ホーム > インタビュー&レポート > 「誰かを熱烈に愛したことは人生にとってプラスになる」 佐藤健、長澤まさみ、森七菜共演で 川村元気のベストセラー小説を映画化した 『四月になれば彼女は』原作者・川村元気インタビュー
──まず、恋愛小説を書こうと思ったのはどうしてだったのでしょうか。
普段映画を作っているので、小説を書く時は人間が解決できないことをテーマにしようと決めていて。最初の『世界から猫が消えたなら』は死ぬことで、2作目が『億男』でお金。3作目が恋愛。どんなに人間が賢くなっても未だにその問題に振り回されてる。4作目の『百花』が記憶で、そこは一貫しているんです。
──なるほど。
だから、恋愛小説を書くことだけは決めていたら編集者から、「大人の恋愛小説はもう売れないです」と言われて。なんでだろう? と思って取材し始めたら、周りの人が全然恋愛していないことに気づいた。
──確かに、そうかもしれません。
精神科医に「なぜ現代人は恋愛をしなくなったのか」を分析してもらおうと思って取材に行ったら、その精神科医も奥さんの体にもう2年間触っていなくて、離婚の話をしてると。やっぱり人間って自分の問題は解決できないんだなって。人のアドバイスはみんな的確にするじゃないですか。でも、アドバイスをしてる本人が自分の問題を全然解決できてないというのが現代的だなと。
──現代的だと。
僕自身も小説であれだけ、いろんな人のことを書いてるくせに、自分の問題は本当に何も解決できないから。そこが今の病というか。
──その病はどんどんひどくなってるような気がします。
きっと昔からそれぞれの問題はあったのだと思うのですが、可視化できるようになっちゃいましたよね。snsの登場で。昔は誰も気づかなかったのに、自分の感情を世界中の人が見られるようになったじゃないですか。
──昔は誰も世界に向けて発信してなかったから。
そうなんです。自分の感情に対して、見知らぬ人に見られたりコメントがついたりするようになったのが昔とはちょっと違うと思うんです。見えてしまうから、嫌な気持ちになる可能性も高くなりましたよね。だから、本作も小説と映画で大きく違うのは、弥生のキャラクターで。映画の弥生は、生き辛い現代を象徴しています。
──そうですね。小説の弥生さんはそこまでしんどそうではなかったですよね。
そうなんです。この8年間で顕著だったのは、僕が一緒に働いている20代から50代ぐらいの人たちが本当にギリギリで生きてるなと思ったことでした。
──ギリギリというのは精神状態という意味でしょうか?
メンタルもそうですし、ストレスですね。snsもあるんだろうけど、ストレスとどう戦うかという。日常を生きてるだけでストレスが多いのに、恋愛でもストレス負荷をかけたくないという考え方はわかりますよね。
──ストレスを感じずにどう生きていくかという社会になってますよね。
先日、新潮で発表した『私の馬』という小説は、そんな社会の中で動物にのめりこんでいく人の話なんです。僕の周りで、馬に乗る人や猫や犬を飼ってる人がものすごく増えていて。言葉がない世界に入っていくというか。ストレスがないですよね、動物に触れてる時は。劇中で弥生も動物について語るのですが、8年前に書いたことは今、現実になっている気がします。
──繋がってますよね。
やっぱり、自分の書いてるものってどこかで繋がってくるんです。弥生が「動物には恋愛感情がなくて言葉もないから、人間といる時よりも優しくなれる」と言いますが、この8年間を経て、より強固になってると思います。
──映画の中で弥生が「動物といるときの自分が1番好きになれる」みたいなことも言うじゃないですか。あの台詞はグサっときました。小説ではそこまでの言葉はなかったですよね?
小説の弥生は街の獣医ですが、映画では動物園のお医者さんになってるので。あれは現在の状況を反映していると思います。
──小説を書いてから映画になるまでの8年間で、他にも変化を感じることはありましたか。
僕の周りの仕事のできる女性がみんな猫を飼ってるんです(笑)。男性がよっぽど面白くないのかな、と考えたりします。映画の中でも仲野太賀演じるタスクが「結婚なんて馬鹿かノリじゃないとできない」と言いますが、考えれば考えるほどリスクしかない。その中で、それでも人がなぜ恋愛するのか、恋愛とは何かを考えてみるというのが、この映画のプロジェクトだったかもしれません。
──先ほど、人間が解決できないことを小説で書こうと思っているとおっしゃってましたが、『世界から猫が消えたなら』も『百花』も『億男』も、何かを無くす物語だと思います。なくしたものを映画で描くのは、すごく難しいことなんじゃないかなと思うのですが。
小説は、「ない」と書いたら、読者が「ない」世界を想像してくれるんです。「猫が消えた世界」と書いた瞬間に、その世界は読者の脳内では存在できる。でも、映像で「猫が消えた世界」を撮ってくださいと言われるとすごく難しい。そもそも、恋愛やお金が消えたというのはすごく小説向きの表現だと思っていて。せっかく小説を書くならそういうものを描きたいと考えています。それを映像にするので、毎回、すごく難しいと思いながら映画化しています。
──難しいですよね。
これは僕の基本的な考え方なんですが、人間って悲しいかな、失った時に初めて存在に気づくんですよね。
──そうですね。
例えば、母親が死んでしまうかもしれないとなった時に初めて母親のことを考え始めるというか。毎日接してる"おかん"については深く考えないけど、そうなった時に急に考える。最近だと、僕は靴下を片っぽ無くしたんですけど、今まで雑に扱っていたくせに、なくした瞬間に「あれ? どこいったんだろう? 気に入ってたのに!」って一生懸命探すんですよね。喪失して初めて考えるのが人間だと思っているので。なくしてしまったものを考えることが1番、存在を感じる方法なのかな、と思います。
──それは小説を書くうちに気づかれたのでしょうか?
元々そういう人間ですね。この間、藤井風くんと対談をした時に話題に出たのですが、長澤まさみ演じる弥生が映画の中でも言いますよね、「幸せな時に、その幸せが終わっちゃうことを想像してしまう」と。例えば、死ぬことを前提としているから、どう生きるか考えるみたいな。それが僕らの考え方というか。終わりがあるものだから、キラキラして見える。
──それはあると思います。
僕は造花が嫌いなんです。枯れないものを愛でようとは思えない。桜は一瞬で散るから、みんな見に行く。僕が『百花』や『世界から猫が消えたなら』、そして本作で描いてきたことは、恋愛や命や花は一瞬のものだということなんです。終わりがあるものだから美しいというイメージで、いつも書いてるような気がします。
──森七菜さん演じる春の台詞で「愛してると感じるのは一瞬」というのがありましたが、そういうことですよね。
"めっちゃ好き"みたいなのは一瞬じゃないですか(笑)。
──そうですね(笑)。
ただ、その一瞬があるから、その後も一緒にいられるとも言える。それがなかったら始まりもしないので。難しいとこなんですけどね。避けがたく離れていくことはあるんだけど、もしかしたらどこかでまた重なるかもしれないし。
──今回、川村さんは脚本に入ってらっしゃいますが、台詞やキャラクターの取捨選択の判断はどのようにされたのでしょうか。
山田智和監督がやりたいことを成立させるためには、原作を切り貼りしてもうまくいかないので、僕が台詞の書き替えを担当していました。でも、映画で活きるエピソードと小説じゃないと成立しないエピソードがあって。例えば、弥生の妹の純ちゃんとか。映画ではキャラクターが大きく変わっていますが、彼女だけで面白い映画ができちゃうぐらいのインパクトがあるんですよね。
──小説を読むと、弥生の方がサブだったんじゃないかと思うこともありました。
純が面白すぎるんで。小説では、いろんな人の恋愛感情のバリエーションを表現しています。当時は言語化されていない性のあり方も描いていますし、性に奔放な人もいれば、セックスレスの人もいて。いろんな恋愛の様を書いてみようというのが、あの小説のテーマだったんです。
──今では当たり前に言われている多種多様な恋愛のかたちを、2016年に描いてらっしゃったんですね。
映画は、メインの3人に彼らの周りの人がどう影響していくかというかたちで映画的に構成されているので、原作と映画では、楽しみ方が違うと思います。
──たぶん、原作を読んでから映画を見ても、違うものとして楽しめるんじゃないかと思いました。
だから、今回は先に原作を読むことをおすすめしてるんです。
──なるほど。
原作を読んでいても後半の展開にはびっくりすると思うので、楽しめる。今回は何より、長澤まさみと佐藤健と山田智和が、ちょうど僕が小説を書いていたくらいの30代半ばの年齢で。これから結婚するのかしないのか、子どもを産むのか産まないのか、そもそも恋愛するのかしないのかと考えている時期です。その世代のど真ん中の人たちだったから、彼らの感性でやってもらう方がいいと思いました。
──原作小説が出た時に、佐藤健さんから川村さんにご連絡があったお聞きしましたが、どういうお話をされたのでしょうか。
小説に「愛を失わない方法。それは何でしょう?」という問いがあって、その答えが書いてあるわけですが、あれがめっちゃ刺さったみたいですね。あの答えが本人的には腑に落ちすぎたらしいです。彼も考え方が、僕と似てるというか。
──その会話もあって、主役は佐藤さんに決まったのでしょうか。
『世界から猫が消えたなら』と『億男』と佐藤くんにやってもらって。佐藤くんは僕の書いた小説の中では『四月になれば彼女は』が一番好きだと言ってくれてたので自然な流れでそうなりました。3本一緒にやったので、これでひとつのシリーズが完結した感覚はあります。
──『百花』と本作は小説の出版と映画の公開が後先になっていますが、それはたまたまなのでしょうか?
偶然ですね。8年前は『四月になれば彼女は』を任せたい監督もいなかったし、健くんがやるにはまだ若いって気持ちもあって。今じゃないのかなと思っている内に『百花』が進んで。あれも、原作を読んだ菅田将暉くんから電話があって。あの主人公は、当時の菅田くんと重なる部分が多かった。
──そうだったんですね。
やっぱり自分事に近づけてくれる人とやるのが1番いいと思うんです。山田智和監督の演出もそうですが、半分ドキュメンタリーで半分フィクションみたいな方がいいと思っていて。今回の藤代も弥生も、素の佐藤健や長澤まさみに近い部分がある。『百花』の時に、人生の転換点を迎えていた菅田将暉も同様です。僕はいつも、俳優が演技をするということ以上の、実人生と繋がっているようなところをやりたいと思うんです。
──それで言うと、森七菜さんも実人生と繋がる要素があったのでしょうか? 彼女がウユニ塩湖に立ってる姿はオープニングにふさわしいシーンだったと思いますが、森七菜さんのキャスティングはどのように?
森七菜さんは山田智和監督の強い希望でしたね。春は、藤代に送った手紙を読むシーンが多いので、声がいいことは絶対条件だと思いました。『天気の子』で彼女の声の素晴らしさは折り紙つきだったので。
──確かにそうですね。撮影時期は海外の方が1年ぐらい後だったんですね。
森七菜にとっても初めての長期海外旅行みたいな感じだったので、彼女が、とんでもない景色に出会って変わっていく様子がそのまま記録されてるんです。そこも半分ドキュメンタリーというか。旅行中に世界を知ったかのように大人っぽい顔になっていったので。
──海外での撮影は映画の順番通りだったのでしょうか。
いや、最後がウユニ塩湖だったんです。それも良かったと思って。だから、冒頭の表情と学生時代の表情が全然違いますよね。旅を終えた後の顔と、撮影が始まる前の森七菜の顔は全然違うので。
──だから違和感がなかったんですね。
海外のパワーは大きかったかもしれないですね。
──監督を山田さんに任せようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
僕は元々、彼の撮るミュージックビデオのファンで。米津玄師の「Lemon」とか、最近だと宇多田ヒカルやKID FRESINOのMVも素晴らしい。現代の都市を撮るのがとてもうまいと思っていたんです。この映画は現代の都市と人間論みたいな話なので。それに加えて、8年前にDAOKOのミュージックビデオで一緒に仕事した時に、「いつか映画を撮りたい」と言ってたことを覚えていて。
──山田さんにとっては初監督作になりました。
彼のいいところが活きればいいなと思いました。彼の弱点は、撮影は名カメラマンの今村圭佑くんで、映画音楽は小林武史さん。手練れが周りにいるから初めてでも乗り越えられると思ってました。
──彼のセンスでやりたいようにやってもらえれば、フォローはするよっていう。
そうですね。映画はやっぱりチームで作るものだと思うので。それは、僕が『百花』で監督をやったことも大きかったかもしれないです。自分の得意なことと自分の苦手なことが、はっきりわかったので。得意なことをなるべく伸ばして、苦手なことが補強できるチームを作るっていうのは、映画作りの大事なところなので。
──川村さんが撮るという選択肢はなかったのでしょうか?
自分では小説を書いた頃のような熱量で撮れないなと思っていました。『百花』は僕の祖母の話だったし、自分の親が自分のことを忘れちゃうかもしれないとか、そういうリアリティみたいなものがすごくあって。自分じゃないと撮れない映像のイメージもあったので。僕では『四月になれば彼女は』で出てくるアイスランドをあんなに綺麗に撮れないと思うから(笑)、やっぱりあれは、ミュージックビデオで場数をこなしてる人じゃないと無理ですよね。ブラックサンドビーチの波の俯瞰のカットとか。
──あれはすごかったですね。
すごいですよね。あんなの絶対撮れない。よくああいう発想を持つよなと。だから、任せてよかったなと思いました。
──先ほど、有限であるものに魅力を感じるというお話がありましたが、『世界から猫が消えたなら』でも手紙のシーンがあって、本作でも手紙とフィルムカメラが重要な役割を果たしています。そういうアナログな物に対する愛着は川村さん自身もお持ちなのでしょうか。
フィルムカメラは特に、今回のテーマですよね。スマホで写真を撮ると簡単に消せるし、加工もできる。でも、フィルムは取り返しがつかない。どう映ってるのかもわからなくて、時間が経って現像したら驚くというのは、恋愛感情と似ていると思うんですよね。恋愛もその瞬間はわからないじゃないですか。浮かれちゃってるから。
──なるほど。
時間が経って振り返った時に、あの時の自分、白目向いてたなみたいな(笑)。恋愛とフィルムの写真は、そういう感じが似てると思うし、僕はそういうものが好きなんです。その場でわかる感情ってつまらない。手紙も読み返したら最悪じゃないですか。
──最悪ですね(笑)。
『百花』には日記が出てきますが、日記や手紙は書いた時のエモーションと時間が経って読み返した時の感情が全く違うから。どっちかというとアナログなものが好きというよりは、時間差が好きなのかもしれないですね。時間が経ってわかってくるものが好きなのかもしれない。
──なるほど。映画もそうですよね。
映画もそうです。100年後も観られますからね。小説もそう。この間、『四月になれば彼女は』の読者の試写イベントをやったら「8年間毎年読んでます」という読者がいたんですよ。8年前に10代だった人が今、20代になって。感情移入するキャラが毎回違うらしいんですよね。小説はそういう意味で面白いですよ。時間が経った時に全然感じ方が違ったりするから。そういうものに興味があるんでしょうね、きっと。
──完成した映画を見た時はどんな印象でしたか。
僕が出来上がったなと思ったのは、藤井風の曲が上がってきた時で。その時にこの映画終われるなと思ったんです。小説のラストはインドに行くんですが、映画は大きく変わっていて。
──変わってますね。
オープンエンドというか、要するに、ここからどっちにいくかは観客が感じるエンディングですよね。オープンなんだけど、やっぱり恋愛映画をやる以上、恋愛を肯定して終わりたいって気持ちはすごくあったんです。
──小説も映画も人を愛することの大切さみたいなものが伝わるラストだったと思いますが、そこには、そういう思いがあったのでしょうか。
そうですね。藤井風と主題歌の話をした時に、「ラブソングを書く必要はないけど、最後に歩いていくふたりの背中を押してほしいし、そこが希望であってほしい」とお願いしたんです。そうしたらあの曲が上がってきて。もちろんうまくいく人も、うまくいかない人もいるだろうけれども、少なくとも誰かを熱烈に愛したということは人生にとってはプラスなんじゃないかと僕は思っているので。それは痛くても。
──映画にすごく寄り添う歌だったと思いました。
「手を放す 軽くなる 満ちてゆく」という歌詞があるんですが、それを読んだ時に、そういうことですよね、と膝を打ちました(笑)。音楽で強烈なアンサーを出してくれて。そういうものが生まれるのが1番嬉しいんです。
──なるほど。
自分が書いた物語がきっかけでああいう曲ができて。自分が小説を書く前に見に行ったアイスランドの景色にしても、真上から海を見下ろすカットが出てきた時に「なんか葬式と結婚式の狭間みたいなカットだな」って思って。真っ黒と真っ白で。そういうことに出会えるのが嬉しいですね。森七菜の顔が劇中でまるで変わってしまってるとか。
──この映画がなかったら出会わなかったことですもんね。
そういうひとつひとつですね。映画がどうというよりも、そういう出会いみたいなものが集まって、映画としての楽しみになるのかなと思うので。最後に風くんから曲が届いた時が、ガッツポーズをした瞬間でした。
──ところで、劇中、小説でもウユニ塩湖とチェコとアイスランドが登場しますが、なぜその3か所だったのでしょうか。
どこも書く前に旅した場所で。3か所ともあの世っぽいんです。生と死の距離が近い場所でしたね。特にアイスランドとウユニは、自分の人生が数十年で、その中で一生懸命に幸せになろうとしたりするけど、このスケールからすると本当に一瞬というか、しょうもない話なんだなっていう諦めに似た爽快さがある場所で。
──自分悩みが小さく見えるというか。
それが「軽くなる」ってことかなと思ったんです。自分の背負ってるものがものすごく重いと思うか、些細であると思うかは、生き方にも影響すると思うんです。
──それが、最初におっしゃっていた現在のストレスフルな社会に対するアンサーなのかもしれないですね。
そうかもしれないです。今まで歌で「軽くなる」って歌詞が出てきたことは今まであまりないと思うんですよね。
──確かに。
聞いたことのない言葉だなと思って。軽くなるのは悪いことじゃない。
──仲野太賀さん演じるタスクの「結婚なんかデメリットしかない」という台詞がありますが、ある意味、この作品からはその台詞に対するアンチテーゼみたいなものを感じたんですが、川村さん自身はどのようにお考えでしょうか?
僕はデメリットだらけでも、気持ちに従うことに憧れます。メリットがないのでやりません、というのがあんまり好きじゃない。理性と野性があって、そこが理性だけに傾くとつまんないよなっていうのはすごく思いますね。
──確かにそうですね。
僕の興味はいま動物......野性そのものの「馬」に行ってます。僕が乗って右に曲がろうと思ったら、僕が思うより少し先に右に曲がるんですよ。言葉以上のコミュニケーションに、感動してしまうんです。
──俳優さんでも、時代劇のために乗馬の訓練をしてたら、そのままハマったって方もいらっしゃいますもんね。
絶対ハマります。だって、これだけ人間同士が話し合っても分かり合えないのに、話さなくてもこれだけ伝わるんだから。もしかしたら恋愛というのは、人間に残されたそういう「言語を超えた野性」の最後の砦なのかもしれませんね。
取材・文/華崎陽子
(2024年3月21日更新)
▼3月22日(金)より、TOHOシネマズ梅田ほか全国にて公開
出演:佐藤健 長澤まさみ 森七菜
仲野太賀 中島歩 河合優実 ともさかりえ
竹野内豊
原作:川村元気「四月なれば彼女は」(文春文庫)
監督:山田智和
脚本:木戸雄一郎 山田智和 川村元気
音楽:小林武史
主題歌:藤井風「満ちてゆく」
【公式サイト】
https://4gatsu-movie.toho.co.jp/
【ぴあアプリ】
https://lp.p.pia.jp/event/movie/285612/index.html
かわむら・げんき●1979年、横浜生まれ。『告白』、『悪人』、『モテキ』、『おおかみこどもの雨と雪』、『君の名は。』、『すずめの戸締まり』、『怪物』などの映画を製作。2012年、初小説『世界から猫が消えたなら』を発表し、同作は29カ国で出版され世界累計200万部を突破し、2016年に佐藤健主演で映画化。2022年、自身の小説を原作に、脚本・監督を務めた映画『百花』が第70回サン・セバスティアン国際映画祭にて日本人初となる最優秀監督賞を受賞した。その他の著作に、小説『億男』、『神曲』、翻訳を手がけた絵本『ぼく モグラ キツネ 馬』、宮崎駿や坂本龍一などとの対談集『仕事。』がある。2024年3月に新作小説『私の馬』を発表。