インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 「愛しているかどうかは、受け取った側が愛だと思えばそれでいい」 松永大司監督が鈴木亮平&宮沢氷魚共演で贈る 愛の本質を問いかけるラブストーリー 映画『エゴイスト』松永大司監督インタビュー

「愛しているかどうかは、受け取った側が愛だと思えばそれでいい」
松永大司監督が鈴木亮平&宮沢氷魚共演で贈る
愛の本質を問いかけるラブストーリー
映画『エゴイスト』松永大司監督インタビュー

『トイレのピエタ』の松永大司監督が、高山真の自伝的小説『エゴイスト』を基に、鈴木亮平&宮沢氷魚の共演で描く『エゴイスト』が、2月10日(金)より、シネ・リーブル梅田ほか全国にて公開される。ゲイであることを隠して田舎町で育ち、現在は東京で自由に暮らしている編集者の浩輔が、母との暮らしを支えるために複数の仕事を掛け持ちするパーソナルトレーナーの龍太と出会い、惹かれ合う様を描く。

主人公の浩輔を鈴木亮平、龍太を宮沢氷魚が演じ、阿川佐和子が龍太の母に扮している。そんな本作の公開を前に、松永大司監督が作品について語った。

──ここまでしっかりとラブストーリーを描くことは監督にとって初めてだったと思います。原作に惹かれたポイントを教えていただけますでしょうか。

プロデューサーから原作を読んでほしいと言われたのが始まりで、ゲイがテーマであることがひとつと、阿川さん演じる龍太の母・妙子の「愛しているかどうかは、受け取った側が愛だと思えばそれでいいんじゃない」という言葉が心に響いて、これを映画化したいと思いました。その中で、浩輔と龍太の恋愛はしっかり描かないと成立しないと思ったので、しっかりと恋愛を描きました。

──恋愛を描く上で特に意識したことはありましたか?

観ている人がキュンキュンしてくれたらいいなと思いました。恋が始まる瞬間はもちろん、浩輔の部屋で初めてSEXをした後、浩輔が帰っていく龍太をベランダから見ようかどうか迷うシーンは、元々の台本にはなかったのですが、現場で足しました。観ている人が恋をしていると感じるように今回はすごく考えました。

──では、同性愛を真っ向から描く中で、何を一番大事にされたのでしょうか。

どんなテーマを描く時も、脚本の段階で取材をさせてもらって、その上で脚本に新しい要素を足していくようにしています。そういうスタンスは他の作品と変わりませんが、自分に言い聞かせていたのは、『ピュ~ぴる』というドキュメンタリーでデビューしてゲイの友人がいるからと、知った気にならないようにしようと。自分の価値観で決めつけないように丁寧に時間をかけて、いちから取材するつもりでリサーチをして、知らない世界だと思って撮ろうと思いました。

──その上で、脚本を作る際は原作のどの部分を一番大事にしようと思われたのでしょうか。

髙山さんご自身の自伝的なものなので、基本的には登場人物の感情の変化を大切に描きたいと思いました。原作はモノローグが多いのですが、それを映画で心の声として使うことは選択しませんでした。だから、どうやってモノローグなしで描くかということを、脚本の段階ですごく考えました。映画を観た時に、アプローチは違っても描かれていることは原作と同じだと感じてもらえるように。また、今回は映画のテーマとは別に、表現の方法論についてすごく考えました。

──鈴木亮平さん演じる浩輔が、スタジオで写真撮影をしている仕事風景から始まり、ゲイの友人たちとの飲み会、実家への帰省と浩輔の人となりがわかるオープニングになっていました。それもある意味、方法論の一種だったのでしょうか。

ロケハンであのスタジオを見た時に、これはワンカットで撮ろうと思いました。というのも、脚本を書いている最中に、アン・ハサウェイが主演していた『プラダを着た悪魔』という作品を見直して。あの映画はすごくよく出来ていて、オープニングでアン・ハサウェイの生活や人となりを全部出しています。

──よくわかります。

映画は、どうやって映像でキャラクターを紹介するのかが本当に重要で。だから、この映画はオープニングのワンカットで、鈴木亮平演じる浩輔の服に対する考え方と仕事とセクシュアリティがわかるようにしました。後は、ワンシーンワンカットという映画のスタイルも。こういう映画だとわかってもらえるように意識的にあそこに詰め込みました。実家の姿、友だちといる時の姿、仕事の姿を立て続けに見せることで浩輔の人間像がかなり見えるように計算しました。

──映画の方向性をあのオープニングで示したということですよね。

どれだけの人がそう感じてくださるかはわかりませんが、カメラがずっと登場人物を追っていくのはあそこで示そうと思いました。全編を通してこのスタイルだと提示しました。

──ワンカットで撮ることは脚本を書いている段階から監督の頭の中にあったのでしょうか。

脚本の段階ではワンカットにしようとは考えていませんでした。ロケハンして、撮影日数などの現実的な要素を考えて、ですね。元々、手持ちでカメラをふっていく、ダルデンヌ兄弟の『息子のまなざし』という作品を参考にする映画として伝えていたこともあって。ワンカットで撮ることは、カメラワーク、演出、役者の力、全てに力を求められます。でも、カット割りして何カットも撮るよりは時間が節約できます。

──確かにそうですね。

例えば、居酒屋で友だちと話すシーンを1回撮ると20~25分かかる。それを何テイクもやっています。それでも、あれだけ多くの人間がいるシーンでカットを割って、いろんな方向から撮るともっと時間がかかります。カメラマンにはワンカットで成立するものを撮ってほしいと伝えていました。ドキュメンタリーを撮る時は自分でカメラを持って撮っていて、カメラが映っていないところでも表現できるという感覚があるから、撮影日数や時間など、いろんな条件を逆手にとって、ドキュメンタリータッチにしようと思いました。

──ワンシーンワンカットのドキュメンタリータッチで撮ることによって、客観的ではなく登場人物の主観に寄り添って観ているような感覚になりました。

最初にしっかり恋愛を撮っているとおっしゃった、その"しっかり"というのは、もう少し客観的に撮っていると全く印象が違ったと思います。あたかも観ている人がそこにいるようにクローズアップで撮っているので、そういう意味でも"しっかり"撮っているという感覚になるのだと思います。内容やテーマだけでなく、完全に観客を巻き込む撮り方にしているので、そこに一緒にいるような臨場感を感じてもらえると思います。

──そういう意味でも、鈴木さんと宮沢さんのマッチングは絵になっていました。ふたりの組み合わせの決め手は何だったのでしょうか?

結果的にですが、僕が主役にする男性は背が高い人が多くて。背が高い人が好きみたいです(笑)。背が低い人が嫌なわけではなく、画面の中の制圧感が全然違う。ふたりに関しては、見た目の高低差は作らない方が面白いと思ったからです。浩輔と龍太には経済的にも性格にも違いはありますが、見た目としてはシュッとしているふたりにしたいと。

egoist_sub3.jpg

──そういう理由があったんですね。

例えば、浩輔がマンションの上から手を振って、龍太が下から手を振るシーンでは経済的な違いを象徴しています。そういうことは意識的に描いていますが、見た目の身長の高さは同じくらいで、そこに上下関係が出ない方がいいと思いました。抱えているものも生活も違うけど、立った時にはどっちがどっちだと分からない方がいいと。

egoist_sub4.jpg

──それは、監督がこのふたりの関係性はそうあってほしいと思われたからでしょうか。

原作をそのまま映像にして視覚的にわかりやすく説明してしまうと、考える余白がなくなってしまうのではないかと。もうちょっと人間も世の中も複雑だと思うので、そこはフラットにした方がいいと思いました。後は、ふたりが本当にカメラに愛される俳優なので、それも大きいですね。

──特に、龍太が浩輔といる時に見せる笑顔の破壊力はすごかったです。宮沢さんならではの色気と純粋無垢な感じが同居している笑顔でした。

誰しもが頑張って生きているじゃないですか。それぞれいろんな悩みを抱えていても、どんなに辛くても仕事もするし、お金も稼がなきゃいけない。コロナもあって、苦しい人がたくさんいるけど、みんな頑張っている。苦しいことを抱えている人の笑顔の方がグッとくると思っているので、悲壮感漂うような表情はしないようにしていました。基本的には素敵な顔を撮って、その素敵な顔の裏に実はこんなことがあったと映し出すと、人は想像力がすごいからたくさんのことを想像してくれるはずなんです。

──宮沢さんがここまで弾けるような笑顔を映画で見せているのを見たことがなかったので、本当に新鮮でした。

笑顔はもちろん、氷魚はいつ会ってもすごくいい顔をしているので、それが彼の持っている人間的な美しさだと思っていて。だから、それを撮った方がいいと思いましたし、龍太の天使のような純粋でピュアな感じは、元々氷魚が持っているものだと思います。それを映画に出したいと思いました。

egoist_sub2.jpg

──先ほど、阿川さん演じる龍太の母・妙子の「愛しているかどうかは、受け取った側が愛だと思えばそれでいいんじゃない」という言葉が心に響いたとおっしゃっていましたが、その言葉に監督の感じていたことがあったということでしょうか。

当事者にしかわからないことはたくさんあるのに、いいことか悪いことか、幸せか不幸せかを周りが勝手に決めつけるじゃないですか。本当は、本人たちしかわからないことだし、外野がとやかく言うことではない。ジャッジしたがるのが余計なお世話というか、暇だなと思っていて。

日本人は必要なことには無関心で、関心を持たなくていいことに関心を持っている。特に、コロナになってから余計に息苦しい世の中だと感じていました。一見、浩輔の愛情表現はお金で何かを買っているように見えるかもしれないけど、当事者3人がいいと思っているなら、それでいいのではないかと。それが今の日本に伝えたいというか、大事なことだと思いました。

──『エゴイスト』というタイトルについても、映画を観ながらすごく考えました。映画を観た後では"エゴイスト"という言葉の捉え方が変わったように感じました。

だから、最後にもう1回タイトルを出したんです。亮平のすごく素敵な姿を観た後にもう1度"エゴイスト"というタイトルが出たら、オープニングの"エゴイスト"と全然見え方が違うと思います。そこが映画の表現の面白いところだと思っていて。"エゴイスト"という言葉には、大体の方がネガティブなイメージを持っていると思いますが、観終わった後に、確かにエゴイストかもしれないけど、果たしてネガティブなものなのかどうか考えてもらえればいいと思いました。

──そう考えると、前半のやり取りが後半で少し形を変えて表現されているなど、全編を通して繋がりを感じました。特に、終盤、浩輔が小銭を拾うシーンはこみあげてくるものがありました。それも映画的だと感じました。

かなり、いろいろなことを散りばめています。大きいスクリーンで観ていただけるからこそ情報量を増やして。敢えて、寄りで撮っていませんし、インサートでフラッシュバックを入れないようにしましたが、それでも僕は絶対大丈夫だと思っています。「観客を信じよう」とスタッフにも言っていました。それに、そういう繋がりを見つけた時の喜びも味わってほしくて。「うわー!」って思うじゃないですか。鳥肌が立つ瞬間を味わってもらえるといいなと思って、そうしました。

──何か所かで「うわー!」と思いました。

それこそ、浩輔が小銭を落としたシーンも、自動販売機で水を買っていますが、自動販売機は一切映していません。それでも自動販売機で水を買っていることはわかるじゃないですか。撮影の池田(直矢)に「自動販売機にカメラを振りますか?」と言われましたが、僕は亮平の顔をずっと撮りたいと思ったので、「後で音を足せば観ている人は自動販売機だとわかるから、それよりも鈴木亮平の顔を撮ろう」と。

そうすると、「あのシーン(自動販売機が)映ってなかったけど、わかりますね」と言う人が結構多くて。あそこの撮り方にこの映画のスタイルが存在していると思います。

──自動販売機は映っていたような気がしていました。

自動販売機で水を買ったことはわかるから映っているように思えるけど、全く映していません。ガチャガチャガチャという自動販売機で水を買った音と、チャリンチャリンというお釣りの音が入っているので、それでわかる。人間の頭はちゃんと補完してくれるから。

──そう考えると、わかりやすい映画ではないかもしれないけど、実は感情に対してはわかりやすいということですよね。原作のモノローグが俳優の表情になっていると考えることもできます。

撮っているものは人の顔であり、人の感情なので、シンプルに作ったつもりです。脚本も、後で足すことを前提にすごくシンプルなものになっていたので、亮平が読んだ時に「シンプルすぎないですか?」と言っていました。僕は亮平に「信じてほしい。リハーサルで作っていきたいから」と。それでも亮平は「台本にないものなんて撮れますか?」と言っていましたが、「現場で増やしたいから信じてほしい」と。その後、リハーサルに入ったら「監督が言っていたのはこういうことなんですね」とわかってくれました。

──鈴木さんとはこの作品に入る前から付き合いがあったのでしょうか。

亮平とは長くて、僕が監督になる前、亮平が役者になる前から知っています。僕は「いつか映画監督になりたい」、亮平は「いつか俳優になりたい」と語り合っていました。この映画の最初のシーンの時に、あんまりしめっぽくなってもしょうがないんですが、亮平が「あの時のこと覚えてます?」と言ってきて「覚えてるよ」と。「俺らいいっすね」「そうだよね」と端っこで、ふたりでそんな話をしていました。

──10年越しくらいで夢が叶った、と。

その間、もちろん親交はありましたが、15年?10年以上ですね。どの作品にも自分の全てを捧げるつもりでやっていますが、今回はそれに加えて亮平とやることに満を持してという感じはありました。

──そう聞くと、また映画が違ったものに見えてきます。

亮平だけでなく氷魚ももちろん、役者もスタッフも僕を信じてついてきてくれたことには本当に感謝しかないです。それは、宣伝のやり方についても同じです。メインビジュアルもふたりの顔がはっきり見えないものにしていますが、絶対に美しくてインパクトのあるものの方がいいと思ったからです。だからこそ、興行としての結果が出てほしいと思っています。

egoist_sub.jpg

──宣伝のやり方という話で言うと、マスコミ向けに渡されるプレスシートに「LGBTQ+用語集」として、注意が必要な表現などが記載されていました。

それも僕が提案させていただきました。今回、LGBTQ+の言葉のガイドラインを作ってらっしゃる松岡さんに監修に入っていただく中で、僕らも含め、メディアの方たちにも言葉の責任があると感じました。取材の時にひとつひとつ言葉を訂正する時間はないので、映画を観て取材をしたいと思っていただくことは有難いと感じながら、取材する側も最低限の知識を持っていないと、本質的なところが届かなくなってしまう。だから、取材していただく方にもこれを読んでもらって、その上で質問していただこうと。共通認識の言語を出したいと提案しました。

──この映画を撮ったことで、監督の中でエゴイストという言葉に対して感じることは変わりましたか?

監督という職業を選んでいる自分は我がままだと思っています。何かを選択する時に、僕は僕のやりたいこと、映画を作ることを優先させてもらって、周りの人に迷惑をかけています。だけど、本当にいい映画を作り続けて結果を出して、周りの人たちにいい思いをさせてあげたいと思っています。だから、エゴイストという言葉に対しても、この映画と同じような考え方をしてきました。

自分を大切にできない人は他人も大切にできないと思っているから、劇中で阿川さん演じる龍太の母親の言葉に共感したんです。もし僕がエゴイストという言葉に否定的な思いを持っていたら、こういうアプローチの映画になっていなかったと思います。僕が持っている考え方に近いものがこの本にあったので、僕のエゴイストという言葉に対する考え方は変わっていないと思います。

──すごく腑に落ちました。

僕は理解できないものを撮ることはできないので、自分の考えていたことがそこにあったんだと思います。

取材・文/華崎陽子




(2023年2月10日更新)


Check

Movie Data




(C)2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会

『エゴイスト』

▼2月10日(金)より、シネ・リーブル梅田ほか全国にて公開
出演:鈴木亮平
宮沢氷魚
中村優子 和田庵 ドリアン・ロロブリジーダ / 柄本明 / 阿川佐和子
原作:高山真「エゴイスト」(小学館刊)
監督・脚本:松永大司
脚本:狗飼恭子

【公式サイト】
https://egoist-movie.com/

【ぴあアプリ】
https://lp.p.pia.jp/event/movie/245399/index.html


Profile

松永大司

まつなが・だいし●1974年、東京都生まれ。友人であったトランスジェンダーの現代アーティスト・ピュ~ぴるを8年間追ったドキュメンタリー映画『ピュ~ぴる』(2011)で監督デビュー。第40回ロッテルダム国際映画祭、第11回全州国際映画祭、パリ映画祭など数々の映画祭から正式招待され絶賛された。2015年には初の長編映画作品『トイレのピエタ』が公開。第20回新藤兼人賞銀賞、ヨコハマ映画祭森田芳光メモリアル新人監督賞などを受賞。2017年には、15年振りに復活を果たしたTHE YELLOW MONKEYの1年間の活動を追ったドキュメンタリー映画『オトトキ』が公開。2018年、国際交流基金×東京国際映画祭による「アジア三面鏡」企画第二弾に、アジア気鋭の監督の一人として参加、『碧朱』が東京国際映画祭にて上映。その他の監督作に、村上春樹原作『ハナレイ・ベイ』(2018)、『Pure Japanese』(2021)など。