェントのグループに入ったり、Netflixとパートナーシップを締結したり。いろんなことがあったんですが、それも流れるようにというか、最初から決まってたんじゃないかと思うこともあって。それに抵抗せず、ひとつひとつ丁寧にやっていくフェーズなんだと思います。だから、この後15年ぐらい合作の作品がなかったとしても、それはそれだと思っています。
──本作は現在と過去が交互に描かれていますが、脚本を書く上で、過去と現在のバランスはどのように考えられたのでしょうか。
ロードムービーだったので、そこはあんまりロジカルに決めきることなく、どこで何を思い出すんだろうと考えて書いてました。現在と過去のコントラストを求めて書いていた感覚です。
──それがすごく絶妙でした。もうちょっと過去パートを見たいと思ったら現代に戻って、現代で物語が進んで、もうちょっと見たいと思ったら過去に戻って。編集のバランスも難しかったんじゃないかと思ったんですが、ほぼほぼ脚本通りだったのでしょうか。
ほぼ脚本通りですね。落としたシーンもほぼないです。僕が30歳になってからの作品の編集を全部やってくれてる古川達馬が初号試写で観て、「俺、編集うま」って言ってたので、「うるせえ。本通りだ」って(笑)。
──(笑)。それで言うと、撮影の今村圭佑さんと監督は大学からずっと一緒にやってらっしゃいますが、先日公開された、川村元気さん原作の映画『四月になれば彼女は』も今村さんが撮影されていました。
あの作品の監督をしていた山田智和もサークルの後輩です。
──ほんとですか。
僕が4年の時に智和が1年で。彼の初めての現場が僕の助監督でした。今村が撮影した作品は、あーあ、やっちゃってるって思いながら見たりしますね(笑)。と言いつつも、すごいアーティストになったと思いますし、彼はすごく本も読めるので。大学時代からやってることは変わらないんです。僕が大学3年生の時に彼が1年生で。僕がサークルの先輩であり、代表でした。
──そうだったんですね。
BABEL LABELの社長と僕が同級生で。それがもしかしたら、ジミーとアーロンみたいな関係かもしれません。でも、その時からずっとやってることは一緒で。ふたりでカメラを買って、今村と自主映画を作って。彼は学生だったから、ただで使えると思って(笑)。それはジョークですが。
──(笑)。
お互い認められる角度が変わって。僕は『オー!ファーザー』の脚本から入って。彼は萩原(健太郎)さんとかいろんな監督と一緒に広告をやるようになって。「若き天才カメラマン」とか言われるようになって。「何これ?」って僕はいじってますけど(笑)。腐れ縁みたいなものですが、やっぱり僕の本を1番理解して、1番具現化してくれるのは今村だと思います。
──話が戻りますが、ロジャー・ファンに繋がるきっかけは何だったのでしょうか。
ロジャー・ファンと僕たちを繋げてくれたのは、スチールをやってる江(毓軒)くんなんです。彼がスチールになる前は、BABEL LABELで僕のアシスタントをしていて。彼は台中出身なので、プロダクションに営業メールを打ってもらって。そこに、僕と社長の山田と江くんの3人で行った時に、今作のプロデューサーのロジャー・ファンに出会いました。
──なるほど。そこから江さんはスチールもやるようになったんですか?
数年経って、彼はBABEL LABELを卒業して写真家になったんです。1発目の写真家デビューがこの映画で、写真集も出すことになって。良かったと思ってます。
──ほんとですね。いろんなことがこの映画に繋がったように感じますね。
そうですね。縁は諦めなければ途切れないし、続いていくものなので。どこかで合流するし。そういうものを楽しんでいきたいです。今回の日本パートのプロデューサーの前田(浩子)さんは『宇宙でいちばんあかるい屋根』のプロデューサーですし。
──『宇宙でいちばんあかるい屋根』もそうでしたが、本作も含めて、監督の作品には山中崇さんがよく出てらっしゃいますよね。
カメレオン俳優ですよね。最初は「100万円の女たち」というドラマで。その前にワコールのCMでご一緒して。ずっとただのファンだったので。そこから、たくさんの作品でご一緒させてもらえるようになって。今や僕の作品に欠かせないというか、今回も友情出演みたいな感じで、社長役で出てくださいました。すごく好きな俳優さんで、いつもお世話になってますね。
──『宇宙でいちばんあかるい屋根』が一番優しい感じの山中さんでしたが、でもたまに嫌な感じの山中さんも見たくなる、不思議な俳優さんですよね。
確かに。この先々もいっぱい出てきますので、楽しみにしててください。
──ほんとですか。楽しみです。ちなみに、先日発表されていた木村(大作)カメラマンとの映画はもう撮り終わったのでしょうか。
終わりました。
──いかがでしたか。木村カメラマンは。
勉強になったというよりも、とにかく楽しかったです。僕が商業デビューして10周年のタイミングで、大作さんはカメラマンデビュー50周年って言ってました。84歳ですからね。
──すごいですね。
50年カメラマンやってるってすごいですよね。パブリックイメージだと、「馬鹿野郎~」みたいな感じですが、愛情と映画愛のある、可愛い人だなと思ってます。
──木村さんと言えば、富山のイメージですが。
また富山ですね。漁港の話です。
──木村さんは富山大好きですもんね。
たぶん、もう新しいロケ地を探すのが面倒くさいんだと思います(笑)。
──慣れてるところがいいと(笑)。
全部わかってますもん。日の出る位置とか。コンパスついてんのかなって(笑)。そういえば、昨日の舞台挨拶で舞台裏へ行った時に、ふと思い出したんです。『最後まで行く』の時に、あそこで岡田(准一)さんに「次の映画のカメラマンを悩んでて。誰かいい人いません?」って聞いたら、「木村大作とか面白いと思いますよ」って言われたんです。
──木村さんを推薦したのは岡田さんだったんですね。
「マジすか!?」って言いましたけど。その後、木村さんと繋げてくれたのも岡田さんなんです。
──岡田さんは木村さんの作品に出てらっしゃいましたもんね。
2本やってるんです。『追憶』と『散り椿』で。だから、責任の半分は岡田さんにあると思ってます(笑)。
──監督は、「イクサガミ」で岡田さんとまた一緒にやられるんですよね。
また明日から一緒です。
──『最後まで行く』の時に、岡田さんが「藤井さんはすごく忙しくて、5年先まで埋まってます」っておっしゃってて。
自分で埋めてるのに(笑)。
──その時既にご自分で埋めてたんですね(笑)。
そうなんです。波長が合うのか、気に入ってくださってて。僕も好きだから、撮影していてすごく楽しいです。
──本作の台湾パートの舞台になっている台南は、郷愁を誘う風景が印象的でした。台湾と言えば台北のイメージが強いですが、舞台を台南にされたのはどんな理由があったのでしょうか。
元々は、嘉義(かぎ)という台中の町が舞台だったんです。でも、アミというキャラクターをどんどん深めていったら、初めての旅で嘉義って結構ニッチなところに行くなと思ったんです。あの頃はまだ新幹線も通ってないので。だから、彼女が芸術の知識がある人で、台北でアートはどこ?と聞いたら台南に行くなと思って、最終的に全部台南に変えました。
──台南に変えることはすんなりといったのでしょうか?
慌ててはいました(笑)。嘉義でロケハン進めてるけど...って。「ごめん」と謝りました。
──監督は台南に行かれた経験は?
ありました。祖父の墓があるので。
──では、なんとなくの土地勘はおありだったのでしょうか?
全然ないです。
──おぼろげな記憶みたいな感じでしょうか。
そうですね、遺伝子レベルで覚えてる感覚というか。行ってみたら、やっぱりすごくいい場所だと思いました。
──ジミーとアミが夜景を見た展望台みたいなところもすごく良かったですよね。
あそこは台南からちょっと離れてて。ロケハンに行った時に、僕が、ここがいいって言って、急遽決まった場所だったんです。そこが今は、シュー・グァンハン展望台って名前になってます(笑)。
──すごいですね。名所になったんですね。
「カラオケ神戸」も、元々は全然違う名前だったんですが、撮影中に僕らがあの看板を作ったら、お店の人たちがそのままお店の名前を「神戸KTV」に変えちゃったんです。だから今、観光客がたくさん来てるそうです。
──アミちゃんが描いた絵はどうなってるんですか。
実はあれは、絵本作家をやっている僕の姉が全部描いたんですけど、あのままあるみたいです。
──ほんとに聖地巡礼できるんですね。
もし台湾に行かれる際はぜひ。雲林というちょっと遠いところにあるんですが。
──台湾でジミーとアミがバイクでふたり乗りする橋のシーンと、日本でも橋のショットがあって、ふたつが重なってるように感じたんですが、それはどのように思いつかれたんでしょうか。
僕らはトランジションと呼んでるんですが、過去と現在をどれだけシームレスにするかを考えた時に、橋をひとつの共通点にしようと。合作ということや掛け橋みたいな、いろんな思いを含めて"橋"を意識的に撮っています。あれは、両方ドローンで撮れる橋を見つけてもらいました。
──ジミーが日本を旅する時に電車で回っていくルートは、電車の乗り継ぎもハードなルートだったと思います。電車の待ち時間もあって大変だったと思うのですが...
1日1本とか2本なので。だからこそ、旅っぽくて良かったと思ってます。人生ってそんなに真っすぐいかないので。回り道してる感じを出してほしいとリクエストしたうえで、雪がトンネルで見たいんですとか、いろんなオーダーを出した結果、あのルートに落ち着きました。ロケハンには時間がかかりましたが、楽しい思い出です。
ヘアメイク:西田美香
スタイリスト:皆川bon美絵
取材・文/華崎陽子
(2024年5月 7日更新)
▼TOHOシネマズ梅田ほか全国にて上映中
出演:シュー・グァンハン 清原果耶
ジョセフ・チャン 道枝駿佑 黒木華 松重豊 黒木瞳
監督:藤井道人
原作:ジミー・ライ「青春 18×2 日本慢車流浪記」
エグゼクティブプロデューサー:チャン・チェン
主題歌:Mr.Children「記憶の旅人」(TOY'S FACTORY)
【公式サイト】
https://happinet-phantom.com/seishun18x2/
【ぴあアプリ】
https://lp.p.pia.jp/event/movie/306962/index.html
ふじい・みちひと●1986年8月14日生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。大学卒業後、2010年に映像集団「BABEL LABEL」を設立。伊坂幸太郎原作『オー!ファーザー』(2014)でデビュー。以降『青の帰り道』(18)、『デイアンドナイト』(19)など精力的に作品を発表。『新聞記者』(19)では日本アカデミー賞で最優秀賞3部門含む、6部門受賞をはじめ、映画賞を多数受賞。以降、『宇宙でいちばんあかるい屋根』(20)、『ヤクザと家族 The Family』(21)、「アバランチ」(21/CX)、「新聞記者」(22/Netflix)と話題作が公開。2022年に公開した『余命10年』は興行収入30億円越えの大ヒットを記録した。2023年も『ヴィレッジ』や『最後まで行く』が公開され、2024年も『パレード』(Netflix)を発表するなど、オファーが絶えない日本屈指の映画監督。