ホーム > インタビュー&レポート > スタジオポノックが贈る緻密な手描きアニメーションによる最新作 寺田心、安藤サクラらが声優を務めた映画『屋根裏のラジャー』 百瀬義行監督&西村義明プロデューサーインタビュー
──まずは原作との出会いについてお聞かせください。
西村プロデューサー(以下、西村P):『メアリと魔女の花』を作った直後にこの原作に出会いました。本屋さんの児童書コーナーに「ぼくが消えないうちに」が平積みで置かれていて。どうせ、大人が泣ける本という売り方をしたいんだろうな、と斜に構えていたんです。
でも帯に、僕が敬愛する翻訳家の金原瑞人さんが「子どものときのことなんて、みんな忘れていく。でも、子どもに忘れられていく友だちを書いたこの本を、きみはきっと忘れない」というコメントを寄せていて。素敵な言葉だな、と。子どもたちが観るアニメーション作品を作るという自分たちの仕事と関係あるんじゃないかと思って手に取りました。
──読んだ印象はいかがでしたか?
西村P:とても面白かったです。その一方で、この物語は想像された少年を扱いながら、想像力がテーマではないと思ったんです。それはモチーフにすぎなくて、本当は人間の生と死に踏み込んだ企画をやろうとしたけど、原作者はできなかったのではないかと。だったら、映画なら出来ると思いました。それがこの映画のスタートでした。
──百瀬監督は原作を読まれてどのように感じられましたか?
百瀬監督(以下、監督):着眼点は面白いと思いました。想像する側が主人公じゃなくて想像された側が主人公という点や、ラジャーだけじゃなく他にもたくさんイマジナリがいて、図書館でコミュニティが出来上がっているところが。イマジナリーフレンドと言われると、どんどん内側に入っていくような感じがするじゃないですか。
──確かにそうですね。
監督:でも、この原作は広がっていくんです。そんな印象を受けたことが新鮮でした。それに、行間を読んでいくと深みがあるんです。行間をうまく拾いながら映像化できればいい作品になると思いました。
──想像される側であるラジャーが主人公というのは珍しいと感じました。
西村P:人間が主人公になっている作品はいっぱいありますから。人間を成長させるためだけに誰かが存在する物語とは真逆だから、ラジャーに感情移入して観ることができるんです。彼は、自分の意志で生まれたわけじゃないし、消えるのも自分の意志じゃない。それって人間と同じですよね。人間も生まれたくて生まれたわけじゃない。
──そうですね。
西村P:人間も自分が死にたくて死ぬわけじゃない。ラジャーは3ヶ月で、人間は50年なのか100年なのかわからないけど。じゃあ、何をもって人間は人生を満足して生きたと思えるんだろうか? と。作者はきっと、3ヶ月しか生きていない少年に人間の大きな問題をぶつけてみたんだと思います。
監督:人間は性別も選べないし、生まれてくる時代も選べない、もちろん場所も。世界がこんな状況だから、場所によって全く人生が変わっちゃうのに。偶然生まれてきたと考えると、結構残酷ですよね。
西村P:ラジャーは自分で想像できない。ということは、尊厳も自由も奪われているんです。僕は正直に言えば、ラジャーが消えちゃってもいいと思ったんです。だって、想像力は無限なんだから、もうひとり生み出せばいい。ラジャーが消えちゃいけないなら、それはなんでなんだろう、と。
──なるほど。
西村P:ラジャーでないといけなかった理由は原作には描かれていないので、その理由を作ろうとすると、アマンダの人生をちゃんと作らなきゃいけない。それを考え出すと、イマジナリたちを想像した人間の人生も作らなきゃいけないんです。これが楽しくもあり、大変でした。
──そういうこともあって、公開が延期になったのでしょうか?
西村P:この作品は、フランスのクリエイターと協力して、従来の日本で作ってきたアニメーションよりも一歩も二歩も進化させています。その体制が整っていなかったことの混乱と慢性的なクリエイター不足、そして働き方改革ですね。最初の目算を誤ったというのもありますが、コロナでリモートワークになって、コミュニケーションが全然上手くいかなくて、現場は大混乱で崩壊の危機でした。
──大混乱に陥っていたんですね。
西村P:決して満足がいくものはできないと思いました。もしかすると、一般のお客さんにはバレない程度の作品にはなるかもしれないけど、わかる人には手を抜いたとわかるものになってしまう。それを作ったらもう2度と僕は長編を作りたいと思わないだろうと思いました。アニメーション映画はアートの部分もあるけど職人の部分もあるので。職人が1回手を抜いたら、手を抜いた自分を許せなくなります。だから、延期せざるを得なかったんです。皆さんにご迷惑をおかけしてしまいました。
──そんな混乱の中、寺田さんの声変わりを見越して1年前に声を録られたとお聞きしました。
西村P:寺田さんの芝居は本当に上手くて。声が変わりそうだったから、台詞を先に収録することにしました。これは、百瀬さんも僕もわかっていたことですが、製作途中に声が入ることによって現場は混乱するんです。
──画に声をあてるのではなく、声に画をあてることになるからでしょうか?
西村P:彼の芝居が基準になってくるので、声を基準に画を直す作業も必要ですし、あるいは、声が芝居を規定してしまっているから、声に合わせた芝居を百瀬さんが設計する必要もありました。
──それほど寺田さんの声が魅力的だったのでしょうか?
監督:声質もありますが、演技力は一番でした。ラジャーは、いろんな感情を出す必要がありますよね。一色に染まっていて、それをずっと押し通せるような素朴な少年という役ではないので。だから、演技力が必要だった。それともうひとつは、寺田さんの声を聞いているうちにだんだんラジャーの声に聞こえてきたんです。それくらい馴染んでました。
──確かに寺田さんの声はラジャーのイメージにぴったりでした。ここまで長い時間がかかって、ようやく公開を迎えるわけですが、今の心境というのは?
西村P:今回は、「伝わる」という確信があるんです。この映画を観てくれさえすれば絶対に伝わるし、誰かの中にずっと残る作品になるという確信があるから、待ち遠しいとかいよいよという感覚はないですね。
──先ほど、フランスのクリエイターと組んだとおっしゃっていましたが、具体的にはどの部分を進化させたのでしょうか?
西村P:フランスのクリエイターには、キャラクターを描いてもらってます。端的に言うと、肌の質感と光と影のライティングです。
監督:従来のアニメーションだとセル画を線でぱっきりとノーマルの色、影の色、あるいはハイライトという風に塗り分けで表現するんですが、この映画の場合はそれがグラデーションになっているんです。フランスのスタッフには、そのグラデーションの幅の中に違う色を入れたり、背景が月光だったら、月明かりのハイライトを入れるなど、複雑に描き込んでもらいました。
──細かいところまで描き込まれているんですね。私は、想像の世界の描写に圧倒されました。
監督:それがこの映画の特徴ですが、一見すると、今までと違うという感覚にはならないかもしれません。想像の世界が美しかったとおっしゃいましたが、それは複合的な要素によって出来上がった印象だと思います。画の主張が強すぎると、物語を観ているつもりなのに画が邪魔することもあり得るんです。だから、主張しすぎない程度の画になっていると思います。
──奥行きが感じられたのもそういうことが理由でしょうか?
監督:それは、ピントをどこに合わせるかをすごく意識したからだと思います。空間的な広がりを出したいというのと、どこに集中して観てほしいかをすごく考えました。平面の画で描かれているのに、奥の方は少しボケて見えるとか。そういうことを、CGではなく平面に描いた画で表現しようと思うと大変なんです。
西村P:わかりやすく言うと、アニメーションは手描きなので平面ですよね。本当は1枚の画が動けばいいんですが、それを量産するために分業して、背景美術とキャラクターに分かれるようになった。それに近づけたのが『かぐや姫の物語』なんです。キャラクターがシンプルだったら、背景も間引いて1枚の画に見せてしまえ、と。言わば、引き算の美学ですよね。
日本のアニメーション映画が培ってきた、空間や奥行きのある背景美術に対してキャラクターがペタッとすることなく、立体感を持ちながらそこに存在したらとても美しくなるに決まってるんです。でも、日本のアニメーションはそれができなかった。それが、キャラクターに質感とライティングを与えることによって、足し算の美学が生まれたんです。この映画は、足し算によって美しさを描くことにたどり着いたんです。
──それはこの映画だったからこそ、ということでしょうか?
監督:それはありますね。この作品だからこそ、それが有効に働くんじゃないかと。そういう風に作った方がこの作品のためになるし、作品としての説得力を持つと思いました。
西村P:この作品の脚本ができた時に不安に思ったのが、夜と室内の場面が多いことでした。でも、西洋は横からライティングを当てるので、光の演出がしやすいんです。この作品だからフランスの技術が活きると思いました。一方で、この作品に出てくるイマジナリは、大人から嘘だと言われています。でも、この技術によって、イマジナリがいるという実在感を出すことが可能になったんです。観客が、ちゃんとそこにいると実感できたら、この子たちが怯えていることも迫真性を持つと思いました。
──ラジャーが怯えているところはそんな風に感じました。
西村P:この作品から、その技術を外したら違いがよくわかると思います。それがボディーブローのように効いてきて、いつしかラジャーと一緒にいるような感覚になると思います。
監督:ラジャーたちと本当の友だちになってほしいんですよね。「噓っこの存在」じゃなくて。
──イマジナリという存在は、日本の映画で描かれていることは少ないと思います。もしかすると、トトロはイマジナリだったかもしれませんが...。
西村P:もっと前からいますよ。『パンダコパンダ』なんてマジックリアリズムのはしりだし、座敷わらしだってイマジナリーフレンドですから。なぜ妖怪の世界で座敷わらしだけが悪人じゃなくて、子どもと家についてるのかと言えば、子どもが話している存在が大人には見えないからです。日本人はイマジナリーフレンドを座敷わらしと呼んだんです。
──なるほど。イマジナリーフレンドの概念はあるけど呼び方が違うんですね。イマジナリは日本で受け入れられると思われましたか?
西村P:思わなかったです。ただ、受け入れられるかわからないけど、やりたいと思いました。ただ、ラジャーを特殊なものとして扱ってはいないので、子どもはわかると思います。説明は難しいですが。でも、アベンジャーズもよくわからないですよね?
──確かに(笑)。
西村P:それと同じで、面白ければ観るはずなので。でも、イマジナリーフレンドという存在がわからない人が観ても違和感のないようにしたかった。想像から生まれたんだったら、角をはやそうと思えばはえるのかな? とか、なんで金髪なんだろう? とか、違和感を覚えてしまうと感情移入できなくなってしまうので。そこの工夫は必要でした。でも、この原作の最大の魅力は、彼が何もできないことだと思ったんです。
監督:そう、彼は何もできないんですよ。
──そうでしたね。
西村P:想像できるんだったら、アクションをバンバン繰り広げたり、図書館にいるイマジナリも、かっこいいクリーチャーにするなど、百瀬さんも僕も思いましたし、クリエイターたちからも提案はありました。でも、あのイマジナリたちは、子どもが想像したのであって、大人が想像したわけじゃない。想像主がいないと自分で変形なんてできないんです。だから、僕たちが節度を持つ必要があった。そんな何もできない少年が、実は今の日本人の様な気がしてるんです。
──ラジャーが今の日本人のようというのは?
西村P:自分は何もできないと思っていても、状況を変えられない人が多いと思うんです。ラジャーも自分では何も変えられない。ただ、誰かを大事に思っているだけというところに、この企画のすごく大事な要素があると思うんです。スーパーヒーローみたいに、自分の命をかなぐり捨ててでも行動できる人なんていない。でも、あなたにもできることはあって、そのために何が必要なのかを描こうとしているのがこの映画なんです。だからこそ、今の時代にふさわしい映画だと思います。
──なるほど。
西村P:北米ではスーパーヒーロー疲れだと言われていますが、僕はそこにリアリティを感じなくなったからだと思います。誰も世界を救えないことがわかったからですよ。
監督:世界を救うって相当なことですよ。でも、周りの数人を救うぐらいならひとりでもできるかもしれない。
西村P:そういう小さな世界を救うことが大きな世界を救うことに繋がるのに、みんな大きな世界を救おうとしちゃうんです。ロシアとウクライナやハマスとイスラエルの戦争なんて誰も何もできないですよね。でも、だからと言って見なきゃいいって話ではないんです。ちゃんと見なきゃいけない。そういう集積が共鳴し合えば奇跡が起きだすと思うんです。
──そうですね。
西村P:この映画は小さな物語ですが、小さな物語が大きな奇跡を生むことを描いているからこそ、今にふさわしい映画だと思っています。今は特に、嘘の物語に敏感になっているので。子どもたちの方が、大人たちの抱えている矛盾に気づくし、大人たちは大人たちで世の中の嘘に敏感になっているので。そんな時代に「嘘っこ」と言われる存在を描くってチャレンジングだと思いますし、実はそこに真実が詰まっていたとしたら、こんなに面白いことはないですよね。
──図書館のシーンで「想像力は人間にとって酸素みたいなもの」という台詞がありましたが、今の時代は想像しなくなってしまった世界のように感じます。そのメッセージは大人にこそ刺さると思います。
監督:思いやりみたいなことですよね。
西村P:今の時代では難しいですよね。想像って脳に隙間を作らないとできないんです。ずっと情報が入ってくるから、想像なんてできないし、人を察するには自分に余裕がないとできない。日本人全員が、時間がなくなって余裕がなくなってきたから、人を思いやる時間も物思いにふける時間もなくなってるんです。だから想像ではなく、批判した方が楽なんです。
──なるほど...。
監督:聞いてるだけでも嫌になっちゃいますよね。
西村P:何かを生み出す人間よりも批判する人間の方が、頭が良さそうに見えるんです。子どもたちがこんな歌が作りたい、こういう絵を描きたいと思ったとしても、誰かに何か言われるかもしれないと思って石橋を叩いちゃうかもしれない。何かをクリエイションしたり、発言する人に対して優しくしてほしいですよね。
──誰も夢を持てなくなっちゃいますよね。
監督:その通りだから、嫌になるよね。周りを見回せば、どこにでも面白いものはありますよ。観察眼と想像力があれば。西村が言い当てているだけに、そういうものがなくなっていく世相は辛いですね。
──そういう世界だからこそ、ラジャーを送り出したいということですよね。
西村P:原作を読んで企画を考えている時に、娘との散歩の時間を思い出したんです。大人の足だと1分で着くコンクリートの道なんですが、当時4歳だった娘はちょこちょこちょこちょこ寄り道するんです。そしたら、「パパあげる」って手にいっぱいの花があって。僕の目で見るとどこにも花なんて咲いてないのに。子どもの目から見ると花畑なんだな、と。僕は考え事をしながら歩いてるから見えないんです。
監督:西村は歩くのも早いしね(笑)。
西村P:世の中がみんな俺みたいになってるんですよ(笑)。みんな、何かに追われながら生きてるんです。でも、ラジャーはいろんなものを見つけることができる。そこに"ない"んじゃなくて、見ようとしてないだけなんです。誰もが相手を察することができれば、みんなで手を繋いで生きていけるんじゃないかと。そういうメッセージも込めています。今でも大人たちは馬鹿馬鹿しいことをやってるんです。それが現実だけど、子どもたちには現実に負けてほしくないという思いも込めています。
取材・文/華崎陽子
(2023年12月13日更新)
▼12月15日(金)より、TOHOシネマズ梅田ほか全国にて公開
出演:寺田心 鈴木梨央
安藤サクラ
仲里依紗 杉咲花 山田孝之
高畑淳子 寺尾聰
イッセー尾形
監督:百瀬義行
プロデューサー:西村義明
原作:A.F.ハロルド「The Imaginary」(「ぼくが消えないうちに」こだまともこ訳・ポプラ社刊)
【公式サイト】
https://www.ponoc.jp/Rudger/
【ぴあアプリ】
https://lp.p.pia.jp/event/movie/219856/index.html
ももせ・よしゆき●アニメーション演出家。高畑勲監督作品『火垂るの墓』(1988)での原画担当を機にスタジオジブリへ入社。以降『おもひでぽろぽろ』(91)、『平成狸合戦ぽんぽこ』(94)、『もののけ姫』(97)、『千と千尋の神隠し』(2001)など、数々のスタジオジブリ作品で中核的役割を担った。『ギブリーズ episode2』(02)で短編初監督。capsuleや新垣結衣のPVでも活躍。その後、スタジオポノック短編劇場『ちいさな英雄』(18)の一編『サムライエッグ』、2021年にはオリンピック文化遺産財団芸術記念作品となる短編映画『Tomorrow’s Leaves』を監督。
にしむら・よしあき●映画プロデューサー。2002年スタジオジブリに入社。宮崎駿監督初のTVCM『おうちで食べよう。』シリーズ(04)から製作業務に関わり、次いで『ハウルの動く城』(04)、『ゲド戦記』(06)、『崖の上のポニョ』(08)の宣伝を担当。その後『かぐや姫の物語』(13/高畑勲)や『思い出のマーニー』(14/米林宏昌)でプロデューサーを務め、二度の米国アカデミー賞にノミネート。2015年4月、アニメーション制作会社スタジオポノックを設立し、代表取締役兼プロデューサーを務める。『メアリと魔女の花』(17)、スタジオポノック短編劇場『ちいさな英雄』(18)、『Tomorrow’s Leaves』(21)をプロデュース。